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雑木の庭つくり日記

春の施工庭巡り 市原市Aさんの庭    平成26年5月18日


昨年10月に竣工した千葉県市原市Aさんの庭です。春を迎えて新芽が出そろい、庭の表情は一変しました。



 植栽して初めての春には枯れ枝も多く発生します。それもこの地になじんでゆく過程というもので、木々の命の証です。
 植栽幅2mに満たない細長い庭ですが、それでもこれだけのボリュームある植栽が、家屋の環境形成に必要です。
 暮らしの環境は木々によって激変するのです。



 植栽後半年を経て木々はずいぶんとなじんできました。景色が馴染んでゆくことは木々の健康の証でもあります。

 昨秋に植栽したAさんの庭も、新築されてから5年間の間、この木々はなく、丸裸の状態で5年間を過ごされました。カーテンは空けられず、また大きな開口を通して差し込む夏の日差しは、今思えば地獄だったと言います。
 そんな暮らしを一変させたのが植栽です。今はカーテンを常に開けっ放し、1日に幾度となく、ワクワクしながら庭に出て、心地よい空気を呼吸する、そして木の下の椅子でまどろむ時間、この木々のおかげでAさんの週末は大きく変わったのです。

 木々を活かすことで住環境は別物になります。かくも素晴らしきは木々の力、このかけがえのない緑の力をもっともっとたくさんの人に知っていただきたい、暮らしの環境つくりに活かしていただきたい、植栽によってお施主の暮らしが大きく変わるのを目の当たりにするたび、私たちもこの仕事に対する情熱とエネルギーをいただきます。

 春は木々が心地よく、いい季節です。




投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
ダーチャサポートプロジェクト始動 前編  平成26年5月10日


 ここは山梨県北杜市。西に南アルプス、東に八ケ岳連峰と、日本を代表する中部山岳の山々に囲まれた冷涼な高地、その山間に風景に溶け込むのどかで美しい暮らしの風景が今も変わらずに見られます。
 登山に明け暮れた若い頃、山に向かう中央本線の車窓から見たこんな風景は今も変わらず、ここではまるで何十年も時が止まっているような、そんな懐かしさを感じます。

 連休明けの7日から、NPO立ち上げ準備会合のために、この地を訪れました。
 今私たちが立ち上げの準備を進めているのは、「NPOダーチャサポート」と言います。
 今後その活動を通して、里山や耕作放棄地の再生、食糧・エネルギーを含む自給的暮らしの場を多くの人に提供していきたいと考えております。
 また同時に、自然とかけ離れてしまった街の人たちに週末田舎暮らしの場を提供し、様々な形で自律した自然共生型の暮らしのサポーをトしていきます。

 ここで少しばかり、ダーチャというものについて紹介したいと思います。

 ダーチャとは、ロシアにおける、簡易ハウスのある菜園用地を言います。都市郊外の自然豊かな田舎にダーチャ村は点在し、今も8割以上のロシア人世帯が、ダーチャを所有しています。
 彼らは普段は都会のアパートなどに居住し、週末には家族と共に郊外のダーチャで過ごすことが多いようです。

 7年前、ロシアサンクトペテルブルグ市で催された日本庭園講座開催のためにロシアを訪れた時、初めて私はダーチャの存在を知りました。
 週末を彼らのダーチャで過ごさせていただき、都会を離れ、大地と共に生きる時間をとても大切にする、陽気なロシアの方々と共に暮らす中で、日本人もこんなライフスタイルが実現できれば、人も社会もどれほど心豊かなものになるだろうと、強く感じたのです。



 これはハバロフスクの夏のダーチャです。(写真提供;神奈川県日本ユーラシア協会理事長 柴田順吉氏)
 ダーチャの一区画は平均200坪から250坪程度で、彼らはそこに自分で家を建て、果樹を植え、畑を耕しながらゆっくりとした田舎の時間を楽しんでいるのです。



