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雑木の庭つくり日記

鹿児島県姶良市「雑木林と八つの家」植栽第三弾 平成24年12月10日



 ここは鹿児島県姶良市、日豊本線姶良駅から徒歩5分の分譲住宅地、「雑木林と八つの家」分譲区画です。
 30代40代の子育て世代の普通の家族が、利便性の良い駅前に暮らしながら、なおかつ豊かな自然と豊かなコミュニティを普通に享受してもらいたい、そしてそれが美しく自然豊かな街づくりに繋がってゆくことを夢見て、私たちはまた、この地に集結しました。

 八つの住宅分譲区画にようやく、3つ目の家屋が建ちました。そして先週、その植栽のため、再びこの地を訪れました。
 どんな住まいも木々がなければ景色になりません。無機質な材料だけで作った建物だけの景色というものはそういうものなのでしょう。
 だからこそ、家屋を美しくうるおす植栽によって町全体をつなげてゆくことが、暮らしの環境、ふるさとの街を、末永く愛されるものにしてゆくために最も大切なことなのでしょう。



 すでに植栽が終了した分譲地内の別の家屋。ここは今年の5月の植栽なので、植栽後半年が経過しました。
 本来、木々の佇まいがよくなるのはこれからなのですが、すでに落ち着いた様相を奏で始めています。



 道路に張り出すように植栽した雑木の木立。この木々が夏の通りを木陰にしてくれるだけでなく、木々の風景が町の景色と繋がって、街全体の環境をあらゆる面で改善してゆくのです。



 半年前に植栽した木立の下には今は苔がびっしりと生えていました。この苔の存在が、雑草の繁茂や表土の乾燥を抑え、そして見た目にもしっとりとした落ち着きを感じさせてくれるのです。
 植栽の際、足元に苔が生育しやすいように表土の仕上げをしているのですが、それでも半年でこれほどの苔で覆われることはなかなかありません。
 高温多雨の鹿児島の風土も、苔の生育に適しているのでしょうが、それだけでは半年でここまでにはなりません。
 この美しい表土は、毎日の水遣りや掃除、除草など、日頃この植栽地を管理されてきた方々の、心こもった作業の結果と言えるでしょう。
 毎日のように灌水し、掃除していなければ、半年でここまで美しい苔で覆われることはあり得なかったことでしょう。

 この、すでに売却済みの分譲区画の木々の水遣りや掃除を半年間、無償でやり続けた人たちがいます。
 「雑木林と八つの家」を企画し、この土地を区画分譲した地元の開発会社、姶良土地開発有限会社の若い方々です。
 彼らは交代で、朝に夕にこの分譲地に足を運び、そして植えたばかりの木々のために、日課のように水遣りや掃除、除草をやり続けたのです。
 すべては、この分譲地を美しい街にするための奉仕の作業なのです。

 全国を探しても、どこにそんな不動産会社があるでしょうか。全国のどこに、それ程の木々に対する慈しみの心で行動される不動産屋さんの社員たちがいるでしょう。

 苔に覆われた地面を見ながら、彼らの木々への慈しみの心、この街に住む方々への本心からの想いに感じ入り、感動と共に、改めてとても大切なことを教えてもらいました。
 こんな不動産屋さんが日本中にいれば、日本はどれほど美しく住みよい街になることでしょう。
 木々を植える私たちも彼らに学び、もっともっと心を引き締めないといけない、そんなことを感じさせられた光景でした。



 日程差し迫った師走の作業、1日で植栽を終わらせるべく、総勢10人以上で猛烈な勢いで植栽作業を進めていきます。



 木々が大方植わりました。このスペースは、木立の間の駐車スペースとなります。駐車場の造成や隣地との見切りの柵は植栽の後に行います。
 大切なことは住まいを美しく快適にするための適切な植栽配置であって、その合間に駐車場や玄関アプローチ、庭空間を配してゆくのです。
 もっとも大切なのは適切な植栽配置なのです。
 敷地の全体にまばらに木々を植えるのではなく、植栽はあくまでポイントを絞って凝縮し、効果的な場所に点在させてゆくのです。
 よい住空間を作り出すために最も大切なのが、この植栽スペースの配置なのです。



