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雑木の庭つくり日記

埼玉県越谷市Aさんの庭 二期工事途中経過  平成28年4月20日


 昨年秋、造園改修、環境改善一期工事を終了した、埼玉県越谷市Aさんの庭、一週間ほど前に2期工事にかかり始めました。
 昨秋、家屋前のアスファルトを剥がして土壌環境を改善し、植えた木々は今、日ごと元気に新芽を開き、新緑の清らかさと精気を楽しませてくれます。



 芝生の車道も根付き、今やきれいな緑に覆われました。
自動車スペースもこうして緑化すれば、それは庭の中の美しく心地よい広場の空間として活かせるものです。
 こうした、宅内車道や駐車スペースの緑化、その下地の技術が今後広まれば、街も画期的に潤ってゆくように感じます。



 昨秋の改修後、Aさん家の黒シバ、五右衛門は、この環境が心地よいのか、リラックスして吠えなくなったと、Aさんは言います。
 犬だって、心地よい環境に包まれて安心して優しくなる。人間にも、大人にも子供にも、緑に包まれた穏やかな環境が心を潤してくれるはずです。



 そして今回、家屋と車庫の間のアスファルトを一部壊して、植栽スペースを広げます。
長年、アスファルトの下に埋もれた土は硬く水が溜まり、腐敗臭が湧いて上がります。
 これも、穏やかで適切な処理を施すことで、改善していきます。
 こうした場所に健康な環境を再生するためには、まずは土中に空気を送り込み、そして有機物分解に伴う健全な微生物・菌類を要所のライン上、あるいは点状に増殖させて、土壌を構造化してゆくこと、それによって土中環境好転の連鎖が始まるのです。



 もともと田圃だった土地を埋めてできた川沿いの街ですので、どこも深く掘ると、滞水した土は腐敗し、還元作用を起こしてヘドロと化しています。
 このヘドロ層は、地下1.2mほどの深さで町中を覆い尽くすのです。
 我々の文明は、知らず知らずのうちにこうして大地を汚染して生き物の住めない環境を広大に作ってしまっているということ、この仕事を通していつも感じます。
 壊したのも人間なら、それを再生・蘇生するのも人が責任を持ってやらねばなりません。

 今回施工箇所に2か所ほど、ヘドロ層下1mにいたる、地盤から2m以上の深い穴を設けます。
水が湧き、その水位は天候によって上下します。その度、ヘドロ層に側面から空気が入り込み、この深い穴が対地の通気孔として機能してゆくのです。

 土中の通気浸透性の重要性がここ最近急速に造園世界でも広まりつつありますが、大切なことは、単に滞水を抜いて水はけを良くするのではいけない、ということを知る必要があります。
 水を抜くためにやるのではなく、その土地の土壌環境を改善しながらゆっくりと、大地の源環境を改善し、それに応じた通気浸透性を再生してゆくのです。
 急いで水を抜けば、穴を通して泥水や浄化されないままの表層水が深層水脈へと流れ込み、さらに深い位置で水脈を目詰まりさせてしまいます。そんなやり方は永続するものでもなく、これまでの人工的な排水と全く変わらないのです。

 あくまで、有機物、木々、土中の健康な微生物菌類の総合作用の中で浄化された水を水脈と連動させることが大切なのです。
 「水を抜く」それを第一義にするのであれば、人工的で無機的なこれまでの排水システムと何ら変わりはないのです。

 ゆっくりと、大地の環境改善と歩調を合わせるように改善させてゆく、それが大切なのです。




改善後、ようやく植栽です。



 南側の車道の庭と、今回植栽した東側のスペースが繋がり、住まいは一気に木々に包まれていきます。
 わずかなスペースでも、家際の植栽は住まいを潤す絶大な効果があります。



 東側から主庭を望む、木々越しの景。


 そして今回、西側玄関アプローチも改修します。洗い出しのアプローチで、コンクリートを用います。
 今回、大地の呼吸と通気浸透性を傷めない下地施工をご紹介します。

 下地に用いるのは、解体したアスファルト片。これを、かみ合わせながらも隙間ができるよう、昔の石積みのように敷き詰めていきます。



その合間に、炭と土をふっくらとまぶし、軽く隙間に詰めていきます。



下地完了後。



 そしてその上にワイヤーメッシュをしき、ベースコンクリートを打設します。ちょうど、メッシュコンクリートがブリッジ状に乗っかり、下地の隙間には負荷をかけず、従って圧密による土壌通気不良は起こりません。
 
