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雑木の庭つくり日記

落葉の下で・・・       平成26年12月7日


 片田舎の小さな我が事務所。木々の表情と差し込む日差しの美しさはいつも、ここで過ごすことの幸せを感じさせてくれます。
 師走に入り、
庭から庭へと片時の休みもなく動き続ける日々の中、今日は来客を迎えるために早朝から事務所の掃除です。
 水道管が凍るほどに冷え込む快晴の朝、木々越しに差し込む朝の日差しが穏やかで美しく、それを見ているだけで心穏やかに、木々と共に生きていることの幸福感に包まれます。
 せわしなく日々を送っていると、移り変わる季節を感じる心の余裕すら、いつの間にかなくしてしまうものです。
 そんな時は時折立ち止まって、庭を掃除し、窓を拭き、心に溜まった埃を掃き清めることが何よりです。



 紅葉も盛りを過ぎ、明るい日差しが差し込む初冬の庭に、イロハモミジが穏やかな日差しを浴びて一際美しく、1年の終わりをやさしく彩ります。
 師走に入り、毎日毎日早朝暗いうちに事務所を出立し、そして日が暮れてから現場から戻る日々が続き、のんびりと事務所の木々と対話する時間もなんだかとても久しぶりな気がします。
 この感動や豊かさを伝えたくて、自分はこれまで庭を作り続けてきたんだなと、改めて感じます。



 光と影、そしてそよ風に揺れる木漏れ日、ここにいて、空気を感じているだけで心も体もリセットされる、私にとってかけがえのないのがこの、ちっぽけな庭の木々たちなのです。



 大量の落ち葉に埋もれた庭を掃き集める。本当に毎年よく落としてくれます。これが私たちにとっては良質な腐葉土を作るための大切な資源になります。
 今年もまた1年間、感動をもらい、楽しませてくれて力をくれた木々たちに感謝しながら、プレゼントの落ち葉を集めます。



 小さな庭で、積もり積もった落ち葉をかき集めて地表が現れると、流れる空気が変わります。
それは、健康な地面に空気が引き込まれて抜けてゆく、地中と地上の空気の流れが変わるのです。
 狭く限られた庭においては特に、ずっと落ち葉を積もったままにせずに時に掃除して、一部分でも健康な地表を現わすことで、人にとっても心地よい空気の流れを保つことができる。それは同時に、土地の健康維持のためにもまた、効果的なことなのです。



 1か月以上も落ち葉が積もったままだった庭の地表から落ち葉を取り払うと、こうしてすでに根が浮いてきます。落ち葉の下では、このひと月の間ににぎやかな動きがあったことが分かります。



 細かな根が上を向いて伸びていき、そして積もった落ち葉に絡んで大地に引き戻そうとする、そんな活動が冬の地表で活発に繰り広げられているのです。
 落ち葉の中は根が活動するのに心地よく、こうして地表地表へと根が向かい、それが結果的に豊かな大地を守ることに繋がるのです。



 落ち葉に埋もれていた杉の幹の根元から新たな根が生じ、落ち葉によって供給されるあたらな環境の変化に対し、こうして積極的に動いてゆく、そんな生き生きとした木々の動きを感じることだできるのも、落ち葉掃除のおかげです。

 落ち葉を掃いて地表をむき出すと、露出した根は樹皮を発達させて木部と化し、地表に接する部分から新たな根をおろし、すぐに地表に潜り込んで大地を捕捉していきます。そこには水や空気の抜ける心地よい地表が生まれます。

 こんな木々の素晴らしさ、いのちの営みを、伝えたい想いに駆られます。



 事務所の落ち葉を積もりっぱなしにして大地に還す場所も残します。冬草のロゼットが、落ち葉の毛布をかぶって暖かそうにしています。

 木々の営みはいつも賑やかで、いつもたくさんのことを教えてくれます。



 小さな事務所の小さな庭、健康で元気な木々たちが共にいてくれるおかげで、どれほど心豊かに暮らせることでしょう。
 
 木々と共に生きる幸せ、いのちの営みは、人にとって本当に大切なものに気づかせてくれる、そして健康と力と生きる意味を感じさせてくれるのです。



 







投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
大地の再生講座 inちば      平成26年10月28日



 昨日、千葉市緑区の高田造園社有地にて、大地の再生講座(講師;矢野智徳 杜の園芸 NPO杜の会副理事長)を開催しました。
 週初めの月曜日だというのに、県外からも多数参加いただき、当初予定の20名定員をはるかに超えて、総勢30数名での、とてもにぎやかな屋外実地講座となりました。



 講師の矢野智徳さん。矢野さんはこれまでの長い間、現代土木工法の中で顧みられることなく閉塞させてしまった土中の気脈水脈を、本来の健全な状態に再生することを主眼に置いて、全国各地の山林農地、宅地における環境改善を手掛けてきました。
 6年前に山梨県の中山間地、上野原に移住し、その後は全国各地で大地の再生講座を開催しつつ、それぞれの地域が内在する自然環境の問題をえぐり出し、そしてその土地なりの問題に対応した環境改善に取り組んでこられました。

 矢野智徳氏の大地の再生講座開催は、千葉県では初めてとなります。しかも平日であるにもかかわらず、これだけの参加希望者が集まったのも、それだけ今の国土の現状や、自然環境を顧みない開発の在り方に疑問を感じ、真剣に学ぼうとされる方が非常に増えてきた、その証のようにようにも感じます。



 今回の講座のフィールドはここ、千葉県内によく見られる、放置された里山です。全体的に傾斜地で、上部の平地には畑と、40年前に開かれた小さな集落が点在します。
 斜面に残された山林はこうして、急斜面にはコナラを中心としたかつての里山利用の名残がみられ、緩やかな傾斜部分にはスギヒノキなどの植林地が点在します。放置されて久しい林内は総じて暗く、風通しが悪く、林床植物に乏しく、枯れ木や衰弱木が目立つ、不健全な山林がここ数十年、なおも増え続けているのです。
 まるで現代日本の経済成長の過程で打ち捨てられた里山の現状の縮図のような山林がここにあります。
 2年ほど前、荒れた里山再生利用の実習林としてこの地を取得し、そして今年に入って、ようやく山林整備と活用に向けて、いろいろと動き始めたところでした。
 
 利用されず、不健全化した山林農地の多くは高度経済成長期以降の大規模宅地開発の圧力に飲み込まれ、そして私たちの身近な生活空間から、日常的に感じることのできる本来の自然環境が次々と失われ続けてきました。
 それはそのまま、人が本来心の中に握りしめて生きてきた、美しいふるさとそのものを、まるで大きな爪ではぎ取られるように失われることを意味します。
 私たち多くの日本人は気づかぬうちにこうして大切な心の原風景を失い続けてきたように思います。

 そんな中、千葉県内では今、荒れた里山を再生し、本来の美しくのどかな千葉の自然環境を取り戻そうと、様々な市民活動が活発に展開し、それぞれの方法でボランティアによる山林整備が行われています。
 今回の講座開催の目的は、千葉の里山自然環境の問題を明らかにし、今後どのような視点で荒れた山林農地などの身近な自然環境を再生してゆくべきか、その大きな指針を定めるべく、千葉での大地の再生講座開催に至ったのです。



