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雑木の庭つくり日記

今月の天候に想うことと、茨城県鹿島市の造園工事  平成26年2月28日

 2月初旬以来、ブログ更新の間隔が大変長らく空いてしまいました。3週間ぶりのブログです。
この間、度重なる記録的な大雪に閉ざされ、あるいは2月とは思えないほどの記録的な温暖な日々もありました。
 
 そしてここ数日、大気汚染で太陽がかすむ日々が続いています。昨日は当社事務所所在地の千葉市若葉区で大気1㎥あたり90マイクログラム以上という高濃度のPM2.5が観測されました。


 記録的な大雪に記録的な温暖な日、そしてこれまでにないほどの広域な大気汚染今月はこれからの地球、これからの私たちの生存環境、いろいろと重く考えさせられた月となりました。





 今朝の光景、茨城県鹿島市の現場へ向かう道すがら、一向に衰える気配のない霞んだ光景に、朝から気持ちが沈んでしまいます。
 1キロ先の送電線の鉄塔が霞み、数キロ先に広がっているはずの街の光景はよどんだ霞に閉ざされて全く見えません。
 こんな光景がここ数日続いているのです。

 6年前までの数年間、造園工事のために幾度も訪れた隣国中国。この霞み具合は当時滞在した北京や蘇州の光景や殺伐とした空気感に大変よく似ています。

 当時の中国、屋外での造園作業の中で気管支ぜんそくが悪化し、その後私は体調を優先し、中国での仕事から手を引きました。あの大気の中で屋外の仕事を続けることは、私にとっても社員たちにとっても危険だと判断したのです。
 
 あれから6年、今はさらにひどい状況になっている様子が毎日のように報道されます。そしてこうして、日本中どこにも逃げられない、広域汚染の危険にさらされるようになりました。
 
 私は長男の誕生の後、千葉市街の街中から、市内郊外の田舎へと移り住みました。7年前のことです。悪化した気管支ぜんそく改善のためと、良好な子育て環境を求めてのことでした。
 かつては、都会を離れて自然豊かな田舎に行けば澄んだ空気が得られ、都会の劣悪な環境から逃げることができました。
 しかしながら、これからの時代、地方に行っても田舎に行っても、本当の安全、安心は得られない時代となりました。
 たとえ海外に移住しても、空気も水も土も、徐々に汚染が広がり、ついにはどこにも逃げ場所などなくなることでしょう。

 大変なことが進行していることに、多くの人が気付いていることでしょう。
全ては私たち人間の業の結果であって、深刻な大気汚染が報道される中国ばかりの問題では決してありません。
 未来の地球、いのちの生存基盤である健康な大地を犠牲にして、相変わらず景気や経済発展という、決して持続できない誤った価値観から軌道修正することもできない、私たち人間。

 子供たちの未来のために、これから必ず迎えるであろう激動の時代を前にして、今月の驚くような気候の変化を目の当たりにして、大切なことは何か、自分の暮らしの中でできること、何をしてゆくべきか、そんなことを考えさせられます。



 雪の後、幹折れや枝折れの被害の復旧や様子見に庭を訪ねて回ります。1週間ほど前に訪れた千葉市美浜区のカフェどんぐりの木。雪にも負けず、雑木は元気に春の新芽を膨らませていました。
 お昼のひと時、カフェのオーナー、Sさんと語り合います。

「こんな時代に仕事ばかりしていていいのかと、暗い気持ちでそう思う時が最近よくあります。」
という私に、

「高田さん達の仕事は素晴らしい仕事ですから、し続けてくれないと。木を植えて、こんな心地よい環境を作ってくれるなんて、こんな素晴らしい仕事なかなかないですよ。未来のために自分ができることをやり続けましょ。」
とSさんが言ってくれました。

 明るい未来の見えない時代、今年の夏もまた、経験したことのないさらなる気象災害がいつどこで起こるか分かりません。
 そんな時代に沈むことなく、やるべきことを見つけて、明るく前向きに生きていかないと、そんな気にさせられた、カフェでのひと時でした。