 ダーチャの畑です。夏のダーチャは一年を通して最も美しい時で、野菜に穀物、果物と、様々な作物が次々に実ります。ロシアの多くの人は今も、ダーチャで自給的な作物栽培を続けているのです。
 実際に、ダーチャでの食糧生産は大変なもので、例えばロシア全体のジャガイモの8割はダーチャで自給的に生産されていると言います。
 かつてのソ連崩壊における経済危機の際にも、彼らにはダーチャがあったおかげで、一人の餓死者も出さなかったのです。



 これはペチカという、ロシア特有の薪ストーブです。数本の薪で一晩中家を温め続けるほどの、驚くほど効率のよい構造になっているのです。薪をくべて扉を閉め、煉瓦の壁の中にくねくねと張りめぐらされた煙突から煙の熱が壁面に蓄熱し、壁全体を暖めるのです。




 薪は暖房だけでなく、炊事やバーニャと呼ばれるロシア家庭の伝統的なサウナなど、暮らしの中の主要なエネルギー源として、ダーチャ村では多用されます。
 
自給的な暮らしのダーチャ村では当然、周囲の森から薪を伐りだします。一つのダーチャ村は数百世帯程度で形成されているので、周辺の山から相当な薪の伐りだしが必要になります。



 サンクトペテルブルグ郊外のダーチャ周辺の森です。
 近隣の森は、間引くように伐採されつつも、集落を取り囲む森としてしっかりと木々が残されて、、そして後継となる若木もそこで育っているのです。
 彼らが無秩序に自分の土地に近い場所から薪を採取していけば、森は周囲から遠ざかっていくことでしょう。
 しかし、そこにどんなルールがあるのかわかりませんが、彼らは環境としての木々の大切さ、かけがえのなさを知っており、森が森として持続できるように利用しているのです。




 サンクトペテルブルグ郊外、ダーチャ村の夕景です。木々の中にとても美しく神々しく、大地を賛美しているようです。
 平日は多くの日本人同様に都会で暮らす彼らが、ダーチャ村での自然と共にある暮らしの中で周囲の木々を守り、木々に守られ、その共生の暮らしこそがこの美しい光景を作り出してきたのです。

 今の日本が忘れてしまった大切なものがここにある、彼らは持っている、そんな感動に包まれたダーチャでの光景でした。



 大地の恵みを収穫し、そして家族や友人たちと料理を分け合い、心躍る楽しい時間を過ごします。



 ダーチャでの朝食のひと時。小さな子供も、家族と一緒にダーチャに行く週末をいつも楽しみにしています。



 ランプの灯りを見つめる時間。だたそれだけでも子供にとってはぞくぞくするほどの楽しい時間。
大人も子供も金曜日の夜にダーチャに着くなり、うれしさのあまりに大はしゃぎです。

「ロシアの若者もダーチャに行くのか。」と、彼らに尋ねたところ、やはりロシアでも年頃になると都会の方が楽しくて一時期ダーチャ離れする若者も多いと言います。しかし、彼らも結婚して子供を持つと、再びダーチャでの週末ライフに還ってくると言います。
 きっと、子供の頃のダーチャでの楽しい思い出が忘れられずに、彼らの心の原風景となっているのでしょう。そして、そんな豊かな心と楽しい思い出を自分の子供達にも伝えたいとの思いから、彼らの多くは今も週末の自給的暮らしを捨てることなく保ち続けているのでしょう。



 サンクトペテルブルグの街の風景。彼らは一見、多くの日本人と何ら変わらぬ都会の生活者に見えますが、彼らの大半は自給する能力も持つ市民なのです。
 彼らはたとえ社会が崩壊しようと戦争が起ころうと、お金が紙切れになろうと、いざとなればダーチャで大地と共に自給的に暮らす術を持っているのです。

 一方日本の多くの都市生活者はお金が途絶えれば生きていけないと感じていることでしょう。
 私たち日本人は戦後の経済的な豊かさの追求の中で大切なことを見失い、生存の源たるべき身近な自然環境を破壊し続け、そして我々の暮らしは本当の意味で、貧困で脆弱なものになりはててしまったのではないでしょうか。
 



