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雑木の庭つくり日記

浜名湖畔の庭 環境改善工事終了   平成27年7月30日


 ここは中部山岳地域の膨大な水脈を集めて流れる天竜川下流域、遠州灘に面した汽水湖 浜名湖です。
 昨年の秋からこの湖畔丘陵地で始めた造園工事がようやく終了しました。
 毎月工事のためにこの地を訪れる度、早朝に宿舎からほど近い浜名湖畔を散歩しながら、自然が息づいていた頃の古き良き浜名湖に思いを馳せます。
 そんな日々もこの工事終了と共に思い出に変わってゆくと思うと、最終日の朝の散歩はひとしお感慨深いものがあります。



  浜名湖畔でも、この辺りはまだ、近年の自然環境の急速の悪化からまるで取り残されたかのような、そんな清らかさをも感じさせられます。
 湖畔にせり出す森の様相も、かつては湖畔全体で当たり前の光景だったことでしょう。周辺の森から供給される大量の有機物が汽水湖の生態系を豊かなものへと育んできたことでしょう。
 そして生き物は陸地と海とで繋がって、豊かな風土環境を成立させていたことが想像されます。



 周辺の森からの清らかな絞り水が浜名湖に注ぎます。こんな光景もこの湖畔では他にはほとんど見られなくなってしまいました。



 湖畔への道すがら、足元の草むらはいつもカサコソと、小さなカニが音を立てます。人が通り過ぎるまでの間、穴に隠れたり草むらに逃げ込んだりと、つぶらな瞳で横歩きのかわいいしぐさで和ませてくれます。
 これも陸と海とが繋がる本来の生き物環境ならではの光景だと思うと、生き物環境を顧みずに無機的で暴力的な殺風景な開発がとどまることのない今の日本に生きる辛さを感じます。



 早朝の5時ごろ、周囲のミカン畑はミツバチのにぎやかな葉音が鳴り響きます。大地から鳴り響くようなミツバチの葉音と柔らかな朝の陽ざしは、私の五感の記憶の奥底から思い出されて、生き物にあふれていた子供の頃の野山の光景と重なっていきます。
 私の地元では、おそらく6~7年くらい前から在来のミツバチが激減して、そして今年の夏以降はほぼ全滅してしまったかのような印象があります。
 朝日に響き渡るミツバチの大合唱は大地の調和の音色のような印象を持って、懐かしく心に響き渡ります。



 湖畔の谷地。粘土質で礫を多く含む土壌環境が、わずかな高低差の中にも急峻な地形を刻み、それが汽水湖畔に豊かな森を育んできたようです。



 そして、谷地の農地と周辺傾斜地との、地形傾斜の変換線とも言うべき境界部分には素掘りのが掘られて、周辺の土中の水が絞り出されて清らかに流れています。
 大地の中の水の動きを当たり前のように知る、先人の知恵の辺々がこの地で見られ、そうした人の営みによって、今もなお、この地にいのちの気配残る息づく自然環境が残されてきたように感じます。

 山側の絞り水を際で絞り出すことによって、土中の水と空気の動きを活発化し、土壌中に空気が送り込まれ、木々の根も土中生物も深い位置まで活発に動き、そして豊かな土壌の生きもの環境が育ってゆくのです
 そして湿地だった平坦部分も、水が滞りなく動くことによって、人が田畑として利用できる環境が生まれます。
水脈造作で人も自然環境も共に潤う環境が作られる、それこそが本来の持続的な人の在り様だったと、こうした光景を目の当たりにするたび、そう感じさせられます。




 ほんの40~50年前くらいまでは、当たり前だったこうした光景も、昭和40年代以降に急速に進んだコンクリート化によって、全国的に大地の呼吸不全は進行し、それに伴って土が劣化し、乾燥し、そして無機的で潤いのない、健康とは程遠い環境ばかりが今もなお、増え続けています。

 取り残されて生き残る、そんな美しい大地の欠片を浜名湖畔で拾ったようなうれしさとともに、この有機的な世界がいつまでも残されて、そしていつか人の心の芽を開いてゆく、そんなきっかけとなって、自然環境が、そして人の心が再生されてゆくことを祈らずにいられません。



 さて、昨日、湖畔の丘陵地の造園工事がようやく終了しました。
 昨年の9月からかかり始めた工事ですので、実に10カ月越しの完成です。
 ほぼ毎月、月に3日間程度のペースでじっくりと、水脈改善の効果を確認しながら、工事を進めてきました。

 家屋背面の山から湧きだす水脈が、コンクリート擁壁やU字溝などによって、土の中で行き場をなくして滞り、それがこの地の土壌環境を極度に悪化させていたのです。
 そこで今回の造園工事の大半は、その水脈環境の改善に費やすこととなったのです。
 
 大地の生き物環境は見えないところで急激に悪化しております。そんな中、私たち造園に関わってきたものにとって、今後は、これまでのように目につきやすい表面的な造形や、庭としての視覚的な完成にばかりとらわれるのではなく、目に見えない大地全体のいのちの環境、呼吸環境と言う部分から、大地の環境を再生してゆくという視点が求められることでしょう。

 この地は30年前の開発以降、長年にわたって呼吸不全に陥って極度に傷んでいた大地の環境改善ですので、作業は幾多の困難を極めました。
 数回にわたる工事のやり直しを経て、今はすべての問題を解消し、この地の自然環境は、たった数か月前まではここが、ヘドロに覆われて有機ガスで充満する、ぬかるんだ土地だったとは思えないほど、豊かな生物環境が醸成再生されつつあります。



 改善工事完了後の家屋全景です。背面に巨木林立する丘を背負っており、ここはちょうど大きな谷の地形となります。
 その谷地形を作ったのは水の流れでありますので、ここには小川が存在したことは疑いの土地がありません。
 その小川をつぶしてコンクリートU字側溝を作った時点で、土中に水が停滞して腐り、それが木々や大地の呼吸不全を進行し、こんな環境であってなお、湿地のように腐り水の停滞する、そんな住環境を作ってしまったのです。
 こんな大地の環境においては、いくら表面的に美しくつくろっても、決して健康な住環境など生まれるべくもありません。



