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雑木の庭つくり日記

武蔵野の面影     平成22年11月19日  
 造園設計の現地調査のために、東京都小金井市東町を訪れました。
私にとって懐かしき母校、東京農工大学工学部のすぐ近くでした。
 学生時代、柔道部の稽古のために毎週通いなれた道沿いの住まいを今再び訪れて、そしてこうして造園設計することに、感慨深いものがこみ上げてきます。



 もちろん、懐かしの母校キャンパスにも立ち寄ります。別キャンパスの農学部に在籍していた私にとって、工学部キャンバスを訪れたのは卒業以来ですので、実に17年ぶりになります。
 雄大なケヤキの並木が澄みわたった青空に黄葉をざわめかせていました。いつかみた風景、昔の自分が心に刻んだ光景が今、現在の自分を取り囲んでいました。



 17年という歳月がもたらすもの、老朽化した校舎などは次々と新装し、通りも門も新たに整備されていながらも、さらにボリュームを増した木々がこのキャンバスに深い歴史の重みと風格をもたらしていました。



今更ながら、素晴らしい環境のキャンパスで過ごした青春時代や、自分の母校を誇りに感じます。そして、今も若き学生たちが落ち葉を踏みしめながら木漏れ日の中を行き交います。あの頃の私たちと同じように。。。

 西東京には、今も武蔵野の面影と空気が息づいているといいます。
 しかしながら、20年近い歳月を経て、懐かしいこの街の中からも、かつての豊かな田園も雑木林の風景は次々と消え失せていきました。
 それでもこうして大学の構内や公園に今もなお残る、威風堂々たる巨木たちの存在が、今もこの街に歴史と風格を伝えているのでしょう。
 キャンバスや公園の中でかろうじて残された緑の様相が、今の時代になお、かつての美しい武蔵野の営みを感じさせてくれるようです。

 こうした風土の良さをその土地の街つくりに活かせればよいのですが。。。かけがえのない価値というものは、私たちのとって水や空気のようなもので、失ってから初めてその大切さに気付くものかもしれません。
 願わくばこの素晴らしいキャンバスの環境がとこしえに伝わりますように。

 こんな素晴らしいキャンパスに過ごし、青春の時を刻む学生たちは本当に幸せだと思います。
 青春の1ページ1ページに、季節を彩る木々の風景が、美しい背景となり、そしてそれこそが一生の宝となることでしょう。
 木々がもたらす時間と風格、目に見えずとも何物にも代えがたい価値というものがあるようです。
 
 


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街の風景を創る   平成22年11月4日
 鹿児島県の分譲住宅開発会社からのご依頼で、街の風景を設計しております。



 2400平方メートルの敷地に8棟の分譲住宅、緑豊かな街の風景をつくるためには道路の在り方、家屋配置の在り方から検討する必要があります。
 
 自然豊かで美しい街の風景を育てながら、なおかつ愛されるコミュニティを作ろうとされる、そんな心ある開発業者がいよいよ現れてきました。
 今回、そんな素晴らしい住宅開発会社の斬新な試みに、全面的に協力させていただくことになりました。

 日本にも、風土の自然に包まれた潤い豊かな街が再生されるかもしれません。
 こうした美しい風土の再生のためには、自然豊かな街を生み出そうとする人の情熱の結集こそ、何よりも大切だと思います。
 この試みを実現しようとされる不動産会社の社長は、私にこうおっしゃいました。
「長年の間、鹿児島の地元で住宅街をつくってきました。よい住環境、よいコミュニティを作ろうと努めてきましたが、20年近くたっても、どうも風景が育っていないように感じていました。コミュニティもなかなか育たない。今回は分譲8棟の、小さな試みですが、街全体の風景計画を先行させて、美しい風景を街に実現する、そのモデルケースをつくりたいと思うのです。」