 これは、私が現地にうかがう前日の作業風景です。(写真提供、加治木桂子さん)
 住空間を活かすために大切な植栽配置を決めて、あらかじめ植栽予定地を掘っているのは、熊本県阿蘇市、グリーンライフコガの古閑英稔君です。
 今回、前日の作業である植栽配置の決定とその床掘り作業は彼が担いました。
 28歳の若さながら、驚くほどの的確な位置にきちんと穴が掘られていたのです。

 「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものです。昇り竜のように目覚ましい成長を見せる若者のモチベーションとは、どこから来るのでしょう。まっすぐに前進する彼のような若者に接していると、私たちもまたエネルギーをもらいます。



 植栽が大方終了し、表土の仕上げ作業にかかります。
 すでに葉を落とした雑木の木々ですが、圧倒的なボリュームの植栽です。



 木々の根元は土を叩き締めて、掃除しやすく苔の乗りやすい状態を作ります。つまり、植栽仕上げ後の現時点が完成ではなく、その後木々が生長し苔が乗ってくるにつれて雰囲気も快適さも増してゆくよう、作り過ぎずに仕上げてゆくのです。



 夕方、今回の植栽は終了しました。
家が建ち、また木々が町の景色を繋げていきます。作業を終えたみんなは、いつまでも現場を離れられずにたたずみます。この街つくりや木々が作り出す未来の景色に夢を馳せます。

 私たちは、また、それぞれの故郷の帰ります。この地にこの木々を残し、また次の植栽の時の再会を楽しみに、帰路に向かいます。
 植えたばかりのこの木々は、地元の姶良土地開発の方々が大切に面倒を見てくれるという安心感。
 木々の命を介した信頼関係は何ものにも代えられず、絶対の信頼が醸成されていきます。

 この街に植えられた木々をこれほど大切にしてくれる人たちがいる。この心が日本中に広がっていけば、、、、そう思わずにはいられません。

 春の植栽以降、毎日欠かさず無償で水遣りなどの世話をしてくださった、姶良土地開発有限会社の町田尚紀さんのメールを抜粋して下記に紹介したいと思います。

『  (前文略)
 夏の夕暮れ時は、文明さん、姉、私でローテーションを組み毎日木々に水やりをしました。これは大変貴重な体験でした。
 人は心地良い環境に集い、そして暮らしが生まれ、皆の想いが重なり良いまちを造る。木を育てるようにじっくりと時間をかけて造りあげてこそなんだと、身をもって気付かせてくれました。
 水やりはとても楽しいんです。水をやり続け新芽が吹いてきた時の喜び。どんぐり拾いに一生懸命な子供たちと、盛り上がる親達の井戸端会議。
 「良く根付いたわね」 「これは何て木?」 そんな何気ない会話。これまでの宅地造成では見られない風景が沢山生まれているのを感じます。
ここが完成する時を思うとワクワクしてきます。』

これが、新たな街の提案「雑木林と八つの家」を企画分譲している姶良土地開発有限会社社員のコメントです。
 日本のどこにこんな素晴らしい土地開発会社があるでしょうか。この心が全国に広まっていきますように・・・。そして日本中の街が子供達にも優しい自然豊かなものになりますように・・。
 こんな素晴らしい方々と共に仕事できる喜びと感動を、誰に伝えたらよいのでしょう。

 次回は3か月後、2月の植栽を予定しています。 このプロジェクトを見守ってくださる方々に心からの感謝を申し上げます。


 
 
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
木々が繋ぐふるさとの風景        平成24年12月1日

