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雑木の庭つくり日記

台湾の森つくり 始動     平成24年7月2日    


 ここは台湾 高雄市。台北に次ぐ、台湾第2の都市です。
 数奇な縁でこの地で施設の景観設計させていただくことになり、この地を訪れました。



 台湾のちょうど真ん中あたりに北回帰線が通り、それを境に北側は亜熱帯気候、南側は熱帯気候域に属します。
 台北は亜熱帯ですが、台湾南部に位置する高雄市は熱帯となります。街の木々は熱帯特有の精気に満ち溢れ、スケールの大きな木々が街に大きな木陰を作っています。



 大通りの中央緑地はガジュマルの木陰の歩道となります。
 夏の日中、熱帯の日差しは強烈で、大木の木陰はなくてはならない必須のものとして、都市は計画されています。



 高雄市内のメインストリートから上空を見上げると、大空に日差しを遮る枝葉が生い茂り、まるで森の中にいるようです。
 しかし本当に、この木立がなければ日中はほとんどで歩くことはできないほどの日差しです。

 日本の夏も今や熱帯並みと言いますが、実際に熱帯の夏を体感するとその熱射の違いは明らかです。
 高雄の人たちは昼は食事の後、午後2時くらいまで休息を取り、昼寝をしたりして過ごし、極力日向には出ないと言います。
 こうした気候風土が、都市に多くの木々のスペースを設け、熱帯特有の大きな木陰に包まれた美しい街の風景を作ってゆくのでしょう。

 20年近く前のこと、シンガポールの街を訪ねた際、「これからの日本の街はこうあるべき。」と直感したことが、高雄の街の光景に接して鮮やかに思い出されます。
 そして、その時のシンガポールの街の光景こそが、私のこれまでの住環境つくりに大きな影響をもたらし続けてきました。
 「木陰と木漏れ日のある住環境」、熱帯並みの日本の夏を快適にしてくれるのは、スケール大きく上空に枝葉を広げる健康な木々、そう確信したのは20代前半に訪れたシンガポールでのことだったのです。



 ここは、台湾の仏教慈善団体、正徳佛堂の高雄市総社です。ここは漢方医療に基づく診療所
が併設されており、ここでは仏教の教えに基づき、市民に無償で診療を行っています。
 正徳医療機構のこうした診療所は台湾全土の都市に10以上もあり、そのすべてが善意の寄付金によって運営されているのです。



 早朝、診察室の前で診察を待つ人たち。漢方医による診察、治療、薬までもがすべて無償で運営されているのです。
 正徳佛堂ではこうした医療だけでなく、弱者、貧者、困窮者のための様々な活動を、仏教の精神に基づいて行われているのでした。
 正徳佛堂は仏教慈善団体として台湾で2番目の規模で、その活動内容を知るにつけて、日本の一般的な今の仏教との違いをまざまざと感じます。
 戒律に基づく敬虔な出家者、そして労を惜しまず世のため人のために慈愛を持って奉仕する明るくとても温かな在家の信者方々、なにか、今の日本では感じることのできない大切なものを感じ、強く心を打たれます。

 今回、高雄市内に漢方医療を中心とした癌の専門医療施設を作る計画に当たり、その環境設計を団体創設者の常律法師に依頼され、打ち合わせと現地視察のために訪れたのでした。



 2日目、今回のプロジェクト関係者とともに、癌センター建設予定地の下見のため、マイクロバスで現場に向かいます。畑に囲まれた田舎の道ですが、道路沿いは市によってボリューム溢れるグリーンベルトが設けられています。
 木々は熱帯の日差しを受けて生い茂り、この緑が乾季には農場の砂埃を緩和し、頻繁に来る台風から道路を守り、そして道路沿いに木陰を作ります。




 建設予定地付近、バスはガジュマルのトンネルの下に留めます。日向に留めたら、車内はプラスティック部品が変形してしまうほどの日射だと言います。
 それこそ、日向の駐車は生死の危険すら感じるほどの強烈な環境なのです。



 日向では、全員日よけの傘をさしています。奥は車を留めたガジュマルのトンネル。このすざましい日照を、熱帯の強い生命力を持つ木々が完全に遮断しています。
 「命を守ってくれる木々」という言葉が言い過ぎではなくそのまま当てはまる、熱帯の樹木は強い味方となります。