 こうした素晴らしい方が街づくりに携わっておられるという事実に、日本の将来の風景つくりに対する希望の光が見えた思いがしました。

 鹿児島、はるか遠き地ではありますが、同志には距離など関係ありません。全力でよい風景、愛される故郷の風景をつくるべく、尽力いたしております。

 日本の街が、自然と共存した美しいものになりますように。





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千葉県佐倉市 武家屋敷を訪ねて 平成22年9月24日
 昨夜、イギリスから帰国したばかりの入社希望者が、面接のために訪ねてきました。
彼はイギリスの大学で造園を学び、そしてその後もイギリスで数年間ほど、造園に従事してきたようです。
 もともと彼は、イングリッシュガーデンを学ぶために訪英し、そして将来はそこで学んだ技と経験をもって日本に帰国し、本場のイングリッシュガーデンを日本で広めていきたいと、以前は考えていたと言います。
 ところが、長い間の海外生活の中で日本文化の素晴らしさに気付き、今では逆に、日本の心と技を生涯をかけて学びたいと考えているそうです。
  実はそういう私自身、今から15年も前の若かりし頃、イングリッシュガーデンを学ぶべく、英国を訪れていたのですが・・・

 よく私の下には、海外生活から帰国した人たちが、日本を学ぶために訪ねてきます。彼らは本来、海外の文化にあこがれを持って日本を飛び出した人たちに違いありません。
 それが、海外にいて、日本の素晴らしさに気付き、とことん日本を知りたいと考える人たちもいるようです。
 海外での生活の中で自分が日本人であることに気づき、そして自国の自然や文化をあまり知らない自分に気づくようです。そして、日本人でありながら、外国の人たちに日本の自然や文化を深く語れないことを恥じ、より深く日本を知りたいと、そう考える方々が、私を訪ねてくるようです。

 国際人という意味は、日本ではよく誤解されて解釈されているようです。海外の文化を知って海外の言葉がしゃべれるということ、あるいは海外経験が豊富なことが国際人だと考えている日本人は今だ多いと思います。
 これは間違いだと断言したいと思います。

 真の国際人とは、自国の自然や文化を知り、そして自分が生まれ育った自国をこよなく愛することで、他国の自然や文化を理解して尊重できる人のことを意味すると断言します。
 自分の国や文化を愛することは、他の国や文化を尊重することにつながります。
 自国を理解することを通して、さまざまな国や民族の文化を認め、理解してゆくことにつながり、そしてそのことが世界の平和のためにつながっていけば素晴らしいと思います。 

 海外に長らく在住してきた日本人が、日本を深く知りたいと考えること、とてもよい傾向ではないかと思います。私もこうした若者たちに対しては、ついつい熱く語ってしまいます。
 昨夜は文化の違いや国の違いについて、大いに語り合いました。

 彼の話の中で印象深かったことは、イギリスと日本の住環境意識の違いや美しい住環境を守るための法律の違いの話でした。
 たとえば、イギリスでは古い建築物を壊すことは基本的に法で認めていないということです。
 そのため、古き良き建物は大切に受け継がれ、それが町の美しい景色を作っているとのことでした。
 また、自分の敷地といえども、木を切ることも法律で禁止されているとのことです。それが大木がもたらす潤いある美しい街を作ってきたようです。

 日本はと言えば、町並みや自然に対する意識も法制も、どうにもなりません。これが劣悪な住環境を野放図に増やし続け、美しい街並みなど、生活とかけ離れた景観保存地域にしか残りません。
 古き良きものは惜しげもなく壊されて、そして子供たちに手渡すべき美しい日本の景色は消え失せていきました。
 
 どうか一人でも多くの方に、こうした日本の現状を考えて頂きたいと思います。
 美しい環境、美しい日本を失って、子供たちに一体何を伝えられるというのでしょう。 
 祖国の自然や文化を理解し愛することなく、本当の意味で、他国の自然や文化を尊重することができるでしょうか。
 
