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雑木の庭つくり日記

暮らしの風景 家の中から   平成23年6月4日

 来年発売予定の雑木の住空間作りの本の撮影のため、昨日は3件の庭の撮影に立ち会いました。

 

 東京都江戸川区Uさんの家、ダイニングから見た庭の様子です。室内から見ると窓枠がフレームとなって景色を切り取り、まるで美しい絵画のようです。
 私たちは造った庭の手入れのために、毎年お客様の庭を訪れますが、こうしてじっくりと家の中から庭を見ることができるのは撮影の時くらいです。
 そこに住むお客さんが毎日見る光景、室内からの庭はまさにそこに住む家族だけの日常の風景となります。



 Uさんの家の2階ベランダから見下ろした庭の景。この光景はUさんお気に入りの景色だそうです。
 二階から見ると庭の構成がよくわかります。



そしてここは、埼玉県飯能市sさんの住まい、和室の窓からみた庭の様子です。清涼な緑の掛け軸と言ったところでしょうか。



 そして、sさん宅の2階窓からの景色です。雑木の枝葉が連なって、森の中の住まいの落ち着きが感じられます。
 2階窓からの景色つくりも、私の雑木の庭では大切な設計要素となります。



 そして今日はまた、千葉県鴨川市Tさんの住環境の植栽です。
 住まいの外空間をつくるということ、そこに住む方の長年にわたる日常風景をつくるのが私たちの仕事だと思うと、実に責任重大な仕事だと、改めて実感します。
 だからこそ、どんな庭造りでも、私に妥協は許されません。
 庭つくりは一期一会です。住まれる方の心を癒せる庭、常に全力で造らねばなりません。

 そう思うからこそ、私に休みはありません。少しきついっす。
 長らく首を長くしてお待ちくださっていらっしゃるお客様、どうかお許しくださいませ。今しばらく、、、お待ちくださいませ。




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父の四十九日、新緑の雑木林の中で  平成23年4月17日

 日に日に新緑深まる中、今日は亡父の四十九日です。
父は無宗教での葬儀埋葬を望んでいたため、四十九日の法要も実家に家族のみが集まって、故人をしのびました。



 法要の後は食事会です。皆で歩いて、森の中の料亭に向かいます。田んぼの縁には雑木林が続きます。
 30年以上前、ここは私の幼少時代の遊び場でした。
 当時の美しい里山の光景が忘れられなかったがゆえに、私は今、雑木の住空間を提案し続けているといっても過言ではないと思います。。



 そして、この里山の一角に、爽やかな風情の料亭があります。この道はすでに料亭の敷地内です。周囲の里山の風情の中に、この敷地を見事に一体化しています。付近の雑木林を歩いてくると、いつの間にか敷地内に迷い込んでいたような印象があります。



 駐車場から雑木林の中のアプローチを登り、丘の上の料亭にたどり着きます。新緑を通過した優しい日差しの下、森の中の清々しい空気に包まれます。



料亭の中から見た丘の上の庭の様子。



心地よい雑木の明るい庭を子供たちが走り回ります。

 懐石料亭といっても、ここには料亭によくある格式高い重苦しい雰囲気はありません。
 さりげなく、自然で、そして周囲の風土に溶け込む、軽やかで和む空間がここに広がっています。
 こんな庭の在り方が雑木の庭の良さだと、しみじみ感じます。



 庭園内の回遊路。



駐車場へと下る道沿いの雑木林。この土地にもともとあった雑木林を活かして造られています。



 駐車場周辺の雑木林。どこまでが敷地でどこからが周囲の里山なのか、遠目には区別がつきません。
 素晴らしいロケーションを活かす人の心と感性が、このような心地よい料亭の庭空間を作り上げました。

 春の日差しに清らかな新緑、この時期は日ごと緑が深まり、躍動感あふれる感動的な季節です。
  
 