 法衣を着た人たちは正徳佛堂の出家された尼僧の方々です。炎天下のもと、彼らは暑い表情も見せずに屈託のない笑顔で現場を案内してくださいます。
 写真左は河川の堤防、そして道路右側が今回の予定地です。



 この、広大な農場跡地が計画予定地となります。と言えども、写真で見渡す部分は施設併設の有機農場となります。
 今や台湾人の3人に一人が癌でなくなると言います。その状況は、45歳以上の日本男性の2人に一人以上が癌を発症する日本の状況と変わりません。
 漢方医学に基づく正徳医療機構では、癌の発症に大きくかかわる水と空気と食を中心とした生活環境の改善を最重視し、ここに森を再生し、広大な有機農場を再生するのです。



 敷地の隣に流れる大河は美濃渓と言い、高雄の平野を蛇行して流れます。何日も台風が停滞する熱帯の気候の下、この川は堤防を乗り越えて氾濫し、周囲の農地にあふれだすと言います。
 こうした気候下での土木事業には万全な排水計画が欠かせません。今回の計画では、洪水に備えた大きな貯水池を設け、その周辺を施設の自然公園として利用します。
 私は、その貯水池を中心に、この土地本来の自然植生による、広大な本物の森を作ろうと考えています。その提案と現地調査のために今回訪れたのでした。



 今は耕作されていないこの農地、ここに自然環境を再生しつつ、有機農場、病院、公園に老人施設、癌になって働けなくなった親の子供を預かる孤児院や小中学校など、おおよそ人の生・老・病に関わる必要な様々な施設が作られます。
 したがって、その建設計画も環境計画も、人の心の癒しになる健康な街の在り方を最重視して計画されねばなりません。
 だからこそ、私は単なる景観デザインとしての街づくりではなく、この地の本物の生態系を再生共存させつつ、今後の人と自然との共生の在り方を世界に発信できるような街を作らねばならないと考えております。
 これまでは、開発事業に伴って我々生き物の生存基盤である自然が失われてきました。これからは、開発事業に伴って本物の自然が再生され、より豊かな環境となるような開発の在り方が絶対に必要です。必ず実現しなければなりません。
 今後、おそらく10年計画となる壮大な事業です。



 現地視察の後、台湾の樹木見学のため、高雄市に隣接する屏東市にある国立屏東科技大学を訪れます。



 日本統治時代からの歴史を有するこの大学の構内には高木が生い茂り、豊かな木陰が広がっています。とても美しい大学です。
 もちろん、木陰がなければこの地で学業に励むことは至難の業でしょう。



 車はもちろん、大木の木陰に留められます。



木々のスケールは大きく、30mを超えるような木々も珍しくなく、それが台湾第一のキャンバス面積を誇る広大な大学を、灼熱の熱帯であるにもかかわらず潤い豊かな環境に落ち着かせてくれているのです。



 学内に6年前に新設された原生植物園内で木々の説明を受けます。
短期集中で現地の植物を頭の中に叩き込んでいきます。



 常緑樹ばかりではなく、熱帯と言えども雨季と乾季の差が大きい台湾ではもちろんたくさんの落葉樹も見られます。この木は幹肌が日本のコナラによく似たオークの一種ですが、葉の大きさや厚みが全く違います。
 おそらく種は近いのでしょうが、熱い環境での落葉樹はおおよそ、葉が大きく厚くなるようです。



 これはタイワンスギの苗木ポットです。日向では痛んでしまうので、苗木は日陰で生産しています。



 日向の樹木園に植えられた苗木の生育のためには、1本ごとに灌水設備がつけられていました。
 広い敷地にまばらに植えられた苗木は、熱帯の気候の下、ここまでしなければなかなか生存できないようです。



 幹線道路沿いの緑地に補植された木々。
 台風やスコールにさらされるこの地では、苗木植栽してしっかりと根を張らせていくことが必要ですが、日向に点々と植えるようなこんな植栽方法では枯死率も高く、木々が自立できるようになるまでに大変な管理が必要になります。
 日本でもこんな問題の多い補植の仕方が今もよく見られますが、とくに熱帯において早く本物の森を再生するためには土地本来の樹種による多種類の苗木を密植して競争を促すことしかありません。
 今回の事業地では、苗木の密植による森の再生を試みます。