 そんなことを私にとっての、今後のライフワークのテーマにしていきたいと思いました。

さて、雨で久々の休暇となった昨日は、下総佐倉藩11万石の城下町に保存されている武家屋敷群を訪ねました。

 ここには、風土気候に見事に適応してきた日本の住まいの知恵がたくさんありました。



 3件ほど残存する武家屋敷の一つ、旧但馬邸の外観です。左は炊事や作業場となる土間への入り口、正面は座敷へと続く玄関です。



 土間にはかまどがあります。かまどは本来神聖な場所です。火の効率を最大限に利用するため、断熱材となる分厚い土で囲み、輻射熱をも利用して鍋全体を暖めるように作られます。
 現代のコンロには、この輻射熱の利用という考えはないようです。熱効率やおいしい料理方法の幅を考えても、輻射熱の利用は今後見直されるべきではないかと思います。



土間の足元の表情。土壁と土間が接する部分には、侵食されやすい土壁の地際部分における耐久性向上のため、差し石と呼ばれる石が並べられます。
また、一方敷居や板壁などの場合、差し石の合間の隙間が通気口となって木材を守っています。
 この差し石の表情が、屋外と屋内との結界を引き締めています。



外壁の下、土台の基礎部分の様子です。壁の下には木製の水切り板が配されて、壁内に雨水などが侵入するのを防いでいます。
 差し石の、石と石との隙間が床下の通気を確保しています。そして、叩きの土間は、湿気を調整する役割があります。



 日本の住宅はつい最近に至るまでの長い間、夏の暑さや湿気から逃れるための様々な工夫がなされてきました。
 部屋の外には深い屋根の下の縁側スペースがあり、夏の直射日光が室内に入るのを防いでいます。
 また、分厚い茅葺き屋根は雨を吸収し、そしてそれが時間をかけてゆっくりと蒸発することで夏の家屋を冷却しているのです。



 茅葺き屋根の裏側の様子です。重厚な屋根を支える竹や木材は囲炉裏やかまどの煙にいぶされて、黒くすすけます。そして、煙にいぶされることで虫や腐朽菌をよせつけず、何代にもわたって屋根を支えてくれました。

 竹などは野ざらしでは数年も持たずに朽ちていきますが、煙にいぶされる屋根や、湿気が常に一定の土壁の中に収めれば、何百年と持つことも可能です。
  ちなみに、日本の民家では天井部分の梁材によく、アカマツが使われてきました。アカマツは粘りがあって屋根の重量をよく支える半面、シロアリの被害を受けやすい難点もあります。
 こうした材を常に煙に燻される屋根部分に使うことで、虫害や腐食を防げたのです。
 まさに適材適所です。



玄関から奥座敷までつながる風の道。ふすまや障子一つで空気の流れを開放したり遮断したりして、季節ごとの快適さを作ります。



障子やふすまによって可動的かつ形而上的に仕切られた室内の様子。広縁を挟んで外空間へと繋がっていきます。



連続する障子窓を通して、奥の部屋をも外と接続しています。



 屋敷の裏庭には井戸場と菜園があり、かまどのある作業場となる土間につながっています。
 外壁の漆喰は風雨の吹込みから土壁を守ります。
 
 外と中の絶妙なつながり、気候風土と生活環境、あるいは生活と家屋との絶妙な共生、そこに、快適で何代にもわたって愛され続けた家屋作りの知恵や、古き良き日本の暮らしの知恵がたくさん詰まっているようです。





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貝殻亭リゾートを訪ねて 平成22年9月5日

 日曜日の今日は、毎週恒例の造園設計打ち合わせの日です。
 今日は歴史ある城下町、千葉県佐倉市の旧家を訪ねました。ここでこれから、古民家再生と風土の森の再生プロジェクトが始まります。
 向こう2年間に渡る、当社にとって大型プロジェクトになります。ゆっくり進めていきますが、プロジェクトの進行の様子はこのブログで紹介してまいります。

 打ち合わせ前の時間を使って、現場近くのフランス料理店、貝殻亭リゾートの屋外空間を見学させていただきました。



 大通りに面した貝殻亭のエントランスです。圧倒的な緑がこの店を別空間に作り上げています。



 貝殻亭の外周屋外空間は非常に限られたスペースであるにもかかわらず、効果的な樹木によって壁面が木陰となります。緑越しにみるお店の風景は、この街角を潤し、おしゃれで楽しげな雰囲気を作り上げていました。