 こうした山林の地表は、表土がむき出して土が露出している箇所が数多く見られます。
 森が本当の意味で健康であれば、地表はふかふかの腐葉土が覆い、そこに木々の細根が張りめぐらされて腐葉土や落ち葉と絡まり、さらには下草が進入して表層を安定させて、急斜面でも土壌が浸食されない状態が形成されます。
 最近はこうした林床風景が多くの山林でごく当たり前の風景となってしまいましたが、実はそれは本来の健全な姿とは言えないのです。
 こうした地表の不健全な様相は、実は地下の水脈気脈の詰まり、いわば大地の呼吸不全に起因すると矢野さんは断言します。




 斜面林を下りきるとそこは、かつての小川が落ち葉や落ち枝、ヘドロに埋もれた泥沼となっています。そこに覆いかぶさるように、斜面林下部の木々の枝がひょろ長く張り出し、それがまたこの地の風通を停滞させます。

 もともとここには、千葉の独特の原風景の一つとなる山間の谷津田が広がり、清らかだった小川にはメダカやドジョウ、イモリにカエル、ホタルなど、たくさんの生き物にあふれていたと地元の方が言います。
 耕作放棄され、そして里山利用もなされなくなってからの数十年で、小川は泥に埋もれ、生き物にあふれた里山は、生き物にも乏しい不健全な様相へと変貌していったのです。



 この山林の不健康の原因は、斜面林最下部の小川の滞りから生じる地下水脈や気脈の停滞にあると矢野さんは断言します。

 最下部の小川が停滞し、ヘドロ化することで、斜面林に血管のように張りめぐらされた水脈が停滞します。水脈が滞ると、土中に空気が吸い込まれなくなり、土中の生物相が呼吸不全を起こし、劣化していきます。土中に水脈の動きが戻ると、ストローの吸い込みのようにそれに伴って空気も流れ込み、木々は細根を発達させ、そして活性化した土中生物相が多様化、健全化してゆく、そのためには最下流の泥沼の水の動きを健全化する必要があります。

 そこで今回、この小川の再生から作業が始めます。



 木々や森の不健全性を判断する際、私たちのように樹木を専門的に扱う者はつい、木々を取り巻く光環境や生物相、表層土壌、水はけといった、いわば目に見えやすい部分ばかりを中心に考えてしまいがちです。
 一方で矢野さんは、自然環境を読み取る際、その環境を作るファクターを以下の4つに集約して考えます。
 1つ目が土壌、地形、地質といった大地環境、2つ目が動植物相や人の生活といった生物環境、3つ目が空気や水の動きといった気象環境、4つ目は自転、磁気、重力、太陽、月の引力といった宇宙エネルギー環境、これが矢野さんによって集約された、自然環境を決定づける4つのファクターです。

 そのうち、地上の環境要因は大地環境、生物環境、気象環境の3つのファクターしかなく、今の自然環境の問題がどこに起因するか、このファクターに照らして丁寧に見ていけばおのずと読み取れます。
 
 今回、斜面林の再生と健全化のために、最も大切で根本的な作業が、一番下の小川の泥のくみ上げにあると判断したのです。


 
 まずは泥に埋もれた小川に散乱する枯れ枝などを流れの周囲に並べていきます。そしてそこにくみ上げた泥をかぶせていきます。
 それによってくみ上げた泥は小川に再びに流れ込みにくくなり、同時に枝葉の隙間から空気が入り込みやすい状態が作られることで、くみ上げた泥の生物環境が改善され、川岸の表層が安定してくるのです。

 こうした細かな配慮を何気なくこなす偉大な知恵、しかしながらかつて自然と向かい合って生きてきた先人たちは当たり前にそれを活かしてきたのでしょう。
 私たち人間ははたして進化していると言えるのか、自然環境を向き合えば向き合うほど、そんな疑問が生まれます。



 周囲の草も低く刈りすぎず、ちょうど風が吹けば均等になびくように、上部の重い葉先の部分を、風が払うように刈り取っていきます。
 本来自然界ではその仕事を風の流れが自然に行い、おのずと調和のとれたおとなしく健康な表層の状態を作り上げている、それに倣うように人がしてあげることが大切と言います。



 風道を通すための木々の整理も、あくまでやりすぎず、一つ一つ枝を振るってなびき方の違う枝先の重たい部分を取り払っていきます。
 水や風の働きを熟知する矢野さんの動きに、参加者みんなの目からうろこが落ちていきます。

 今回の講座には、造園関係者も10名以上参加されましたが、今回の矢野さんの手入れの思想や方法には、誰もが驚きと共に、実感を持って納得していきます。

 私自身、環境改善を主眼に造園を続けてゆく中、人にとって本当に心地よい環境は地上にも地中にも風と水が滞りなく流れ続ける環境にあり、それはすなわち多様な植物動物たちにとっても心地よい環境であることに行きつきました。
 しかしながら、矢野さんの存在を知り、その考え方や実績に触れるにつれて、私がこれまで主に庭を通して手掛けてきた環境改善とは、どちらかというとまだ、人の側の都合に重きを置いた環境改善であったことを反省させられます。



 泥をさらうと水量は一気に増して、まるで沼地に溜まった膿が一気に湧き出して流れてゆくようです。斜面林の下の小川、そしてそのほとりに田んぼが広がっていたかつての里山の暮らしの風景が、小川の再生作業によってみるみる蘇ってきたような感触を覚えます。

 流れの泥をさらうだけでなく、5m程度ごとに深みを作っていきます。本来自然の流れには水流によって適度に深みが形成され、それによって水の流れが加速せず、均質な速度を保つよう、実に微妙なコントロールが自然となされているのです。その作業をまた、人間が補います。



再生した小川に十分な深みをとってゆくため、急斜面に道を整備しながら重機を通していきます。
 土留めには倒木の丸太を使い、傾斜を調整していきます。腐りかけた丸太でも、芯の部分は強く腐りにくく、道の土留めには十分に活躍できる資材が山には溢れています。
 すべて、現地で材料を調達し、持ち出さず、あるもので作ってゆくのです。



 道の路盤には枝などの有機物とかぶせる土とのバランスをとって表層水が浸み込んでゆくように重機で直しつつ、ゆっくりと斜面降りていきます。
 この、ゆっくり作業することが自然環境にインパクトを与えない重機の扱いの大切なポイントと矢野さんは言います。
 重機の力はゴジラのように、使い方によっては自然環境を破壊し、一方で繊細に使ってゆくことで自然環境を再生してゆく大きな力にもなるのです。

 道の周辺の木々はなるべく伐らず、掘り取った株は道の谷側に植えつけていきなががら、植物の根によって道を補強していきます。



 急斜面を重機が下りると、かつてこの山の下部にあって今は埋もれてしまった道があっという間に再生されていきます。



 作られた山道は風の流れが一変し、心地よい空気の通り道が、閉塞感のあった林内に生まれました。
 
 よく、登山道が人の踏圧によって浸透性が低下し、水の通り道となってしまい、道が浸食されてゆく光景があちこちで見られますが、表層水の浸透と加速度をつけない水の逃がし方に対する細かな配慮がなされれば、重機が通るようなこうした山道でも雨水によって浸食されることのない、健全な道が作られるのです。



 重機を斜面林の最下部まで降ろしたところでお昼です。
 お昼は近所の方々や友人の農家から調達した野菜にお米、そしていただいた猪肉を煮込んだ猪鍋と、盛大な炊き出しとなりました。


