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雑木の庭つくり日記

オープンガーデンとレクチャーのお知らせ   平成24年9月12日
 オープンガーデンおよび無料講座のお知らせです。

1.場所; 
  千葉県佐倉市 A氏邸 講座は敷地内に解体再生した入母屋民家が会場になります。
2.日時; 
  平成24年10月28日(日曜日)
  オープンガーデン14時から  講座15時から16時くらい(時間のある方はエンドレスでお話ししましょう)
3.庭園の概要;
 敷地面積800坪。
 工場跡地の再開発に伴い、Aさんの自宅敷地を大改修することになったのが2年前。老朽化した大きな入母屋民家を解体し、その古材を再利用して新たに入母屋造りの離れ屋や車庫、かやぶき屋根の井戸小屋などを作りました。
 華やかな庭ではありません。庭の材料も、解体前の庭にもともとあった石材などを、なんでもかんでも再利用しながら庭を再構成し、作為のない自然発生的な田舎の風景となりました。
 都市化が進み木々がますます減ってしまいつつある殺風景な街の中、ここに生き物の気配溢れる自然環境の再生を試みています。将来、この庭の環境が佐倉市を潤す貴重な森となるよう、時間をかけて育てていきたいと思います。
4.講座の内容;
 住環境を豊かにする雑木の庭のお話から、生態系豊かなこれからの街の緑の在り方など、国内外の先進的な事例を紹介しながら、お話ししたいと思います
5.講座定員;
 会場の関係上、先着順20名くらいまで。(なお、オープンガーデンのみの御来訪は申し込み不要です。)
6.講座の申し込み方法;
 高田造園設計事務所 高田宏臣または竹内和恵まで、電話、メール(FBでも受け付けます)、ファックス、にてお問い合わせください。

 今日、Aさんの庭がようやく完成です。10月28日のオープンガーデンは施工直後の秋ですので、木々は葉を落とし始めて、あまり良い状態は見せられないかもしれませんが、多くの方のお越しをお待ちしております。

以下、本日完成直後のAさんの庭の様子を少しばかりご紹介します。



 道路から見た敷地の外観。手前の建物は、古民家の古材で建てた倉庫兼車庫、奥が入母屋民家の2階部分の屋根組をそのまま用いて再生した離れ屋です。
 改修の漆喰瓦塀は道路から後退し、塀外に植栽を繋げ、通りに豊かな緑を提供しています。
 塀の瓦もすべて、解体民家の古瓦を用いています。



 縁側と軒先手水鉢。濡れ縁の材料には古民家の化粧垂木を再利用し、この手水鉢も伝いの石も、その多くは解体前の庭にもともとあった材料です。



 再生した民家の内部。柱などの構造材はもちろん、床の間、欄間、書院、長押に天井板に至るまで、とことん解体民家の再利用です。



広縁に差し込む木漏れ日。



 室内から、広縁越しに感じる木々の気配。広縁越しに差し込む日差しに懐かしさを感じる人も少なくないことでしょう。失われつつあった住まいのゆとりの空間です。



 広縁の掃き出し窓が額縁となって、外の景色を切り取ります。



 離れの前に作ったばかりの小川には、トンボや蝶々、たくさんの小鳥が訪れ、すでに小エビやヤゴなど、さまざまな生き物が勝手に住みついています。



 今日、小川に放されたメダカが元気に泳いでいます。タナゴもここに放されました。どんな生き物たちが繁殖してゆくか、これからが楽しみです。



 庭の中の回遊路。飛び石も石畳の石も、ここにもともとあったものの再利用です。庭の材料は古材の再利用、それこそ千利休の時代からの大切な基本理念です。



木々のトンネルのアプローチ。



 木漏れ日の中のアプローチを登ると、母屋前の明るい広場に至ります。



母屋前の芝生広場。



 玄関ポーチから、木々越しに庭を垣間見ます。



 この建物も、新たに作った洗濯小屋。これも軸組の材料はすべてこの地の入母屋民家の古材を用いて作りました。
 どんな建物も、すぐそばに木立を植えて木々越しに見せてゆくことで、その佇まいが落ち着きます。



