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雑木の庭つくり日記

吉野山の荒廃と環境再生   平成29年9月10日
 

 世界遺産、紀伊産地の霊場と参詣道の中核の地、吉野山での桜植樹地の一角、太閤花見塚にて、継続的に実施させていただいている環境改善指導、最初にここを訪れたのが昨年の三月のことでしたので、あれから一年半が経過したことになります。

 この一年半の間、私たちははるばる千葉から5回ほど、環境の改善作業とその現地指導のために訪れましたが、ずいぶんと桜の状態、土壌や地表の状態も雰囲気も、健全な状態へと改善されつつあることを、ようやく、参加される皆さんに、それを感じていただけるまでになりました。

 ここは、大和ハウス工業株式会社CSRによって、10年ほど前から桜植樹・育樹に取り組まれてきました。
 世界遺産であり、役行者が開いた山岳修験道発祥の地、その価値を未来に繋ごうと、地元の関連団体方々やダイワハウス社員の有志によって、この10年間、尊い労力が注がれてきました。
 
 それでいながら、桜は衰弱し、環境は悪化するばかり、ダイワハウスCSR担当の内田さんの依頼で私が最初にこの地を訪ねたときは、植えられた桜は精気なく樹皮は荒れて枝枯れを繰り返し、地面は表土がむき出しで流亡し、カチカチの地面にはススキばかりが時期によって人の背丈以上にはびこる、そんな荒れ地となり果てていたのでした。

 そんな時、昨年三月に吉野林業研究会が主催した私の講演会に参加されたのが、ダイワハウス入社以来一貫して吉野でのCSR活動を担当してきた内田さんでした。
 その後彼は、それまでこのプロジェクトを指導してきた樹木医や地元桜守の方々を説得してくれて、私たちが、この地の根本的な環境の再生に取り組む足場を作ってくれたのでした。

 今回、先日の吉野山花見塚環境再生ワークショップ指導の様子を、以下にご紹介させていただきながら、今の環境劣化の問題の根本を、少しでもお伝えできればと思います。



 この日は、ダイワハウス社員によるボランティア参加の有志方々、このプロジェクトに終始ご協力くださる地元の吉野桜保勝会の方々、そして近辺から加勢に来てくれた造園仲間たち、心ある方々延べ50人以上が、この吉野山の山中に集いました。






 植樹地の環境は、この一年半で見違えるほど、改善されつつあります。以前は赤土がむき出しだった地表は今やすべてが草に覆われ、夏の木陰も1年前に比べて格段に広がり、優しい光景に変わりつつあります。

 桜を健康にするために、環境全体を健全に育ててゆく、それが私たちの環境再生の視点であります。

 植えられた桜の健康回復のためには、その土地の自然環境が健全でなければなりません。
 自然界は、植物動物菌類微生物、すべてが繋がって、まるで人間の体と同様に、いのちの連携の中で健康を維持し、バランスを保ち、いのちが共存し、安定してゆくわけですので、周辺環境の健全性に目を向けずに、目先のマイナス要因を排除してただ単に桜だけを健康に育てようとする、現代の発想自体が全く間違っている、と言わざるを得ません。

 そんな人間中心の視点では、決して環境は良くならない、そして人間も、悪化する環境の中でさらに自然と一体の感覚を鈍らせてしまう、そんな現状に早く気づいて、そして改めていかねばなりません。



 植樹地の環境改善作業は、土地を育てる草刈りから始まります。
ススキなど、荒れ地に優先する草の先端を刈りはらうことで細かな根を出させるのです。それによって表土の通気浸透性が改善されて、土中生物環境が自ずと改善されていきます。
 そして、実生で自然に芽生えてきた他の草木は刈らずに残し、ススキが役割を終えて消えてゆく際に、次のステージの担い手となる新たな植生を育むのです。
 大地の健康を守る皮膚のような役割が地表の草本地衣類なのであって、草刈りは本来、 人間都合で不要に思える草を排除するために行うのではなく、人間の関与する土地において、大地を守り育てるために行うもの、そんな、本来当たり前の造作を意味を今、我々は思い起こさねばなりません。



