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雑木の庭つくり日記

40代の終わりに  2019年8月29日
 


 大変久しぶりの高田造園ブログ更新です。更新を楽しみにされていた皆様お待たせいたしました。

 私事でございますが、本日が、高田造園設計事務所代表高田の40代最後の日となります。
 ここのところ、私たちが始めた環境活動のためのNPO法人、地球守サイトのブログ投稿に力量の比重を移すあまり、雑木の庭つくり日記の更新が大変滞ってしまいました。

 もともと、「雑木の庭つくり日記」は、私の庭つくりの想いをここに綴り始めたのですが、時代も変わり、その中で自分の果たすべき役割も変わっていきます。
 これまで、素晴らしいお客様はじめ縁のある方々に支えられて、素晴らしい人生を楽しむことができました。年を経るにつれて、自分を活かしてくれた天、地、社会、人の限りなく温かなご恩にどう応えてゆくか、生き方において、自分の身の回りのこと以上にその比重が増してゆくのが、本来の人の歩みなのでしょう。
 これからも依頼してくださる方々のご要望にできる限りお答えしていきたいと思いつつ、限りある時間です。
 これからは、未来の環境、国土、人、子供たち、いのち、にとって、価値ある仕事にさらに絞って集中していきたい、そう思っております。そのために、培ってきました私の稚拙な造園技術や感覚を活かしていければ、それはそれで幸せなことだと思いますが、未来へのまなざし温かく、生き続けたいと思います。

 



 今年の盆休み、夏の定例山行は10年ぶりの月山でした。美しく、優しく、そして限りなく温かな霊山です。



 月山山麓、庄内平野に続く梵字川出合の風景です。
最上川、赤川と、庄内平野を潤す河川は月山に発します。



 月山の霊地であってかつての山岳修験の地、湯殿山への旧道沿いに、森敦の小説「月山」で知られる注連寺があります。
 ここに、江戸期、庄内地域はじめ東北関東一体に赴き、衆生救済に心身をささげて尽くし、神とまで呼ばれた木食行者(もくじきぎょうしゃ)、即身仏となられた鉄門海上人が祀られております。

 かつて、大規模な土木造作は仏門行者が行いました。河川、道路、田畑、水路、井戸大規模建築に至るまで、土地を安定させて未来永劫に豊かで安全な暮らしの土木造作は本来菩薩行だったのです。
 なぜ、土木がお坊さんの役目だったか、と言えば、それは彼らが自然の摂理をわきまえていたからでした。
 道路を通すのにも、自然に対して畏敬を抱かず、人に対して慈愛を持たず、ただ自己の都合に目が眩む世の常人が、大地を自己の都合で大きく造作しようとしたら必ず、いつか自然のしっぺ返しを食らいます。
 その点、日本古来の神仏習合の営みの中で培われた仏門行者は、人の都合を自然環境の営みの中に溶け込ませる頃合いをよくわきまえていたので、彼らには常に、道筋が見えていたのでしょう。無我の境地で、ただ天地人への無限の慈愛の中で、神仏と一体になって、衆生のため、生きとし生けるすべてのいのちの営みと調和する人の営みのため、土木事業に打ち込んだのです。

 鉄門海もそうでした。あちこちに赴き、道をつくり、河川を治め、疫病を治め、豊かな暮らしの環境の調和のために、庄内平野にとどまらず、東日本一帯の村々を訪れ、持てる力を尽くして回ったのです。



 注連寺の裏山墓地に続く参道の一角に、鉄門海上人の石碑がひっそりとたたずみます。石碑に、「木食」(もくじき)の、字が刻まれます。木食とは、五穀を断って山草や木の実、木の皮だけを食らう、そんな生活を何年もつづけた末に、いよいよ死期が近づくと自ら土中へと入るのです。
 即身仏となり、未来に自らの入定のままの肉体のカタチを保つことで、人々を救済する、このことに対して理解できない人もいることでしょう。
 しかし、苦しみ悲しみを乗り越えて導かれる多くの人が、即身仏を目の当たりにして手を合わせ、あるいは涙を流し、心を洗うのです。
 このありがたさは筆舌に尽くせず、確かに未来永劫の衆生を救い続ける存在へと昇華した、そういうことにわずかな違和感すら、私は感じないのです。、