 流れの表情。今はまだ完成直後の小川ですが、きっと1年もしないうちに下草に覆われて、自然と同化してゆくことでしょう。



 広大な庭、ようやく工事が終了しました。

 しかし、この庭の本当の意味での完成は数年後のことでしょう。それこそ木々が自立して競い合い、競合しながら淘汰をはじめ、そしてどんぐりや木々草花の実生があちこちで芽吹いて育ち、小鳥が運んだ下草や生き物が自立して共生し始める頃、私たちの目指す庭は本当の意味で完成に近づいたと言えることでしょう。
 これからの時間が庭を育てます。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
樹木の偉大な力   鹿島神宮にて     平成24年9月8日



 ここは常陸国、東国三社の一つ、鹿島神宮の境内です。境内の森は、この地に古来から続く貴重な森の姿を今に残し、700種以上と言われる植物がこの地で共存しています。
 打ち合わせのために鹿島を訪れ、そしてこの素晴らしい貴重な森を訪ねました。



 杉やモミ、カヤなどの針葉樹大高木と、スダジイ、タブノキ、カシノキなどの常緑樹高木とがそれぞれ巨木となって階層を作る、とても豊かな森です。
 こんな森が失われたら、再生できるまでに数百年は必要です。
 いいえ、温暖化が急速に進むこれからの時代、東日本太平洋岸の暖温帯気候域の極相となる針葉樹広葉樹混交の森がここまで見事な階層を作ることは今後はあり得ないかもしれません。
 豊かな森は数百年以上の年月が育みます。そう考えると今ある豊かな森は未来のために絶対に残していかねばならないと感じます。



 豊かな森では、常に森の中の世代交代が活発に進行して、とても賑やかな林床の様相を見せます。
 常緑樹の森は暗くて生態系に乏しい印象を持つ人も多いと思いますが、それは人による攪乱や植林、余計な介入を受けて乱れた状態の場合であり、安定した森はこうして非常に豊かな状態になるのが、日本の気候環境下でのこうした森の素晴らしさです。

 林床では様々な植物が密生してせめぎ合い、共存し、そして光環境が変化して自分が大きく伸長できる機会が訪れる日を、今か今かと根気よく待っているようです。



林床に密生するカシノキの幼苗。こうしてどんぐりが落ちて多数の芽を出し、そして競合しながら淘汰されていき、生き残った木々も、上部空間を占める高木が倒れて空間が開けるのを待ち続けます。
 自然に更新される安定した森はこうしていつまでも豊かな森を維持し続けていきます。



 多様性豊かな本物の森は、「多種類の生き物が全体で作る緩やかな有機体」、先日、稀代の植物生態学者、宮脇昭先生が私にそう話してくださいました。

 杉の巨木に抱き着くように、シイノキとカシノキが高さ20mの樹冠を作っています。杉は高さ30mくらいですので、この一体化した3本だけで、常緑樹広葉樹混交林の階層群落の上層部を構成しています。杉の根元に守られて、これらの2本が育ってきたのでしょう。



 根元では、杉の木の懐深くにカシノキが抱かれて育てられているようです。
 木々はこうして共存し、森の環境をみんなで作っていくのです。



 ぜひ知っていただきたいことは、木々は人間とも共存しようとするという事実です。
 古くからの参道脇のシイノキの根です。しっかりと参道をよけて太い根を自らかわし、道を犯しません。



 参道側に傾く巨木の幹を支えねばならないこんな木でも、参道際の石の見切りを犯すことなく、山側に根をかわしています。



 杉の根も同様、太い根を左に撒いて、参道を避けています。



そして、暖温帯最強の根圧とも言われるタブノキの巨木の根でさえ、人が抱えられる程度の大きさの間知石を積んだだけの土留めを壊すことなく、根をかわしているのです。
 この傾いた幹を支えるのに、石積み側に根を出したいところでしょうが、それを我慢してくれているのです。

 私たち人間のスケールをはるかに超える人生経験(樹生経験?)豊かな巨木たちは、いろんなことが分かっていて、賢く優しく、知恵に富んでいます。
 人がこの森を神の宿る森として大切にしていることを感じているのでしょう。だから、こうして人とも共存しようとしてくれるのでしょう。