 
 おいしい食材に薪焚きのご飯に猪鍋、新鮮で安全な具だくさんのお味噌汁、マクロビオティックの尾形先生によるとてもおいしい玄米ご飯と、こうしたイベントの醍醐味は食事にあります。



 高田造園の自然農園も、9月に土中水脈の改善を施した後、肥料もまったく施さないにもかかわらず、見事な生育を見せています。食べきれないほどのこの野菜たちも今日の料理に活躍です。
 水脈改善の効果は非常に短期間に目に見えて実感されます。こうした考え方が実際の社会環境つくりや自然環境の保全に活かされれば、日本の自然環境も、人の心も大きく変わってゆくことでしょう。



 昼食後、トイレがまだないこの山に、急きょ簡易トイレを作ることになりました。そこにある植物資材を用いて壁や屋根を作り、そして土中に還元されて分解される、バイオトイレがみるみる出来上がります。



 簡易 トイレの完成。用を足した後、腐葉土をぱらぱらまぶせるだけで分解が進み臭いもしません。風を通せば何も問題が起こらないと矢野さんは言います。
 そして、そこにある材料でこうした設備が次々と整っていく様子にみんなの心が躍ります。



 たった一日の作業が終了すると、じめじめと鬱蒼とした環境が一変し、風が抜け水音が心地よい、快適な空気感へと変貌したのをみんなが実感し、感動に包まれます。
 今回、この斜面林の肺とも言うべき、下部の水脈を再生することによって、この森は急速に健康を取り戻してゆくことでしょう。それはこの、明らかに変貌した空気を感じることで確信を持って時間されます。

 学ぶということ、それは実感と感動を持って理解してこそ、本当に自分の血肉となって人生を変えてゆくものになりうるものです。
 そしてそれが、今の偏った社会を健全な形に変えてゆくことに繋がる、そうした希望を持って今後も日々学び続け、そして活かしていきたいと、心に誓います。



 そして講座の翌日となる今朝、再び小川へ降りてみると、驚きの光景を目の当たりにします。整備した箇所のさらに上流部、泥沼だった箇所に3本の流れの筋が生じ、それが合流して昨日整備した水脈へと、停滞していた水が滾々と流れ込んでいたのです。
 この沼地の下流部を整備して水脈を再生したことで、今回整備の手が届かなかった上流部まで、自然の力で水脈が復活していたのです。
 
 自然の再生力、たくましさに息をのみ、そして立ちすくみます。自然は自ら自立して、全ての流れを健全な形に整えようとする、それを育む要因の多くは人の所作にありますが、それもよくよくきちんと自然との対話を取り戻していき、そして付き合い方を考え直すことで、思った以上に小さな力で変えていけるのではないか、この光景がそれを感じさせてくれました。

 矢野智徳氏、私は自分の道の途中で矢野さんを知り、惹かれ、そして出会い、学び、今後連携しながら共にやっていくことを約束しました。
 造園を通して環境つくりに取り組み、その先に見えてきた世界があります。そして、この人からとことん学びたい、吸収したい、そう思える人がいるということほど、幸せなことはないかもしれません。
 その素晴らしい機会がこうして与えられたことに、この山に感謝し、人に感謝し、全てに感謝する想いが自然と沸き起こります。

 真剣に、真摯に自分の道を追及していけば、自分がなすべき役割はおのずと与えられます。それもまた、ちょっとしたきっかけで自律して再生し、調和を取り戻そうとする自然界のシステムを目の当たりにして、その一員である人間の役割も、自然の中でおのずと与えられるもののように感じます。

 今回の講座開催に多大なご助力をいただきました地元の皆様、仲間、そして千葉での矢野さんの講座実現のために力添えくださいました方々、一生懸命作業してくださった参加者の皆様、本当にありがとうございました。

 








投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
深まる秋と高田造園の1か月      平成26年10月21日


 ここは信州、小淵沢周辺。南アルプスと八ケ岳の合間の雄大な景と透き通るような秋の空気が心と体を吹き抜けていき、洗われます。
 滞ることのない素晴らしい気の流れを全身に感じつつ、太古の昔から変わらない空気感に五感が研ぎ澄まされ、遠い昔やここでの様々な営みの歴史に思いを馳せます。

 稲刈りを終えて収穫の時、それが日本の秋というもの。青い空と遠い山並み、その下の稲穂の掛け干しの風景がたまらなく郷愁を誘います。

 めまぐるしいほどの忙しさと怒涛の日々。少年の頃の国語の教科書、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。」そんな言葉が頭をよぎります。 
 月日は矢のように過ぎ去って、そしてあっという間にまた一年と、年を重ねていきます。時間の大切さ、使い方、日ごと年ごとその重みは増していきます。
 価値ある日々、価値ある人生を生き抜くために、その時、自分に与えられた役目を正面から見据え、そして、道の途中で与えられた学ぶべき大切なものをきちんと学び、積み重ねていきつつ、心に栄養を与え続けていきたいと思います。

 様々な感動、様々な出来事、様々な想い、ブログで紹介できることはいつもほんのひとかけらにも過ぎません。

 一仕事が一段落した雨の午後、少し、最近の出来事を足早に紹介してみたいと思います。



 信州、縄文時代の遺跡が数多く発掘される井戸尻遺跡の周辺風景。長野県のほぼ中央に位置する八ケ岳山麓は、起伏に富む豊かな自然と清らかな湧き水に恵まれて、縄文時代には日本の人口の1割がこの地域に集中していたと言います。
 自然と共に生きてきたはるかかなたの先人たち、豊かで美しい、こんな素晴らしい地を選んで暮らしたその知恵と想念に、心の底から敬意と感動が沸き起こります。



 復元された縄文小屋。ここではその紹介は省きますが、アイヌのチセにも通じるその地の住まい方の合理性、美しさ、敬虔さに打たれます。



周辺の蓮田の美しさ、青空と山並の美しさ。縄文以降、この地に鍬を刻み、連綿と続いてきた人の暮らしの風景が、まるで大地の神の大きな懐に抱かれるようです。
 はるか数千年以上もの間、この地で生きた人たちが呼吸し、そして日々共に生き、敬ってきた風景が今もここにある、、そんなことに感動します。



 見上げると、トンビが悠々と空から大地をうかがいます。このトンビ舞う光景も幾千年と、時を超えて存在し、時を超えて人の心に様々問いかけ続けてきたことでしょう。

 大地の「気」、大きな気の流れやその対流、最近そんなことを敏感に感じるようになりました。ここはまだ、人や生き物を善導する、美しい気の力が感じられます。



 目の前に南アルプス鳳凰三山の山稜を望む、山梨県北杜市、五風十雨農場。ここを訪れるのも今回で3回目となりました。
 相も変わらずこの地には常に清らかで滞ることのない気が流れ、そして南アルプスの山並みへと吸い込まれてゆくようです。

 10月初旬、第4回目となるNPOダーチャサポート準備会議のため、東は千葉から西は広島まで、遠方からはるばる毎回、夢と志を共有する仲間が集まります。



 会議はいつもエンドレスで、しかしながら毎回確実に前進していきます。五風十雨農場周辺の、この素晴らしい土地にいよいよ、日本初の本物のダーチャ村が生まれようとしています。

