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雑木の庭つくり日記

富山 植生調査と散居村見学の旅      平成24年9月25日



 ここは、富山県、庄川上流の集落。清浄な山並に包まれた美しい山村は昔も今も変わることがなく、人が健康で心豊かに生きてゆくための、あるべき姿を感じさせられます。
 立山連峰の豊かな自然と水の恵みを受けて、ここ富山には自然と人との素晴らしい共生の名残が今も見られます。

 先週、日本海側の植生踏査と屋敷林の見学のため、富山を訪ねました。



 ここは旧北陸道最大の難所、親不知の断崖絶壁付近の海岸です。海岸付近に岩壁が落ち込み、山から運ばれてきた岩が波に打たれて艶やかに丸みを帯び、波が引くたびに「カラカラカラ」と、石が転がる独特の音が響きます。

 フォッサマグナと呼ばれる世界最大級の地殻構造線がこの付近で始まり、それが日本列島を西日本と東日本とに分断しています。
 この海岸はヒスイ海岸と呼ばれ、縄文時代にはここで採取されたヒスイが日本海航路を流通し、北は青森南は九州まで、日本海側を中心に全国の縄文遺跡から発掘されています。

 約5億年前に地中深くで生まれたヒスイ、フォッサマグナの大規模な地殻変動によって押し上げられ、そして海岸に流れ着き、そしてこの地がはるか縄文時代の交易の拠点となったようです。



 海岸沿いには見事なクロマツの防潮林が延々と続きます。



 この見事な防潮林が風雪や潮風から海岸沿いの暮らしを守ってきたのです。江戸時代、加賀藩による防潮林の整備の名残の景色と言えるでしょう。
 数百年の時を見据えて健全に育ち、後世長きにわたってその土地の暮らしを守るべく、造営されたかつての防潮林、木々は時間をかけて育ち、何代にもわたって暮らしの環境を守ります。
 こうした先人の知恵と営みが、美しく住みよい日本を作ってきたのです。

 しかしそれはかつてのこと、目先のことしか考えずに造営される現在の浅はかな緑化の考え方とは、その思想の深さも尊さも、まったく正反対です。



 そしてここは 富山県朝日町、貴重な植生が今も残る樹叢を抱える、海岸に面した鹿島神社の森です。



 この森は、宮崎鹿島樹叢と呼ばれる、植生的に大変貴重な原生林です。今回の旅の目的の一つは、暖温帯気候域の北限植生とも言えるこの森を見ることにありました。
 スダジイ、アカガシ、ウラジロガシ、タブノキなど、暖温帯気候域の高木樹種が立派な森を構成していて、これより北にはこれほど立派な暖温帯林は見られません。



 高木層をスダジイが占有し、そしてその下には常緑落葉混交の、大変多様な植物が共存しています。
 スダジイの純林も、ここが北限の地となります。



 関東ではみられることの少ないアカガシの老木。幹が裂けて皮一枚となってもなお、大木の命を生き生きと繋いでいます。



 樹高20mにも達するカラズザンショウの大木。日向でしか生育できないこの樹種は、大木が朽ちてにわかに光が差し込むとき、いち早く成長して森を修復します。
 寿命の短く、森の成熟につれて次第に消えてゆく宿命の早生樹種と言われるこのような樹種も、森の健康を維持するために必要なのです。
 森が豊かであれば、たくさんの種類の小鳥や虫が訪れます。この森には200種類を超える小鳥が訪れると言います。こうした小鳥が運ぶ種子が、森の健全な生態系維持に欠かせないのでしょう。森が深く豊かであればこそ、こうした健全性が維持されます。



 冷温帯気候域で生育するコハウチワカエデも、この樹叢の中で元気に生育しています。
 シイノキ林の下にコハウチワカエデとは、この森ならではの光景です。



チドリノキに・・



クマノミズキ。樹種を挙げれば数知れず、



 成熟した常緑樹の森の林床も非常に豊かで、多様で貴重な植物に富んでいます。
やはり、フモトシダやトウゴクシダマメシダ、ツルシキミなど、暖温帯性の林床植物が多く、シロヤマシダなどはこの辺りが北限となっているようです。
 それにしても、豊かな森です。



