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雑木の庭つくり日記

黒部川源流紀行 完結編          平成27年8月13日


 入山して2日目、澄んだ青空のもと、黒部川源頭部の名峰、黒部五郎岳に登頂します。
遠くに見えるのは槍・穂高連峰です。
 北アルプス連峰主脈の中心に位置するこの山頂からは、360度の大パノラマが広がります。




 南方に、噴煙を上げる御嶽山が望めます。火山爆発は終息しても、こうしていまもなお、数百メートルに及ぶ噴煙が立ち上っている姿を遠望します。



 黒部五郎岳の北側斜面には、夏でも溶け尽くすことない広大な雪渓が点在します。これこそが、富山平野の豊かな生産力と土地再生力を数千年の時を超えて支え続けてきた、黒部川を中心とする水脈の源です。



 黒部五郎岳に限らず、黒部源流となる稜線下では、広いU字型の谷地形が刻まれています。
 ここは1万年くらい前までは分厚い氷河におおわれていて、その氷河の移動によって岩が削られ、こうした圏谷(またはカール地形)と呼ばれる、ヨーロッパアルプスを彷彿とさせる、高山特有の地形が生じます。
 
 この上部に今も、万年雪となる雪渓が残り、その雪解け水がカール中心の谷筋を流れ落ちていきます。これが夏でも冷たく清らかな水脈の発端となるのです。



 雪渓から浸みだす冷たく清らかな水は、多くは大地にしみ込み、地下の水脈を通りつつ、そして一部は地表を流れて谷筋の空気を冷やしていきます。
 そして谷間の水が作る地表の温度差が空気の動きを作り、地形に応じて複雑に入り組む植生を育むのです。



 白い雪は夏の強い日差しを吸収せずに反射して、いつまでも溶けずに地を覆います。、こうした白い雪渓の笠の下で、地温によって溶けた膨大な水が徐々に地にしみ込み、下へ下へと移動していきます。



 雪解けの岩場に点在して覆うチングルマや、



ミヤマキンバイなどの高山植物のほとんどは氷河時代の生き残りで、当時陸続きだったロシア極東部や樺太、カムチャッカの野草に共通します。



 小さな植物たちはこんな厳しい高山の岩山にも土壌を生成させていき、清らかな水を蓄えて、雪渓の水と共に絶えずその水を、人の暮らす平野部にまで送り続けているのです。
 そしてその清冽な水のとめどない動きが、流域の水と空気を引き込みつつ、土中に空気を送り込み、それぞれの環境に適応したにぎやかで変化溢れる健全ないのちの営みを育み続けてゆくのでしょう。



 雪に閉ざされる期間が長い、こうしたカールの底面には、高山性の草本群落が広がります。冷涼な気候の高山の草原はところどころ湿原の性質を帯びて、その表層土層に膨大な水を貯えます。



 中部山岳の稜線付近では、周囲からの流入水の得にくい高い位置にも、こうして池塘が点在します。
 雨が降らずともなかなか枯れることのない池塘の水は、高層湿原の特徴です。

 夏でも冷涼な気候に支配される高地では、低温のために植物の遺体は十分に分解されずに半分解の状態のまま、泥炭と呼ばれる黒いスポンジ状の土層が堆積していきます。
 泥炭層が厚くなれば水を蓄えてその株に不透水層を形成し、こんな高地の草原にあって枯れることのない自然の調整池となるのです。



 高山の地表断面は、こうした泥炭層と風化土壌とが層状に堆積している箇所が多く、このことが、高山の厳しい環境で繰り広げられる、風と水と雪とが作るダイナミックな変化を感じさせます。
 高山草原と高層湿原を繰り返しながら、大地に土層を刻んで、その性質の違いから複雑な水の動きを生み出して、そしてこの地で様々ないのちの営みを許容する可能性を育んでゆくのでしょう。



 そして、ちょっとした地形の変化によって水の動きは大きく変化し、それによって植生も大きく変わります。
 そのわずかな地形変換線となる境界部分は、高山の厳しい環境で深くえぐられて縁が切られ、そこに水と空気の通り道が作られて、それがお互いの領域へのインパクトを緩和して、それぞれの領域における環境を区切り、植生を見事なまでに分かつのです。

 そして、若干の傾斜を持って高位を得た面は、ここではチシマザサを中心とした群落が広がります。
 そのチシマザサを含め、草原はまるで刈り払われたように整然と、低い均等な高さで密生し、まるで動物の毛皮のように土壌を覆って地表を露出から守っています。

 このきれいな刈り払いこそが、高山を抜ける風の仕事なのです。

 競争して上へと伸びようとする植物たちも、その土地の土壌の質や量によって、上部へとあげられる養分も水も制約されます。こうした栄養の乏しく有機物土壌層の薄い高山では特に、ある一定の高さよりも上には、勢いの弱く細い新芽しか立ち上げることができなくなります。
 これを、高山の強風が撫でるように刈り取っていくことで、こうした刈り込みのような整然とした地表のマントが形成されるのです。
 そして、風が上部を刈り取るという作用が恒常的に行われることで、植物はその環境を把握し、受け入れて、その環境条件の下で生きようとすべく、根の徒長成長を諦め、地上部の高さに応じた根の位置で細根を盛んに出していきます。
 そして地表に密生した細根は土壌を浸食から守るだけでなく、しっとりした細かな隙間から水を浸透させて土中に蓄えられやすい状態を作ってゆくのです。

 風が行う植生の制御、水や土の管理、そしてそれが土壌生成に大きく寄与して、この土地の恒常的な生態系を作り上げてゆく、そんな自然の摂理に改めて驚嘆します。

 こうした自然の摂理を人間社会に応用し、本当の意味で人と植物との共存関係をつくってゆくことで、どれほど人の環境は豊かで快適なものになってゆくことでしょう。

 今後は再び自然に学び、人の都合で自然を強引に制御しようとするのではなく、人も木々も草葉も生き物たちも健康に共存していける、そんな地球を目指すべく、生き続けたいと誓います。