 さて、先週にかかり始めた茨城県鹿島市の造園外構工事、木柵を完成させる前に、狭い北側や東側の高木植栽にかかります。



 木柵を互い違いに段差を設けて、その前後に植栽してゆくことによって狭い場所でも立体的で奥行きのある豊かな外観が生み出せます。



東南側から家屋を見ます。手前、菜園はブロックで土留めを回し、その外側を木柵で化粧しています。



菜園の土留めと玄関周辺。木柵と菜園の間から、玄関アプローチを通していきます。



 そして南庭西側、菜園小屋の基礎石を据え終えました。



 コンクリートではなく、玉石による建物基礎、つい一昔前の日本家屋の作り方です。
 これからこの上に、古材を用いて小屋を建てます。

 私たちの仕事、造園という仕事はとても楽しく、意義深く、日々生きがいと鋭気を与えてくれます。
 すざましいばかりの今後の気候の変化、生存基盤たる環境の消失という、これまでの歴史が経験したことのない時代に向かう中での私たちの役割、そんなことを見すえながら、ささいなことですが、どんな庭を提供すべきか、日々試行錯誤の連続です。




 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
新興住宅地の庭づくり  植栽に想う      平成26年2月1日


 茨城県つくばみらい市の庭づくり、木々が充実してくるにつれて、何もなかった庭が生き生きとした森の様相に変貌していきます。



 デッキ周りの樹木植栽が終わると、住まいは生き生きとした木々に包まれて生まれ変わります。差し込む冬の日差しに枝影が揺れて、デッキや家屋の壁面に映る優しげな明暗が
住まいの表情を穏やかに温かく、とても豊かなものへと変えてゆくのです。

 ここ数日の植栽によって住まいの表情は一変しました。住環境を変えてしまうほどの木々の力、植栽の効果は何物にも代えられないと、その場所に庭を作る度に実感します。
 木々に守られて暮らす豊かさ、ありがたさを知る人は、木々なしではとても暮らしていけないと悟ります。



 つくばエキスプレス沿線の大規模開発によって、ここに新たなベットタウンが突如出現しました。

「田舎に行けば大抵、文明はなくても文化はあって、なにかしら楽しめるものだが、この街には文明もなければ文化もない。」

 ちょうど今、この街に住み込みで仕事している同業仲間がそう言いました。

 これまでの地域の伝統や文化、自然環境との共生の暮らし方も、すべて一網打尽にはぎ取りながら、つぎつぎと生まれるこうした大規模なベッドタウン。そこにかつての歴史文化の忘れ形見のような樹叢が一つ。
 不動様の石碑の周辺に残る、この見事な木々が、かつてのこの地の人々の息吹と暮らしを感じさせてくれています。
 お不動様を守り、お不動様に守られる木々。そして、この地に代々暮らしてきた人たちを守り続けたお不動様。
 今、この地に新たに住み始めた方々にもぜひとも、一度は壊してしまった地域の歴史文化に思いを馳せて、この地に新たな命を再生させてほしいと願わずにはいられません。



 この土地に新たに生まれる小さな自然。それがUさんの庭です。年月と共に庭の木々が育ち、ほんの少しでも、この殺風景なベットタウンに潤いを提供できればとの願いを込めて、木々を植えます。

 今の経済を牽引する車輪の一つが住宅開発なのでしょうが、それはおおよそ、代々受け継がれ大切に育まれてきた豊かな自然環境、自然と共存してきた農山村の暮らし方の犠牲のもとに成り立っています。
 長年、この地の永代の人の営みを支えてきた豊かな大地は、一時の経済と引き換えに、次々と壊されていきます。そしてこうして壊された土地は、未来の命を育む大地の力を失います。
 
 そういう私自身、将来の豊かさや美しい日本の犠牲のもとに成り立つ今の日本の経済社会にどっぷりつかって暮らしており、そこから離れて生きてはいけない矛盾を抱えながら、未来の世代、子供たちに対して後ろめたさを感じて生きています。

 
せめてもの罪滅ぼしの想いで庭に自然を呼び戻そうとし、そしてそこに暮らすお施主家族に木々と共に生きる豊かさ、木々のありがたさを感じてもらうこと、さらには街にまで潤いを分け与えることができれば、そんな想いで、理解あるお客様の庭にこうして木々を植え続けているのです。