 そして、樹叢に隣接する杉林も、多様で豊かな森となっています。人工林の杉林も、健全に育って大木になれば、多様な生き物の生育するとても豊かな森となるのです。

 私の師匠の一人、奥多摩在住の尊敬すべき林業家、田中惣次氏が、若き日の私に語ってくれた言葉を今、思い出します。あれは20年以上も前のこと。

「俺の理想の森は、巨木となった杉の森なんだ。太くなってまばらになった杉林の中は明るくて、いろんな生き物がいて、それこそ林床にはいろいろな植物が共存している。環境と生産の両立、そんな森つくりが俺の理想なんだ。」

この森にたたずみ、かつての師匠の心を身近に感じます。



 小高い丘に登り、砺波平野を見下ろします。田んぼの中に樹木の緑が点在して、独特の風景が見られます。
 点在する緑は、屋敷林です。庄川の扇状地 ここ砺波平野ではこうした屋敷林のことをカイニョと呼んでいます。



 カイニョに囲まれた田んぼの中の家屋の様子。こうして点在する村落の形態を、家屋が集まって佇む「集落」に対して、「散居村」と言います。
 砺波平野の散居村は、見事な屋敷林と一体になって佇む姿でとても有名です。

 庄川の氾濫原だったこの地が豊かな水田として開拓されたのは江戸時代、加賀藩制の下で進められました。
 雄大な飛騨山脈に端を発する豊かな水に恵まれ、水田の管理の都合がよいように、各農家は自前の田んぼのそばに家を建て、そして周囲に屋敷林をめぐらせたのです。



 この地に特徴的なアズマダテと呼ばれる民家。加賀の武家屋敷に端を発する家屋の作りで、この地の多くの民家は東の切妻側に玄関を設けています。
 そして、南側と西側に、杉を中心にカシ、ケヤキなどの高木が配されます。
 地下水位の高い扇状地の田んぼに囲まれた屋敷林の樹種として、水を好む杉の木はとても適していたのでしょう。

 この屋敷林が、風雪や夏の暑さから住まいの環境を守ってきたのです。
 この地域では常に西風が卓越し、また春には井波風と呼ばれる南からの強風が吹き荒れます。西と南に集中的に配した高木林が、こうした風から住まいを守るのです。



 この屋敷森を南西側から見ると、こんもりとした森の塊に見えます。樹木の防風効果は、風上側で樹高の5倍、風下側では樹高の20倍にも及ぶと言います。
 100m程度の間隔で点在する屋敷林の存在は、単にその家を風から守るだけでなく、平野全体の強風を緩和してきたのです。

 杉が多いのは扇状地の環境と気候に適応する樹種というだけでなく、落枝が貴重な薪となり、採暖と炊事の用に供され、さらには建て替えの際の家屋の建築材料としても有益に活かされてきました。
「家は打ってもカイニョは売るな。」という言葉がこの地にありますが、大きく豊かな屋敷林は先祖代々大切に守り育てられてきて、この地の人々の暮らしと共にあったのです。



そしてこれはまた別の屋敷、東側です。北側にはケヤキ、エノキなどの落葉高木、風下側の方位になる東側には、下記やクリ、そしてビワなど、果物花木が植えられているケースがよく見られます。
 豊かで楽しげな暮らしぶりを感じる木々の在り様です。



 カイニョに囲まれた民家には、今や空き家も多く見られます。空き家となったカイニョは、杉の木の下に様々な自然樹木が進入し、そのまま豊かな自然林へと推移しているようです。



 この空家の敷地内に入ると、それでも中は広く、明るく広々とした木陰の空間が広がっています。
 外から見ると圧倒的な森、そして中に入ると快適で広々とした空間、なんか、私が目指す現代の庭のようです。温故知新とはこのことです。

 砺波散村地域研究所が実施した、散居村住民アンケートの結果、散居村の生活がよいと答えた人は8割以上に及びました。そして、「家族で今後も屋敷林を育てていきたい」と答えた住人も8割近くに及んだのです。
 その長所として、最も多かった答えが夏の涼しさというものでした。「どんなに猛暑でも、夏涼しくてクーラーが要らない。」と言います。
 フェーン現象による熱風の流れる日本海側の扇状地においてでさえ、エアコンなしで涼しく過ごせるのですから、こうした圧倒的な木々の効果には改めて驚かされます。