大地の水が植物の作る細胞のような土壌の中をゆっくりと移動して凹地に集まり、そして沢筋が生まれます。ここでは風と水の微妙な動きの違いによって、沢筋にダケカンバ林を形成しています。
 植物たちが必死に生きる森林限界付近では、ちょっとした環境の違いで地表の様相が大きく変わる、そんなダイナミックないのちの営みを肌身で実感します。



 そして入山3日目、高山に囲まれた天上の楽園、日本最後の秘境とも言われる雲ノ平を望みます。
 雲ノ平は黒部源流の高山の山稜に囲まれて、池塘と岩と高山植物であふれる、北アルプス核心部の山上の草原です。
 そしてこの山域こそが黒部川源頭部となります。黒部川は広大で肥沃な扇状地を潤して息づかせて、そこに豊かな土地を作り、大地を浄化しながら富山湾へと注ぎます。
 
 11年ぶりに、水の楽園 雲ノ平を訪ねます。



 懐かしの地、雲ノ平を歩くにつれて、11年前とは確かに違う異変に気づきます。
 大地が乾いているのです。



 雲ノ平の木道沿いのかつての池塘はほとんどが枯れ果てて、そしてその底は乾燥してひび割れまで起こしているのでした。

 清らかな水をたたえて輝いていたかつての雲ノ平の記憶をたどるものにとって、この光景はすぐには理解できないほどの衝撃を与えます。



 山小屋の若い従業員に、「いつから水が消えたのか」と尋ねると、「しばらく雨が降らないから。雨が降ればまた水が溜まる」との答えでした。
 
 それは違います。高山や高緯度地域などの冷涼な湿地の池塘は、単なる水たまりでは決してありません。

 水を通しにくい厚い泥炭層に守られて周囲の草原のわずかな絞り水を集めてめったに枯れることのない、それが高層湿地の池塘です。
 そして呼吸する大地の高山では、晴天が続くと言えども、夜の間に雲が再び地表に降りて大地に吸い込まれ、あるいは草葉に付着して水滴となり、それがまたゆっくりと地上と地中を動きながら池塘に水分を供給するため、清浄な水がなかなか枯れずに存在するものなのです。

 そしてこの高層湿原の池塘こそがその地の水分バランスをコントロールして高山の命の絆を豊かにしてきたのです。

 それが実際に、この10年の間に池塘の水が簡単に枯れてしまう環境へと変わってしまったのです。
 おそらく、温暖化に起因する生物環境の変化の結果なのでしょう。

 乾燥してひび割れた池塘の底を見ると、すでに泥炭は分解されて通常の細粒土壌と成り果てていたのでした。
 氷河期以降の数千年のこの地のバランスまで、わずか10年の間に急速に壊れた様子を目の当たりにし、愕然と力は萎えて言葉を失います。
 山に力をもらいに来たのに。



 
 気を取り直して歩き出すと、水を蓄えた池塘に出会います。しかしそれはもはや、かつての清冽ないのちの水ではなく、淀んで腐った停滞水となっていました。

 この池塘脇のハイマツ(写真左側)は、滞水によるヘドロ化と有機ガスの影響で枯れ始め、周囲には滞水の地に優先するイワイチョウが覆い尽くしていました。

 まぶたに残るかつての楽園、日本最後の秘境と呼ばれたこの地も今や、あっという間に壊れてしまったことを知りました。

 もちろん、新たな気候環境が継続すれば、自然界はそれに見合った生態系を再構築してゆくことでしょう。
 しかし、今後もさらに、急激な気候変動は加速度を増してゆくことを想えば、その急激な変化に対して、どれだけ自然は対応してゆけるものなのでしょうか。

 人間の想定域を超える、そんな生き物の存立危機事態がすぐ目の前に来ていることを、雲ノ平の環境激変が教えてくれます。



 そして吉良アルプス核心域の雲ノ平を後にしてひたすら谷間へと下ること3時間、断層の合間を抜けるような黒部川本流に抜けます。
 山中に会って圧倒的な水量を誇る黒部源流は今もなお、力強く命を育むその役割を果たしているようにも感じます。



 下山後の帰路、安曇野の大王わさび農場に寄ります。安曇野の原風景のような風景が残されるこの地は北アルプスからの膨大な湧き水を導いて戦前に作られた日本最大規模のわさび田が広がります。
 ここはまた、黒沢明監督の映画「夢」の第8話、「水車のある村」の撮影がこの地で行われたことでも知られます。ここには今、年間120万人もの観光客が訪れる、安曇野随一の観光地となりました。


 
 
 一日に12万トンと言う膨大な湧水は年間を通して水温摂氏12度程度と一定で、ワサビの生育に非常に適した環境を作っています。
 今から100年近く前の機械のない時代、この広大なわさび農場開拓と共に地形造作による治水工事が人の手によって行われ、その結果、100年近くたった今に続く、美しい安曇野の原風景が作られたのです。

 美しい地域独自の原風景はこうして作られてきたのです。

 まだまだ書き足りない、感動多い実りある旅となりました。旅先で、頭の中はフル回転し、そして自分の生き方、仕事に対する熱い情熱が再び沸き起こります。
 あと数日で今年の後半戦が始まりますが、またいろいろあることでしょう。出会い、学び、そして良き社会を再構築するため、力と智慧を尽くしていきたいと願います。

 最後に、この大王わさび農場百年記念館で見かけた言葉をここに記して、旅報告を締めくくりたいと思います。

「自然の力こそ

誰もが、ひそかに流れる地下水が、いったいどこから来て、どこへ去るのかを知らない。
とにかく誰も、地下水のルーツをつまびらかには知らない。

 人は自然の恵みをあまりに当然のこととして享受してきたようです。
ところが最近になって、産業間や自治体間に水利用の競合が激しくなり、その結果、ようやく地下水のルーツに関心が高まってきて科学のメスが入れられるようになりました。
 しかし、十分な科学的調査、研究が行われる前に、安曇野は激変の時を迎えることになります。
 今やだれもが地下水や河川の汚濁、枯渇に気付くようになったのです。