 気ぜわしく過ぎ去る年の暮、月日の流れはどうしてこうも早いのか、たまにはブログも書かないといけません・・。



 昨日手入れにうかがった、埼玉県飯能市Sさんの庭も、竣工後3度目の冬を迎えました。
秩父の玄関口、飯能市の気候風土には落葉雑木が非常に適応し、少し遅かったですが素晴らしい紅葉が楽しめます。
 家の窓に赤や黄色の葉影が映えます。



 この庭の植栽樹木はほとんどが飯能市周辺の里山に健全に自生する樹種で構成しています。
実際、街中と山間部では、近接地域でも微気候条件が全く異なるものですが、山々に囲まれたここ飯能市内は今もなお、山間部の木々が街中においても健全に生育できるようです。

 温暖化に加えて都市部のヒートアイランド化、そして夏場の乾燥期間の長期化など、南関東地域の都会では、落葉樹の健康維持が難しくなりつつあるように感じます。
 そうした中、ここ飯能市の紅葉は見事な色合いで木々も健康な生育を見せてくれています。



 ここは飯能市より山間部に入ること車で1時間、秩父観音霊場札所1番、四萬部寺本堂背面の山の上。
 コナラ、クヌギにケヤキ、モミジ、ヤマザクラなどが懐かしい雑木林の風情を感じさせてくれます。



 山中の道沿い、モミジの落ち葉に埋もれながらも凛とした表情のお地蔵様。




  飯能市の竹寺の紅葉。
 秩父の山間部では、今も懐かしい、管理された里山の名残がいたるところに見られます。

 山と共にあったかつての暮らしが今もなお、山間地には息づいているようです。そして、そんな当たり前の風景も今では日本から次々に姿を消しつつあります。だからこそ、この秩父の香りは訪れる人の郷愁をそそり、そして敬虔な気持ちにさせられるのでしょう。



 秩父観音霊場札所2番、真福寺への参道沿い、秩父に特徴的な緑泥片岩の岩壁に安置されたお地蔵様や観音様。
 いつの時代からどれだけの人たちにお参りされてきたことでしょう。



秩父地域に産出する緑泥片岩の石積み。秩父周辺では土蔵の基礎から板碑など様々な石材に地元産の緑泥片岩が用いられてきました。こうしたことの一つ一つが生活に密着したふるさとの風景を特徴づけているのでしょう。



 観音堂に至る石段ももちろん、地元の緑泥片岩です。長い歴史の中で、山中を巡りお参りするどれだけの人に踏まれてきたことか、表面が削れて光沢を帯びた佇まいがまた、心を浄化してくれます。



 越し屋根が特徴的な土蔵の佇まい。



 長年の風雨にさらされて、土壁の表面がはがれて、荒壁を繋ぐ下地の藁縄がむき出しになっています。
 この荒縄を結んだ人は、きっともうすでに秩父の土に還っていることでしょう。そしてこの藁縄は、私よりもはるかに年上なのでしょう。



 幾重にも続く山襞ごとに、霞沸き立つこの風情。この土地の先祖代々、数千年の昔から秩父の人は、この風情に包まれながら延々と暮らしてきたことでしょう。
 静かなる秩父の風情、この豊かな在り様が100年後も300年後も変わらないことを願う、そんな思いが胸の奥から沸き起こります。

 昨日、飯能市の商店街の街路空間緑化について、市職員方々からの質問を受けて市役所の方々にレクチャーさせていただきました。
 これからの街の緑化、それはふるさとの木々によるふるさとの自然を取り戻すこと、同時にふるさとの自然と共にあった暮らしの在り様を再認識し、ふるさとの自然や暮らしぶりと再び向き合うことから始めねばなりません。
 自然と共にあった秩父の暮らしぶり、そこに今後の日本をよい国へと再生してゆくための一つの答えがあるように思います。



