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雑木の庭つくり日記

バイオトイレ制作ワークショップのお知らせ    平成28年4月6日


 ワークショップ&講座のお知らせです。

 4月24日(日曜日)、千葉県長生郡長南町「千の葉学園」にて、バイオトイレつくりのワークショップを行います。


○主催 千の葉学園 (講師;高田宏臣)

○日時
 4月24日(日)
 集合:9:30
 ワーク開始:10:00〜午後

○参加費
 2,000円/人 ※お子様は参加費 無料

○服装
 汚れても良い作業できる服装や靴、帽子、

○持ち物
 大工道具(剪定ばさみ、腰ノコをお持ちの方はご持参下さい。)

飲み物(学園の水は井戸水の為、飲料水として使っておりません。各自ご用意下さい。)

○昼食
 カンパランチ(炊き出し)をご用意します。
 もちろんお弁当を持ってきて下さっても構いません。

○お申込/お問い合わせ
 sennohaschool2015@gmail.com
 090-8774-4906(杉浦)
 ※FBメッセージへのコメントでもお受けいたします。

なお、イベントの内容詳細は、下記、千の葉学園FBイベントサイトよりご確認ください。
https://www.facebook.com/events/254357171578958/

 お金をかけず、材料を周辺林から集めてつくる。そして用を足すだけでその土地の土や微生物環境を改善してゆく。そんなトイレつくりを学ぶ場です。
 参加費は大人2000円(ランチ付き)子供無料ですので、ぜひともお子様と一緒にご参加ください。
 学園の高学年の子供たちも参加します。

...

 トイレを作る、山にある土や枝葉を用いて壁や屋根を作る。そして、大地を痛めない、そんな工法を学べば、里山は楽しい遊び場に変貌します。
 そしてそこに特別な技術は何もいらず、特別な資材も必要なく、土や大地に対しての基本的な考え方さえ身に着ければ、誰にだって作れるものなのです。
 そんなトイレを一緒に作ることで、子供たちにも、大人にも、いのちのつながり、生き物の輪、そんなことを感じていただければうれしいです。

 


 シュタイナー教育の理念に基づき、伸び伸びと過ごし、成長する子供達、昨年1年間、学園の「家つくり」授業や学校林の環境改善を通して、この学園の子供たちと楽しい時間を共に過ごさせてもらいました。

 環境改善や家つくりの授業を終えた後、2か月ぶりの2月、学園を訪れると、子供たちは時間があれば裏山に入り、道を付けたり小屋を作ったり。



急な斜面を傷めないよう、そして歩きやすいよう、子供たちは自分たちで考えて必要な場所に階段をつけていきます。



 女の子も先頭に立って道づくり。



 そして、山で手に入る材料を用いて小屋を作る。 
 今はすべて、学園の子供たちが誰に聞くことなく、休み時間には山に入ってそんなことをしているのです。



 今、この学園では、まるで40年前の僕らの子供の頃のように、子供たちは夢中で山で遊びます。
 そして、必要なもの、作りたいものを自分たちで材料を拾い集めて工夫してつくる、それが今、彼らの日常になっているのです。

 そんな光景を目の当たりにして、昨年の家つくり授業、本当にやってよかったと、喜びがあふれます。



 昨年、毎月一回の家つくり授業で、みんなで作った横穴隠れ屋。



 子供たちがデザイン、色を塗って完成!黄色はクチナシを絞り、黒は灰炭、そして赤は弁柄を油で溶いて作りました。
 絵の具など要らない、土や岩、草木から採ればよい、そんな一つ一つの発見が、彼らの心を躍動させます。



 完成した小屋の茅葺き屋根の上で。

 子供が学び育つということ、それは学校や家庭、地域社会から3割を学び、周辺環境や自然環境から自ら7割のことを学んでゆく、という話を聞いたことがあります。

 私の子供の頃の時分を想うと、そのことは確かに納得できますが、しかし、今の子供たちは、そんな大切ないのちの学び場を持つ子ははたしてどれほどいるのだろうか、そう考えると、この学園の子供たちは本当に幸せだとしみじみ思うのです。

 そして、これからも、大人にも子供にも、自ら大地や自然環境から大切なことを感じ取る心を、一人でも多くの人に取り戻してほしい、そのために、できることはしていこうと思います。

 千の葉学園の生き生きとした子供達、彼らを見れば、今の社会の忘れ物に気付かされるかもしれません。

 興味のございます方、どうぞお申し込みくださいませ。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
木々がつなぐ奇跡の街 鹿児島にて    平成28年3月22日 


 鹿児島県姶良市に新たに生まれた小さな街、「雑木林と八つの家」。
 この街にようやく6棟目の家屋が建ち、そしてその家屋の植栽と、すでに植栽を終えて経過した庭の土壌環境改善作業のために、再びこの地に足を運びました。

 木々と共生する豊かなコミュニティ、そこで健康に育つ子供達、、、、。そんな街つくりを夢見た地元の土地開発会社の志と理想に心の底から共鳴して、この街のマスタープランを提案したのはもう5年以上前のことになります。
 
 このまちに一世帯目の住民が住み始めてから丸4年になります。
 今ここに、5年前に私たちが夢見た、奇跡のようなコミュニティが確かに誕生した、今回の訪問でそのことを肌身で感じ、帰郷後の今も、かけがえのない喜びとこの上ない感動の余韻の中におります。

 子供と大人の垣根なく、人と人との垣根もなく、この街の子供たちはいつも気兼ねなく外で遊びまわり、通りにはどこかしこに住人の集いが自然と生まれ、そしてそこに、道で遊んでいた子供たちもいつの間にか入り込んできて話の輪の中に参加する・・・・。

 確かに今、しかも新たに生まれた住宅地において、わずか数年の間にそんな街のコミュニティが現実のものとなった、その感動をどう伝えたらよいか、胸いっぱいの想いを少しだけ、ここでお伝えしたいと思います。



 この街に、最初に植栽したのはこの家でした。今回、この街の木々が豊かな森のように精気にあふれ、健康に育ち、豊かな生き物環境を育んでゆくよう、固くなった土壌の通気浸透改善作業を施しました。

 普通の住宅地であれば、私たちはその家の施主の依頼を取り付けて作業をおこないます。
 でも、この街は違うのです。傷んだ木々の様子を見て、私たちは呼び鈴も押さず、当然の如くこの庭の改善作業にかかるのです。
 そして、その後いつの間にか、その家の住人の方も、近所の方も、そしてこの住宅地を企画分譲した土地開発会社の社員までもが、休日の私たちの作業に参加し、一緒に木々の改善作業を進めるのです。



 木々が元気になるように、、生き物がたくさんここに一緒に住んでくれるように、街が潤い、子供たちの元気な声がいつも聞こえるよう、、、そんな共通の願いが、この街に住む人たちを育てます。そしてそれは、なにも言わずとも、この街で育つ子供たちにも、確かに伝わるのです。