 ここは本明寺、本明海上人が土中入定して即身仏になられた場所が、入定塚として今も祀られています。
 鉄門海上人はこの、本明海上人の生死に打たれ、それが彼の生死のあり様に結びついていきました。

 僕から見ると、土木技術者鉄門海上人の生き方死に方、泣けるほど理解でき、惹かれます。
 本来土木は菩薩行であり、いのちの世界の喜ぶ仕事、それゆえに、この行に携わる人は限りない天の祝福を受けて喜びの中で育ってゆく、そして無私の心境の中で周囲を幸せにし、自然界の調和の中に溶け込ませてゆく、それが菩薩行ゆえんなのでしょう。

 僕は、こういう生き方を通していきたい、50代を目前にして今、そう思います。

 

 今日からまた、新たな工事に着手しました。鎌倉の水脈の要、扇ヶ谷の新規住宅開発地の造園および環境再生工事です。
 今、僕の仕事にいわゆる造園工事はありません。環境がこれほど痛んでいる時代、そのことを知りながら、打つ手があるのにやらない、という選択肢はないのです。



本来、山際から湧き出す清冽な水を使いながら守り保つ、それが、こうした場所に住むものの役割であったはずです。
 今、こうした箇所の住宅開発の場合、宅地造成関係法令などの制約によって山際にこうしたコンクリート擁壁と落石防備柵が設置されてしまいます。
 それがこの、山のキワという、水脈上大変重要な場所にそうした重量構造物が設置されることで、裏山の環境は一気に変わり、一年で見る影もないほど荒れてしまうのです。
 湧水は留まり、木々は傾き、山は保水力を失い、危険を増す。これが自然の摂理を無視した現代の土木建築なのです。
 


 庭の造作よりもまずは、擁壁によって呼吸の止まってしまった山の呼吸を回復する、そのための山際の掘削からかかるほかありません。



 山際の掘削が進むにつれて、本来の山からの冷気が復活してくるのを皆が感じるのです。

 庭の整備はその後です。
まずは、現代の過ちによって傷めてしまった周辺環境の根本から、その呼吸を取り戻すことから始めなければなりません。
 
 空気の流れが変わる、そのことはすぐに実感できます。そして、空気の動きが変われば水の流れも変わります。空気も水も、感じようとしない限り見えない世界のことです。
 私たちは見えないもの、実証できないもの、それらをあまりに無視してすすんでしまった挙句、人間も環境も育っていかない、劣化する一方の破滅的な状況を招いてしまいました。
 そんな時代だからこそ、気づく人のエネルギーがこれまでになく高まっている、そんなことを感じる人が今、ますます増えているのではないでしょうか。

 日々、喜びの中でこの仕事に向き合い、この喜びはどこからくるのか、そう考えると、大いなるいのちの源泉、人間としての根源的なものからくるように思えたのはそれほど昔のことではないように思います。
 もう、あと少しで50歳になります。
50歳と言うと、若いころは自分がそんな年を迎えるなんて想像もつきませんでしたし、年取ることへの抵抗感をつい最近まで感じていたように思います。

 でも、今は違うのです。付き合う人たちも、見える世界も、今が一番と思えます。そう感じながら年を重ねることができれば、それは本当に幸せなことともいます。年を重ねることに喜びを感じる、これからもそう生きてゆくための姿勢を保っていきたいと思います。
 
 天から課せられた役目とともに、生き続けたいと思います。

 もっと書きたいのですが、、今は22時、明日も早朝から現場に行かねばならないので、このくらいにします。

 さようなら、今生の40代、最高でした。まだ見ぬ50代も、全力で生きて奉仕したいと思います。
 ありがとうございます。


 


