再び千葉県佐倉市の庭つくり 平成24年4月16日
この庭はいったいいつ終わるのか、少し見当がつかなくなってきました。でも、いつもの通り楽しく、妥協することもなく作っているので、庭の完成後のAさん家族の喜びと幸せを確信しています。
2週間前に仕上げた上段母屋前の庭空間、新緑はまだ先ですが、春の花が次々に庭を楽しませてくれていました。
今の時期の雑木の庭は、日に日に表情を変えていきます。
上段の庭から下、離れ屋の外空間へと伝う回遊路。植栽したばかりの木立の中に、緩やかな階段の小道が溶け込みます。
上段芝生広場から回遊路へ伝う起点の配石はさりげなく、歩きやすく、そして確かに。
そして、母屋玄関と下段の離れ屋を結ぶアプローチ周辺の配石(まだ途中)も、植栽の中にずいぶんと落ち着いてきました。
石組みの石はすべて、解体前のAさんの庭にあったものを再利用しています。
数十トンもあった庭石はほとんどすべて再利用して組み直しています。
ちなみに、私は石組みが大好きです。しかも、古典的で力強い石組みが大好きで、今も毎年、優れた石組みが残る古い庭園を巡り、時に実測することもあります。
意外に思われる方が多いと思いますが、好きなものは好きなのです。
それなのに、最近私が作る庭にはほとんど石組みはありません。それは、都会の住宅地のように、石のないところにわざわざ石を遠くから持ち込んでまで、その空間内だけで閉ざされた別世界を作るような庭のスタイルを求めていないお施主様が私には多く、また私自身もそんなお客様方々の考え方にとても共感するからです。
私は、もともと石がそこにあるのなら使うし、石のない新規の住宅でお施主が石のある庭を望むのなら、街の風景として違和感のないようにさりげなく、しかもできるだけ在庫の古材を用います。
石畳や石積みなどの用途のある場合はともかく、庭石をわざわざ買ってまで、お客様の庭に入れようとは、あまり思いません。
それに、現代の狭い一般住宅の風景として、石によって庭の骨格が作られた庭がふさわしいともあまり思えません。
しかし、それはそれです。今回は、敷地面積も申し分なく、しかも廃材を生かせて、なおかつもともとある石をふんだんに使える、うれしい仕事で熱もこもります。(いつも熱い気持ちで仕事していますが・・。)
さて、いよいよ今日から手前側、下半分の工事開始です。
上段から園路を伝い降りて、そしてこれからそれを繋ぐ景色を作ります。エネルギーがみなぎります。
写真左側、立石の奥から小川を作り、それが離れ屋の庭の主景となります。
楽しみです。
真鶴半島の庭 2年越しの完成まであと少し 平成24年4月13日
太平洋に突き出す真鶴半島の海を見下ろすT氏邸のランドスケープが、あと少しで完成というところまでたどり着きました。
造園依頼をいただいてからすでに2年以上が経過しました。。。ずいぶんとお待たせしたものです。
本当に、、毎度のことですが、根気よく温かくお待ちくださるお客様方々に、私たちはとても救われています。。。
今もお待たせしておりますお客様、必ずご満足いただける空間を大サービスで作らせていただきますので、どうかお許しくださいませ。
崖地に立地するこの家屋、その駐車スペースは、傾斜地を下って回り込むように配置しています。
法面の植栽によって周辺の自然風景をこの駐車場にも引き込み、周辺の素晴らしい風景の中にこの敷地を溶け込ませていきます。
そして、駐車スペースからさらに下、斜面に長大な石垣を積んで回遊路を作りました。
その回遊路へと、なだらかに下りてゆく階段の道です。
最近私がよく使う赤い砂利は、家屋を解体した際に発生する瓦の廃材を粉砕したチップです。吸水性が高くてしっとりと濡れると美しく、下の土から吸い上げて含んだ湿気をゆっくりと蒸発させることで夏もコンクリートのように高温にはなりません。
成分は土なので、土壌や植物にも好影響こそあれども害は全くありません。
瓦の廃材は今、地球資源として生かされます。
回遊路と周辺の植栽の様子です。正面の大木はもともとここにあった桜です。この木を生かすように、園路を構成したのです。
そして桜の大木の傍らに、海の眺望を望む位置にベンチを設けます。
この、斜面の回遊路の起点となる階段。傾斜を生かして一つ一つ、造園的に処理してゆくことで、さりげなく景色を整えていきます。
回遊路から石積みの上に佇む家屋を樹木越しに臨みます。
