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雑木の庭つくり日記

風景を作る 収まるところに収めてゆく    平成24年4月30日



 風景を育ててゆくということは、その土地に愛情と時間をかけることからはじまると実感します。
我が家の木々も、植栽後5年目となり、いつの間にかこの土地の自然にすっかりとなじみ、住まいの風景がより一層美しく、この土地の自然風景の中に溶け込んできました。



 地元の山砂をひたすら突き固めて、4年前に作った作った版築の門柱に瓦屋根をつけました。
棟の隅の巴瓦には、千葉県成田市の由緒あるお寺の改修現場からもらってきたものです。もちろん、瓦はすべて古材の再利用です。



 いい文様の瓦です。昔の建物の解体現場は私にとっては宝の山で、庭の材料にあふれています。
 昔から庭は、建築廃材や古材の再利用の場でもありました。特に瓦などは、数十年に一度葺き替えが行われますので、その都度発生する古い瓦は、昔から延段と呼ばれる園路の材料にしたり、雨落ちの縁に利用したり、あるいは砕いて下地地盤の補強にしたりと、とにかく庭の中で有効に利用されてきました。
 「もったいない」という想いから、日本の庭は生まれたのです。形ではなくこの素晴らしい思想を、造園という仕事を通して未来へと繋いでいかねばなりません。



 そして、集めた古材を使って作り始めた我が家の水道小屋も完成です。良い佇まいで、美しい景色を作ってくれます。
 その土地の風景をつくるということ、それは一つ一つの建物佇まいを、その土地の風景の中に美しく溶け込むように配慮してゆくことで、愛される風景へと育ってゆくのだと感じます。



 瓦屋根は棟違いとし、梁にはかやぶき民家の古材を用いています。



そして、小屋の背面には、懐かしい無双窓があります。



しかし、どんなに素晴らしい環境であっても、また、どんなによい建築であっても、建物をその風土に溶け込ませて落ち着いた佇まいに見せてゆくためには、どうしても木が必要なのです。
 西日除けを兼ねて、小屋の脇に小さな木立を植えました。既存のヤマボウシ1本に、コナラの苗木2本、モミジの苗木1本、ツリバナの苗木1本だけの小さな木立です。数年後には立派な木立となって夏の西日を遮ってくれる環境林となるでしょうが、植栽したばかりであっても、木を植えることで小屋は見違えります。
 
 小屋を建てれば当然木を植える。その営みが美しい風景を一つ一つ作ってゆくことにつながるのです。



 そして、この小屋の正面軒下に、木彫りの鬼面をかけると、この小屋にも魂が宿りました。すすけて黒ずんた鬼面は、太い梁の力強さにも負けず、驚くほどしっくりとなじみました。

 この鬼面は南房総市のTさんという方から数年前にいただいたものでした。本来家屋の軒下で、その家の守りの願いを込めて掛けられていたものなのでしょう。
いただいてから数年、その間も、様々な場所に収めてみようと試みましたが、なかなかふさわしい場所を見つけ出せずにいたのです。
 ようやく、しっくりと落ち着く場所に収まることができました。よかったです。この鬼面も新たな役割を与えられてきっと喜んでいることでしょう。

 モノに宿る魂というもの、それを収まるところに収めてゆくこと、それも造園という仕事に必要な感覚です。風景を美しくする仕事、そんな眼力をこれからも鍛えていきたいと思います。

 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
木を植えることは未来を植えること   平成24年4月8日



 ここはパシフィコ横浜、国際会議場です。
 昨日ここで開催された市民環境フォーラムに参加しました。
 フォーラムのタイトルは「東日本大震災の教訓を生かし共生社会の実現を目指して」
 財団法人地球環境戦略研究機関、国際生態学センター主催、特定非営利活動法人国際ふるさとの森づくり協会共催にて催されました。



  開始30分前の開場と同時に、大きな会議場は前席のほうから埋まり出します。
数百人の市民がこのフォーラムに集いました。
 ちなみに私はもちろん、開場と同時に最前列真ん中の席を取らせていただき、一言一句逃さぬ覚悟でこのフォーラムに臨みます。