 飯能市内のSさんの庭も、施工後3年めとなり秩父らしい風情が漂いはじめてきました。その土地の自然を街中に繋げてゆくことで、豊かで愛されるふるさとが少しずつ再生されることでしょう。
 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
街中小さな森つくり  江戸川区田中工務店   平成24年11月23日



 ここは東京都江戸川区、株式会社田中工務店です。「会社前のわずかな幅に豊かな緑を」、田中社長からそんなご要望をいただき、「それなら私に是非お任せを!」とばかりに、緑化に挑みます。
 看板は緑の中に埋もれてよいとの条件の下、将来ここに高さ7m程度の緑の壁を作るべく、雨の中作業に臨みます。

 道路際のわずか30センチ程度、コンクリートを剥がして、土留めを施し、こんな場所でも健全な植栽条件を整えます。



 地盤下、50センチ程度掘り下げて、そこにゼオライト・バーク堆肥などを混入し、既存土壌環境の改善を図ります。



そして、土壌改良材と下地土壌を攪拌します。



 そして、乾燥させた剪定枝や幹を並べます。



 埋戻しに用意した土は、剪定枝や落ち葉を堆積してできた完熟腐葉土です。



 この腐葉土を、枝幹の上からかぶせて埋め戻していきます。
 枝や幹の混入によって、下地土壌が圧密されることなく、柔らかな状態に保たれて、根の生育に適した土壌条件が整えられます。
 そして、これらの枝幹が土中で朽ちるころには植栽樹木の根が十分に張りめぐらされて、その根が代わって土壌の圧密を防ぐ役割を果たすのです。



再生土壌の埋戻し完了です。ほっこらと柔らかく、土を盛り上げます。



 樹木ポット苗は、下記のとおりです。

 常緑高木樹種;シラカシ・アラカシ・スダジイ
 常緑樹中低木樹種;シャリンバイ・ハマヒサカキ
 落葉樹高木樹種;コナラ・クヌギ・ヤマザクラ

 合計20数ポット。



 ポット苗をこの狭いスペースに混植・密植していきます。
これらの木々が都会の厳しい環境からお互いを守りあいながら、競合し、そしてやがて淘汰されてゆくのです。



 植栽後、稲わらで土壌を保護します。稲わらによる養生によって土壌の温度や湿度の変化を緩和し、そして土壌生物を直射日光から守り、土壌環境を改善します。
 そしてこの稲わらは2年で分解して土に還ります。風に舞い散らないように麻縄で藁を抑えます。この麻縄も分解して土に還ります。



 植栽後。
 この小さな苗木が数年で大きな緑の環境へと育つのです。
 都会のこんな狭いスペースにも、健全なグリーンベルトを育てることは十分にできるのです。こうした育成型の緑化のノウハウをスタンダードなものとして普及させてゆくことで、わずかなスペースで街が効果的に潤うことができるのです。

 5年後には最大樹高6m程度の樹林となるでしょう。これからが楽しみです。

 



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
冬の手入れ 施工後5~6年経過の庭   平成24年11月21日

 今年も残すところあと40日、いよいよラストスパートです。
今日は庭の手入れ、2件です。



 千葉県松戸市、Kさんの庭も、施工後5年目となりました。細長い庭に十数本の雑木、最大樹高8~9m以内に抑えて管理しています。
 本来、樹高を抑えることなく、どんどん大きくした方がよいに決まっているのですが、狭い住宅密集地では、そうもいきません。
 実際には樹高をどんどん大きくしても、側枝を状況に応じて取り払えばなんの問題はないのですが、一般住宅地ではあまり目立ちすぎては施主ご家族のストレスにもなりかねません。
 そのため、私は木々にとっても人にとっても過大なストレスにならない妥協点を見出して、手入れするようにしているのです。

 それでも、雑木の庭空間を広々と心地よくするためには、狭い庭でも高木の管理樹高8m以上が理想的だと私は思います。



 冬の手入れは、直射日光による幹の傷みの心配が少ないため、木々を痛めることなく庭に光を入れることができます。
 夏は木陰、冬は陽だまり、雑木の庭は季節を問わず、快適な住空間を作ってくれます。



