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雑木の庭つくり日記

千葉県佐倉市の庭 上段の庭終了   平成24年3月28日

 

 千葉県佐倉市Aさんの敷地は1000坪弱。主家のある上段の一部が芝張りを終えてようやく完成しました。



 隣接する集合住宅に面した奥庭です。植栽したばかりの木々は間もなく新緑の季節を迎えます。落葉樹の葉が芽吹く頃には、すべてが清らかな緑の中に包まれて、隣家の窓もお互いに気にならなくなることでしょう。



据え付けベンチのある庭のテラス。



 家際の植栽。



 施工中の石段から木立の向こうに垣間見た主家の表情。



 そしていよいよ、今回の庭造りのメインイベント、再生民家周辺の造園工事にかかります。外堀が埋まり、やっとここまで辿り着きました。主家のある上段の庭から石段を伝うと、樹木のトンネル越しにこの再生した離れ家が望めます。こうして、すべてが木立ち越しに見えてくると、あらゆる家屋がその場所に溶け込み、落ち着いたたたずまいを見せ始めます。
 城下町の歴史が香る佐倉の街に再生された入母屋家屋、この街に燦然と輝く憩いの森を作ります。
 
 
 
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
原点の庭  鎌倉市Sさんの庭にて    平成24年3月26日



 ここは鎌倉市のSさんの庭、12年前に作らせていただいた庭です。昨日、打ち合わせのため、温かな早春の日差し輝くSさんの庭を訪れました。



 玄関前の水鉢に添えた豊後梅が満開でした。淡いピンクの豊後梅は昔も今も変わることなく、私のもっとも好きな花の一つです。
 12年前から、Sさんの庭の完成後は、6月と12月に決まって手入れに伺いますが、この時期に来るのは本当に久しぶりです。
 独立後の私にとって最も長い付き合いの庭の一つでありながら、私の見てきたこの庭の表情は、実際にはほんの少しだけだったんだなと気付かされます。



 造成されて何もなかったのに土地に石を据えて木を植えた、その土地が12年の年月を経て、今はすっかりと土地の苔に覆われて、この土地の自然と同化しています。
 葉を落とした冬の雑木の庭、こうして年月を経てその土地の風土や自然に同化した庭というものは、四季折々飽きることなく、移りゆく庭の表情を楽しむことができます。

 「この庭は本当にどれだけ居ても飽きない。お客さんが来ても居心地がいいもんだからなかなか帰らないのよ。10年も経ってもまだどんどんよくなっていくんだから、すごいね~。」
 と、Sさんの奥さん。

 Sさんと初めて庭造りの打ち合わせをしたのは、忘れもしません、独立してやっと2年目、私がまだ29歳のことでした。
 たった1回の打ち合わせでSさんは、独立まもない若造の私に、350坪の終の棲家の建築造園計画をすべて委ねて下さいました。
 
 造園という仕事、その商品は同じものは2つとない上に、契約後に作るわけですから、お客さんにとってはある意味、賭けのような面があると思います。
 例えば、車を買うとかであれば、買う前に商品を実際に見られるのですが、造園の場合は違います。これから作るものに対して、お客さんは何百万、あるいは何千万という金額をかけてその作り手に任せるかどうかを決めるのです。

 もちろん、その作り手に目に見える実績や社会的評価があれば、まだ分かりやすいと思いますが、独立して1年、当時20代の私にはまだ、何の実績もなかったのです。
 そんな若造に、大きな仕事をすべて自由に任せて下さったのがSさんでした。
 そんなSさんの信頼と期待に対して、何が何でもこたえるために、必死で取り組み、必死で勉強したのがこの現場でした。

 修業中、私をかわいがってくれた年配の職人に、こんなことを言われたことがあります。

「高田君、とにかく一生懸命、誠心誠意頑張れな。全力で一生懸命やっていれば必ず誰かが見てくれる。チャンスをくれるから。とにかく今は一生懸命頑張れや。」

今の自分、今の高田造園があるのは、間違いなくSさんが原点の一つ、節目の一つだったと思います。
 実績も何もないのに、私を信頼して大きな仕事を任せてくれた。もちろんそれは私だけではなく、多くの人がそんな経験を持っていることと思います。
 そして、人の信頼にこたえるために全力で責任を果たそうとすることで、人は大きく成長できるものだと実感します。



