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雑木の庭つくり日記

事務所の春と、新年度初庭の完成        平成26年4月3日


 いのちのざわめきに心躍る春が来ました。クロモジの芽が日に日にふくらみ、小さな花が開いたと思うと陽光に向かって葉が日に日に開いていきます。




 芽が開く直前の、エネルギーに満ちた芽先をなでるような春の日差しがやさしく、この時期は日本人の誰もが命の美しさに心安らぐのではないでしょうか。



 樹の陰で生き生きとした葉色が美しいアセビも、春の咲き始めの時期がもっとも清らかです。
 いつもはあまり目立たずに、それでも確実に庭に雰囲気を与えてくれる名脇役のアセビも、春の訪れに負けじと存在をアピールしつつ、他の木々と共に春の音色の合唱に力強く参加します。



 春の木々は、見る人の心に力と希望を与えてくれます。花ばかりでなく、力強く新葉を伸ばす姿が生きとし生けるものすべてに活力を与えてくれるようです。



 吉野ツツジも今が満開。木陰で木漏れ日を拾って静かに生きるこの木も、この時期ばかりは庭の中で最も目立つ印象的な色合いを見せます。普段はあまり威勢のよい木ではないのに、まるでこの開花の時期にすべてをかけて、生きているようです。



フキノトウはとっくに花の時期を終えて、柔らかな見慣れた春の葉が春の野の風情を感じさせます。
 四季があり、いのちの春が毎年訪れる素晴らしい日本の風土。
 このまま温暖化が進めば数十年後には北海道を除く日本のほとんどの平地は亜熱帯化すると言います。来年も、再来年も、いつまでも美しい春の野が見られますように、そんな祈りが春の音色に呼応して響くようです。



 芽吹き前の昨日、
今にも雨の降りだしそうな曇り空の下、4月に入って第一号となる庭の改修工事が終了し、引渡しとなりました。

 

  千葉県市川市sさんの庭、依頼いただいてから実に2年半ほどお待たせしての完成となりました。
 あいにくの空模様でよい庭の表情が撮れませんでしたが、1か月後には新緑の緑に包まれてその雰囲気は一変します。
 庭のある暮らしを夢見るお客様をお待たせするのはいつも心苦しく、気持ちばかり焦ってしまいますが、完成後、「待った甲斐がありました。」というお客様のありがたい言葉にいつも救われます。
 庭の完成は、縁の始まりです。庭を通してのお客様との付き合いが始まります。年月と共に美しく落ち着きを増してゆくように、私たちもまた、これまで作らせていただいた庭の木々たちと共に年を重ねていきます。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
本州最西端 山口県を訪ねて      平成26年3月13日

 日々、ご紹介したい話題が次々に湧き上がりつつも、あわただしい日々に追われてブログ更新がなかなか進まず、またまた先の更新から2週間が経過してしまいました。

 2週間前の週末、造園設計打ち合わせのため山口県を訪れました。
これまであまりなじみのなかった土地での造園依頼は、新たな土地との出会いの機会であり、人の営み、歴史、自然環境に触れることで様々な新しい発見があります。
 新たな土地で庭を作る際、その土地の歴史風土を感じ取る作業が必ず必要になります。暮らしの環境としての庭は風土と切り離しては考えることができないからです。

 今回も打ち合わせの後、わずか1日のタイトなスケジュールで、県内を駆け巡ります。

 
 
 東洋屈指の大鍾乳洞、秋芳洞を水源とする川のほとりに自生するナンテン。石灰を含んだ乳白色の流れに点々と赤い実を映しています。
 丈夫なナンテンの木は庭で扱いやすく、美しく、私ももちろんよく用いますが、こうして自生している状態を見るのは初めてかもしれません。石灰岩基岩を好む性質から、カルスト台地の地下から流れる流れのほとりが居心地がよいのでしょう。



 本来は中国東南アジア原産と推測されるナンテンが、この県内には他の優先種に負けることなく自生するに適する風土条件があるせいか、日本のナンテン自生地としては山口県萩市川上のユズ及びナンテン自生地が有名で、国の天然記念物に指定されています。

 木々というものは、風土が持つ潜在的な条件のもとで、まったく違った成長や姿を見せます。
金閣寺夕桂亭には有名なナンテンの床柱がありますが、床柱になるほどの太さのナンテンはどこで育ったのか、川のほとりに自生して風景に溶け込むナンテンを見て、様々想いが馳せていきます。