 国際生態学センター長、横浜国立大学名誉教授、宮脇昭先生の熱いお話に聞き入ります。
 積年のあこがれの人、宮脇昭先生にお会いするために、今回私はこのフォーラムに参加したのです。
 宮脇先生の著書は、それこそ私が林学科の学生だった頃から20年以上の間に、これまで何冊読んできたかわかりません。
 しかしこの、宮脇昭という本物の人間の命と85歳とは思えない若さと情熱を、肌身で感じたい、今の私にそれが必要だと思い、今回参加させていただいたのです。

 稀代の植物生態学者、宮脇昭先生は日本の植物生態学の世界に初めて「潜在自然植生」という概念を確立させ、そして綿密で超人的な長年のフィールドワークを通して、日本の潜在自然植生図を完成させました。
 「潜在自然植生」とは「人間による土地への一切の干渉がなされない場合、その土地の気候風土によって最終的かつ持続的に安定して成立する植物相の姿」と定義されます。
 たとえば、関東全域では高地を除きほとんどの土地では、人間による活動が停止すると、やがてカシやシイ、タブノキなどの常緑広葉樹を主木とした多層群落の豊かな樹林となります。
 これが関東だけでなく、日本人の9割以上が住む東北沿岸部以南の潜在自然植生であり、それこそがその土地の本物の森であり本物の樹木であると宮脇氏は言います。

 そして、それこそがその土地の素顔というべき本来の自然の姿、人間を含むすべての生命を支えてきた自然の様相であり、数千年という長い年月を通して繰り返される大津波や地震、台風にも火事にもしっかりと耐えて、そこに生きる人などの命を支えてきた、本物の森なのです。

 今回の大津波でも、海岸沿いの松の木などは根こそぎなぎ倒されて津波に流されました。そして流された大木が家屋やビルを破壊し、津波の被害をさらに大きくしてしまったのに対し、その土地本来のタブノキやシイノキ、その下に生えるトベラやマサキ、ヤブツバキなども潮にも耐えて青々とした命を繋いでいたのです。
 そして、こうした木々は大津波の勢いを減殺し、海へと流される人や物を幹枝で食い止め、そしてすべての人工物が破壊され燃えた後もしっかりと生き残り、青々とした命を繋いでいたのです。
 
 自然の揺り戻しというべき今回の大津波、そのなかで本物の植生は生き残り、そして偽物は滅ぶ、それが冷厳たる自然の掟というべきものでしょう。

 世界各地でこれまでに市民とともに4000万本もの本物の苗木を植えてその土地本来の本物の森を作ってきた宮脇昭氏は今、被災地の海岸線300キロにわたって、コンクリートなどの人工物ではなくて、潜在自然植生の森による緑の防潮堤を築くべく、多くの市民とともに活動されています。
 
 
 
 宮脇昭氏(左端)の隣の方は、名古屋大学特任教授 安成哲三先生です。
 モンスーンアジア地域の気候変動研究の第一人者、安成先生は、日本という国が立地するモンスーンアジア地域で持続可能な社会を再生するために大切なこと、そして同時に、活断層が集中し気象災害が繰り返される日本などのモンスーンアジア地域に原発を立地することの危険性について、非常に分かりやすいお話をいただきました。

 豊かな自然は同時に、どんな人智も科学技術も及ばない恐ろしい面も普通に持ち合わせています。
 震災後、人間は自然を征服しようとする愚かな社会の在り方を反省して、そして自然界の掟に従い、自然との共存共生関係を本気で築いていかねばならない、今こそ人間の知恵と心が試されている時といえるでしょう。

 「何物にも代えられないのが命。一番素晴らしいことは今を生きているということ。未来の命を支えるために、大切なことはできることをすべてやること。」
 宮脇先生は言います。
これは、震災を経験した多くの方にとって共有できる考え方なのではないでしょうか。
 



 宮脇昭先生が提唱する森の防潮堤、それを実際に東北で先頭きって推進しているのが宮城輪王寺の住職、日置道隆氏です。日置氏はこれまで8年間かけて、境内にふるさとの木によるふるさとの森つくりを市民、子供たちとともに進めてこられました。
  今、日置氏は「命を守る森の防潮堤」推進東北協議会会長として、この素晴らしい計画を実行すべく、先頭に立って進めようとしています。
 