 それは、インフラやエネルギー含め、現代生活をそのまま田舎に持ち込んで、地域の自然環境に大きなインパクトを及ぼす従来の別荘地開発とは全く異なり、その土地のあるがままの地形、あるがままの恵みを活かし、風雨を凌ぐに足るばかりのほんの小さな小屋を建て、人が周辺の自然環境を守り育てながら、自給的な自然の恵みを活かし感じつつ暮らす場所、それが私たちの目指すダーチャ村構想です。



 周辺の耕作放棄地、放置林を歩きます。ここが我々のダーチャ候補の一丁目一番地です。
誰が植えたか、この地のクリやクルミが今、豊饒の時節を迎え、拾いながら歩けばすぐに、両手の袋が一杯になります。



 緩やかな傾斜地、清らかな小川、周辺の山林、かつての段々畑の名残の地形がそのまま残るこうした土地。今は日本中で打ち捨てられた、かつての暮らしの忘れ形見のような土地を再生し、再びその地で人と大地とのつながりを再生したい、そんな願いもまた、私たち共通の想いです。

 五風十雨農場のダーチャ村について、興味ある方はお気軽にお問い合わせください。



 ダーチャ会議の帰路、山梨県都留市、かつての水力発電跡地に立ち寄ります。東電がここでの発電事業をから撤退して放置されて数十年、今、地元NPO団体によってこの施設を再生し、再び発電に活かす計画が進行しています。
 豊富な水と落差を活かして、かつてはこうした地域的な発電施設が山間地域のあちこちにあったのでしょう。
 これひとつで、現在の一般的な電力使用量に換算しても数百世帯分の電力が賄えるといいます。山間部の集落には十分かつ、ちょうど良い規模と言えるかもしれません。
 かつては地域小規模発電が、この国の山間地域の暮らしを支えてきたことを知ります。



 豊富で絶え間のない清らかな水流は周辺の山が生み出します。
 こうした、自然環境を活かした地域自給的な電力施設も、高度経済成長と共に集約化されたメガ発電化の波にのまれて消えていきました。
 今再び、地域自給型の小規模発電を、しかも新たにつくるのではなく、捨てられた施設を再生して使おうという、そんなここでの強い動きに、一筋の希望の光を見たような想いです。




 ここは東京都国立市、見事な桜並木です。道路2車線化と自転車専用道の整備計画に伴い、大きな桜の木々が選択的に伐採されることとなり、それに対して多くの国立市民が何とかこの木々を守れないかと、勉強会を続けているのでした。
 すでに伐採や、不適切な枝払いがなされた箇所を見た市民から、市への苦情や問い合わせが殺到したと言います。その結果、国立市も伐採計画を見直し、全体の3割程度の本数の、衰弱木として判定を受けたサクラの老木のみを伐採することになったのです。
 この桜並木の風景が変わってしまう。これまで素晴らしい環境を守ってくれた木々が伐られる、本当に伐る以外に方法はないのか、市民たちが定期的に集まって勉強会を開き、街の緑をみんなで守り育てようとしている、そんな動きが沸き起こっているのでした。

 緑豊かな美しい街の木々が、こんな素晴らしい自律した市民を育て、そして市民によって木々が守り育まれる、そんな関係を作ってしまう木々の素晴らしい力を改めて感じます。



 47年前に植樹され、そして与えられた場所で必死に生きる木々の力が、ここで暮らす市民に様々なことを教え続けてきたのでしょう。



 市によってC判定とされ、伐採されることになった木々を見ると、まだまだ精力にあふれ、生きようとする力をたくさん持っている木々ばかり。問題があるとすれば、道路工事の際に大きな枝を無残に伐られて乾燥し、急速に衰弱してしまった木々たちくらいです。

 C判定で伐採・・だれがどんな基準で判定したのか。その基準を尋ねると、腐朽菌類が発生し内部の空洞が進んでいるというもの、ということでした。
 内部が空洞化しても、木健康な状態であれば長寿を全うできます。生きようとする木々は、腐朽菌によって木部の腐朽が進めば、その分急速に周囲の細胞を増殖して盛り上がり、腐朽部を包み込んで塞いでいきます。その盛り上がり方を見れば、木々がまだまだ充分に生きていける力を持っているか、危険はないか、十分に判別できます。木々の健全性は単に腐朽の有無や進行具合で判断できるものではありません。
 反面、その木に生きようとする力が低ければ、腐朽の進行に対して組織増殖が追い付かず、衰退していきます。それが自然の流れであって、その見極めは必要な場合もあります。
 今回の国立市民の会、桜ネットの集いには、NPO杜の会、大地の再生師ともいうべき、矢野智徳氏のお誘いで参加させていただきました。
 私も矢野さんも、C判定を受けたこの木々はまだまだ問題なく、生きようとする力にあふれている、という見解を共有します。
 病気になったから伐る、危ないから伐る、もちろんその判断が必要な時もありますが、誰が何を根拠にそれを判断するか、本当はそこに問題があるように思えてなりません。
 経験と愛情に基づく判断は、全てを説明し尽くせないものです。自然というもの、木々というものは様々な要素の微妙な絡み合いの中で、健康に生き、あるいは健康を損ないます。そして彼らが発する様々なシグナル、それは本当にとても微妙なもので、木々との対話の経験と深さが左右する部分が多いように感じるのです。

 本当にこの木々は伐られなければならないのか、真摯に学びつつ、緑豊かな環境を守り伝えようとする国立市民のような動きが全国に広がれば、日本の街、環境は素晴らしいものに育ってゆくことでしょう。木々が人を育て、そして人が木々を守り育む、そんな関係を感じたひと時でした。



さて、仕事の話もしないといけません・・。
 今月は茨城県から静岡県まで、4件の造園工事を並行して進めております。
 ここは静岡県、浜名湖のほとり、Kさんの造園工事が始まっています。先日、植栽を始めたところです。



 木々が植わると家の見え方は一変します。
 


 遠い地での作業ですが、この地に造園観を共有できる仲間と一緒の作業に力が入ります。
 この地の自然環境を尊重し、なおかつ暮らしの風景になる、そんな空間を目指します。



 場所は変わってここは地元千葉、2年前に作った庭に、新たに木製カーポートを造作しました。



 豪雪にも大風にも耐えて長持ちし、しかも庭の木々に調和する佇まいを期しました。
 梁には古材の松梁を用い、どっしりした重量感と軽やかを兼ねる、明るい雰囲気に仕上がりました。



 水はけの悪い締め固められた土地で、植えた木々にもずいぶん苦労を掛けましたが、2年経過してようやく気脈通じて木々が元気に、本来の美しい姿へと健全に育ち始めたことを感じます。



 サービスヤードの家屋東側の高木。ぴったり家際に植えられた高木も、この地で2年を経てようやく自分の位置を把握して、外側へと枝を素直に伸ばしていきます。木々が健康に根を伸ばしつつある様子は、こうした姿で分かります。



ここは東京都世田谷区、この春から時間をかけて、少しずつ造園工事を進めています。
 玄関ポーチ脇の風防室に窓ガラスとガラス扉が入り、玄関ポーチ周辺が完成しました。
ガラスは今はなかなか手に入らない、かつての手すきのガラスです。ゆらゆらと透けて見えるその奥に奥庭の緑の空間が取り込まれ、静寂でとても品のよい空間が生まれました。