 



 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
広葉樹混植密植による森つくりに想う。その2  平成25年12月11日
さて、神奈川県の環境保全林巡り随想記の続きです。



 ここは横須賀明光高等学校背面の環境保全林。30数年前に植樹されました。
 もともとここは粘板岩砕石を切りだしていた採石場跡の斜面で、植樹前の当時は粘板岩むき出しの岩盤だったといいます。



 植林前の斜面造営の際の写真です。
 粘板岩の岩盤を横に列状に溝を掘削し、そこに客土した様子が縞状に見られます。
 今の森からは想像もつかない、本来植樹不可能な場所に森を作ろうという、当時の森つくりへのすさまじい執念が写真から伝わり、頭が下がる思いです。



 そして地盤造成の後、約50センチメートル間隔にスダジイ、タブノキ、アラカシの3種類が植えられました。
 点々と赤く紅葉している樹種が見られますが、これは植樹後に進入してきたハゼの木です。

 今は鬱蒼とした常緑樹林の外観を呈しております。が、本来の自然林とは明らかに違う違和感が、やはり感じられます。



 森の中に分け入ると、細々と生き延びる常緑広葉樹の林床は光が届かずに暗く、林床植物もほとんど生育しておらず、生き物の気配も感じられないサイレントワールドを呈しています。
 小鳥の声も虫の音もまったく聞こえてきません。
 30数年の時間を経てなお、植栽樹木は平均5m程度にしか伸長せず、林床の植生も育たず、不健全な森であることは間違いないでしょう。
 それでも、林床にはトベラやシャリンバイ、ヒサカキ、ムクノキ、マメツゲなど、外部からの種の飛来による実生苗の芽吹きが見られます。しかし、同じ時期に植栽された木々が林冠を塞いで、林床植生が生育するのに必要な光が届かないため、これらの進入樹種が豊かな森の構成員として育ってゆくことは、少なくとも当面はないように感じます。

 この林床の様子から思い浮かぶのは、間伐放棄された不健全なスギやヒノキの人工林です。



 これは日本中によくある、管理放棄された杉の人工林の林床の様子です。木々は細々と不健康に伸長し、その林床は暗く、生き物の気配もありません。
 戦後に植林された人工林は日本全国で現在約1000万ヘクタール。実に国土の4分の1を占めます。その多くが不健全で生態系に乏しく、貧弱な森となっています。

 同じ時期に一斉に植栽された木々は競争しつつ一様に成長し、林床植生の健全な生育に必要な光を完全にさえぎってしまいます。そしてその森は災害にも弱く、生態系としても貧弱で、森としての多様で豊かな機能も発揮されにくい状態が長く続きます。



 放置されて貧弱化した不健全人工林に対し、この写真は、間伐作業を繰り返して比較的良好な状態に維持されてきた杉林です。
 間伐されて光差し込む明るい森には虫や小鳥をはじめ、様々な生き物が飛来し、そして小鳥や小動物を介した自然樹種の進入によって林床に豊かな植生が育ち、森が階層的に豊かになっていきます。進入した広葉樹の落ち葉は土壌環境をゆっくりと改善し、さらに豊かな命も森となっていくのです。



 健全な人工林の林床に対して、この環境保全林の林床は、明らかに生態系に乏しく、健全な森の姿とは程遠い様相が見られます。



 頭上の林冠は、高密度に植栽された常緑広葉樹が完全に光を遮っています。これでは、様々な生き物の種の進入による森の生態系の健全化には程遠いことでしょう。

 広葉樹混植密植による植樹は、自然林育成と位置付けられているようですが、人が一斉に植えた以上、人工林であることには変わりがありません。
 
 ここで大切なことは、人工林においてその森が健全で豊かなものに育ってゆくためには、植樹による樹種だけで完結するのではなく、植樹は自然再生のための一つのきっかけでしかなく、種の飛来、生き物の飛来定着によってはじめて
、その森が豊かな生態系として健全に育ち自立してゆくものであるという事実を忘れてはいけないと思います。