 こうした木々の効果をこれからの街づくりに生かしていけば、街はどれほど快適で、人の心はどれほど豊かに潤うことでしょう。
  現代社会はどれほど無駄なエネルギーを消費し続けていることか、 多くの人にそのことに気づいてもらいたいと思ってやみません。



 起伏に乏しい単調な平野も、豊かな屋敷林が点々と連なると、心地よく美しい風景が生まれます。
 この地の在り様、散居村に住む人の在り様が、心豊かな暮らしの在り方、心の在り方を訴えかけているようです。
 しかしながら、美しいカイニョの風景も、実際には徐々に壊れてきています。



 砺波平野もいたるところで田んぼが埋められ、こんな殺風景な住宅があちこちで立ち並んできました。
 高気密のこうした家では風よけの木々も必要ないというのでしょうか。エアコンなくして住むことのできない劣悪な住環境が、素晴らしい散居村を蝕みつつあります。



 田んぼの中のアパートにも、木一本ありません。風雪や猛暑の熱射をまともに受けるこうした住環境は人の心も蝕んでしまうようです。



 ぶつ切りにされた砺波市内のケヤキの街路樹。
現代社会はなんと愚かなものでしょうか。この地にありながら、長い時間をかけて美しく豊かな住環境を作り上げてきた先人の知恵を、なぜ実際の街つくりに生かせないのでしょうか。



 緑のない、劣悪な街の風景。こんな環境を誰が愛せるというのでしょう。そして、そこに住む人やそこで育つ子供たちに愛されない街にどんな未来があるというのでしょう。 
 こうした景色に接するたびに、怒りと共に反骨のエネルギーが湧きあがります。



 この旅の締めくくりは、合掌つくり民家の里、五箇山相倉集落です。稲刈りを終えた秋の光景に、素晴らしい日本の風土を胸いっぱいに吸い込みます。



 しつこい暑さがようやくゆるんだかと思うと、ススキの穂が秋の訪れを伝えます。



山々に囲まれて、時間が止まったような相倉の集落。
日本という国はなんと恵まれた風土なのでしょう。なんと豊かな国なのでしょう。
後世のため、私たちの子孫のため、こんな素晴らしい環境と本当の豊かな心を伝えていかねばなりません。



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樹木の偉大な力   鹿島神宮にて     平成24年9月8日



 ここは常陸国、東国三社の一つ、鹿島神宮の境内です。境内の森は、この地に古来から続く貴重な森の姿を今に残し、700種以上と言われる植物がこの地で共存しています。
 打ち合わせのために鹿島を訪れ、そしてこの素晴らしい貴重な森を訪ねました。



 杉やモミ、カヤなどの針葉樹大高木と、スダジイ、タブノキ、カシノキなどの常緑樹高木とがそれぞれ巨木となって階層を作る、とても豊かな森です。
 こんな森が失われたら、再生できるまでに数百年は必要です。
 いいえ、温暖化が急速に進むこれからの時代、東日本太平洋岸の暖温帯気候域の極相となる針葉樹広葉樹混交の森がここまで見事な階層を作ることは今後はあり得ないかもしれません。
 豊かな森は数百年以上の年月が育みます。そう考えると今ある豊かな森は未来のために絶対に残していかねばならないと感じます。



 豊かな森では、常に森の中の世代交代が活発に進行して、とても賑やかな林床の様相を見せます。
 常緑樹の森は暗くて生態系に乏しい印象を持つ人も多いと思いますが、それは人による攪乱や植林、余計な介入を受けて乱れた状態の場合であり、安定した森はこうして非常に豊かな状態になるのが、日本の気候環境下でのこうした森の素晴らしさです。

 林床では様々な植物が密生してせめぎ合い、共存し、そして光環境が変化して自分が大きく伸長できる機会が訪れる日を、今か今かと根気よく待っているようです。



林床に密生するカシノキの幼苗。こうしてどんぐりが落ちて多数の芽を出し、そして競合しながら淘汰されていき、生き残った木々も、上部空間を占める高木が倒れて空間が開けるのを待ち続けます。
 自然に更新される安定した森はこうしていつまでも豊かな森を維持し続けていきます。