 これは終わりではなく、むしろ大変革の始まりでさえあります。(このことは20数年も前から同じように言われ続けてきました。)
 ともすれば歴史的所在である風土が、つかの間のうちに滅んでしまう可能性さえもっているのです。

 つまり、人知の結集であるはずの近代化は、時として、優れた風土を踏み台にして、のし上がることがあります。

 自然と、先人たちの合作である秩序を簡単に破壊してはならない。

 安曇野の大きな包容力や優れた風土は人知によって、さらに育成、強化されねばなりません。

 そんな願いを込めて、ささやかながら、「大王わさび農場百年記念館」からのメッセージとして、ここに結びたいと思います。」


 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
水と風のふるさと紀行 黒部源流の旅(その2)  平成27年8月12日


 満天の星が降り注ぐ夜明け前に太郎平の山小屋を出立し、稜線上を歩きながら、おごそかな夜明けを迎えます。
 日々平等に繰り返される新しい一日の始まりというものが、これほどまでに静かで荘厳なものだということも、忙しない日常の暮らしの中ではついぞ忘れてしまっているということに気づきます。

 真夏といえども3000m近い稜線上は肌寒く、静かで、雲も小鳥たちもそして風にわずかに揺れてざわめく草も木も、世界の全てが夜明け前のこの、神秘的な時間をかたずをのんで見守っているようです。



 夜の間に谷間に帰って静かな雲海の眠りについていた雲たちも、夜明けの足音を敏感にかぎつけて、ざわざわと動き始めるのです。
 


 遠くの空では、日の出の瞬間を今か今かと待ちきれないかのように背を伸ばした雲の先端が、生まれたばかりの今日の朝日をいち早く浴びて、ピンク色に染まります。
 そして太陽が奏でるリズムのもと、それまで眠っていたように静かだった雲はむくむくと起き上って、人間や多くの生き物たちと同じように、一日の活動を始めるのです。

 これが3000mの高山、天上の世界の日常です。

 地球上のいのちをつかさどって指揮するのは太陽の仕事、その熱が空気を引き揚げて動かし、そしてすべてを流れるが如く調和のリズムで回転させていき、まるでオーケストラのようにいのちの謳歌を奏でるのです。



 稜線の向こうから今日の太陽が顔を出しました。日に向けて、合掌します。
 ありがとう、これからも、、ずっと。
 山上の夜明けを目の当たりにする人たちはここで、一人の人間という、この地に生かされる存在に戻るのです。

 今日の朝日に手を合わせて向かい合う中、7年くらい前に通っていた吉野山金峯山寺の山岳修行を思い起こします。
 朝3時に麓のお寺を出立して山岳を回峰し、そして日の出を迎えて手を合わせ、お経を行じ、今日の恵みに感謝し、力を頂く。人はその心持ちを忘れてはならない、人が人であるために。
 そんなことに改めて気づかされます。




 朝の光が草原を静かにきらめかせて、限りないいのちの美しさに見とれます。夜露に濡れた草花たちの輝き。なんという美しさ。

 夜の間、冷えた上空の空気の重さに押されるように、空気中の水たちは、その多くは大地に帰っていき、空気と共に土のしとねに潜り込んで眠りにつきます。
 そしてその一部は大地に潜り込むことなく、昼夜の温度変化の少ない草や枝、谷間に潜んでそこで気体が液体となり、そして眠りにつくのです。
 山上の雲は夜の間谷間で眠り、そして草葉の上で水滴となってまた一夜、安らかな夜の眠りにつくのでしょう。



 朝の日差しが地表を温めはじめると、谷間で眠っていたような雲たちも、にわかに一日の活動を始めるかのように動き始めます。
 それと同時に、地中に潜って眠りについていた空気もまた、地上に湧き出して、しっとりした心地よい土の香り漂うそよ風となって移動していきます。

 地中と地上の空気と水は、こうして行き来しつつ、いのちの世界の営みを育み続けてきたのでしょう。



 そして、夜の間静かに眠っていた谷間の雲は、日差しを浴びてまるで渡り鳥のように足早に移動を始めるのです。

 これが自然の姿です。
 すべての生きとし生けるものたちを息づかせて動かす水と空気は、太陽の指揮の下で空と大地、地上と地中を日常的に行き来して浄化され、一日一日が新たな営みとして再生されてきたのです。それこそが、地球の営みであり、いのちの営みと言えるのでしょう。

 こんな世界を久しぶりに目の当たりにすると、子供のころの夏の記憶が思い出されます。
 もう、40年近く前のことですが、今もその頃の身近な自然の営みがありありと鮮やかに浮かびます。

 キジバトの声の下、澄んだ朝日を浴びて動き出す爽快な空気、草場の夜露に濡れながら夜明け前から友達と待ち合わせて虫捕りに熱中した夏休みの日々、夕方の虫の音、そして静かで涼しい夜の褥に、昼間のにぎやかな虫たちも鳥たちも共に眠りにつく実感、そんなものが身体の記憶として自分の細胞に刻まれていることに気づきます。

 コンクリートに覆われて、そしてエアコンの廃熱が地表を覆う人工環境の中、空気と水はどこで安らかな眠りにつけるのだろうか、そんなことを考えて重く沈みそうな心を、山の爽やかな空気がやさしく慰めてくれます。

 固く傷んで命を失った大地はもはや、空気と水が日々帰るべき安らぎの家とはなりえないのです。
 都会の夜の空気と水は、帰るべき家を失ってさまよう人のように地表に停滞し、そして疲れて淀んだ朝を迎えてなお動かぬ、湿度の高い不快なモヤがコンクリート世界を漂います。

 大人が作ってしまったそんな環境の中に生きることを強いられる多くの子供たちを救いたい、そんな想いに体が熱くみなぎります。
 都会の空気と水が人の心の原風景の中で当たり前になってしまえば、何を基準に正しい判断がなせるというのでしょう。