 豊かになったロシアでは今でも、都会の暮らしと田舎の暮らしを多くの人が両立させているのです。彼らにとってダーチャ生活を失うことは、大地との絆を失うに等しく、本当の意味でのセーフティネットを失うことだと、多くの人が知っているのでしょう。
 自分で家を修繕し、大地を耕して作物を育て、生活に必要なものを森や畑から得て、そして感謝を持って大地を次世代に受け継いでゆくという、私たち日本人が忘れてしまった、大切なものを彼らはその暮らしの中で今も持ち続けているのでした。



 さて、日本に戻ります。ここは北杜市の山間、五風十雨農場です。
 農場主の向山さんは十年近く前、この休耕地を借り入れて周囲の森の木だけでこの集会棟を建て、電気、燃料エネルギー、水といったライフラインも自給できる体制を整えたのです。
 ここで付近の農地山林の再生に取り組み、都会の人たちを集めて田植えしたり様々なイベントを通して学びと遊びの場を提供し、自然と共にある健康で豊かな本当の暮らし方をここで実践し、体験してもらっていたのでした。

 今回、日本でもダーチャのある自然共生型の暮らしを広め、人と自然とのつながりや自然と共にある暮らし方を支援し、広めてゆくべく、ここに有志が集まり、2泊に渡ってNPOダーチャサポート設立準備会議(エンドレス談義)が開かれました。

 さて、大変長いブログになりますので、後篇はまた次回にご期待くださいませ。

 

 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
茨城県常総市の庭 施工中       平成26年5月2日


 ここは茨城県常総市、広々とした関東平野の田んぼに囲まれた農村に佇むAさんの家、4月も半ばを過ぎるころ、造園工事が始まりました。今年はなぜか、茨城県での仕事が続きます。



 様々な造園造作の前、重機が入るうちに落葉高木の植栽から始めます。
私たちの庭はまず、木々による環境つくりが第一です。
 しかし、、いつもながら3トンロングのユニック車の荷台を大きく張り出して木々を運びます・・。
 大きな木々がもたらしてくれる心地よさは計り知れません。毎度のことながら執念で、植栽時点6mを超える大きな木々を大量に運び入れるのです。



 南庭、家際の落葉高木植栽、庭を作る上で最も肝心な個所から植栽が始まります。



 そして、庭の奥、東側にも要所に木立を点在させていきます。
 家周りの高木植栽をどう配置するか、それが住環境の快適性を大きく左右するのです。



 庭の奥の高木植栽後に、駐車場や玄関アプローチ石畳を仕上げていきます。
今回はログハウス調の重量感を持つ家屋に調和するように、枕木と御影石大判の古材を組み合わせて、植栽の必要な個所を避けながらアプローチを回していきます。
 家屋があって、庭という外空間があります。家屋を有機的に調和させてゆくのが庭の役目ですから、家屋に合った素材の取り合わせがとても大切です。



 さて、連休前の工事はここまでです。いい住環境が生まれる予感を感じながら、Aさんご家族には幸せな連休を迎えていただきます。





 ちなみに、この庭は、昨年高田造園から独立した女流庭師TKさんの処女作(施工中)です。
「完成するまで見に来ないでください。」と口酸っぱく言われていたのですが、ついついこっそり覗き見してしまいました。。
 一見、私の作る庭に瓜二つです。配置もボリュームバランスも私から見て、文句のつけようがありません。



 植栽のボリューム配置や配植もよく考えているのが伝わります。

 利休道歌にこうあります。
「規矩作法 学びつくして破れども、離るるとても、元を忘るな。」
 
 私は社員の独立の目安を5年程度としております。TKさんも5年以上、私の庭つくりに触れ続けてきたので、きっと私の庭の構成をしっかり把握しているのでしょう。
 これだけしっかりした庭の構成ができれば、あとは実績を積むばかりです。そして、いずれ私とは違う、自分の庭を作りだすことでしょう。
 木々がじっくりと成長するように、人も月日と努力で育ちます。そしてすべての状況は移り変わっていきます。
 
 若い人を育てる立場も、とてもエネルギーが必要です。親方として、反省ばかりの毎日です。
 時に、自分は人を育てることは向いていないんじゃないかと思うこともしょっちゅうですが、こうして自分の下にいた若い人たちが育ってくれたのを目の当たりにするにつけて、「自分も少しは役にたったのかも。」と思えることもあります。