 






投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
平成から令和へ 川越の庭、竣工  令和元年5月1日
 
 高田造園ブログを見てくださる皆様、大変お待たせしました。
今年も早くも新緑の時期となり、そして、令和の時代が始まります。新たな時代が日本にとって、そして世界にとって、すべてのいのちの営みにとってよき時代となりますように、願いを込めます。

 これからもどうぞよろしくお願いいたします。



 昨年からとびとびの日程でかかり始めました、川越の庭、一昨日に完成しました。
綾部工務店施工の石端建ての伝統家屋を大地息づく雑木の空間で包み込みます。







 裏口側です。



隣接道路より、玄関アプローチ越しに、家屋と庭を垣間見ます。



 洗い出しと敷石の玄関アプローチも、土地に重量をかけずに大地の水と空気の流れを遮断しない、呼吸する下地状態を保ってます。
 すべての土木造作において、私たちは今、土地のいのちの循環を妨げず、再生しながら、庭の空間を作っております。
 たくさんの思考錯誤の中で、今のスタイルに至りました。そのヒントは常に、先人の営みと精神性の中に見出してきました。
 温故知新、と言いますが、行き詰った時代を潜り抜けて時代の進化に到達する、そこには過去現代未来三世を通して大切なもの、過去の造作の意味をきちんと理解して活かしてゆくことが大きなカギであり、妥協なく徹底していくこと、その果てに、楽しみと喜びがあり、わたしたちの造園造作の日進月歩の歩みがあったように感じます。



玄関アプローチから、濡れ縁越しに主庭側を垣間見ます。



 駐車場側から、木々越しに家屋の空間が繋がります。
 
 駐車場の写真は間に合いませんでしたが、3台分の駐車場もまた、土地の通気浸透性を遮断せず、むしろ年月とともに高まってゆくように仕上げています。



主庭の一角に、大穴を掘削し、そのまま落ち葉溜めとして仕上げています。

ここが主庭の土中の水と空気の動きを促す、大切な装置となります。

枯れ池にも見えますが、いずれこの土地の土壌環境が育って木々の根が側面や底面に張り巡らされるにつれてしっとりとした苔が覆ってくることでしょう。そして水の浸み出しが再生されれば、土壌は自律的に恒常性を整えていくのです。

 私たちの環境造作は、自然の作用が健全に向かうように、ちょこっとだけお手伝いする、きっかけを導くものであり、その先に、未来の土地の心地よさ豊かさがあります。
 そんな営みが、過去連綿と続けられてきた果てに、今の私たちが生きる大地がある、そのことをいつも心にとめて、先人とともに歩んでいきたいと願います。

本来の枯山水造作は、大地の通気浸透性に配慮した環境造作が原点にあったようです。
昨年12月の京都新聞での記事だったと思いますが、京都の枯山水が街環境にける浸透性の確保、洪水緩和の面で大きな役割を果たしているという調査研究結果が報告されました。
 当然のことですが、あまり知られておらず、そんな視点と意識をもって、記事の元となった調査研究をなさった方々に敬意と感謝を申し上げたいと思います。

 かつての土地の造作は、必ず環境の安定と調和を促す本質的な視点があって、それを現代人が忘れてしまっているだけのこと、これからの私たちの文明が、永続して子供たち、孫たち、そしていずれは私たちが還ってゆくこの大地のすべてにとって、本当の意味で資する在り方、生き方へと歩んでいけるよう、自分のできることに注力していきたいと願います。