 スコップで土を掘って炭や枝を漉き込んでゆく、そして表土に落ち葉やウッドチップをかぶせる、熱心な大人たちの想い溢れるそんな作業を見て、子供たちは自然とそれを見習うのです。
 大人は何も言いません。でも、こどもはいつの間にか作業を覚え、勝手にやってくれているのです。
 5歳になるこの子は、この家の子ではなく、数軒隣の家の子なのですが、いつのまにかこの家の改善作業をやってくれているのです。
 この街の庭に境界はありません。まして子供の世界に境界など、あるはずもない、町全体が子供の庭で、それを良くすることは、自分の街を良くすること、この街における大人たちの佇まいを見た子供たちは、自然とそんなことを学んでゆくのです。



 この街の子供たちは家の中にこもるということがないと言います。一日中、雑木の庭が繋ぐこの街で、外で遊びまわるのです。
 自分の庭も、通りも、隣の庭も、みんな同じ町の庭。子供たちはそこで伸び伸びと遊ぶ、それが今、この街の日常となっているのです。



 まちの一角に設けた公園の片隅には、住民たちの手によって作られた、味わい深い落ち葉ストックができていました。そこにこの街で出た落ち葉や剪定枝、刈り草が溜められます。
 
 木々に感謝して落ち葉を集める。落ち葉は街のごみではない。 感謝をこめて土に還す・・
 
 落ち葉をゴミに出してしまうことがもったいなくしのびない、、。

 そんな、この街の住人たちのぬくもりが、このストックの佇まいから溢れてきます。



 そして今回の改善作業において、街の住人たちの愛のこもったこの落ち葉ストックで腐葉土化した腐植を、木々の根元に敷き詰めて土壌環境改善資材として用います。

 土壌の通気性を改善した上で敷き詰めれば分解も早く、風による飛散も抑えられます。



 今回実施した6棟目の植栽。
 この街が年月と共に育ってゆくように、私たちの植栽方法も、計画を実施し始めた5年前とは今は全く違います。
 見た目や、人にとって都合のよいばかりの雑木の庭ではなく、この土地に根ざした木々が健康に育ち、様々ないのちの息づく環境を育ててゆく、そして、木々やその地の生き物たちが健康に生きてゆける環境こそ、人が健康に安心して生きていける、本当の意味での心地よい環境に繋がるということ、今はそんな趣旨で樹を植え、庭をつくります。




 土の入れ替えではなく、傷んだ大地を再生し、そして錦江湾岸平野独特のシラス土壌にしっかりと根を張って地元に根ざして木々が育ってゆくよう、見た目の植栽に要する手間をはるかに超える作業量を土壌環境改善に注ぐのです。



 今回植栽終了した、この街の6棟目の家屋。



 そして、あたらに完成した家も、新たに植栽した木々も、この街の中ではすぐに周辺の景色に溶け込み、街の中に同化していきます。



 この街は、家が建つたび、それに伴って調和する木々が町に増え、街の潤いはますます増してゆくのです。
 それを待ち望む住民たちは、あたらな建築を歓迎し、そして新たにここに住む家族も、街の人たちに待ち焦がれて迎えられるのです。



自ら、木々の水やりを楽しむ女の子



 土壌環境改善資材となる木炭を踏んで粉にする作業を嬉々として手伝う男の子。



 子供たちがどこかしこにも佇む、子供が景色になるまち。



 家が建つたび、この街の環境はますますうるおい、そして子供も大人も息づいてくる、そんな現実のプロセスを、この街の計画時点で誰か想像しえたことでしょう。



 三日間の作業を終えて掃除を始めると、私たちの立ち去りの気配を感じてか、大人も子供もソワソワと、私たちの周りに集まってきます。



 何も言わず、工事で汚れた道路の掃除を手伝ってくれるのは、この街の新たな住人になる女の子。
 こうした光景が町のあちこちで次々に繰り広げられるのです。

 もう、何も言えません。言葉もありません。この街の工事に訪れた僕たちは、夢か現実か、それを錯覚してしまうほどの幸せな感動に包まれます。



子どもがいて、大人がいて、そして木々がある、どちらを向いても美しく景色に溶け込む、、今、そんな街が現実に実現しているのです。

 しかも、この街は決して高級住宅地などではなく、まちなかによくある、若い人でも手の届く普通の街の一角なのです。
 決してこの街の土地を高く売ることなく、子育て世代の普通の人たちに、豊かなコミュニティと豊かな自然環境の中で暮らしてほしい、地元の土地開発会社社長の想い、そしてそれに共鳴した私たちの想い、ここに集う心豊かな住人達、みんなの夢の結集から、この奇跡の街が生まれました。



 遠方の地、鹿児島での作業を終えると、街の人たちが大人も子供も集まって記念撮影。満面の笑顔で私たちを送ってくれました。
 次に、この街に来るのはいつのことか、まだ分かりませんが、私たちにとって温かな心のふるさとがここに生まれた喜びを全身に感じ、次の訪問がとても待ち遠しい想いに満たされます。

 次の作業、次の再会の時、街の子供たちはまた、大きくなっていることでしょう。それがまた、楽しみでなりません。

 「雑木林と八つの家」 この街づくりプロジェクトは、地元、鹿児島県姶良市の、姶良土地開発有限会社社長の発案で、5年以上前にスタートしました。
 そして、社長の真実の想いに共鳴して身を投げうつ覚悟で協力する人たちがいて、私たちもその一人であります。

 必ず未来につながる素晴らしい街つくりのスタートになる、そう信じて疑わない人たちによって、数々の困難を乗り越えてようやく、この街もいよいよ完成が見えてきました。
 最後の一棟が完成し、そして街の木々がすべて植わった時、きっと僕は泣いてしまうでしょう。
そして社長も泣いてしまうことでしょう。
 そして、このプロジェクトにともに尽力し合った仲間たちと共に、抱き合うことでしょう。

 その日がもう、目と鼻の先に見えてきました。希望だけを疑わず五里霧中に信念を貫き通した姶良土地開発の皆様の無私の努力に、ただ頭が下がるばかりです。



 写真右が、姶良土地開発有限会社の町田社長です。

 決して自分自身のためでなく、まして刹那的な現代の利益のためでなく、今の人たち、そして未来の子供たちのため、この奇跡の街の実現のためにあきらめず、妥協せず、ゆっくりと進められました。

 鹿児島の地が生んだ巨人、西郷隆盛の座右の言葉に「敬天愛人」とあります。「天を敬い、人を愛す。」すべてはそこからよきものが生まれます。
 心の再生、街の再生をここに実現した町田社長は「敬天愛人」を地で行く人。だから私たちも身を惜しまずに喜んで協力させていただくのです。