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生まれ故郷の雑木林    平成23年3月26日
 私の住まいから、生まれ育った実家まで車で15分、これほど近くに住んでいれば普通なら生まれ故郷とは言わないかもしれません。
 それでも私にとって故郷は故郷、実家周辺の雰囲気に子供の頃の心象風景を思い出し、いつも懐かしさを感じます。
 実家は40年近く前に分譲された住宅地にあります。



 この分譲地はかつて、なだらかな丘陵地を削って造られたようで、当時は地層がむき出しの削られたままの崖面が分譲地の際を囲んでいました。
 当時は赤土むき出しの崖だったところが、40年たった今、雑木の斜面林へと見事な変貌を遂げていました。
 ここがまだ赤土の崖だった頃、足掛けの穴を掘って登ったり、滑ったりして遊んだものです。
 それが今、森になっているのです。雑木の林床には様々な常緑樹が進入し、次の森への遷移の機会をうかがっているようです。



そしてこの崖の上、子供のころに遊んだ雑木林に踏み入ってみました。



 かつての森の深さはありませんが、今でも昔の雑木林が点々と残っていました。林内は背丈以上の笹や棕櫚、ヤツデなどに覆われています。
 私が子供の頃、30年以上前は、雑木林は子供の遊び場でした。当時の林床はきれいに草刈りされて、林内を駆けまわれたものです。虫を追いかけ、木の上に小屋をつくり、地面に洞窟を掘って基地をつくった。
 農村の暮らしと森とが密接にかかわっていた時代の名残があったのでしょう。

 今、森で遊ぶ子供の姿は見られません。
今となっては思い出の中の光景です。実際、私たちの今の生活が森から離れて成り立っているので、仕方ないことかもしれません。

 森遊び、楽しかった思い出です。今も同じようなことを私はし続けているのかもしれません。

 

 
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友人 藤倉陽一の作庭    平成23年3月24日
 昨日、小金井市のお客様の家に下見ついでに、私の友人、藤倉さん(藤倉造園設計事務所)の新作拝見させてもらいました。



 落葉樹がまだ葉をつけていない時期であるにもかかわらず、庭はとても爽やかで、ここにずっといたくなるような雰囲気に驚きました。しかも、あっさりした仕上げであるにもかかわらず、完成度が高く、随所に藤倉流の遊び心が散りばめられています。 



 テラスの材料には黒土や赤土を配合して、土のぬくもりを引き出そうとしているようです。
 細部にわたるさまざまな工夫と努力が、庭を面白く美しく見せるのでしょう。
 庭の面積にしては大きいと思えるメインテラスも十分に潤い深い空間としてなじませていて、それがまた、庭を心地よい空間とする上で非常に活かされてきます。
 素材の吟味、形状の吟味が生み出す本物の美しさがこの空間に宿っていました。



 完成直後とは思えないほどに、足元の景はなじんでいます。すごいです。
 レンガの際の処理、黒土を配合した洗い出し仕上げの表情、様々な素材を組み合わせつつも、すべてを調和させてしまうセンスの良さ、そして控えめながらも的確な下草のあしらい、すべてが本当にすばらしく、私はこの小さな庭に、時間を忘れて飽きずに見とれてしまいました。



 この庭の景を引き締める主景となるのが、テラスの先の井戸ポンプです。飾りではなく、実用です。その収め方、周囲の景のまとめ方も見事でした。
 葉をつけていない時期という事もありますが、私の写真ではこの庭の良さの100分の1も伝えきれていません。
 「写真がうまくとれなくて藤倉さんごめん。。。」といったところですが、実際に見なければわからないのが庭というものです。よい庭は必ず、写真では表現しきれないものがあります。

 藤倉さんの最新作、同業の友人であり、わたしにとっての大きなライバルである作庭者が、ますます進化してゆく様子を目の当たりにして、「さて、自分をうかうかしていられない」と、悔しさ半分、本当によい刺激になりました。
 人のつくった庭、庭に対する考え方は自分と違っても、今回のように本当に素晴らしい庭に接する度に、「庭って何だろう」という疑問が湧いてきます。そして、その余韻は何日も続きます。