家際の自然樹木が半島の風景を身近に引き込み、そして家屋をこの風景の中に心地よく溶け込ませていきます。
今は花木の開花の季節、春の花が新年度の始まりを祝福してくれるようです。
テラス際に植栽した雑木の木立。自然樹形の木立ならではの、ダイナミックな自然風景にも負けず劣らず美しく、違和感を感じさせないシルエットとなります。
昨秋に植えた木立が芽吹き、そして芝も日ごとに青さを増していきます。そこに散り桜の花びらが点々と落ちる光景に、何とも言えない熱いエネルギーをもらいます。
そして、家の上部にも庭があるのが、この家ならではの凄いところです。
2階にエントランスを設けてブリッジを渡して、この敷地の中でも一番の見晴らしを楽しめる外空間へと伝います。
この空間の最上部には展望デッキを配し、その周辺の植栽が、いよいよ最後の仕事です。
来週にはここも完成し、いよいよ引き渡しとなります。庭造りがいざ終わるとなると、いつも一抹の寂しさを感じます。
今回は特に遠方であり、危険なほどの崖地での困難な仕事でしたが、終わってみればこれもまた、楽しかった思い出の一つになります。
来週の完成引渡しです。最後まで気を抜かずに、この土地らしい最高の風景を完成させたいと思います。
グッディホームズ本社植栽完成 平成24年4月12日
ここは神奈川県藤沢市 輸入住宅グッディホームズの新しい本社事務所兼モデルハウスです。雨上がりの今日、芝張りを終えて植栽工事が完成です。
正面アプローチの入り口は、明るい雑木の木立の中に、石畳の道が伝います。
デッキに上がる階段は仮設です。石畳のアプローチは、デッキから室内に至る動線へと誘導します。
白い塗り壁に、木立の陰影がよく映えます。木々があって初めて家屋の佇まいは落ち着きます。
隣接道路はこの町の小学校や幼稚園の通学路です。ここを通る子供たちのためにも、雑木の木々の枝葉を歩道にかぶせるように外周の木々を植栽します。
あえて塀を設けないオープンな仕上げによって、この200坪の庭と建物は、それ自体が通る人を楽しませてくれる身近な風景となりました。
そして、西側の事務所としての社員通用口。通用口といえども、これもまたこの家屋の顔となる部分です。芝生の表庭側とはちょっと変えて、鋭角的な屋根のフォルムを格調高く引き立てるように植栽しました。
北西側、社員専用の駐車スペースから見た家屋の景。ちょうど主庭の裏側、裏通りに面していますが、これもまた街の風景となるよう、景色を構成します。
駐車場背面に植栽のゆとりを設けることで、駐車場も景色の一つに溶け込みます。
社員駐車場の背面植栽。家屋の裏側にもスペースのゆとりを設けることで、家全体を隙間なく美しい風景の中に包み込むことができます。
植栽したばかりの木々、今は芽吹きの季節です。1日1日と表情を変えてあと半月もすれば、この町で新たな景色を作り始めたこの家屋を、清く美しい新緑の中に包み込んでゆくことでしょう。
気持ちよく仕事させていただきましたグッディホームズの皆様、そして忙しい中お手伝いいただきました松浦造園様、どうもありがとうございました。
木を植えることは未来を植えること 平成24年4月8日
ここはパシフィコ横浜、国際会議場です。
昨日ここで開催された市民環境フォーラムに参加しました。
フォーラムのタイトルは「東日本大震災の教訓を生かし共生社会の実現を目指して」
財団法人地球環境戦略研究機関、国際生態学センター主催、特定非営利活動法人国際ふるさとの森づくり協会共催にて催されました。
開始30分前の開場と同時に、大きな会議場は前席のほうから埋まり出します。
数百人の市民がこのフォーラムに集いました。
ちなみに私はもちろん、開場と同時に最前列真ん中の席を取らせていただき、一言一句逃さぬ覚悟でこのフォーラムに臨みます。
国際生態学センター長、横浜国立大学名誉教授、宮脇昭先生の熱いお話に聞き入ります。
積年のあこがれの人、宮脇昭先生にお会いするために、今回私はこのフォーラムに参加したのです。
宮脇先生の著書は、それこそ私が林学科の学生だった頃から20年以上の間に、これまで何冊読んできたかわかりません。
しかしこの、宮脇昭という本物の人間の命と85歳とは思えない若さと情熱を、肌身で感じたい、今の私にそれが必要だと思い、今回参加させていただいたのです。
稀代の植物生態学者、宮脇昭先生は日本の植物生態学の世界に初めて「潜在自然植生」という概念を確立させ、そして綿密で超人的な長年のフィールドワークを通して、日本の潜在自然植生図を完成させました。