 ベンチ廻りの表土が硬化しやすい場所にわずかな溝を掘って、大地の通気性、浸透性を改善していきます。



そしてその溝に炭を埋め込み、表土安定の起点としていきます。



 表土環境の改善後、表土全体に炭燻炭を撒いていきます。



  毎回参加くださるダイワハウスの美しい女性陣。



 吉野在住の同業の友人、風人園の大西さん。僕が吉野で活動させていただけるのは、彼のおかげといっても過言ではありません。
 本質的な部分から吉野の環境を再生し、そしてそれによって、自然環境の中での人のあり方を世に伝えていきたい、そんな想いを共有し、この活動を終始献身的に支えてくれる彼には全く頭が上がりません。

 無私の想いと世のための発心は当然のこと、そしてその想いが現実の中で実現してゆくためには想いを同じくする同士がどうしても必要なのでしょう。
 私にとって、彼なくして吉野での活動はありえず、本当に、天と地と人、彼と会うたびに感謝の思いが溢れます。そして、そんな体感が、人生を豊かに潤してくれるように思います。



 植樹改善フィールドに至る山道の環境改善整備も、重要な仕事です。環境はつながっておりますので、ただ単に自分たちが与えられたフィールドだけに目を向けるのではなく、周辺環境含めてよい状態を保つことができるように、目を向け心を向ける必要があるのです。
 


 そして改善後の山道にも炭燻炭を撒きます。






改善後の道は安定感が増して見違えるほど心地よく輝きます。
環境はつながっている、それは人にも言えること、自分だけの幸せや満足はありえず、すべてのいのちの共存と幸せのために働くこと、行動すること、そんな、他の動物や植物たちが当たり前にできることを、現代の私たちもできるようにならないといけません。



 私がこの吉野山で、半ばボランティアで私財を費やして、その環境再生に努めているのには、理由があります。

 人は、真剣に、そして命の声に忠実に生きようとすればするほど、たくさんの壁を前に葛藤するものではないかと思います。

 吉野金峯山寺では、1200年来、市井の人たち、在家の民の山岳回峰修行を一貫して受け入れてきました。
 そしてそこには、人生に行き詰まり、あるいは葛藤し、あるいは罪の重圧にさいなまれ、自ら命の再生、生まれ変わりを望む人たちが今も、たくさんこの地を訪れ、山岳回峰行を通して、大いなる自然の声に耳を傾け、真実に立ち返ろうとするのです。

 太古より、吉野山はそんな地であったのでしょう。そして、千年以上の月日の中で、そこにあったのは、自然への畏敬の念と自然回帰への祈りであり、そしてすべてのいのちのつながりに対する悟りと喜び、そんなものがこの吉野の霊場を今に伝えてきたのでしょう。

 私自身、10年ほど前からこの吉野山に通い始め、そして、自分の傷んだ心、罪の意識に押しつぶされそうだった自分の魂を、ここでの山岳回峰行の中で再生していった、そんな思いがあるのです。ある意味、この、日本のまほろばの地で魂の再生を感じ、そして今の自分があるのです。
 そうした意味でここは私にとっても魂の故郷であると同時に、これまで、そして今もたくさんの人の魂の故郷であったのです。心の拠り所、それが我々の子孫永劫に、保たれてゆくことが、今を生きる私たちの重要な役割ではないかと思います。
 
 自然の中で人のあり方を体得し、そして自分を再生していのちの源と一体になる、そんなあり方を伝えてきた、その一つにこの、吉野山の山岳修験道があるのです。

 昨年の正月、息子を連れて参詣道を歩いた際、信じがたい光景を目の当たりにしたのです。

 写真は、参詣道入り口にあたる、修行門からの景です。
私が山岳修行に参加していた頃、この辺りは大木生い茂る、山岳回峰修験道場の入り口にふさわしい霊気を感じさせてくれていた、そんな大木までもが伐採されて、そしてまばらに桜が植えられた、いのちに対して微塵の敬意も愛情もない、そんな光景に唖然とし、そしてその時、この地で自分が動かないといけない、そう発心したのでした。