 自然に飛来する樹種の生育を促すためには、やはり林床の光環境が大切で、そのためには間伐、あるいは植え方の工夫によって改善してゆくことが必要でしょう。
 なるべく人手をかけずに森の自立を促すということであれば、これまでのように一面に密植するのではなく、例えば1坪あるいは2坪程度のブロット単位で密植し、、こうした密植植樹群を10m間隔程度に設定することで、他の樹種が入り込む余地が確保されるでしょう。
 これまでのような全面植栽によって種の進入を排除する方法ばかりでなく、種の進入、光環境を考慮したプロット単位のきっかけづくりの植樹方法。試してみる価値があるでしょう。

 また、岩盤を穿って植樹するという悪条件下で植樹されて30数年。これらの木々は密植による競争効果によって伸長成長が促されたにもかかわらず、樹高は5m程度。
 この森の姿からは、潮風にさらされる海岸斜面の荒れた森を彷彿とさせられます。
 シイ、タブ、カシ、といった深根性の常緑広葉樹では、土壌改善スピードも遅く、悪条件下ではなかなか樹高が伸びていきません。
 高木層の樹高が高くなり、林内の空間が広がれば、林内には階層的に植物の生育の余地が広がり、さらには多様な生き物の定着、生存が許容されるようになります。
 そのことによって森はさらに豊かで健全な姿へと移行してゆくことでしょう。

 例えばもし、こうした悪条件下でも進入しやすいセンダンやアカメガシワ、カラスザンショウ、ムクノキ、エノキなどが進入、伸長できるだけの光量が確保されていれば、これらの樹種は少ない土壌でも浅く根を広げて短期間に樹高を伸ばしてゆくことでしょう。そしてこうした落葉広葉樹の落ち葉は分解も早く、腐葉土となり、岩盤を覆い、徐々に土地を改善していき、こうして初めてシイカシなどの極相的な樹種が健全に生育できる環境が整います。

 木々の力、自然に飛来して生態系を豊かにする生き物たちが定着できる森、一朝一夕に作ることはできません。
 数百年の歳月を経て成熟するのが森の生態系というもので、わずか30年程度で結果を判断することは誰にもできません。
 しかし、より良い自然林再生、生態系保全という視点で、植樹方法をさらに改善、発展させ続ける必要があるということは、植樹後の森が語ってくれます。



 再びこの森の外から、森の外観を見ます。もともと緑など一切存在しない採掘跡の岩盤だったことを想うと、修景(景観を修復すること)緑化としては、一定の成功と言えることは間違いないでしょう。
 植樹、その尊い行為を将来の環境つくりに繋げてゆくために、その方法や目的、本質的な意義を検証しながら、進化させていかねばならないと、この森の外観を見るにつけて、改めて感じます。



 そして最後に訪れたのは横浜国大キャンバス。豊かに育った圧倒的なボリュームの緑が校内を包み込みます。
 ここもまた、30年前から継続的に行われてきたポット苗による植樹です。もともとゴルフ場跡地だったこのキャンバスは土壌条件がよく、木々は非常に良好に育っています。やはり、シイタブカシを中心とした常緑広葉樹林です。



 ポット苗からの植樹によって育成されたキャンバス内の木々は、軒並み強剪定がなされていました。木々の側面を切り詰めなければ、あっというまにキャンバス内の通り全体が冬でも暗い日陰となってしまうからでしょう。
 人間環境の快適性と植樹された木々との共存のため、こうした強度な剪定がここでは行われいているようです。



 強剪定がなされた、写真手前右側の木々は葉色が黄ばみ、明らかに不適切な剪定による乾燥被害の様相を呈しています。
 カシやタブは幹からの乾燥に弱く、強剪定によって幹に日差しが差し込むことで乾燥し、健康を害してしまうことがよくあります。
 ケヤキなどの落葉樹が林冠を占める森であれば、夏は木陰をつくり冬は葉をおとして日差しが差し込みます。明るい森には様々な小鳥が立ち寄り、その糞を介した種の飛来も促されます。

