鴨川の自然と共に暮らす 平成25年4月20日
千葉県鴨川市、大山地区の棚田を見下ろす絶景のカフェ、草soの造園改修工事が数日前に終了しました。
家の周りに木々のない家というものは、どんな素晴らしいロケーションにあれども、長年の暮らしの舞台としては落ち着かないものです。
植栽した木々は、細い幹の若木ばかりですが、これらの木々が家族とともに年月を重ね、ともに成長しつつ、この土地の風土を作ってゆくのです。
敷地内の傾斜地に、植栽工事で発生した残土を盛って棚状の地形を作り、そして回遊路を巡らせました。
回遊路の随所に設けた階段もさりげなく配します。造園的な作り込みはこの地に似合いません。
あくまでさりげなく、作り過ぎず、自然に、この地の風景としてなじませるのです。
木々の合間の階段が、さりげなく景色のポイントとなります。
その土地、その家、そこに住む人たち、その品格にふさわしい外空間の佇まいをつくるためには、当然ながら造園的な技や感覚も必要不可欠です。しかし、それだけでは決して、本当の意味で良い風景にはならないと思います。
大切なことは、その土地やご家族の心と深く向き合い、敬意を持って、家族やその地に相対し、最善とは何かを考え、感じ取り、そして心魂を込めて生み出すことなのだと感じます。
造園という仕事は、風景が生まれる一つのきっかけに過ぎません。
その土地とのご縁を結び、木々を植える。しかし、それが風景として育つまでには時間が必要であり、そしてその地の人たちの愛情が必要です。
悔いのない、風景の種まきができました。30年後、ここには貴重な未来の風景が育っていることでしょう。
やりたいように施工させてくださいましたお施主様、また、造園工事を温かな目で見守ってくださいましたカフェのお客様や地元の皆様、本当にありがとうございました。
草soさんの工事の最終日、近所に移住されて居を構えられたご夫妻の素敵な家を訪ねました。
都心に近く、温暖で自然に恵まれた鴨川市には、自然と共にある暮らしを求めて、魅力的な方々が大勢移り住んでいます。
ここに住まれているのは、ブラジル人のヘジナウドさんと下郷さとみさん、お二人の案内で、隣接する森を訪ねます。
これからこの森をどう育ててゆくべきか、そんな相談を受けて、この地を訪ねたのです。
鴨川の早生林らしく、カラスザンショウ、ミズキ、アカメガシワなどの落葉樹、そしてスダジイ、タブノキ、ヤブニッケイ、モチノキなどの常緑樹とが混交する、ごく若く成長途上の森の様相を見せています。
もともとは生活林として落ち葉採取や薪炭林として利用されてきたようですが、近い過去に伐採等の大きな攪乱があったように感じます。
温暖な鴨川は、コナラなどの落葉高木樹林を形成することなく、ごく早い段階で常緑樹の密生林となる場所が多いようです。
そこには健全な植生遷移を形成できない、樹種の貧困化も感じられます。
自然豊かに見えても、実は種の欠落があちこちで進んでいることに気づかされます。
森をよい方向に誘導しようと思えば、10年から20年後を想定して進める必要があります。
「この森をどう育てようか。」そう問われるヘジナウドさんと下郷さん。
、そんなお二人から、この地に対する深い愛情が伝わってきます。
こんな方々の存在が、その土地に未来の豊かな風土をつくるのでしょう。とてもうれしい気持ちになり、ついつい長居してしまいます。
何か視線を感じるな、と思いきや、馬がこっちを見ています。
与那国島から来た在来馬です。下郷さんが、毎年のお米と引き換えに、与那国島の人から譲り受けてきたと言います。
ヘジナウドさんが自慢げに見せてくれたのが、この馬糞堆肥です。藁と混ぜて積みあげて、それだけで素晴らしい堆肥になると言います。
「馬の餌は田んぼの畔草だけ。それで素晴らしい堆肥の原料をを毎日生産してくれる。」ヘジナウドさんはそう言います。
つまり、道草を食って堆肥を生産する、そんな素晴らしい動物がこの貴重な馬なのです。
藁で土手を囲い、そして真ん中に馬糞を積み上げると、あっという間に発酵が進みます。香ばしい藁の匂いこそすれども、臭みなど全くありません。
半年かけて、馬糞は素晴らしい堆肥に生まれ変わります。