 多様性豊かな本物の森は、「多種類の生き物が全体で作る緩やかな有機体」、先日、稀代の植物生態学者、宮脇昭先生が私にそう話してくださいました。

 杉の巨木に抱き着くように、シイノキとカシノキが高さ20mの樹冠を作っています。杉は高さ30mくらいですので、この一体化した3本だけで、常緑樹広葉樹混交林の階層群落の上層部を構成しています。杉の根元に守られて、これらの2本が育ってきたのでしょう。



 根元では、杉の木の懐深くにカシノキが抱かれて育てられているようです。
 木々はこうして共存し、森の環境をみんなで作っていくのです。



 ぜひ知っていただきたいことは、木々は人間とも共存しようとするという事実です。
 古くからの参道脇のシイノキの根です。しっかりと参道をよけて太い根を自らかわし、道を犯しません。



 参道側に傾く巨木の幹を支えねばならないこんな木でも、参道際の石の見切りを犯すことなく、山側に根をかわしています。



 杉の根も同様、太い根を左に撒いて、参道を避けています。



そして、暖温帯最強の根圧とも言われるタブノキの巨木の根でさえ、人が抱えられる程度の大きさの間知石を積んだだけの土留めを壊すことなく、根をかわしているのです。
 この傾いた幹を支えるのに、石積み側に根を出したいところでしょうが、それを我慢してくれているのです。

 私たち人間のスケールをはるかに超える人生経験(樹生経験?)豊かな巨木たちは、いろんなことが分かっていて、賢く優しく、知恵に富んでいます。
 人がこの森を神の宿る森として大切にしていることを感じているのでしょう。だから、こうして人とも共存しようとしてくれるのでしょう。

 「街路樹の根が道路や縁石や配管を壊すから困る」などという人がいます。そんな話を聞くと、いつも私は思います。
 それでは、あなたは街路樹の気持ちを考えたことがあるのでしょうか。
 あんな熱い道路沿いに無理やり連れて行かれて、しかも共に生きる仲間もいない。
 その上、十分に根を伸ばす環境も与えてもらえず、しかも落ち葉が邪魔だと、手足をばさばさ切られてしまう。
 愛されずに邪魔者扱いされる。
 そんな扱いをされた木々が、どうして人と共存しようと思うでしょうか。どうして優しくなれるでしょうか。
 木を扱う人間が木に愛情を注がないから、木もやむを得ず道路を壊して生き抜こうとするのでしょう。
 木々の気持ちを考えて大切にすれば、木々も共存しようとすることは、わずか20年程度の私の造園経験の中でも、これだけは確信を持って言えます。

 街路樹を植える人たちに是非考えていただきたいと思います。
 あんな劣悪な環境で、決して健康に生きていけないくらいの狭い植枡に木を植えるのであれば、せめてできる限り深くまで土を改善してあげるくらいの優しさを持てずにどうして木々が心開いてくれるでしょう。

 自分が植えた街路樹に毎日語りかけて欲しい。

「こんな場所に植えてごめんな。でも、ここに来てくれたおかげで木陰ができて、潤いのなかった街に潤いが生まれ、人が助かっている。ありがとう。でも、ごめんな。大切にするから。できるだけのことはするから、許してくれ。」

と、毎日頭を下げて欲しい。

 木はすべての生き物と共存したいのです。大切にしてくれる人間に歩み寄ってくれるのです。
我々が木々の恩恵を得たいのであれば、木々を愛し、大切に活かそうとする心がけが欠かせないのではないでしょうか。


 
 鹿島神宮の山門脇、樹高30m以上の杉の巨木の真ん中から、なんとシイノキの太い幹が枝葉を広げていました。



 杉の懐に抱かれるように、太くなったシイノキが健全に生きています。きっと、杉の幹の中腹にできた、ウロと呼ばれる穴に落ち葉が溜まって土になり、シイノキのどんぐりがそこで芽吹いたのでしょう。

 針葉樹の杉と広葉樹のシイノキ、維管束の形態もまったく異なり、こうした異種の樹種の根や幹は癒合することはないと考えるのが机上の一般論かもしれません。しかし、仲良く抱き合い癒合することもあることを、木を愛し、実際に見ている人たちは知っています。
 このシイノキの根は杉の胎内に根を張っているのか、あるいは杉の胎内の空洞を通して根を大地に降ろしているのか、それは分かりません。
 しかし、こうして仲睦ましく、杉が自分の胎内のシイノキを抱いて守り、生かしていることは確かです。そして、抱かれたシイノキも杉を犯すことを決してしないのでしょう。