 そして、今日は、昨日の刺激を噛みしめながら、地元での造園工事に没頭しました。
 

 ウッドデッキや水栓、雑木高木植栽が終わって庭の骨格が見えはじめたところです。
レベルの高い友人の作庭に刺激を受けて、さて、私ももっともっとよい庭を目指して頑張らないといけません。

藤倉造園の皆さま、朝の忙しい時間に突然おじゃましてすいませんでした。

 

 
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明治神宮の森にて      平成23年2月27日
 師匠の次男の結婚式参列のため都内を訪れたついでに、明治神宮の森に足を運びました。


 常緑広葉樹主体のこの森の造営は、今からちょうど100年前の明治天皇崩御にさかのぼります。
 そして、この森の植栽が終了したのが大正9年(1920年)のことですから、森の造営後、90年の年月が経過したことになります。
 高木層には、東京本来の自然林の高木層構成樹種である、シイ、カシ、クスといった常緑広葉樹が優先し、そこにサワラやマツなどの針葉樹、ケヤキやハリギリなどの落葉広葉樹が混在しています。


 大正時代初期、驚くほど先進的な鎮守の森の造営計画によって、本来の東京の風土に適した自然に近いこの森がここに今、実現しているのです。
 まさに、百年の計というべき、素晴らしい先見性のたまものです。
 この森を造営する際の基本方針は、常に大木が鬱蒼とし、人の手による植林ではなく、天然の更新によって永久に繁茂する森を育てるというものであったようです。つまり、ここに永遠の森を造ろうとしたのです。
 今、この森は自然の力関係にしたがって移り変わり、そして今も東京の風土本来の自然の森へと近づき続けています。



 明治神宮御苑にて。
 大正時代、東京に新たな鎮守の森がここに造られました。

 この森の計画を主導したのは、明治期に近代日本で初めての都市公園である日比谷公園を設計した、本多静六林学博士でした。
 本多博士は、当時としては信じがたい程の先見の明を持った、稀代の林学者でした。
 この土地本来の常緑広葉樹林を造ろうとされた本多博士の提案に反対したのが、当時の内務大臣、大隈重信でした。ひらすら西欧諸国の文明を取り入れようとした大隈は、西欧庭園のように整然とした、杉などの針葉樹をこの森の主木とすることを主張したのです。
 これに対して本多博士は、東京の地の気候風土や生態学的観点から、杉などの常緑針葉樹では、この地においての永遠の森は作れないということを論理的かつ根気よく説明され、そしてここに永遠の森が誕生したのです。

 本多博士の先見性を考える時、私は彼が、当時東京の自然林の多くを占めていた、落葉広葉樹主体の武蔵野の雑木林ではなくて、この土地本来の自然林である常緑広葉樹の森を最終形として計画されたことに、大変な驚きと敬意を覚えます。
 落葉広葉樹主体の雑木林は、東京では人との関わりによって初めて維持される森であって、人の手を離れて永遠にその姿を保つものではありません。
 100年後、200年後の森の姿を見据えて、風土本来の森をここに造ろうとされたことは、世界的にも大変貴重な、まさに快挙ではないかと思います。
 
 100年近くも前に、このような素晴らしい都市緑地計画がなされたにも関わらず、今の都市緑地計画の多くは、生態学的な視点もなければ、「人の手をあまりかけずとも良好に維持される緑」という考え方もありません。
 100年間、都市緑化に関しては全く進歩していないどころか、退化の果てのあげく、それで安住してしまったというのが現実のように思います。

 さて、これからは自然と人間の共生、本来の自然といった大局に立って、自然を拒絶しない永続的な都市計画を確立していかねばなりません。
 こうした時代のニーズに答えられる造園が育たねばなりません。私自身、その一角を担うことができるよう、さらに努力を重ねなければと思います。
 
 明治神宮の森、志を新たにさせられたひと時でした。

 
 
 
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