これは施工中の様子です。

以前は田んぼだったこの土地を埋め立て、長年駐車場だった土地です。ハンドピックという削岩機を用いての土地改善造作となりました。



 植栽箇所の下地には、山中にて風化させた枝や瓦を敷きます。
土地を締め付けず、適度な空間を保ち、そして菌糸や土中生物が活動しやすい植栽環境を作るのです。



 植栽箇所の下にも多数の穴を穿ち、そこに炭と瓦と藁などを重ねて、菌糸な根が深くまで誘導されて深い位置から土中環境が再生されてゆくよう、労力を費やします。

 私たちの仕事では、植栽などの、目に見える部分の造作の何倍もの時間と労力を、見えない土の中の健康な環境つくりに費やします。
 それこそが、穏やかで健康な庭環境の表情に繋がり、そして未来の土地の豊かさ、健康につながります。
全てのいのちが調和をもって共存できる環境に、人の安らぎも心地よさも生まれる、そこは単なる見た目のデザインではなく、その基には人の営みを自然の大きな営みの中に受け入れてもらうための、不可欠な視点があります。



 こうしてまた、庭の完成と同時に、息詰まった土中の環境が再生へと向かい始めるのです。



 庭という、街の中の小さな点の空間の土地の再生、それが点と点が繋がって、いつか傷めてしまった大地の環境再生の拠点なってゆく、そんな庭つくりをしていきたいと思います。


 
 



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
新年初工事 埼玉県八潮市 低地の植栽 平成31年1月17日
 
 皆様明けましておめでとうございます。私たち含む、世界中の人たち子供たちにとって、今年が平和で、たくさんの希望を感じる年となりますように・・。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、昨年から断続的にかかってきました埼玉県八潮市の庭、植栽と土中環境改善を進めております。



 八潮駅近くの新興住宅地は、水のはけにくい低地に最近造成されました。
 造成によって土の中の環境もさらに悪化して、掘ればいたるところに停滞水がじわじわと浸み出します。
 今は、これまで人の住まなかったような立地だろうが、構わずどこにでも大規模に造成されて売られる時代ですので、こうした、環境的に問題のある土地は当たり前になってしまいました。
 しかし、こうした場所でも、庭の植栽の仕方によって、土地を育ててゆくこと、回復させてゆくことも十分に可能です。

 今回、少し、植樹を追って紹介します。



 まず、環境つくりのための植栽は、一本単位で植えず、自然群落の組み合わせを参考に、高木、中木、低木を、必ず組み合わせで植えていきます。根鉢と根鉢をくっつけ合うように植えることで、土中菌も多様化し、そしてそれを木々の根もお互い利用し合うのです。
 自然界では菌糸のネットワークの中で草木が情報交換といのちの補完を行っているのと同様のことを、庭の環境に作ってゆくのです。



 先の植栽マウンド、植栽完了後。景観だけでなく、こうした植栽群を適切に点在させてゆくことで、土地改善の起点を作ってゆくイメージです。



 こちらは同じ庭の中庭側で、昨年秋の植栽終了して今の様子です。その数か月全く水を与えずとも、木々は生き生きいています。



 確認のために、1本を掘り取り、根と菌糸の様子を観察します。
 秋植え後の冬だというのに、わずか数か月ですでに、根と共生する白い菌糸はびっしりと張り巡り、そして新たに細かい根がたくさん出ています。そしてその根の先の方にも、白い菌糸が多い、根と養分や水分の交換を行っている様子が分かります。

 こういう状態になれば、木は水を与えずにもたくましく生きていきます。菌糸が乗ってこないと、いつまでも生長不良が続きます。菌糸が乗ることではじめて、新たに植えた木が土地のいのちの仲間入りを果たしたと言えるのです。