 石をめくると、その下に様々な生き物が住む隙間がある、そんな環境つくりの要領です。



 仕上げ塗込終了。硬化を待って洗い出して完成です。その後、周辺水脈造作を少し行うことで、この舗装の下も根が無理なく入り込むことのできる、呼吸する環境となるのです。

 なんでもコンクリートやアスファルトが悪いのではなく、扱い方に問題があり、それを扱う際に、いのちの環境に対する配慮があれば、大地の環境を傷めずに共存させてゆくことができるのです。
 これから必要なのは、そんな共生のための技術と配慮、我々を活かしてくれる大地を傷めずに、そこに快適に住ませていただくための在り方とノウハウなのではないかと感じます。



 痛めつけられた土地を改善して、人も動物も、そして土中の小さな生き物たちも心地よく、ともに伸び伸び生き生きと暮らせる環境を取り戻す。
 それは決して難しいことではないのです。

 Aさんの庭、来週には完成です。

 



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
茨城県鹿島市 野草舎森の家 環境整備竣工   平成28年4月8日


2月よりかかり始めた、茨城県鹿島市、野草舎森の家、園庭の竣工です。



 竣工の今日は、園児達と一緒にジャガイモの植え付けでした。素手で土を掘って種芋を置き、そしてペタペタと土を埋め戻してゆく、ひんやりした土の感触が子供たちの小さな手に刻み込まれます。



 園児たちは後退で畑に出て、楽しそうにジャガイモを植え付けます。
 園庭の脇に、300坪はあろうかという広い畑を一人で「開墾したのが、写真右端、理事長の関沢紀氏です。
 関沢さん夫妻は、30年ほど前、野草舎子供の家という保育所をはじめられました。
そして長年、子供たちと野菜を育て、味噌を作り、山に登り、森を歩く、そんなことを保育園の子供たちと一緒に実践されてきたのです。
この野草舎森の家は、野草舎の新たなもう一つの園舎になります。30年前、野草舎をはじめられるに当たっての関沢さんの想いを、その著書のページよりご紹介したいと思います。

 『野草舎

 保育園に「野草舎」という名前をつけたのは連れ合いの考えだった。
 逆に連れ合いは、「保育園」という言葉はつけたくなかったという。
 その頃私たちは、魯迅の「野草」という短編集を読んでいた。
 その冒頭にある、「野草は、その根深からず、花と葉美しからず、しかも露を吸い、水を吸い・・・・」という文章に感銘を受けた。
 
 連れ合いは、人間もまた、根は深くない野草みたいな存在であり命、生きて死ぬ、はかないもの、人間中心ではなく、人間もまた自然の一員、としみじみいったのだった。
 そうして連れ合いは最初に考えたことは、鹿島地域に新しい保育を子どもたちと実践していくことだった。
 様々な自然体験と生活体験をすることによって、生きるための基礎的な力を身に着けていくことを大きな柱に据えたのだった。
 またもう一つの柱として、大人から子供が、子供から大人が学ぶと同時に、地域の暮らしも考えてゆくような保育所つくりを目指したのだった。』

なまず日和 関沢紀著 新泉社より

 そんな関沢さんのお考えに共感し、この園庭を、理想の環境に育てるべく、力を尽くしました。


木々とその合間の広い空間、その園庭には平らな場所は一カ所もありません。



 建築工事に際して傷んでしまった大地の通気環境を整えながら造成してゆくと、必然的にこんな起伏地形が生じます。それにしても、、、ここまでやってはたして大丈夫か、、そんな不安もありましたが、



子供たちは完成したばかりの園庭に出ては、でこぼこの地面の感触を楽しむように歩き回ります。



 つまずいて転がったり、



 起伏を楽しむようにひょこひょこと楽しそうに歩き回る子供たちの姿を見て、これでよかったと感じます。

 バリアフリー、直線の車道に車いす、人の都合ではなくタイヤの都合で作られる非人間的な道や街の中で、子供たちが五感を研ぎ澄ますことのできる環境はますます失れて顧みられない時代において、子供が興味を持って転げまわりたくなる環境、心も体も頭脳もうきうきと喜ぶ環境こそが、今とても大切なもののように感じます。



 園庭の真ん中に、土中の通気を考慮して設けた一本の谷。そのラインは子供たちの楽しい道になりました。
 幅わずか30㎝程度の小さな道、でも子供にとってはそれはとても快適で歩きたくなる道のよう
です。