 育ってくれた弟子たちに感謝です。

 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
修業時代の庭を訪ねて       平成26年4月21日


 ここは東京都あきる野市、ギャラリー・懐石、燈々庵です。20年近く前のこと、築150年の朽ちかけた米蔵を改修し、庭を一新し、この地のこの古き建物に新たな命が吹き込まれました。



 門をくぐるとそこは雑木林の中の石畳の道が庵へと伝います。この庭も、蔵の改修と同時並行で施工したので、植栽後すでに20年近くの歳月を経たことになります。
 当時植えたコナラ達もあまり太らせることなく、今に至るまで管理されています。
 この庭に実生として進入してきたケヤキやモミジなどが中木として彩りを添える様子からは、年月を経て自然と同化してゆく庭の時の流れを知らされます。



 この庭の設計施工は当時私が修行していた金綱造園事務所
 親方の下でこの庭づくりに没頭していた当時、私はまだ造園業に就いて間もない25歳の頃でした。
 今思い返しても1日1日がかけがえのない日々の連続、それが修行中という、人が一生のうちに何度も味わうことのできない貴重な時間。
 
 足元の石畳を見るにつけ、夢中で石を叩いた当時の日々をはっきりと思いだします。当時の経験のない私にも石を畳む経験を積ませてくれた師匠の恩。今見返しても、自分がどの石を据え、どこで苦労したか、当時の心境が20年の歳月を経てもなお、ありありと思い浮かぶのです。

 私にとって原点回帰の庭がこの庭です。若い頃の熱き志、貴重な日々、当時の親方を振り返る、そんな空間が、私の中でここにとどまっているのです。



 先の週末、この日は新人歓迎会を兼ねた事務所の研修会。この燈々庵で懐石料理をいただきます。
 豊かなしつらえと季節の味わい。五感で味わう懐石の時間、普段の仕事の中ではなかなか味わうことのできない時間と空間が流れます。



 土壁に映えるのはシャガの花。もうそんな季節になったのか、日々の仕事に追われていると、季節の変化がとてもめまぐるしく感じられることがあります。
 そんななか、清らかに活けられた表情に立ち止り、そして心を取り戻します。



 庭に出て、再び中門から雑木林の頭上を見上げると、思い思いに伸びた木々の生命力に打たれます。
 前回私が訪ねたのは3年くらい前ですが、当時に比べて木々の表情がかなり変化していることに驚かされます。
 毎年の庭の手入れは、今も私の親方の手で行われています。私もこの20年間、時折この庭を訪ねます。
 6年前のこと、親方はこの庭のコナラの頭を切り詰めるのをやめました。
 「この庭はケヤキの大木の下になるからそんなに成長しない。今回の手入れからはコナラの頭を伐らないことにした。」
 6年前、たまたまこの庭を訪ねた際、手入れ作業に入っていた親方がそう話しました。
 毎年の手入れの度に木々の様子を見て、そして木々と対話しながら手入れ方法を修正してゆく親方の姿に、「さすがだなあ。」とひたすら感心したことを覚えています。
 それから6年、ケヤキの下でゆるやかながらも思い思いに伸びたコナラが、生き生きとした新緑の景色を生み出して、見る人にいのちのエネルギーを感じさせてくれています
 私たちの仕事は、庭の管理の仕方一つで風景をも変えてしまいます。だからこそ、その責任は重大で、「これでよいのか」と、常に厳しく自分に問い続けねばなりません。



 ここは燈々庵の奥庭です。この空間は今から3年ほど前、新たに茶房を増設するに伴って庭が作られました。
 既存のヒノキ林を活かし、その下に深山の源頭部のような幽玄な世界を作り出したこの庭の設計施工も私の親方です。

 苔むした石で構成された下草のない渓流の表情。植栽は大きなアセビとハウチワカエデにヒノキの苗。それだけで深山に迷い込んだような錯覚さえ感じさせられる空間を作り出してしまう親方の研ぎ澄まされた造園感覚。
 3年前にこの庭を見た時、決して私が到達しえない孤高の世界を親方に感じたことを強く覚えています。

