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雑木の庭つくり日記

街中小さな森つくり  江戸川区田中工務店   平成24年11月23日



 ここは東京都江戸川区、株式会社田中工務店です。「会社前のわずかな幅に豊かな緑を」、田中社長からそんなご要望をいただき、「それなら私に是非お任せを!」とばかりに、緑化に挑みます。
 看板は緑の中に埋もれてよいとの条件の下、将来ここに高さ7m程度の緑の壁を作るべく、雨の中作業に臨みます。

 道路際のわずか30センチ程度、コンクリートを剥がして、土留めを施し、こんな場所でも健全な植栽条件を整えます。



 地盤下、50センチ程度掘り下げて、そこにゼオライト・バーク堆肥などを混入し、既存土壌環境の改善を図ります。



そして、土壌改良材と下地土壌を攪拌します。



 そして、乾燥させた剪定枝や幹を並べます。



 埋戻しに用意した土は、剪定枝や落ち葉を堆積してできた完熟腐葉土です。



 この腐葉土を、枝幹の上からかぶせて埋め戻していきます。
 枝や幹の混入によって、下地土壌が圧密されることなく、柔らかな状態に保たれて、根の生育に適した土壌条件が整えられます。
 そして、これらの枝幹が土中で朽ちるころには植栽樹木の根が十分に張りめぐらされて、その根が代わって土壌の圧密を防ぐ役割を果たすのです。



再生土壌の埋戻し完了です。ほっこらと柔らかく、土を盛り上げます。



 樹木ポット苗は、下記のとおりです。

 常緑高木樹種;シラカシ・アラカシ・スダジイ
 常緑樹中低木樹種;シャリンバイ・ハマヒサカキ
 落葉樹高木樹種;コナラ・クヌギ・ヤマザクラ

 合計20数ポット。



 ポット苗をこの狭いスペースに混植・密植していきます。
これらの木々が都会の厳しい環境からお互いを守りあいながら、競合し、そしてやがて淘汰されてゆくのです。



 植栽後、稲わらで土壌を保護します。稲わらによる養生によって土壌の温度や湿度の変化を緩和し、そして土壌生物を直射日光から守り、土壌環境を改善します。
 そしてこの稲わらは2年で分解して土に還ります。風に舞い散らないように麻縄で藁を抑えます。この麻縄も分解して土に還ります。



 植栽後。
 この小さな苗木が数年で大きな緑の環境へと育つのです。
 都会のこんな狭いスペースにも、健全なグリーンベルトを育てることは十分にできるのです。こうした育成型の緑化のノウハウをスタンダードなものとして普及させてゆくことで、わずかなスペースで街が効果的に潤うことができるのです。

 5年後には最大樹高6m程度の樹林となるでしょう。これからが楽しみです。

 



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
高田造園の一週間        平成24年11月17日
 年末のあわただしさが押し寄せ、気持ちばかり焦ります。
 ブログすら書く間もないのに、日々感動溢れる出来事が、月日と共に通り過ぎていきます。今週もいろいろありました。
 先週末からの激動の心模様を、駆け足でご紹介します。



 先週末に訪れた新潟駅、コンコース沿いのケヤキの紅葉です。日本海からの風が吹き抜ける新潟市内の空気は清らかで空気が生き生きとしており、首都圏とはまるで違います。
 2階部分のコンコースからは、街路樹のケヤキの枝葉が圧倒的なボリュームで葉音を響かせ、まるで森の回廊を歩いているようです。
 木々は、下から見上げる目線だけでなく、小鳥の目線で中空から枝葉の懐を見るとまた、一本の木の懐深さや温かみが感じられるものです。
 私が庭を作る際、2階窓からの景色を重視して木々を配植する理由はそんなところにあります。
 このコンコースから見るケヤキ並木、本当に素晴らしく、何度もここを通りたくなります。



 ここは日本海航路の拠点、新潟港佐渡汽船周辺緑地です。強い海風が常に吹き付けます。
 港の厳しい環境下、それに耐えて、この地に生き生きと枝葉を伸ばす緑地の木々は、密植された雑木群です。



 これは同じ場所、佐渡汽船周辺のタブノキ並木です。潮に強いという理由で最近よく、タブノキが海辺の環境に植栽されますが、ここに植えられたタブノキはほとんどすべて、幹の先端が枯れてしまっています。