 剪定は木のためにも生態系育成のためにも極力避けるべきで、強度な剪定を繰り返さねば快適な人間環境が維持されないのであれば、こうした場所での樹種構成の在り方も柔軟に考えていく必要があることでしょう。
 剪定によって傷んだ木々をみて、そう感じさせられます。



 写真奥の木々は、このキャンバスにあってなお剪定を入れることなく、比較的自然のままに維持されたスペースです。木々は伸び伸びと道路を覆い、健康な森へと確実に進んでいる様子がうかがえます。



 内部に入ると、光が差し込みやすい林縁の道路際を中心に、小鳥の糞などを介して進入してきた下層植生が生育し、立体的な階層構造を有する本来の自然林になりつつある様子がうかがえます。道路によって枝葉を広げる空間の余地が生まれたこと、光差し込む林縁の環境が生じたことが、種の飛来定着による森の健全化につながったようです。
 また、ケヤキなどの落葉広葉樹林がこの森に隣接していることも、豊かで自立した森への育成が促される要因となっていることは間違いないでしょう。
 
こうした林縁環境のちょっとした違いで森は全く違う生育の過程をたどります。

 

  常緑樹ばかりで光の届かない植樹地の中は、なかなか健全で豊かな生態系へと育っては活きません。



 数百年の年月が育む健康な森。
 森は長い年月をかけて土を育み、そしてさまざなま種を許容しながら移り変わり、いのちを生み出す豊かな環境を育てます。
 こうした植樹が最終的に到達を目指すべきは、様々な樹種、様々な生き物が育まれて共存する命の森です。
 
 そのためには、自然の力をもっともっと活用した森つくりの在り方、いのちを呼び込む森の育成方法が求められます。

 私たちの思考のスパンをはるかに超えた年月を生きる森の木々、たかが30年でその結果など分からないのは当然です。
 しかし、かつての人々が森を育て、共存できる形で生かした経験にもどづく知恵の積み重ねが無理のない命溢れる環境を育てます。
 植樹は自然再生のためのたった一つのきっかけにすぎない、ということもよく認識する必要があるように感じます。

 未来の命のための森つくり、より価値のあるものへと進化させていかねばなりません。



 
 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
広葉樹混植密植による森つくりに想う。その1   平成25年12月10日

 先の日曜日、地球環境戦略研究機関国際生態学センター(センター長;宮脇昭氏)主催の連続講座研修会で、神奈川県内の環境保全林を巡りました。
 
 「環境保全林」とは一般的に、防災、防潮、防煙、防風、防音などの目的で、生活環境を守るために作られ、あるいは整備保全される森を言います。
 高度経済成長期の日本で深刻な公害が大きな社会問題となった1970年代あたりから、発電所や製鉄所など、主に大規模工場の外周などに「環境保全林」なるものが次々に設けられました。
 当時の環境保全林造営の一つの手法を主導された一人が、生態学者の宮脇昭先生であったことは言うまでもありません。

 宮脇氏は、その土地本来の気候風土において最終的に形成されるであろう潜在的な自然植生樹種に基づいて、植栽樹種を定め、それらの樹種のポット苗を1ヘクタール当たり30,000本~45,000本という超密植を行い、2年程度の除草管理の後、その後は間伐等も一切行わずに自然淘汰に任せて放置するという植樹方法を提案し、次々に実践されました。
 これまで日本が伝統的経験的に培ってきた山林植樹の場合、植樹密度は1ヘクタール当たり3000本から6000本程度な上、その後、育成の目的に応じた頻度や強度の間伐を繰り返しながら育成してゆくという手法が通例であることを考えると、宮脇氏の植樹方法は革新的な方法だったことは間違いありません。
 この方法は通称「宮脇方式」と呼ばれ、今の日本国内での「ふるさとの森つくり」運動ばかりでなく、世界各地で実践されてきました。
 
 この植樹方法が、賛否両論ありながらも一定の広がりを見せてきた理由の一つには、宮脇昭先生の森つくりへの信念と目的意識が未来に持続する命を守るという、普遍的なところにあるという点と、宮脇先生個人の人柄とカリスマ性に起因する部分が多くあるように感じます。
 人類生存に不可欠な命の森を未来へと繋げるという、普遍的な目的のため、森の再生への手法をさらに発展させて、その場所に適した有効な森つくりの在り方をさらに深めてゆく必要があるでしょう。
 今後の森つくりの在り方を発展させてゆくため、今回の研修ツアーで感じたこの植樹方式の課題を整理していきたいと思います。