 そしてここは千葉市花見川区Tさんの庭、施工後6年が経過しようとしています。
 年月を経て風格を醸し出し始めた木々が家屋の風景をとても深いものとしていくようです。




 木々が大きく太くなれば、林床の庭はよりすっきりと広々としてくるのです。やはりここも、最大樹高9m程度で管理しているのです。
 樹木が作る陰影は何とも贅沢な空間を作ります。



 やはり、庭は完成後の年月と適切な管理がより良い状態へと育ててゆくものなのです。
手入れにうかがう度、より良い庭へと育っていくことを感じます。
 木々を管理しながらも、木々を自然の中へと還してゆくこと、それが雑木の庭空間を育てる秘訣かもしれません。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
高田造園の一週間        平成24年11月17日
 年末のあわただしさが押し寄せ、気持ちばかり焦ります。
 ブログすら書く間もないのに、日々感動溢れる出来事が、月日と共に通り過ぎていきます。今週もいろいろありました。
 先週末からの激動の心模様を、駆け足でご紹介します。



 先週末に訪れた新潟駅、コンコース沿いのケヤキの紅葉です。日本海からの風が吹き抜ける新潟市内の空気は清らかで空気が生き生きとしており、首都圏とはまるで違います。
 2階部分のコンコースからは、街路樹のケヤキの枝葉が圧倒的なボリュームで葉音を響かせ、まるで森の回廊を歩いているようです。
 木々は、下から見上げる目線だけでなく、小鳥の目線で中空から枝葉の懐を見るとまた、一本の木の懐深さや温かみが感じられるものです。
 私が庭を作る際、2階窓からの景色を重視して木々を配植する理由はそんなところにあります。
 このコンコースから見るケヤキ並木、本当に素晴らしく、何度もここを通りたくなります。



 ここは日本海航路の拠点、新潟港佐渡汽船周辺緑地です。強い海風が常に吹き付けます。
 港の厳しい環境下、それに耐えて、この地に生き生きと枝葉を伸ばす緑地の木々は、密植された雑木群です。



 これは同じ場所、佐渡汽船周辺のタブノキ並木です。潮に強いという理由で最近よく、タブノキが海辺の環境に植栽されますが、ここに植えられたタブノキはほとんどすべて、幹の先端が枯れてしまっています。



 頭枯れしたタブノキ。
「潮に強いからタブノキを植える」という教科書的な発想で、本物の緑化など決してできません。
樹種ではなく、植え方の問題です。
 タブノキのような、成木移植直後の根系成長の穏やかな樹種を、高木一本単位で厳しい環境にいきなり植えれば、こうして傷んでしまうのは当たり前です。

 本物の緑化とは、時間をかけねばならないのです。植栽時点での見栄えばかりを優先し、大木をいきなり持ってくるのではなく、土をしっかりと改善して環境適応力のある小さめな木をたくさん植えて、お互い守りあいながら健康に育ててゆくという、気長な視点が緑化には必要です。



 単木で植栽されたタブノキが軒並み傷んでしまっているのに対し、同じ時期に密植された雑木たちは頭枯れもほとんどなく、常に潮風にさらされる環境においても、こうして健康に生育しているのです。
 樹種はシラカシ・アラカシ・コナラ・クヌギ・カシワ・トチノキ・シイノキ・イタヤカエデなど、決して塩害に対して強いとはされていない樹種ですが、要は樹種ではないのです。密植して木々がお互い守りあい、健全に生育できる環境を作ることで、こうした環境で健全でボリューム豊かで自立した緑地が生まれます。もちろん、この緑地の維持管理のための手入れは必要ありません。