 園内に点在する木立はすべて、マウンド上に起伏を設けます。水と空気の動きに配慮した地形起伏はごく自然で柔らかく、建ったばかりの園舎の佇まいも違和感なくこの土地になじむのです。



 そして、樹木マウンドの根元は、古茅、木炭、ウッドチップ、燻炭等でカバーして、植栽したての地表を保護します。すでに、たくさんの生き物が茅の下に生息し、ぴょんぴょんと跳ね回ります。
 こうした多彩な生き物たちがまた、土を育て、なおかつ子供たちの楽しみと興味と観察眼を、おのずと育てていきます。



 大谷石の古材と洗い出しを組み合わせた玄関アプローチ。
 こうした造作は単なるデザインではなく、時間軸を超えてその場をなじませる佇まいを生み出すための配慮が大切に思います。



 曲線のラインが丸みのある園舎に繋がります。こうした園路によって、土中や表層の水と空気の動きを妨げることのない配慮も大切です。



 園路洗い出し下地。解体したコンクリートブロックを束石のように置いて、その合間にコンクリートガラ、木炭、ウッドチップ等をふっくらと隙間を持たせながら敷いていきます。また、竹筒を横断させて、下地の通気を確保します。



 そしてその上にワイヤーメッシュを敷設し、ベースコンクリートを打ちます。ちょうど、ベースコンクリートが束石の上に乗っかる状態となり、下地の土壌空間が歩行者の荷重で圧迫されることを防ぎます。



 塗り込み後、洗い出し施工中。
洗い出し舗装面と大谷石との合間にも目地を設けて、地表の水や生き物の道を遮断しないよう配慮します。



完成後の玄関園路アプローチ。



 この土地の土で仕上げた塗り壁の門塀。乾燥を待ってから仕上げ塗りします。



 曲線状の焼き杉板塀。



板塀の緩やかなカーブが植栽越しの園舎のラインに繋がって一体感を生み出します。



 人にとって心地よい空間は木々や生き物たちにとっても心地よい空間でなければならない、まして感性豊かな子供たちが大切な月日を過ごす場所なのだから。
 様々な配慮を重ねるにつれて、木々や空間の表情はより穏やかに、優しさに包まれていきます。



 健康ないのちの環境に包まれて、大人も子供も、お互い共に成長してゆく、そんな、森の家の日常がこれから刻まれていきます。


 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
木々がつなぐ奇跡の街 鹿児島にて    平成28年3月22日 


 鹿児島県姶良市に新たに生まれた小さな街、「雑木林と八つの家」。
 この街にようやく6棟目の家屋が建ち、そしてその家屋の植栽と、すでに植栽を終えて経過した庭の土壌環境改善作業のために、再びこの地に足を運びました。

 木々と共生する豊かなコミュニティ、そこで健康に育つ子供達、、、、。そんな街つくりを夢見た地元の土地開発会社の志と理想に心の底から共鳴して、この街のマスタープランを提案したのはもう5年以上前のことになります。
 
 このまちに一世帯目の住民が住み始めてから丸4年になります。
 今ここに、5年前に私たちが夢見た、奇跡のようなコミュニティが確かに誕生した、今回の訪問でそのことを肌身で感じ、帰郷後の今も、かけがえのない喜びとこの上ない感動の余韻の中におります。

 子供と大人の垣根なく、人と人との垣根もなく、この街の子供たちはいつも気兼ねなく外で遊びまわり、通りにはどこかしこに住人の集いが自然と生まれ、そしてそこに、道で遊んでいた子供たちもいつの間にか入り込んできて話の輪の中に参加する・・・・。

 確かに今、しかも新たに生まれた住宅地において、わずか数年の間にそんな街のコミュニティが現実のものとなった、その感動をどう伝えたらよいか、胸いっぱいの想いを少しだけ、ここでお伝えしたいと思います。



 この街に、最初に植栽したのはこの家でした。今回、この街の木々が豊かな森のように精気にあふれ、健康に育ち、豊かな生き物環境を育んでゆくよう、固くなった土壌の通気浸透改善作業を施しました。

 普通の住宅地であれば、私たちはその家の施主の依頼を取り付けて作業をおこないます。
 でも、この街は違うのです。傷んだ木々の様子を見て、私たちは呼び鈴も押さず、当然の如くこの庭の改善作業にかかるのです。
 そして、その後いつの間にか、その家の住人の方も、近所の方も、そしてこの住宅地を企画分譲した土地開発会社の社員までもが、休日の私たちの作業に参加し、一緒に木々の改善作業を進めるのです。