臭くぬかるんだこの地の工事はまず、山際で土中の停滞水を吐き出すことから始めます。



 本体の谷間、水脈の中心だった場所には30年前の宅地開発時にコンクリート擁壁が作られました。この擁壁によって空気と水の流れが滞って土壌生物環境を悪化させて木々の根を傷め、裏山の巨木たちの樹勢を落とし、そして行き場をなくした水が停滞してヘドロと化して、土壌はさらに不透水化するという、そんな悪循環が続いていたのです。



今年の冬の間に、擁壁沿いに溝を掘ってそこに炭と泥漉しの枝葉を敷き詰めて停滞した土中の水と空気を動かして水脈再生を試みたものの、数か月後にはそれも滞って有機ガスを発生させてしまいます。



そして数か月後、再び人工水脈を掘り返し、擁壁裏の停滞水を誘導します。



 擁壁際を掘り進み、コンクリート基礎の下まで掘ったところでようやく、擁壁背面の水が勢いよく流れだす水脈に到達しました。毎分20リットルはあろうかと思えるほどの、かなりの水量でした。
 これがはけず、長い間地面の中に滞留していたのです。



 水は流れていてこそ、様々ないのちを養いますが、こうして停滞してしまえば、土も植物も健全に呼吸できない状態となって土壌は悪化し、悪臭漂うヘドロと化していきます。
 ここもまた、広大な土地が土壌の通気不全によってヘドロ化していたのです。
 生き物の通気環境を顧みない開発や造成がますます大型化する昨今、もはや自然の再生力ばかりではどうにもならないほどの環境悪化が見えないところで進んでいる、日々そうした環境悪化を目の当たりにする造園者として、そのことに立ち向かい、そしてそれを伝えていかねばなりません。



この停滞水を導く水脈再生のために、エアースコップを用いて土中に空気を送り込みます。ちょうど、血管が細って滞りが生じた患者さんに対してカテーテルで拡張するような、そんな外科的治療にも似ています。
 大地も人も、そしてすべての生き物も、円滑な空気と水の流れがあって初めて命が繋がるもの、こうした作業を通して自然界の真理に触れる思いを感じます。



 本当の意味での大地の水脈再生のためには、山からの絞り水を徐々に浸透させながら、そこにあったであろう地下水脈へと誘導してゆくべきなのです。
 しかしながらここでは、上部の擁壁による湧き出し水の遮断に加えて、下流部もこうしてU字側溝と道路によって遮断されてしまっているのです。

 実際、川などの地表に現れる水は陸地における水の流れの中ではほんのわずかであって、例えば地球全体において地表流は地中を流れる水の総量のわずか4800分の一という、信憑性の高い推計が報告されているのです。

 土中の水の動きを考えることの重要性はそこにあります。U字側溝などで目に見える部分の水さえ処理すれば地面の中はどうでもよい、そんなやり方は必ず見直して、なるべく早いうちに方向転換しなければなりません。
 大切ないのちの循環が完全に消滅してしまう前に。

人間が作ってしまったこうした環境では、地中に浸透しきれない土中水は、道路側溝のコンクリート枡を壊してそこに流すしか、方法はありません。



 そして、コンクリート枡の側面の一部を壊すと、勢いよく泥水が吹き出し、そして徐々に安定した清流へと変わっていきます。今は飲めるほどにきれいで冷たい地下水が、枯れることなく流れ続けています。
 
 試行錯誤の末に、この地の呼吸不全はこの水の動きを健全化することで解消されていったのです。



山側の水脈改善作業中。



 造園工事終了後。山際の水路は通気性のよい石積みによって保護し、そして今は滞りのない風が山から抜ける、心地よい空気感に一変しました。



敷地下流部、改善工事中。



 工事終了後、この駐車スペースの下をながれる水脈の水音が、まるで水琴窟のように心地よく、常に鳴り響きます。



 この駐車スペースの下には大切な水脈があります。その水脈の詰まりを持続的に防ぐためには、この駐車スペースの緑化と根による泥漉し機能が求められます。
 そこでここでは、多孔質で保水性の高い瓦再生チップに木炭を混入してノシバを播種し、緑化を試みています。
 おそらく、この秋までにはうっすらと芝がはびこることでしょう。
 植物の力、自然の力を借りてこそ、人は持続的で豊かな環境を作ることができる、人がなしえることの限界、分というものを再びわきまえることこそが、これからの社会の持続のために深勝となることでしょう。



 水路を渡る足元の景。



 水と空気の流れる庭、この庭における水脈再生によって、周囲を取り囲む木々の呼吸も改善されて、まるで完成を祝福してくれているような晴天です。



 この仕事を通して、痛めつけられた自然環境を再生すること、健全な環境を取り戻すことこそが、そこに住む人の健康にもつながること、そんな大切なことに改めて気づかされました。

 長い期間にわたってこの取り組みを見守ってくださったお施主のKさん、そして地元で全面的に施工協力くださった、浜松市、新進気鋭の雑木の庭師、ナインスケッチの田中俊光さん、この場をお借りして心からの御礼を申し上げます。
 
 長きにわたって本当にありがとうございました。







投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
学校の環境改善~シュタイナー学園にて  平成27年6月16日



 ここは千葉県長生郡長南町。房総のなだらかな丘陵に囲まれたのどかな地にとても小さな小さな学校「あしたの国シュタイナー学園」があります。シュタイナー学園では、ドイツの思想家シュタイナーの教育理念に則り、「芸術としての教育」「自由への教育」のもと、一人一人の子供の成長に注意深く寄り添いながら、個々に応じたきめ細かな教育が実践されています。
 古き良き小さな木造校舎に14人の子供達と先生方、父兄とも、こののどかな自然環境の中で家族のように温かな学び舎の暮らしが営まれています。



 今回、あしたの国シュタイナー学園の特命講師を拝受し本日、第一回目の授業を行いました。



 午前中の授業は、学校周辺林の環境改善です。もともと谷地形で小川流れる田んぼだったこの地が埋めたてられて、コンクリート側溝と道路が作られておそらく約30年が経過し、行き場を失った土中の水脈が停滞して地滑りを起こし、谷間の木々は次々と倒伏し、とても健康とは言えない森の様相を呈しています。
 今回、この谷筋を中心に、木々や草花が呼吸しやすい健康な環境を再生するため、本来ここにあった谷筋の小川を再生することから始めることになりました。