 東洋最大の石灰岩カルスト台地秋吉台の下、数億年の年月をかけて形成された秋芳洞。
 大地にしみ込んだ雨水に含まれる酸によって少しずつ石灰岩を溶けてゆき、様々に神秘的な光景を洞内に作り出しています。
 カルスト台地では雨水は地中深く浸透して地表流にならず、浸み込んだ水がこうしてその地中に空洞を作ります。



 洞内から流れる川岸、亜熱帯林を彷彿とさせる苔むして鬱蒼とした多様な森の様子に温暖で雨量の多く湿気のこもりやすい土地の特性を感じ、これほどの鍾乳洞が形成された理由も素直にうなずける気がします。
 海底に堆積した生物の遺体が隆起して生じたカルスト台地は石灰が作る空洞せいか、保水性が悪く台地上では森が育ちにくく草原化しやすいのに対し、カルストの下の鍾乳洞から豊富な水が湧き出し、その周囲に豊かで樹種に富む生気あふれる森が広がる様子に、「風の谷のナウシカ」に登場する、腐海の底の浄化された空間が目に浮かび、大地の声が聞こえてくるようです。



 日本海岸のマツ林。中国山地には松林の名残が今も多く、その最西端の山口県では海岸から内陸部まで広くマツ林が分布しています。
 森を伐採して放置すると、関東ではコナラクヌギの雑木林となり、関西以西では松林になると言いますが、遠い昔から用材としての木材利用に加え、たたら製鉄のために過酷に森を利用し続けてきた歴史が土地を痩せさせていき、松林が優先しやすい潜在的な条件を作ってきたのでしょう。



 萩城下町、武家屋敷の庭の巨大なアカマツ。アカマツは山口県の県木に指定されています。



 武家屋敷の梁組。梁だけでなく屋根を支える小屋束柱にもマツ材のなぐり丸太が用いられている光景は関東の小屋組みを見慣れている目に新鮮に映ります。
 数十年前まで、日本の主要な建築構造材だったこうしたマツの大径材も、今では古民家でしか見ることができなくなりました。
 日本の山が生活資源として利用されることなく放置されるにしたがって、まっさきに減少してゆく運命にあるのがマツなのでしょう。



 県内陸部の放置林。枯れた立木はマツです。松枯れは自然遷移過程で、人が森を使わなくなって放置されれば多くの場所で松の優先性は失われてゆきます。
 人の暮らしと共に森があった時代、その暮らし方が作った松林の光景は当然姿を変えていき、今後は海岸や痩せた岩場など、本来マツが優先しやすい一部の場所にのみ残ってゆくことでしょう。



 ちなみにこれは、今施工中の庭に建築中の農具小屋の小屋組みです。材料はすべて50年前に立てられ、最近解体された納屋の古材を用いています。
 桁、棟の丸太はもちろんマツ材。粘りが強く数百年以上も変わることのない耐久性を誇るこうした材も、昔は日本中どこでも周囲の山から簡単に伐りだして建築用材として用いられてきましたが、そんな日本建築の長い歴史もここ数十年で、消えゆくマツ林と共にあっという間に終焉を迎えました。

 今、次々と解体される古民家の材は宝の山です。古材を活かしてかつての建築文化を今に伝えるのも造園の中に託された使命の一つかもしれません。



 日本海に張り出した半島の先、北長門海岸を訪れます。対馬海流の影響を受けて温暖ながらも、常時湿気を含んだ潮風にさらされる海岸線の岩壁はトベラやシャリンバイがじゅうたんのように斜面を覆います。



 海岸線から一歩内陸に入ると、一面に広がる笠山のヤブツバキ林の光景。
 温暖多湿な気候と溶岩の基岩がこの地にヤブツバキを優先させてきたようです。



 それでも今のような純林に近いヤブツバキ林の風景のなったのはごく最近のことで、40年前は藪山だったと言います。
 ここを訪れた植物学者がこの地に優先的に自生するヤブツバキに着目して、ツバキによる観光地化を提言したのが今の風景の始まりだったのです。
 対馬暖流の影響を受けて、椿林の中にはコウライタチバナやタチバナ、クスドイゲ、チシャノキ、ハマセンダン、カゴノキなど、希少種を含む亜熱帯性の樹種が自生しているのもこの地の特殊な条件を想わせます。