 菌糸が健全に土中を覆い、木々の根と共存してゆく、土中環境の再生が、荒廃地でも健康な庭を作るために、最も大切なことになります。

そのために、土中環境つくりは十分かつ、臨機応変に行う必要があります。



 植栽する場所の下地に炭と燻炭を混ぜて攪拌したうえ、縦穴を数か所開けていきます。



 その縦穴の中に古瓦片と炭を入れて、通気透水層を、根鉢の下に作っていきます。





 そして、木々のバランスを見ながら、改良した植栽下地地盤の上に置いていきます。
 一か所にこれほどの木々を、しかも根鉢をくっつけるほどに密集して植えます。



 植えるというと、穴を掘って根鉢を入れて埋め戻す、そんな風に考える人が多いと思いますが、こうした外周道路との高低差に乏しい今の大規模住宅地、しかも、ここは本来低湿地、こうした庭で穴を掘って木を植えると、多くは酸欠や根腐れの症状を呈してしまいます。
 穴を掘るなら、植える場所の隣を掘って、その掘った土で盛って植栽する、これは実は、それこそ昔からの日本の環境林造成の手法であります。




正面が、今の場所の植栽埋め戻し後です。これで終わりでなく、まだまだやることあるのですが、その手順はまたいずれ紹介します。
 
 玄関アプローチの石畳も、自然に植えられた木々の合間でようやく落ち着きを感じさせてくれます。




 こんな感じで、植栽群落を一つずつ丁寧に、土中環境から作ってゆくことで、高低差のない低湿地の住まいの庭も、健康な森となっていきます。

 環境が健康であれば、小鳥も楽しそうに囀ります。人もやさしくなれます。
 そして、ひんやりと、深呼吸したくなるような発酵した土の香りが感じられる、そんな環境となって住まいを包んでいきます。

 広いのでまだまだかかりますが、また報告いたします。

それでは皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
麻賀多神社旧裏参道 地すべり斜面の安定造作 平成30年11月4日
 

 ここは千葉県成田市台方、麻賀多神社。
 終戦の前年、この地に降ろされたという日月神示で有名なその鎮守の杜には、東日本一とも言われる大杉をはじめ、巨木たちが今もかろうじて、この太古からの豊かな営み香る、この地を見守っているようです。

 鎮守の杜、それは本来、その地域の環境の要を守るべく、本来その神域は、一山丸ごとあてがわれてきました。ところが今、多くは本殿拝殿の周辺のみを鎮守として残すのみにまで、極度に縮小されたケースが非常に多く、この麻賀多神社も同様に、今や鎮守の杜は、かつての森のほんの一部にしかすぎません。

 なぜ、古来から土地の要の地として鎮守を定め、その環境を守ろうとしてきたのか、その意味を今こそ問い直されねばなりません。



 麻賀多神社の旧裏参道だった小道において、長年土地の豊かさを守ってきた巨木も今は次々に伐られ、殺風景で霊気もない、つまらぬ道に変わり果て、その光景に落胆を隠すことができません。
 でも、これが今の日本の現状です。巨木は、単なる危険物として次々に伐られ、そしてそのあとには歴史も風土も感じさせてくれる光景が何もない、乾いた土地へと変貌します。



旧裏参道、本来鎮守の木々に守られた石段の道だったであろうこの道も、いつしかコンクリート舗装の車道となりました。
 そして両脇の斜面は、崖条例指定区域とされるほどに荒廃し、不安定な土手には、荒れ地の雑草が喧嘩するように競い合って徒長し、そしてそこに周辺の住人が除草剤散布する。
 その結果、土壌は傷み、表土を守るべく草木根も枯れ果て、そしてまた崩落が進む悪循環。
 こんなバカげたことが今、全国の田舎で繰り返されているのが現状です。



 土壌が安定構造を保つことのできないまでに蹂躙され続ける土地は、たとえ傾斜が緩やかであっても、地すべりや斜面崩壊、土砂の流亡は続きます。
 ここでも、斜面全体に無数の小規模崩壊が常時発生し、そして道路をも埋めていきます。

 このたび、この土地を取得されたTさんの依頼により、この参道の土壌環境再生による土地の安定のための造作を行いました。
 
 崩壊斜面の安定のためには、コンクリート擁壁など力で抑え込む必要など、全くありません。
 その斜面の土の中を、水と空気がともに健全に動く、そんな環境さえ整えることができれば、そもそも地形を崩そうとする土圧など発生しないのです。
 そうした自然の摂理に基づくやり方があり、そしてそれは特別な技術者でなくたって、だれにでもできるものだということを知っていただききたいと思います。