 ここは佐渡島最南端の地、新谷岬です。対馬暖流がぶつかる岬周辺の気候は温暖で、南国の雰囲気さえ感じされます。

 今回、社団法人日本茅葺き文化協会の研修会参加のため、はじめて佐渡の地を訪れました。



海岸の岩は玄武岩質の火山岩で、さざれ石のような独特の風合いを見せます。土のほとんどない海辺の岩の上にも松が凛然と海風に立ち向かいます。こうした厳しい環境の下での松の力強さには、感銘を受けます。



 そして海辺の玄武岩の崖上の紅葉はイタヤカエデです。松にイタヤカエデがこの地の海辺の最前線、そしてやや海岸線から奥まったところからタブノキ林が始まります。



 海辺の護岸にイタヤカエデの落ち葉。私の地元千葉で、海辺に自然林のカエデなど、ありえません。しかしこの土地では海岸沿いにマツとカエデ。これが、自然というものなのでしょう。
 ここではイタヤカエデが海辺の植生の最前線を担っているのです。



 海辺ののどかな農村を歩きます。防風林としてのマサキの生け垣に囲まれた暮らしの風景。



 時期には風速40~50mもの季節風が吹き荒れるという島の気候。猛烈な風をどう凌ぐかが、この地に住まうための条件となります。ここでは竹や稲穂を使って防風壁を作っています。



 岬の崖上に位置する家屋。建物の奥は海岸まで切り立った崖です。それを感じさせない豊かな佇まいの理由は、この生活環境を守る周囲の木々にあるのでしょう。



 崖の上の家屋と畑、海辺の厳しさを感じさせない豊かな暮らしの環境を作っているのは、タブノキを主体とした周辺を取り囲む木々の力なのです。
 この木々がなければこの楽園の暮らしはあり得ません。我々人間の暮らしの在り方、豊かな環境、決して忘れてはならないものがここにあります。



 海岸線に延々と続くタブノキの純林。この樹林が海岸沿いの田畑や生活環境を海風から守ってきたのです。
 暖温帯気候域を代表する素晴らしい樹、タブノキの純林も、本州、特に関東近辺では今は見られません。
 日本海に浮かぶ佐渡の地に、日本の原風景たるタブノキの樹林が残っていたことに震えるような感動を覚えます。



 タブノキの樹林に分け入ります。林床植生の乏しさからも、この樹林が何度も伐採されては再生してきた若い森であることが分かります。
 人は学習しない生き物で、ついつい木々が大きくなると、伐ろうとします。そして伐ってしまった後に、その存在がいかに生活環境を守る上で欠かせないものだったかに気付くようです。
 そしてまた、森を育てる。しかし、いつしかそれが当たり前になって、木々の存在価値を忘れた次の世代の人によってまた伐られてしまうかもしれません。
 木は世代を超えて年月をかけて育ちますが、伐るのは一瞬です。そして伐ってしまったら最後、それまで何世代にもわたって人間の暮らしを守ってきた環境が即座に失われるのです。

 緑というものの価値、それは私たち人間の寿命や尺度で考えてはいけません。




 佐渡島南西端、宿根木の集落は海風に耐えるように実に密集した佇まいを見せています。



 地元の石を切り出して作られた石畳がこの集落の歴史を物語るようです。潮風を避けるように、家々が密集し、互いに守りあうことで、この日本海航路の拠点としての海辺の街が保たれてきたのでしょう。



 この地域独特の杉板葺きの屋根。風の強い土地柄、屋根を抑える石にほぞ穴をあけて、一石一石固定しています。



 屋根の材料は薄く裂いた杉板です。海風から守るよう、くりぬいた岩の合間に保管されています。
 その土地の自然環境がかつての豊かな家屋の風景、屋根の表情を作ります。



佐渡島 国中平野清水寺、参道の杉の巨木です。海風が佐渡の山並にぶつかって上昇気流となり、この地には日常的に濃い霧が発生します。そんな風土が杉の生育に非常に適しているため、この島には巨木となった杉の木がいたるところに見られます。
 杉の大木は、豊かな気候風土の象徴と言えるでしょう。