暖地の海岸で普通に見られるこのハマビワも、私の地元千葉では全く見られません。



 椿林に点在する太い幹はシロダモの巨木。シロダモは関東で普通に見られますが、これほどの巨木の景色は見慣れず、これがシロダモだと気付くまでに時間を要しました。
 同じ樹種でも風土によって見せる表情や雰囲気は全く違う。木々を扱う私たちの仕事では、「適地に適木」というのはもちろん基本なのですが、同じ木でありながら環境風土によって顕れる性質の違いに触れると、驚きと同時にわが身の浅学を悟ります。



 カラスザンショウの大木。私の地元千葉の若い山にも多いのですが、ここまで太くなるまでには樹種が入れ替わります。カラスザンショウとはそういうものだという思い込みも、自生して立派な大木として森の主木構成樹種となっている様子に溶け落ちていきます。



 板根がそのまま這い上がって束となって幹が形成されたようなムクノキの表情。



森の主のようなホルトノキの巨木からは、沖縄の深い森の中のガジュマルの大木のような精気を感じます。



 丈夫な下草として庭によく用いるノシラン。これも関東の山では見かけず、自生している姿を見たのは初めてかもしれません。
 いのちにはふるさとがあり、植物を知るにはふるさとで見せる表情からその木の命を感じることが大切だと改めて気づかされます。



 萩城下町の崩れかけた土塀。どれほどの年月が経過したことでしょう。壁が役目を終えてその土地に土にかえっていきます。
 私もそんな造園、そんな生き方をしていきたいと、改めて思います。
たった1日の旅、旅は人生を豊かにしてくれます。






投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
暮の手入れ行脚に想うこと       平成25年12月17日

 今年も残すところあと2週間、11月半ば以降、一か月以上にわたり、毎日毎日庭の手入れのために西へ東へと駆け回ってきましたが、いまだ終わらず、年内だけでまだあと20件ほど廻らねばなりません。
 そして、この怒涛のような暮の手入れ行脚の果てに、爽やかな新年が待っているのです。

 手入れの季節というものは、私たちにとってわが息子のように愛おしい庭の木々たちや、お施主ご家族との再会の喜びのひと時でもあります。
 1年ぶり、あるいは半年ぶりのお客様方々との再会の度、まるで懐かしい友人に会うような、お互いそんな笑顔の中、どちらからともなく「お元気そうでなによりです。」との言葉が自然と発せられます。
 こうしてお互い時を重ね、そしてそれぞれの人生を見守るように庭の木々が寄り添います。

「木々は偉いなあと、つくづく思います。黙って成長して、夏は木陰を作ってくれて、秋はこんな素晴らしい紅葉を見せてくれて・・、家族を見守ってくれて・・、本当にすごいなあと感じます。」
 10年以上も前に庭を作らせていただいたお客さんが先日そんなことを言ってくださいました。
 その庭の作庭当時は入園したての幼稚園児だった男の子が早くももうすぐ高校生、彼は数年前から自分で庭に果樹を植え、花を植え、そして自分で面倒を見る、木を愛する優しい子に育ちました。
 
 木々を愛してくれるお客様はみんな、本当に心豊かで優しい方ばかり。そんな方々と、心から敬い合い、心を通わせつつ、生涯のお付き合いをさせていただけるというのが私たちの仕事なのです。

 私が独立して早くも15年ですから、その頃からお付き合いくださっているお施主さまの場合、当時小学生だった子供がすでに大学を卒業し、独り立ちする期間のお付き合いとなります。
 また、何人かのお施主さんはすでに亡くなり、さびしいお別れも幾度もありました。

 お客様と私たちとは、大方、どちらかが亡くなるまでの一生涯のお付き合いとなることが多くあります。
 そして、お施主が亡くなる前に、愛していた庭の木々のその後の面倒を見てくれるよう、遺言のように託されることもあります。
 木々を介したお付き合いは、心の奥深い部分での共感と敬意を伴うお付き合いとなります。
 木々を愛する温かで清らかなお施主の心に触れることで、私たち自身も、緩やかで確かな人としての成長を実感するのです。