 木々が元気になるように、、生き物がたくさんここに一緒に住んでくれるように、街が潤い、子供たちの元気な声がいつも聞こえるよう、、、そんな共通の願いが、この街に住む人たちを育てます。そしてそれは、なにも言わずとも、この街で育つ子供たちにも、確かに伝わるのです。

 スコップで土を掘って炭や枝を漉き込んでゆく、そして表土に落ち葉やウッドチップをかぶせる、熱心な大人たちの想い溢れるそんな作業を見て、子供たちは自然とそれを見習うのです。
 大人は何も言いません。でも、こどもはいつの間にか作業を覚え、勝手にやってくれているのです。
 5歳になるこの子は、この家の子ではなく、数軒隣の家の子なのですが、いつのまにかこの家の改善作業をやってくれているのです。
 この街の庭に境界はありません。まして子供の世界に境界など、あるはずもない、町全体が子供の庭で、それを良くすることは、自分の街を良くすること、この街における大人たちの佇まいを見た子供たちは、自然とそんなことを学んでゆくのです。



 この街の子供たちは家の中にこもるということがないと言います。一日中、雑木の庭が繋ぐこの街で、外で遊びまわるのです。
 自分の庭も、通りも、隣の庭も、みんな同じ町の庭。子供たちはそこで伸び伸びと遊ぶ、それが今、この街の日常となっているのです。



 まちの一角に設けた公園の片隅には、住民たちの手によって作られた、味わい深い落ち葉ストックができていました。そこにこの街で出た落ち葉や剪定枝、刈り草が溜められます。
 
 木々に感謝して落ち葉を集める。落ち葉は街のごみではない。 感謝をこめて土に還す・・
 
 落ち葉をゴミに出してしまうことがもったいなくしのびない、、。

 そんな、この街の住人たちのぬくもりが、このストックの佇まいから溢れてきます。



 そして今回の改善作業において、街の住人たちの愛のこもったこの落ち葉ストックで腐葉土化した腐植を、木々の根元に敷き詰めて土壌環境改善資材として用います。

 土壌の通気性を改善した上で敷き詰めれば分解も早く、風による飛散も抑えられます。



 今回実施した6棟目の植栽。
 この街が年月と共に育ってゆくように、私たちの植栽方法も、計画を実施し始めた5年前とは今は全く違います。
 見た目や、人にとって都合のよいばかりの雑木の庭ではなく、この土地に根ざした木々が健康に育ち、様々ないのちの息づく環境を育ててゆく、そして、木々やその地の生き物たちが健康に生きてゆける環境こそ、人が健康に安心して生きていける、本当の意味での心地よい環境に繋がるということ、今はそんな趣旨で樹を植え、庭をつくります。




 土の入れ替えではなく、傷んだ大地を再生し、そして錦江湾岸平野独特のシラス土壌にしっかりと根を張って地元に根ざして木々が育ってゆくよう、見た目の植栽に要する手間をはるかに超える作業量を土壌環境改善に注ぐのです。



 今回植栽終了した、この街の6棟目の家屋。



 そして、あたらに完成した家も、新たに植栽した木々も、この街の中ではすぐに周辺の景色に溶け込み、街の中に同化していきます。



 この街は、家が建つたび、それに伴って調和する木々が町に増え、街の潤いはますます増してゆくのです。
 それを待ち望む住民たちは、あたらな建築を歓迎し、そして新たにここに住む家族も、街の人たちに待ち焦がれて迎えられるのです。



自ら、木々の水やりを楽しむ女の子



 土壌環境改善資材となる木炭を踏んで粉にする作業を嬉々として手伝う男の子。



 子供たちがどこかしこにも佇む、子供が景色になるまち。



 家が建つたび、この街の環境はますますうるおい、そして子供も大人も息づいてくる、そんな現実のプロセスを、この街の計画時点で誰か想像しえたことでしょう。



 三日間の作業を終えて掃除を始めると、私たちの立ち去りの気配を感じてか、大人も子供もソワソワと、私たちの周りに集まってきます。



 何も言わず、工事で汚れた道路の掃除を手伝ってくれるのは、この街の新たな住人になる女の子。
 こうした光景が町のあちこちで次々に繰り広げられるのです。

 もう、何も言えません。言葉もありません。この街の工事に訪れた僕たちは、夢か現実か、それを錯覚してしまうほどの幸せな感動に包まれます。



子どもがいて、大人がいて、そして木々がある、どちらを向いても美しく景色に溶け込む、、今、そんな街が現実に実現しているのです。

 しかも、この街は決して高級住宅地などではなく、まちなかによくある、若い人でも手の届く普通の街の一角なのです。
 決してこの街の土地を高く売ることなく、子育て世代の普通の人たちに、豊かなコミュニティと豊かな自然環境の中で暮らしてほしい、地元の土地開発会社社長の想い、そしてそれに共鳴した私たちの想い、ここに集う心豊かな住人達、みんなの夢の結集から、この奇跡の街が生まれました。