 ふるさとの木による森の防潮堤、それは生命の塊というべきものです。その土地本来の木々による森は管理の必要もなく、自然のシステムに従って永遠に森を維持しながら、様々な生命を育てます。
 コンクリートの防潮堤は数十年で劣化するため常に作り替える必要があり、また壊してしまえばゴミになります。
 自然を支配しようとする発想から、命を尊重し自然と共存共栄した文明を築くべく、今こそ硬直した発想を脱却して、命という価値の原点に戻らねばなりません。
 命、それは、なくしてしまえば何もありません。



 会場の外で紹介されていた、ドングリから育てた潜在自然植生樹木のポット苗です。これらの苗を密植し、そして植栽後は自然の淘汰と競争に委ねて、将来の豊かな本物の森になるのです。
 植物生態の掟に従った植栽方法と本物の木による森つくりであるがゆえに、人の手による管理を必要としない自立した森が作り出せるのです。
 今後、私の造園、街づくりでも大いにこの方法を取り入れていかねばならないと確信しています。

 宮脇氏は、植生調査と自然生態系のおきてに基づくこうした森つくりを世界各地で実践してきました。
 


 そしてこれは、2008年に私の地元のスーパーの外周に宮脇先生が市民数千人とともにポット苗を植え付けられた緑地です。
 4年を経て、すでに樹高3m以上の小樹林が育っていました。

 「木を植えるということは、未来を植えるということ。」宮脇先生は言います。
世界各地で市民とともに命を守る本物の森を作り続けてきた本物の人の言葉が、ちっぽけな私の胸にずんと重く響きわたります。
 未来の地球が豊かな命を支えることのできるものであるよう、本物の木を植え続けてきたのでした。
 感動が自分を変えていきます。フォーラムの中、先生とお話しできたのはほんのわずかの時間でしたが、行き詰まりを感じていた私にとって、震災後の長いトンネルをようやく抜け出すことができそうです。
 
 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
身近な自然に      平成24年4月3日


 地元の畑の真ん中で、紅白の梅が盛りを過ぎて、4月になってようやく散り始めました。今年ほど梅の開花が遅かった年が私の知る限りあったかどうか、思い浮かびません。
 しかし、畑の中に紅白の梅を植えてそこに資材を置いて農作業の憩いの場とした地主の心に思いを馳せて、まるで春の陽気のように心温まります。



 早春の野に咲くオオイヌノフグリの小さな花。青の点々が野に輝く頃、春の訪れにいつも胸が躍ります。



 地元八幡神社の鎮守の森では、ヤブツバキの花が深い森の緑の中に点々と見られます。
 ヤブツバキ、それは東北沿岸部以南日本の全域の自然林に見られる暖温帯気候地域の代表的な樹種です。
 私は雑木の庭の中木として必ずと言ってよいほどこの木を用います。それが、私たちの住む気候風土にとってごく自然な木だからです。
 都会では、ツバキにはチャドクガが湧くからと言って敬遠する人も多いのですが、私の作る雑木の庭では、チャドクガはめったに大発生はしません。もちろん、消毒という名の毒物散布も今はしませんが、それでもあまり害虫が大量発生することはないのです。
 森の中の健康なツバキにはチャドクガは発生しないのと同様に、周囲の木々との共存関係を考慮した健全な生育条件を作っていけば、一部の害虫の大量発生などほぼ防ぐことができるのです。
 都会の劣悪で不自然な環境、または生態系のバランスを考えずに植栽する庭師の不勉強が、こうした害虫の大量発生を招いてしまってきたのでしょう。
 これからはそれではいけません。
 日本の大半の地域で数千年という長い年月を健全に生きてきたヤブツバキが害虫の大量発生を受けるという都会の庭の環境というものに根本的な問題があることに気づかねばなりません。



そしてここは、地元の富田都市農業交流センター主催の農業体験農場です。週末農業を志して100人以上の参加者がここで週末農業に励んでいるのです。



 先の日曜日は里芋の植え付けです。地元農家の指導の下、みんな熱心に作業に挑みます。
こうした企画に募集人数を大幅に超える人たちが集まることに、時代の変化を感じます。
 高度経済成長を終え、バブル後の20年を経て、そして311後の日本、美しい命、美しい暮らしに回帰し、新たな文明を築くべく、今、多くの人が失った大事なものを取り戻そうとしているように感じます。