「潜在自然植生」とは「人間による土地への一切の干渉がなされない場合、その土地の気候風土によって最終的かつ持続的に安定して成立する植物相の姿」と定義されます。
たとえば、関東全域では高地を除きほとんどの土地では、人間による活動が停止すると、やがてカシやシイ、タブノキなどの常緑広葉樹を主木とした多層群落の豊かな樹林となります。
これが関東だけでなく、日本人の9割以上が住む東北沿岸部以南の潜在自然植生であり、それこそがその土地の本物の森であり本物の樹木であると宮脇氏は言います。
そして、それこそがその土地の素顔というべき本来の自然の姿、人間を含むすべての生命を支えてきた自然の様相であり、数千年という長い年月を通して繰り返される大津波や地震、台風にも火事にもしっかりと耐えて、そこに生きる人などの命を支えてきた、本物の森なのです。
今回の大津波でも、海岸沿いの松の木などは根こそぎなぎ倒されて津波に流されました。そして流された大木が家屋やビルを破壊し、津波の被害をさらに大きくしてしまったのに対し、その土地本来のタブノキやシイノキ、その下に生えるトベラやマサキ、ヤブツバキなども潮にも耐えて青々とした命を繋いでいたのです。
そして、こうした木々は大津波の勢いを減殺し、海へと流される人や物を幹枝で食い止め、そしてすべての人工物が破壊され燃えた後もしっかりと生き残り、青々とした命を繋いでいたのです。
自然の揺り戻しというべき今回の大津波、そのなかで本物の植生は生き残り、そして偽物は滅ぶ、それが冷厳たる自然の掟というべきものでしょう。
世界各地でこれまでに市民とともに4000万本もの本物の苗木を植えてその土地本来の本物の森を作ってきた宮脇昭氏は今、被災地の海岸線300キロにわたって、コンクリートなどの人工物ではなくて、潜在自然植生の森による緑の防潮堤を築くべく、多くの市民とともに活動されています。
宮脇昭氏(左端)の隣の方は、名古屋大学特任教授 安成哲三先生です。
モンスーンアジア地域の気候変動研究の第一人者、安成先生は、日本という国が立地するモンスーンアジア地域で持続可能な社会を再生するために大切なこと、そして同時に、活断層が集中し気象災害が繰り返される日本などのモンスーンアジア地域に原発を立地することの危険性について、非常に分かりやすいお話をいただきました。
豊かな自然は同時に、どんな人智も科学技術も及ばない恐ろしい面も普通に持ち合わせています。
震災後、人間は自然を征服しようとする愚かな社会の在り方を反省して、そして自然界の掟に従い、自然との共存共生関係を本気で築いていかねばならない、今こそ人間の知恵と心が試されている時といえるでしょう。
「何物にも代えられないのが命。一番素晴らしいことは今を生きているということ。未来の命を支えるために、大切なことはできることをすべてやること。」
宮脇先生は言います。
これは、震災を経験した多くの方にとって共有できる考え方なのではないでしょうか。
宮脇昭先生が提唱する森の防潮堤、それを実際に東北で先頭きって推進しているのが宮城輪王寺の住職、日置道隆氏です。日置氏はこれまで8年間かけて、境内にふるさとの木によるふるさとの森つくりを市民、子供たちとともに進めてこられました。
今、日置氏は「命を守る森の防潮堤」推進東北協議会会長として、この素晴らしい計画を実行すべく、先頭に立って進めようとしています。
ふるさとの木による森の防潮堤、それは生命の塊というべきものです。その土地本来の木々による森は管理の必要もなく、自然のシステムに従って永遠に森を維持しながら、様々な生命を育てます。
コンクリートの防潮堤は数十年で劣化するため常に作り替える必要があり、また壊してしまえばゴミになります。
自然を支配しようとする発想から、命を尊重し自然と共存共栄した文明を築くべく、今こそ硬直した発想を脱却して、命という価値の原点に戻らねばなりません。
命、それは、なくしてしまえば何もありません。
会場の外で紹介されていた、ドングリから育てた潜在自然植生樹木のポット苗です。これらの苗を密植し、そして植栽後は自然の淘汰と競争に委ねて、将来の豊かな本物の森になるのです。
植物生態の掟に従った植栽方法と本物の木による森つくりであるがゆえに、人の手による管理を必要としない自立した森が作り出せるのです。
今後、私の造園、街づくりでも大いにこの方法を取り入れていかねばならないと確信しています。