 山で迎える夜明けは今も新鮮で美しく、人として、自然として、あるべき摂理を語りかけてくれます。そしてそれは、自分が人間である以前の記憶をも思い起こさせてくれるように感じます。
 人間である以前の記憶が活きている限り、こんな時代でも人は道を修正できる、いのちが共に輝く世界を再生できる、そんなことをこの日、山が教えてくれたのです。



 さて、爽やかな山の空気を感じながら、黒部川のふるさとを目指して歩き続けます。
今日はここまでにして、そしてまた、旅紀行その3に続きますので、次回も是非、根気よくお読みいただければうれしいです。

 日々の忙しさを離れて束の間の長期休暇です。こんな時間が誰にでも必要なのでしょう。心と体を解放させてあげて欲しいと願います。そしてそこから聞こえてくる、自分の真実の声に耳を傾けること、それが人が良く生きるための大切なことだと感じます。




投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
風と水のふるさと紀行 黒部川源流の旅(その1)  平成27年8月11日


 ここは富山湾、昭和初期に行われた、魚津港建造の際に発見された魚津埋没林です。
 2000年前の杉の原生林が富山湾岸の海底に眠り続けていたのが、今もなお水中にあって、当時の木質と精気を衰えさせることなく、その一部が2000年間の眠りと同様の条件で、北アルプスからの地下水脈の流水に守られながら保存されています。

 魚津埋没林は日本の屋根北アルプスの広大な地下水を集めて流れる黒部川の最下流部、片貝川の汽水域にて、2000年前の河川氾濫と海面上昇が複合して埋没した杉の原生林の名残です。
 たまたまここは戦前の港湾建設の際に発見されましたが、それ以外にも今もなお周辺一帯に埋蔵されており、その痕跡は、2000年前からの環境の変化を現在に伝え続けているようです。

 それにしても、2000年もの間、海底浅瀬に埋没しながらも、当時の杉の巨大な根が朽ちることもなく、新鮮な姿で残ってきたのか、その鍵となるのが、北アルプス連峰から豊富に送られ続ける清冽な地中水の動きにあるのです。

 埋没林の周辺では、3000m級の峰々から流れ落ちる膨大な水が海辺の扇状地で湧き出し、一部は地表を流れ、そして多くは地中の流れとなります。そしてその流れは大量の酸素を常に土中に送り込みつつ大地を浄化し、その清らかさと雪渓に端を発する低温を保ち、それが埋没林の海中に滾々と流れ続けてきたのです。
 これが単なる海底浅瀬の埋没林であれば、2000年どころか数百年程度でほとんどが朽ち果ててしまうことでしょうが、膨大な水量の湧水が常に供給されるこの海域特有の環境ゆえに、2000年前の巨木の森の名残をこうして今に伝えるに至ったのです。



 2000年前の大地の環境の下で巨木となった杉の根は、今にもむくむくと動き出しそうなくらい、力強い精気を感じさせます。
 その精気に打たれて心は震え、涙が目頭までこみあげてきます。
 この巨木の根は数千年の時を超えて今もなお、大地の循環に帰してゆくことなく、清らかな水脈に守られながら、木としての凛然たるいのちの力を今に伝え、そして見るものにかつての大地の力を浴びせかけ続けてくれているのです。
 太古の大地の力強さを想う時、今の時代を生きる私たちの生き方暮らし方、人間としての在り方を根本から問い直される思いに突き動かされます。

 数万年、数千年の時の流れというものは、人の一生から見ると長いようにも感じますが、地球の歴史から見るとほんの一瞬の出来事で、その中で地球は変遷し、プレートがぶつかり合って隆起沈降を繰り返し、陸が海になり、そしてまた陸地が生まれ、絶えず変化し続ける地球上のほんのわずかな表層で、いのちの営みが繰り広げられ続けてきたのでしょう。

 海底に埋没した2000年前の巨木林の名残は今もなお、あまりに多くの摂理を語り続けているようです。

今回、黒部川河口域からその源流を訪ねる6日間の旅の中で、全てのいのちの源となる水の動きを追いかけます。



 そしてここも黒部川河口域、入善町の杉沢と呼ばれる天然杉林で、沢スギと呼ばれます。
海岸沿いの低湿地でありながら、黒部川が作る扇状地末端の湧水に端を発する水脈沿いに、昔から沢杉と呼ばれる杉林が成立してきたのです。



 杉沢の森の中では、常に大量の地下水が湧き出して清らかに流れ続けています。
 杉は本来、湿地にも乾燥地にも生育しにくく、健全な山の斜面谷筋などの肥沃で湿り気がある土地によく生育しますが、沢スギがこのような海岸低地の沢地に生育してきた理由はこの、高山から供給されて大量に溢れ出す湧水にあるのです。
 常にこんこんと流れ続ける清冽な地下水が土中に大量の酸素を供給し、それが樹林の呼吸を支えてきたのです。

 大地を流れる水脈こそが、あらゆる命を育む大地の血管と言っても過言ではないでしょう。
 そしてその水の多くは地表ではなく大地の中を流れ、そしてときに表面に川となって現れます。
 自然界の事象を理解するためには、目に見える川や沢と表裏一体の、目に見えない地下の水の動きに注意を払う必要があります。

 健全で力強い水脈こそが豊かな自然の呼吸脈であってその土地の豊かな再生力を生み出すということは、この地で昔から経験的に知られてきたのか、あえて湧水の水路を掘って流水を良くし、杉が育つようにしている、人による水脈誘導の痕跡も見られ、かつての智慧の深さに感じ入ります。



 深山の趣を感じる清らかな森の様相はとても海岸沿いの低湿地とは思えません。
 この森の面白さは、奇妙な形状でたくましく生きる杉の木の佇まいにあります。林内にくねくねと曲がって伸びるほっそりした幹はなんと杉なのです。

 豪雪地帯のこの地では、杉のような重たい葉を蓄える樹木は、その生育段階で幾度も雪に埋もれて倒伏します。
 曲がった形状はこうした風土環境に適応した沢杉の姿と言えるでしょう。