 シンプルですが、飽きることのない品のよい空間、それこそが、我々つくり手が意識すべき、最も根本的でもっとも大切な感覚なのかもしれません。



 玄関ポーチ奥の北庭。周辺の豊かな緑を取り込み、プライベートな屋外リビング空間となります。さて、これから表側の駐車場と玄関の庭を仕上げていきます。

 さて、、今月の活動を一挙公開しようと思うと、、まだまだ果てしなく長くなってしまいます。進行中の現場の紹介はこの程度にいたします。



 10月10日に発売開始となった、冊子を紹介いたします。
「心と体を癒す雑木の庭」 主婦の友社です。2年前に発売された「これからの雑木の庭」に続く第2弾です。
 今回は私の著書ではありませんが、40ページほど寄稿し、雑木の庭について、心身の健康増進効果など、少し新たな角度から解説しております。



 特に今回、力を込めて書かせていただいたのは、、木々の持つ環境形成作用についてです。樹木は周辺の環境に働きかけて、水や空気、土を改善し、様々な生物たちが共存して健康に生きてゆくことのできる、豊かな環境を育みます。
 その木々の環境改善効果や、それを活かしてきた先人の知恵、現代の庭で木々のこうした環境形成作用をどう生かすか、そんなことをページの許す範囲で書かせていただきました。



 また、管理については、単に手入れの方法の解説ではなく、木々を健康に育ててよい住環境を作ってゆくために、何が必要で何が不要か、どんな視点で樹と付き合うことが大切か、そんな想いを込めて、まとめてみました。

 少し専門的にで分かりにくい点もあるかもしれませんが、興味のある方は是非見ていただき、少しでも参考にしていただければ幸いです。




 収穫の秋と言いますが、今年の様々なことが結果となって顕れ始めるのもこの時期なのかもしれません。
 今年始めた自然農園の野菜が見事な生育を見せています。



毎日のように、間引きした野菜を持ち帰ります。



  2年前に数十㎝のポット苗を密植混植した樹木マウンドも、今は競争して最大樹高3mにも達しました。もう2年もすれば6m程度の小樹林となるでしょう。
 時の流れと共に、木々は育ち、そして命を宿し、風景を育てます。命と共にある生き方、仕事、そんな幸せを少しでも伝えられたら、そんなことを感じさせられます。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
自然環境と共に生きる アイヌ文化を訪ねて    平成26年9月30日



 ここは北海道苫小牧市、樽前山麓に位置する錦大沼。支笏湖を見下ろす名峰樽前山の南側流域には、今もこうした自然の湖沼や天然のままの河川が散在し、豊かな森に守られながら、太古から続く生き生きとした大地の息吹を感じさせてくれます。

 写真右奥に見える湖畔の浅瀬には、豊かな葦(アシ)が広がります。
 かつての日本、川も山も本来の命であふれていた時代、こうした葦原は日本中いたるところの湿地や川沿いに広大に広がっていたことでしょう。
 日本書紀の記述によると、日本国のことをかつて、葦原国(あしはらのくに)、または豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と称されていたことが分かります。
 その意味するところはすなわち、
湖畔や川岸に豊かな葦が生い茂り、その中に五穀豊穰の沃土が広がる自然の恵み豊かで美しい国土を表しています。
 はるか昔、倭人(大和民族)の祖先が海を渡ってこの国にたどり着き、その大地の豊かさ、美しさにどれほど感銘を受けたことか、葦原国という名前の響きと共に想像させられます。

 水辺の葦は、水を浄化し、下流域の住民に至るまで清浄な生活用水を提供し、さらには魚や水鳥をはじめ豊かな生き物の住処となり、そしてそれはかつての屋根葺きなどの材料として、日本全国でごく普通に用いられてきました。
 そうした、かつての日本の代名詞に等しい、豊かな自然とそれを表す豊かな葦原も、今ではごくわずかとなりましたが、この北海道の大地で命溢れる太古の日本を見つけたような、そんな雄大な想いに駆られます。



 湖畔にどこまでも広がる自然林。
 ミズナラ、ホオノキ、カツラ、シラカバ、ウダイカンバ、オヒョウニレ、ドロノキ、ハンノキ、ヤマグリ、カエデ、ナナカマド・・・。太平洋に近い低地ゆえに、北の大地にしてはやや温暖なこの周辺では、冷温帯性の落葉広葉樹林が生き生きと、美しく恵み豊かな様相を見せています。




 そしてここは苫小牧の隣町、白老町のポロト湖。カツラの木をくり抜いて作られた丸木船が、この地で長い間営まれてきたかつてのアイヌの人たちの暮らしぶりがはるかに偲ばれます。
 このポロト湖周辺には昔からアイヌの人たちの集落があり、今はアイヌ文化を伝える博物館として、当時の暮らしを伝えます。
 アイヌの丸木舟は、水辺の山中によく生育し、材が軽くて柔らかく加工しやすいカツラの木が、主な材料として用いられてきました。

 

 丸い穴は道東南部の森に見られるクマゲラの食痕です。東北以北の森の中に住む大型のキツツキ、クマゲラは、アイヌ語で「チップタッチカップカムイ」と言います。その意味は、「舟を掘る神」というもので、クマゲラは丸木舟のように楕円形に穴をあけることから、こうした名前が付けられたのでしょう。
 アイヌの世界では、身近な自然界の様々な生き物を神(カムイ)の化身した姿と見て、それぞれの役割を持ってこの地上世界、人間社会に存在すると考えてきました。
 こうした名前からも、とてもユーモラスな神との関係が感じられ、人も動物も植物も同じ地上の生き物として一つの大地に共に暮らす、そんなアイヌの自然観が感じられます。

 今回、私が所属する日本茅葺き文化協会(代表理事 安藤邦廣筑波大学名誉教授)主催の研修会で、アイヌの里を訪ねるべく、北の大地を訪れました。



 チセと呼ばれるかつてのアイヌ民族の住居は、屋根も壁も葦や茅などの、当時身近にあった葦原や萱原の植物を用い、全てが身近な自然の中から材料を得て作られてきました。
 水辺の豊富な白老のチセでは、主に葦が用いられてきたようです。

 むろん、そうした生活資材は地域の自然環境によって異なります。
 壁や屋根の材料としては、アシやススキ、ササと言った草類や、カバ、ドドマツ、キハダといった木の樹皮など、その土地の自然環境の下、採取が容易な素材が用いられてきました。



 旭川市にある私設のアイヌ記念館に復原された、クマザサの葉で作られたチセ。その美しさと空気感に息をのみます。



 壁も屋根もすべてクマザサで丁寧につくられて、まるで生き物のようです。



 可愛らしい外観のチセの窓。チセには決まって、南側に2つ、東側に1つと、窓が3つあります。
 主に東側の窓はカムイ(アイヌ語で神)の出入りする窓で、この窓の外から家の中を覗き込んではいけないという決まりごとがあります。
 そして南側の2つの窓は、一つは編み物などの作業のための明り採りのための窓、もう一つは台所の水を外に捨てるための窓と言います。
 窓の外にはよしずがかけられただけの、簡素で美しく、とても可愛らしく感じます。