これは我が家の落ち葉ストックです。わずか半坪のストックスペースで、200坪の敷地の庭の刈り草や落ち葉をすべて処理しています。野菜くずや生ごみも一緒にここで大方処理します。
 先日切り返したところ、1年間ですでに半分が肥沃な腐葉土と化していました。写真左半分が腐葉土と化した落ち葉です。



 そして、腐葉土は写真右の10坪菜園に漉き込み耕すのです。これを毎年繰り返しているうちに、畑の土は徐々に良くなってきました。
 土を育てる、このうれしさや充実感は、何とも言えません。



 そしてここは、地元の市民団体によって良好な里山として管理されている、杉とカシの人工林です。



 杉と一緒に植えられたカシは、競争しながらまっすぐに育ちます。枝葉を広げる公園や庭のカシばかり見慣れた目には、これがカシとは思えぬほどの素晴らしさ。
 木は一人で生きているわけではなく、周囲の環境の中で適応し、競争し、生き抜いてきたのでしょう。

 業種問わず、今、私たちはこの文明を発展させないといけない、そう感じて生きている人がたくさんいると思います。
 かけがえのない命に鑑みて、将来に誇れる生き方や社会を築いていけるよう、ほんの少しずつでも軌道修正していかねばなりません。

 

 
 
 


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原点の庭  鎌倉市Sさんの庭にて    平成24年3月26日



 ここは鎌倉市のSさんの庭、12年前に作らせていただいた庭です。昨日、打ち合わせのため、温かな早春の日差し輝くSさんの庭を訪れました。



 玄関前の水鉢に添えた豊後梅が満開でした。淡いピンクの豊後梅は昔も今も変わることなく、私のもっとも好きな花の一つです。
 12年前から、Sさんの庭の完成後は、6月と12月に決まって手入れに伺いますが、この時期に来るのは本当に久しぶりです。
 独立後の私にとって最も長い付き合いの庭の一つでありながら、私の見てきたこの庭の表情は、実際にはほんの少しだけだったんだなと気付かされます。



 造成されて何もなかったのに土地に石を据えて木を植えた、その土地が12年の年月を経て、今はすっかりと土地の苔に覆われて、この土地の自然と同化しています。
 葉を落とした冬の雑木の庭、こうして年月を経てその土地の風土や自然に同化した庭というものは、四季折々飽きることなく、移りゆく庭の表情を楽しむことができます。

 「この庭は本当にどれだけ居ても飽きない。お客さんが来ても居心地がいいもんだからなかなか帰らないのよ。10年も経ってもまだどんどんよくなっていくんだから、すごいね~。」
 と、Sさんの奥さん。

 Sさんと初めて庭造りの打ち合わせをしたのは、忘れもしません、独立してやっと2年目、私がまだ29歳のことでした。
 たった1回の打ち合わせでSさんは、独立まもない若造の私に、350坪の終の棲家の建築造園計画をすべて委ねて下さいました。
 
 造園という仕事、その商品は同じものは2つとない上に、契約後に作るわけですから、お客さんにとってはある意味、賭けのような面があると思います。
 例えば、車を買うとかであれば、買う前に商品を実際に見られるのですが、造園の場合は違います。これから作るものに対して、お客さんは何百万、あるいは何千万という金額をかけてその作り手に任せるかどうかを決めるのです。

 もちろん、その作り手に目に見える実績や社会的評価があれば、まだ分かりやすいと思いますが、独立して1年、当時20代の私にはまだ、何の実績もなかったのです。
 そんな若造に、大きな仕事をすべて自由に任せて下さったのがSさんでした。
 そんなSさんの信頼と期待に対して、何が何でもこたえるために、必死で取り組み、必死で勉強したのがこの現場でした。