 佐渡島国中平野のかやぶき民家。かつてはこの島の家屋はすべて茅葺き屋根だったようですが、ここ数十年、急速にかやぶき屋根の家はなくなっていきました。その消滅速度は本土以上だと言います。
 「茅葺き屋根の家を瓦にしたら暑くてとても住めなくなった。」という話をよく聞きます。茅葺は日本の気候風土に適応した屋根。それが長年快適で豊かな住まいを作り、暮らしと日本の心を守ってきたのでしょう。

 わずかに残る、国中平野の茅葺き民家を訪ねて回ります。
ここは今も屋敷林は残ります。日本海岸平野によく見られるとおり、この地に環境的にも適応する有用木の杉が主な屋敷林の構成樹種となります。



 佐渡島トキ繁殖センターのゲージの中で細々とその命を繋ぐトキ。学名「ニッポニアニッポン」。
 その学名は「日本の中の正真正銘の日本」と聞こえます。
 かつては日本全土の里山に生育した美しいトキは、かつての豊かな自然からの、天の遣いのような存在なのでしょう。
 最後に野生で見られた地が、かつての自然と暮らしの調和の息吹が最後まで残った佐渡島だったということ、かつての豊かな日本の自然、その消滅とと共に、野生のトキも日本の自然界から消えていきました。
 トキを野生に戻そうとする試み、しかし、もっと大切なことは、我々を取り囲むいのちの源である豊かな環境を再生し、自然と人との絆を回復しなければならないということではないかと、そんなことを考えさせられた旅となりました。



 そしてここは、千葉市の臨海スポーツ公園、フクダ電子アリーナ正面広場です。
 ここに100年の巨木を育てるべく、自然植生樹種15種類47株を2.5m四方の区画に密植して植栽し、そして1か月が経過しました。



 海風の絶え間ない埋立地の環境下にもかかわらず、木々は枝先まで枯らすことなく、とても健康な生育を見せていました。
 これが数年後には10mの樹林にまで成長してゆくことを思えば、木々を育てる喜びに夢が膨らみます。



 樹林の影が美しく大地に映えて、季節の変化と時間の移ろいを感じさせてくれます。



 この樹林区画は「スダジイふるさとの森」と名付けられ、千葉市に移管されました。
11月15日、記念式典です。



 木々にとって厳しい工業地帯の埋立地。
 そんな土地だからこそなお、人が心豊かに生きてゆくために緑が必要なのです。

 これまでのような短絡的な見た目重視の緑化ではなく、100年の未来を見据えた、次世代のための緑化の試みがこの地でなされました。
 素晴らしい記念樹植栽の試みに快く出資くださった千葉中央ロータリークラブの皆様、そして
この試みを受け入れ、ご支援くださいました千葉市関係者方々に改めて深く御礼申し上げます。



そしてここは、昨日手入れにうかがった茨城県坂東市Uさんの庭です。施工後丸2年が経過した秋、庭はすっかりとこの土地の自然になじんでいました。



 豊かな木漏れ日が季節を演じます。木々があってはじめて豊かな住まいが生まれます。





 そして今日は、千葉県香取郡、Mさんの庭の真ん中に、小さな、しかし100年の森を作るお手伝いにうかがいました。
 右手前の女性がMさんです。高田造園総出で、Mさんの小さな森つくりを手伝います。



 1.6m四方のマウンドに8種類27株の、この土地の自然植生樹種の苗木を密植しました。
地中は1mほど掘り下げて、剪定枝や、腐葉土を混ぜ合わせて盛り上げています。

 この木々が5年後にはきっと、最大樹高6m以上の森に成長していることでしょう。そしてその後はどのようにこの木々を育ててゆくか、木々もMさんご夫妻と共に表情を変えてゆくことでしょう。

 これが私たちの一週間です。さて、また年末に向けてノンストップで駆け抜けます。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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