 「懐が深い」そんな言葉があります。
 木々を見ていると、自分の懐の小ささに恥じ入る思いに駆られます。せめて、木に対するときくらいは懐深く、優しくありたいものです。。

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数千年の環境林をつくる、かつての知恵     平成24年9月6日
 ここ1週間、とある小さな仕事のプレゼンのため、植栽後の健康な根の成長のための盛土や土壌改良における、昔の日本人の素晴らしい知恵や工法について、どう説明しようか、そればかり考えていました。
 木は数百年、そして森は数千年の時を超えて、私たちの過去、現在、そして遠い未来にいたるまで、気の遠くなるような長い時間を超えて、我々生き物の命を支えてくれるのが木々というものです。
 かつての日本人は、住まいを守る屋敷森や社寺仏閣などの神域を守る鎮守の森、通行を守る街道並木など、それこそ子孫代々にまで存続して暮らしの環境を守り続ける永続的で健康な森を作りうるだけの知恵が、かつてはありました。

 こうした素晴らしい経験的知恵は、今の街の緑化には全く生かされていないように感じます。
 めまぐるしく移り変わる現代、自分の世代だけではなく、子供達や孫たちに至るまでの将来長きにわたって快適に暮らせる美しい街を作るために、将来も健全に育ってゆくという視点で街の緑化がなされることが、今はほとんどないようです。
 そればかりか、街の木が大きくなれば将来の街の再開発の際に邪魔になるという発想もあるのではとも感じます。
 こんな考え、こんな世の中で、愛される美しい街など生まれるはずがありません。
木や森は、数百年、数千年の時を見据えて造営されねば、本当に豊かで深く、命を守る自然や、温かみのある愛される街の風景も決して育っていきません。

 数百年、数千年の木々の命をまっとうさせるためにはどうしたらよいか、かつての素晴らしい知恵をここで紹介したいと思います。



 これは千葉県印西市、吉高のオオザクラで、推定樹齢300年以上、枝幅は25m近くに及びます。
 江戸時代から変わらぬようなのどかな農村風景の中、1本の枝葉だけで樹林を作ってしまうほどの圧倒的なスケールに成長したこの木は、市の天然記念物に指定されています。



 根元を見ると、周囲より1m以上小高いマウンドが盛られており、そしてその上にこの桜が育っていたのです。マウンドの上には古い祠があります。
 ここは代々この土地の所有者、須藤家の氏神として塚状に盛られており、そしてその上に、氏神を守るための記念樹的に、苗木が植えられたのでしょう。
 かつてはこうした盛土の際、畑の造成などで出てきた石や古瓦、切株などを混ぜながら、ほっこらと盛り上げていったようです。
 ダンプなどの大型土木機械や運搬車両などのない当時、現在のように土をどこかから運んできて盛り上げるということはほとんどありません。
 植栽予定地の土中をふかく穴を掘り、そこに廃材や不要な石などを漉き込みながら掘り上げた土を埋め戻し、ほっこらと盛り上げていったのでした。
 祠(ほこら)の語源はきっと、「ふっくら」「ほっこら」と言った、この盛り上げたマウンドの様子から言われるようになったのではないかと思います。

  こうして作られたマウンドは、土中にたくさんの空隙が生まれ、根の生育のために必要な酸素が地中深くまで入り込める土壌環境となるのです。

 樹木の健康や地上部の成長は、根(根系)の状態によります。根系が健全で深部にまで根が張りめぐらされて来なければ、本来大きくなるはずの樹種であっても、一定以上の大きさになると枝先が枯れて、それ以上大きくなれなくなります。また、根が健全でなければ、ある程度の大きさ以上になった樹体を支えることができなくなり、大風などの度に浅い根がちぎられて徐々に衰退し、やがて病虫害の集中攻撃を受けて枯死してしまうのです。



 これは千葉県九十九里浜沿いの低地に、防潮林として植栽されたクロマツ樹林です。クロマツが潮風に強いという理由で、数十年前から植栽され続けてきましたが、次々に枯れて、今や無残な状態となっています。
 これは海辺の低地で地下水位が高いこの地では、クロマツの根系は深部にまでは伸びていけないのです。
 若いうちは健全な成長を見せるのですが、その木々にとっての根の発育条件が悪いと、一定以上の大きさになる前に衰弱し、そして病虫害に侵されて、その寿命をまっとうすることなく、枯死してゆくのです。
 何のための防災林なのでしょうか。これでは木も可哀そうです。