 「街路樹の根が道路や縁石や配管を壊すから困る」などという人がいます。そんな話を聞くと、いつも私は思います。
 それでは、あなたは街路樹の気持ちを考えたことがあるのでしょうか。
 あんな熱い道路沿いに無理やり連れて行かれて、しかも共に生きる仲間もいない。
 その上、十分に根を伸ばす環境も与えてもらえず、しかも落ち葉が邪魔だと、手足をばさばさ切られてしまう。
 愛されずに邪魔者扱いされる。
 そんな扱いをされた木々が、どうして人と共存しようと思うでしょうか。どうして優しくなれるでしょうか。
 木を扱う人間が木に愛情を注がないから、木もやむを得ず道路を壊して生き抜こうとするのでしょう。
 木々の気持ちを考えて大切にすれば、木々も共存しようとすることは、わずか20年程度の私の造園経験の中でも、これだけは確信を持って言えます。

 街路樹を植える人たちに是非考えていただきたいと思います。
 あんな劣悪な環境で、決して健康に生きていけないくらいの狭い植枡に木を植えるのであれば、せめてできる限り深くまで土を改善してあげるくらいの優しさを持てずにどうして木々が心開いてくれるでしょう。

 自分が植えた街路樹に毎日語りかけて欲しい。

「こんな場所に植えてごめんな。でも、ここに来てくれたおかげで木陰ができて、潤いのなかった街に潤いが生まれ、人が助かっている。ありがとう。でも、ごめんな。大切にするから。できるだけのことはするから、許してくれ。」

と、毎日頭を下げて欲しい。

 木はすべての生き物と共存したいのです。大切にしてくれる人間に歩み寄ってくれるのです。
我々が木々の恩恵を得たいのであれば、木々を愛し、大切に活かそうとする心がけが欠かせないのではないでしょうか。


 
 鹿島神宮の山門脇、樹高30m以上の杉の巨木の真ん中から、なんとシイノキの太い幹が枝葉を広げていました。



 杉の懐に抱かれるように、太くなったシイノキが健全に生きています。きっと、杉の幹の中腹にできた、ウロと呼ばれる穴に落ち葉が溜まって土になり、シイノキのどんぐりがそこで芽吹いたのでしょう。

 針葉樹の杉と広葉樹のシイノキ、維管束の形態もまったく異なり、こうした異種の樹種の根や幹は癒合することはないと考えるのが机上の一般論かもしれません。しかし、仲良く抱き合い癒合することもあることを、木を愛し、実際に見ている人たちは知っています。
 このシイノキの根は杉の胎内に根を張っているのか、あるいは杉の胎内の空洞を通して根を大地に降ろしているのか、それは分かりません。
 しかし、こうして仲睦ましく、杉が自分の胎内のシイノキを抱いて守り、生かしていることは確かです。そして、抱かれたシイノキも杉を犯すことを決してしないのでしょう。

 「懐が深い」そんな言葉があります。
 木々を見ていると、自分の懐の小ささに恥じ入る思いに駆られます。せめて、木に対するときくらいは懐深く、優しくありたいものです。。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
数千年の環境林をつくる、かつての知恵     平成24年9月6日
 ここ1週間、とある小さな仕事のプレゼンのため、植栽後の健康な根の成長のための盛土や土壌改良における、昔の日本人の素晴らしい知恵や工法について、どう説明しようか、そればかり考えていました。
 木は数百年、そして森は数千年の時を超えて、私たちの過去、現在、そして遠い未来にいたるまで、気の遠くなるような長い時間を超えて、我々生き物の命を支えてくれるのが木々というものです。
 かつての日本人は、住まいを守る屋敷森や社寺仏閣などの神域を守る鎮守の森、通行を守る街道並木など、それこそ子孫代々にまで存続して暮らしの環境を守り続ける永続的で健康な森を作りうるだけの知恵が、かつてはありました。