 遠方の地、鹿児島での作業を終えると、街の人たちが大人も子供も集まって記念撮影。満面の笑顔で私たちを送ってくれました。
 次に、この街に来るのはいつのことか、まだ分かりませんが、私たちにとって温かな心のふるさとがここに生まれた喜びを全身に感じ、次の訪問がとても待ち遠しい想いに満たされます。

 次の作業、次の再会の時、街の子供たちはまた、大きくなっていることでしょう。それがまた、楽しみでなりません。

 「雑木林と八つの家」 この街づくりプロジェクトは、地元、鹿児島県姶良市の、姶良土地開発有限会社社長の発案で、5年以上前にスタートしました。
 そして、社長の真実の想いに共鳴して身を投げうつ覚悟で協力する人たちがいて、私たちもその一人であります。

 必ず未来につながる素晴らしい街つくりのスタートになる、そう信じて疑わない人たちによって、数々の困難を乗り越えてようやく、この街もいよいよ完成が見えてきました。
 最後の一棟が完成し、そして街の木々がすべて植わった時、きっと僕は泣いてしまうでしょう。
そして社長も泣いてしまうことでしょう。
 そして、このプロジェクトにともに尽力し合った仲間たちと共に、抱き合うことでしょう。

 その日がもう、目と鼻の先に見えてきました。希望だけを疑わず五里霧中に信念を貫き通した姶良土地開発の皆様の無私の努力に、ただ頭が下がるばかりです。



 写真右が、姶良土地開発有限会社の町田社長です。

 決して自分自身のためでなく、まして刹那的な現代の利益のためでなく、今の人たち、そして未来の子供たちのため、この奇跡の街の実現のためにあきらめず、妥協せず、ゆっくりと進められました。

 鹿児島の地が生んだ巨人、西郷隆盛の座右の言葉に「敬天愛人」とあります。「天を敬い、人を愛す。」すべてはそこからよきものが生まれます。
 心の再生、街の再生をここに実現した町田社長は「敬天愛人」を地で行く人。だから私たちも身を惜しまずに喜んで協力させていただくのです。


 地元を愛する町田社長の想いが生み出した、たくさんの幸せ、子供たちが安心して伸び伸び育ってゆく、本物のコミュニティ。
 この街の奇跡は確かに実現しています。これが、全国に伝播していけば、日本はどれほどよい国になることでしょう。そしてどれほど温かなものになることでしょう。

わたしたちと同じ想いで終始共に尽力くださる熊本のグリーンライフコガの皆様、そして温かな姶良市の皆様、この街の皆様、素晴らしい時間を本当にありがとうございました。


 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
こども園野草舎の造園・環境再生工事 着工  平成28年2月14日


 ここは茨城県鹿島市。新設こども園、「野草舎森の家」の園舎が竣工し、4月の開園に向けて、造園および、傷んだ大地の環境再生工事に着手しました。

 このこども園は広大な北浦畔の丘の上に位置し、鹿島神宮から続く鹿島市三社詣りの古道沿いに位置し、豊かな自然の恵みを受けて古くから人の営みが連綿と続いてきた、そんな場所だったのです。

 この園舎がたてられる以前まで、この土地は自給的な菜園、果樹園として、伸び伸びと利用されてきたこの土地も、大規模園舎の建築工事に伴い、どうしても自然環境に対して悪影響を与えてしまいます。
 今回、造園工事と並行して、劣化した土地の再生に取り掛かります。



 建築工事によって傷んだ大地は、もはや雨水も円滑に土中に浸透することなく、表層を泥水が停滞し、大地をますます劣化させてしまいます。

その土地の生き物環境を支えうる大地の豊かさは、土地が有する大地の呼吸環境の健全性に由来します。
 大地の呼吸環境とはすなわち、土地本来が作り出す通気浸透環境であり、大地が自律的にうみだす健全な環境では、おおよそどんな雨でも表層の泥水流亡は起こらず浸透し、そして地中の水脈を通過して濾過浄化された清水が湧水となって放出されます。
 そして雨水の浸透と共に、空気も土中に引き込まれて、それによって土中のあらゆる生物活動が健全化し、さらに土壌環境は連動的自律的に豊かに育まれていきます。