 地元を愛する町田社長の想いが生み出した、たくさんの幸せ、子供たちが安心して伸び伸び育ってゆく、本物のコミュニティ。
 この街の奇跡は確かに実現しています。これが、全国に伝播していけば、日本はどれほどよい国になることでしょう。そしてどれほど温かなものになることでしょう。

わたしたちと同じ想いで終始共に尽力くださる熊本のグリーンライフコガの皆様、そして温かな姶良市の皆様、この街の皆様、素晴らしい時間を本当にありがとうございました。


 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
飯能市 こもれびおこしの道路つくり     平成28年3月14日


 ここは埼玉県飯能市に新設工事中の都市計画道路予定地。
 昨日ここで、街路樹緑地帯の土壌環境改善作業が市民参加のワークショップにて開催されました。
 「里山の風情を感じられる道路を。」
「飯能には飯能らしい道路があってほしい」
 そんな想いから、飯能市職員有志と市民によって主催する「こもれびおこし」によって、市民参加の緑地帯つくりが実現されました。



 市民参加の道路つくりを。この企画実現のために全力を投じられた、飯能市土地区画整理事務所の白須靖之さん。
 市役所職員でありながら、同時に一市民の立場として、豊かで愛される街つくりのために、行動する、その熱意と想いに共感して、前日準備作業には全国から30名ちかくの造園関係者、行政関係者、そして地元の方々が集まり、共に汗を流してくださいました。



 飯能市の2つの里山を結ぶ都市計画道路、その街路樹緑地帯の土中の通気浸透環境改善作業を、市民と協業で行うという、画期的な試みです。

 また、土壌環境改善のために、市内で発生した剪定枝や、市内の業者から寄贈頂いた木炭などを用いて、これまでの公共緑地つくりで顧みられることのなかった土壌中の水と空気の動きを、自然の力によって改善してゆくという考え方と手法が、街路樹緑地帯の新設工事において行われることも、全国初の試みとなります。



 「公共土木工事の中で土中通気浸透環境への配慮を取り入れられないものか」 そんな相談を受けてから昨年来、白須さんと何度となく、その可能性や工法について語り合ってきました。
 いよいよその実現の第一歩が、想いを共有するたくさんの方々の協力の中、こうして踏みだされたのです。
 ここにこぎつけるまでの彼の努力を想像する度、熱いものが胸の奥からこみあげてきます。

 当日の作業説明を通して、私が参加者方々に最も伝えたかったことは、この作業が単にこの緑地スペースの土を改善することにとどまるものではなく、この作業によって、飯能市の豊かな環境の根本となる大地の環境全体を守ってゆくことに繋がる、という点にありました。



 入間川によって形成された扇状地、飯能市の大地は本来、表層を覆う豊かなローム層の下に、飯能礫層という、水はけのよい砂礫層が下層部分に続きます。
 この砂礫層こそ、豊かな飯能市の環境を支えてきた、まさに飯能市の宝と言えるでしょう。
 表層を覆う豊かな黒土、その生産性を維持してきたのは、この礫層の中の、円滑な水脈環境にあります。水はけのよい砂礫層を動く水脈が土壌中に空気を引き込み、そして豊かな表土が保たれてきました。
 そして、たくさんの空気が常に送り込まれる関東ロームの表土層には、微生物・菌類・小動物など、様々な生き物が生育し、土壌環境を豊かにし、たくさんの土中空隙を作っていき、ふかふかな土の構造を育てていきます。
 
 降り注いだ雨水は、たくさんの土中生物によって濾過分解され、そして清流となってこの礫層に浸み込んでいきます。
 
 表層土壌が何らかの原因で硬化すると、雨水は浸み込まなくなり、土中に入り込む空気の量が大きく減少し、土中の生物環境は一変します。水がしみこまず、空気が動かない土壌には嫌気性のバクテリアや病原菌ばかりが増え、そしてそれらが草木の根を溶かし、土中に徐々に不透水層を作っていきます。
 また、豊かな表土をはぎ取り、砂礫層をむき出しにして造成されることで、本来表土によって濾過されたきれいな水が流入することで維持されてきた砂礫層にも泥詰りが生じていきます。
 そしてそれが改善されずに続くことによって、長い年月の間にその土地の大地の生産力(*その土地が持つ、動植物を支えうる生態系生産力のことを略して生産力とここでは呼称しています。)が、徐々に減じていくのです。
 それが、人を含めあらゆるいのちを支える根本の環境、大地環境の劣化、あるいは元環境の劣化です。



 この新設道路も、切土による地盤造成によって表土ははぎとられ、礫層が露出しています。
 そして、本来表土によって守られるはずのこの礫層に、泥水、汚水がダイレクトに流れ込む状態となっており、こうしたことの連続が、地域の環境を支えてきた水脈環境を詰まらせていきます。

 現代土木、現代建築では、こうした大地の元環境の保全など、みじんも考慮されることがないまま、大規模な地形の改変が加速していますが、このことの重大さに多くに人が気付き、歯止めをかけていかないと、気づいたときにはすでに、国土全体において、未来の豊かな環境基盤が失われてしまうことでしょう。
 
 植え枡の土壌、従来であれば、このまま良質な土を客土して木を植えるだけのことなのですが、そうした手法では客土後、その土を抜けた泥水がこの礫層との境目に流れ込むことで泥詰りを起こし、それが自然の力で解消されない限り、客土土壌も数年足らずで硬化していきます。
 本来環境のよい場所での開発行為の後、こうした植え枡の木々が健康に育たない、あるいは早い段階で苦しげに根上がりを始める理由は、土層錯乱による水脈の詰まりが解消されないこと、あるいは時間をかけて徐々にそれを詰まらせてしまったことに起因することがほとんどのようです。




 新設道路のわずかな緑地スペースですが、このわずかな植え枡内において、きちんと土壌の生物環境を育み、砂礫層に流れる水を浄化する、そのことこそが、飯能市の豊かで心地よい環境を未来に繋ぐことに繋がります。

 植え枡に設けた縦穴、横溝に空気の通り道を配し、その周囲を剪定枝葉を絡ませてゆく。この作業から、市民協業で行います。

 空気の通りのよい状態にして絡ませた枝葉はすぐに様々な微生物、菌類がここに生育し、徐々に分解されていきます。この、通気孔周辺に埋め込んだ枝葉に住み付くたくさんの生き物の活動によって、降り注いだ雨は浄化され、清流となって礫層の水脈へと流れていきます。
 そして、こうした配慮によって、土中の通気浸透環境を健全に保つことが、木々の健康な生育に繋がり、それが結果として、「里山の風情を感じる道路作り」に繋がっていくことでしょう。



 剪定枝葉は、堆積して数日で、表面に菌糸が絡んで、腐葉土独特の香りが漂います。
 これらが雨水泥水を浄化して、水はけのよい大地を守り育ててゆくのですから、我々はこうした細かないのちの営みに目を向けられるようにならないといけません。
 