 自分の映る写真を掲載するのは気恥ずかしいのですが、、社員が撮った写真を紹介しながら一連の授業を振り返りたいと思います。

 はじめに、同じ場所の中でもちょっとした地形の違いで、優先する植生がまったく異なることを子供たちに説明します。
 自然界のすべての生き物に無駄なものは何一つなく、全ての生き物が自然界の調和の中で役割を持って、そこに生きているということ。植物は根付いたその場所で必死に周囲の環境を改善していきながら生き、そして大地の環境が改善されて役目を終えると自然と消えて、あたらな環境に適応する他の種へとバトンタッチしてゆく、だから、どんな植物も大切な地球の仲間なのだと。



 ここの木々達の様子を子供たちと見ていきます。一見健康そうに見えても、この森の木々は呼吸できずに苦しんでいる。その理由はもともとあった小川がつぶされてコンクリート側溝になり、その結果、大地の中を流れる水が行き場をなくして土の中に溜まってしまい、土の中に空気が入っていかない状態になってしまっている。だからこうして高木は痛み、根元は藪のように風通しが悪く、植物にとって通気の悪い状態になってしまっているということをお話ししています。




 百聞は一見にしかずです。こんなこと、本で読んだり話を聞いたりしても、本当の知恵には決してなるものではありません。
 すべては体験、体感、そして感動から人は本当に大切なことを学んでいきます。

 しゃべるより、まずはやってみせること、早速、滞水していると推測できるか所を機械で掘ってゆくと、案の定、土中のたまり水が押し出されて流れ出しました。



「こんなに水が流れていたんだな・・・息できなくて苦しかったんだね・・・。」土中から溢れて流れる水を見ながらそう言う子供のつぶやきが、耳に残ります。




 そして、大きな谷筋に本来流れていたはずの小川の水脈を再生するため、子供たちと一緒に溝を掘っていきます。



そして溝の底に炭を敷き、



周りの山から拾ってきた枯れ枝を詰めていきます。
 ただ置いてゆくのではなく、ビーバーの巣のように枝を絡ませていきながら、水が流れてもしっかりと動かずに泥を漉してゆくよう、一生懸命に小枝を刺していきます。



 皆でやると早いもので、あっという間に数十年も埋もれていた水と空気の通り道が再生されてきます。
 浅く小さな水脈ですが、人間がやることはまずはここまででよいのです。あとは自然に任せて、水脈が自律的に再生されてゆくのを待つのです。人による環境改善とは、自然界が自律的に改善されてゆくためのほんのきっかけづくりであって、全てを完璧に人間ができるなどと思うことは、大きな思い上がりなのだということを、これからの社会は知らねばなりません。

 きっかけ作りは子供たちにもできること。それなのに、いのちの源なるかけがえのない自然界に対してマイナスになることばかりしてしまう今の日本、今の大人はやっぱりどこかで道を間違えてしまった・・一生懸命に作業する子供たちを見ていると、そんな想いに胸がいっぱいになります。



そして、午後からの授業は、家つくりです。この学園では小学4年生と5年生を中心に、家つくりを体験するカリキュラムがあります。
 家つくりの材料を探しに、周囲を歩き、切通しの洞窟の中でまた一講釈。
廻り野山を歩けば、家つくりの材料はすべて手に入ると。家つくりの基本は、周りにある土と木と石、自然界のこの三原則で長い間人間はその土地の気候風土に合った快適な住処を作ってきた。
 ここですべての材料を探して家を作ろうと。



シノダケがたくさんあったので、それをつたで編んで壁の下地を作る。そして、壁下地の竹やツルは100年経っても腐らずに残るというお話など、、真剣に聴いてくれる子供たちの表情を見ているとうれしく、脱線話ばかりで授業がなかなか進みません。



 そして午後からは、いよいよ壁の材料となる、日干し煉瓦つくりから始めます。
 煉瓦を型枠に、藁を混ぜて練り込んだ土を詰めて型を取っていきます。



 地元の田んぼからもらった藁をしごき、



そしてそれを壁土のつなぎになるように細かく裁断していきます。



 そして、掘ってきた土と水を加えて、粘りが出るまでよく混ぜて



型枠に入れて数日間天日干しにします。



 自分が作った日干し煉瓦にイニシャルを刻む子供達。
 今日作った日干し煉瓦は約20個。1か月後の次の訪問までに200個作ってくれるよう、子供たちにお願いします。



 今回作る家は、砂岩の山肌を穿って作る、半穴居住宅。子供たちが交代で硬い山肌につるはしで穴を掘っていきます。



 穴を掘り始めたところで、今日の講座はおしまいです。子供たちはいつまでも現場から離れようとせず、長く楽しい一日となりました。



 あっという間の子供達との時間。
 この子供たちが大人になる頃、少しでも希望の見える地球、日本であってほしいとの願いを込めます。
 学園関係者の皆様、協力いただきました父兄方々、どうもありがとうございました。




 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
いのちの息づく国土再生への転換を目指して   平成27年6月9日


ここは東京都国立市。延々と続く緑のラインは地理的に青柳崖線と呼ばれる高低差6~8m程度の崖のラインになります。
 この崖線は、まだ日本の河川が息づいていた頃の多摩川が、長い年月をかけて削ってつくった河岸段丘崖の一つで、崖線の下では、崖線上平野部から毛細血管のように張りめぐらされて導かれてきたきた自然水脈を通して、地中の水がところどころに湧出し、
その湧水がこの地での自然と人間の豊かな暮らしを、悠久の年月を超えて脈々と支え続けてきたのです。
 
 多摩川が作った河岸段丘には、立川市から大田区まで30数キロにわたって延々と続く国分寺崖線や、谷保天満宮が位置する立川崖線、そしてこの青柳崖線とあります。
 
円滑な水脈を守り大地の通気透水を促してきた崖線沿いの自然樹林もずいぶんと減ってゆき、今では東京多摩川沿いの崖線全体の3割程度しか樹林が残されていないのが事実です。
  崖線下の湧水はハケと呼ばれてきましたが、その意味するところは崖線上部の大地の水と空気を、急峻な崖線の地形落差によって吐き出す、そしてそれが崖線上部の土中に水と空気の動きを促し、木々や様々な土中生物が呼吸できる豊かな大地の環境を作ってきたという点で、円滑で健全なハケの存在が、人間含めてこの地域における生きとし生けるもとたちにとっての生命線とも言える、その土地がいのち息づく環境を維持してゆくための生命線とも言える、死活的に重要な役割を担ってきたと言えます。 