斜面のキワに、垂直の段差となるように切込み、そしてそこに横溝、縦穴を掘り進めます。




 垂直段丘の形成、横溝、縦穴終了後、縦穴に竹筒を差し込み、枝葉を漉き込みます。



 そして、斜面際に現地での竹林整備で発生した竹を用いて、キワの土留め柵を編んでいき、



 そしてその柵に剪定枝葉を絡ませ、そして埋め戻します。
 この枝葉が適度な湿潤状態で分解が進むと同時に、分解の過程で増殖する土中菌糸がそこから延びて、斜面の通気性保水性を高めていきます。
 そんな状態が生じるころにはもはや、土圧も水圧も発生しない状態となるのです。



裏参道沿いの斜面下部、水が集まりそうな地形。
 土中環境の衰えとともに進入した竹林の中になお、大木が残っています。
 今回、竹林整備と同時に、この水脈の要の地に大きな穴を穿ち、土中通気透水環境の改善を図ります。



 
 斜面を下って道が折れ曲がる地点、ここが土中水脈の要、心臓部と言える場所、ここに深さ2m近い大穴を掘り、そこで整備の際に発生した伐竹を燃やし、炭化させます。



 いい感じに炭になり、炎がおさまり炭火となるのを待ちます。



そしてそこに土をかぶせ、



よく踏んで、空気の出入りを遮断します。
これによって炭が灰になることなく、現地の残材を用いた埋炭が完成していきます。



 こうした一連の土中環境造作により、重苦しかった土地も軽やかに、明るさを取り戻してゆくようです。



 そして、この穴が大地の呼吸孔であり、それを守るべく、ミニ鳥居を作って据えました。
 龍神様の守りです。



 地すべりが止まない不安定な土手が、こうした一連の造作で安定し、そして斜面の土壌はますます健康なものとなっていきます。




 そして、キワの土留めの上部のミニ段丘は、直線状に造成するのではなく、微妙な地形に応じて、変化をつけていきます。
 こうしたきめ細かな観察と造作が、斜面安定のための重要なカギの一つとなるのです。

 この後、微妙な谷部分で、再び小規模な崩壊が起こるのですが、それでよいのです。
 自然が、大地の健康を取り戻そうとして起こる現象の一つが斜面崩落です。
 この、人為的な段丘形成によって、この斜面はこの造作をきっかけにして、再生へと動き始めます。
 すなわち、斜面安定のために、もう少し地形を変える必要のある個所を、この後、小さく崩していきます。そして、そこに土中菌糸と草木根が呼び込まれて、安定した土手となっていくのです。




 これでこの斜面は、改善に向かいます。上部の土壌環境もまた、豊かに育っていきます。

空気と水の通りの良い、自然の営みに逆らわない造作は、何とも言えぬ美しさと落ち着きを感じさせてくれます。





 総延長100m近い参道沿いの崖面道路際に、合計55か所の縦穴通気孔を設け、竹筒を通して土中深部から安定させてゆく。それが土地の自然本来の安定化作用との協業で行われるのが私たちの環境造作です。

これで土地は安定に向かうのです。




 そして、この枝を絡ませた、枝絡み土留めが土の循環へと還るとき、ここに安定した段丘が自然の力で完成していきます。
 私たちの環境造作は、自然の安定作用に対する、ほんのわずかなお手伝いに過ぎません。

 地すべりに対して、擁壁を巡らせて力任せに抑え込もうとしても、それは決して永続しない。永続しないものに守られる住環境など、本当は砂上の楼閣と変わらないのです。

 むしろこうして、自然の作用に従い、自然本来の呼吸する地形の中に、人の都合の良い営みを溶け込ませてゆくことで、環境の豊かさの源を高めながら、共存の美しさを育むことができる、そんな造作が当たり前になれば、かつての美しい人の営みの風景はまた、戻ってくることでしょう。