 頭枯れしたタブノキ。
「潮に強いからタブノキを植える」という教科書的な発想で、本物の緑化など決してできません。
樹種ではなく、植え方の問題です。
 タブノキのような、成木移植直後の根系成長の穏やかな樹種を、高木一本単位で厳しい環境にいきなり植えれば、こうして傷んでしまうのは当たり前です。

 本物の緑化とは、時間をかけねばならないのです。植栽時点での見栄えばかりを優先し、大木をいきなり持ってくるのではなく、土をしっかりと改善して環境適応力のある小さめな木をたくさん植えて、お互い守りあいながら健康に育ててゆくという、気長な視点が緑化には必要です。



 単木で植栽されたタブノキが軒並み傷んでしまっているのに対し、同じ時期に密植された雑木たちは頭枯れもほとんどなく、常に潮風にさらされる環境においても、こうして健康に生育しているのです。
 樹種はシラカシ・アラカシ・コナラ・クヌギ・カシワ・トチノキ・シイノキ・イタヤカエデなど、決して塩害に対して強いとはされていない樹種ですが、要は樹種ではないのです。密植して木々がお互い守りあい、健全に生育できる環境を作ることで、こうした環境で健全でボリューム豊かで自立した緑地が生まれます。もちろん、この緑地の維持管理のための手入れは必要ありません。



 ここは佐渡島最南端の地、新谷岬です。対馬暖流がぶつかる岬周辺の気候は温暖で、南国の雰囲気さえ感じされます。

 今回、社団法人日本茅葺き文化協会の研修会参加のため、はじめて佐渡の地を訪れました。



海岸の岩は玄武岩質の火山岩で、さざれ石のような独特の風合いを見せます。土のほとんどない海辺の岩の上にも松が凛然と海風に立ち向かいます。こうした厳しい環境の下での松の力強さには、感銘を受けます。



 そして海辺の玄武岩の崖上の紅葉はイタヤカエデです。松にイタヤカエデがこの地の海辺の最前線、そしてやや海岸線から奥まったところからタブノキ林が始まります。



 海辺の護岸にイタヤカエデの落ち葉。私の地元千葉で、海辺に自然林のカエデなど、ありえません。しかしこの土地では海岸沿いにマツとカエデ。これが、自然というものなのでしょう。
 ここではイタヤカエデが海辺の植生の最前線を担っているのです。



 海辺ののどかな農村を歩きます。防風林としてのマサキの生け垣に囲まれた暮らしの風景。



 時期には風速40~50mもの季節風が吹き荒れるという島の気候。猛烈な風をどう凌ぐかが、この地に住まうための条件となります。ここでは竹や稲穂を使って防風壁を作っています。



 岬の崖上に位置する家屋。建物の奥は海岸まで切り立った崖です。それを感じさせない豊かな佇まいの理由は、この生活環境を守る周囲の木々にあるのでしょう。



 崖の上の家屋と畑、海辺の厳しさを感じさせない豊かな暮らしの環境を作っているのは、タブノキを主体とした周辺を取り囲む木々の力なのです。
 この木々がなければこの楽園の暮らしはあり得ません。我々人間の暮らしの在り方、豊かな環境、決して忘れてはならないものがここにあります。



 海岸線に延々と続くタブノキの純林。この樹林が海岸沿いの田畑や生活環境を海風から守ってきたのです。
 暖温帯気候域を代表する素晴らしい樹、タブノキの純林も、本州、特に関東近辺では今は見られません。
 日本海に浮かぶ佐渡の地に、日本の原風景たるタブノキの樹林が残っていたことに震えるような感動を覚えます。



 タブノキの樹林に分け入ります。林床植生の乏しさからも、この樹林が何度も伐採されては再生してきた若い森であることが分かります。
 人は学習しない生き物で、ついつい木々が大きくなると、伐ろうとします。そして伐ってしまった後に、その存在がいかに生活環境を守る上で欠かせないものだったかに気付くようです。
 そしてまた、森を育てる。しかし、いつしかそれが当たり前になって、木々の存在価値を忘れた次の世代の人によってまた伐られてしまうかもしれません。
 木は世代を超えて年月をかけて育ちますが、伐るのは一瞬です。そして伐ってしまったら最後、それまで何世代にもわたって人間の暮らしを守ってきた環境が即座に失われるのです。