 こうした地形改変を伴う土地造成の際、植物の分解に伴う土壌生物の働きを活かすことで、自律的な自然環境の再生が促されるのです。

 今回の改善作業は、そんなことを、市民と行政との共同作業を通してみんなに知ってもらいたい、そんな想いを込めて、全力で協力させていただきました。



 市民、行政、業者、総勢60名余りで行う人海戦術によって、改善作業は瞬く間に進みます。



 改善の後、土を埋戻します。



埋戻し後。両サイドに枝葉の層を挟み込むことで、枝葉伝いに通気浸透を促し、それによって土壌の構造再生を期します。





 そして敷き藁をして、協業作業を終えました。この後、雑草を誘導するため、草交じりの表土をかぶせて完成です。

 ここに誘導された雑草は今後、20~30センチ程度の高さで軽く刈り払い、柔らかい風情に共存させていきます。

 そして数年後の道路開通の際、ここに植樹されて新たな街路樹が生まれます。

 大勢の人の温かな手をかけられたこの土地、木々が健康に育ってくれることを祈ります。



 作業終了後。
 市民と行政協業による環境つくり。その記念すべき第一歩がこうして踏みだされました。
 この素晴らしい取り組みに共感する、全国の造園仲間も20名以上お越しいただき、協力くださいました。
 
 地元を愛する市民と行政、地元を愛する市民と、愛される郷土環境とが生み出した出来事です。

まだまだ、これは第一歩であり、いずれはこうした植栽枡のみにとどまらず、開発行為に際して常に大地の健康な環境再生に目を向ける、そんなあり方がスタンダードな社会となることを目指します。

 ご参加くださったすべての方々、ご支援いただいた飯能市役所の皆様、忙しい中、駆けつけてくれた造園仲間、そしてこの企画に協力くださった地元工事関係者の皆様、本当にありがとうございました。
 そして、私たちに勇気と希望を与えてくれた、飯能市役所の白須靖之さんに、重ねて御礼申し上げます。

 ありがとうございました。

 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
伊勢神宮が伝えること      平成28年3月6日


 日本あけぼの、神話時代から連綿と続く神々しい世界の名残が今も感じられる伊勢神宮。
 今もなお、毎年1000万人前後の参拝者が訪れる、日本第一の祈りの地であり、日本人の心のふるさとであり続けています。
 これほどの参拝者が訪れるのは、神宮1300年の歴史を通してずっと変わることなく続いてきたことのようで、例えば江戸時代文政三年(1830年)の記録では、3月から9月までの半年間で約450万人の参拝者があったと伝えられています。
 馬にまたがるか、あるいは歩くほかに交通手段のない時代でありながら、年間数百万人もの参拝者たちが毎年全国から大挙してきたという事実、しかも当時の人口が3千万人程度だった時代のことですから、伊勢神宮が日本人の魂にとって、その中心たるものであり続けてきたかが感じられます。



 参道を歩きながら、触れることができるほどのすぐそばで、樹齢数百年の巨木が点在する神々しいほどの荘厳な自然環境に触れることがほとんどできない今のような時代こそ、伊勢神宮の杜はその存在の意義を今後ますます増してゆくことでしょう。

 これほどの人の往来を、1000年以上の間、受け入れ続けてきたにもかかわらず、自然の息吹を神として敬い守り育てながら、その中に人の営みを共存させてゆく、そのことこそ、この地が伝えようとしてきた根本的なものなのだと感じさせられます。



 自然環境を傷めずに育てながらなお、人の営みをそこに保ち続ける姿勢と技、人の営みが豊かに持続するために、絶対的に必要な根本たることを、この伊勢神宮は20年ごとの式年遷宮という形で現代に至るまで伝えようとしてきた、そのことを私たちは、しっかりと知る必要があるように思います。



 伊勢神宮という日本最高峰社殿における唯一神明造と呼ばれる建築様式。そのもっとも大切な点は、全ての社殿が柱を大地に直接埋め込む掘っ立て構造にあります。
 現代建築の世界では、掘っ立て構造の建物などもっとも原始的とされ、大地に多大な負荷をかける一時の頑丈さばかりのコンクリート基礎構造以外はほとんど誰も考えない及ばない、そんな時代にあってなお、世界に誇る日本最高社寺の式年遷宮を通してこの構造をかたくなに伝えようとしてきたのです。



 
 伊勢神宮が掘っ立て構造である意味は、大地との共存、足元の環境に対して配慮を欠かさぬという、あるべき姿勢が永遠に保たれることへの祈りが本来込められているのでしょう。

 それはまるで、母なる大地、自然環境を大きな力で踏みにじって顧みることもない今の日本を見越して、神々が息づいていたはるか昔の日本からの警鐘のようにも感じます。
 でも、今、我々の社会はそんな大切な神からの警鐘さえも聞く耳を失ってしまいつつあるようです。

 なぜ、式年遷宮という大規模な建築造作が20年おきに、しかもこれほどの参拝者を1000年以上も迎えつづけながら、精気を持つ森を社殿のすぐそばに保ちえるための配慮や造作の名残を見ていきます。



 
 都会に勝るとも劣らないほどの多くの人の往来を受け入れながらも、伊勢神宮の素晴らしい環境が今日に至るまで守り伝えられてきたのは、この地を敬い、自然を敬い、神を敬う崇高な先人たちの絶え間ない観察と愛情と努力があったということが、境内の様々な造作から感じられます。

 それは特に、参道周辺の造作から感じられます。たくさんの往来による激しい踏圧のかかる参道は縁石によって区切られてやや高く、段上に配されます。そして、周辺の森との縁にはこうして素掘りと石積みによる溝が切られ、参詣による締固めの悪影響が周辺環境に及ばぬように配慮されているのです。そしてこの溝には絶えず杜からの絞り水が湧き出し、そのことによって土中の水と空気を絶え間なく動きます。
 溝に集まった湧水は、溝の中の小石の合間をはねながら流れ、そして多くは土中に潜り込んで大地を潤してゆきます。



 宮域において、人の造作や往来のインパクトが及ぶ場所には必ず、円滑な大地の呼吸をつぶしてしまうことのないように、絞り水の通り道・浸透溝が確保されています。



それが本殿前の主要な参詣道の下にもくぐらせている様子に、先人による自然環境への徹底した配慮と理解と智慧が伝わり、心が震える思いです。



  山の縁にもこうして、人の踏圧が山の呼吸を乱すことのないように、きちんと溝が切られます。
 これこそが、これほど多くの人が1000年以上もの間訪れておりながらもこれほどの精気を伝える杜を残してきた、その要の所作とも言えるでしょう。