 造園人生20年、そしてまだまだ私の道は続きます。そんな中、尊敬できる親方の存在、それだけでどれほど自分は支えられてきたことでしょう。
 もちろん、日々戦いのような修行中には、そんなこと感じる余裕すらなかったのですが、師匠のありがたさはきっと後の生き方の中でより鮮明なものになってゆくのでしょう。



 そしてここは西多摩郡日の出町の、金綱親方の事務所です。
 燈々庵を訪ねた後、懐かしい想いに駆られて親方のお顔が見たくなり、金綱事務所に足を延ばしました。
 日々歯を食いしばって修行に励む私の若い従業員たちにも、今回の機会に親方に会うことで、何かを感じ取ってもらいたいとの思いもありました。

 突然訪ねたにもかかわらず、にこにこと出迎えてお茶をふるまってくれる私の親方。今親方に私が感じるものは師匠の優しさ以外に何もありません。
 20年前の自分は確かにここで日々、造園修行に励んでいたのだという実感。当時の厳しかった親方の印象は私の中ではとうになく、今、こうしてたまに会う親方との時間に全身で幸せと感謝を感じます。

 私も独立して早15年。独立したての頃は「絶対に親方を超えてやる。」とばかりに血気盛んにチャレンジし続け、そして今があります。
 あの頃、身の程知らずの若造だった時分の私は、勝手に親方に張り合っていたのです。そんな時代も経て、今があるということを実感します。

 人間は、真剣に生き、真剣に向き合えば、なにかと複雑に人とぶつかり合うこともあるものですが、そんな中、当たり障りなく長く付き合う人間関係もあれば、お互いさらけ出して濃い時間を共に過ごした思い出を胸に、尊敬の念が年月と共に増してゆくような人間関係もあります。
 それはまさに、木々が年月と共に黙って育ってゆくようなもの、私にとっての親方はそんな人であり、そうしたお付き合いが許されることをとても幸せに感じます。



 この日はさらに、燈々庵の姉妹店、井中居も訪ねました。青梅市の古い屋敷を改装し、この庭も私の親方の手によって生まれ変わりました。燈々庵とはまた違う、どこか懐かしい風景がここに漂います。



 井中居の駐車場の片隅に、樹齢100年という桑の木の大木が残っています。地元の人の話では、かつてこの辺り一帯に広がっていた桑畑の名残がこの一本だと言います。



 隣の畑を耕すのは70代の井中居の地主さんです。周辺一帯の農村風景はいまや新興住宅地と化しました。そんな中、三本鍬で畑を耕す人の姿とのコントラストが心に深く浸みわたります。

「昔は貧しくてひもじかったが、この辺は農村だったから食べるに困らなかった。戦後は街中からここまで電車で食料を買いにたくさん人が来た。日本はあの頃貧しかったからな。またそんな時代が必ず来るよ。」
 昔の思い出を胸に、そう語りつつ広い畑を耕す地主さんの心の中で、将来の日本に何を想っているのでしょう。

 時代は変わります。環境も激変することでしょう。そんな中、今の時代、社会の中で何をすべきか、どんな仕事をしてゆくべきか、常々考えます。

 これからの時代に、人や自然環境に対して役に立つことをしたい、そう強く思えるベースには、若いころに過ごした西多摩での日々が胸にあるからなのだと、今は思えます。
 さて、またこれからも自分の歩みを一歩ずつ、今のペースで、しかし確かに進めていきたいと思います。



 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
高田造園農場始動と茨城県鹿島市の庭完成間近 平成26年4月6日


 今年度からの目玉的な取り組みとして、自給栽培農場の取り組みが先週ようやく始動しました。
自社所有地の開墾作業に始まり、いずれは植木生産用の借用農地の一部を食糧生産畑へと広げていきます。
 これからの時代、今後の地球環境、地域環境に対する危機意識は人によって様々ですが、いざという時の避難地、自給自活の拠点を持つことを考える人が、震災以降増えてきたように感じます。
 私たち、高田造園も、今後は半農半造園?を志し、食糧、エネルギーの可能な限りの自給自活を目指します。
 当面の目標は、社員世帯全員のコメ以外の穀物と野菜の3年以内の自給体制、さらには自家採取での栽培を目指し、余剰生産品はお客さまや仲間に分けていこうと考えております。
 ここではニワトリの飼育、炭焼き窯、炊事用のかまど、周囲の自社林内に横穴式の食糧貯蔵庫、避難地として利用できるバンガローなどを計画しています。
 