 参詣道沿いに吉野山の観光の目玉である桜を増やす、そのために、今ある木々を伐り払い、すべてを排除して人間の都合のみで桜だけを育てようとする、そんなことを自然が受け入れるはずがありません。




 こうした人間の愚かさに対して、シカをはじめ野生動物たちはいっせいに攻撃を始めるのです。
 シカが人間にとって不利益な行動を示したとき、現代の傲慢で愚かな人間の発想は、シカを駆除し、囲いを設けて防御すればすべてが解決すると考えて、それを敵として排除することばかり考えて自分たち人間の過ちを振り返ろうともしない、そんな姿勢の先に豊かで温かな持続社会など、全くあり得るはずはなく、ますます人間は自然界の厄介者として、自らの首を絞め続けることにしかならない、そのことに気づいてほしい、方向転換しないといけません。

 そして、鹿よけの厳重な柵で囲ったこれらの木々も、場所によっては大半が枯死しているのです。
 愛のない方法で植樹しても木々は育つことはありません。シカ柵のなかの枯れ木、いったい何から何を守ろうとしているのか。

 木々は、いのちの連携の中で支え合い、情報を交換し合い、生と死を繋ぎ合わせながら、生きているのであって、人間の都合で桜だけを活かそうとしても健全に育ってゆくはずはないのです。
 どうしてそのことに気づかないのか、本当に、叫びたい思いに駆られます。


 
 今ある木々を大規模に伐採し、そして環境に対する何の配慮もなくただ単に桜ばかりをまばらに植える、そして表土は流亡し続け、、いずれ豪雨の際に土砂崩壊を起こすことでしょう。
 環境の劣化、国土の脆弱化は、こうした自然環境に寄り添うことを忘れた私たち現代人の姿勢に根本の原因があるということに気づかされます。



杉の人工林が経済価値をなくし、そしてそれが安易に大規模に伐りはらわれて、今度は桜のみを植える、環境や、他のいのちに対する何の配慮もなく、この、自然から学ぶ場所であり続けた吉野山で大規模に今も行われているのです。

 この状況は、かつて国策で行われた拡大造林、そして現代のメガソーラー等と同様に、天地人に対する畏敬を失った人心の行きつく果ての、末路の光景と言えるでしょう


 戦後の拡大造林による人工林化を支えたのは、国の補助金とお金に目のくらんだ私たち日本人。
 環境を支える広葉樹林を大規模に伐り払い、そして補助金目当てに次々に杉やヒノキばかりを植えて、そして外材流入による木材価格下落とともに、山が放置され、荒れていきました。
 お金だけで集まる人は、お金にならないことが分かったとたんに去っていき、そして自分たちが蒔いたマイナスのタネに対する責任についても一切顧みることがありません。

 そして今は、メガソーラーによる環境の収奪と破壊が、全国を席捲します。すべてはお金、そこには環境を守り継いできた先人への敬意もなく、子孫人類未来への愛情もなく、自分を活かしてくれる自然界に対する畏敬の念もない、その先に人心はますます荒廃し、いのちとしての幸せと安心から人はますます遠ざかってゆくのです。



今ある環境を排除して桜を植える、そんなやり方は、長い日本の歴史の中で、わずかな期間、浅はかな現代だけのやり方であって、かつての日本人の伝統的な方法とは全く異なるものであることを、伝えていかねばなりません。

 自然への畏敬の中で人のあり方を悟る修験道場の地、そこで桜の名所となっていった経緯は今の浅はかな植樹とは全く異なるものだったのです。
 代々、金峯山寺に寄進された桜苗を、生活上の木々の薪炭利用、木材としての間伐利用の後、わずかに空いた土地に苗木を植えてゆくにつれて、少しづつ桜が増えていき、いつしかこの地の山の名所となっていった、つまりは自然に逆らわず、傷めず、時間をかけてそんな環境が育まれてきたのです。
 そんな過去に全く思いを馳せることなく、現代の浅はかな知識で環境に向き合って強引に求める環境を即座に作ろうとしても、自然はそれを永遠に受け入れることはないのです。
 