私も剪定枝を堆肥化してますので、良土を作る喜びはよく理解できます。これが命の循環といいうもの、そこには大きな感動があり、そしてそれが人の心に本当のいのちの輝きを宿すのでしょう。
この、のどかで素晴らしい土地も、下郷さんとヘジナウドさんの二人が開墾したのです。
楽園とは、探すものではなく作り出すもの、この土地を拝見しながら、そんなことを想います。
お二人の夢は、果てしなく続きます。今はここに鴨川の豊かな産物を用いたカフェを開くべく、着々と準備を進めています。
8月オープンを目標にしているといいます。
素晴らしい土地、素晴らしい人たち、ここにカフェがオープンすれば、また人がこの土地にたくさん集まります。人が集まればまた何かが始まります。
そうやって、面白いことが循環していくのでしょう。
この土地に、完成したカフェ草soのエントランス風景。
造園工事をさせていただくということは、その土地との縁を結んでいただくということ。出会いが出会いを生み出して、そして私たちの人生も、ますます豊かになってゆくのです。
素晴らしい仕事をさせていただけることに、心から感謝です。
照葉樹林の木々たち 平成24年12月19日
ここは千葉県の南端付近、鴨川市大山不動尊の鎮守の森です。
棚田の風景で有名な大山千枚田の最上部の丘に位置する不動尊の森には、スダジイの純林が見られます。
今日は打ち合わせついでに、この森に足を踏み入れました。
鬱蒼とした深い森の林冠を見上げると、まるでパズルのように空間を分け合うスダジイの枝葉が上空で競争し、光と空間を占有し合っている様子に、力強い生命力が伝わります。
老木が枯死して空間ができればすぐに周囲の高木がそこに枝葉を伸ばして林冠を塞いでしまうのでしょう。
スダジイの巨木。この地に根ざす本物の樹種。
同じスダジイでも、根元の形状は様々です。この参道際のスダジイは、まるで浅根性の樹種のように板根が発達して、大木の幹を支えています。
本来深根性のスダジイは、直根が発達するため、かなりの巨木になっても板根によって幹を支える必要はないのですが、何らかの理由でこの木は直根が伸ばせず、代わりに板根を発達させて巨体を支えて生き延びているようです。
そしてこのスダジイは、樹幹が大きく空洞になってもなお、樹皮の下にバイパスを発達させて元気に命を繋いでいます。
このたくましさ、しぶとさ、これがこの地で勝ち抜き、数百年数千年にも渡って上空を占有する木々の強さというものでしょう。
森のボスとしてスダジイが高木層をほぼ占有するこの森ですが、巨木の大きな樹冠の合間から漏れてこぼれる日差しを拾い、その下層には様々な木々が立体的に空間を分け合い、豊かな森を構成しています。
林床のネズミモチ
ヒサカキ
ヤブニッケイに
イヌマキもこの林床に生育しています。
参道沿いの切株からタブノキが萌芽しています。親木を探すと、、
ありました。暖温帯気候域の照葉樹林の代表的な木、タブノキの大木です。
どっしりと枝葉を広げて、スダジイの森の中にあって力強く、一歩も引かない貫禄で存在感を醸しています。
そして林床にくまなく目を向けると、実生から芽吹いた見慣れない葉が点在しています。
これはバクチノキです。
親木もありました。バクチノキの幹肌です。千葉の森では非常に珍しく、おそらく県内での自生はここ以外にはほとんどないかもしれません。
葉や実の雰囲気から、南国の雰囲気をぷんぷん感じさせます。本来、もう少し南の方に生育するこの木が、千葉県最南部の鎮守の森に取り残されるように、しかしたくましく自生しているのです。
大木となったバクチノキ。歴史の中で、温暖と寒冷の時期の繰り返しの中、ある時期に太平洋沿いを北上してきたバクチノキが、この地に取り残され、そしてその種は、大山不動尊の鎮守の森の生態系の中で、北限の生育地を守り抜いてきたのでしょう。
気候は変動するもの、その中で樹種は森を伝ってその生育範囲を移動させていきます。一方で、都会の中の森のように孤立した森では、種の移動手段が限定されてしまうため、徐々に種が欠落していき、その生態系の多様性も健全性も先細ってしまいます。 北限あるいは南限の樹種が豊富に生き残る地は、生き物にとって本当の意味で豊かな地だと言えるのでしょう。