 今回大学校内で樹木の説明をしてくださった陳氏の経営する農場外周林。樹高40mほどの高木が点在する多層的な外周林がこの環境を守ります。
 陳さんは30年かけてこの外周林を育ててきたと言います。
 かつての日本の屋敷森を思い起こします。生活環境を守るために樹林を作る人の営み、熱帯の生活環境に触れ、その必要性を改めて深く実感させられます。

 

 高雄の観光スポット、六合夜市。日差しが陰るころ、この通りに屋台が延々と並び、そして夜になって人が溢れます。



 屋台の連なる夜の表情も、熱帯の街にはよく見られます。蒸し暑い熱帯の暮らしが生み出した文化と言えるでしょう。



 夜市を案内してくれたのは正徳佛堂ボランティアスタッフの陳玉雪さん(左)と高雄在住の日本人、今回通訳をしてくださった望月洋江さん(右)です。本当にお世話になりました。

 2日間行動を共にして現地案内してくださった出家僧の方々は、戒律に従い精進料理のみを食されるため、夜ばかりは私のような呑兵衛のお供まではさすがにできないのです。。。。

 今回、この団体の活動に奉仕されるスタッフの方々の明るさと温かさもさることながら、出家僧の方々の清らかさには、私の人生観を変えてしまうほどの感銘を受けました。
 帰国したばかりの今日、この感動を整理し切れておりません。
 戒律に従い、心身を修養し、社会への慈愛を持って無欲に明るく奉仕される出家者たちのの美しい表情に接し、帰国した今もその感動に包まれています。

 今回の壮大な事業もすべて、善意の寄付金によって行われ、そしてその後の医療や学校などの施設の運営もすべて無償で行われると言います。
 はたしてそんなことができるのか、そんな疑問は彼らと触れ合う中で解消されていきました。

 無欲と慈愛、そして良い人の生のために尽くすことのみに身を捧げる出家僧方々の無償の行為によって、多くの方が心身を救われる、本当の宗教の在り方を私はこの地で初めて触れたような気がします。

 光栄な仕事です。もちろん私も無私になり、心を高めてこの一世一代の仕事に臨まねばなりません。
 
 お世話くださった皆様に心からの感謝を申し上げます。  

 
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
木々の中の住環境       平成24年6月14日

 

 梅雨の晴れ間の今日は、昨年竣工の千葉県鴨川市、Tさんの庭を訪れました。
 竣工からちょうど1年が経過し、初夏の緑は昨年に比べて一段と濃さを増していました。



 昨年植栽した木々の向こうの家屋が落ち着いた佇まいを見せています。



 昨年積んだ石垣も、樹木の下ですっかりと落ち着いた表情を感じさせています。木々が家屋の表情を和ませ、そして駐車場に心地よい木漏れ日を落とします。



 玄関の石段周辺。写真左側が既存のエノキの森。そして右側が新たに石を積んで植栽し、この素晴らしい環境の中に家屋を溶け込ませようと試みました。



 木漏れ日の下の涼やかな玄関アプローチ。施工後1年ですっかりとこの土地の雰囲気になじみました。



 アプローチ石段から見た、木立の向こうの玄関の風景。



室内から見た玄関外の風景。



室内リビング、窓越しの景。



キッチン北窓からの風景は、家屋際に植栽した近景の木立と、もともとあった自然林のエノキが繋がり、あたかも森の中に住んでいるような落ち着きを感じさせてくれます。



2階ゲストルーム窓越しのエノキの大木。



 そして、家屋東側のエノキの大木が家屋をの景を一段と引き立てます。



 家際に植栽した木立の緑が、2階窓を通して室内に映り込み、心地よい緑色の光が部屋を染めるよう。

 豊かな自然環境に恵まれたTさんの住まいでは、敷地のすべてが美しく見飽きることのない風景になります。
 しかし、どんなに周囲が恵まれた自然環境であっても、家の近景となる緑があることではじめて、住まいの居心地は本当の意味で落ち着いたものとなるものです。
 こうしたロケーションで、その近景を作るための造園は、常に周辺の美しい自然を賛美し、風景をより引き立てつつ、周囲の自然環境のよさを住まいの中へと引きこんでゆくように、控えめな配慮が必要に思います。
 近景の木々を植えることで、周辺の風景と家屋が一体となる。こんな恵まれた場所での造園の意義は、そんなところにあるような気がします。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
阿蘇 熊本 「雑木の住空間」取材の旅    平成24年6月2日