 長いブログになりそうです・・。
今回は問題点の列挙に終始しそうですが、宮脇方式の批判ではなく、宮脇方式の今後の発展のための一つの意見としたいと思います。



 今回の研修会で初めに訪れたのは、東京電力東扇島火力発電所に隣接する緑道です。写真後ろが発電所の煙突です。
 工場敷地内には1970年代に宮脇昭氏によって造営された約6ヘクタールの環境保全林(グリーンベルト)があります。
 1970年代、工業地帯周辺の深刻な大気汚染に対して社会の厳しい批判が高まり、企業側の改善措置の一つとして工場周囲に環境保全林が設けられました。

 この当時、この保全林に託された第一の役割は、枝葉による大気汚染物質の吸着効果ではなかったかと思います。
 実際に、樹木を手入れしていると、都会の木々の枝葉には相当な煤塵が付着しています。しかし、汚染物質を含んだ煤塵は人にも有害であると同時に木々や他の生き物にとっても有害であることに変わりはありません。
 樹木の枝葉に汚染物質を吸着させて、大気汚染を緩和しようとすることは、本来の木々の活かし方とは言えず、本末転倒です。
 1970年代、工場や高速道路沿いなどの公害発生源の周辺に次々と環境保全林が造営された際、こうした木々の扱い方に対して当時、林学者の上原敬二氏が早々に問題視しています。
「公害についてはそれが発生しないように努力すべきことがまず第一に必要なことであり、植樹を公害発生の免罪符として使う環境保全林のあり方は少し違う。」と。

 ここでまず、考えねばならないことがあります。環境保全林とは、環境の何を守るものなのか、そしてこれからの時代、どのような場所にどのような目的で環境保全林が造営されるべきなのか、ということでしょう。

 私が小学生の頃、地元京葉工業地域の某製鉄所見学に訪れました。周囲にグリーンベルトがあり、これが工場の煙突から発生する大気汚染を遮っていると説明を受けたことを、今もはっきり覚えております。
 しかし、実際に、グリーンベルトよりもはるかに高い位置に、もうもうと煙を上げる煙突があり、グリーンベルトの緑が粉じんの遮断に役立っていないということを、子供心に感じたものです。
 30数年前、高度成長期の工場見学で感じたことを、この日の光景に思い起こされました。

 ただし、このグリーンベルトが無意味というのでは決してなく、こうした殺伐とした生産活動の場に緑があり、それによって小鳥が立ち寄り、そこに生き物が定着することに大きな価値があり、さらには緑の存在がどれほど人々を視覚的あるいは心情的に和らげていることか、その効果は計り知れないものがあります。
 木々や植物によって癒されるという感覚は、人に残されたとても大事な感性であり、本能でもあります。
 木々に触れ合い、その時に感じる好印象が人々の心に刻まれることも、人が自然との関係で大切なことを忘れないために必要なことで、だからこそ人の暮らしの身近なところに緑が必要で、同時にそれが防風防潮、ヒートアイランドの緩和など、知らず知らずも生活環境改善に資するのですから、どんな場所にも森という形で命の拠点を保全することは必要なことと言えるでしょう。
 
 結論から先に言いますと、工場や都市など活動圏に森を作るということの意義は、未来のための生き物、土壌の生育環境の保全という目的が、今は大切なのではないかと思います。
 森は時間をかけて豊かな土壌を育みます。そして飛来して定着する生き物がさらに豊かな森の構成員となります。
 今後の人間活動や開発において、未来のための命の源である大地を少しでも多く残し、未来へ繋ぐことが、今を生きる私たちの最も大切な使命なのではないかと、今の時代だからこそそう思うのです。




 さてここは発電所周辺の緑道で、ここは地元ロータリークラブによる6年前のポット苗植樹です。
土壌が悪く、地下水位が高い埋立地の悪条件下での植樹ですが、6年経って樹高3m程度の小樹林となっていました。