 河岸段丘などの自然地形落差がつくる、いのちの息づく大地の再生作用については、学会や行政、建築土木設計施工の第一線においても、いまだまったくと言ってよいほど顧みられていないのが現実なのです。
 その結果が、地形改変を伴う現代土木建築施工の全てが、自然環境に対して大なり小なりのマイナスの負荷をかけて修復されない開発の在り方が当たり前になってしまって歯止めのかかることのない現実につながっているのでしょう。
 



 崖線の下に行ってみます。青柳崖線の下、ここではコンクリートと樹脂素材の土留めによって、崖線からの地中水脈の円滑な動きや妨げられていることが、周囲の樹林の様相から分かります。
 枝葉が詰まって風通しが悪く、藪状態となった水路周辺の樹林。その様相から土中の通気透水不良による土中の滞水と樹木根の劣化が分かります。
 通気透水のよい健全な土壌環境であれば、木々は空間を住み分けて共存し、風道や光通しを妨げることなく、様々な生き物にとっての快適環境を自律的に維持していきます。
 ところが、それまで生育してきた環境が変化して大地の空気通しが悪化し、植物たちが呼吸できなくなると途端に縮こまって枝葉をぶつけ合うように喧嘩しあい、そして風通しの悪い藪状態へと森の様相が生き物にとってのマイナスの環境へと変わっていきます。

 数十年前まで、ここは素掘りの水路によって、上部の水と空気が円滑に抜けて、それによって呼吸する大地の環境が保たれてきたはずなのに、大地の呼吸に配慮しない水路整備によって、結果的にこの土地の環境の致命的な劣化を招いてしまったのです。

 そしてそれは、この崖線周辺に限らず、流域全体の大地の呼吸を妨げて劣化させ、国立市街地においても木々の衰退、土壌通気環境の劣化へと直結しているとも言えるでしょう。




 そして、このハケ地の環境で今、国立市によって進められているのが、「城山公園水路等修景事業」です。
 青柳崖線の中心的な自然環境を伝えてきた城山地区において、土地区画整理事業に伴う大型開発によって寸断された水路を公園に引き込み、そして里山環境を残すべく公園整備が計画、実施されたのです。

 通称「城山の里山づくり」。事業の名称がそのように命名されて、里山環境保全のための予算と言うと、おそらく誰もが、「環境に対してよいことをするための予算なのだな」と思うことでしょう。
 もちろん、事業を推進する行政の方々だって、良好な環境を保全して後世に伝えようと、この事業計画を進めているのでしょうが、実際にはこうした土木的な改変施工がこの貴重な自然環境をかえって痛めつけて悪化させていくことに繋がっているというのが、悲しい事実なのです。

 そのことは、整備前の数年前の、生き生きとした栗林と田畑、鬱蒼とした雑木林に覆われていたこの地の環境を知る者にとっては見る影もないほど、無機的で暑苦しい不健全な環境に一変し、そして木々も水脈も、大地の環境も大きく傷んでしまったことによって、理解されます。

 自然環境に対して良かれと思って進める事業が、木々や環境を豊かに息づかせるために最も大切な土中の空気と水の動き方に対する知恵と配慮の欠如によって、結果的になすことすべてがマイナスの環境をつくってしまう。そんなことを知っていただかないととの思いがあって、今回国立市での大地の再生講座において、この城山ハケ地観察会を実施いたしました。



 城山地区の水路整備によって、周辺環境は急速に変化してしまっております。新たに設けられた水路の土留めには、樹脂製の擬木が用いられています。均質で隙間に乏しい擬木の土留めが土中の空気通しを妨げてしまい、水路の底がヘドロ化して腐り、そこから発生する有機ガスがさらに周辺の土壌環境、植物根を痛めてしまっていることが分かります。
 健全な水路の底には本来、水辺の植物が繁茂するはずなのに、ここでは乾燥に耐える荒れ地の植生が繁茂するばかり。
 これは施工者の問題では決してありません。土中の空気の動きに全く配慮できない現代土木工法の問題であり、人が自然とのかかわりの中で本来持ち合わせていた自然環境に対する配慮と想像力の欠如が、自然環境を保全する目的の作業が、逆に自然環境を致命的に痛めつけてしまう結果に繋がっているのです。



 水路沿いの植栽はすでに大方枯れてしまっております。コンクリートの縁石に囲まれた直線的な水路も意味をなさず、逆に周辺の土中滞水を促し、結果的に土壌生物環境を衰退させてこの地の自然環境を不快で無機的なものへとしてしまっているのです。



 整備の末に悪化させてしまった水路上部の森を歩きます。樹高30mにも達しようかと思われるほどの見事な高木が連なります。武蔵野の豊かな大地の力を感じさせるこの森も実は、不健全化が急速に進んでいるのが感じられます。



 城山の地名の通り、この山には本来お城があってその造営の際に盛られた土塁と素掘りの排水溝、その地形落差とハケ地の円滑な水脈によって、これほどの高木にまで成長させてきたのでしょう。
 その土地の樹木を診て大地の環境の健全性を判断する際、今ある木々は過去の環境によって育まれたものであって、現在の環境を反映するものではないという点にも注意して観察しなければなりません。
 明らかにおかしくなり始めているこの森の変化は、木肌や枝葉の痛み方ばかりでなく、大木の揺れ具合、林内への光の入り具合などから分かります。
 これほどの高木、下枝の少なさを見ると、この森はもっと鬱蒼としていなければなりえないのです。つまり、森の密度が低すぎる、このことは人の都合優先の管理によってなされたものか、あるいは水路整備による森の衰退によるものなのか、おそらく双方の相乗作用になるものなのでしょう。