 ここは、世界有数のカルデラを誇る熊本の阿蘇外輪山です。赤毛牛の放牧地として長年利用されてきた外輪山では、かつては放牧のために維持されてきた草原が、阿蘇の観光資源として今も変わることなく維持されています。
 火の国、熊本は阿蘇山を置いては語れません。

 今年10月に発売する書籍「雑木の庭空間をつくる」の取材と撮影のため、5月末に熊本を訪ねました。



 熊本の山間部の名勝 菊池渓谷です。南国とは言えども、標高差の大きい熊本では実に多様な自然樹木がみられます。
 ここでは、ケヤキ・イロハカエデ、イタヤカエデ・フサザクラなどの落葉樹の下にはカシノキ、シイノキ、モチノキ、アオキ、ホンサカキなどの常緑樹が階層状に生育し、豊かで独特の美しい自然林を構成していました。

 豊かな自然の恵み溢れる火の国熊本。ここでは自然樹木が生み出す心地さを街づくりに活かす試みがあちこちでなされています。



 ここは黒川温泉。全国的に有名なこの温泉には平日も関係なくいつも全国から観光客でにぎわいます。街ぐるみで植えられ育てられた雑木の木々が、この温泉街を非日常的な癒しの空間を作り出しています。
 もともとは山間の廃れかけた温泉街だったのが、街の人たちの努力で毎年少しずつ雑木を植えて、そして今では周囲の自然環境にすっかりと溶け込む、日本一魅力的な温泉郷が再生されたのです。
 自然豊かな山間地だからこそ、そこにある街も周囲の自然環境を街の中に引き込むことで豊かで美しく、その土地らしい生活環境が生まれます。そして、そこに癒しを求めて多くの観光客が集まるのです。まさにこれが人の心を癒す木の力と言えるでしょう。



 黒川温泉の通りは、ほぼすべてが木々のトンネルの中にあります。こうした木々はすべて、この町の人たちによって少しずつ植えられ育てられてきたのです。 
 「人を呼びたいが金がない。だから自分たちで木を植えて、美しい街にしていこう。」
地元の人のそんな想いによって、熊本の山中に全国から人が絶えない素晴らしい温泉郷が再生されたのでした。



 そしてここは阿蘇神社 一ノ宮門前町商店街です。豊かな木漏れ日の下を平日でも多くの観光客でにぎわっています。
 今では年間で30万人もの観光客が訪れるこの街も、20年前は観光客ゼロの普通の田舎のさびれた商店街だったというので驚きです。

 今から13年前、緑などなかったこの街に、商店街の一人の方が3本の桜を植えたのが、街の再生のきっかけとなりました。
 その後は毎年少しずつ、今も立ち止まることなく、隙間を見つけては木々を植え続けているのです。
 
 木々の調達と植栽を実際に依頼されたのは阿蘇の雑木の庭師、グリーンライフコガの古閑勝則氏です。古閑さんはこの依頼を受けて、地元の街への恩返しの気持ちを込めて、はじめはボランティア同然でこの事業を力強く牽引していったのでした。
 献身的で信念溢れる古閑さん達の熱意によって、商店街の人たちの意識も変化していったようです。そして、全国でも随一というべき奇跡の街並み再生が、この町の人達自身の力によってなされたのです。



 よく見ると、植栽は建物際の幅数十センチという、ほんのわずかなスペースです。



 建物際のわずかなスペースを供与し合って植栽された木々の景色がつながってゆくことで、町全体が潤い溢れる美しい姿へと変貌してゆくのです。

 「こんな田舎だから、みんな金がない。金がないけど、街のために何かできることをしようと思ったとき、木を植えようと思いついた。そして、木を植えたらなんとなく街がよく見えてきて、いいもんだなあと思った。もっと木を植えようと思って商店街のみんなに協力してもらった。木が増えたら人が集まった。」

 一人のそんな思い付きと行動が、この町を奇跡のように再生したのです。



 街を案内してくれた町会副会長の宮本さん。赤いシャツの背中に「阿蘇人」と書かれたその後姿からこの町に生きる誇りと自信が溢れだしています。

 宮本さん自ら、街の地権者の許可を乞い、そして植栽のために自ら汗してコンクリートやアスファルトを剥がし、今もなお、街の木々を増やし続けているのです。
 木を植える男、ここにもあり、私自身、震えるほどの感動を覚えます。