 起伏があれば、山から谷に向かって水は土中を常に動きます。
 そしてそれが土中の通気を促し、様々な土中生物活動を豊かに育み、そして木々が健康に根を張ってゆく環境を豊かにしてゆくのですが、斜面下の平地で行われる人の所作や負荷によって平地での土中水の動きが滞ると、斜面の土中の水と空気の円滑な動きをも阻害してしまいます。
 そうなると、もともと健全な環境下で生育してきた草木は呼吸が妨げられ、森も木も、そして生態系全体も、人知れず急激に劣化していきます。
 人間を含むすべての生き物は、水と空気の流れを通して息づくもので、それが短時間であっても滞ってしまえば死んでしまうのと同じく、自然環境が息づく根本たる必要条件こそが、大地の円滑な水と空気の動きなのです。

 どんなに時代が変わろうと、普遍的で失ってはならないもの、大切なもの、その本質を、式年遷宮に伴う大工事において、かつての賢人たちは未来永劫の子孫たちに対して伝えようとしてきたことが、しみじみと感じられます。

 しかるに、ここ伊勢神宮では、我々の存続の母体である自然環境そのものを神としてうやまい、それが決して抽象的な概念にとどまるのではなく、こうして遷宮に伴う大工事や様々な年間行事を通してなお、周辺の環境を悪化させることなく、人の営みをつつましくそこに割り込ませていただくための、大切な配慮を尽くしてきた、そのことを無言のうちに伝えてきたように感じます。

 



 道沿いの杉の大木。その背面にきちんとした溝が掘られているのですが、それだけでは足りないと判断したのか、手前側にも溝を掘って、根回りの大地の呼吸を促そうとした配慮の跡がみられるのです。



 手仕事の魂を感じる溝の造作は、愛情を絶やさぬ観察の賜物なのでしょう。
 形式や形にとらわれず、木々との対話によってその時すべきことをするという、本来当たり前の素晴らしい姿勢、そんな先人が連綿と保ち続けてきた自然との向き合い方によって、これまで1000年以上もの悠久の時を超えて、この地の自然環境を良好に保ってきたのでしょう。




 そして、外宮の杜の絞り水は本殿前の御池にあつまり、浸み込み、流れていきます。
しかしながら、今はその水は濁り、滞り、いのちの気配を失いつつあります。
 伊勢神宮外宮の杜の要の地、つい近年までの、ここは森の瞳のような透明な泉だったことでしょう。そうでなければこれほどの森が今に残っているはずもないのです。

 地下水の汚染はその土地の環境の指標であり、そして淀みは自然環境の劣化をの兆しの警鐘となります。
 水は健康な大地に潜りこみ、そしてまた湧きあがりつつ、絶えず動いていれば淀むことはありません。土中や水中に送られる新鮮な空気が様々な微生物や菌類の活動を促し、そして数えきれないほどの生き物たちが浄化してくれるのです。
 庭園の池泉においても、お城の堀においても、今はいつも淀んでいる光景がほとんど当たり前のようにになってしまいました。
 これは人が少しずつ、あるべき道を踏み違えてきたことを自然界が明示しているのですが、こうした変化に気付く人も少ないのが現実のようです。
 時代が時代ですので仕方ないことですが、だからこそ、多くの人に、我々の生存の基盤が限界を超えて息詰まり、そしてそのことすらほとんど顧みられることもないようです。



 宮域参道の脇の白濁の汚染水。セメントのアクが、大地に吸い込まれて浄化されることなく、淀んでいます。
 杜の縁だというのに、浸透性は悪く、大地の泥詰りによる土壌の硬化、劣化が進んでいることが分かります。
 
  現代土木の世界では、こうした些細な変化を、「たかが泥水程度」と一顧もせずに見過ごされてしまいがちですが、この、水脈上重要な場所での濁り水が、徐々に周辺広範囲の大地の呼吸を詰まらせていき、そして木々や生き物たちが健康に息づける元環境を著しく劣化させてしまうのです。




 参道沿いの水路、これも、石の敷き方、水の濁り方から、ここの遷宮において新たに行われた工事であることがすぐに分かります。 
 工事現場の汚水のような白濁の水が大地を行き来して浄化されることなく、この日本の根本霊場とも言うべき伊勢神宮の環境を巡っているのです。
 参道と水路、遠目では同じように作られたように見えても、その構造も姿勢もまったくかつての伊勢神宮が誇るものとは違っているのです。
 
 道の踏み固めによる悪影響を緩和し、さらには周辺環境に影響を及ばさないようにその両脇に設けられた水路は、この土地の環境の大切な呼吸孔であって、参拝する大勢の人の踏圧が大地の呼吸を妨げることのないよう、そんな大切な目的を持って設けられました。
 それが今、形ばかりの浸透しない水路を浸透せずに流れる水は大地によって浄化されず、この環境がすでに浄化能力を失ってしまったことを現わします。



そして、細かな粒子を含んだ泥水は浸透せずに集水され、そして無機質なパイプを通してそのまま、排水され、川や池を汚していきます。
 ここでながれるセメントのアクなどを含んだ泥水は、流れ込む先の川底においても泥詰りを起こし、ますます吸い込まなくなるのです。その結果、川底は嫌気化し、浄化作用を失い、そして洪水時にはその水位調整機能おも大きく損ない、人にとっても危険で不健全で住みにくい地域へと知らず知らずのうちに変貌させていきます。

 本来の伊勢神宮は、自然環境を傷めるそんな文明の在り方に対して永遠の警鐘を鳴らすべく、気づきの機会としての式年遷宮や年間のたくさんの行事が欠かすことなく執り行われてきたのですが、そうしたことが今、形ばかりのものになってしまっていることに気付かされます。




 宮域林の地滑り。道の締固めと水路の不透水化の影響で、斜面にいたるまで土壌構造が劣化し浸透しなくなった大地は、常に表層が滑り、土壌深部が通気不良に陥り、木々も下草も衰退してしまいます。



 参道沿いだけでなく、人間活動の影響を受けやすい周辺の森の中の谷筋にもこうして、土中の通気浸透を促す水の道が掘り下げられ、そして石積みによってその地形を守っています。
 こうしたことから、参道沿いの水路が本来、単なる人のための道の排水が目的なのではなく、土中の水と空気が滞ることによって草木が、そして土中の生き物たちが健全に息づく元環境を守り続けるという明確な目的が垣間見えてきます。

 人の営みが永続するために、周辺自然環境、一木一草にいたるまで息づかせてゆくことが不可欠であるという、人類普遍の戒めを伝えてきた伊勢神宮、ここが日本第一の根本社寺であり続けた理由はきっとそうした部分にあるのでしょう。



 外宮境内、石段を上ってひときわ高い小山の上に建つ風宮。
 風の神様を祀り、五風十雨の順調な巡りを祈るこの別宮の周辺の木々も痛んで精気を失い、まるで公園に建つ宮モデルのようで人に畏敬の念を感じさせる荘厳さも、今はありません。
 