 こうした素晴らしい経験的知恵は、今の街の緑化には全く生かされていないように感じます。
 めまぐるしく移り変わる現代、自分の世代だけではなく、子供達や孫たちに至るまでの将来長きにわたって快適に暮らせる美しい街を作るために、将来も健全に育ってゆくという視点で街の緑化がなされることが、今はほとんどないようです。
 そればかりか、街の木が大きくなれば将来の街の再開発の際に邪魔になるという発想もあるのではとも感じます。
 こんな考え、こんな世の中で、愛される美しい街など生まれるはずがありません。
木や森は、数百年、数千年の時を見据えて造営されねば、本当に豊かで深く、命を守る自然や、温かみのある愛される街の風景も決して育っていきません。

 数百年、数千年の木々の命をまっとうさせるためにはどうしたらよいか、かつての素晴らしい知恵をここで紹介したいと思います。



 これは千葉県印西市、吉高のオオザクラで、推定樹齢300年以上、枝幅は25m近くに及びます。
 江戸時代から変わらぬようなのどかな農村風景の中、1本の枝葉だけで樹林を作ってしまうほどの圧倒的なスケールに成長したこの木は、市の天然記念物に指定されています。



 根元を見ると、周囲より1m以上小高いマウンドが盛られており、そしてその上にこの桜が育っていたのです。マウンドの上には古い祠があります。
 ここは代々この土地の所有者、須藤家の氏神として塚状に盛られており、そしてその上に、氏神を守るための記念樹的に、苗木が植えられたのでしょう。
 かつてはこうした盛土の際、畑の造成などで出てきた石や古瓦、切株などを混ぜながら、ほっこらと盛り上げていったようです。
 ダンプなどの大型土木機械や運搬車両などのない当時、現在のように土をどこかから運んできて盛り上げるということはほとんどありません。
 植栽予定地の土中をふかく穴を掘り、そこに廃材や不要な石などを漉き込みながら掘り上げた土を埋め戻し、ほっこらと盛り上げていったのでした。
 祠(ほこら)の語源はきっと、「ふっくら」「ほっこら」と言った、この盛り上げたマウンドの様子から言われるようになったのではないかと思います。

  こうして作られたマウンドは、土中にたくさんの空隙が生まれ、根の生育のために必要な酸素が地中深くまで入り込める土壌環境となるのです。

 樹木の健康や地上部の成長は、根(根系)の状態によります。根系が健全で深部にまで根が張りめぐらされて来なければ、本来大きくなるはずの樹種であっても、一定以上の大きさになると枝先が枯れて、それ以上大きくなれなくなります。また、根が健全でなければ、ある程度の大きさ以上になった樹体を支えることができなくなり、大風などの度に浅い根がちぎられて徐々に衰退し、やがて病虫害の集中攻撃を受けて枯死してしまうのです。



 これは千葉県九十九里浜沿いの低地に、防潮林として植栽されたクロマツ樹林です。クロマツが潮風に強いという理由で、数十年前から植栽され続けてきましたが、次々に枯れて、今や無残な状態となっています。
 これは海辺の低地で地下水位が高いこの地では、クロマツの根系は深部にまでは伸びていけないのです。
 若いうちは健全な成長を見せるのですが、その木々にとっての根の発育条件が悪いと、一定以上の大きさになる前に衰弱し、そして病虫害に侵されて、その寿命をまっとうすることなく、枯死してゆくのです。
 何のための防災林なのでしょうか。これでは木も可哀そうです。



 千葉県印西市、平安時代からこの地に鎮座してきた松虫寺の外周環境林跡です。
お寺を守る外周林を作るために、この土手が盛られたのはおそらく江戸時代ではないかと思います。切株や石を混ぜながら土を盛り上げ、まずは根系の健康な生育条件を作るのです。
 後世長きにわたって街を守る豊かな環境林を作るために、かつては当たり前のようにこうした盛土がなされたのです。
 
 かつての平地の屋敷森でも土塁を盛り上げて、そこにその土地本来の樹種の、どんぐりや苗木を密植してゆくのです。
 そして、木々の成長に応じて間引きしながら、育てていきます。間引いた木の切り株はそのまま残すのです。この切株が徐々に腐り、土中に有機物をじわじわと供給しながら深くまで空洞を作ります。そしてその空洞には残された樹木の根が集中して取り付きます。そこには表土から伝った栄養に富む水分や空気があるからです。
 間引きした後の切株も、健全な環境林を育てるために重要な役割を担うのです。