 吉野山は日本人の魂の故郷、この地から、現代日本に問いかけていかねばならない、そんな思いでこれからも取り組んでいきたいと思います。



 ワークショップ後、ゲストハウスでの飲み会です。
 写真左は、僕らを信じて、大切な植樹フィールドをすべて任せてくれたダイワハウスCSR現場責任者の内田さん、そして右は、吉野町町会議員で代々山守の中井さんです。僕が心から尊敬する、本物の議員です。
 
 人は、無私無念の志の共感の中で支え合い、大きな力となって時代を変えていくものと思います。
 彼らや吉野の仲間なくして、私など何もできません。本当に、この地での活動で得るものの大きさに、ただただ感謝の念ばかりが沸き起こります。



 吉野山でいつも利用させていただくゲストハウス三奇楼にて。
吉野の皆様、そしてここでの活動を共にしてくれる方々、楽しい時間を共有してくれる方々、本当にありがとうございました。
 

 

 

 





 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
御殿場市 倫理研究所の自己完結型ノンインフラへの取り組み 平成29年8月10日
 

 ここは静岡県御殿場市、一般社団法人倫理研究所、富士教育センターです。
ここでは人の生き方を問う先進的な様々な取り組みが行われております。
 その中でも、近未来の日本、地球、人類にとって、もっとも重要な取り組みの一つが、沼津市の民間研究所、高嶋開発工学総合研究所のイノベーション技術である、複合発酵による生活排水の完全リサイクルのシステムを、この広大な施設の中で実証すべく、様々実践しつつ、驚くべき成果を示しているのです。
 昨日、ここを訪れ、施設を見学いたしましたので、報告したいと思います。



教育センター宿泊棟です。管理事務所および宿泊棟のトイレ等の生活雑排水のすべてを、100パーセント飲用可能な水にまでリサイクルされます。
 しかも、ただ単にリサイクルするだけでなく、様々な汚染をエネルギーへと転換した処理水は、河川の浄化、農業利用、土壌環境の再生、生物の生理活性と、様々活用して目覚ましい成果をあげております。



 これは一般的な大型浄化槽ですが、生活雑排水はまず、ここに入ります。
この段階で、無限の微生物が共存、無限増殖する複合発酵培養液を毎日5リットルほど入れて曝気します。
 一般的な浄化槽は特有の嫌な臭いがしますが、ここでは驚くほど悪臭がないのです。



 通常の浄化槽では汚い泡が濁った水に沸き立ちますが、複合発酵培養液を用いたこの浄化槽では、この段階ですでに腐敗は断ち切られ、微生物の複合的な連携が現生して、発酵のサイクルへと向かっているのが分かります。



大型浄化槽に空気のエアレーション装置。



そして、浄化槽から、こちらの発酵槽、合成槽へと排水は導かれて、汚泥等の排出もなく、すべての汚染が生物生理活性のエネルギーへと転換し、清らかで無菌状態の水へ昇華するのです。

 ここも全く匂いはなく、むしろ心地よい空気感すら感じさせられます。



 6つの発酵槽を通り、そのあと合成発酵、合成槽へと処理水を導きます。



 合成槽は6つの曝気槽を通って完全に浄化されていきます。
 バイオ加工されたカーテン状の不織布に住みつく無限の微生物の連携と情報伝達による、あらゆる物質の消失とエネルギー転換がここで起こります。



発酵槽の微生物増殖を促す嫌気発酵系基礎資材。
スターターとして用いますが、ひとたび菌床ができればもう補充は必要なく、無資材で完全循環していきます。



 合成槽を抜けた最終処理水は、そのまま活力の高い活性水として飲用できます。
 風呂トイレ洗濯、台所排水のすべての汚染が発酵浄化され、完全リサイクルがここで実現しているのです。



富士山の伏流水をくみ上げて、ここで複合発酵処理水を希釈攪拌され、そしてそれが様々な素晴らしい結果を表すのです。




ここは施設内の池。水は澄んで、たくさんの生き物がいながらも、川底の水も全く腐敗変敗が起こっていないのです。
 複合発酵処理水を導かれた昨年から、驚くべき水質の変化が見られたといいます。