 こうして見ると、今は単にお宮の形ばかりを20年ごとに建て替えるばかりで、その本来の大切な意味が全く失われてしまっていることが感じられてしまうのです。



 風宮の遷宮に伴う工事用資材搬入路とされた谷筋はもはや呼吸を失い、地表は荒れ、そして周辺の木々も痛み、森の精気を奪ってゆきます。
 表面上、形ばかり元通りの谷に戻しても、失われた大地の呼吸環境は戻りません。人が人の都合で荒らした以上、人の手を持ってきちんと優しく、大地に心を向け、手を伸ばすことが必要で、かつての伊勢神宮では確かにその心、配慮があったのですが、悲しいことに今はそれが薄れていることが今回の踏査で痛いほど感じられました。。
 




 そしてここは社務所周辺の傷んだ高木。数百年と息づいてきた木々も、元環境の劣化によってこうして数年を経ずして病み、痛んでゆくのです。
 それに対して、単に傷んだ一本一本の木を治療するという短絡的な発想ではなく、どうして木々がこうして急速に傷んでしまったのか、我々の所作に何か過ちがなかっただろうか、そう考えることこそが大切なことのように感じます。



 近年、伊勢神宮境内に新たに建てられた社務所は、伊勢神宮が本来、境内の全ての建築において掘っ立て構造を硬く維持し伝えてきたあり方に対する敬意も畏れもなく、通常のコンクリート基礎構造で、伊勢神宮境内に建てるすべての建物とは、何の脈絡もない建築。そして背面の木々、ご神木たちは痛み、見るも無残な状態となり、劣化はますます進み続けています。
 
 「人の営みと息づく周辺自然環境の調和と共生」 そんな、神宮が伝えてきた大切ことが全くおろそかにされて顧みない、そのことがこうした、今の人間中心で自然環境は付属物であるかのような、今の伊勢神宮のちぐはぐな営みに現れます。



 なかでも、急速な劣化が最もひどいのは、今回の遷宮に伴い、神宮の森の環境を1000年以上の長きにわたってその周辺の森と共に守り続けてきた勾玉池周辺に、その環境を踏みにじるかのように建てられた鉄筋コンクリートの遷宮記念館とその周辺です。



豊かな杜の麓の豊富な水脈を無視して大地に多大な負荷をかけて整備された記念館周辺の木々は数年を経ずして痛み、枝枯れし、見るも無残な殺風景な光景が広がります。



 神宮の歴史に対して何のゆかりもない現代の加工石材量産品を用いた園路、周辺の木々や土、環境に対する何の配慮もなく、ただ建築者や施主の自己満足によって構成された園路の脇の土は乾き、硬化し、ここが本来しっとりとした環境を必死に守り伝えてきた伊勢神宮境内でやることとはにわかに信じられない思いに、悲しみを通り越して絶望感すら覚えます。



 木々の呼吸を無視し、見た目ばかりの浅はかなデザイン、負の遺産ばかりが増え続ける現代、そのことを、急速に痛み枯死してゆく木々が身を持って語り続けているように感じます。

 今の伊勢神宮は、かつての偉大な智慧と共に、現代文明の在り方をも、今の私たちに強烈に語りかけているようです。



 今、方向転換しなければ、我々の未来はない、そんなことを伊勢神宮の木々達や、急速に衰えてゆく自然環境が必死に語っている、今回の神宮踏査はそんなことを強く感じさせられました。

 近い未来、伊勢神宮境内の神々しい精気は消えてしまうかもしれません。その時はもう、この環境は人に蘇生の力を送り込む力を失い、そしてこの神宮に訪れる人も知らず知らず減ってゆくことでしょう。そして、また我々は大切な価値を失っていきます。それはそのまま、今の国土全体の反映でもあるということを痛く感じます。

 最後に、いまから100年以上も前に足尾鉱毒事件と闘い続けた田中正造の言葉を下記に紹介して、正月の伊勢神宮踏査報告を締めくくりたいと思います。

「世界人類の多くは、今や機械文明というものに噛み殺される。
 真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず 村を破らず、、、・」

 田中正造没後、今年で103年目を迎えました。






 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
南紀の旅その2 中世の庭園と吉野の桜に想う  平成28年1月26日
  つい先日に新年を迎えたかと思ったら、もうすでに大寒も過ぎ、早春の訪れも足早に、まるで後ろから追いかけてくるようです。
 今年もすでにひと月近く、仕事を進めながらも昨年に増して様々に、今この場で自分がすべきことを、こつこつと進めております。
 時間の使い方、優先順位はこれからますますタイトになってゆくことと思いますが、思うことを先延ばしにできるような時代でもなく、なんとか、少しでもよい未来、よい生き物環境を伝えていけるよう、できることは何でもしていかねばならない、そう心に決めて歩んでおります。

 さて、お待たせしました。懸案だった南紀紀行の報告、第2弾です。



 ここは伊勢の国 美杉町に残る中世の名園、北畠氏館跡庭園。伊勢国随一の名園として知られる山中のこの地は今もなお遠く、今回ようやく宿願だったこの庭園に立ち寄ることができました。

 北畠氏館跡庭園、それは建武の新政の夢かなわずに潰えた後醍醐天皇の重臣、北畠氏の館跡、室町時代末期に造営された、室町末期の代表的な名園です。



 庭園の背後の山腹斜面は、かつて北畠氏の山城があった霧山山頂へと続きます。そしてその尾根道の中腹に、かつての北畠氏の居城がありました。そんな居城、山城の麓にこの庭園は造営されております。

 一般的にこの庭園は、1530年頃、当時の伊勢国司 細川高国によって作庭されたというのが通例ですが、実際にこの地に池泉が造営されたのはおそらく、それよりもはるか以前、それこそ北畠氏がここに居城を構えたころからの生活排水濾過施設だったことが、遺構の配置から容易に理解できます。
 
 かつての暮らしにおいて、特に200年以上もの間、南伊勢一国を支配した大名の居城において、相当なる人数がこの険しい山中に滞在していたわけで、そこでは大量の下水や生活排水を円滑に処理する必要が生じます。
 今のように、浄化槽や下水処理施設を通して海や川に流すという、安易な方法ではなく、かつてはきちんと、大地に還元して生き物環境の中に還し循環させるため、居宅周辺に巡らせた素掘りの溝を通して浸透させ、そして山中の湧水と共に麓山際の池泉に集め、そして澄んだ水となって敷地外の河川へと流れていきます。
 土中に浸み込んだ生活排水は様々な生き物に栄養を与え、生き物環境を豊かに育み、そして様々な生物の作用によって浄化されて清流となります。
 特に、常に清冽な水と空気が地下水となって動き続ける山畔においては、大地の浄化力は高く、こうした場所に生活上必要な池泉を設けることが、通例だったと言えるでしょう。
  