 数日間に訪ねたお施主さんが、お茶をふるまってくださる一時、初顔合わせの若い社員にこう言われました。
「厳しい世界だろうけど頑張ってくださいね。素晴らしい仕事だから。木を好きになってくださいね。木は本当にいいですよ。とにかく木を愛してくださいね。」

 手入れに同行する若い社員たちの心にもお施主の爽やかな心遣いが浸みわたり、そんなかけがえのない感動の体験が、心豊かなお施主方々との触れ合いの中で繰り返されます。

 お施主さん家族との思い出は、私の心の中に庭の風景と共に刻み込まれます。
 そしてこうして手入れに訪れる度、その庭を作ったころの自分、当時の想い、お施主さんの温かい心遣い、ご家族の息吹と時間の経過、そんなものが胸をよぎり、しみじみと時の流れを感じます。

 手入れを通して、私たちは木々や庭のことを学びます。20年も造園の世界にいながらも、毎年手入れの際に庭を訪ねる度に、木々の生長や変化に新鮮に驚き、そして「どうして?」という思考の材料が与えられます。
 私たち人間のスパンをはるかに超える長い時間を生きて成熟してゆくのが自然の木々、それを理解し尽くすことなど、露のように短い命の我々にできるはずがありません。

 庭の手入れに廻る日々、私たちは毎日子供のような感動を味わい、そしていつも新たな発見がそこにあります。
 どんぐりが芽吹き、私たちが植えてもいない木々の種を小鳥や風が運び、そして芽吹き、その一部は庭の一員となっていきます。庭が自然となってゆく喜びと感動も、お施主と共に分け合います。

 手入れに廻り、庭やお施主さん方々と再会し、そしてかつての自分と再開する、そんな時間が暮の手入れの時間。
 1年間を無事に過ごさせていただいたことに心から感謝し、そしてこんな素晴らしい仕事ができることに感謝し、人や社会に恩返ししていきたい、これまでの庭を反省し、もっともっと良い庭を目指したいとの思いを煮詰めてゆくための貴重な時間、それが暮の手入れの時間です。

 素晴らしいお施主様方々に感謝と共に、これからも木々を介したたくさんの出会いへの希望を持って、良い年を迎えるべく、明日も手入れに廻ります。





投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
広葉樹混植密植による森つくりに想う。その2  平成25年12月11日
さて、神奈川県の環境保全林巡り随想記の続きです。



 ここは横須賀明光高等学校背面の環境保全林。30数年前に植樹されました。
 もともとここは粘板岩砕石を切りだしていた採石場跡の斜面で、植樹前の当時は粘板岩むき出しの岩盤だったといいます。



 植林前の斜面造営の際の写真です。
 粘板岩の岩盤を横に列状に溝を掘削し、そこに客土した様子が縞状に見られます。
 今の森からは想像もつかない、本来植樹不可能な場所に森を作ろうという、当時の森つくりへのすさまじい執念が写真から伝わり、頭が下がる思いです。



 そして地盤造成の後、約50センチメートル間隔にスダジイ、タブノキ、アラカシの3種類が植えられました。
 点々と赤く紅葉している樹種が見られますが、これは植樹後に進入してきたハゼの木です。

 今は鬱蒼とした常緑樹林の外観を呈しております。が、本来の自然林とは明らかに違う違和感が、やはり感じられます。



 森の中に分け入ると、細々と生き延びる常緑広葉樹の林床は光が届かずに暗く、林床植物もほとんど生育しておらず、生き物の気配も感じられないサイレントワールドを呈しています。
 小鳥の声も虫の音もまったく聞こえてきません。
 30数年の時間を経てなお、植栽樹木は平均5m程度にしか伸長せず、林床の植生も育たず、不健全な森であることは間違いないでしょう。
 それでも、林床にはトベラやシャリンバイ、ヒサカキ、ムクノキ、マメツゲなど、外部からの種の飛来による実生苗の芽吹きが見られます。しかし、同じ時期に植栽された木々が林冠を塞いで、林床植生が生育するのに必要な光が届かないため、これらの進入樹種が豊かな森の構成員として育ってゆくことは、少なくとも当面はないように感じます。

 この林床の様子から思い浮かぶのは、間伐放棄された不健全なスギやヒノキの人工林です。



 これは日本中によくある、管理放棄された杉の人工林の林床の様子です。木々は細々と不健康に伸長し、その林床は暗く、生き物の気配もありません。
 戦後に植林された人工林は日本全国で現在約1000万ヘクタール。実に国土の4分の1を占めます。その多くが不健全で生態系に乏しく、貧弱な森となっています。