 当時、シイ、タブ、カシなどの常緑広葉樹を主体に、20種類以上混植して植えられましたが、6年経ってすでに環境不適合による樹種の淘汰が進んでいました。
 もっとも堅実な成長を見せて目立っていたのはヤマモモ、トベラ、シャリンバイ、そしてそれらの生長に圧迫されるように枯死が目立ったのはタブノキでした。
 
 植樹当時の目的は、川崎の海岸沿いの気候下本来の潜在的な主木であるタブノキを中心とした森を再生しようというもので、タブノキの比率が多く植樹されたと言います。しかし、肥沃な大地で徐々に成長して長生きするタブノキのような樹種は、埋立地のような土壌環境のもとで植樹後自然淘汰に任せれば、悪質な環境にも適応できる他の樹種に圧迫されて負けてしまうのは明白です。
 そして、ヤマモモもトベラもシャリンバイも高木樹種にはなりえないので、いつまでも豊かな立体構成の森には育ちにくい状態が続いてしまうことでしょう。

 その土地の気候下における潜在自然植生樹種ばかりで樹種を構成し、見た目だけの「極相樹種林」を作ろうとするのではなく、、埋立地や都会の開発跡地など、現代の荒廃した土地条件を踏まえて、荒れ地に先駆的に生育する浅根性の落葉樹種も含めて、最終的な森の成熟を長いプロセスで考える必要を感じます。

 この植樹方法のこれまでの問題点の一つに、日本の大半を占める暖温帯気候下でおおよそ同じような樹種構成で植樹されることが多い点、荒れ地の改良に有効な浅根性樹種、先駆樹種を積極的に用いようとしてこなかった点が挙げられるのではないかと思います。
 植樹場所の条件によって、もうすこし細かく、樹種、植栽密度、植樹の方法を考えてゆく必要があると言えるでしょう。

 ちょっと、この話題はまだまだ長くなりますので、また別の日に続きを書かせていただきたいと思います。

 
 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
街中の森に想う~下賀茂神社 糺の森にて   平成25年9月11日



 名古屋市守山区、造園設計依頼いただいたNさんの住まい、背面の森です。
 海外生活の長いNさん家族は、それだけに住まいの環境に対して豊かな感性を持たれています。
 Nさんは四方を森に囲まれたこの地に家を建て、家族で住まれて3年が経過しました。



 Nさんの住まい東側に隣接する雑木の斜面林。傾斜地であるがゆえ、比較的良好な状態で森が残されてきたようです。
 3年前は四方を林に囲まれていたこの家も、今は北側と東側にこの雑木林が残るのみとなりました。
 


 家の窓越しに森の息吹が伝わります。森の冷気が流れ込むこの家にはもちろん、エアコンなどはありません。天然の空調装置が周りにあるのですから。
 こんな場所を家族の住処に決められたNさんの意識の高さに頭が下がります。



 ところが、Nさんがここに住まれてからのわずか3年の間に、西側(上写真正面奥)の森が大規模に切り開かれて、分譲住宅用地として造成されました。



 そして家屋に隣接する南側も、森が切り開かれて真正面に家が建ち、隣家の窓は正面で向かい合っています。お互い落ち着かないことでしょう。

 3年前、四方すべてが森だったこの地に住み始めたNさん家族、見る見るうちに周囲の森が削り取られ、環境が一変しつつあるのです。
 環境意識の高いNさん家族にとってそれがどれほど大きなことか、想像に難くありません。



 南西側から家屋を見ます。北側と東側には斜面林が維持されていますが、Nさんのお話では、この森もいつ消えるか分からないと言います。
「そうなればまた引っ越さないといけない。」冗談交じりにNさんはそう言いますが、それが本心なのでしょう。
 Nさん家族の暮らし方にとって、住まいの森はなくてはならない存在のようです。
失われた南側と西側の森。南側と西側の外空間がどうあるべきか、これからNさんと一緒に考え、計画していきます。
 本当の意味で心地よい住まいは建物だけでは完成しません。それを補完する外空間の役割はとても大切です。