 健全な山畔の谷部分を掘れば、その下の水脈に到達して水が湧きだします。清冽な地下水は、土中に空気をも流し込み、土中生物や草木の根もそこで活発に活動し、豊かな生き物環境を作っていきます。
 山畔を掘って地下水を湧き出させることで、土中に流れる空気の量も流動水量も増し、それがさらにその土地の生き物環境を活性化し、いのちを養う力を増していき、木々も生気に満ちて大木となり、その霊気で人の心身にも健康と活力を与えてくれる、そんな住環境を作り上げる役割に大きく貢献してきたのが、こうした池泉だったのです。



 池泉際の木々は大木となってなお、精気と霊気をもってこの地を訪れる者の心身を浄化し続けます。
 大木の根は、池の水位よりもはるかに低い位置にまで太い根を張っていることは巨木の太さ大きさから簡単に分かります。
 清冽かつ円滑に土中と地上を行き来しながら流れる水はたくさんの酸素を含み、そんな環境では木々の根を枯らすことはないのです。健全な水脈が健全ないのちの環境を生み出し、育み続けるのです。
 ところが、この水が何らかの理由で滞ってしまえば、たちどころに根を枯らし始め、そして枯死していきます。大地を流れる水は停滞することで、豊かな木々を育み続けることはできなくなってしまうのです。
 つまり、自然界の流動水と停滞水は、同じ水であっても全く別物と考えなければなりません。

 その自然環境を息づかせて保ち、そして人にとっても五感の全てで心地よく感じる健康的な環境を保つためには、大地の水と空気の動きがとても大切であって、かつての庭園が池泉を中心に作られたのは、そこが木々が最も健康に生き生きと霊性を放って、空気感がよく、人はそこから蘇生のエネルギーをもらえる、そんな霊気宿るいのちの環境が自然と成立しやすい場所だったからという点が、池泉庭園の起点として本質的に重要と考えます。

 ここは、北畠居城時代以降、いわば浄水池周辺がもっとも畏敬の念を感じさせられる安らぎの空間として育ってきたからこそ、ここに国司の居宅書院が構えられ、そして庭園として手を加えられた、というのが正確な流れだと、現地を訪れて確信します。



 複雑に刻まれた池泉脇の微高地(庭園的には築山というが、その表現はここでは避けてこう呼びます)の巨木群は樹齢500年とも言われます。

 微高地の巨木、その脇に、こうして山からの地下水が滾々と湧きあがる池泉を掘り込むことで、巨木の根周りに山からの水脈と連動して活発に空気が送り込まれます。
 そんな、木々が力強く息づくことのできる豊かな環境が絶妙に作られており、その結果、数百年の巨木がいのちを繋ぐ、そんな豊かな環境がここに保たれてきたのです。
 木々の様相は、その土地の健全性の指標となります。智慧深き先人にとって、こうした庭つくりは未来永劫数百年の計であり、それを造営するということは、その地の健全性の鍵を握る水脈環境の要となる地を見定め、そして精気の宿る健康な地を将来にわたって保つような配慮がなされてきた、その顕著な名残がこの北畠氏館跡庭園でよく分かるのです。

 庭園研究や鑑賞において、その造形や人文歴史的背景ばかりを論じるのではなく、自然環境の中での役割あるいはそこでの豊かな暮らしを営む上での機能的役割という、庭園の元の意味を知ることこそが、これからの時代、庭園の本質を知り、そして未来に役立つものへと昇華させてゆくうえで、とても重要な鍵となることでしょう。



 庭園遺構の上、居城跡の名残が残る山道を小一時間も上ると、かつての山城のあった霧山山頂部にたどり着きます。
 こうした場所は、江戸時代以降には特に桜の献木が多かったため、春には山に桜が点々と淡く開花する光景が、多くの人の心の中に刻まれています。
 この地も、山城跡周辺には今も桜の古木が見られます。

 この山城周辺を今、サクラの名所にすべく、近年とみに整備やメンテナンスが継続的になされている様子がうかがえます。
 これも近年、あちこちの観光地周辺を中心に非常に増えてきたことなのですが、こうした整備によって、その土地の自然環境が壊滅的にまでダメージを与えて破壊してしまう、そんな事例をよく見かけるようになりました。
 この、霧山城周辺も、誤った環境整備によって、取り返しのつかないほどに傷んでしまっていたのです。



 霧山城山頂付近、衰弱した桜の樹皮は新陳代謝できずに老化し、こうして苔がびっしりと付着してきます。



 枯死し、そして朽ちかけたサクラ。山頂付近の、重点的に整備された箇所はすべて、残存の木々は衰弱し、そして次々に枯れてしまっていたのです。

 ここは本来、マツ杉林のなかに松や桜の古木が点在していたのですが、これを桜の観光名所つくりのためと称して、サクラや松以外の木をすべて伐り払ってしまったのです。



 こんな傾斜地で特定の樹種だけ残して伐り払ってしまえば、地表は雨に打たれて泥水となって流亡します。そして泥水は、地表の微細な穴を塞いでしまい、水は大地に浸透しにくくなって硬化します。硬化して呼吸しなくなった土壌の地表は、落ち葉を捕捉する木々の細根が消えて、落ち葉が固定されずに風で舞い、さらに地表は露出しやすくなります。
 土が硬く締まって水が浸透しにくくなった土壌は、晴天が続けば乾燥し、雨が続けば常に過湿状態が解消されず、乾燥と過湿を交互に繰り返す中で根は徐々に後退していきます。特に、サクラのような表層に根を張る樹種は、土壌劣化の影響を即座に受けやすく、古木であればなおさら早期に衰弱枯死していきます。



 根元の表土は乾燥し、硬化し、まるで都会の踏みしめられた公園の土のようです。これが、一年中、人があまり訪れることのない、南紀の山の上でのことなのです。

 山中で一度こんな状態にしてしまうと、土砂崩壊などによってその地形が変わらない限り、ここはいつまでの健全に草木が育たない、劣悪で危険な状態が続いてしまうのです。



 桜ばかりでなく、意図的に残されたアカマツもすべて痛み、次々に枯死しています。

今後、草刈りや除伐など、この山に人が関与し続ける限り、今のままでは何をやろうと残存木の枯死と環境の劣化は止まることはないでしょう。
 さくらの名所にしようと、無意味でマイナスの影響をもたらしてしまうばかりの作業に費やした結果が、サクラどころかこの地の環境全てを破壊してしまったのです。
 環境全体を見ずに、不要に感じるものを排除する、間違った管理の在り方、間違った知識によって、自然環境はこうして数年で取り返しのつかないまでに劣化してしまうということを、きちんと知らしめていかねばならないと感じます。