 そしてこの土手の端には、かつての外周環境林の名残であるシイノキの古木が残っています。
盛られた環境ゆえに、おそらく数百年という年月を生きてきたのでしょうが、根の腐植が進み、地上部まで空洞が達しています。シイノキの寿命は本来もっとはるかに長いのですが、周囲の他の木が切られて孤立したことや、すぐ近くに道路が舗装されて根が傷みつけられたことで、数百年の古木も急速に痛んでくるようです。



 長い歴史と共に生きてきた美しい農村では、今も道脇にほっこらと盛られた祠や巨木が残ります。
 このシイノキも、祠のあるマウンドに落ちた実生が健全に育ち、そしてここまでの大木になったのでしょう。いまは祠を守る神木として残されているようですが、かつては根の生育環境の整ったマウンドに落ちた一粒のどんぐりだったことでしょう。



 これは江戸時代初期に造成された古道、箱根旧街道です。山の中腹を回り込むように石畳の道が作られ、そしてその道を土砂災害から守るために、道沿いの谷側(写真左側)に土盛りがなされ、そこに街道を守る環境保全林として今も残る古道の並木が造られたのです。



 これは箱根古道の石畳と並木造成のために盛り上げられたマウンドの断面図です。
土盛りは道を造成する際に出てきた石を土と混ぜながら積み上げて、そしてその上に苗木を密植するのです。
 植栽直後はおそらく、マウンドの土が流れないように表面に稲藁を敷いて保護したことでしょう。ほっこらと盛られて根の生育条件が整えられたこうした土手に密植された苗木たちは、急速に根を張り巡らせて、数年で表土流亡がなくなります。林床に進入してきた様々な植物もまた、土手の保護に欠かせない役割を果たします。
 そして、10数年もすれば、すでに地中2m程度の深根を張りめぐらせて、その後数百年と永続的に山道を守り続けるのです。
 素晴らしき知恵。
 かつての何気ない知恵の素晴らしさ、数百年数千年の森を育てて暮らしを守る、そんな発想が今こそ必要な時ではないでしょうか。



 これは千葉市内の臨海公園の並木です。風当たりの強い海辺に、十分な土壌環境改善を施さず、その上まばらに植栽されてもなかなか良い状態にはなりません。公園内の大方の木々は、写真のように頭の先端が枯れています。
 こうした場所こそ、地中深くから土中空隙を残しながらほっこらとマウンドを盛り上げて根の生育条件を整え、そして苗木を密植して間引きしながら育ててゆくことが大切です。
 間引きした木の根が、土中をさらに改良し、残された木々の根は切株を伝って土中にしみ込む空気や水を得て、健全な根の生育環境がさらに促進されるのです。
 そして間引きした伐採木は、燃やしてしまうのではなく、乾燥させて次の植栽マウンド造成の際に漉き込むことで、次の樹木生育環境が生まれます。



 潮風に強いとされるマテバシイでさえ、海風をまともに受ける場所に1本だけで移植されればこうして枝先は枯れ、まるで幹を守るように数多くの枝葉が幹元から芽吹きます。
 生きるか死ぬかの瀬戸際で、この木が樹勢を回復するには相当の年月が必要なことでしょう。



 これは京都知恩院参道脇の環境保全林です。これも元は江戸時代の造成です。
参道を守るように、やはり石や切株、廃瓦などの廃材を土と混ぜながら盛り上げ、石積みによって土留めがなされて苗木を植え付けられ、現在に至ります。
 かつては数百年の未来を見据えて、こうして環境林が造成されたのです。
 現代だけでなく将来末永きにわたって暮らしを守る木々を育てるという、その発想がなければ、本物の環境林も風格のある美しい街も育まれようがありません。未来永劫の財産となるのが、こうした木々であり、現在だけのものではないのです。
 石積みはもちろん、数百年の時を超えて永続的に保たれるように積まれます。もちろん、セメントなどない時代ですし、仮にあったとしても、耐久寿命50年程度のコンクリートで作るなどという発想は生まれなかったことでしょう。