 一方で、そんな大地の呼吸に全く配慮せず、効率優先で行われる今の建築土木工事において、大地の呼吸環境は確実に劣化してしまいます。
 これからの時代、美しい地球と私たちの子孫がこの大地に生き続けてゆくために、そのことを知り、こうした開発行為によって蹂躙された土地はきちんと、人の手によって再生しなければなりません。
 呼吸しない大地のもとでは本来の健全な心身はなかなか育まれることはなく、健全な大地こそが健全な心身を育みます。まして、幼い子供たちの大切な数年間を過ごす環境は、不健全なものであってはならず、本来の健康な自然が見せてくれる様々な表情の中で、人としての健康な心と体の基を育んでいきたい、野草舎森の家の理念はそこにあります。
 
 歴史ある鹿島の里山に新設される野草舎森の家、今回、この地の自然環境と共に生きてこられた理事長、園長の想いによって、この地のこれからの営みの中、百年、千年の森が健全に育まれる本来の豊かな環境を取り戻すべく、徹底した環境再生のための工事にかかりはじめました。



 園舎周辺の里山は乾いた様相を見せており、この表情から、すでにこの地は健全な呼吸環境を失っていることが分かります。



 旺盛に密集して伸長するシノダケの表情からも、地中に硬化した不透水層が新たに形成されていることが分かるのです。
 事実、おおよそ大地の健康度は、視覚、足触り、土の香り、空気感など、人の五感で充分に感じ取れるものであり、今、多くの現代人は、その土地に生きてゆくための大切な感覚を見失ってしまっているようです。
 こうした自然の表情が実際に何を現わしているか、そして息づく美しい環境を取り戻してゆくために何をすべきか、その確かなノウハウと感覚を今こそたくさんの人に知っていただきたく、このブログにて報告いたします。。



 園舎周辺の土中通気浸透改善のため、掘削から始まります。



 案の定、地下30㎝より下は固く締まった土層となり、そこにはシノダケの根すら進入できない、そんな土層が1m以上も続きます。

 表層わずか30㎝足らずの範囲で植物根が苦しげにせめぎ合い、その土中の詰まりの様相が周辺の密集したシノダケの様相に反映されていたのです。



 園舎周辺の要所で硬板層を掘り抜きます。



 周辺の荒廃放棄地から刈りだしたシノダケも、大地の環境再生のための貴重な材料として運び込みます。



 シノダケばかりでなく、周辺林から伐採木や枯れ枝等をかき集めます。これらの有機物が、大地の再生のために欠かせない役割を担うのですから、こうした有機物がごみ扱いされて処分される今の文明の在り方について、いつも考えさせられるのです。



 有機物ばかりでなく、今回解体した外周のブロック塀のコンクリートガラも、これも大切な環境改善資材として余すことなく利用するのですから、私たちの環境再生にはほとんどゴミなど発生することはありません。
 すべてが循環の中に還してゆくという発想は、人が今後も地球で生き続けてゆくために、とても大切なあり方となります。
 大手緑化資材メーカー等が製品として作り出す高価な資材など、本来全く必要はないのです。スクラップ&ビルド、大量生産大量消費、大量廃棄、開発競争の末の未来には負の遺産しか積みあがらないのです。



 園内は、植樹と共に土中環境改善作業を進めます。
植樹地の下層硬化土層を掘削し、そしてその脇に必ず、土中縦方向に水と空気が動いてゆく深い通気浸透孔を穿ちます。その深さ約2m。大きな建築負荷のかかって荒廃したこの土地では、そこまで掘らねば自律的な環境改善にはつながらないのです。



 建築前まで柔らかで水はけのよい自給的な畑地だったこの土地も、建築後には木々の根も生き物も生育できない硬化した土に変貌してしまうのです。
 この、通気浸透環境を根本的に改善することなく、単位植栽部分の土を入れ替えても数年でその土も硬化し、健全な環境へと再生されることはありません。