 千葉県印西市、平安時代からこの地に鎮座してきた松虫寺の外周環境林跡です。
お寺を守る外周林を作るために、この土手が盛られたのはおそらく江戸時代ではないかと思います。切株や石を混ぜながら土を盛り上げ、まずは根系の健康な生育条件を作るのです。
 後世長きにわたって街を守る豊かな環境林を作るために、かつては当たり前のようにこうした盛土がなされたのです。
 
 かつての平地の屋敷森でも土塁を盛り上げて、そこにその土地本来の樹種の、どんぐりや苗木を密植してゆくのです。
 そして、木々の成長に応じて間引きしながら、育てていきます。間引いた木の切り株はそのまま残すのです。この切株が徐々に腐り、土中に有機物をじわじわと供給しながら深くまで空洞を作ります。そしてその空洞には残された樹木の根が集中して取り付きます。そこには表土から伝った栄養に富む水分や空気があるからです。
 間引きした後の切株も、健全な環境林を育てるために重要な役割を担うのです。



 そしてこの土手の端には、かつての外周環境林の名残であるシイノキの古木が残っています。
盛られた環境ゆえに、おそらく数百年という年月を生きてきたのでしょうが、根の腐植が進み、地上部まで空洞が達しています。シイノキの寿命は本来もっとはるかに長いのですが、周囲の他の木が切られて孤立したことや、すぐ近くに道路が舗装されて根が傷みつけられたことで、数百年の古木も急速に痛んでくるようです。



 長い歴史と共に生きてきた美しい農村では、今も道脇にほっこらと盛られた祠や巨木が残ります。
 このシイノキも、祠のあるマウンドに落ちた実生が健全に育ち、そしてここまでの大木になったのでしょう。いまは祠を守る神木として残されているようですが、かつては根の生育環境の整ったマウンドに落ちた一粒のどんぐりだったことでしょう。



 これは江戸時代初期に造成された古道、箱根旧街道です。山の中腹を回り込むように石畳の道が作られ、そしてその道を土砂災害から守るために、道沿いの谷側(写真左側)に土盛りがなされ、そこに街道を守る環境保全林として今も残る古道の並木が造られたのです。



 これは箱根古道の石畳と並木造成のために盛り上げられたマウンドの断面図です。
土盛りは道を造成する際に出てきた石を土と混ぜながら積み上げて、そしてその上に苗木を密植するのです。
 植栽直後はおそらく、マウンドの土が流れないように表面に稲藁を敷いて保護したことでしょう。ほっこらと盛られて根の生育条件が整えられたこうした土手に密植された苗木たちは、急速に根を張り巡らせて、数年で表土流亡がなくなります。林床に進入してきた様々な植物もまた、土手の保護に欠かせない役割を果たします。
 そして、10数年もすれば、すでに地中2m程度の深根を張りめぐらせて、その後数百年と永続的に山道を守り続けるのです。
 素晴らしき知恵。
 かつての何気ない知恵の素晴らしさ、数百年数千年の森を育てて暮らしを守る、そんな発想が今こそ必要な時ではないでしょうか。



 これは千葉市内の臨海公園の並木です。風当たりの強い海辺に、十分な土壌環境改善を施さず、その上まばらに植栽されてもなかなか良い状態にはなりません。公園内の大方の木々は、写真のように頭の先端が枯れています。
 こうした場所こそ、地中深くから土中空隙を残しながらほっこらとマウンドを盛り上げて根の生育条件を整え、そして苗木を密植して間引きしながら育ててゆくことが大切です。
 間引きした木の根が、土中をさらに改良し、残された木々の根は切株を伝って土中にしみ込む空気や水を得て、健全な根の生育環境がさらに促進されるのです。
 そして間引きした伐採木は、燃やしてしまうのではなく、乾燥させて次の植栽マウンド造成の際に漉き込むことで、次の樹木生育環境が生まれます。