大量の鯉をはじめ様々な魚はじめ、たくさんの生き物がこの人工池に生育しつつ、それでいて水は驚くほど清らかに澄み渡り、そして鯉の元気さ、病気の不発生が印象的です。

 複合発酵処理水を導入する以前は、フンが汚泥となって池底に堆積し、その汲み出しのたびに、軽トラック2台分くらいの汚泥が発生していたと言いますが、複合発酵処理水導入以来は、汚泥はほぼ完全に消失して、汲みだしが完全に不要になったばかりでなく、様々な生き物がここに集まるようになったと言います。

 

敷地内には田んぼと畑、ビニールハウスがあり、これも複合発酵処理水によって無農薬無肥料のバイオ農法によって健康に生育しています。



ビニールハウス内。



 御殿場市の運動公園に設けられている、高嶋開発による複合発酵バイオトイレです。
バイオトイレは様々試みられてますが、汲み取りも給水も不要な完全リサイクル自己完結型のバイオトイレは、この複合発酵技術以外にないことでしょう。

 すべての汚染は、それを好んで取り込み分解してゆく微生物の複合的な働きを現生させて生態系のエネルギーに変えてしまう、それがこの技術の本質と言えるかもしれません。

 このことに私は、地球人類の未来への希望を抱いております。
汚染を排除するのではなく、むしろ積極的に生態系の循環に取り込んでエネルギーに変えてしまうことで、汚れ尽くされた地球においてもいのちを養う力をむしろ高めてゆくことができる、そんな可能性を感じております。

 すべての汚染の分解消失、そのプロセスは現代科学のレベルでは解明に至りませんが、そもそも自然のことなど、ちっぽけな人間がすべてを理論的に把握できることなど、ありえない話です。
 事実が示してくれるのであって、その自然界で起こる想定を超える事実から、人は謙虚に学んでいき、活かしていかねばなりません。
 
 私もこれから、この技術の普及に努める活動を本格的に始めたいと思います。それが子供たちが生きる未来の地球のために必要なことと思うので、やっていこうと思います。

 次代に先駆けてこうした素晴らしい取り組みをされている倫理研究所、ご案内くださり、どうもありがとうございました。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
施工庭、春の手入れ巡り 2件紹介   平成29年5月15日
 
 今年もまた、春の手入れの季節となりました。
 この時期はまた、庭を造らせていただいたお客さんとのうれしい再会の時でもあります。
 庭を介して、お客さんとこうして一緒に年を重ねていき、そして再会を喜びあう、本当に私たちの仕事はうれしく、ありがたいものとしみじみ思います。

 この時期の庭は一年で一番生き生きと清らかな生気がみなぎり、力をもらいます。昨日今日と、訪ねた庭を足早にご紹介させていただきます。



 ここは世田谷区、等々力渓谷にほど近い閑静な住宅街の一角、Mさんの造園外構工事の竣工は3年前になります。

 とても狭い敷地の中、駐車スペース、門を斜めに配し、版築の土留めと剪定枝柵、手製の木製門扉で結界をまとめてます。



 門越しの景。外から見るとうっそうとした森の様相ですが、中に入ると木々は互いに共存し、風の抜ける心地よい空間が続きます。



門から玄関に続く樹幹のアプローチ。



 玄関アプローチを数mも進むともうそこは別世界、門を振り返るっても道路の雰囲気がはるか遠くに感じられます。



 玄関前室となる風防室は、古材をふんだんに用いて昭和初期のモダンな雰囲気の家屋に合わせて構成しています。ガラス格子扉の向こうにまた、狭いながらも奥庭へのアプローチに続きます。



奥庭となる北側は、Mさんご夫妻の落ち着ける屋外のリビングスペースとなります。



 年数を経て庭は、住む人の心の清らかさをいっぱいに吸い込んで、ますます美しく、清らかに街の景色を潤していきます。庭の表情がより豊かに調和に向かって育ってゆくということ、庭は住む人の心の反映、そんな面が必ずあるように感じる瞬間です。