 くねくねと曲がって伸びる沢杉の幹が雪につぶされて地に接すると、そこで根を出し、そして新たな幹を上へとのばしてゆくのです。
 こうした樹木再生の在り方を、伏状更新と言います。この厳しい風土の中で適応し、生きる術を身につけたがゆえに、この地で天然の杉林が生育し、そしてそれはこの地に生きる人の暮らしに活かされ、長い間この地に暮らす人たちによって大切に守られて続けてきたのでしょう。



 柔軟で不思議な形状のこの森の杉たちは、植物と動物の境目を感じさせないほどの躍動たる、いのちのたくましさを感じさせてくれます。



 海岸沿いにこんこんとわき出す清冽な水が、この豊かで地域特有の森を育み支えてきました。
 かつては入善町海岸付近の湧水沿いに沢杉の森は無数に点在しており、その面積は合計140ヘクタールに及んだと言われますが、今ではこの杉沢一カ所、約2.7ヘクタールのみとなってしまいました。
 多くは昭和37年ごろから始まった、圃場整備事業によって伐採され埋め立てられ、整然と区画された水田へと姿を変えられていったのです。



 日本の風土は、昭和30年代後半から50年代にかけて、農山村含めて大きく変り果てました。
 なだらかな起伏豊富な自然地形はこうして平坦に造成されて、整形的な農地として整備され、そして湧水のうち地表の水はコンクリート水路にて直線的に排水されています。
 その一方で膨大な量の地中の水は、一部は新たな水脈を自然に再生して海に流れ、反面に多くは土中に滞水して生き物環境の呼吸を妨げてしまい、本来豊かだったこの地をますます弱らせ続けてしまっている、それが現実の姿なのでしょう。
 
 長年の間、この地の自然環境と共存しながら豊かな命を育んできた本来の環境は、今はほとんど見られません。
 戦後に全国的に始まったその土地特有の風土やを無視した開発、土地利用の在り方は、今も大筋で何も変わりませんが、近い将来必ず方向転換していかねばなりません。

 圃場整備と機械化、農薬除草剤肥料の大量使用による戦後の農法は、一時的には確実に収量を高めましたが、その土地の自然環境を破壊し負荷をかけ続け、大地の絆と循環を妨げ、自然本来の生産力を悪化させ続けるこんなあり方の先に、子供たちに伝えるべきどんな未来があるというのでしょう。

 「コンクリートに覆われた田舎に誰が帰りたいっていうの?」見聞きしたそんな言葉が脳裏にかすめます。



 そんな中でも、杉沢付近の森の近くには、湧水を誘導する素掘りの溝が掘られ、空気と水の通る健全な環境がわずかに見られ、その空気感が心を慰めてくれます。
 心地よく、ひんやりした土の香りは、地中と地表の空気循環が生み出します。空気の流れも水と同様、地表ばかりではなく、見えない地中との行き来をも想定していく必要があります。
 そして、五感を研ぎ澄ませば、空気と水が健全に流れる本来の心地よさを私たちは思い出し、感じ取ることができるのです。

 素掘りの水路を伝う水は周辺土中の余分な水を集め、そして乾燥時には周辺土壌に水分を供給し、大地の環境を潤すのです。
 人が掘った手掘りの溝は有機的でほほえましく、そして自然の理に合致して共存しています。こうした名残を見るにつけて、傷んだ大地はまだ取り戻せる、そんな希望を感じさせられます。

 杉沢の杉とその周辺の環境は、わずか数十年前に奪われていったかつての美しい人と自然の営みを今あらためて偲ばせてくれます。



 そして今回、黒部川最源流の水源山域を踏査すべく、標高1300mの入山口に車を置いて歩き始めます。ここから丸4日間の山籠もりに入ります。



 黒部源流は、北アルプスの核心部最奥の高山に端を発します。その水源の山々に登るには、奥飛騨側、信州側、富山側とのかつての3国からのルートがありますが、今回は富山側、標高1300mの折立登山口から入山します。

 透き通る青空と冷涼な森の空気が体と心を吹き抜けていきます。



 登り始めてしばらくは深遠な森の中を行きます。
 日本の屋根、北アルプスにおいても最も深い山域を目指して登りつつ、力強いいのちの営みを感じます。
 心に留まったのがこの巨木。地上2m以上の位置から根を下ろしています。これは枯死した巨木の上に落ちた実生が根をおろし、周囲に生い茂る熊笹との競合から解放されてすくすくと伸びていったのです。
 深い山中ではごく一般的な光景ですが、多くの人に伝えたい、いのちの営みです。
 林内に降り注ぐ木々の実生、その多くはクマザサなどの深い林床植生に埋もれて消えてゆくのが宿命なのですが、そんな中、枯死した巨木や倒木で浮き上がった巨大な根などが腐植して、しっとりしたスポンジ状になった状態の場所に幸運にもこぼれ落ちた実生がすくすくと伸びて根をおろし、そして次代の巨木となって森の環境を守る担い手となってゆくのです。
 適度に腐植してスポンジ状になった植物遺体は、通気環境的にも透水環境的にも、あたらな命にとって非常に適した心地よい生育環境を提供します。そこに落ちた実生は様々な競争にさらされてなお強く勝ち抜くアドバンテージを得るのです。

 こうした森の営みと新たないのちの再生の在り方を、マウンド更新、あるいは倒木更新と言います。
 つまり、朽ちた木が土に還ってゆく過程で新たな命を育む、「いのちのゆりかご」となるのです。



これは倒木の巨大な幹の上に生育する木々。おそらくここにこぼれ落ちて根付いてから、50年以上の歳月を経ているのではないかと推測されます。
 それなのに、今もなお、この倒木遺体は朽ちきることなく苔に覆われながらも幹としての形状を保ち、そしてその上に新たな木々の命を育み続けているのです。



 そしてこれは根返りして倒木したシラビソの幹が、隣の立ち木にひっかかることによって完全な倒伏を免れ、そして生き続け、たくましく新たな幹枝を再生させています。
 深山で繰り広げられる木々のいのちの営みとたくましさは見るものに負けない力を与えてくれます。
 地球上のいのちが本来持つ、生きようとする力、それこそが未来への希望となり、人知れず空間に清浄な力を漂わせ続けているのです。
 久しぶりに帰ってきた、そんな心境に浸ります。