宮本さんは言います。

「商店街には緑が合う。しかも、列状に植えた街路樹ではなくて、こうした自然な佇まいの木々がよく似合う。
 自分たちの故郷をよくするために、ごちゃごちゃ考えていても始まらない。できることをとにかくやるだけだ。
 夢を見るならその夢をつかむ努力をしなくちゃいけない。それから、現状に満足しないことが大切だ。」

この商店街では今も毎年少しずつ、商店街の人たちの要望で木々が増え続けているのです。

「木を植えることは未来を植えること。」宮脇昭氏のそんな言葉が頭によぎります。



ここは阿蘇、内牧温泉の一角にある観光施設「はな阿蘇美」です。施設を覆い尽くす木々は3年前、この施設を委託管理することになった今のオーナー中山謙吾社長によって植えられました。
 実際に植栽設計施工されたのはもちろん、阿蘇の先進的な庭師、古閑勝則氏です。



 施設の中のドームには色とりどりのバラの花が咲き誇ります。
 もともとはバラ園と言ったイメージの強い観光施設だったのですが、中山社長は言います。

「ここは日本。美しいバラはこのドームの中だけでいい。外は阿蘇らしい自然樹木で包まれているのが当たり前。それが一番の観光資源で心地よい。」



 施設を包み込む雑木林は、中山社長がこの施設の委託管理を引き受けた後に植栽されました。
 それまでは木陰もなく、潤いもなく、これほど大規模で充実した総合的な観光施設であるにも関わらず、訪れる観光客の滞在時間は短く、経営的にも赤字が続いていたようです。
 それが、こうして森となり木陰が生まれることによって観光客の滞在時間もリピーター率も格段に増し、結果としてようやく経営的にも安定してきたと言います。

 何気ないのが木々。しかし、その恩恵は何物にも代えることができません。



 はな阿蘇美でのバーベキューに招待されます。右奥の笑顔の人が中山社長。エネルギーと情熱、そして木々への愛情にあふれています。
 「火の国の人は熱い!」中山社長とお会いしてつくづく感じます。もしかしたら阿蘇の地から日本の街が変わるかもしれません。
 
 民主主義と言いますが、自分たちの育った社会に対する愛や情熱を失った形式ばった民主主義からは何も生まれない気がします。
 ごちゃごちゃ考えて何も進まない閉そく感を打破できるのは、こうした一人一人の情熱と行動であることを改めて実感させられます。



 さて、ここはどこでしょうか。写真を見る限り、きっと美しい自然林の光景に見えることでしょう。
 実はここは、緑豊かな阿蘇の街づくりを牽引してきた㈱グリーンライフコガの樹木畑なのです。
 高木から中木、そして低木に至るまで、自然状態に近い姿で育ててゆくことによって、自然樹木本来のしなやかで美しい樹形が生まれるのです。

 自然を愛し、木々を愛し、そして生態系を知り尽くした古閑さんそのものを反映しているかのような素晴らしい樹木畑から、美しい阿蘇の街が作られ続けているのです。



 木々に包まれた古閑さんの事務所にて。
 右手前の人は、鹿児島県姶良市で、豊かで愛される地元の住環境を作るべく、雑木に包まれた分譲住宅地を提供する㈲姶良土地開発の町田社長。
 右2番目は、屋外の木々と住まいを繋げることによって心地よく人間らしい暮らしの場を提供する若き建築家、加治木文明氏です。
 左奥に立っている若者は、グリーンライフコガ5代目となる、古閑英稔君です。
彼のような若者が、これからの日本の街に貢献する美しい住環境を作る担い手となることでしょう。
 そして左手前の2人は、木々の力を活かした住環境つくりの素晴らしさを広めるべく、書籍つくりに努めるフリーの編集者高橋貞晴氏と、カメラマン鈴木善実氏です。

 今回の取材の旅、これからの造園の在り方を確信させられる旅となりました。

 温かく、なおかつ熱くご協力いただきました地元の皆様、本当にありがとうございました。


 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
都市の防災林を考える 清澄庭園にて    平成24年5月4日