 同じ時期に一斉に植栽された木々は競争しつつ一様に成長し、林床植生の健全な生育に必要な光を完全にさえぎってしまいます。そしてその森は災害にも弱く、生態系としても貧弱で、森としての多様で豊かな機能も発揮されにくい状態が長く続きます。



 放置されて貧弱化した不健全人工林に対し、この写真は、間伐作業を繰り返して比較的良好な状態に維持されてきた杉林です。
 間伐されて光差し込む明るい森には虫や小鳥をはじめ、様々な生き物が飛来し、そして小鳥や小動物を介した自然樹種の進入によって林床に豊かな植生が育ち、森が階層的に豊かになっていきます。進入した広葉樹の落ち葉は土壌環境をゆっくりと改善し、さらに豊かな命も森となっていくのです。



 健全な人工林の林床に対して、この環境保全林の林床は、明らかに生態系に乏しく、健全な森の姿とは程遠い様相が見られます。



 頭上の林冠は、高密度に植栽された常緑広葉樹が完全に光を遮っています。これでは、様々な生き物の種の進入による森の生態系の健全化には程遠いことでしょう。

 広葉樹混植密植による植樹は、自然林育成と位置付けられているようですが、人が一斉に植えた以上、人工林であることには変わりがありません。
 
 ここで大切なことは、人工林においてその森が健全で豊かなものに育ってゆくためには、植樹による樹種だけで完結するのではなく、植樹は自然再生のための一つのきっかけでしかなく、種の飛来、生き物の飛来定着によってはじめて
、その森が豊かな生態系として健全に育ち自立してゆくものであるという事実を忘れてはいけないと思います。

 自然に飛来する樹種の生育を促すためには、やはり林床の光環境が大切で、そのためには間伐、あるいは植え方の工夫によって改善してゆくことが必要でしょう。
 なるべく人手をかけずに森の自立を促すということであれば、これまでのように一面に密植するのではなく、例えば1坪あるいは2坪程度のブロット単位で密植し、、こうした密植植樹群を10m間隔程度に設定することで、他の樹種が入り込む余地が確保されるでしょう。
 これまでのような全面植栽によって種の進入を排除する方法ばかりでなく、種の進入、光環境を考慮したプロット単位のきっかけづくりの植樹方法。試してみる価値があるでしょう。

 また、岩盤を穿って植樹するという悪条件下で植樹されて30数年。これらの木々は密植による競争効果によって伸長成長が促されたにもかかわらず、樹高は5m程度。
 この森の姿からは、潮風にさらされる海岸斜面の荒れた森を彷彿とさせられます。
 シイ、タブ、カシ、といった深根性の常緑広葉樹では、土壌改善スピードも遅く、悪条件下ではなかなか樹高が伸びていきません。
 高木層の樹高が高くなり、林内の空間が広がれば、林内には階層的に植物の生育の余地が広がり、さらには多様な生き物の定着、生存が許容されるようになります。
 そのことによって森はさらに豊かで健全な姿へと移行してゆくことでしょう。

 例えばもし、こうした悪条件下でも進入しやすいセンダンやアカメガシワ、カラスザンショウ、ムクノキ、エノキなどが進入、伸長できるだけの光量が確保されていれば、これらの樹種は少ない土壌でも浅く根を広げて短期間に樹高を伸ばしてゆくことでしょう。そしてこうした落葉広葉樹の落ち葉は分解も早く、腐葉土となり、岩盤を覆い、徐々に土地を改善していき、こうして初めてシイカシなどの極相的な樹種が健全に生育できる環境が整います。

 木々の力、自然に飛来して生態系を豊かにする生き物たちが定着できる森、一朝一夕に作ることはできません。
 数百年の歳月を経て成熟するのが森の生態系というもので、わずか30年程度で結果を判断することは誰にもできません。
 しかし、より良い自然林再生、生態系保全という視点で、植樹方法をさらに改善、発展させ続ける必要があるということは、植樹後の森が語ってくれます。