 今はすっきりと心地よい森に感じられますが、それは長年生きてきた風格のある大木たちが作りだす環境形成作用によるもので、肝心のこの木々達が健康に生育して長生きできる大地の環境は、近年の人の誤った作業によって、とうに衰退しきってしまっていることに早く気づかねばなりません。
 あと十年後、これらの高木はますます痛み、森全体が矮小化、藪化をきたしてゆく可能性が高いように感じます。その時、「そういえば以前はこんな不快な森ではなかったのに・・・。」と振り返っても遅いのです。
 自然環境、それを支える大地の環境、そのつながりに早く気づき、活かすことのできる社会が訪れなければ、私たちはその生存の基盤すら、いつの間にか失ってしまうことになるのです。



 そしてここは、城山公園の中心部に整備されたばかりの水辺。数か月前に作られたというのにすでに川底はヘドロに埋まり、すくってみると有機ガスの悪臭がします。
 当然生き物は住めず、こんな嫌気的な環境には一部のバクテリアや嫌気性細菌ばかりが繁殖し、ここで足を使って遊ぶことすらできない、そんな公園の水辺となってしまっているのです。
 ここだけの問題ではありません。
 誤った工法、誤った考えに基づく環境整備は結果として自然の自浄作用をも狂わせてしまい、環境を悪化させてゆく、そんなことに早く気づいて方向転換しなければなりません。

 本体飲めるほどの清冽なハケの水が、誤った整備によってこれほどまでに悪化させてしまっているのです。

 

 本来の自然の流れには浅瀬があって深みがあり、そして水が加速度を付けずによどまず、大地を傷つけることなく流れてゆき、そしてそれが大地の血管たる水脈となって土中環境の呼吸を促し、いのち溢れる健全な大地の環境を持続させてきました。
 新たにつくられたこの流れは幅も深さも均一で、直線的な段差水落としが連続する、自然界では決してありえない不自然な形状。それが結果として周辺環境を痛め、泥詰りを招いてしまうのです。
 大きくはダムやコンクリート河川整備も同じで、こうした線上の間違った行為によって広大な面がその影響を受けて痛んでゆくのです。



 雑木林自然林に接した遊歩道際に、新たに植栽された緑地。トキワマンサクやソヨゴといった、本来のこの地にはなかった樹種が混植されています。
 土壌環境も造成時に痛めつけられた上に、水脈の詰りによって雑草たちも苦しげに競争をはじめ、心休まる風景にほど遠い、そんなおかしな緑地作りがなされている。
 この土地に溶け込んで同化してゆく、本来の自律的で健康な森を再生しようと考えれば、こんな樹種の選択や植え方など考えられないはずです。
 それが当たり前のようになされている現状を目の当たりにして、人はもっと自然と向き合わねばならない、そんな想いを強くします。



 谷保天満宮本殿脇のハケ地。立川崖線から浸みだす水が流れます。かつてのここでの暮らしがそうであったように、ハケ地の水を円滑に抜けるように配慮することが、大地の再生力を大きく高めて健全な生き物環境を維持することに繋がるという、自然環境保全の上で最も大切な視点がこの、大地の呼吸を止めないことだと言えるでしょう。

 形ばかり、見えやすい部分ばかりを飾ることばかりに費やしてきたこれまでの在り方から、私たち人間にとっても最も大切な生命線であるいのち息づく大地の環境を育みながら人の暮らしを両立させてゆく、そんな方向へと転換していかねばならない、そんなことを今回、たくさんの人に知ってもらいたいとの思いから、今回、城山公園観察会を実施させていただきました。

 定員をはるかに超えるたくさんの参加者方々、そしてこの講座を主催くださったワクワークス一級建築事務所の皆様、本当にありがとうございました。




投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
大地の環境を改善する         平成27年5月5日  


 震災直後の4年前に竣工した、千葉市美浜区の「カフェどんぐりの木」の庭です。

 今年の2月に土壌通気浸透性改善のための作業を施し、そして先日訪れた際、非常に顕著な樹勢の回復が確認できました。
 
 私たち人間が木々の健康、生き物環境の改善のためにできることはほんのわずかなことです。
 しかし同時に、大地の生き物環境再生のためのほんのわずかな一押しが、まるでドミノ倒しのように自然界の健全な大地を取り戻すためのきっかけにもなる、そんなことを日々実感します。

 人は今、その営みの中で自然本来のの健康な環境を踏みにじり、そして自らの健全ないのちの基盤まで壊し続けています。それに対して、木々をはじめ大地の植物たちは、水と風の循環の中で日々刻々とその地の環境を改善しようと黙々と生きているのです。

 人間が壊してしまった大地の健康は、人間がきちんと配慮して再生すべく、手を差し伸べなければいけない、これまでのように目先の人の営みを絶対優先とする考え方から、人の営みと、それを支える自然環境の健康とを、フィフティフィフティと考えることのできる社会つくりへと、我々は成熟していかねば未来はありません。

 ここまで壊してしまった大地の環境。造園の仕事を通して木々や土と向き合いながら、その深刻さに愕然とすることもあります。
 壊してはいけないものを壊し続けているのも人であれば、それを修復するのも人の責任です。

 そしていずれは、昔の日本の暮らしや、その土地の風土と共に生きてきた世界各地の先住民族の清冽で高貴な暮らし方・生き方がそうであったように、自らの命の母体として大切なものに気づき、そしてそれを壊さずに共存できる暮らし方、社会の在り方を取り戻さねばならない、そんな想いはますます大きく確固たるものへと膨らんできます。


 
 通気浸透水脈改善からわずか2カ月余りでしっかりと呼吸を取り戻した木々は春の日差しを浴びて喜んでいるようです。

 海岸埋立地に立地するこの地は、それまで駐車場として過酷に踏みにじられてきたうえに、施工の際、
震災時の液状化の影響を受けて塩分交じりの海砂が吹き出し、その影響を当時の土壌改良では払しょくしきれず、植栽後の木々の衰退が進行していたのです。

 いのちの息吹を感じさせてくれる庭の木々は健康でなければなりません。たとえどんなにデザイン的に優れた庭であっても、その庭が健康で、その土地の自然環境や生態系に資するものでなければ意味をなさない時代はもう、すぐ目の前に来ているように思います。

 目に見える木々の息吹を支える土壌の環境、大地の呼吸。あらゆるいのちの源は健康な大地の環境にあります。
 大地が目詰まりして木々が苦しんでいる、人の営みが作ってしまったそんな状態を改善するのが、通気浸透水脈改善です。