 そしてここは、千葉市中央区、竣工後一年余りの庭、主庭から裏門へと続くアプローチの景です。
 わずか1年半前までは空き地の草むらだった古都が想像できないほどに、心地よい樹幹のアプローチとして育ってきました。



 裏門の外は縦列駐車スペースです。駐車スペースと言えども、車の重量によって圧密されない土中環境を整えることで、緑の駐車場は可能となります。
 日常の駐車ではなく、来客用の駐車スペースですので、あまり頻繁な利用でないということもありますが、タイヤの跡も轍となることなく、芝生は良好に保たれています。



 メイン広場となる主庭は一年を経て、周辺家屋の気配が全く気にならないほどに、木々が息づき落ち着きを増してきました。






 家際の木立は、四季を通じて心地よい家屋の環境を作ります。
 木々を生かして住まいの環境を心地よく改善しようと思えばまず、この家際の木々の配置が最も大切なポイントとなります。



 主庭脇の園路から中央デッキを望みます。



 駐車場から主庭へ続く園路。

 こうして、庭が育ってゆくことを、懐かしいお客さんとともに楽しむ豊かさは、、何物にも代えがたい宝となります。
 毎年、こうして訪ねるたび、共に年を重ねるお客さんとの絆は深まり、庭を通して生きている実感を共有する幸せ、本当に、自分は今生、一庭師というスタンスを保ちたいと思うのです。こんな時代、不安なこの国、子供たちや生き物たちのよい未来のために、しなければならないことがたくさんありますが、それでも自分の心の原点は庭つくりにあると、そう思います。

 作らせていただいた庭、いつもその時の自分の精いっぱいの想いを投入します。何年経とうが、こうしてその庭に赴くと、作った当時の心境や、メンバーの思い出、出来事、当時の自分、、様々なことが昨日のことのように思い出され、そしてまた、年月の経過を想います。
 
 そして、その場の庭の木々は、黙ってそれを共に感じてくれて、常に心はともにある、そんな温かさに包まれるのも、庭のおかげです。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
連休の山行 子供が教えてくれること  平成29年5月7日
 

 「親(を)想う (子の)心に勝る 親心・・ 」
と言いますが、実際にはそうではなく、親に対して子供の持つ無意識の愛というものは、まるで自然そのもののように温かく、そして無限の大きさをもって降り注いでくれます。そしてそれが無意識のうちにも親を導き、一番大切なことに気づかせようとしてくれている、、そんなことに気づかされた、連休の旅となりました。

 ここは八ヶ岳山麓、湧き出す清流を集めて岩間を伝い流れる、川俣川渓谷。
 今もなお、心身の不調で時折強い痛みを発する私の次男、この日も、この写真のつい数十分前までは一人で歩けないほど痛がっていたのですが、それがこうして磁場のよい山懐に分け入ると、あっという間に痛みは消えて駆け回り、はだしになって岩の上を伝い飛び回るのです。

 ようやく私にも、もともと感性の高いこの子の魂が、私たちに何を伝えようとしているのか、子供の体調と向き合う中で、おぼろげながらも見えてきたように思います。
 彼の曇りなき眼と心で感じるものは、気の世界、良い気に満たされている時や人や場では、こうして元気な姿を見せてくれるのです。

 彼の魂との対話はまるで宇宙との対話のように思えてくるにつれて、ここ数か月ずっと彼は自らの痛みを通して、私たちの心を導いてくれたように感じます。

 忙中の閑、一泊の山巡りですが、心晴れ渡る、会心の山旅となりました。
 道中ざっと簡単にご紹介したいと思います。



 八ヶ岳のすそ野を横断する小海線の橋梁が渓谷を渡ります。
 私にはとても懐かしい路線です。



 水木の相性ずるエネルギーの高い場所は、大人も子供も体中が活性化されます。こうした見えないものへの感性を失わぬ子供たちは磁場の高い岩へと吸い込まれるように登っていきます。