 緑というものの価値、それは私たち人間の寿命や尺度で考えてはいけません。




 佐渡島南西端、宿根木の集落は海風に耐えるように実に密集した佇まいを見せています。



 地元の石を切り出して作られた石畳がこの集落の歴史を物語るようです。潮風を避けるように、家々が密集し、互いに守りあうことで、この日本海航路の拠点としての海辺の街が保たれてきたのでしょう。



 この地域独特の杉板葺きの屋根。風の強い土地柄、屋根を抑える石にほぞ穴をあけて、一石一石固定しています。



 屋根の材料は薄く裂いた杉板です。海風から守るよう、くりぬいた岩の合間に保管されています。
 その土地の自然環境がかつての豊かな家屋の風景、屋根の表情を作ります。



佐渡島 国中平野清水寺、参道の杉の巨木です。海風が佐渡の山並にぶつかって上昇気流となり、この地には日常的に濃い霧が発生します。そんな風土が杉の生育に非常に適しているため、この島には巨木となった杉の木がいたるところに見られます。
 杉の大木は、豊かな気候風土の象徴と言えるでしょう。



 佐渡島国中平野のかやぶき民家。かつてはこの島の家屋はすべて茅葺き屋根だったようですが、ここ数十年、急速にかやぶき屋根の家はなくなっていきました。その消滅速度は本土以上だと言います。
 「茅葺き屋根の家を瓦にしたら暑くてとても住めなくなった。」という話をよく聞きます。茅葺は日本の気候風土に適応した屋根。それが長年快適で豊かな住まいを作り、暮らしと日本の心を守ってきたのでしょう。

 わずかに残る、国中平野の茅葺き民家を訪ねて回ります。
ここは今も屋敷林は残ります。日本海岸平野によく見られるとおり、この地に環境的にも適応する有用木の杉が主な屋敷林の構成樹種となります。



 佐渡島トキ繁殖センターのゲージの中で細々とその命を繋ぐトキ。学名「ニッポニアニッポン」。
 その学名は「日本の中の正真正銘の日本」と聞こえます。
 かつては日本全土の里山に生育した美しいトキは、かつての豊かな自然からの、天の遣いのような存在なのでしょう。
 最後に野生で見られた地が、かつての自然と暮らしの調和の息吹が最後まで残った佐渡島だったということ、かつての豊かな日本の自然、その消滅とと共に、野生のトキも日本の自然界から消えていきました。
 トキを野生に戻そうとする試み、しかし、もっと大切なことは、我々を取り囲むいのちの源である豊かな環境を再生し、自然と人との絆を回復しなければならないということではないかと、そんなことを考えさせられた旅となりました。



 そしてここは、千葉市の臨海スポーツ公園、フクダ電子アリーナ正面広場です。
 ここに100年の巨木を育てるべく、自然植生樹種15種類47株を2.5m四方の区画に密植して植栽し、そして1か月が経過しました。



 海風の絶え間ない埋立地の環境下にもかかわらず、木々は枝先まで枯らすことなく、とても健康な生育を見せていました。
 これが数年後には10mの樹林にまで成長してゆくことを思えば、木々を育てる喜びに夢が膨らみます。



 樹林の影が美しく大地に映えて、季節の変化と時間の移ろいを感じさせてくれます。



 この樹林区画は「スダジイふるさとの森」と名付けられ、千葉市に移管されました。
11月15日、記念式典です。



 木々にとって厳しい工業地帯の埋立地。
 そんな土地だからこそなお、人が心豊かに生きてゆくために緑が必要なのです。

 これまでのような短絡的な見た目重視の緑化ではなく、100年の未来を見据えた、次世代のための緑化の試みがこの地でなされました。
 素晴らしい記念樹植栽の試みに快く出資くださった千葉中央ロータリークラブの皆様、そして
この試みを受け入れ、ご支援くださいました千葉市関係者方々に改めて深く御礼申し上げます。



そしてここは、昨日手入れにうかがった茨城県坂東市Uさんの庭です。施工後丸2年が経過した秋、庭はすっかりとこの土地の自然になじんでいました。



 豊かな木漏れ日が季節を演じます。木々があってはじめて豊かな住まいが生まれます。





 そして今日は、千葉県香取郡、Mさんの庭の真ん中に、小さな、しかし100年の森を作るお手伝いにうかがいました。
 右手前の女性がMさんです。高田造園総出で、Mさんの小さな森つくりを手伝います。