これは、2週間ほど前に訪ねた熊本県の霧島神宮の宮域林。バクチノキです。南九州にはこの木が森の中に普通に点在して見られます。
この森が、霧島神宮 宮域林の林内です。同じ照葉樹林でありながら、常緑広葉樹の樹種の豊富さに驚きます。
アカガシ。北から南まで、生育範囲は広いのですが、私の地元千葉にはほとんど見られません。
ホソバタブに
イチイガシ。
シリブカガシ。
鹿児島の林床に多く見られるハクサンボクも、千葉には見られません。
これは、霧島神宮の杉の木です。杉の木が大木となって森の最高木層を構成する地域は、多湿で生物的に豊かな土地の証と言えます。
本来は、雨量も多く安定し、霧も発生しやすい沖積平野の豊かな土地であった東京神奈川千葉などは、豊富な樹種にあふれていたことでしょう。都会化した今は、杉の適する土地ではなくなってしまいました。
それはそのまま、私たち人間の本来の生育基盤を貧困化させていることと同義でしょう。
私たちの生育基盤、すべての命の生育基盤である森の多様性と健全性を繋ぐために、なるべく豊富な自然植生樹種を造園や緑化の中でも扱っていかなければ、そんな思いを新たにしたところです。
木々が繋ぐふるさとの風景 平成24年12月1日
気ぜわしく過ぎ去る年の暮、月日の流れはどうしてこうも早いのか、たまにはブログも書かないといけません・・。
昨日手入れにうかがった、埼玉県飯能市Sさんの庭も、竣工後3度目の冬を迎えました。
秩父の玄関口、飯能市の気候風土には落葉雑木が非常に適応し、少し遅かったですが素晴らしい紅葉が楽しめます。
家の窓に赤や黄色の葉影が映えます。
この庭の植栽樹木はほとんどが飯能市周辺の里山に健全に自生する樹種で構成しています。
実際、街中と山間部では、近接地域でも微気候条件が全く異なるものですが、山々に囲まれたここ飯能市内は今もなお、山間部の木々が街中においても健全に生育できるようです。
温暖化に加えて都市部のヒートアイランド化、そして夏場の乾燥期間の長期化など、南関東地域の都会では、落葉樹の健康維持が難しくなりつつあるように感じます。
そうした中、ここ飯能市の紅葉は見事な色合いで木々も健康な生育を見せてくれています。
ここは飯能市より山間部に入ること車で1時間、秩父観音霊場札所1番、四萬部寺本堂背面の山の上。
コナラ、クヌギにケヤキ、モミジ、ヤマザクラなどが懐かしい雑木林の風情を感じさせてくれます。
山中の道沿い、モミジの落ち葉に埋もれながらも凛とした表情のお地蔵様。
飯能市の竹寺の紅葉。
秩父の山間部では、今も懐かしい、管理された里山の名残がいたるところに見られます。
山と共にあったかつての暮らしが今もなお、山間地には息づいているようです。そして、そんな当たり前の風景も今では日本から次々に姿を消しつつあります。だからこそ、この秩父の香りは訪れる人の郷愁をそそり、そして敬虔な気持ちにさせられるのでしょう。
秩父観音霊場札所2番、真福寺への参道沿い、秩父に特徴的な緑泥片岩の岩壁に安置されたお地蔵様や観音様。
いつの時代からどれだけの人たちにお参りされてきたことでしょう。
秩父地域に産出する緑泥片岩の石積み。秩父周辺では土蔵の基礎から板碑など様々な石材に地元産の緑泥片岩が用いられてきました。こうしたことの一つ一つが生活に密着したふるさとの風景を特徴づけているのでしょう。
観音堂に至る石段ももちろん、地元の緑泥片岩です。長い歴史の中で、山中を巡りお参りするどれだけの人に踏まれてきたことか、表面が削れて光沢を帯びた佇まいがまた、心を浄化してくれます。
越し屋根が特徴的な土蔵の佇まい。
長年の風雨にさらされて、土壁の表面がはがれて、荒壁を繋ぐ下地の藁縄がむき出しになっています。
この荒縄を結んだ人は、きっともうすでに秩父の土に還っていることでしょう。そしてこの藁縄は、私よりもはるかに年上なのでしょう。
幾重にも続く山襞ごとに、霞沸き立つこの風情。この土地の先祖代々、数千年の昔から秩父の人は、この風情に包まれながら延々と暮らしてきたことでしょう。
静かなる秩父の風情、この豊かな在り様が100年後も300年後も変わらないことを願う、そんな思いが胸の奥から沸き起こります。