 それはこれまでのように、「土が悪ければ他からよい土を持ってくればいい。」という目先の考えではなく、今あるその地の土壌そのものを、本来の自然環境のごとく息づかせて再生する、それによって豊富な土中の生き物環境を取り戻し、人も樹も健康でいられる本来の環境を再生してゆくというものです。
 通気の悪い土地においては、どんなに良い土を客土しても、その土は数年で硬化し、土壌環境はまた元のように悪化していきます。そして、通気しない大地は人の健康をも知らず知らずのうちに奪い去っていきます。

 一方で、土壌の通気浸透環境を改善して大地の血管とも言える水脈を再生してゆくことで、その土地は本来の呼吸を取り戻し、自律的に改善されてゆくのです。
 これからの時代、今の大地の環境、いのちの源である大地の呼吸を取り戻すことこそ、常に心がけねばならない大切なことと感じます。



 ここは今進めている、つくば市春風台住宅地の街路モデル実験区です。植栽改善のための植穴を掘った後、雨が降ると周囲の土中に溜まった停滞水が、土中の水脈を通してこの穴へと引き込まれ、そして停滞しています。
 こうして新たに穴を掘ることで、周囲の停滞水が動いて移動してくるのです。素掘りの穴をうまく掘って、水脈を再生して誘導してゆくことの意味はここにあります。

 水が停滞するということは土中の空気も動かず、こうした土中には嫌気性のバクテリアばかりが増えて生物環境のバランスを壊していきます。

 こんな環境であっても、通気浸透性の改善措置をきちんと行えば木々を健康に育てることができ、そしてこの土地を自律的な生き物環境再生へと向かわしめることさえ、実はそんなに難しいことではないのです。

 景観緑地と専用農地を併せ持つ、緑・住・農一体型の住宅地として計画され、3年前に造成完了しました。
 しかしながらこの造成地もまた、広大な土地が削られ平らにされて水はけは悪く、畑も緑地も健全に生育できる状態ではなくなってしまったのです。
 そこでこの住宅地全体の環境改善が急務となって依頼を受け、そのモデルケースとして6棟分の街路、総延長約110mの環境改善、植栽改善をこの4月に実施いたしました。

 最近は特に、こうした劣悪な造成住宅地が増え続けているのですが、それは環境に配慮せず大地を痛めつけ続けて顧みない現代土木工事の在り方、排水整備に対する今の土木建築工法や考え方の盲点に起因します。

 大地に対する人の行為は必ず、生き物環境としての適切な配慮と、水や空気の動きに対する正しい知識と想像力に基づく必要があります。
 今、私たちはこうして、大地の呼吸を取り戻す一つ一つの作業を積み重ねて実績を重ね、そしてそれが健全な自然環境再生、持続的な社会の在り方へといつか繋がってゆくことを夢見て、一歩ずつ取り組むしかありません。
 結果は確実に、そしてすぐに顕れるのですから。



 水中ポンプで周囲から集まる水を抜きながら、剪定枝などの有機物や炭を絡ませるように敷き詰めながら土を埋め戻していきます。この際、必ず、植穴の両端に縦穴を掘って気抜きの竹筒を通し、縦方向への水と空気の動く地形落差を土中に作ります。



 さらには、周囲に溝を掘って、土中の水と空気が、この土地周辺全体の大きな地形の中で、本来の水脈の動きに呼応する水と空気の通り道を、土中に再生していきます。



 植栽部分は高く、横溝、縦穴へと落差をつくって土中の低滞水を動かしていきます。
 遠く筑波山からの水系がこの地の流域を形成する桜川へと、土中の水の動きを誘導することで、この土地の土壌環境の再生を促します。



 そして、ここでも水脈再生の効果はすぐに顕れます。植えられた木々は滞水の兆候も見られずに、新たな土地で活発な生命活動を始めていました。
 雑木の木立が連続するこの新たな街路空間は、これから我々が取り組まねばならない大地環境再生の第一歩となるかもしれません。



 雨が降ると水が溜まり、土壌が固くなってしまうこの住宅地の菜園区画にも、同様の改善を施します。



 数十センチほど掘ると、透水性の悪い硬化した粘土層が出てきます。こんな土地でも、水はけのよい柔らかな土地へと改善してゆくことが可能なのです。



 横溝に炭を敷き、そして一定間隔に掘った縦穴に気抜きを差し込み、その周りにも有機物や炭を流し込みます。



 横溝にも枝葉などの有機物に炭を混ぜて通水層を作ります。

 暗渠と言えば、一般的に現在は、透水シートでくるんだ砂利の層を埋め込むのが通常の工法となりましたが、その工法では暗渠は数年で目詰まりして機能が低下してゆくのに対し、有機物を用いてさらに縦方向へと空気の動きを作るこの方法は、目詰まりすることはなく、有機物の分解と共に周辺の植物根がこの通気層を取り巻き、維持してゆくのです。



 この改善作業に用いた資材は、大量の剪定枝葉と木炭のみで、溝掘りで発生した掘削残土を盛り上げて仕上げます。
 土の入れ替えも不要で合理的で、しかも周辺を含めて永続的な改善効果が及ぶのがこの工法の大きなメリットと言えるでしょう。

 この暗渠が永続的に機能するためにはその後のメンテナンスも必要で、雑草をグランドカバーとして活かしたり、水脈保全のための樹木根の誘導など、植物たちと共に生きてゆく姿勢がとても大切になります。
 それが、新たに我々人類が切り開いていかねばならない「植栽工学」という新分野の課題と言えるでしょう。



 そして連休前の最後の工事が、房総丘陵の森の頂に新たに建てられた家屋の造園工事となりました。
 造園工事後の家屋エントランスです。既存木やこの場の自然環境の伸びやかさを活かしながらの家周りの改修工事となりました。
 20年前に森の中に造成された土地ですが、こんな素晴らしい環境でありながら、様々な人間活動のインパクトを受けて木々は痛み、大地の環境はやはり次第に荒れていきつつありました。



枝枯れの進む既存の大木。



新たな家屋建築工事に伴う踏圧によって裸地化した地面。むき出しの地盤は雨の度に泥水となって土を削り、そして微細な表土の通気孔を塞いでしまい、土壌を硬化させてしまいます。