  
 そしてここも貝殻亭リゾートの中、洋菓子のお店です。2階はカフェになります。
カフェの窓をケヤキなどの清らかな枝葉が覆い、2階のカフェにいると、窓越しに揺れる麗しい枝葉が美しい木漏れ日のダンスとなって、訪れる人の心を安らげてくれるようです。



そしてお店のエントランスも壁面も、樹木の木陰となって涼しげな気配をもたらしています。



そしてここもリゾート内のカフェバーのエントランスです。道路に面した狭い空間ながら、大きな柿の木が夏の日差しを遮って、明暗豊かな潤い空間を見せています。



ツル棚の下の駐輪スペース。




 街角のこの貝殻亭リゾートは、写真左側の自然公園に隣接しております。そして、車道と歩道部分の境界に残された樹木は、なんと杉の木立です。歩道拡幅の以前から元々あった杉の木立が大切に残されて、そして隣接する車道や歩道に豊かな木陰を作っていました。
 元々その地で育った大木の環境改善効果は絶大なもので、それらを伐ってしまえば、その街角の環境財産を失うことに等しいものです。
 道路拡幅などの際、周囲が放置された杉林の場合、拡幅に抵触する部分の杉の木々は当たり前のように伐採され、そしてその後に小さな街路樹が新たに植栽されます。そんなことの繰り返しが風土の潤いも環境の豊かさも奪い去っていきます。
 元々ある立派な樹木をその後の街つくりに上手に活かせば、街はもっと潤い豊かで過去と現在と未来がつながる豊かな環境が残せるはずです。
 拡幅の際にもあえて大切に残されたこの杉の木たちを見て、そんなことを考えさせられました。



 貝殻亭、西側には、つる植物を誘引するための鍛鉄製の格子が屋根の上まで覆っています。
つる植物がこれを伝って伸びてゆき、数年後には建物がすべて緑で覆われることでしょう。

 今後、地球はますます暑くなることでしょう。熱射病も今や社会問題となりました。
 こうした温暖化やヒートアイランド現象に対して、エアコンは恒久的な対応策と言えるでしょうか。
 エアコンを使うことで街はさらに熱くなり、住みにくくなります。
 また直射日光を蓄熱するアスファルトやコンクリートが、夜になってもなお蓄えた熱を放射し、気温が下がらないという悪循環が今の街の現状です。

 いつまでもこれでよいはずはありません。

 環境を改善する緑の力を活かした街つくり、温故知新の知恵に学ぶことこそ、今後の温暖化の中で考え直さねばならないターニングポイントではないかと思います。
  
 



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雑木の空間作家 深谷光軌の外空間 平成22年8月29日
 都内で開かれたセミナー参加のついでに、京王プラザホテル4号街路空間を訪ねました。



ホテルの街路側のエントランスは、もともとそこにあったような雑木空間の奥に佇んでおります。
 新宿駅西口から都庁へと続くプロムナードに面したこの街路空間は、時代を先取りした稀代の屋外空間作家、深谷光軌氏によって、1977年に造られました。

 

 ロビーフロアのラウンジに面した街路空間です。生き生きとしたスケールの大きな、都会の自然空間がここに現出されています。

 

 ヒューマンスケールを大きく超越した高層ビルの下にありながら、雑木の木立に囲まれたこの街路空間にいる限り、その視界からは周囲のビルや道路などのすべての人工物も、スケールの大きな自然空間の中に溶け込ませてしまうほどの力を感じます。



 この街路空間から上空を見上げると、雑木の樹冠越しに、東京都庁の頭が垣間見えます。
 圧倒的な自然樹木の力の前には、都庁のような強い存在感を持つ高層ビルも、自然樹木が作る豊かな空間の中でその威圧感は緩和されて、都会の森における風景の要素として、違和感なく調和させてしまうようです。



 雑木のプロムナード越しにホテルのラウンジが美しくなじんでいます。自然空間と人工空間との共鳴というべきでしょうか。
 深谷光軌は都会の空間において雑木主体の自然空間をなじませるための、空間的な余白の取り方が非常に巧みです。
 彼の作る外空間にはメリハリがあり、圧倒的な樹木に覆われながらも、空間の広がりを息苦しくつぶしてしまうということは決してありません。
 
