311の祈り 平成24年3月13日
震災から1年、「100万人のキャンドルナイト」が日本中にともされたようです。ここは日比谷公園の311。
鎮魂の光を感じた数1千人の人の心に、新たな時代をつくるべく、一人ひとりの使命を分か地合います。
午後から、社員総出で参加しました。
福島県郡山での追悼式典から駆け付けた加藤登紀子さん。
CWニコルさんに坂龍一さん。たくさんの著名人が、追悼と脱原発のためにこの日、集まりました。
美しい命が繋がるこの世界を、私たちの代で汚してはいけない。
今、本当に原発を安全と考えている人など、たぶん日本にいない。なのに、「とりあえず今は原発を再稼働」とは、どういう事でしょう。
いつ、この国に住めなくなるか分からない、そんな基盤など、一刻も早くなくさねばならない。
なくなられた方々に心からの哀悼と、そして、この過ちを繰り返さないよう、決意を新たにしています。
熊本 阿蘇山からの雑木 平成24年3月5日
阿蘇のグリーンライフコガさんの畑から、大量の雑木が今朝、大型トラックに満載されて当社の植木畑に到着しました。
2m~6mの雑木、その数実に600本。雨の中、泥んこになりながらも5人かがりでひたすら荷降ろしです。
コナラ、ヤマモミジ、アカシデ、アオハダ、コマユミなど、阿蘇の豊かな自然の中で育った愛おしい木々たちです。
これから当社の畑に植え付けて、数年ほど時間をかけて関東の気候風土に馴らしてから、一本一本私たちの作る雑木の庭へと嫁がせてゆくのです。
これはヤマモミジの苗です。苗といっても高さ2mから3m程あります。これから2年くらい、うちの畑で管理し、土地に馴らし、3,5mから4,5mくらいの大きさにしてから雑木の庭に使っていきます。
そしてこれは3mから3,5m程度のコナラです。
都会の住宅地における微気候改善のための庭造りの主木としては、コナラほど適する樹木はありません。
これらの苗は、やはり2年から3年かけて畑で飼いならし、大方5mから6mくらいの高さになってから庭に使っていきます。
樹木畑の土場は今日届いた木々でごった返しています。
縁があって千葉に来た阿蘇の木々たち。木々は黙って与えられた土地に適応し、そしてそこで命の限り生きようとします。大切に育てて、そして木々の命を大切に愛でてくれる人たちのもとに届けていきたいと思います。
よい雑木が手に入らなければ私の仕事はあり得ません。例年、落葉樹の移植の適期である冬の時期には、雑木を集めに駆け回ります。
今年もすでに数百本の雑木を入手してはいたのですが、今朝届いた大量の雑木を目の当たりにして、「これで今後数年間は戦える!」というのが率直な想いです。
はるか遠く、九州の地から届いた木々たち、私には人の暮らしを心豊かにしてくれる、魔法の杖のように感じました。
今週の一冊 平成24年3月2日
仕事漬けの日々、その隙間に本を読みます。読みたい本はたくさんあるのに、時間がありません。でも、時間がないからこそ、読みたい気持ちが募るのかもしれません。
今週読み始めた本です。
本の序章でこうありました。
「和辻哲郎は『風土』を著わした頃の日本住宅は、今日われわれが郷愁をこめている『民家』であった。そして、その民家は昔からあまり変わらない気候に代表される自然環境と、これに順応した人間活動との相互作用によって形成される風土に適応していた。その中で、とりわけ気候は民家の形態に直接影響を与える要素として重要な意味を持っている。」
私は最近思うに、私の仕事の柱である住環境の気候改善のための家際の雑木植栽、それは今の住宅事情だからこそ必要なことであって、かつての、日本の気候風土に適応した民家の暮らし方においては、私の仕事は必要性がなかったことと思います。
今の劣悪な街環境と住まいの敷地環境、そして気候風土に関係なく、家だけで実測可能な快適性を満たそうとする今の住宅建築の主流。そんな時代だからこそ、私たちの仕事が求められます。
しかし、これは過渡期であるべきことと、思います。
本当の住環境の快適さ、故郷の思い出と誇りを築ける街や家の在り方、今の日本の住環境、失ったものが多すぎます。