 20年前の造成時に一定の安定角度で造成された後、一向に下草の種類が本来の多様性を取り戻せず、その後に新たに「植えられた木々もなかなか健全に育っていかない状態が続いております。
 自然界には決してありえない単一傾斜の造成環境では水は加速度を付けて表土を削り、大地の通気浸透環境はそのままではなかなかな改善されず、こうしておかしな状態が長く続いてしまいがちなのです。
 一見、これは普通の状態と思われがちですが、長年この地に通い、この地を愛し続けてきたお施主のY先生は、この環境のおかしさに気づいており、大地の環境改善を望んでいらしたのです。



 まずは、雨が降ると大屋根から滝のように流れ落ちる雨落ちの水が段階的に大地にしみ込むよう、大きな縦穴浸透孔をつくり、そこを水脈整備の起点とします。



 家周りの泥水の斜面流出を、土壌通気浸透性の改善によって対策するため、等高線に沿った形で横方向に素掘りの溝を回し、要所に縦方向への浸透孔を設けていきます。



 傾斜地に等高線に沿って有機物による暗渠を巡らし、そして道を整備していきます。道を作ることが環境の改善につながる、そんなかつては当たり前だった山道の工法で、環境再生していきます。



 屋根を伝うの雨落ちの水はすべて、表面流亡させることなく浸透させて大地に還元します。



 自然地形を再生しながら浸透環境を整え、そして快適な有機的環境へと仕上げていきます。



 工事後の玄関からの回遊路。補植された木々の根元は剪定枝を発酵途中の腐植を表土の保護にマルチとして用い、通気性を改善した足元にウッドチップを敷き詰めて、この素晴らしい土地に違和感のない景観を作っていきます。



 玄関前は枕木と大谷石の古材を用いて、以前からここにあったような落ち着きと使いやすさを心がけました。



土がむき出しで殺風景だった家屋と小屋の間の通用空間も、既存木と新たな補植とが呼応して、落ち着きのある有機的な空気感が生まれました。



 竣工後の記念撮影。左端がお施主のY先生です。豊かな自然環境にあって、その地の環境の存続を望まない人はおそらくいないでしょう。
 Y先生は長年の研究生活の中、週末にこの地に通って生き物と対話することで健康なバランスを取り戻し、活力を持って歩み続けてこられました。
 そんな方が育ててこられたこの素晴らしい土地の環境再生に今回協力させていただけたことを心から嬉しく、ありがたく感じます。
 これからの時代、何が大切なことか、それをしっかりと抱きながら、連休後の今年の後半戦も黙々と生きていきたいと思います。



 連休中も休みなく、急ピッチで進める当社の山小屋建築。
 床下の断熱に藁を挟み込んでいます。すべてがこの大地に還ってゆく建築を、徹底的に追求します。
 周辺の木々や小鳥たちの喜びと輝きに祝福されながらの作業はとても心地よく、疲れを忘れてしまいます。



 傾斜地の大地をなるべく傷つけないよう、そのままの地形で基礎石に柱を立てて、その上に人の営みの場を作ります。自然の中にちょっとお邪魔する、そんな姿勢がこれからの人間のスタンスとしてとても大切なことのように思うのです。



 建物が建つことによってその環境がさらに有機的なものへと変わってゆく、ここではそんな空気感すら感じられます。

 今年も前半期、以前にも増して全力で駆け抜けて、使命を全うしようと生きてきました。そして連休後の後半期もまた、駆けつづけていきます。それが人のため、大地のため、生き物のための、人間としての自分なりの贖罪の想いでおります。

 そして役目を終えた時、この地に眠ってこの地の土に還りたい、そんな想いが自然と心に浮かんでまいります。
 まだまだあと数十年、小さな雑草のようにあきらめずにせっせと目の前の生き物たち、自然環境、そして人間に向き合い、生きていきたいと思います。

 




 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
造園と土壌通気浸透水脈~名古屋市の庭より  平成27年4月13日

 ブログを見てくださる皆様、大変ご無沙汰しております。あわただしく飛び回っているうちに、今年もいよいよ新緑の季節を迎えることに差し掛かりました。
 この時期の雑木の庭は、一年の中でももっとも清らかな季節となり、これまで庭を作らせていただいたお客様方々から次々に庭の写真とうれしい便りが届きます。
 それは本当に、この仕事をしていてよかったと感じる、幸せな瞬間でもあります。

 
今年に入ってからの数か月、実にいろんなことがありました。このブログで報告いたしたいと思いつつ、いつの間にか時間が過ぎてしまいました。

 何から紹介したらよいものか、まずは3月に竣工しました名古屋の庭をご紹介いたします。



 ここは名古屋市Nさんの庭。3月中旬に竣工したばかりのこの庭も、植栽後3週間を経て新芽が芽吹き、健康な穏やかさを感じさせてくれている様子が伝わります。

 4方森に囲まれたこの地に越されたNさんは、家を建てた後、目の前の森が伐り払われて宅地開発が始まり、谷が埋められて造成されてしまい、周囲の景観が一変してしまいました。
 理想の住まい環境をやっと見つけられ、そしてそこに家族のかけがえのない新居を建てられたNさんにとって、周囲の自然環境がなくなってしまえばここに家を建てられた意味はないのです。
 「法に基づいた開発行為」に購うこともできずに、ズタズタにされる人の心と自然環境。
 
 落胆しても始まらず、Nさんは失われた目の前の森を自分の敷地の中で再生することを決意し、そして先月、家の東北側に残された雑木林を庭に繋げて引き込むよう、そんな意図で庭が完成しました。

 自然環境の再生、そのためには木々を単に景観としてばかり捉えて、見た目の自然を再現しようとするのではなく、呼吸する大地の健康な状態を再生し、そしてそれを周囲の残された自然環境へと繋げてゆくことでこそ、本当の意味で、健康で豊かな環境の再生は可能となります。
 健康な根があっての健康な木々なのですから、目に見える地上部ばかりでなく、目に見えにくい足元の大地の環境を、健全な形へと再生してゆくことこそ、その庭が本当の意味で周囲の自然環境と一体となりえる、そのための欠かせない条件であることを知る必要があります。



 締め固まったNさんの庭、粘土質と礫の混ざった土は固く、このままでは通気も悪く、健康に根が入り込める条件ではありません。
 植栽にかかる前に、土中の通気浸透性の改善のため、雨落ち排水を兼ねた横溝と縦穴を掘っていきます。

