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雑木の庭つくり日記

都市の防災林を考える 清澄庭園にて    平成24年5月4日





 ここは東京都指定名勝の清澄庭園の外周境界林です。所要があって今日は雨の中、久々にこの庭園を訪ねました。

 連休と言えども今年は新刊書籍の原稿書きに明け暮れています。締め切りは迫り、ゴールデンウィーク中に書き上げるべく、事務所に缶詰めの状態が幾日も続きました。
 そんな中、今日は書籍で用いる資料収集のため、この清澄庭園を訪れたのです。



 常緑樹林に囲まれた、広大な池泉と美しく力強い石組みが見事なこの庭園は、明治11年にこの地を取得した三菱財閥の創始者 岩崎彌太郎とその弟 彌之助によって造営されました。

 往時には庭園の面積は現在の2倍以上あったと言います。
 この、湖面に浮かぶ数寄屋造りの涼亭(当時は接客用の客室として建てられました)の他、当代随一と言われた英国人建築家ジョサイア・コンドル設計による見事な洋館と、立派な日本館とがあり、都内有数の壮大な庭園風景を誇っていました。



 シイノキやタブノキなど、土地本来の常緑樹に囲まれて佇む涼亭。昭和60年度に改築工事がなされたものの、岩崎家所有の庭園だった当時を伝える建物は、今はこの涼亭のみです。
 当時の建築の粋を尽くした洋館も日本館も、関東大震災に伴う周辺一帯の大火災によって全焼したのに対し、樹林に囲まれたこの涼亭は、襲い掛かる大火を常緑樹林が食い止めて、事なきを得たのでした。
 一方、この庭園のメインの建造物であった洋館や日本館の周囲には、火災に弱いマツや棕櫚などのほか、世界中から集められた花木低木ばかり植えられていたために、大火を前にしてなすすべもなく、木々も一緒に燃え尽きてしまったのです。



 庭園の外周を土地本来の常緑樹林が囲みます。
 地震とそれに伴う火災によって10万人もの犠牲者を出した関東大震災、この庭園の周辺地域は火の海となり、最も犠牲者の多かった地域でもありました。
 そんな未曽有の大火の中でも、この庭園に逃げ込んだ2万人余りの市民は、一人として犠牲を出すこともなく、全員が無事だったのです。

 洋館や日本館を造営して人工的に庭園が整備されたために土地本来の森がほとんど消滅していた西側半分は、見事に大火に飲み込まれて焼け野原になったのに対して、自然のままに放任されて土地本来の豊かな常緑樹の外周境界林が育っていた東側半分では、常緑樹の森が見事に大火を食い止め、多くの市民の命を救ったのでした。



 庭園内のタブノキが、新たな葉を開いています。東京の気候風土本来の代表的な植生樹種のひとつがタブノキです。
 関東大震災の後、庭園の所有者である岩崎家は、常緑樹に囲まれて守られた庭園の東半分を東京市に寄付したのです。

 「この森が数万人の市民を大火から守った・・。木々の力はそれほどまでにすごいのか。この庭園はもはや私人のものにしておくのではなく、災害から市民の命を守る市の共有財産として活用してもらうべきだ。」
 東京に壊滅的な被害をもたらした関東大震災を目の当たりにして、なおも凛然と木々が生き残り、多くの市民の命を救った現実に対面した岩崎家の人々がそう考えたのは、想像に難くありません。



 大の庭好きだった岩崎彌太郎が全国から集めた名石巨石が見事に収まって見ごたえのある景色を見せる今の清澄庭園。

 関東大震災の後、岩崎家から譲り受けた東京市によって庭園は再び整備され、昭和7年には「東京市 清澄庭園」として公開されたのです。
 東京市の所有となった後に遭遇した東京大空襲、震災に続き、またもや周辺一帯は焼け野原となったのにもかかわらず、この森は焼夷弾にも耐えて燃えることなく、この時もまた、この森に逃げ込んだ大勢の市民の命を戦火から守り抜いたのでした。



 タブノキにシイノキ、その下にシロダモやモチノキ、ネズミモチ、そしてサカキにツバキにアオキといった土地本来の自然植生構成樹種である常緑樹が今もなお、外周の森を構成しています。
 高木から亜高木、中木に低木と、多層的に成り立つ土地本来の木々による緑の壁が、これまでに2回も遭遇した未曾有の大火から、大勢の市民の命を守ったのです。



 力強く大地を握りしめるように張り出すネズミモチの根。土地本来の常緑広葉樹林は深く強く大地を抱き込み、土砂災害からも人や家屋を守ってくれます。

 根を深く大地に突き刺し広げてゆく性質を持つ土地本来の常緑樹林は、昨年の東日本大震災に伴う大津波にも耐えて流されず、枯れることもなく新たな命を再生している事実が多数報告されています。
 様々な自然災害を軽減し、都会の暮らしを守る防災林の在り方は、土地本来の樹種による多層群落のグリーンベルトを配してゆくしかないということは、これまでの様々な災害を検証すれば一目瞭然なことのようです。
  私たちの命、そして私たちにとっての大切な人の命は、国や行政に任せるのではなく私たち自身で守り抜かねばなりません。そのために、一人一人が今できることを一歩ずつでも、確実にやってゆくことが大切なことだと思います。




 都会の密集地の中の多層群落の命の森。この木々が再び、市民の命を救う時が今後も必ずやってくることでしょう。
 こうした本物の防災林を少しでも多く、街の中にこそ作ってゆかねばなりません。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 (2012年5月 4日 13:00) | PermaLink