 1.6m四方のマウンドに8種類27株の、この土地の自然植生樹種の苗木を密植しました。
地中は1mほど掘り下げて、剪定枝や、腐葉土を混ぜ合わせて盛り上げています。

 この木々が5年後にはきっと、最大樹高6m以上の森に成長していることでしょう。そしてその後はどのようにこの木々を育ててゆくか、木々もMさんご夫妻と共に表情を変えてゆくことでしょう。

 これが私たちの一週間です。さて、また年末に向けてノンストップで駆け抜けます。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
南三陸町 いのちの森つくり    平成24年10月15日


ここは三陸リアス式海岸の南端、豊かな海の幸と共に生きてきた宮城県南三陸町です。



 美しい水面に光が揺れて、何とも言えない美しさです。志津川の河口に当たるこの海は、志津川周辺の豊かな森の養分が海に流れ込み、それが昔からよいカキの養殖場を育ててきました。
  海と川に恵まれた美しく豊かな河口域に集中していた南三陸の街は、先の津波によって壊滅的な被害をこうむりました。
 この美しい海と共に生きてきた多くの住民の命が、一瞬にして奪い去られ、そして海や川や森と共にあった豊かな美しい街は、1日にしてその多くが消えてなくなりました。
 この、美しく静かな海の景色からは、そのことがなかなか想像できません。が、津波が破壊して消えた街跡は今もそのままで、街の跡地を見ているとあの日の出来事の恐ろしさが目に浮かぶようです。



 津波の到達した山林の杉は、塩害によって見事にすべて立ち枯れました。山林の下方のみが縞状に見事に枯れている景色に、なにか不思議な気配を感じます。



 植林された杉は、津波に浸かった高さまですべて枯れてしまったのに対して、岩盤のために植林ができずに自然のままに残された広葉樹林は、同じ高さで津波に浸かったにも関わらず、大方が枯れることなく青々とした葉を茂らせていたのです。
 これがその土地に適応した木々の力というのものなのでしょう。



津波に浸かって枯れた杉林の林床で、この土地の気候帯に潜在的に生育するヤブツバキも、何事もなかったように健全に生き延びています。



 少し離れた松島の海岸沿い、ここでも今回の津波に何時間も浸かっていた場所にも、タブノキの幼樹が生き生きと命を繋いでいました。
 南三陸町の町の木がタブノキであるように、緯度は高くとも海の暖気が届くこの土地の気候帯では、暖地性のタブノキのような常緑広葉樹が優先し、潜在的な自然植生として適応して生育していたようです。
 こうしたその土地本来の木々は、これまで何度も襲ってきた津波にも耐えてその命を繋いできたのでしょう。



 この地に古くから鎮座してきた小さな神社も無事でした。津波はその下、数m足らずの高さで止まり、小さな社殿には到達していません。地元の人の話では、この地はこれまでに3度、大津波に襲われてきたと言います。その都度街は流されましたが、この社殿までは一度も津波は到達しなかったと言います。
 このような地に社殿を建てた古来の叡智に、なにが本当の大切なものなのか、考えさせられる気がします。



 壊滅したこの街に再び、津波に負けない本物の森を育てようと、昨日植樹祭が行われ、町民だけでなく全国から100人以上のボランティアが集まりました。



 植栽樹木は、タブノキ、スダジイ、ウラジロガシ、アカガシ、シラカシ、を主木に、ネズミモチ、モチノキ、シロダモ、ヤマザクラ、イタヤカエデ、オオモミジなど、潜在的な常緑広葉樹を中心に十数種類を密植混植して、競争させながら自然の森を再生していきます。

 こうして作られたこの土地本来の木々による森は、今後必ず再び訪れる津波にも負けずに力強く命を繋ぎ、災害時の住民の避難場所になるだけでなく、土地本来の豊かな森がまた再び良い漁場や養殖場を育ててくれることでしょう。



 植樹指導は、横浜国立大学名誉教授、宮脇昭先生です。本物の森、いのちの森を再生すべく、84歳になった今も、1年のうちの大半は植樹のために世界を駆け回っておられます。
 何度お会いしてもエネルギーの塊のような方、天命を与えられた人というものはそういうものなのでしょう。