 極寒の北国において、特にこうした植物の素材を用いることで壁の内部に空気の層ができることによる断熱効果によって、家の中は暖かく保たれてきたのです。



 チセの入り口は、アイヌ語でセムと呼ばれる風防室の玄関兼物置から入ります。



 チセの骨組みは至って簡素で、近世以前にはこうした細い材で組まれてきました。柱の上に梁・桁を回し、その上に三脚構造の丸太組みを家の長辺方向に2か所組み、その上部に棟木をかけて、そこから扇状に垂木を降ろします。垂木は安定するよう、三脚構造の中段に母屋を廻します。この垂木に「サキリ」と呼ばれる細い桟木を横に通して、その上に笹などの屋根材を結わえつけてゆくのです。



 壁も同様、細かなサキリ(横に通した桟木)に笹を5本ずつ束ねて、綿密に結わえつけているのは、極寒の気候に耐えうるよう、万全の断熱を期したものなのでしょう。
 そして柱は、北の山中の主要樹種、ミズナラを用いて土中埋め込みの掘っ立て構造となっています。この構造で、30年程度は十分に耐えうると言います。

 かつてのアイヌの住居は形として残っておらず、現在あるものはすべて復原されたものなのですが、住居が跡形もなく残らない理由はこの、掘っ立て構造ゆえなのでしょう。

 この掘っ立て構造について、今回の旅に同行してくださった日本民家研究の第一人者、安藤邦廣名誉教授は以下の通り着眼され、話されました。

 掘っ立て構造と言えば、倭国(アイヌ文化に対して、ここではあえて日本と言わず、倭国と言います)においても、日本の代表的な神宮、伊勢神宮も掘っ立て構造なのです。
 建築の常識では、掘っ立て構造は未開時代のレベルの低い建築構造と思われがちですが、日本の木造建築技術の粋、伊勢神宮が掘っ立て構造というのはどういうことでしょう。
 
 その答えをこの、アイヌの住まいが明かしてくれました。



 このアイヌ記念館のオーナーである生粋のアイヌ人、川村兼一さんがこう話されました。

「アイヌでは、家は女性のものと決まっている。その家の旦那が亡くなったら、壁をくり抜いて外に出して弔い、そして天国から戻ってこれないように壁の穴を塞いでしまう。死んだ後は神の世界で生前とと同じように家を建て、狩りをして暮らす。家を建てるのは男の仕事だから、死んだ後は男はまた天国で家を建てる。
 しかし、その家の奥さんが死んだら、家財道具ごと家を燃やして神の世界に送る。女が死んだあと、神の世界に行き、そこに家がないと困るから送る。もともと家は女のものだから、跡形なくすべて送ってしまい、天国で困らないようにしてあげる。」

 アイヌの家送りは、近代には支配者である明治国家によって禁止されましたが、それまでのはるか長い間、その家の主の女性が亡くなると、家も家財道具もすべて燃やして神の国に送り届けてきたのです。
 掘っ立て構造だからこそ、すべてを送ることができるわけで、基礎があればそれは残ってしまいます。人間の体が死んだら灰になってすべて土に還るように、家も跡形もなく自然に返すために、掘っ立て構造が持続され、そしてまた、人の半生程度の期限で自然に期してゆくにはこの構造で充分だったとも言えるでしょう。

 こうした風習が、所有に対する度を越えた人間の欲望が化け物のように際限なく拡大して、自然との関係、神との関係を壊してしまうことがないよう、暗黙の自制に繋がってきたことは言うまでもありません。

 その土地で自給的かつ持続的に暮らしてきて、そして消えてしまった先住民族の暮らし方に現代のわれわれが学まねばならない点は、こうした精神性や考え方にあります。

 身近な自然や神々と共に生きてきた先住民族の無欲で美しい精神性に心打たれます。

 伊勢神宮の掘っ立て構造も、20年ごとの式年遷宮の際に古いすべてを自然に返して新しくするという意味ではこの構造しかなく、見方を変えれば自然と人とが輪廻しながらいのちのやり取りをするなかで近代にいたるまで守られてきた掘っ立て構造のチセの文化のとてつもない気高さに胸が震えます。



 チセの内部、真ん中には大きな囲炉裏に常時薪がくべられて、独特の火棚にサケやマスなどを吊るして燻製にします。
 内部に床はなく、土間の上に茅や、ガマの葉を編み込んだゴザを幾枚にも敷いて過ごしたと言います。

 「寒いのではないか」と思われる方が多いと思いますが、かつてのチセでは土間の表面温度は外が氷点下30度の極寒の時期でもなんと摂氏2度を下回らなかったとの研究報告があります。(宇佐美智和子 研究報告)
 アイヌのチセでは現代住宅においても最先端のパッシブ技術である、地熱の有効利用がなされていたのです。
 土間の表面を蓆で覆って風にさらされて熱が奪われにくくしておき、そして年中、ちょろちょろと囲炉裏をともし続けるのです。それによって地盤に蓄熱される上、地下からの温熱も土間に伝えて冬でも温かな住まいの環境を維持していたというから驚きです。
 実際に冬のチセで暮らしが営まれていた際の体感温度は20度程度だったと、宇佐美女史が観測によって明らかにしています。
 
 外部からのエネルギーを用いずとも快適で、そしてその土地の自然環境の中ですべての素材を容易に集めて住まいをつくり、家としての役目を終えたら大地に還す。今の建築技術が及びもつかない、驚くほどの最先端をゆく暮らしがはるか昔から、アイヌのチセにあったのです。

 今の世界、先進国とか、発展途上とか、後進国とか、そんな一元的で、未来の生存基盤たる自然環境の搾取と破壊の上でしか決して成り立たない、ナンセンスな価値基準が意味をなさなくなる時代が近い将来、必ず訪れることでしょう。その時を迎えることなく、今後も人類が持続してゆくためには、自然と折り合いをつけて生きてきた先住民族の暮らし方に学ぶ必要があることでしょう。

 「原始的」などと、悲惨な差別を受けてその誇り高い文化を破壊されてしまったアイヌ民族の暮らし方や世界観は途方もなく素晴らしく、持続的で、人間本来のあるべき姿を示しているように感じます。



 囲炉裏の脇には、火の神様を祭る、イナウと呼ばれる木を削って作られた木幣があります。狩りに出る際、このイナウに祈りをささげて、豊漁を祈ります。そして、例えばサケが採れた際には、一番おいしい部分であるハラミを火にくべて、火の神様に捧げるのです。
 反面、祈りをささげたにもかかわらず、不漁であった日には、「なぜ祈りを聞いてくれないのだ。その怠慢を改めねばお供えしないぞ。」と、厳しい口調で神様を脅すこともあると言います。あまりにも人間的でユーモラスな宗教観ではないでしょうか。

 ともかくも、サケが採れたときは、ハラミの部分を神様に捧げる他、内臓は外の木の枝に引っ掛けてカラスや獣たちに分け与え、その残りが人間の取り分となると言います。
(写真;白老ポロトコタンのチセ)



 囲炉裏でいぶして保存食とし、冬の食料となります。鮭はアイヌの暮らしに欠かすことのできない命の糧で、アイヌ語で「神の魚」を意味するカムイチェプと呼ばれ、その収穫の際にもサケの魂を神の国に送る儀式を行い、そして感謝をこめて命の肉体をいただくのです。(写真;白老ポロトコタンのチセ)



 神の国から役目を与えられて毎年たくさんのサケが川を遡上します。「来年もまた帰ってきてくれ」との祈りをささげて、収奪し過ぎず、生きる上で必要な分を収穫します。
 ちなみに、アイヌ社会では川は山から流れるものではなく、神の恵みを受けて海から人の世界へと登ってくるものと考えます。それはまるでサケがその身をさげて遡上してくるようです。
 アイヌにとって川も神聖な神の化身であり、そこで洗濯したり小便をすることは厳しく戒められてきたのです。