そして森林限界を超えると一気に視界が開けます。



 稜線に抜けるとそこは風と雲の世界です。夏山の午後、高山の稜線では、快晴の日であれどもこうして雲が上がってくることが通常です。
 芝生のようにも見える緑のじゅうたんは、高山の寒風が撫でて作った息づく大地の証です。
 高山の草原とハイマツ帯とが地形に応じて整然と見事に住み分けて、水と空気の微妙な動き方の差異にによって繊細に変化する限界域の植物の営みを注意深く観察し、様々なことに気づかされます。


 感動と会心の旅の報告は、まだまだ続きます。
いつもに増して長くなりますので、いったんここで区切らせていただきます。
 後ほどアップさせていただく予定の「旅報告その2」を、どうかご期待くださいませ。

 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
学校の環境改善~シュタイナー学園にて  平成27年6月16日



 ここは千葉県長生郡長南町。房総のなだらかな丘陵に囲まれたのどかな地にとても小さな小さな学校「あしたの国シュタイナー学園」があります。シュタイナー学園では、ドイツの思想家シュタイナーの教育理念に則り、「芸術としての教育」「自由への教育」のもと、一人一人の子供の成長に注意深く寄り添いながら、個々に応じたきめ細かな教育が実践されています。
 古き良き小さな木造校舎に14人の子供達と先生方、父兄とも、こののどかな自然環境の中で家族のように温かな学び舎の暮らしが営まれています。



 今回、あしたの国シュタイナー学園の特命講師を拝受し本日、第一回目の授業を行いました。



 午前中の授業は、学校周辺林の環境改善です。もともと谷地形で小川流れる田んぼだったこの地が埋めたてられて、コンクリート側溝と道路が作られておそらく約30年が経過し、行き場を失った土中の水脈が停滞して地滑りを起こし、谷間の木々は次々と倒伏し、とても健康とは言えない森の様相を呈しています。
 今回、この谷筋を中心に、木々や草花が呼吸しやすい健康な環境を再生するため、本来ここにあった谷筋の小川を再生することから始めることになりました。



 自分の映る写真を掲載するのは気恥ずかしいのですが、、社員が撮った写真を紹介しながら一連の授業を振り返りたいと思います。

 はじめに、同じ場所の中でもちょっとした地形の違いで、優先する植生がまったく異なることを子供たちに説明します。
 自然界のすべての生き物に無駄なものは何一つなく、全ての生き物が自然界の調和の中で役割を持って、そこに生きているということ。植物は根付いたその場所で必死に周囲の環境を改善していきながら生き、そして大地の環境が改善されて役目を終えると自然と消えて、あたらな環境に適応する他の種へとバトンタッチしてゆく、だから、どんな植物も大切な地球の仲間なのだと。



 ここの木々達の様子を子供たちと見ていきます。一見健康そうに見えても、この森の木々は呼吸できずに苦しんでいる。その理由はもともとあった小川がつぶされてコンクリート側溝になり、その結果、大地の中を流れる水が行き場をなくして土の中に溜まってしまい、土の中に空気が入っていかない状態になってしまっている。だからこうして高木は痛み、根元は藪のように風通しが悪く、植物にとって通気の悪い状態になってしまっているということをお話ししています。




 百聞は一見にしかずです。こんなこと、本で読んだり話を聞いたりしても、本当の知恵には決してなるものではありません。
 すべては体験、体感、そして感動から人は本当に大切なことを学んでいきます。

 しゃべるより、まずはやってみせること、早速、滞水していると推測できるか所を機械で掘ってゆくと、案の定、土中のたまり水が押し出されて流れ出しました。



「こんなに水が流れていたんだな・・・息できなくて苦しかったんだね・・・。」土中から溢れて流れる水を見ながらそう言う子供のつぶやきが、耳に残ります。




 そして、大きな谷筋に本来流れていたはずの小川の水脈を再生するため、子供たちと一緒に溝を掘っていきます。



そして溝の底に炭を敷き、



周りの山から拾ってきた枯れ枝を詰めていきます。
 ただ置いてゆくのではなく、ビーバーの巣のように枝を絡ませていきながら、水が流れてもしっかりと動かずに泥を漉してゆくよう、一生懸命に小枝を刺していきます。



 皆でやると早いもので、あっという間に数十年も埋もれていた水と空気の通り道が再生されてきます。
 浅く小さな水脈ですが、人間がやることはまずはここまででよいのです。あとは自然に任せて、水脈が自律的に再生されてゆくのを待つのです。人による環境改善とは、自然界が自律的に改善されてゆくためのほんのきっかけづくりであって、全てを完璧に人間ができるなどと思うことは、大きな思い上がりなのだということを、これからの社会は知らねばなりません。

 きっかけ作りは子供たちにもできること。それなのに、いのちの源なるかけがえのない自然界に対してマイナスになることばかりしてしまう今の日本、今の大人はやっぱりどこかで道を間違えてしまった・・一生懸命に作業する子供たちを見ていると、そんな想いに胸がいっぱいになります。



そして、午後からの授業は、家つくりです。この学園では小学4年生と5年生を中心に、家つくりを体験するカリキュラムがあります。
 家つくりの材料を探しに、周囲を歩き、切通しの洞窟の中でまた一講釈。
廻り野山を歩けば、家つくりの材料はすべて手に入ると。家つくりの基本は、周りにある土と木と石、自然界のこの三原則で長い間人間はその土地の気候風土に合った快適な住処を作ってきた。
 ここですべての材料を探して家を作ろうと。



シノダケがたくさんあったので、それをつたで編んで壁の下地を作る。そして、壁下地の竹やツルは100年経っても腐らずに残るというお話など、、真剣に聴いてくれる子供たちの表情を見ているとうれしく、脱線話ばかりで授業がなかなか進みません。