 宮脇先生の隣でネズミモチの苗を掲げるのは、女性造園家のホープ、高田造園自慢の社員、竹内和恵です。(これは余談でした・・。)

 大体、こうしたイベントに率先して参加する若者は、確実に女性の方が元気なように感じます。将来のまともな日本を再生するのは女性の力なくしてあり得ないことでしょう。
 これだけの災害を経験しながらも、ごちゃごちゃ言って世の中を何も変えられない日本のだらしない男社会。これからの時代はこうした夢と志溢れる有望な女性に担ってもらわねばなりません。
 と言いつつ私は男、力強い女性たちに負けずに頑張らないといけません。



 大地に植えつける前のポット苗を水につけてたっぷりと水分を吸わせます。



 そして、枯れた杉林跡地の急な斜面に苗木を運び上げて、みんなで分担して植えつけていきます。



 
 苗木を植え終えた後には、表土を守るために枝葉をかぶせていきます。この急な斜面に手分けして、手渡しでマルチに用いる枝葉を運び上げていきます。
 子供も女性も急な斜面をものともせずに、将来の森の姿を夢見ながら、作業が進みます。これが数人での作業なら、どれだけ時間を要していたことか、そう思うと大勢の人が力を結集することの素晴らしさを実感します。 



 植え終えた斜面を見上げます。被災した山林のほんの一隅です。これがこの街全体、そして日本全体に繋がってゆくことを夢見て、そしてこうして黙々と共に汗を流す人がいるのです。
 日本も捨てたものではありません。一歩を踏み出す人がこうしてたくさんいるのですから。



 いのちの森つくり、壊滅的な被害を受けた南三陸町でこうしてはじまりました。



 植樹祭の最後に、皆で「ふるさと」の合唱です。




植樹に参加した子供達のまなざし。

「山は清きふるさと 水は清きふるさと 忘れがたきふるさと」

 私たちが伝えるべきこと、この教訓を生かして、何が大切かを考えること、そして、豊かな自然とふるさとの心を子孫に伝えること。

 この日の植樹のために準備された多くの方々に、素晴らしい経験をさせていただいたことに参加者の一人として厚く御礼申し上げます。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
いのちの森つくり~進和学園の取り組み   平成24年10月6日



 ここは神奈川県平塚市、社会福祉法人進和学園の樹木苗育苗ハウスです。
 ここでは、シイノキ・カシノキ・タブノキなど、暖温帯気候域の森の主木樹種をはじめ、その土地本来の様々な自然樹木の苗木を栽培し、生産した樹木ポット苗を、全国の森つくり植樹現場に提供しているのです。

 進和学園では、知的障害者の就労支援事業の一環として、6年前から樹木苗の生産を始め、すでに累計7万本以上ものポット苗が、森つくりのために植樹されました。
 「いのちの森つくり」それは、私たち人間はじめ、様々な生き物にとっての生存基盤ともいえる、その土地本来のふるさとの自然環境、ふるさとの森を再生し、未来のために新たに創出していこうというものです。
 いのちの森つくりは、地球環境戦略研究機関国際生態学センター長の宮脇昭先生の潜在自然植生理論に基づき、日本から始まって今や世界各地でその土地本来の森の再生、生態系の回復のために実践されています。



 こちらの列は、岩手や宮城など、東北大震災被災地の森から採取したどんぐりや実生から育てられた苗木です。
 気候風土に適応する強い森を再生するためには、その土地の母樹のどんぐりから子供の苗木を増やすことが、樹木個体の遺伝子レベルでは理想的なようです。
 ここで育てられた東北っ子の樹木苗達は、歴史上幾度も津波に襲われてきた今回の被災地、東北沿岸地域に将来再び訪れるであろう津波から、住民の命を守るための「森の防潮堤」をつくるべく、植樹されるのです。
 この小さな樹木の子供たちには、大きな力と希望と未来があるのです。
 進和学園では、そんな素晴らしい夢と希望を持って、心が込められたポット苗が次々に作られています。