 ここはもう、かつての桜と松の息づく歴史の深みを感じる山城遺構はありません。あるのは、荒廃しきって殺伐とした不快な環境でしかありません。

 人は本当に傲慢です。環境をよくしたいと、よかれと思ってやっても、大抵は強引で、人間勝手で、生き物たちへの配慮もなく、土地を都合よく変えようとします。その結果、大地は呼吸を削がれて苦しみ、著しく劣化し息絶えてしまう、それはそのまま、私たちの現在、そして未来永劫の大切な生存基盤を失っていることに気付く必要があります。
 苦しみ息絶えてゆく山奥の木々がそんなことを語りかけてきます。

 こんな例は、今はどこにでも見られます。業者や行政によるものばかりでなく、里山保全と称して市民によって行われる活動も、何をすべきかということの正しい視点を持って行われない限り、そのことが環境の劣化を助長してしていることが、実はよくあるのです。

 13世紀というはるか昔から近年まで、いのちの息づく豊かな環境を守り育ててきた 北畠氏館跡庭園というよい見本がそこにありながら、そこから本質的なことを何も学ぶことができない現代の営み、学会、社会、人。
 今こそ、私たち日本人が本来持ち合わせていた素晴らしい智慧、大地を息づかせながら共存してゆくという、大切な視点とノウハウを、きちんと掘り起こしていかねばならないと感じます。



 そしてここは有名な吉野千本桜です。吉野に通い始めて10年近くになります。以前からその傷み具合は気になっておりましたが、その後も年々木々の衰弱は増していき、特にここ数年、急速に拍車がかかっているようです。
 
 世界遺産となって注目が集まり、千本桜を守ろうとする、その作業事態が環境に負荷をかけて悪化させていることがここでもうかがえます。



 さくら以外の樹木ばかりでなく、下草にいたるまで刈り払われて地表は目詰まりをきたし、さらには農薬散布など、今おこなわれるあらゆる処置が的外れで、この山の環境にとってマイナスの要素しかもたらさない、その結果、やればやるほど環境は悪化してしまう、そんな悪循環が今も続けられているのです。



 世界遺産、大峰奥駆道へと続く道沿い。奥千本と呼ばれる参詣道沿いで今、奥千本桜再生運動と称して、杉林がいたるところで広範囲に、伐採除去され、そしてサクラが植えられています。



 観光のため、今ある木々が守りってきた環境をすべてをはぎ取って、そして桜のみの山にしようと、こんなことが今なされている。
 そして、山の際に残された既存の桜の木も、この環境の激変と土壌環境の劣化にさらされてあっという間に衰弱、枯死していきます。



伐採されずに残る杉林の縁の桜の古木はかろうじていのちを繋いでいます。これも、杉林が作り出す、温度湿度風の当たり具合などの地上部の条件や、森の下で守られる地中の条件とによって、舗装道路際の悪条件に在りながらもなんとかサクラがここでいのちを繋いでいるのであって、サクラだけにしてしまえば、これもおそらく1年以内に枝枯れをはじめ、数年後、あるいは長くとも十数年以内には枯死してしまうことでしょう。



 暗く閉ざされた下草も乏しい杉林の斜面を大規模に伐り払えば、当然表土は流亡し、土壌の構造は破壊されて浸透機能を失います。表面を土壌が流亡することで、その大地の生物環境は劇的に劣化することは、先に説明しました通りです。



 そして、サクラ植樹地の隣接する木々も痛み、急速に枯死していきます。



 数年前まで、参詣道へと続く道の両脇も、桜を残して伐り払われ、新たに桜の苗木ばかりが植えられます。蘇生の道、自然から学ぶ、山岳修験道の聖地において、人間によって暴力的に痛めつけられ、致命的なまでに弱体した大地はもはや、人の心身に蘇生の力を与えてくれることはありません。

かつてと違い、道路沿いはコンクリート擁壁と舗装道路によって土中の水と空気が停滞しやすい今の環境において、過去の環境の下で大木となった木を伐ってしまえば、今の環境の下では再びかつてのように健康な大木が育つことはないのです。



 残された桜も、共に生きてきた周囲の杉が一斉に切られてしまうと乾燥し、途端に衰弱していきます。地表の荒廃による土壌環境の悪化によって根も枯損が進み、太い枝が短期間に枯れていきます。それでもこの木は、新たな環境で一生懸命生きようと、苦しげにたくさんの小枝を出してもがきます。やがてこの木も、本来の寿命を待たずに枯死してゆくことでしょう。
 この様相を見て、誰がよいと思えるものでしょう。なぜ、こんなことが繰り返されるのか。理解に苦しみます。

 吉野の桜運動、もちろんみんな、良かれと思ってやっていることでしょうが、これが根本的に間違った方法であることは、こうした事例の様々な地域の結果を見ても明らかな上、環境の変化を丁寧に観察すれば、その間違いは誰にも一目でわかることなのです。

 伐採やサクラの植樹には、日ごろ木々を扱っているはずの造園業者や林業関係者、その他桜の専門家を称する人たちも多く参加していることと思いますが、それなのに、こんな間違ったことが改められず、結果として、それまで長い歴史とそれを守り育ててきた先人の営みが育んできた、大切な環境を根本から壊してしまっているのです。
 それほど、人は自然をきちんと見つめて教えを請うことができないまでになってしまったと、事態の深刻さに改めて身震いするのです。



 ただ伐って育てたい他の木を植えれば、思い通りの環境が育つというものでは決してないことを知っていただきたい。
 まして、自然を畏れ敬いながら、人間として活かされてゆくうえでの大切な智慧と命を授かってきた、そんな素晴らしいかつての日本人の人生観、そして山岳修験霊場の在り様を伝えるべく世界遺産となった吉野参詣道において、今ある森を一斉に排除して暴力的に一新し、なおかつここまで傷んでいるというのに、そんな自然の叫び声にも耳を傾けられない、本当に我々日本人は、自然から遠ざかってしまったことを、この光景に痛感させれられます。




 日本第一の山岳修験道場、吉野山金峯山寺。今年の正月三が日には数年ぶりに、朝の勤行に参加しました。
 この金峯山寺には、釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩と3体の化身である蔵王権現が本尊として祀られています。
 それぞれが、過去、現在、未来を現わしており、我々人類は現代だけでなく、過去、未来を繋げて考え、生きていかねばならないことを今に発信し続けているように感じます。

 世界遺産、あちこちを回って思うことは、世界遺産に指定されて、よくなった場所はなく、猛未来に伝えるべき大切なものを形骸化させつつある虚しさを感じます。
 これもまた、「過去に学び未来を想い、今を生きる」という、人類として大切な在り様を社会が見失ってしまった結果なのでしょう。

 さて、悲観してばかりもおれません。こんな日本、こんな時代において、すべきこと、与えられた使命を果たしていこうと、蔵王権現様に誓います。


 

 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
       
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