 そして午後からは、いよいよ壁の材料となる、日干し煉瓦つくりから始めます。
 煉瓦を型枠に、藁を混ぜて練り込んだ土を詰めて型を取っていきます。



 地元の田んぼからもらった藁をしごき、



そしてそれを壁土のつなぎになるように細かく裁断していきます。



 そして、掘ってきた土と水を加えて、粘りが出るまでよく混ぜて



型枠に入れて数日間天日干しにします。



 自分が作った日干し煉瓦にイニシャルを刻む子供達。
 今日作った日干し煉瓦は約20個。1か月後の次の訪問までに200個作ってくれるよう、子供たちにお願いします。



 今回作る家は、砂岩の山肌を穿って作る、半穴居住宅。子供たちが交代で硬い山肌につるはしで穴を掘っていきます。



 穴を掘り始めたところで、今日の講座はおしまいです。子供たちはいつまでも現場から離れようとせず、長く楽しい一日となりました。



 あっという間の子供達との時間。
 この子供たちが大人になる頃、少しでも希望の見える地球、日本であってほしいとの願いを込めます。
 学園関係者の皆様、協力いただきました父兄方々、どうもありがとうございました。




 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
いのちの息づく国土再生への転換を目指して   平成27年6月9日


ここは東京都国立市。延々と続く緑のラインは地理的に青柳崖線と呼ばれる高低差6~8m程度の崖のラインになります。
 この崖線は、まだ日本の河川が息づいていた頃の多摩川が、長い年月をかけて削ってつくった河岸段丘崖の一つで、崖線の下では、崖線上平野部から毛細血管のように張りめぐらされて導かれてきたきた自然水脈を通して、地中の水がところどころに湧出し、
その湧水がこの地での自然と人間の豊かな暮らしを、悠久の年月を超えて脈々と支え続けてきたのです。
 
 多摩川が作った河岸段丘には、立川市から大田区まで30数キロにわたって延々と続く国分寺崖線や、谷保天満宮が位置する立川崖線、そしてこの青柳崖線とあります。
 
円滑な水脈を守り大地の通気透水を促してきた崖線沿いの自然樹林もずいぶんと減ってゆき、今では東京多摩川沿いの崖線全体の3割程度しか樹林が残されていないのが事実です。
  崖線下の湧水はハケと呼ばれてきましたが、その意味するところは崖線上部の大地の水と空気を、急峻な崖線の地形落差によって吐き出す、そしてそれが崖線上部の土中に水と空気の動きを促し、木々や様々な土中生物が呼吸できる豊かな大地の環境を作ってきたという点で、円滑で健全なハケの存在が、人間含めてこの地域における生きとし生けるもとたちにとっての生命線とも言える、その土地がいのち息づく環境を維持してゆくための生命線とも言える、死活的に重要な役割を担ってきたと言えます。 

 河岸段丘などの自然地形落差がつくる、いのちの息づく大地の再生作用については、学会や行政、建築土木設計施工の第一線においても、いまだまったくと言ってよいほど顧みられていないのが現実なのです。
 その結果が、地形改変を伴う現代土木建築施工の全てが、自然環境に対して大なり小なりのマイナスの負荷をかけて修復されない開発の在り方が当たり前になってしまって歯止めのかかることのない現実につながっているのでしょう。
 



 崖線の下に行ってみます。青柳崖線の下、ここではコンクリートと樹脂素材の土留めによって、崖線からの地中水脈の円滑な動きや妨げられていることが、周囲の樹林の様相から分かります。
 枝葉が詰まって風通しが悪く、藪状態となった水路周辺の樹林。その様相から土中の通気透水不良による土中の滞水と樹木根の劣化が分かります。
 通気透水のよい健全な土壌環境であれば、木々は空間を住み分けて共存し、風道や光通しを妨げることなく、様々な生き物にとっての快適環境を自律的に維持していきます。
 ところが、それまで生育してきた環境が変化して大地の空気通しが悪化し、植物たちが呼吸できなくなると途端に縮こまって枝葉をぶつけ合うように喧嘩しあい、そして風通しの悪い藪状態へと森の様相が生き物にとってのマイナスの環境へと変わっていきます。

 数十年前まで、ここは素掘りの水路によって、上部の水と空気が円滑に抜けて、それによって呼吸する大地の環境が保たれてきたはずなのに、大地の呼吸に配慮しない水路整備によって、結果的にこの土地の環境の致命的な劣化を招いてしまったのです。

 そしてそれは、この崖線周辺に限らず、流域全体の大地の呼吸を妨げて劣化させ、国立市街地においても木々の衰退、土壌通気環境の劣化へと直結しているとも言えるでしょう。




 そして、このハケ地の環境で今、国立市によって進められているのが、「城山公園水路等修景事業」です。
 青柳崖線の中心的な自然環境を伝えてきた城山地区において、土地区画整理事業に伴う大型開発によって寸断された水路を公園に引き込み、そして里山環境を残すべく公園整備が計画、実施されたのです。

 通称「城山の里山づくり」。事業の名称がそのように命名されて、里山環境保全のための予算と言うと、おそらく誰もが、「環境に対してよいことをするための予算なのだな」と思うことでしょう。
 もちろん、事業を推進する行政の方々だって、良好な環境を保全して後世に伝えようと、この事業計画を進めているのでしょうが、実際にはこうした土木的な改変施工がこの貴重な自然環境をかえって痛めつけて悪化させていくことに繋がっているというのが、悲しい事実なのです。

 そのことは、整備前の数年前の、生き生きとした栗林と田畑、鬱蒼とした雑木林に覆われていたこの地の環境を知る者にとっては見る影もないほど、無機的で暑苦しい不健全な環境に一変し、そして木々も水脈も、大地の環境も大きく傷んでしまったことによって、理解されます。

 自然環境に対して良かれと思って進める事業が、木々や環境を豊かに息づかせるために最も大切な土中の空気と水の動き方に対する知恵と配慮の欠如によって、結果的になすことすべてがマイナスの環境をつくってしまう。そんなことを知っていただかないととの思いがあって、今回国立市での大地の再生講座において、この城山ハケ地観察会を実施いたしました。