 苗床からポットに移された1年生のタブノキの苗。



 それが、2年生の苗になると葉も根も充実し、背丈も30センチから50センチとなります。
この段階になってはじめて、森に還すべく、植樹に用いられます。
 樹木ポット苗をこの大きさにまで健康に育てあげることの労力や心遣いを想像するにつけて、苗木つくりに携わる方々に対して心のそこから敬意が湧き、本当に頭が下がる思いです。



 タブノキの実です。苗つくりは種拾い、どんぐり拾いから始まります。



 採取した種やどんぐりは、いきなりポットに植えるのではなく、トロ箱に苗床をつくり、乾燥防止のもみ殻をまぶして、来春以降の発芽を待ちます。
 一つのトロ箱に数百個のどんぐりや種を撒くのです。



 昨年秋にトロ箱に撒いたタブノキが1年もするとかわいい幼苗に育っています。



 この幼苗を、根を切断しないように丁寧に、一つ一つ大切にポットに移していきます。
 今は赤ちゃんのような繊細なこの苗も、数百年という長い未来を生き抜いて、様々な命を守り育んでくれる大木になる力を秘めているのです。



 植え替え作業の様子です。一つ一つ大切にポットに移してゆく人の表情はやさしく、苗木を見つめるまなざしはまさに、希望に溢れる美しい未来を見つめているようです。



 そしてここは、進和学園就労施設「しんわルネッサンス」。その外周境界林はポット苗植えつけ後6年が経過し、ボリューム溢れる豊かな森が育ちつつありました。



 6年前に植えたのは、高さわずか30センチ程度のポット苗なのです。
 この土地の気候風土本来の森の構成樹種を50種類以上混ぜて密植し、そして6年経過した今は最大樹高8mの見事な緑の壁となりました。
 樹種豊富なこの森には様々な小鳥の声が鳴り渡りつづけていました。密植して競争を促すことで、木々の伸長成長が促進されるのです。

 「木々も人間社会と一緒で、似通った仲良しばかりの集団の中では成長しない。森の中のいろんな生き物と競争し合って初めて、その土地の素顔というべき強い森になってゆく。」と宮脇先生は常々言われます。

 この、圧倒的なボリュームの緑の壁を見ていると、「火災や土砂災害、津波などから命を守ってくれるのがふるさと本来の本物の森」、というのも納得です。



 外周林の内部の様子。マウンドが高く盛り上げられて植えられた様子が分かります。
木々はそれぞれたくましく、ポットで植えられた苗木のほとんどすべてが元気に育ち、なかなか枯死していきません。それが土地本来の樹種の強さというものなのでしょう。
 もっとも、淘汰が始まってゆくのはこれからです。



 見ていると、木々の肥大生長は同じ樹種でも極端に違っています。これは2本のヤマザクラ。同じ日に植えても、一方は太く、一方はその10分の1以下の太さにしかなっていません。
 木々の個体差、あるいはちょっとした競争の勝ち負けがこの差を生み、こうした繊細で微妙な木々の性質が、多様な森を成熟させてゆくのでしょう。



 施設食堂の窓の風景。植栽後6年で、見飽きることのない多様な森に包まれました。
 木々の合間から漏れる緑の光と揺れる葉によって、この食堂はかけがえのない安らぎのスペースとなったのです。



 この食堂、窓外のベランダに出て木々を見ます。これが30センチのポット苗密植後6年後の姿なのです。これが、潜在自然植生理論に基づく森つくりの成果です。
 しかも、この写真の植栽幅はわずか2m弱で、その外側は道路に面しているのです。道路の雰囲気を全く感じさせない境界外周林、これも多彩な樹種が階層的に重なり合う多層群落の森ならではの効果なのです。



 そしてここは、同じく進和学園の生活介護施設「進和万田ホーム」の外周境界林、ポット苗植樹後3年目の様子です。
 3年目ではまだ最大樹高2.5m程度ですが、十分に根が充実して張りめぐらされ、ここから一気に成長してゆくのです。
 その土地本来の森の構成樹種、ポット苗の密植・混植によって、人間が管理せずとも自然の力によって、ぐんぐんと豊かな森へと着実に育ってゆくのです。



