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雑木の庭つくり日記

深まる秋と高田造園の1か月      平成26年10月21日


 ここは信州、小淵沢周辺。南アルプスと八ケ岳の合間の雄大な景と透き通るような秋の空気が心と体を吹き抜けていき、洗われます。
 滞ることのない素晴らしい気の流れを全身に感じつつ、太古の昔から変わらない空気感に五感が研ぎ澄まされ、遠い昔やここでの様々な営みの歴史に思いを馳せます。

 稲刈りを終えて収穫の時、それが日本の秋というもの。青い空と遠い山並み、その下の稲穂の掛け干しの風景がたまらなく郷愁を誘います。

 めまぐるしいほどの忙しさと怒涛の日々。少年の頃の国語の教科書、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。」そんな言葉が頭をよぎります。 
 月日は矢のように過ぎ去って、そしてあっという間にまた一年と、年を重ねていきます。時間の大切さ、使い方、日ごと年ごとその重みは増していきます。
 価値ある日々、価値ある人生を生き抜くために、その時、自分に与えられた役目を正面から見据え、そして、道の途中で与えられた学ぶべき大切なものをきちんと学び、積み重ねていきつつ、心に栄養を与え続けていきたいと思います。

 様々な感動、様々な出来事、様々な想い、ブログで紹介できることはいつもほんのひとかけらにも過ぎません。

 一仕事が一段落した雨の午後、少し、最近の出来事を足早に紹介してみたいと思います。



 信州、縄文時代の遺跡が数多く発掘される井戸尻遺跡の周辺風景。長野県のほぼ中央に位置する八ケ岳山麓は、起伏に富む豊かな自然と清らかな湧き水に恵まれて、縄文時代には日本の人口の1割がこの地域に集中していたと言います。
 自然と共に生きてきたはるかかなたの先人たち、豊かで美しい、こんな素晴らしい地を選んで暮らしたその知恵と想念に、心の底から敬意と感動が沸き起こります。



 復元された縄文小屋。ここではその紹介は省きますが、アイヌのチセにも通じるその地の住まい方の合理性、美しさ、敬虔さに打たれます。



周辺の蓮田の美しさ、青空と山並の美しさ。縄文以降、この地に鍬を刻み、連綿と続いてきた人の暮らしの風景が、まるで大地の神の大きな懐に抱かれるようです。
 はるか数千年以上もの間、この地で生きた人たちが呼吸し、そして日々共に生き、敬ってきた風景が今もここにある、、そんなことに感動します。



 見上げると、トンビが悠々と空から大地をうかがいます。このトンビ舞う光景も幾千年と、時を超えて存在し、時を超えて人の心に様々問いかけ続けてきたことでしょう。

 大地の「気」、大きな気の流れやその対流、最近そんなことを敏感に感じるようになりました。ここはまだ、人や生き物を善導する、美しい気の力が感じられます。



 目の前に南アルプス鳳凰三山の山稜を望む、山梨県北杜市、五風十雨農場。ここを訪れるのも今回で3回目となりました。
 相も変わらずこの地には常に清らかで滞ることのない気が流れ、そして南アルプスの山並みへと吸い込まれてゆくようです。

 10月初旬、第4回目となるNPOダーチャサポート準備会議のため、東は千葉から西は広島まで、遠方からはるばる毎回、夢と志を共有する仲間が集まります。



 会議はいつもエンドレスで、しかしながら毎回確実に前進していきます。五風十雨農場周辺の、この素晴らしい土地にいよいよ、日本初の本物のダーチャ村が生まれようとしています。

 それは、インフラやエネルギー含め、現代生活をそのまま田舎に持ち込んで、地域の自然環境に大きなインパクトを及ぼす従来の別荘地開発とは全く異なり、その土地のあるがままの地形、あるがままの恵みを活かし、風雨を凌ぐに足るばかりのほんの小さな小屋を建て、人が周辺の自然環境を守り育てながら、自給的な自然の恵みを活かし感じつつ暮らす場所、それが私たちの目指すダーチャ村構想です。



 周辺の耕作放棄地、放置林を歩きます。ここが我々のダーチャ候補の一丁目一番地です。
誰が植えたか、この地のクリやクルミが今、豊饒の時節を迎え、拾いながら歩けばすぐに、両手の袋が一杯になります。