 植栽部分の周囲に通気浸透の縦穴を掘ります。



 縦穴に周辺から集めたシノダケや枯れ枝など、有機物を絡ませて、空気の通り道を確保します。
 これによって、硬板層の下にまで空気と水の動きを誘導します。絡ませて埋設した植物材にはたくさんの好気性微生物や菌類などが繁殖し、雨水を濾過していくのです。
 有機的なこうした暗渠に埋設する植物材は単なる泥漉し材ではなく、土中生物活動を再生して水を浄化するという本来の機能を活かすのです。



 雨どいからの雨水管に切れ目を入れて、その浸み出し水が縦穴横溝に埋設した植物材を通って浸み込むようにします。



現代の建築基準で設置された雨水浸透桝は、砂埃が濾過されずにパイプを通って、人工的な透水シートから周辺に浸透させようとしますが、人工的で無機的なこうした浸透層は数年で目詰まりするばかりでなく、浄化されない汚濁水を土中深部に誘導することで土中に不透水層を作っていきます。
 こうして、浸透しない不健全な大地が広がっていくのです。
この浸透ますを一つ一つ改善していきます。



 植樹地は、木炭、枯れ枝幹などの有機物と破砕ブロック片などで土中に空間を作りながら埋戻していきます。周辺の縦穴は、土中の植物材の気抜きにもなります。



そして、有機物やコンクリート片をサンドイッチしながら土が圧密されないように埋め戻していきます。



 埋め戻した植樹マウンドの表情。黒い粒は竹炭で、今回の工事でおそらく3000~5000㍑程度の竹炭を用いることになります。



 そして、埋め戻した植樹マウンドの上に、樹木の根鉢を配していき、土を戻していきます。



こうした植樹によって、土地にはかなりの地形起伏が生じ、植樹部分はかなり高くなります。この高低差が地表にも地中にも多彩な水と空気の動きを生み出し、自律的な環境再生に繋げてゆくのです。



 土中環境を改善しながらの植樹は遅々としたもので、6~7人による真剣勝負の作業でも1日に3マウンドの植樹がやっとです。
 それでも、ここまでやれば、いずれ健康に育ったこれらの木々が、この地の改善をさらに進めてくれると思うと、とてもやりがいのある尊く充実感溢れる作業に感じます。



 そして翌日の寒い朝、2mもの深さの竹筒から白い蒸気が立ち上っているのが見えるのです。
 これこそ深い位置から土中の空気が動いている証で、大地の呼吸が取り戻されつつあることを示唆していました。
 こうした地道な再生作業によってこの土地の環境は本来の豊かに息づく環境へと年々育ってゆくことでしょう。



 さて、この工事はまだ始まったばかりです。今後、この土地がどのように変わってゆくか、なるべく詳細に報告していきたいと思います。



 さて、余談になります。連日の季節外れの温かさで、庭のユキヤナギが開花の前に葉を開いてしまいました。
 冬は、植物の地上部はじっくりと休息し、そして一年の活動に備えて土中の根をゆっくりとのばして体制を整える、本来そんな時期なのです。
 それが、今のような荒々しい気候下で、植物は痛み、本来の眠りすら許されず、健康を害してゆく、それがここ数年、全国的な植物環境劣化に少なからず反映されているように感じます。
 どうすべきか、僕にはわかりません。でも、明日を信じて、自然の声を聴きながら、そこで学んだ大切なことを人に伝えたい、そして少しでも、大地の環境を息づかせていきたいと、そう思うのです。



 春の陽気に導かれて、我が家の自然菜園は一気に青々と、早春の花が開花をはじめました。時期外れの風景ですが、自然はおそらく、そんな私の憂いなどみじんもなく、自然界のリズムの中でいのちの営みを繰り広げるばかりです。

 ロシアのベストセラーで世界中で翻訳されている、ウラジミールメグレ著「アナスタシア」の文中にこんな言葉があります。

「あなたが住んでいる社会は、ダーチャで育てられている植物と交信することで、多くを学べる。それにまず気付いてほしい。
 ただ、あくまでもそれは、育てている人が植物を熟知しているダーチャだからできること。愚かなモンスターのような機械が這いまわっている人間味のない広大な畑ではむり。
 ダーチャの菜園で土いじりをするととても気分がよくなって、そのおかげで多くの人が健康になり、長生きしてきたし、心も穏やかになる。
 技術優先主義で突き進む道がいかに破滅的かを社会に納得させる、その手助けをするのがダーチュニク。」


 