 再びこの森の外から、森の外観を見ます。もともと緑など一切存在しない採掘跡の岩盤だったことを想うと、修景(景観を修復すること)緑化としては、一定の成功と言えることは間違いないでしょう。
 植樹、その尊い行為を将来の環境つくりに繋げてゆくために、その方法や目的、本質的な意義を検証しながら、進化させていかねばならないと、この森の外観を見るにつけて、改めて感じます。



 そして最後に訪れたのは横浜国大キャンバス。豊かに育った圧倒的なボリュームの緑が校内を包み込みます。
 ここもまた、30年前から継続的に行われてきたポット苗による植樹です。もともとゴルフ場跡地だったこのキャンバスは土壌条件がよく、木々は非常に良好に育っています。やはり、シイタブカシを中心とした常緑広葉樹林です。



 ポット苗からの植樹によって育成されたキャンバス内の木々は、軒並み強剪定がなされていました。木々の側面を切り詰めなければ、あっというまにキャンバス内の通り全体が冬でも暗い日陰となってしまうからでしょう。
 人間環境の快適性と植樹された木々との共存のため、こうした強度な剪定がここでは行われいているようです。



 強剪定がなされた、写真手前右側の木々は葉色が黄ばみ、明らかに不適切な剪定による乾燥被害の様相を呈しています。
 カシやタブは幹からの乾燥に弱く、強剪定によって幹に日差しが差し込むことで乾燥し、健康を害してしまうことがよくあります。
 ケヤキなどの落葉樹が林冠を占める森であれば、夏は木陰をつくり冬は葉をおとして日差しが差し込みます。明るい森には様々な小鳥が立ち寄り、その糞を介した種の飛来も促されます。

 剪定は木のためにも生態系育成のためにも極力避けるべきで、強度な剪定を繰り返さねば快適な人間環境が維持されないのであれば、こうした場所での樹種構成の在り方も柔軟に考えていく必要があることでしょう。
 剪定によって傷んだ木々をみて、そう感じさせられます。



 写真奥の木々は、このキャンバスにあってなお剪定を入れることなく、比較的自然のままに維持されたスペースです。木々は伸び伸びと道路を覆い、健康な森へと確実に進んでいる様子がうかがえます。



 内部に入ると、光が差し込みやすい林縁の道路際を中心に、小鳥の糞などを介して進入してきた下層植生が生育し、立体的な階層構造を有する本来の自然林になりつつある様子がうかがえます。道路によって枝葉を広げる空間の余地が生まれたこと、光差し込む林縁の環境が生じたことが、種の飛来定着による森の健全化につながったようです。
 また、ケヤキなどの落葉広葉樹林がこの森に隣接していることも、豊かで自立した森への育成が促される要因となっていることは間違いないでしょう。
 
こうした林縁環境のちょっとした違いで森は全く違う生育の過程をたどります。

 

  常緑樹ばかりで光の届かない植樹地の中は、なかなか健全で豊かな生態系へと育っては活きません。



 数百年の年月が育む健康な森。
 森は長い年月をかけて土を育み、そしてさまざなま種を許容しながら移り変わり、いのちを生み出す豊かな環境を育てます。
 こうした植樹が最終的に到達を目指すべきは、様々な樹種、様々な生き物が育まれて共存する命の森です。
 
 そのためには、自然の力をもっともっと活用した森つくりの在り方、いのちを呼び込む森の育成方法が求められます。

 私たちの思考のスパンをはるかに超えた年月を生きる森の木々、たかが30年でその結果など分からないのは当然です。
 しかし、かつての人々が森を育て、共存できる形で生かした経験にもどづく知恵の積み重ねが無理のない命溢れる環境を育てます。
 植樹は自然再生のためのたった一つのきっかけにすぎない、ということもよく認識する必要があるように感じます。

 未来の命のための森つくり、より価値のあるものへと進化させていかねばなりません。



 
 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
消えてゆく山林 千葉市にて       平成25年12月2日


 ここは千葉市若葉区小倉町を一直線に横切る御成街道の交差点。江戸時代初期、九十九里方面へでの鷹狩のために徳川家康が作らせた道の名残です。
 かつては船橋から東金まで、約37キロメートルをほぼ一直線で結んでいたと言いますが、千葉市内では今でも街の街道沿いに点々と森が残り、それがこの街に歴史の名残とのどかで落ち着いた雰囲気を感じさせてくれます。