 緩やかな傾斜地、清らかな小川、周辺の山林、かつての段々畑の名残の地形がそのまま残るこうした土地。今は日本中で打ち捨てられた、かつての暮らしの忘れ形見のような土地を再生し、再びその地で人と大地とのつながりを再生したい、そんな願いもまた、私たち共通の想いです。

 五風十雨農場のダーチャ村について、興味ある方はお気軽にお問い合わせください。



 ダーチャ会議の帰路、山梨県都留市、かつての水力発電跡地に立ち寄ります。東電がここでの発電事業をから撤退して放置されて数十年、今、地元NPO団体によってこの施設を再生し、再び発電に活かす計画が進行しています。
 豊富な水と落差を活かして、かつてはこうした地域的な発電施設が山間地域のあちこちにあったのでしょう。
 これひとつで、現在の一般的な電力使用量に換算しても数百世帯分の電力が賄えるといいます。山間部の集落には十分かつ、ちょうど良い規模と言えるかもしれません。
 かつては地域小規模発電が、この国の山間地域の暮らしを支えてきたことを知ります。



 豊富で絶え間のない清らかな水流は周辺の山が生み出します。
 こうした、自然環境を活かした地域自給的な電力施設も、高度経済成長と共に集約化されたメガ発電化の波にのまれて消えていきました。
 今再び、地域自給型の小規模発電を、しかも新たにつくるのではなく、捨てられた施設を再生して使おうという、そんなここでの強い動きに、一筋の希望の光を見たような想いです。




 ここは東京都国立市、見事な桜並木です。道路2車線化と自転車専用道の整備計画に伴い、大きな桜の木々が選択的に伐採されることとなり、それに対して多くの国立市民が何とかこの木々を守れないかと、勉強会を続けているのでした。
 すでに伐採や、不適切な枝払いがなされた箇所を見た市民から、市への苦情や問い合わせが殺到したと言います。その結果、国立市も伐採計画を見直し、全体の3割程度の本数の、衰弱木として判定を受けたサクラの老木のみを伐採することになったのです。
 この桜並木の風景が変わってしまう。これまで素晴らしい環境を守ってくれた木々が伐られる、本当に伐る以外に方法はないのか、市民たちが定期的に集まって勉強会を開き、街の緑をみんなで守り育てようとしている、そんな動きが沸き起こっているのでした。

 緑豊かな美しい街の木々が、こんな素晴らしい自律した市民を育て、そして市民によって木々が守り育まれる、そんな関係を作ってしまう木々の素晴らしい力を改めて感じます。



 47年前に植樹され、そして与えられた場所で必死に生きる木々の力が、ここで暮らす市民に様々なことを教え続けてきたのでしょう。



 市によってC判定とされ、伐採されることになった木々を見ると、まだまだ精力にあふれ、生きようとする力をたくさん持っている木々ばかり。問題があるとすれば、道路工事の際に大きな枝を無残に伐られて乾燥し、急速に衰弱してしまった木々たちくらいです。

 C判定で伐採・・だれがどんな基準で判定したのか。その基準を尋ねると、腐朽菌類が発生し内部の空洞が進んでいるというもの、ということでした。
 内部が空洞化しても、木健康な状態であれば長寿を全うできます。生きようとする木々は、腐朽菌によって木部の腐朽が進めば、その分急速に周囲の細胞を増殖して盛り上がり、腐朽部を包み込んで塞いでいきます。その盛り上がり方を見れば、木々がまだまだ充分に生きていける力を持っているか、危険はないか、十分に判別できます。木々の健全性は単に腐朽の有無や進行具合で判断できるものではありません。
 反面、その木に生きようとする力が低ければ、腐朽の進行に対して組織増殖が追い付かず、衰退していきます。それが自然の流れであって、その見極めは必要な場合もあります。
 今回の国立市民の会、桜ネットの集いには、NPO杜の会、大地の再生師ともいうべき、矢野智徳氏のお誘いで参加させていただきました。
 私も矢野さんも、C判定を受けたこの木々はまだまだ問題なく、生きようとする力にあふれている、という見解を共有します。
 病気になったから伐る、危ないから伐る、もちろんその判断が必要な時もありますが、誰が何を根拠にそれを判断するか、本当はそこに問題があるように思えてなりません。
 経験と愛情に基づく判断は、全てを説明し尽くせないものです。自然というもの、木々というものは様々な要素の微妙な絡み合いの中で、健康に生き、あるいは健康を損ないます。そして彼らが発する様々なシグナル、それは本当にとても微妙なもので、木々との対話の経験と深さが左右する部分が多いように感じるのです。