 高原の春は遅く、ようやく芽生え始めた新緑の渓谷に、子供たちは豊かな表情でいつまでも飽きずに遊びます。



 岩間から湧き出す吐竜の滝。



 いのちの源、限りなく清らかないのちの水は、こんなところで生まれて絶えず、生きとし生けるすべてのものに無限の恵みを与え続けてくれるのです。



 椅子型のくぼみのある岩を見つけてそこに座って滝を鑑賞し、悦に入る子。
ずっと痛みに耐えてきたわが子のこんな晴れやかで楽し気な表情を見るにつけ、すべての子供、そして大人が日々、こんな心に戻れる場所がありますように、そんな祈りが自然とこみあげます。





 岩間に張り付き根を絡ませてゆく木々の力強さ、それを育む岩の力



そして翌朝、雪の北八ヶ岳を歩きます。深い残雪の中、春の気配と鳥の声に導かれて歩きます。


 樹幹の体温が周囲の雪を溶かします。




 雪深い森の中、コメツガの幼木は古い下枝で雪を受けてしなり、それが傘のように幹を雪から守っています。その姿はまるでフウチョウのような滑稽さがあります。
 寒山に生きる木々の智慧を感じる光景です。



岩の上に根を下ろす木々、おおよそ原生の森は、倒木や岩の上にこぼれ落ちた実生が成木として生き延びていきます。



 森の瞳のような、氷の白駒池。吸い込まれるような透き通った空の下、この地の営みは太古から変わらず季節を繰り返し、いのちを養います。



ランプの宿、懐かしの高見石小屋。
20年ぶりの訪問でしたが、変わらぬ温もりに心満たされます。




 高見石の上に登ると、そこに八ヶ岳周辺の大パノラマが開けます。



 街や学校では、階段を登れぬほどに痛み消えぬ子ですが、神々しく息づく環境に身を置くとすたすたと飛び回り、はい回り、そして晴れやかに、まるで細胞の一つ一つが瞬時に入れ替わるがごとく再生されるようです。

 人は自然の一部、とはよく言う使い古しの言葉ですが、それでも永遠の言葉なのでしょう。
 自然環境の健康なくして人の健康はありえない、それを教えてくれるのが子供たち、彼らが心生き生きと輝いていられる環境こそ宝であり、それこそが何を差し置いても大切にして育まねばならないものなのだと、改めて感じさせられます。
 
 私たち大人よりもはるかに優れた存在、いつも神様の隣にいるのが子供たちです。
 私たち大人、そして社会は、そんな子供たちから学び、日々の暮らしや心模様を軌道修正してゆくことが、今もっとも大切なことのようにに思います。

 自然のメッセージを受け取る子供の心に大切に向き合い、邪魔をせず、学び合い、育ちあいたいものです。

 この山行の最後にお会いした知人がこう言いました。

「それが子供の親への愛ですよ。本当に、子供の愛は、時に自分の命と引き換えにしてまで、親に大切なことを気づかせようとしてくれますから・・」

 すべての導きに感謝があふれます。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
新年度、再出発に感謝を込めて    平成29年4月14日


 ここは東京都江戸川区、自家焙煎カフェブレスミー、窓越しの新緑です。
 クリスチャンのマスター夫妻が軽井沢のショー記念礼拝堂の雰囲気を模して建て、12年ほど前に下町瑞枝の住宅地の片隅に、このお店を始めました。

 私がブレスミーのご夫妻とお付き合いさせていただき始めたのはもう、9年も前のことになります。
 あの頃は、息絶え絶えで毎年大量のイラガが大発生していて弱々しく生きてきたメインツリーのカツラの木も、今では3階屋根を超えてのびのびと、柔らかな木漏れ日を揺らして、近くを通る人やここを訪れる人に、和みの恵みを降り注ぎ、そしてこのカフェで一時を過ごす人の心を温かく、優しく癒してくれるのです。

 本当に、どんな人でも木々草木の癒しを感じて生きることが出来さえすれば、たとえどんな困難な時期であっても、心を見失うことなく希望を捨てずに生きていける気がします。
 人と草木の命を繋ぐ、一隅を照らさせていただく自分の仕事によって私たち自身も育てられ、そしてたくさんの喜びを実感させられます。