 今日の手入れは、この御成街道付近、十数年来管理させていただいているTさんの庭です。
御成街道の歴史を感じる大木点在する森に隣接する、古くからの落ち着いた住宅地にあります。
 この辺りの森は市街地にありながらも、千葉市の都市計画の中で、残存緑地としてこれまでの間比較的良く保存されてきたようで、そのおかげで緑豊かで落ち着いた住環境が、かろうじてこれまで守られてきました。



 ところが今日訪ねると、Tさんの住宅地に隣接する森が切り開かれて造成されていました。あっという間の伐採だったと言います。サクラやエノキの大木群はすべてきれいになくなり、そしてここは住宅分譲地になると言います。
 金融緩和と消費税増税前の建築ラッシュの圧力は、都市近郊にあってなお、比較的豊かな緑を残してきた私の地元千葉に猛烈に襲い掛かり、その勢いに愕然とし、怒りと無力感を隠すことができません。
 
 Tさんも、この住環境の激変に愕然とし、「これまで残されてきた市街化調整区域の山林がなぜ消えてしまうのか。」と、関係者に聞いたところ、モノレール沿線から1キロ圏内では開発許可されることになったとのことでした。
 都市部だからこそ、貴重な緑であり、その価値はこれからさらに高まるはず。それが今年、次々とあっという間に消え去っていきます。

 今、私の生まれ育った千葉市では、今年後半になってあちこちで山林農地がはぎ取られ、造成されています。
 山林農地は、農産物はじめ様々な命の根源を生み出す土壌を永代に伝えます。都市部であればなおさら、残存する命の基盤たるべき山林農地は永代の貴重な財産であって、一時の紙切れと天秤にかけられるものでは決してありません。
 これまで過去延々と育んてきた山林農地をつぶすたびに、その地域は本当の、いのちの財産を貧困化させていくのです。



 こうして、はぎ取られた山林農地は重機で蹂躙され、区画されて住宅地となります。
今年ほど、その開発圧を実感した年はバブル以来、私の記憶にありません。



 ここ数か月であっという間に立ち並んだ新興分譲住宅地。狭い区画に同じような家が立ち並び、豊かな緑を育む余地もありません。



 駐車場に面した掃き出し窓、そして2mも隔てずに隣家と向かい合う窓配置、、、。これでどうして落ち着く生活が営めるというのでしょう。どうしてこんな心無い住まいが量産されるのでしょう。

 しかし、貴重な山林農地が次々とつぶされて、こんな分譲地ばかりが増え続け、そしてそんな住宅地がすぐに売れてゆくのも日本の現状なのでしょう。

 そこまでして一戸建てが欲しいのでしょうか。住まいは家族の大切なよりどころなのですから、生涯の大半の時間を暮らす住環境というものをきちんと考えて住む場所を選んでほしい、言い過ぎを承知ですが、今日見た光景にはついに突き動かされるものを感じます。

Tさんは言います。
「この家は敷地80坪で、庭に木があって落ち着いて暮らせる。それでもこの家を建てた40年前は、80坪でも狭い方だった。それが今は40坪以下の敷地いっぱいに家が建っている。窓の外に木もない。これでどうして落ち着いて住めるんだろうか。」

 心無い開発者、建築業者によって造成された見せかけばかりの心無い家は、住む人の心をどれほど蝕んでゆくことか、そんな環境ではたして本当に豊かな心が育めるのでしょうか。




 何百年もの間、この地域の暮らしを支え続けてきた森が、現代の暮らしの中で不要のものとされて、そして一つ、また一つと次々にはぎとられていきます。
 山林農地は豊かな土壌という、かけがえのない命の財産を後世に残します。だから、今だけの価値判断で消してはいけない。紙切れと引き換えにできるものではないと思うのです。
 いつまでも未来の財産収奪に基づく経済ではなく、これからは、いのちと生存基盤を守る経済の在り方を考えていかねばなりません。

 私自身、山林農地に囲まれた田舎に移住して6年となります。おそらく、大災害にあっても、この環境であれば、周囲で食料を得て、庭を耕し、何とか生きていける気がします。
 しかし、土を殺してしまった都会ではそうはいかないでしょう。

 何が大切か、そして未来のために、子供たちのために、希望の持てる地球を繋げるために、今を責任もって生きていかねばと思います。
 見せかけの景気つくりの効果で、今年の年末はいつになくひどい渋滞発生が多く、まるでバブルの頃を思い出します。
 

 


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