私は、今の私の仕事が必要性を失う日を夢見て、そして仕事しています。変なものですが。。。
今の文明は持続できない社会。この文明を発展させるためには、我々が謙虚になり、かつての素晴らしい知恵とたくましさを取り戻すこと、それしかないように思います。
自然と共生してきたかつての日本民家に学び、これからの時代を創造する住まいを考えようとして編集されたこの本は、13年も前、1999年、つまり前世紀に編集されました。13年前の先見性にいまだ追いつかないのが社会と言うものでしょう。危急の事態に対面しても、それでも社会全体が変わるには多大な時間がかかります。
この本の中で、建築計画原論の創始者の一人、木村幸一郎氏の下記の言葉が引用されています。
「民家はその土地の得やすい材料によって、特別の高級な科学的知識を待たないで、その土地の人たちの長い経験と習慣から構築されているので、人知の程度と周囲の自然の関係をもっとも端的に、つまり、あからさまに表している点で興味深く、且つ教えられることが少なくないのであります。」
我々の将来、子供たちの未来、それが持続できるものでなければ、どんな発展も経済的な豊かさも何の意味もありません。
我々はどうあがいても自然の一部でしかありません。どんなに科学が進化しても、我々は病気になって死ぬという普遍の事実を変えることはできません。
持続できる社会、将来の豊かな国土、そんな視点に立って社会が築かれることを目指して、自分の仕事をシフトチェンジしていきたいものです。
古材を活かす 小屋を作る 平成24年2月26日
柱と桁、梁に棟まで、軸組みの骨格が組みあがりました。
建坪1坪あまりの小さな小屋ですが、素晴らしい古材をふんだんに扱った贅沢な作りです。
梁や小屋束は、千葉県山武市の茅葺き民家の古材です。150年前の材で、味わい深く、長年のぬくもりが宿っています。
桁と棟木は、千葉県佐倉市の入母屋民家を40年間支え続けて解体された通し柱です。
曲がった松梁をうまく組み合わせて組み上げた小屋には力強さが宿り、見る人の体内エネルギーを活性化してくれるようです。
150年前、梁を刻むのにチョンナではつったその跡が、温かみと素材の質感を引き立てています。
柱の基礎もかつての民家同様、風化しにくい川石の形なりに柱をひかりつけて合わせていきます。
柱は千葉県が誇る硬質で非常に耐久性のある良材、イシビを用いています。
それにしても、72歳のうちの大工は小屋造りを楽しみすぎです。たかが物置小屋なのに、その屋根も贅沢に木小舞を連ねて豊かな質感を演出しています。
屋根は瓦屋根となります。
小屋を組み上げる、あるいはつくり上げる、こうした小屋造りにこそ、かつての知恵が活きてきます。
訳の分らぬ規制にがんじがらめの今の建築基準法住宅、あるいは工業製品としてのメーカー住宅によって破壊され続けるかつての住まいつくりの知恵、持続可能な未来を作る大切な知恵を、規制の対象にならない小さな小屋造りを通して伝えていければと思います。
どんぐりの発芽 平成24年2月26日
昨秋にポットに撒いたどんぐりです。かぶせていた落ち葉をめくってみると、かわいらしい根を一生懸命土の中に伸ばしていました。
昨秋に撒いたどんぐりは、マテバシイにシラカシ、そしてコナラにクヌギです。近くの神社や森、庭からドングリを集めてポットに3粒から4粒ずつ撒きました。
採取した時期と場所によって、発芽の良いものもあれば悪いものもあります。
ちなみに、これは仕事ではなく私の趣味です。というよりも、私には仕事と趣味の区別がありません。。。
昨年から始めたどんぐり苗造り。今年は社員を総動員して、本格的にやってみようと思っています。理由は、面白いからです。
そして、たくさんのポット苗ができたら、それを使ってあちこちに安定した森を作りたいと思っています。
数年後、たくさんのポット苗ができる頃、森つくりのチャンスもまた、私たちにたくさん与えられることと思っています。それが人生の縁と言うものだと、私は感じています。
その時のために、これからどんぐりの苗をたくさん作ります。