 ここは樹木ポット苗置き場跡地を開墾しています。社員で一列になり、固くなった土をスコップで掘り返します。



そして、開墾地に漉き込むのは、剪定枝葉を原料に作った大量の完熟たい肥です。



 剪定枝や落ち葉を細かく裁断し、米ぬかを混ぜて堆積して1年、腐植に富んだ素晴らしい完熟土壌に生まれ変わります。
 これを菜園の堆肥として大量に漉き込み、固くなった大地を再生していきます。



 そして小型の耕耘機で攪拌、耕耘します。



 今回は種イモを植え付けていきます。



 ここまでする必要はないのですが、、稲わらの在庫がたくさんあったので、丁寧にマルチします。農園最初の植え付けですので、みんなの夢と期待がこもります。



この日は約20坪ほど開墾し、堆肥を混ぜて野菜植え付けの準備を終えました。菜園はこれから合間を見て、どんどん広げていきます。



 さらにこの日は、農園外周に農地環境保全林を育成すべく、外周にポット苗を混植して植え付けました。コナラ、クヌギ、サクラ、モミジ、スダジイ、マテバシイ、タブノキ、アラカシ、イチイガシ、などなど、5年もすれば防風林として機能する緑の壁となることでしょう。



 ちなみにこれは、1年半前に植えつけた樹木ポット苗混植実験地です。
植えつけた当時は50センチにも満たなかった苗木たちは、1年半を経過して高さ2mの小樹林の様相を見せています。今年の暮れには高さ3mを超えることでしょう。
 木を植える、育てることは本当に楽しいものです。未来への夢と希望が広がります。



 1年半前に建てたまま、残材置き場と化していた小屋も片づけて、ここに農具を収めます。
 この小屋はすべて、解体した古材を用いて作りました。

 「みんながお金をたくさん使うこと」によって「経済をよくなり、みんなが豊かになる」という幻覚から、そろそろ目覚めねばならないように思います。
 なるべくお金をかけず、身近な自然を活かして持続的に美しく生きていきたい、そんな価値観がこれからますます広まってゆくことでしょう。私たちもそうありたいと思います。



 1日の作業を終えるころ、雑然としていた固い土地に菜園が出現し、そしてなんとなく、美しくのどかな風景が生まれつつある予感が感じられます。
 木々の緑と農のある風景、それこそ私たちが心底望む心安らぐ平和の光景です。
 
 かけがえのない大地、そして大地を再生させること、生き物の絆を再生する、これから高田造園農場はわが社みんなの心に明るい希望を育み続けます。



 さて、2月からかかっていました茨城県鹿島市Yさんの造園外構工事、いよいよ完成間近となりました。長らくてがけた造園工事の最期は、いつも少しばかりの名残惜しさを感じます。
 Yさんも造園依頼いただいてから2年以上お待たせしての竣工となりました。お待ちいただいた分、私たちの庭つくりにも力がこもります。



 週末家庭菜園を楽しむYさんの庭には、これもまた古民家を解体した古材をほぼ100パーセント用いて農具小屋を建てました。こうした小屋は庭の楽しみを幾倍にも高めてくれます。



 小屋の土間は、土と石灰とにがりを混ぜて叩き締めた、古来からの本叩き仕上げです。
セメントを用いないからこそ生み出される土の質感と温かさ、素朴で懐かしい風合い。そしてこの叩きは壊せばそのまま土に還ります。



 青空に映える芽吹き前の雑木の枝がそよ風に揺れます。



 接道部分。隣接道路にも緑を張り出し、街に潤いを提供します。




 芽吹き前の落葉樹は温かな陽光を浴びて日に日に芽を膨らませていきます。あと2週間もすれば、Yさんの家は新緑の雑木林の奥に見え隠れすることになるでしょう。
 完成まであと1日です。
 
 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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