 庭のそばの窓辺のテーブルは訪ねるたびにいつも座らせていただく僕のお気に入りの特等席。
 ここから揺れる枝葉を見ていると、そのまま、木々の命のやさしさの中に、溶けていきそうな錯覚すら感じます。
 
 今日、近くで始まった造園工事現場の帰りに、ここに寄り道したのです。




 再開発に伴って区画整理された乾いた住宅地にあって、ご夫妻の愛情をいっぱいに受けて、このカフェの木々は街角を豊かに潤しています。
 木々にとって決して良い条件とは言えない環境ながら、木々はひたむきにこの地に根を張って環境を少しでも良くしようとし、そして小鳥や虫たち、人に至るまであらゆるいのちに安らぎを与えようとしてくれるようです。



カフェブレスミー、玄関の案内板の文言に、マスター夫妻の、限りなくきれいで温かな人柄がにじみ現れます。
案内板にはこうあります。

 大きな花は 目につくけど、

 小さな花は あなたが 目を向けてあげないとみつかりません

 足元の自然は きっと何か教えてくれるでしょう・・・・


 今年、この数か月、私事でたくさんのことがありました。
 全ての試練が一度に襲い掛かったような、つらい時間がたくさん繰り返されました。
 そして同時に、たくさんの人の温かみと包み込まれるような幸せも、同時に繰り返し感じさせられ、生かされ導かれていることを実感する、この不思議な期間を日一日と過ごす中、自然の意志を信じて生きることに迷いはなく、そして希望を失うことなく、ようやく出口が見えてきました。

 カフェブレスミーの奥さん、そして、尊敬する裏千家茶道のS先生も、聖書の言葉を伝えてくれました。

「神様は その人にとって乗り越えられない試練を人に与えることは決してしない。
 そして同時に、神さまはちゃんと暗闇のトンネルの出口も用意してくれている。」

 「どうしてこんな時に、これほどたくさんの試練が重なって、襲うのだろう、、、。」
 そんな気持ちになったこともありましたが、今はすべてが導きであり、天地人の愛に深く気づくための、大切な時間だったように思います。
 遅い桜の開花と同時に、私たちも新たなスタートを静かに、きることができました。
 


 数か月もの間、繰り返される原因不明の痛みに襲われ続けた次男、おかげさまでここ数日、ようやく出口を見出すことができました。
 ご心配下さった方々、力を貸してくださった方々、本当にありがとうございました。

 快方の兆しが見えてきたとはいえ、まだまだ現在進行中ではありますが、本当に、わがことのように親身に寄り添ってくれた皆様のおかげで、ここ数日で大きな変化が確信になりました。もう大丈夫だと思います。

 この数か月、たくさんの涙を見ました。家内も僕も、ひとりの時にひっそりと涙を流すこともありました。みんな、そんな時期を超えて、温かく深く、育てられるものなのでしょう。

 心労で一時、片目の視力を失いかけた家内のことを、毎日激痛に耐え、疲れ、衰弱する次男が、自分がそんな状態なのに、お母さんを心配して優しくいたわる姿、声、それを思いだすたび、涙とともに胸に温かいものがこみ上げます。

 私たちにとって、大切なことは何か、改めて気づかされ、支えられ、そして私自身、様々人生の軌道修正に至りました。

 みんな、一人ではありません。苦しい、悲しい、そんなときこそ、地球のすべての命のぬくもりと再びつながる、そんな気付きを与えてくれるかのようです。

 苦しい時を親身に支えてくださいました、心温かい皆様に心から感謝申し上げます。




さて、ここはカフェブレスミーに近い、東小岩の住宅地、今日はここに、造園仮工事に訪れました。
新たな家が立ち並ぶ周囲に、豊かな緑はどこにもありません。そんな中、私たちが手掛ける庭空間が、その地域の緑を感じる拠点となっていき、そこでの営みが人の心を潤し癒すことにつながってほしい、そんな思いで向かい合う、庭作り、庭を介してのお客様との心の交流は本当に私たちの財産であって天職に思います。


 本当にありがとうございました。


 

 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
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