 基本的に、そこにある土を改善して、植栽条件を整えるのですが、土がよくなってゆくためには土壌の通気透水性の再生こそがそのカギとなるのです。
 
 従来、高度成長期以降のトラック運送時代の造園においては、植栽する場所の土が悪ければ他からよい土を持ってくればよい、その程度の認識が当たり前に蔓延してきました。以前の私もそうでした。
 しかし、「その残土はどこに行き、そして庭に使う良質の土はどこからくるのか。」そんなことを考えるに従い、なるべく土をよそから持ってくるのではなく、その土地の土を健康に再生して用いたいと思うようになり、そして10年くらい前から、剪定枝を堆積して客土に用いる土を作ってゆくようになりました。
 今は客土すら、なるべく行わず、できる限りその土地全体の土壌が自然の力で育ってゆくような、そんな環境を整えることから造園を始めるようになりました。

 土は、土壌内の通気環境次第でよくもなるし悪くもなります。どんなに良質な土壌を客土しても、元の大地の通気浸透性が滞っていれば、数年以内に新たな土も次第に硬化し、悪化してしまいます。
 逆に、どんな土でも、自然本来の健全な水脈を再生して地下の通気性と透水性を改善しさえすれば、その直後から土は改善されていき、生き物が息づく大地が再生されてゆくのです。
 今の時代、今の環境の下では、通気環境の改善から行わねば、木々が健康に呼吸できない、そんな環境が今、急速に増え続けていることを、この仕事を通して痛いほどに実感させられます。



 有機物を活かした暗渠構造。漉き込んだ有機物は竹筒の気抜き孔を通して呼吸しながらゆっくりと分解し、土に還っていきます。同時に通気性のよいこの気抜き孔に向かって草木の根が入り込み、絡み合い、筒が腐植に変わる頃には木々の根が筒状に張りめぐらされて通気孔の機能を、代わって保つのです。



 礫やこぶし大の石すら混ざる粘土質の重たい土で作業は大変ですが、なるべくこの地の土を改善して使っていくことが大切です。
 従来の造園世界では、「こうした硬くて粘土質で石交じりの土はよくない」 と考えて、すぐに土を入れ替えしようとする人も多いのですが、それは間違いであることは、こうした土壌条件の下で豊かな森を作り上げてゆく周囲の森の木々の健全さを見れば、一目瞭然のはずです。



 家屋に隣接する雑木林の桜の大木。
 この土、この風土において、大地の通気環境さえ健全に保たれていれば、木々は十分に健康に、いのちの環境をすくすくと育んでゆくことが分かります

 問題は、土地造成や道路工事、家屋外構建築等によって、呼吸する大地の環境を無残に壊してしまう人間の所作、そんな今の建築土木の在り方にあります。土地を傷つけて木々の呼吸。大地の呼吸を断ち切ってしまうのも人間ですが、その人間が壊してしまった環境が、持続的に再生されるよう、働きかけることができるもの人間です。
 人が壊してしまった以上、人の手でその大地の呼吸を健全に戻してゆく、そんなことも今の時代、そしてこれからの時代、必ず必要とされることでしょう。



 水脈再生作業の後、やっと植栽です。狭い庭ですが、木々を高めに植えて地形落差を付けてゆくことで、地中の水と空気が動きやすい環境を作ります。



 そして植栽後の表層の保護には、周辺の山林から落ち葉の下の、落ち葉が分解しかけて根と絡み合った腐植と呼ばれる部分を山からいただいて敷き詰めます。風に飛ばないよう、落ち枝を絡ませてゆくと、今できたばかりの庭とは思えないほどに自然な地表が完成します。
 この有機物が表層の土壌生物活動を活発にし、表土の通気孔を守ります。



 そして3週間後、芽吹き前の木々は生き生きとした森の空気感を感じるほどに、この土地の自然と一体化の営みを始めています。



 先日、竣工したばかりのNさんの庭に、愛知県自然環境課の視察が入りました。
 自然豊かだった市街地へと次々に開発が進む愛知県では今、良好な自然環境を少しでも次世代に繋いでゆくため、開発地域の民有地、個人の庭も含めての、生態系ネットワークを構築しようとしていると言います。

 そして今回、地域生態系に配慮した自然環境再生型の庭の事例として、Nさんの庭を視察に訪ねられました。



 愛知県の進める生態系ネットワークとは、開発などによって分断された自然環境を、その土地の生き物環境に配慮した植栽等によって繋ぎ、地域本体の生態系を保全する取り組みと言います。

 時代は変わりつつあります。そしてそれに伴い、人間はじめ生きとし生けるものたちの源である自然環境の再生のために担うべき、造園の役割が形として見え始めている、社会づくりに必要とされている、そんなことを改めて実感されます。



 名古屋市守山区 小幡緑地。Nさんの住まいのすぐ下部に繋がります。
 ここが名古屋市内であることを忘れてしまうほどの豊かな自然環境が、まだかろうじて良好な状態で保たれています。



 そして、小幡緑地に湧き出す地下水が沼地の豊かな生態系を維持してきました。
 今回、この緑地の上部が切り開かれて宅地となり、この湧水もこの自然環境も影響を受けて、姿を変えてゆくことでしょう。



 自然環境は「保護地区」や「緑地保全地区」などと言う、これまでのような部分的な面積保全ではなく、全体を繋いで、いのちの環境として良好に保つということがどういうことか、そんな視点が必要です。
 その点で、開発地域を含めた生態系ネットワークを再生しようとする愛知県自然環境課の取り組みは、これからの時代にふさわしい新たな挑戦と言えるでしょう。
 それが、単なる見た目の景観としての自然環境再生ではなく、その大地を息づかせる根本たる水脈、流域としての自然環境全体を繋いでゆく大地の水脈の再生の視野を持って、本当の意味での自然環境再生に繋がることを願うばかりです。
 大地の呼吸、水脈の再生、それが不可欠なものとして普通に配慮される時代の到来を夢見つつ、私たちも熱く力強く歩んでまいりたいと思います。

 名古屋の造園工事、私たちと共同で作業してくださった、jinengardenの江川さん、美野園の渡辺さんはじめ、応援に駆け付けてくださった方々、この場を借りて心から御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

 



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
       
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