進和万田ホーム正面ロータリーの真ん中に設けられた、潜在自然植生樹種ポット苗による小さな森。これも植樹後3年です。
 ここは正面ロータリーのシンボルとして、苗木だけでなく3m程度のタブノキ、カシノキ、シイノキ3本が真ん中に植えられました。が、すでに苗木の生育が勢いに勝り、その3本を追い抜こうとしています。
 3本の移植木は、アスファルトの照り返しや夏の直射日光をまともに受けて衰弱し、頭枯れを起こしています。
 一方で、苗木たちはお互いを守りあい、確実に元気に生育している様子に、これからの街の緑化の在り方を考えさせられます。



ちょうどこの施設の隣に、大木となった樹木群がありました。クスノキとタブノキが寄り添って、まるで1本の大木のように端正な形の樹冠を形成しています。遠目から見たら、1本の木に見えますが、2本の木が長年寄り添って守りあい、この土地の人たちに見守られながら、見事な大木群となったのでしょう。
 この大木の存在がこの集落の風景となり、心のよりどころとなっているようです。

 万田ホームのロータリーに植えられたポット苗の樹木群も、100年後、この大木のような見事な樹叢となっているかもしれません。

 木を植えること、それは未来を作ることそのものです。
 地球を破壊し汚し続けてきた私たち人間ですが、未来を見つめてこうして木を植えることも人のなせる業。未来の地球、美しいふるさと、命溢れるふるさとの自然を子孫に繋いでいけるよう、本物の森つくりを私たちも進めていきたいと思います。

ご案内くださった株式会社研進の出縄社長、しんわルネッサンス主幹の遠山さん、暑い中長時間おつきあいいただき、本当にありがとうございました。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
どんぐりのポット苗づくり        平成24年10月1日
 

 台風一過。事務所のコナラです。今年もたくさんのどんぐりを落とす季節になりました。



 去年の秋、趣味で始めたポット苗。コナラ・クヌギ・シラカシ・ケヤキ・モミジなど、播種から1年経過しましたが、まだまだ小さなものです。いろいろと反省点が見えてきました。
 今年からは本格的にポット生産に取り組みます。
 このポット苗が今後、日本のあちこちに自然に近い豊かな森へと育ってゆくと思うと、夢のある仕事に心底から高揚してきます。



 昨年植えたポット苗は、苗床に地植えしました。根が蒸れてしまい、生育があまり良くなかったのです。土中深くまで耕耘して落ち葉堆肥を漉き込み、そして敷き藁で乾燥と温度変化を防ぎます。土壌微生物環境を改善してゆくためにも敷き藁は非常に有効です。
 
 ともかく、これで昨年の生育不良などんぐり苗が大切に苗床に移植されて、元気を取り戻してくれることを願うばかりです。根は水分過多や乾燥、酸欠、温度変化などによってダメージを受けてしまいます。



 そして今年から導入したのが、樹木苗専用の育苗ポットです。FRP製で丈夫で、15回はリサイクル使用できると言います。鉢底だけでなく側面にも大きな通気口がたくさん開いており、これなら酸欠や根腐れを起こすことはないでしょう。
 また、やや縦長の形状は、主根が真下に太く深く伸びてゆく性質の、多くのどんぐりの樹種に適応しています。
 通常のビニール製のポットに比べて、半分程度の期間で0,3m~0,5mの健康な樹木苗が生産できると言います。
 新兵器の導入はいつも、とてもうれしいものです。



 このポットに腐葉土を詰めて、どんぐりを乗せます。



 ポットに詰めている土は、剪定枝をリサイクルして作った腐葉土です。比較的細かな剪定枝や落ち葉を堆積して約1年程度経過しています。適度に分解が進んでいて、どんぐりの床土には最高だと思います。
 どんぐりの根は十分に呼吸できる環境が必要です。



腐葉土を詰めて、その上にクヌギのどんぐりを置き、そしてその上にもみ殻をかぶせていきます。



 落葉樹のどんぐりの多くは、地に落ちて早ければ数日程度で根を出して、その状態で越冬します。春になってしっかりした葉をつけるまで、木陰で管理します。



 昨年の生育不良の苗も、ビニールポットから新たな育苗ポットに移し替えました。
どんぐり苗造りは誰にでもできます。お金もかかりません。
 また、木が育って森になる、そんな素晴らしい夢と喜びを感じながら楽しく生きることで、人間の精神はいつまでも老化することがないように感じます。

 木を育てる、森を作る。誰にでもできる、素晴らしく楽しい趣味です。是非、広めていきたいものです。

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