 話はチセの土間に戻ります。これは川岸や湿地に生育するガマを編み込んで作ったゴザで、これがチセの土間に敷かれます。
 断熱に優れて温かく、時にその中にガマの穂をほぐした綿を入れることもあったようです。

 

 これが収穫して乾燥させたガマの葉です。



 これを、オヒョウニレという、北海道に自生するニレ科の高木の、内皮の繊維を編み込んた糸で紡ぎ、優れた断熱性のある美しいござとなり、暮らしを快適にしてきたのです。



 オヒョウニレの繊維から糸をつむぐアイヌの女性。1枚のガマのゴザを作るのに用いる糸を紡ぐのに3週間以上かかると言います。



 仕上がったオヒョウニレの糸。ゴザの他、衣服や家屋における茅の結束など、アイヌの暮らしの中で欠かせないものとして様々用いられてきました。



 紡ぐ前のオヒョウニレの繊維。



 オヒョウニレの樹皮。皮をむきやすい5月から6月ごろに収穫し、そして繊維として使える内側の皮を用います。
 すべてはこうしたその場の森の恵みから、生活の糧を得てきたのです。



アイヌの食糧庫。ここに常時、平均して2年分の食糧が各自備蓄されていたと言います。



 そしてこれは、小熊の飼育用の柵です。
 有名な、「イオマンテ」と呼ばれるアイヌのクマの霊送りについては、耳にしたことがおありの方も多いことと思います。
 アイヌの人々にとって、全ての生き物は神の化身と考えますが、とりわけクマとシマフクロウは最も位の高い重要な神として丁重に扱われました。
 狩猟の際に母熊が小熊を連れていた際、その小熊を殺すことなく、この飼育用の檻で1年~2年間程度大切に飼育し、そしてクマの霊送りの際に、その魂を神の世界に送りかえすのです。
 その際、クマに様々なお供えと祈りをささげ、また地上に戻ってきてくれるよう、たくさんの土産を供えて神の国に還すのです。
 
 神の国に還ったクマは、土産を仲間に分けて、「人間にこんなにふるまってもらった」と、さかんに土産話を披露するのです。それを聞いた仲間のクマ神たちは、自分もその恩恵にあずかろうと翌年、たくさんのクマ神が人間世界を訪れて、賓客として迎え入れられることになるのです。
 それは現実的には、アイヌの人たちにとってたくさんの獲物が獲得できるということになるのです。
 このクマの霊送りは、人知を超える自然界を象徴する神と人との相互扶助的な関係が背景に感じられ、これが生きとし生けるものに感謝して分をわきまえて度を越さず、自然界において未来永劫にわたって共存して生きる、アイヌ文化の象徴として、語り伝えられてきました。



 2008年、先住民族サミットが開催された二風谷アイヌ集落を最後に、3日間の旅を終えて帰途に就きます。
 
 ここは今、日本初のアイヌ初の国会議員となった故萱野茂氏によって開設されたアイヌ文化資料館です。
萱野茂氏は、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知ってほしい」と、国会の委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも知られます。

 萱野氏は、裁判の末に、アイヌ民族をこの二風谷の地から強制的に追放した国によるダム建設を違法とし、アイヌ民族を先住民族として認める判決を勝ち取ったのです。
 
 このことは、少数民族に対する差別や民族の文化、生きる権利まで奪われてきた世界各地の先住民族にとって、大きな希望の光となりました。

 世界中の地域に、その土地の自然環境の中で自然を畏れ敬い、大地を崇め、感謝と節度を決して失うことなく、その土地の自然環境が支えられる範囲で分を超えずに暮らしてきた、先住民族がいます。
 収奪し過ぎれば、そこでの未来の暮らしはたちいかなくなります。そこに自然を神として人の分をわきまえる戒律や風習が生まれ、守られてきました。
 彼らの暮らしは敬虔で、豊かで、そして知恵にあふれたものでした。

 アイヌの暮らしと精神性、そしてその暮らしも人権も踏みにじられ続けた近世以降の彼らの境遇を想う時、国家とはなんだろう、経済とはなんだろう、強く考えさせられます。
 自給的な暮らしの豊かさは国家や権力者の豊かさに結びつかず、それゆえに世界中で自然と共に生きてきた先住民族の権利も暮らし方も迫害されて奪われ、同化を強いられ、貨幣経済に巻き込まれ、そして崩れていきました。

 アイヌ民族が近代以降、その命の糧というべき自給的な大切なサケ漁をも禁じられたのと同じく、熱帯アフリカや東南アジアの先住民たちも、自給的な暮らしを奪われて、プランテーションによる、商品価値のある単一作物の効率的な生産を強いられ、その文化も神も、自給的で持続的な生き方を失いました。

 人は大地から離れることで命の本質を見失い、そして独善的に歯止めを失っていきます。生きるということ、人間であることの本質たる知恵も失います。
 すべての欲望は歯止めを持たねばなりません。それを失ったとき、気付いた時にはすでに人類は未来永劫の生きる基盤を失ってしまっていることでしょう。
 その土地の自然と共に分を超えず、動植物の命に感謝して暮らしてきた、先住民族の生き方や精神性に、私たちは再び学び、そして原点に立ち返らねばなりません。

 先住民族に対する長年の激しい差別を想う時、最近のヘイトスピーチに見られる下劣な精神性、国連の勧告を受けてもいまだ本気で差別に対処しようとしないばかりか、それを利用する下劣な政権、下劣な政界財界指導者たち、そしてそれを生み出す日本社会に、どうにもならない情けなさ悲しさを感じます。

 これからの社会、未来のため、未来の子供たちのため、そして生きとし生けるものたちのため、課せられた役割をしっかりと果していきたいと思います。

 素晴らしい研修会を企画くださった日本茅葺き文化協会役員の皆様、そして親切にいろいろと教えてくださったアイヌの皆様、本当にありがとうございました。
 
 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
千葉県市川市の庭 植栽と土壌環境の再生  平成26年9月19日


 千葉県市川市、Tさんの庭の植栽が本日終了しました。あとはTさんセルフビルドによる薪棚、木柵、そして、来週施工予定の駐車場工事を残すのみとなります。
 植栽前は丸裸だった、山小屋のような佇まいの美しい家屋もようやく木々の合間に落ち着きました。



 雨樋がなく、2階屋根からの雨水を受けるため、広い雨落ちスペースを設け、その内側に叩きの土間が廻ります。植栽スペースはわずかな幅ですが、わずかな庭を隔てて向き合う隣家との目線の衝突を、木々の枝葉が優しく緩和します。



 狭い庭こそ、家際の雑木植栽が活きてきます。眺望のよい2階をリビングとするこの住まいでは、2階窓からの景ばかりでなく、夏の日差しや強風を和らげて快適な環境を作る木々の効果が心地よい住まいの環境を作ります。
 眺望を妨げず、なおかつ木々越しに落ち着く窓辺の景となり、さらには夏の厳しい日差しが緩和されて、快適な住環境として育ってゆくよう、植栽を配します。
 住まいに対して適切な植栽は美しい家屋の外観を生み出します。