 生き物豊かな土壌環境が育つ我が家のダーチャ菜園の向かいには、大型トラクターで耕耘される農地が広がります。
 トラクターによる締固めと表層の耕耘は土中生物環境をリセットしてしまう上、耕耘深さの下に、機械の重さによって耕盤という、不透水層を形成していき、徐々に大地はいのちを養う力を減じていきます。そうした畑ではもはや、農薬や化学肥料に頼った不健康な生産しかできなくなるのです。
 さかんに耕耘が行われたのはここ数年ですが、その間にその奥の山林のネザサは密集して苦しげに背丈を伸ばし、藪と化していきました。
 この光景こそ、この畑地の土中通気浸透環境が劣化してしまった証なのです。

 しかし、こんな場所でも、植物たちは健気にも環境を安定させて再生していこうとするのです。
トラクターの全面耕耘にとってできた筋状の、微細な盛り上がった線、そのわずかな筋に沿って、春の野草が広がります。
 耕耘して土壌の構造が破壊された土はすぐに風に舞い、雨に流されて安定せず、そんな場所では土地は安定せずになかなか良質な表層環境は生じないのですが、それでも、この筋状のわずかな起伏によって、その筋周辺だけ土中の空気が動き、土がわずかに安定してそこから野草が根を降ろし始め、さらに土地を安定させていきます。

 いずれまた耕耘されてしまうのですが、それでもまた、大地は常にこうして再生しようと働くのです。
こうしたこともすべて、植物たちが教えてくれます。日々、きちんと大地を向き合うこと、それを取り戻すことが今、何より大切なことと感じます。

 
 




投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
千葉市中央区の庭 主庭の竣工    平成28年2月9日



  久々の庭つくり紹介です。地元千葉市内での造園・環境改善工事が、本日完了いたしました。
 ここ数年、じっくりとブログを書く時間もなかなか取れず、更新間隔がかなり空いてしまうようになりました。
 なにぶんにも、心の底から人に伝えたいことが多すぎて、ついついいつも長大なブログになってしまうため、なかなかその時間を作るのに一苦労するようになってしまったのです。
 そこで今回は、解説を極力省略して、完成直後の庭を写真にて紹介するにとどめさせていただきたいと思います。

 お施主のIさんは数年前に住まい南側に面した空き地を購入したのです。
 そこに小鳥や様々な生き物が共に暮らせる四季折々に生き生きと変化する庭・自然環境を再生したいとの想いで、数年前に相談いただきました。
 そこに、単なる景観ばかりの庭ではなく、大地が呼吸し、そして様々な生き物がここで生々流転を繰り返しながら変化してゆく、そんな環境の再生を心がけました。
 完成写真で紹介できるのは本当に形ばかりとなりますが、この庭が3年後、そして10年後、さらには数十年後に、畏敬の念を感じさせてくれるまでの精気あふれる自然環境へと育ってゆくよう、様々な見えない配慮を尽くしております。
 が、今回はその、土中環境再生作業工程の紹介は省略させていただきます。。。



家屋から一段下がった主庭にいたる動線から。



 家屋と庭の伝い。



 家屋前から一段下がったデッキテラススペース。



 家屋側からデッキ越しの主庭スペースの景。



 奥に向かって傾斜のある敷地ですが、意識的に地形起伏を設けながら、空気の動きやすい空間配置に配慮します。その結果として、変化の感じられる庭空間が生まれるのです。



庭園内の回遊路。



 もう一つの庭のテラススペース。ベンチはちょうど大人が十分に足を延ばして昼寝できるサイズ設定です。
 庭の奥、土中の水と空気が最も動く場所に設けたこのテラスでは、夏にはたくさんの生き物たちの気配と共に、ひんやりとした土の香りを感じる、癒しのパワースポットとなります。



 もう一つのベンチスペース。この庭は2つのデッキを含めて4カ所のテラススペースがあり、庭を回遊しながらそれぞれの空気感の違いを感じていただけるよう配慮しています。



 庭の泉のような水栓スペース。コナラの幹を用いて周囲に溶け込ませています。



 道路からの進入路側、駐車スペース側の園路から主庭を垣間見る。

 葉を落とした冬の庭空間ですが、それでも枝影が空間を優しく揺らします。
久々の庭紹介でした。
 今、私にとって庭は見た目の景観ではなく、いのち息づく空間の空気感を第一に考えて造作します。風の通り、土中に浸み込む水の動き、、その土地がいのちの宿る環境として育ってゆくこと、それがすなわちそのまま、本当の意味で健康で力をもらえる暮らしの自然環境となるのです。






投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
       
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