昨日、飯能市の商店街の街路空間緑化について、市職員方々からの質問を受けて市役所の方々にレクチャーさせていただきました。
これからの街の緑化、それはふるさとの木々によるふるさとの自然を取り戻すこと、同時にふるさとの自然と共にあった暮らしの在り様を再認識し、ふるさとの自然や暮らしぶりと再び向き合うことから始めねばなりません。
自然と共にあった秩父の暮らしぶり、そこに今後の日本をよい国へと再生してゆくための一つの答えがあるように思います。
飯能市内のSさんの庭も、施工後3年めとなり秩父らしい風情が漂いはじめてきました。その土地の自然を街中に繋げてゆくことで、豊かで愛されるふるさとが少しずつ再生されることでしょう。
海辺の記念植樹 平成24年10月20日
ここはジェフ市原のホームグランド、東京湾岸埋立地工場跡地に立地するフクダ電子アリーナです。
アリーナ周辺は臨海スポーツ公園として、千葉市によって緑化整備が進められています。
今週、この公園において、地元千葉中央ロータリークラブの寄付による記念植樹をさせていただきました。
植樹場所はアリーナ正面メイン広場、埋立地の一角に将来長きにわたって永続する大木を育てます。
2m40センチ四方の植樹プロットの配置を検討しています。
植栽土壌改良のため、固い土壌を深くまで掘り下げていきます。
ここ、アリーナ周辺は潮風が強い埋立地で、もともと川崎製鉄(現JFE)の工場跡地のため、植えられた木々はなかなか良い状態にはなりません。
「この公園は海風が強い上に土壌も悪く、何を植えてもよくならない。どうしたものか。」
千葉市都市局公園建設課職員の方からそんな相談を受けたのがきっかけで、この海岸埋立地に、数百年の大木を育てるための記念植樹をさせていただくことになりました。
こうした悪条件の下で樹木を末永く健全に育ててゆくためには、それなりの手法が必要になります。
掘ってみると、地下60センチ程度の深さで、締め固められて岩盤のようになったスラブが出てきて、その下はどこまでもそのスラブが続いています。
海辺の埋立地、しかもこんな条件の悪い地盤で普通に植栽してもよい状態にならないのは当然です。
将来長きにわたって郷土の大木をこの地に育てるためには、このスラブを破砕しなければなりません。
重機でも歯が立たず、削岩機を用いてスラブを掘り下げていきます。
苦闘の末、地下1m50センチまで、執念で掘り進めました。
埋め戻す前に、土盛りのための土留めを作ります。海岸沿いの埋め立て地で数百年の大木を育てるためには、盛土による通気性の改善が効果的です。
そして、客土埋戻しのために用意したのは、乾燥させた剪定枝6㎥(写真奥)に、剪定枝を2年間堆積してできた腐葉土5㎥(写真手前)です。
分解が進んだ腐葉土と、数年間堆積乾燥させた剪定枝をサンドイッチしながらほっこらと埋め戻していきます。
これを繰り返して、空気層を土中に作りながら盛り上げていきます。
現状の地盤高さまで埋め戻しが完了しました。
植樹していきます。
樹高4mの2本のシイノキを主木として植栽し、潮風や日照を緩和するためコナラやオオシマサクラなど、海辺に強く根の生育が早い落葉樹種を周囲に寄せ植えしていきます。
高木にスダジイ、オオシマザクラ、ヤマザクラ、コナラ。中木にユズリハ、ウバメガシ、マサキ。
そして低木にハマヒサカキ、シャリンバイ、アジサイ、クチナシ、ハイカンツバキ。
さらには、千葉の潜在自然植生樹種である、シイノキ、タブノキ、シラカシなどのポット苗を18ポットほど混植し、多層群落の小樹林がここに出現しました。
主木として植えたスダジイ2本が健全に育ってくればベストですが、ポット苗で植えた樹木の勢いが優れば、いずれそれらが追い越してゆくでしょう。
植栽後、稲わらを敷き詰めて地表を保護し、藁が風邪で舞い散ることのないように麻縄で結わえつけてきます。
多種混交の自然林のような樹木群落です。
樹木群の下に植えた、常緑広葉樹のポット苗。小さくとも、大木になる力を秘めた木々の赤ちゃんです。
未来永劫に渡って強く育ってゆく樹林つくりのためには、その土地本来の自然樹木の多種類混植し、密植して競争を促すことが大切です。