家際、窓辺を中心として配植し、なおかつそれぞれの木々が将来伸びてゆく空間にも配慮します。数年後には、敷地の頭上を落葉高木の枝葉が占有する、木々の中の佇まいへと育ってゆくことでしょう。



 叩きの土間に落ちる木漏れ日の表情。光と影が躍る庭の表情は刻一刻と変化し、飽きることがありません。



 幅3m足らずの植栽スペースですが、ひとたび踏み込むと、すでに森の中の精気が感じられます。木々が健康に、自然で、ここに移住させられた木々が生き生きと育ってゆくよう、様々な配慮を尽くします。
 人が快適と感じ、健康でいられる環境とは、木々や他の生き物たちにとっても健康でいられる環境なのです。
 したがって、住む人にとって本当の意味で良い環境を作ろうと思えば、木々や様々な大地の生き物たちが快適に健康に生きられる環境つくりしなければなりません。
 そのためには、植栽後、土壌環境を含めて力強く環境が改善される植栽の在り方、樹種の組み合わせや、庭を構成する素材の選択に至るまで配慮してゆくことはもちろん、宅地造成によって破壊された土中の水脈や気脈を再生することも、早い段階で健康な環境を作り出すうえで、とても大切になるのです。



 植栽整地仕上げ後、実際の表土を見ると、生き物のいない荒れた土壌構造であることが分かります。植栽の際には大量の堆肥等の有機物資材を漉き込みますが、それですぐに土の健康が改善されるというものではありません。一度壊してしまった豊かな土を改善するには、それなりの時間をかけた対処が必要なのです。
もともとは豊かな関東ロームの畑土だったのですが、重機に蹂躙されて締め固められ、その後の開発、建築工事によって踏みしめられ、そして命育む豊かな土地は痩せ衰えていきます。こうした土壌は流亡しやすく、保水性も透水性もなく、固く乾燥しやすい状態となります。

 植栽の際、こうした悪質な条件で、安易に樹木の周りだけ良質な土壌に入れ替えるというのが、これまでの造園土木の常識でしたが、それだけでは根本的な解決にはなりません。なぜなら、土中深い位置に至るまで、大地が健康であるために必要な、土中の水脈や気脈を含めて根本的に改善していくという発想こそが、実は大切なのです。



 少し、土について説明します。これは土中の生物活動が豊富な、ふかふかの生きた土です。よく見ると、小さな粒状になっているのが分かると思います。この土壌構造を「団粒構造」と言い、実際にはスポンジのように柔らかで壊れやすく、その空隙にたくさんの水や空気を蓄えます。また、構造上、毛細管現象が起こりにくいために土が乾燥しにくく、木々にとっても、あるいは他の様々な生き物たちにとっても、命の源となる土壌の状態と言っても過言ではないでしょう。
 健康な森林土壌の貯水効果や浄水効果は、団粒構造に起因します。



 一方、固く締まった塊となる、締め固められた造成地や荒れ地に見られるこうした土壌構造を「細粒構造」と言います。こうした土は、雨が降ればどろどろの粘土のようになり、日差にさらされればすぐに乾燥し、固くなります。
 よく、土の色で、「黒土」がよいとか、「関東ローム」だからよいとか言いますが、元の土がいくら有機質に富む豊かなものであっても、重機による造成や踏みしめによって団粒構造を壊してしまえばそれは全く良い土ではなくなるのです。土の色や種類ではなく、土壌の構造が良し悪しを決定づけると言えるでしょう。
 乾燥しやすく、保水性のない、浸透せずに泥水となって流亡しやすい、そんな環境を増やしているのが今の宅地開発の現状です。

 そして、一度壊してしまったいのちある土を再生するのも、やはり「いのち」の力以外にないのです。



 造成された土地は透水性に乏しく、それが集中豪雨の際の都会の水害や井戸の枯渇など、様々な問題を引き起こします。そのため最近の住宅地では、雨水をなるべく土中に吸収させるべく、浸透桝の設置を義務付けることが増えてきました。
 Tさんの住宅地も同様、行政の指導によって開発の際に敷地のいたるところに、こうした浸透桝が設置されています。



 浸透設備の構造は、穴の開いたこうした集水桝の周りに、透水性のあるビニルシートでくるんだ砂利を配し、雨水を土に浸透させようとします。そして、暗渠管という穴の開いた管をやはり透水シートと砂利でくるんで敷地に巡らせて集め、浸透しきれない分を地中管によって敷地外に排水します。

 これが今、一般的な浸透設備の在り方ですが、この構造の致命的な欠陥が二つほど挙げられます。
 一つは、こうした人工的な素材は、徐々に目詰まりして効果を失うということ、もう一つは、その浸透性は結局は周囲の土壌の浸透能力に限定されるため、造成によって締め固められた、死んだ土においては、何の根本的な解決にもならないのです。



 一方、このバケツの土は、庭に植えるために、リュウノヒゲのポット苗の根を振るった際の土です。ポット苗の中でさえ、根の作用と共生する土壌生物の力で団粒構造が育っていることが一目瞭然です。
 土壌を改善するのは植物の根の作用と、共生する多様な土中生物の働き以外ないのです。
土壌改良の際に有機物を漉き込む大きな理由の一つは、こうした土中生物の進入しやすい条件を整えることにあります。

 人工的な暗渠はいずれ詰まる、しかし、自然が作る団粒構造、そして年月をかけて作られる健康な大地の水脈は永久に詰まることがありません。土地の浸透性を高めるためには、人工的な手法によって不自然な何かを設置するという発想ではなく、豊かな大地を自然の力で再生してゆくという発想こそが大切なのです。



 私たちの植栽では、高木樹種から中木、低木、下草と、木々を階層的に組み合わせて、圧倒的な数量の植物を植えます。その中心には、力強く根を伸ばして早期に環境を改善してゆく力の強いコナラなどの落葉高木樹種を主体に用います。
 樹木を一本ずつ植えるのではなく、樹木群として組み合わせて植える理由は、たくさんの根の枯死再生によって土中に大量の有機物を持続的に供給し、土中の改善効果を高めることも大きな目的となります。



 それだけでなく、畑の周囲に配した、苗木混植による生垣植栽部分にも、この土地の水脈を改善するための一作業を施しています。
 この下の深い位置にまで土を掘り下げ、大きな石と土をサンドイッチしながら埋戻し、その上に、カシやタブ、クリやコナラ、モミジなど、1m程度の苗木を混植しています。
 地中深くから大きな石と土をサンドイッチすることで、土が自重によって圧密されにくく、水や空気が浸透する条件を整えます。さらに、カシなどの深根性の高木樹種の苗木を配することで、早い段階で根が土中深くに達し、力強く土壌を解消し、透水性を高めます。そして良くなった土はさらに、この土地の木々を健康にしていきます。

 「カシなど、大きくなったらどうすんの?」と思われる方もおられると思いますが、この生垣は畑への日差しを遮らないよう、最大2m以内の樹高程度で管理する予定です。根元から伐り戻しと萌芽による再生を繰り返しながら、小さな樹高で健康に活かしつつ、根の働きによって土中水脈や気脈の改善効果を発揮させ続けるのです。



 その土地を健康にしてゆくこと、木々にとっても人にとっても健康でいられる環境を再生するという発想が、これからの住環境つくりにますます求められることでしょう。

 病んだ土地を健康な大地に再生する、とてもやりがいのある仕事です。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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