 ここは東京都指定名勝の清澄庭園の外周境界林です。所要があって今日は雨の中、久々にこの庭園を訪ねました。

 連休と言えども今年は新刊書籍の原稿書きに明け暮れています。締め切りは迫り、ゴールデンウィーク中に書き上げるべく、事務所に缶詰めの状態が幾日も続きました。
 そんな中、今日は書籍で用いる資料収集のため、この清澄庭園を訪れたのです。



 常緑樹林に囲まれた、広大な池泉と美しく力強い石組みが見事なこの庭園は、明治11年にこの地を取得した三菱財閥の創始者 岩崎彌太郎とその弟 彌之助によって造営されました。

 往時には庭園の面積は現在の2倍以上あったと言います。
 この、湖面に浮かぶ数寄屋造りの涼亭(当時は接客用の客室として建てられました)の他、当代随一と言われた英国人建築家ジョサイア・コンドル設計による見事な洋館と、立派な日本館とがあり、都内有数の壮大な庭園風景を誇っていました。



 シイノキやタブノキなど、土地本来の常緑樹に囲まれて佇む涼亭。昭和60年度に改築工事がなされたものの、岩崎家所有の庭園だった当時を伝える建物は、今はこの涼亭のみです。
 当時の建築の粋を尽くした洋館も日本館も、関東大震災に伴う周辺一帯の大火災によって全焼したのに対し、樹林に囲まれたこの涼亭は、襲い掛かる大火を常緑樹林が食い止めて、事なきを得たのでした。
 一方、この庭園のメインの建造物であった洋館や日本館の周囲には、火災に弱いマツや棕櫚などのほか、世界中から集められた花木低木ばかり植えられていたために、大火を前にしてなすすべもなく、木々も一緒に燃え尽きてしまったのです。



 庭園の外周を土地本来の常緑樹林が囲みます。
 地震とそれに伴う火災によって10万人もの犠牲者を出した関東大震災、この庭園の周辺地域は火の海となり、最も犠牲者の多かった地域でもありました。
 そんな未曽有の大火の中でも、この庭園に逃げ込んだ2万人余りの市民は、一人として犠牲を出すこともなく、全員が無事だったのです。

 洋館や日本館を造営して人工的に庭園が整備されたために土地本来の森がほとんど消滅していた西側半分は、見事に大火に飲み込まれて焼け野原になったのに対して、自然のままに放任されて土地本来の豊かな常緑樹の外周境界林が育っていた東側半分では、常緑樹の森が見事に大火を食い止め、多くの市民の命を救ったのでした。



 庭園内のタブノキが、新たな葉を開いています。東京の気候風土本来の代表的な植生樹種のひとつがタブノキです。
 関東大震災の後、庭園の所有者である岩崎家は、常緑樹に囲まれて守られた庭園の東半分を東京市に寄付したのです。

 「この森が数万人の市民を大火から守った・・。木々の力はそれほどまでにすごいのか。この庭園はもはや私人のものにしておくのではなく、災害から市民の命を守る市の共有財産として活用してもらうべきだ。」
 東京に壊滅的な被害をもたらした関東大震災を目の当たりにして、なおも凛然と木々が生き残り、多くの市民の命を救った現実に対面した岩崎家の人々がそう考えたのは、想像に難くありません。



 大の庭好きだった岩崎彌太郎が全国から集めた名石巨石が見事に収まって見ごたえのある景色を見せる今の清澄庭園。

 関東大震災の後、岩崎家から譲り受けた東京市によって庭園は再び整備され、昭和7年には「東京市 清澄庭園」として公開されたのです。
 東京市の所有となった後に遭遇した東京大空襲、震災に続き、またもや周辺一帯は焼け野原となったのにもかかわらず、この森は焼夷弾にも耐えて燃えることなく、この時もまた、この森に逃げ込んだ大勢の市民の命を戦火から守り抜いたのでした。



 タブノキにシイノキ、その下にシロダモやモチノキ、ネズミモチ、そしてサカキにツバキにアオキといった土地本来の自然植生構成樹種である常緑樹が今もなお、外周の森を構成しています。
 高木から亜高木、中木に低木と、多層的に成り立つ土地本来の木々による緑の壁が、これまでに2回も遭遇した未曾有の大火から、大勢の市民の命を守ったのです。