 四方が3年前と同様に森が維持されていたのであれば、Nさんはきっと私に造園を依頼されることはなかったことでしょう。
 これも縁というものなのかもしれません。そして、失われた外空間、住まいの環境を補完するという、私たちの仕事の役割を改めて実感します。

 街中の森、かけがえのない環境は、簡単に消えていきます。このことは、その価値に気づかない人たちにとっては、何とも思わないことなのでしょう。
 しかし、その価値は単なる嗜好の問題ではなく、永続的な生存基盤たる普遍的な価値であるということに、社会が気づかねばなりません。



 名古屋打ち合わせついでに京都に足を延ばします。今回訪れたのが、下賀茂神社 糺の森(ただすのもり)です。
 京都市街地の北部、賀茂川と高野川の合流する三角州に、平安遷都以前からこの地にあり続ける糺の森があります。



 その面積は現在12万4千平方メートル。平安京当時はその40倍の面積の森がこの三角州に広がっていたということから、当時はこの森が下流の平安京を、洪水などの災害から守っていたであろうことが容易に想像されます。

 市街化された平地にこれだけの原生の森が連綿と残されるということはまず全国的にも珍しく、そのことが、この地が千年の都、京都総鎮守としての神の社であったことの証とも思えます。

 水の豊富な三角州。平地の森を流れるいく筋もの清らかな清水が、ここが周囲を市街地で囲まれて孤立した森であることを忘れさせられます。



 静謐で神々しさを感じる神の社。冬の冷え込み厳しいこの地には、ケヤキやムクノキ、エノキなど、ニレ科の落葉広葉樹が大木として優先する樹林を形成しています。
 シラカシやスダジイが優先しがちな関東の鎮守の森の野趣深い荒々しさとは対照的に、清らかで繊細な空気を感じます。



 一見健全に見えるこの森も、街中の孤立した森と同様の様々な問題を抱えているようです。
 高木の枝枯れは顕著で、巨木の衰退を感じます。
 林床はササやアオキ、棕櫚など都会の森で著しく増えて林床を占有しがちな種類ばかりが増えてしまい、それが本来の生育樹木の天然更新を妨げています。

 ニレ科落葉高木の衰退は、温暖化に伴う気候変動、大気汚染、市街化による地下水位の低下など、環境の変化が大きな原因なのでしょう。
 本来暖温帯域のこの地にケヤキなどのニレ科落葉樹の原生林が残ってきたのは、暖温帯域にしては冬の冷え込みが厳しい内陸の盆地であることと、三角州ゆえの地下水位の高さが、その大きな理由としてあげられます。

 今、温暖化が急速に進み、そして気候が大きく変動し、そのスピードがもたらす環境の変化はこれまで経験したことのないだけに、想像を超えることでしょう。


 
 近い将来、ニレ科の優先する糺の森の今の姿は、いずれ過去のものとなるかもしれません。



 木々が大木化してすでにニレ科の天然更新が見られず、乏しくなった林床に新たにニレ科やモミジを中心に補植の試みがなされています。



 密植して補植された木々は、今のところある程度健全な生育を見せている箇所が多く見られます。
 しかし、これからの時代、この地にますます今の森林構成が適さなくなる中、今の姿を維持しようとする補植樹種の選択がはたして正しいのか、私にはわかりません。

 では、温かな気候に適応する樹種を植えればよいかと言えば、そんな単純な問題でもありません。急速に温暖化してゆくと言えども、異常気象の多発、本来の寒さのぶり返す年もある中、土地に適応する新たな樹種構成を見出して手を打つことは並大抵のことではありません。

 が、これも考えていかねばならないことなのでしょう。100年先のことではなく、5年先、10年先の気候変動が我々に何をもたらすか、木々に何をもたらすか、それが近く訪れる早急な変化であるということを、こうした森の木々から否応なしに伝わります。



 森から湧き上がる御手洗の水が水源となる御手洗川。市街地の真っただ中にありながら、今はまだ豊かなこの森が水を溜めて川を作ります。
 森はいのちの生存基盤、いつまでも荘厳な森が絶えることのないよう、祈るばかりです。






投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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