 かつては当たり前におこなわれてきた、智慧に満ちた環境造作を今、多くの人に思い起こしていただきたいと思います。


 
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埼玉県北本市、住まいの外空間竣工 平成30年10月4日
 

  台風一過、夏前から断続的に取り掛かり続けてました埼玉県北本市Tさんの住まいの外空間が本日竣工しました。
 
 

 周辺を畑に囲まれた旗竿地、家屋に至る車道は、降り注いだ雨水がすべて浸透して大地の循環に還ってゆく、そんな下地作りを完璧におこなっておりますゆえに、あれだけの台風直後でも表層ウッドチップの飛散はなく、豪雨でも削れることなく、ぬかるむこともありません。
 土が呼吸する、昼夜、地上と地中を上下に空気が行き来する事で地表の有機物が絡み合い、静かでしっとりした微環境を作ります。そこに土中の菌糸が絡み、車道においても多孔質で安定した土中の環境を醸成してくれるのです。



 車道を抜けて、フロントスペースは駐車展開スペース件広場となります。ウッドチップはいずれ、うっすらと芝生や野草が多い、心地よい野となっていきます。

 右のポストスタンドの奥、駐輪小屋の脇を抜けて玄関に至ります。



 玄関わきの駐輪小屋は、ちょうど浄化槽の上のデッドスペースを利用して、簡素でざっくりとした質感で作っております。



 駐輪小屋の屋根は、灌水せずに天水だけで草が維持される、草屋根仕上げです。
施工直後の表土の保護のため、ウッドチップを敷いておりますが、これもまた、台風後も飛散せず、保たれます。
 屋根の上のような環境でも、微生物菌糸の作用を活かすことで、潤いのある快適環境が作れるのです。



 駐輪小屋のほかに道具小屋と二つの薪棚を設けてます。小屋も薪棚も、こうした建物造作において最も大切なのことは、木々越しに佇まい良く収めてゆくこと、配置やスケールがとても大切になるのです。



 フロント広場スペースと小屋の佇まい。手前の玄関アプローチは様々な古材を組み合わせて、施工直後からこの場所に溶け込むように心がけてます。



玄関からの見返りの景




 中庭側からの道具小屋と薪棚の佇まい。
小屋端建具を含めて古民家解体の際に得た古材をふんだんに用いて作ってます。



 薪棚は極シンプルに。



 中庭とベンチの佇まい。



南庭。あと2年もすれば、全体が夏の間の木漏れ日の下の涼やかなデッキの空間になっていくことでしょう。



 西側のプライベートスペースは家屋窓からの景や西日除けとしてだけでなく、回遊して草木を楽しむスペースです。
 写真の手前には1坪菜園を配してます。



 植栽は群落単位にマウンドを盛り、通気孔を掘り、大地の呼吸を整えながら仕上げていきます。
 表層には腐植の進んだ落ち葉枯れ枝ウッドチップ炭燻炭を配合し、森の表土の状態を醸成していきます。
 スポンジのような土壌環境が保たれることで、この腐植もまた絡み合い、菌糸によって捕捉されて、施工直後の台風直撃の後も飛散することなく落ち着いた表情を見せています。

 こうした、生きた環境を丁寧に作り続けることで、わずかな点でも大地の呼吸を繋ぐことができる喜びと、今の住環境の問題、自然の法則をますます知る機会感じる機会を失った社会や人、そうした現代の大きな問題に気づかされ、自分のすべきこと、伝えるべきことに改めて気づかされるのです。



 いのち息づく空間がこうして一つ、生まれました。ここでの暮らしを心豊かに育みつつ、土地を育ててゆく、そんな暮らし方を思い出すことが今、改めて必要に思います。
 
 お施主のTさん、長らくお待たせしました上に、思うままに環境再生の場を与えてくださり、どうもありがとうございました。

 
 




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