 力強く大地を握りしめるように張り出すネズミモチの根。土地本来の常緑広葉樹林は深く強く大地を抱き込み、土砂災害からも人や家屋を守ってくれます。

 根を深く大地に突き刺し広げてゆく性質を持つ土地本来の常緑樹林は、昨年の東日本大震災に伴う大津波にも耐えて流されず、枯れることもなく新たな命を再生している事実が多数報告されています。
 様々な自然災害を軽減し、都会の暮らしを守る防災林の在り方は、土地本来の樹種による多層群落のグリーンベルトを配してゆくしかないということは、これまでの様々な災害を検証すれば一目瞭然なことのようです。
  私たちの命、そして私たちにとっての大切な人の命は、国や行政に任せるのではなく私たち自身で守り抜かねばなりません。そのために、一人一人が今できることを一歩ずつでも、確実にやってゆくことが大切なことだと思います。




 都会の密集地の中の多層群落の命の森。この木々が再び、市民の命を救う時が今後も必ずやってくることでしょう。
 こうした本物の防災林を少しでも多く、街の中にこそ作ってゆかねばなりません。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
風景を作る 収まるところに収めてゆく    平成24年4月30日



 風景を育ててゆくということは、その土地に愛情と時間をかけることからはじまると実感します。
我が家の木々も、植栽後5年目となり、いつの間にかこの土地の自然にすっかりとなじみ、住まいの風景がより一層美しく、この土地の自然風景の中に溶け込んできました。



 地元の山砂をひたすら突き固めて、4年前に作った作った版築の門柱に瓦屋根をつけました。
棟の隅の巴瓦には、千葉県成田市の由緒あるお寺の改修現場からもらってきたものです。もちろん、瓦はすべて古材の再利用です。



 いい文様の瓦です。昔の建物の解体現場は私にとっては宝の山で、庭の材料にあふれています。
 昔から庭は、建築廃材や古材の再利用の場でもありました。特に瓦などは、数十年に一度葺き替えが行われますので、その都度発生する古い瓦は、昔から延段と呼ばれる園路の材料にしたり、雨落ちの縁に利用したり、あるいは砕いて下地地盤の補強にしたりと、とにかく庭の中で有効に利用されてきました。
 「もったいない」という想いから、日本の庭は生まれたのです。形ではなくこの素晴らしい思想を、造園という仕事を通して未来へと繋いでいかねばなりません。



 そして、集めた古材を使って作り始めた我が家の水道小屋も完成です。良い佇まいで、美しい景色を作ってくれます。
 その土地の風景をつくるということ、それは一つ一つの建物佇まいを、その土地の風景の中に美しく溶け込むように配慮してゆくことで、愛される風景へと育ってゆくのだと感じます。



 瓦屋根は棟違いとし、梁にはかやぶき民家の古材を用いています。



そして、小屋の背面には、懐かしい無双窓があります。



しかし、どんなに素晴らしい環境であっても、また、どんなによい建築であっても、建物をその風土に溶け込ませて落ち着いた佇まいに見せてゆくためには、どうしても木が必要なのです。
 西日除けを兼ねて、小屋の脇に小さな木立を植えました。既存のヤマボウシ1本に、コナラの苗木2本、モミジの苗木1本、ツリバナの苗木1本だけの小さな木立です。数年後には立派な木立となって夏の西日を遮ってくれる環境林となるでしょうが、植栽したばかりであっても、木を植えることで小屋は見違えります。
 
 小屋を建てれば当然木を植える。その営みが美しい風景を一つ一つ作ってゆくことにつながるのです。



 そして、この小屋の正面軒下に、木彫りの鬼面をかけると、この小屋にも魂が宿りました。すすけて黒ずんた鬼面は、太い梁の力強さにも負けず、驚くほどしっくりとなじみました。

 この鬼面は南房総市のTさんという方から数年前にいただいたものでした。本来家屋の軒下で、その家の守りの願いを込めて掛けられていたものなのでしょう。
いただいてから数年、その間も、様々な場所に収めてみようと試みましたが、なかなかふさわしい場所を見つけ出せずにいたのです。
 ようやく、しっくりと落ち着く場所に収まることができました。よかったです。この鬼面も新たな役割を与えられてきっと喜んでいることでしょう。

 モノに宿る魂というもの、それを収まるところに収めてゆくこと、それも造園という仕事に必要な感覚です。風景を美しくする仕事、そんな眼力をこれからも鍛えていきたいと思います。

 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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