 潮風に強いとされるマテバシイでさえ、海風をまともに受ける場所に1本だけで移植されればこうして枝先は枯れ、まるで幹を守るように数多くの枝葉が幹元から芽吹きます。
 生きるか死ぬかの瀬戸際で、この木が樹勢を回復するには相当の年月が必要なことでしょう。



 これは京都知恩院参道脇の環境保全林です。これも元は江戸時代の造成です。
参道を守るように、やはり石や切株、廃瓦などの廃材を土と混ぜながら盛り上げ、石積みによって土留めがなされて苗木を植え付けられ、現在に至ります。
 かつては数百年の未来を見据えて、こうして環境林が造成されたのです。
 現代だけでなく将来末永きにわたって暮らしを守る木々を育てるという、その発想がなければ、本物の環境林も風格のある美しい街も育まれようがありません。未来永劫の財産となるのが、こうした木々であり、現在だけのものではないのです。
 石積みはもちろん、数百年の時を超えて永続的に保たれるように積まれます。もちろん、セメントなどない時代ですし、仮にあったとしても、耐久寿命50年程度のコンクリートで作るなどという発想は生まれなかったことでしょう。

 木々を扱うものとして、我々人間のスケールを超えて暮らしの環境を守り続けてくれるという発想が、緑豊かで愛され、心から癒される故郷の街づくりのために、とても大切なことと思います。



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住まいの緑を考える 施工半年後の手入れ    平成24年8月29日



ここは私の地元、千葉市緑区Tさんの住まいです。造園外構施工後、半年が経過し、猛暑に負けずに木々は力強くなじみ始めてきていました。



 外から見ると圧倒的なボリュームの木々の合間の家屋に見えますが、庭に入ると木漏れ日の下の空間が広がっています。これが私たちのつくる、住まいの環境としての庭空間なのです。



 木々によって夏の木陰を上手に配し、そして2階を含めて窓越しに枝葉をかぶせてゆくことによって周囲が気にならない窓の景色をつくります。
 道路から見て、この庭と木々があることで、街の景色が潤います。朝夕にはこの庭の木陰が道路にまで伸びて、涼しさを感じさせてくれます。
 庭を植栽することで街の風景まで美しく潤わせてゆく、これからの街づくりにはそんな視点が大切だと実感します。



 写真右手前の赤い車の家がTさんの家、通りを挟んで連なる家々には緑は少なく、潤いのない暑苦しい景色が連なります。どんな街も家でも、それを包み込んで明暗を作り出す緑がなければ落ち着きは生まれません。
 各家には、この分譲地の開発者であるハウスメーカーが通りごとに指定した「シンボルツリー」なるものが点々と連なっていますが、この殺風景さはどうでしょうか。

 これが、「我が家と街が調和した美しい空間」とか、「統一感のある、ワンランク上の美しい街」など言った宣伝文句を持って分譲されているのですから、おかしなものです。木陰のない街は、日中の日差しを浴びて蓄熱したアスファルトやコンクリートが夜も冷えることなく、一晩中街を温め続けてしまいます。
 高断熱をうたうこうした住宅では、それでも外界を拒絶してエアコンを回せば暮らしていけるでしょう。でも、そんな住まいの環境がいつまで続くのでしょう。不快な外環境を拒絶して潤いのない住環境に、誰が愛着を感じるというのでしょう。



 ハウスメーカーの商売で、口先ばかりの美辞麗句で街を作るのではなく、本当にその街や緑を愛する心ある人たちが積極的に街をよくしていかねば、住みやすい街など育まれるはずがありません。
 緑を愛するTさん夫妻がここに住まれているからこそ、街の一角を潤すこの風景が生まれるのです。
 机上で家や街を設計しようとするハウスメーカーではなく、そこに住まれる人の心が街の風景を育ててゆくのでしょう。








投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
ふるさとの木によるふるさとの森つくり実験  平成24年8月20日



 森つくりの実験実習場として取得した千葉市緑区の山林と農地。整備を初めて2か月、いろいろ建ってきました。



 最初に建てたのがこの、あずまやのような水道小屋です。井戸の冷たくておいしい水が滾々と出てきます。
 我々人間が土地に対して何かをする際、まずは水の確保から始まります。