今年、この稀代の外空間作家、深谷光軌氏の13回忌を迎えました。

 深谷光軌は、日本庭園の歴史の中で積み重ねてきた自然を取り込む手法を、いわゆるランドスケープの世界、街づくりや都会の人工環境の中に活かすべく発展させた、稀代のアーキテクトでした。

 本物の雑木自然空間を、都会の環境つくりに現出させようとした彼の思考のスケールは桁違いに大きく、従来の造園という枠を遥かに超えた存在だったと、私は認識しています。
 造園世界のスケールを超越した空間作家であるがゆえに、彼は存命中、多くの造園関係者たちから大変に嫌われていたようです。
 また、彼自身の厳しく激しい性格ゆえに、常にトラブル話も絶えることがなく、今でも彼と共に仕事したことのある、私の同業者の口からは、彼のトラブル遍歴がいくらでも聞かれます。



 まるで自然空間の中にいるような街路空間です。それでいて、写真右側大通りの歩道と違和感なく繋がっています。

 深谷光軌はそれまでの造園家を超越した存在だったと私は思います。彼は常に、自分が造園家と一緒にされることを激しく嫌がっていたようです。

「私は造園家ではない。一緒にしてほしくない。私は絶対に造園の人間を使って外空間をつくらない。普段庭を作っている人たちに作業を依頼すると、いわゆる庭になってしまう。たとえば木を植える場合は、林業に携わっている人に植えてもらう。」

 深谷光軌のこの言葉こそ、彼の性格や思想を端的に表しています。
 彼は自分の作る屋外空間を「庭」とは言わず、「外空間」と呼びました。そこに彼の激しい心意気が感じられます
 おこがましいようですが、私自身は、今は亡き深谷光軌の生き方考え方に、心底から共感しています。彼は、時代を先駆けました。
 今だ時代は、彼のランドスケープや屋外空間つくりの先進性に全く追いついていないと、私は感じております。

 多くの造園家や作庭者は今だ、「庭」という決められた空間における造形や意匠、雰囲気作りの競い合いから抜け出すことがありません。
 こんな、作庭界の現状は時代遅れもはなはだしいと感じている人は、きっとたくさんいらっしゃるでしょう。
 現代という時代、私たち屋外空間のアーキテクトには、自然の力を上手に生かして街の環境や住まいの環境をよくするという使命があるはずです。

 しかし、深谷光軌の死後十数年を経た今もなお、多くの作庭者は庭という狭い世界から脱却できずにいるように思います。

 そのため今の日本では、街の景観をつくるランドスケープの分野は、建築分野の人たちによって主導されるようになりました。
 それも一つのあり方であることは認めます。しかしながら、建築分野の方や、自然を本当に熟知していない都市計画者の視点は、デザイン要素として緑をとらえる傾向が強く、どうしても画一的で、一定の「面」や「点」としての人工的緑地の作り方に偏りがちに思います。

 自然が私たちの身近に豊富にあった時代、あるいは自然豊かな環境下では、そうした街環境つくりのあり方も、一定の価値があることでしょう。
しかし今、多くの人が生活する身近な環境から自然がなくなっていく中、街に自然を再生して、豊かな環境の中に街を包みこむという発想が必要なのではないかと思います。

 自然の効用、樹木の効用や性質を熟知する私たち造園家が、街つくりや住環境つくりに貢献してゆけるように脱皮していかねばなりません。
 
 いつまでも建築の付属物として庭をとらえるのではなく、建築物を含めた街環境つくりの一角を担う仕事こそ、私たちの務めであるという気概を持たねばいけません。



 京王プラザホテル4号街路空間と、隣接道路を緩和する街路の雑木林です。違和感なく、都会の日常的な風景とつながっています。

 深谷光軌の外空間、そこには現代の街つくりに対するたくさんの警笛があり、同時に未来への道しるべがあるように思います。





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