盛土高さは60センチ、そして地下150センチまで土壌改良を施しています。木々は競い合って伸長し、根を伸ばし、特にコナラなどの落葉高木は順調にいけば10年程度で深さ2mの根系に達することでしょう。
いずれ、常緑広葉樹がこの地で健全に生育している状況を確認の後、土地本来の照葉樹林に移行させるために、おそらく10年後には、少なくともコナラだけは伐採する必要が生じると思います。
それまでの間、ここに植栽した5本のコナラは常緑広葉樹を守り、根を伸ばして土壌を改善し、そして伐採後の根はゆっくりと分解されて土壌の栄養となるのです。
樹木にとってここは非常に過酷な場所ですが、ここに子孫の代に至るまで、健全に育って大木となる樹木を育てるべく、これからの緑化の在り方を問いかける試みが今、ここに始まりました。
この試み実現のために尽力された千葉市都市局公園建設課の石野さんはじめ、今回の植樹にご理解ご協力くださいました行政の関係者方々に心から御礼申し上げます。
いのちの森つくり~進和学園の取り組み 平成24年10月6日
ここは神奈川県平塚市、社会福祉法人進和学園の樹木苗育苗ハウスです。
ここでは、シイノキ・カシノキ・タブノキなど、暖温帯気候域の森の主木樹種をはじめ、その土地本来の様々な自然樹木の苗木を栽培し、生産した樹木ポット苗を、全国の森つくり植樹現場に提供しているのです。
進和学園では、知的障害者の就労支援事業の一環として、6年前から樹木苗の生産を始め、すでに累計7万本以上ものポット苗が、森つくりのために植樹されました。
「いのちの森つくり」それは、私たち人間はじめ、様々な生き物にとっての生存基盤ともいえる、その土地本来のふるさとの自然環境、ふるさとの森を再生し、未来のために新たに創出していこうというものです。
いのちの森つくりは、地球環境戦略研究機関国際生態学センター長の宮脇昭先生の潜在自然植生理論に基づき、日本から始まって今や世界各地でその土地本来の森の再生、生態系の回復のために実践されています。
こちらの列は、岩手や宮城など、東北大震災被災地の森から採取したどんぐりや実生から育てられた苗木です。
気候風土に適応する強い森を再生するためには、その土地の母樹のどんぐりから子供の苗木を増やすことが、樹木個体の遺伝子レベルでは理想的なようです。
ここで育てられた東北っ子の樹木苗達は、歴史上幾度も津波に襲われてきた今回の被災地、東北沿岸地域に将来再び訪れるであろう津波から、住民の命を守るための「森の防潮堤」をつくるべく、植樹されるのです。
この小さな樹木の子供たちには、大きな力と希望と未来があるのです。
進和学園では、そんな素晴らしい夢と希望を持って、心が込められたポット苗が次々に作られています。
苗床からポットに移された1年生のタブノキの苗。
それが、2年生の苗になると葉も根も充実し、背丈も30センチから50センチとなります。
この段階になってはじめて、森に還すべく、植樹に用いられます。
樹木ポット苗をこの大きさにまで健康に育てあげることの労力や心遣いを想像するにつけて、苗木つくりに携わる方々に対して心のそこから敬意が湧き、本当に頭が下がる思いです。
タブノキの実です。苗つくりは種拾い、どんぐり拾いから始まります。
採取した種やどんぐりは、いきなりポットに植えるのではなく、トロ箱に苗床をつくり、乾燥防止のもみ殻をまぶして、来春以降の発芽を待ちます。
一つのトロ箱に数百個のどんぐりや種を撒くのです。
昨年秋にトロ箱に撒いたタブノキが1年もするとかわいい幼苗に育っています。
この幼苗を、根を切断しないように丁寧に、一つ一つ大切にポットに移していきます。
今は赤ちゃんのような繊細なこの苗も、数百年という長い未来を生き抜いて、様々な命を守り育んでくれる大木になる力を秘めているのです。
植え替え作業の様子です。一つ一つ大切にポットに移してゆく人の表情はやさしく、苗木を見つめるまなざしはまさに、希望に溢れる美しい未来を見つめているようです。
そしてここは、進和学園就労施設「しんわルネッサンス」。その外周境界林はポット苗植えつけ後6年が経過し、ボリューム溢れる豊かな森が育ちつつありました。