 そして次に建てたのが、この落ち葉堆肥の発酵小屋です。水道小屋も堆肥小屋の木材はすべて、古い家屋や納屋を解体した古材を再生利用して建てていますので、新築直後からすでに人のぬくもりを感じる味わいがあり、風景を落ち着かせてくれます。



 堆肥小屋に刈り草や伐根したササの根を運び込み、米ぬかやモミガラと混ぜ合わせて灌水します。この畑で発生した刈り草や伐根した根はすべて、この畑の土に返していきます。



 猛暑のさなかに植えた樹木の苗は、今は灌水が欠かせません。冬から春にかけて、これらの苗を用いて、とりあえずこの山林で豊かな森を再生していく予定です。



 敷地にほっこらと、変なものがあります。一見まるで何か埋まっているような、怪しい感じです。
これは、千葉県本来の自然植生樹種の、ポット苗混植による森つくりの実験プロットです。

 このプロットは植えつけ後3週間が経過し、すでに新芽が芽吹いてきました。幼苗のたくましさに感動です。

 その土地本来の樹木苗による森つくりは、宮脇昭氏(財団法人地球環境戦略機関国際生態学センター長 横浜国大名誉教授)によって、日本だけでなく、世界中で実践されています。
 私たちはこの方法による森の再生に大きな可能性を感じており、様々な樹木組み合わせによる森つくりの実験を始めたのです。

ここで、苗木密植による森つくりプロット実験の過程をご紹介します。



3.6m四方の四角いプロットを作ります。



 そして、約1.5mの深さでプロットを採掘します。



 人が入れる深さの大穴です。



掘った穴に、剪定枝や伐採した木の根っこなどを入れていきます。



そして、その上に土をほっこらとかぶせて、攪拌しながら埋め戻します。そしてまた剪定枝をかぶせ、土をかぶせての繰り返しで、有機物の堆積した森林土壌のように通気性の良い土の状態を作っていきます。



 ほっこらと柔らかく盛り上げたマウンドに、樹木のポット苗を密植していきます。
苗は、スダジイ、シラカシ、アラカシ、マテバシイ、ヤマモモ、コナラ、クヌギ、モミジ、アカシデといった、千葉の自然本来の森林植生樹種多数を混ぜながら、植えていきます。



植えつけ後、乾燥防止と雑草防止、土壌環境の育成のため、藁を敷き詰め、麻紐で止めていきます。
 この藁が日照を遮断して土壌を育て、表土の生物環境を守り、そして根が地表に張りめぐらされるまでの間、表土の流亡を防ぎます。



 樹木マウンドが一つできました。変な感じです。が、毎日その変化が楽しめます。
 高く盛り上げたマウンドが土中の滞水を防いで樹木根にとって適した物理的環境を作ります。
また、漉き込んだ剪定枝や伐採根などは通風の良い土壌条件でゆっくりと分解されて、良土となっていき、木々の健全な成長条件が整っていくことでしょう。

 植えた苗は、最初の1年程度は、除草や灌水などの管理作業が必要になりますが、その後は自然の掟に従って競合し淘汰されつつ、最終的には人手を要せずに更新される自立した森となっていきます。
 今回は、千葉の潜在的な森林植生樹種であるシイやカシなどの常緑樹の他に、早く成長して木陰を作るコナラやクヌギなどの里山の早生樹種を多数混ぜました。そのため、最終的に常緑樹主体の千葉の自然植生本来の森にしてゆくためには、おそらく10年後くらいまでにこれらの落葉樹を伐採するという作業が必要になることを想定しています。
 しかし、早く健全な森や土壌状態を作るためには、これらの落葉樹早生樹種の混植が効果的だと、私は思い、今回試してみたのです。
 将来、伐採したコナラやクヌギの幹は、シイタケのホダ木や炭焼きの材料にしようと考えています。



 そして、二つ目の実験プロットは8月18日に誕生しました。これが数年後には高さ5m以上の森になることでしょうから、可能性あふれる風景です。
 剪定枝もそのまま有効に処理できます。

 この手法での森つくりは、工業団地周辺緑化や外周環境林、イオンの外周境界林など、日本国内だけでも様々な場所で実施されています。
 これからの緑化の在り方、それは自然に近く、生態系豊かなその土地本来の自然を再生してゆくことが、これからの人類による開発行為が持続的なものとなるための一つの鍵になることでしょう。

 やりがいのある仕事に、命を燃やします。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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