 和室窓からの景色、この家ではカーテンの必要はありません。

 「鎌倉にはいい庭もいっぱいあるけど、うちほど落ち着く庭はないよ。」とSさんが言ってくれる。

 この庭を作らせていただいたのは12年も前のこと。
 その後、私の作風は変わり、Sさんの庭を訪れるたびに、「今だったらこうしたのになあ。あの頃の俺は庭のことが何も分かってなかった。Sさんに申し訳ないな。」という思いを感じる時が、それこそ何度もありました。
 もちろん、そんな反省がなければ進歩もないのでしょう。

 しかし、「庭の良さって何だろう」と考える時、Sさんが今も、この庭のある暮らしを何よりも喜んでくれるという事実、それだけで、若い頃の自分が全力で作ったこの庭に込めた魂こそ、今の私が忘れてはならない素晴らしいものだったんだなと、感じさせられました。

 Sさんは言います。「どんな仕事でも、人のためになる、人に感謝される仕事ってのは大切だね。」

 Sさんは今でも、私のことを若い頃と同様に、「ねえ高田君、、」と言ってくれます。
 久々にSさんとゆっくりした時間を過ごさせていただき、節目にいることを実感していた私にとって、原点回帰した1日となりました。

 人のため、未来のため、自分のなすべきことを追求していこうと決意新たにしています。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
千葉県佐倉市の庭工事     平成24年3月23日
 昨年から断続的に進めさせていただいてる千葉県佐倉市Aさんの庭ようやく半分くらいか形が見えてきました。



  庭の中に作った回遊路の一部です。解体する前のこの庭に元々あった石を用いています。
 敷地の傾斜を活かして、木立の下の石段の道を作ります。



 そして上段の庭の主家です。来週には足元の植栽が仕上がります。




 上段の庭、石畳の園路は昨日の仕上げです。頻繁に歩く部分は敷石とし、そしてそれが庭の景色のアクセントとなります。
 
 あと1カ月足らずで新緑を迎えます。雑木の庭が最も美しい姿を見せる新緑の季節、それまでにどこまで仕上がることか、分かりませんが、楽しみながらコツコツと庭空間を作ります。
 

 

 
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
千葉大学記念樹植栽の御礼   平成24年3月18日
 造園の仕事は、木を植える仕事です。
 命ある木には、人それぞれの思い入れがあります。
 人の想いを乗せて木を植える、私は本当に幸せな仕事をさせてもらっていると思う瞬間があります。
 昨日の千葉大学記念樹植栽、実現に向けて温かく応援下さったクラス会の皆様へ、下記の通り御礼の言葉を申し上げます。


千葉大学電気工学科 1966年卒業生クラス会の皆様


 高田造園の高田です。この度は皆様の想いを木立にして、私たちの手で植栽させていただき、本当にありがとうございました。
 齋藤久美子様からこの光栄なお話しをいただいてから、さて、私がここでどんな植栽をすべきか、非常に考えさせられました。そして、今の私たちの考える限り、全力でよいと思える植栽をさせていただきましたつもりではございますが、なにぶん若輩者故、力不足もございましたことと存じます。不備な点はどうかお許しいただき、その後の管理を通して、この木立が次世代の日本を担う学生たちにとっても有意義なものとなるよう、努めさせていただきます。

 千葉大学の電気工学科1966年、卒業された皆さま方々のお力によって、その後の高度経済成長が実現し、そして今の私たちの世代の暮らしがあるのだと感じております。戦後の日本をここまで復興して豊かな国を造り上げて下さった皆様のことを胸に刻み、感謝し、そして、皆さまに恥じない日本として、次世代にバトンタッチできるよう、私たちも背筋を伸ばして生きてまいりたいと思います。

 私事になりますが、私の母が、皆さまと同期で、千葉大学教育学部を卒業しております。母の母校の同期の方々、そのため皆さまのことをはじめから、とても親近感を感じておりました。
 そして今回、記念樹に対して、皆様それぞれの想いもおありだったことと思いますが、私の提案を快く受け入れて下さり、そしてすべて自由に施工させていただいたことに、心の底から感謝しております。
 思えば、医師の父も、未熟な私の生き方考え方を尊重し、造園家になりたいという私の夢を何も言わずにバックアップしてくれました。そんな父と、温かく見て下さった皆さまのことが重なって、本当に、ありがたい気持ちでいっぱいです。