 城山地区の水路整備によって、周辺環境は急速に変化してしまっております。新たに設けられた水路の土留めには、樹脂製の擬木が用いられています。均質で隙間に乏しい擬木の土留めが土中の空気通しを妨げてしまい、水路の底がヘドロ化して腐り、そこから発生する有機ガスがさらに周辺の土壌環境、植物根を痛めてしまっていることが分かります。
 健全な水路の底には本来、水辺の植物が繁茂するはずなのに、ここでは乾燥に耐える荒れ地の植生が繁茂するばかり。
 これは施工者の問題では決してありません。土中の空気の動きに全く配慮できない現代土木工法の問題であり、人が自然とのかかわりの中で本来持ち合わせていた自然環境に対する配慮と想像力の欠如が、自然環境を保全する目的の作業が、逆に自然環境を致命的に痛めつけてしまう結果に繋がっているのです。



 水路沿いの植栽はすでに大方枯れてしまっております。コンクリートの縁石に囲まれた直線的な水路も意味をなさず、逆に周辺の土中滞水を促し、結果的に土壌生物環境を衰退させてこの地の自然環境を不快で無機的なものへとしてしまっているのです。



 整備の末に悪化させてしまった水路上部の森を歩きます。樹高30mにも達しようかと思われるほどの見事な高木が連なります。武蔵野の豊かな大地の力を感じさせるこの森も実は、不健全化が急速に進んでいるのが感じられます。



 城山の地名の通り、この山には本来お城があってその造営の際に盛られた土塁と素掘りの排水溝、その地形落差とハケ地の円滑な水脈によって、これほどの高木にまで成長させてきたのでしょう。
 その土地の樹木を診て大地の環境の健全性を判断する際、今ある木々は過去の環境によって育まれたものであって、現在の環境を反映するものではないという点にも注意して観察しなければなりません。
 明らかにおかしくなり始めているこの森の変化は、木肌や枝葉の痛み方ばかりでなく、大木の揺れ具合、林内への光の入り具合などから分かります。
 これほどの高木、下枝の少なさを見ると、この森はもっと鬱蒼としていなければなりえないのです。つまり、森の密度が低すぎる、このことは人の都合優先の管理によってなされたものか、あるいは水路整備による森の衰退によるものなのか、おそらく双方の相乗作用になるものなのでしょう。

 今はすっきりと心地よい森に感じられますが、それは長年生きてきた風格のある大木たちが作りだす環境形成作用によるもので、肝心のこの木々達が健康に生育して長生きできる大地の環境は、近年の人の誤った作業によって、とうに衰退しきってしまっていることに早く気づかねばなりません。
 あと十年後、これらの高木はますます痛み、森全体が矮小化、藪化をきたしてゆく可能性が高いように感じます。その時、「そういえば以前はこんな不快な森ではなかったのに・・・。」と振り返っても遅いのです。
 自然環境、それを支える大地の環境、そのつながりに早く気づき、活かすことのできる社会が訪れなければ、私たちはその生存の基盤すら、いつの間にか失ってしまうことになるのです。



 そしてここは、城山公園の中心部に整備されたばかりの水辺。数か月前に作られたというのにすでに川底はヘドロに埋まり、すくってみると有機ガスの悪臭がします。
 当然生き物は住めず、こんな嫌気的な環境には一部のバクテリアや嫌気性細菌ばかりが繁殖し、ここで足を使って遊ぶことすらできない、そんな公園の水辺となってしまっているのです。
 ここだけの問題ではありません。
 誤った工法、誤った考えに基づく環境整備は結果として自然の自浄作用をも狂わせてしまい、環境を悪化させてゆく、そんなことに早く気づいて方向転換しなければなりません。

 本体飲めるほどの清冽なハケの水が、誤った整備によってこれほどまでに悪化させてしまっているのです。

 

 本来の自然の流れには浅瀬があって深みがあり、そして水が加速度を付けずによどまず、大地を傷つけることなく流れてゆき、そしてそれが大地の血管たる水脈となって土中環境の呼吸を促し、いのち溢れる健全な大地の環境を持続させてきました。
 新たにつくられたこの流れは幅も深さも均一で、直線的な段差水落としが連続する、自然界では決してありえない不自然な形状。それが結果として周辺環境を痛め、泥詰りを招いてしまうのです。
 大きくはダムやコンクリート河川整備も同じで、こうした線上の間違った行為によって広大な面がその影響を受けて痛んでゆくのです。



 雑木林自然林に接した遊歩道際に、新たに植栽された緑地。トキワマンサクやソヨゴといった、本来のこの地にはなかった樹種が混植されています。
 土壌環境も造成時に痛めつけられた上に、水脈の詰りによって雑草たちも苦しげに競争をはじめ、心休まる風景にほど遠い、そんなおかしな緑地作りがなされている。
 この土地に溶け込んで同化してゆく、本来の自律的で健康な森を再生しようと考えれば、こんな樹種の選択や植え方など考えられないはずです。
 それが当たり前のようになされている現状を目の当たりにして、人はもっと自然と向き合わねばならない、そんな想いを強くします。



 谷保天満宮本殿脇のハケ地。立川崖線から浸みだす水が流れます。かつてのここでの暮らしがそうであったように、ハケ地の水を円滑に抜けるように配慮することが、大地の再生力を大きく高めて健全な生き物環境を維持することに繋がるという、自然環境保全の上で最も大切な視点がこの、大地の呼吸を止めないことだと言えるでしょう。

 形ばかり、見えやすい部分ばかりを飾ることばかりに費やしてきたこれまでの在り方から、私たち人間にとっても最も大切な生命線であるいのち息づく大地の環境を育みながら人の暮らしを両立させてゆく、そんな方向へと転換していかねばならない、そんなことを今回、たくさんの人に知ってもらいたいとの思いから、今回、城山公園観察会を実施させていただきました。

 定員をはるかに超えるたくさんの参加者方々、そしてこの講座を主催くださったワクワークス一級建築事務所の皆様、本当にありがとうございました。




投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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