宮脇氏は、植生調査と自然生態系のおきてに基づくこうした森つくりを世界各地で実践してきました。
そしてこれは、2008年に私の地元のスーパーの外周に宮脇先生が市民数千人とともにポット苗を植え付けられた緑地です。
4年を経て、すでに樹高3m以上の小樹林が育っていました。
「木を植えるということは、未来を植えるということ。」宮脇先生は言います。
世界各地で市民とともに命を守る本物の森を作り続けてきた本物の人の言葉が、ちっぽけな私の胸にずんと重く響きわたります。
未来の地球が豊かな命を支えることのできるものであるよう、本物の木を植え続けてきたのでした。
感動が自分を変えていきます。フォーラムの中、先生とお話しできたのはほんのわずかの時間でしたが、行き詰まりを感じていた私にとって、震災後の長いトンネルをようやく抜け出すことができそうです。
身近な自然に 平成24年4月3日
地元の畑の真ん中で、紅白の梅が盛りを過ぎて、4月になってようやく散り始めました。今年ほど梅の開花が遅かった年が私の知る限りあったかどうか、思い浮かびません。
しかし、畑の中に紅白の梅を植えてそこに資材を置いて農作業の憩いの場とした地主の心に思いを馳せて、まるで春の陽気のように心温まります。
早春の野に咲くオオイヌノフグリの小さな花。青の点々が野に輝く頃、春の訪れにいつも胸が躍ります。
地元八幡神社の鎮守の森では、ヤブツバキの花が深い森の緑の中に点々と見られます。
ヤブツバキ、それは東北沿岸部以南日本の全域の自然林に見られる暖温帯気候地域の代表的な樹種です。
私は雑木の庭の中木として必ずと言ってよいほどこの木を用います。それが、私たちの住む気候風土にとってごく自然な木だからです。
都会では、ツバキにはチャドクガが湧くからと言って敬遠する人も多いのですが、私の作る雑木の庭では、チャドクガはめったに大発生はしません。もちろん、消毒という名の毒物散布も今はしませんが、それでもあまり害虫が大量発生することはないのです。
森の中の健康なツバキにはチャドクガは発生しないのと同様に、周囲の木々との共存関係を考慮した健全な生育条件を作っていけば、一部の害虫の大量発生などほぼ防ぐことができるのです。
都会の劣悪で不自然な環境、または生態系のバランスを考えずに植栽する庭師の不勉強が、こうした害虫の大量発生を招いてしまってきたのでしょう。
これからはそれではいけません。
日本の大半の地域で数千年という長い年月を健全に生きてきたヤブツバキが害虫の大量発生を受けるという都会の庭の環境というものに根本的な問題があることに気づかねばなりません。
そしてここは、地元の富田都市農業交流センター主催の農業体験農場です。週末農業を志して100人以上の参加者がここで週末農業に励んでいるのです。
先の日曜日は里芋の植え付けです。地元農家の指導の下、みんな熱心に作業に挑みます。
こうした企画に募集人数を大幅に超える人たちが集まることに、時代の変化を感じます。
高度経済成長を終え、バブル後の20年を経て、そして311後の日本、美しい命、美しい暮らしに回帰し、新たな文明を築くべく、今、多くの人が失った大事なものを取り戻そうとしているように感じます。
これは我が家の落ち葉ストックです。わずか半坪のストックスペースで、200坪の敷地の庭の刈り草や落ち葉をすべて処理しています。野菜くずや生ごみも一緒にここで大方処理します。
先日切り返したところ、1年間ですでに半分が肥沃な腐葉土と化していました。写真左半分が腐葉土と化した落ち葉です。
そして、腐葉土は写真右の10坪菜園に漉き込み耕すのです。これを毎年繰り返しているうちに、畑の土は徐々に良くなってきました。
土を育てる、このうれしさや充実感は、何とも言えません。
そしてここは、地元の市民団体によって良好な里山として管理されている、杉とカシの人工林です。
杉と一緒に植えられたカシは、競争しながらまっすぐに育ちます。枝葉を広げる公園や庭のカシばかり見慣れた目には、これがカシとは思えぬほどの素晴らしさ。
木は一人で生きているわけではなく、周囲の環境の中で適応し、競争し、生き抜いてきたのでしょう。
業種問わず、今、私たちはこの文明を発展させないといけない、そう感じて生きている人がたくさんいると思います。
かけがえのない命に鑑みて、将来に誇れる生き方や社会を築いていけるよう、ほんの少しずつでも軌道修正していかねばなりません。