 3月17日、竣工です。あの、3.11からちょうど1年目の月です。バブル崩壊から20年、そして3.11、そろそろ日本も力強く、勇気を持って新しく、今後の進路に向けてまっすぐに歩きださねばならない時に来ています。
 それは、敗戦日本をこれほどの国にまで再生して下さった皆様から受け継いだ、私たちの世代の仕事と受け止めております。
 30年後、私たちの次の世代に対して、自信を持ってバトンタッチできる日本を築いていけるよう、力を尽くしていきたいと思います。
 今後ともご指導やお力添えをいただくこともございますことと思いますが、その際はどうかよろしくお願い申し上げます。
 本当にありがとうございました。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
千葉大学 記念樹林植栽    平成24年3月16日
 

 ここは千葉大学西千葉キャンパス。ケヤキやクスノキ、マテバシイなどの大木が構内の景色を潤し、学問の府としてのキャンパスの歴史を物語ってくれているようです。
 大木の存在は、その土地に風格を感じさせてくれます。

 今日は記念樹植栽のために、この美しいキャンパスを訪れました。



 記念樹の植栽場所は、千葉大学本部庁舎脇の駐車場内緑地スペースです。ここに植栽することで、奥の木立との植栽の連続性が生まれることで、効果的にこのキャンパス風景を潤すことができる、そう考えてこの場所を提案しました。



 ところが、掘りはじめたらすぐに硬化した砕石層が出てきたのです。植栽用のスペースなのに、掘るとすぐにこうした砕石や建築廃材などが埋まっていることがよくあります。後先考えない土木業者がアスファルト道路整備工事の際に、一緒に下地の砕石を敷きならした上に硬化剤を撒いて、さらにローラーで転圧してしまうことがあるのです。
 私たちが、植栽した木々を健康に育てるためには、この砕石層を何が何でも取り除かねばなりません。
 スコップは全く歯が立たず、こつこつとバールで崩して、植え穴を掘っていきます。
 穴一つ掘るのに1時間、この日植栽予定本数は合計20本余り、、、。
 急きょ助っ人を依頼します。



 穴を掘ること2時間、午前10時。そこに助っ人の松浦造園の松浦亨氏が、削岩用のハンマドリル2台持って途中参戦です。にわかに仕事がはかどります。



 硬い地盤を穿ち、土を入れ替え一本一本木を植えて、小さな樹林を作っていきます。
真ん中の主木が高さ7mのケヤキ、それに高さ5m前後のコナラやアカシデなど、千葉の里山を構成する雑木を寄せて植えていきます。
 木を植えて、そして強く健康に育ててゆくためには、樹種にもよるのですが、広い場所に一本だけ独立して植えてゆくような方法では、なかなかよい状態の高木に成長していかないことが多いのです。だから、こうして一つの木立として植栽し、お互い守り合い、競合しあうように配植していきます。
 密植して競争を促す、これは野菜でも木でも、それに人も一緒なのです。
 若いうちは仲間と張り合い、助け合い、補い合い、競争し合ってはじめて、強く健全に成長してゆくことができる、木も人と同じです。



 数坪の植栽スペースに12種類25本の木々、単木の植栽では決して出せないボリューム感が、アスファルトの車道を潤します。



  今回依頼をいただいたのは、ちょうど半世紀前に、このキャンパスに入学された方々です。
 そして、記念樹ではなく、記念樹林とあります。
 都市緑地に新たに補植する場合、単木で植えるよりも相性の良い樹種を織り交ぜて木立として植栽する方が木々にとってはるかに健全で、そしてそれによって通る人や見る人の愉しみも大いに増すのです。



 美しいキャンパスの景色を補う記念樹林が完成です。これから長い年月をかけて、木々は成長し、様相を変えていき、そしていつの日か、成長したこの木立がきっと、未来のキャンパス風景の一角となることでしょう。
 春の芽吹きが楽しみです。

  今回の記念樹林植栽に当たり、ご理解ご協力をいただきました大学関係者の皆様、同窓会の皆様に心からの御礼を申し上げます。 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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