 本当にこの木々は伐られなければならないのか、真摯に学びつつ、緑豊かな環境を守り伝えようとする国立市民のような動きが全国に広がれば、日本の街、環境は素晴らしいものに育ってゆくことでしょう。木々が人を育て、そして人が木々を守り育む、そんな関係を感じたひと時でした。



さて、仕事の話もしないといけません・・。
 今月は茨城県から静岡県まで、4件の造園工事を並行して進めております。
 ここは静岡県、浜名湖のほとり、Kさんの造園工事が始まっています。先日、植栽を始めたところです。



 木々が植わると家の見え方は一変します。
 


 遠い地での作業ですが、この地に造園観を共有できる仲間と一緒の作業に力が入ります。
 この地の自然環境を尊重し、なおかつ暮らしの風景になる、そんな空間を目指します。



 場所は変わってここは地元千葉、2年前に作った庭に、新たに木製カーポートを造作しました。



 豪雪にも大風にも耐えて長持ちし、しかも庭の木々に調和する佇まいを期しました。
 梁には古材の松梁を用い、どっしりした重量感と軽やかを兼ねる、明るい雰囲気に仕上がりました。



 水はけの悪い締め固められた土地で、植えた木々にもずいぶん苦労を掛けましたが、2年経過してようやく気脈通じて木々が元気に、本来の美しい姿へと健全に育ち始めたことを感じます。



 サービスヤードの家屋東側の高木。ぴったり家際に植えられた高木も、この地で2年を経てようやく自分の位置を把握して、外側へと枝を素直に伸ばしていきます。木々が健康に根を伸ばしつつある様子は、こうした姿で分かります。



ここは東京都世田谷区、この春から時間をかけて、少しずつ造園工事を進めています。
 玄関ポーチ脇の風防室に窓ガラスとガラス扉が入り、玄関ポーチ周辺が完成しました。
ガラスは今はなかなか手に入らない、かつての手すきのガラスです。ゆらゆらと透けて見えるその奥に奥庭の緑の空間が取り込まれ、静寂でとても品のよい空間が生まれました。



 シンプルですが、飽きることのない品のよい空間、それこそが、我々つくり手が意識すべき、最も根本的でもっとも大切な感覚なのかもしれません。



 玄関ポーチ奥の北庭。周辺の豊かな緑を取り込み、プライベートな屋外リビング空間となります。さて、これから表側の駐車場と玄関の庭を仕上げていきます。

 さて、、今月の活動を一挙公開しようと思うと、、まだまだ果てしなく長くなってしまいます。進行中の現場の紹介はこの程度にいたします。



 10月10日に発売開始となった、冊子を紹介いたします。
「心と体を癒す雑木の庭」 主婦の友社です。2年前に発売された「これからの雑木の庭」に続く第2弾です。
 今回は私の著書ではありませんが、40ページほど寄稿し、雑木の庭について、心身の健康増進効果など、少し新たな角度から解説しております。



 特に今回、力を込めて書かせていただいたのは、、木々の持つ環境形成作用についてです。樹木は周辺の環境に働きかけて、水や空気、土を改善し、様々な生物たちが共存して健康に生きてゆくことのできる、豊かな環境を育みます。
 その木々の環境改善効果や、それを活かしてきた先人の知恵、現代の庭で木々のこうした環境形成作用をどう生かすか、そんなことをページの許す範囲で書かせていただきました。



 また、管理については、単に手入れの方法の解説ではなく、木々を健康に育ててよい住環境を作ってゆくために、何が必要で何が不要か、どんな視点で樹と付き合うことが大切か、そんな想いを込めて、まとめてみました。

 少し専門的にで分かりにくい点もあるかもしれませんが、興味のある方は是非見ていただき、少しでも参考にしていただければ幸いです。




 収穫の秋と言いますが、今年の様々なことが結果となって顕れ始めるのもこの時期なのかもしれません。
 今年始めた自然農園の野菜が見事な生育を見せています。



毎日のように、間引きした野菜を持ち帰ります。



  2年前に数十㎝のポット苗を密植混植した樹木マウンドも、今は競争して最大樹高3mにも達しました。もう2年もすれば6m程度の小樹林となるでしょう。
 時の流れと共に、木々は育ち、そして命を宿し、風景を育てます。命と共にある生き方、仕事、そんな幸せを少しでも伝えられたら、そんなことを感じさせられます。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 (2014年10月21日 13:46) | PermaLink