6年前に植えたのは、高さわずか30センチ程度のポット苗なのです。
この土地の気候風土本来の森の構成樹種を50種類以上混ぜて密植し、そして6年経過した今は最大樹高8mの見事な緑の壁となりました。
樹種豊富なこの森には様々な小鳥の声が鳴り渡りつづけていました。密植して競争を促すことで、木々の伸長成長が促進されるのです。
「木々も人間社会と一緒で、似通った仲良しばかりの集団の中では成長しない。森の中のいろんな生き物と競争し合って初めて、その土地の素顔というべき強い森になってゆく。」と宮脇先生は常々言われます。
この、圧倒的なボリュームの緑の壁を見ていると、「火災や土砂災害、津波などから命を守ってくれるのがふるさと本来の本物の森」、というのも納得です。
外周林の内部の様子。マウンドが高く盛り上げられて植えられた様子が分かります。
木々はそれぞれたくましく、ポットで植えられた苗木のほとんどすべてが元気に育ち、なかなか枯死していきません。それが土地本来の樹種の強さというものなのでしょう。
もっとも、淘汰が始まってゆくのはこれからです。
見ていると、木々の肥大生長は同じ樹種でも極端に違っています。これは2本のヤマザクラ。同じ日に植えても、一方は太く、一方はその10分の1以下の太さにしかなっていません。
木々の個体差、あるいはちょっとした競争の勝ち負けがこの差を生み、こうした繊細で微妙な木々の性質が、多様な森を成熟させてゆくのでしょう。
施設食堂の窓の風景。植栽後6年で、見飽きることのない多様な森に包まれました。
木々の合間から漏れる緑の光と揺れる葉によって、この食堂はかけがえのない安らぎのスペースとなったのです。
この食堂、窓外のベランダに出て木々を見ます。これが30センチのポット苗密植後6年後の姿なのです。これが、潜在自然植生理論に基づく森つくりの成果です。
しかも、この写真の植栽幅はわずか2m弱で、その外側は道路に面しているのです。道路の雰囲気を全く感じさせない境界外周林、これも多彩な樹種が階層的に重なり合う多層群落の森ならではの効果なのです。
そしてここは、同じく進和学園の生活介護施設「進和万田ホーム」の外周境界林、ポット苗植樹後3年目の様子です。
3年目ではまだ最大樹高2.5m程度ですが、十分に根が充実して張りめぐらされ、ここから一気に成長してゆくのです。
その土地本来の森の構成樹種、ポット苗の密植・混植によって、人間が管理せずとも自然の力によって、ぐんぐんと豊かな森へと着実に育ってゆくのです。
進和万田ホーム正面ロータリーの真ん中に設けられた、潜在自然植生樹種ポット苗による小さな森。これも植樹後3年です。
ここは正面ロータリーのシンボルとして、苗木だけでなく3m程度のタブノキ、カシノキ、シイノキ3本が真ん中に植えられました。が、すでに苗木の生育が勢いに勝り、その3本を追い抜こうとしています。
3本の移植木は、アスファルトの照り返しや夏の直射日光をまともに受けて衰弱し、頭枯れを起こしています。
一方で、苗木たちはお互いを守りあい、確実に元気に生育している様子に、これからの街の緑化の在り方を考えさせられます。
ちょうどこの施設の隣に、大木となった樹木群がありました。クスノキとタブノキが寄り添って、まるで1本の大木のように端正な形の樹冠を形成しています。遠目から見たら、1本の木に見えますが、2本の木が長年寄り添って守りあい、この土地の人たちに見守られながら、見事な大木群となったのでしょう。
この大木の存在がこの集落の風景となり、心のよりどころとなっているようです。
万田ホームのロータリーに植えられたポット苗の樹木群も、100年後、この大木のような見事な樹叢となっているかもしれません。
木を植えること、それは未来を作ることそのものです。
地球を破壊し汚し続けてきた私たち人間ですが、未来を見つめてこうして木を植えることも人のなせる業。未来の地球、美しいふるさと、命溢れるふるさとの自然を子孫に繋いでいけるよう、本物の森つくりを私たちも進めていきたいと思います。
ご案内くださった株式会社研進の出縄社長、しんわルネッサンス主幹の遠山さん、暑い中長時間おつきあいいただき、本当にありがとうございました。