 木々を扱うものとして、我々人間のスケールを超えて暮らしの環境を守り続けてくれるという発想が、緑豊かで愛され、心から癒される故郷の街づくりのために、とても大切なことと思います。



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住まいの緑を考える 施工半年後の手入れ    平成24年8月29日



ここは私の地元、千葉市緑区Tさんの住まいです。造園外構施工後、半年が経過し、猛暑に負けずに木々は力強くなじみ始めてきていました。



 外から見ると圧倒的なボリュームの木々の合間の家屋に見えますが、庭に入ると木漏れ日の下の空間が広がっています。これが私たちのつくる、住まいの環境としての庭空間なのです。



 木々によって夏の木陰を上手に配し、そして2階を含めて窓越しに枝葉をかぶせてゆくことによって周囲が気にならない窓の景色をつくります。
 道路から見て、この庭と木々があることで、街の景色が潤います。朝夕にはこの庭の木陰が道路にまで伸びて、涼しさを感じさせてくれます。
 庭を植栽することで街の風景まで美しく潤わせてゆく、これからの街づくりにはそんな視点が大切だと実感します。



 写真右手前の赤い車の家がTさんの家、通りを挟んで連なる家々には緑は少なく、潤いのない暑苦しい景色が連なります。どんな街も家でも、それを包み込んで明暗を作り出す緑がなければ落ち着きは生まれません。
 各家には、この分譲地の開発者であるハウスメーカーが通りごとに指定した「シンボルツリー」なるものが点々と連なっていますが、この殺風景さはどうでしょうか。

 これが、「我が家と街が調和した美しい空間」とか、「統一感のある、ワンランク上の美しい街」など言った宣伝文句を持って分譲されているのですから、おかしなものです。木陰のない街は、日中の日差しを浴びて蓄熱したアスファルトやコンクリートが夜も冷えることなく、一晩中街を温め続けてしまいます。
 高断熱をうたうこうした住宅では、それでも外界を拒絶してエアコンを回せば暮らしていけるでしょう。でも、そんな住まいの環境がいつまで続くのでしょう。不快な外環境を拒絶して潤いのない住環境に、誰が愛着を感じるというのでしょう。



 ハウスメーカーの商売で、口先ばかりの美辞麗句で街を作るのではなく、本当にその街や緑を愛する心ある人たちが積極的に街をよくしていかねば、住みやすい街など育まれるはずがありません。
 緑を愛するTさん夫妻がここに住まれているからこそ、街の一角を潤すこの風景が生まれるのです。
 机上で家や街を設計しようとするハウスメーカーではなく、そこに住まれる人の心が街の風景を育ててゆくのでしょう。








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千葉県佐倉市 流れの庭 植栽再開    平成24年8月25日



 お盆を挟んでまたまた中断していた佐倉市の流れの庭、猛暑のさなか、昨日から植栽再開です。
 木々が植わると、新しく作ったばかりの小川とは思えないほど、自然に溶け込んで見えてきます。川の奥行きもより一層深みが感じられるようになりました。



 木々と小川、そして再生した古民家。すべてがもともとそこにあったような調和と落ち着きを見せています。
 


 井戸水を循環させている流れの水は、いつも清らかで澄んでいます。これは川底が粘土土なため、川底に住みつく様々な微生物やバクテリアが川の汚れを分解してくれているのです。
 自然な生物浄化によって、特に人工的な浄化装置など作らなくても十分に美しい川が維持される、それが本来の流れの在り方ではないかと思います。



 庭の中の回遊路。石段の上は母屋の庭です。そこからこの木立の合間の園路を抜けて、下段の流れの庭に伝います。
 園路は晩夏の日差しを浴びて、少しさびしげな気配を感じさせていました。

 思えば2年前、入母屋民家の解体作業から始まったこの庭の工事も、いよいよあと数週間で完成です。
 心血を注いで作り上げた庭が間もなく完成を迎えるとき、うれしさと同時にいつも寂しさを感じます。工事期間が長かった分、その思いもひとしお深いものがあります。
 いよいよ終盤です。厳しい残暑の中、最後まで気を抜きことなく、全身全霊でこの庭を仕上げていきます。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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