 修業中、私をかわいがってくれた年配の職人に、こんなことを言われたことがあります。

「高田君、とにかく一生懸命、誠心誠意頑張れな。全力で一生懸命やっていれば必ず誰かが見てくれる。チャンスをくれるから。とにかく今は一生懸命頑張れや。」

今の自分、今の高田造園があるのは、間違いなくSさんが原点の一つ、節目の一つだったと思います。
 実績も何もないのに、私を信頼して大きな仕事を任せてくれた。もちろんそれは私だけではなく、多くの人がそんな経験を持っていることと思います。
 そして、人の信頼にこたえるために全力で責任を果たそうとすることで、人は大きく成長できるものだと実感します。



 和室窓からの景色、この家ではカーテンの必要はありません。

 「鎌倉にはいい庭もいっぱいあるけど、うちほど落ち着く庭はないよ。」とSさんが言ってくれる。

 この庭を作らせていただいたのは12年も前のこと。
 その後、私の作風は変わり、Sさんの庭を訪れるたびに、「今だったらこうしたのになあ。あの頃の俺は庭のことが何も分かってなかった。Sさんに申し訳ないな。」という思いを感じる時が、それこそ何度もありました。
 もちろん、そんな反省がなければ進歩もないのでしょう。

 しかし、「庭の良さって何だろう」と考える時、Sさんが今も、この庭のある暮らしを何よりも喜んでくれるという事実、それだけで、若い頃の自分が全力で作ったこの庭に込めた魂こそ、今の私が忘れてはならない素晴らしいものだったんだなと、感じさせられました。

 Sさんは言います。「どんな仕事でも、人のためになる、人に感謝される仕事ってのは大切だね。」

 Sさんは今でも、私のことを若い頃と同様に、「ねえ高田君、、」と言ってくれます。
 久々にSさんとゆっくりした時間を過ごさせていただき、節目にいることを実感していた私にとって、原点回帰した1日となりました。

 人のため、未来のため、自分のなすべきことを追求していこうと決意新たにしています。



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千葉大学記念樹植栽の御礼   平成24年3月18日
 造園の仕事は、木を植える仕事です。
 命ある木には、人それぞれの思い入れがあります。
 人の想いを乗せて木を植える、私は本当に幸せな仕事をさせてもらっていると思う瞬間があります。
 昨日の千葉大学記念樹植栽、実現に向けて温かく応援下さったクラス会の皆様へ、下記の通り御礼の言葉を申し上げます。


千葉大学電気工学科 1966年卒業生クラス会の皆様


 高田造園の高田です。この度は皆様の想いを木立にして、私たちの手で植栽させていただき、本当にありがとうございました。
 齋藤久美子様からこの光栄なお話しをいただいてから、さて、私がここでどんな植栽をすべきか、非常に考えさせられました。そして、今の私たちの考える限り、全力でよいと思える植栽をさせていただきましたつもりではございますが、なにぶん若輩者故、力不足もございましたことと存じます。不備な点はどうかお許しいただき、その後の管理を通して、この木立が次世代の日本を担う学生たちにとっても有意義なものとなるよう、努めさせていただきます。

 千葉大学の電気工学科1966年、卒業された皆さま方々のお力によって、その後の高度経済成長が実現し、そして今の私たちの世代の暮らしがあるのだと感じております。戦後の日本をここまで復興して豊かな国を造り上げて下さった皆様のことを胸に刻み、感謝し、そして、皆さまに恥じない日本として、次世代にバトンタッチできるよう、私たちも背筋を伸ばして生きてまいりたいと思います。

 私事になりますが、私の母が、皆さまと同期で、千葉大学教育学部を卒業しております。母の母校の同期の方々、そのため皆さまのことをはじめから、とても親近感を感じておりました。
 そして今回、記念樹に対して、皆様それぞれの想いもおありだったことと思いますが、私の提案を快く受け入れて下さり、そしてすべて自由に施工させていただいたことに、心の底から感謝しております。
 思えば、医師の父も、未熟な私の生き方考え方を尊重し、造園家になりたいという私の夢を何も言わずにバックアップしてくれました。そんな父と、温かく見て下さった皆さまのことが重なって、本当に、ありがたい気持ちでいっぱいです。

 3月17日、竣工です。あの、3.11からちょうど1年目の月です。バブル崩壊から20年、そして3.11、そろそろ日本も力強く、勇気を持って新しく、今後の進路に向けてまっすぐに歩きださねばならない時に来ています。
 それは、敗戦日本をこれほどの国にまで再生して下さった皆様から受け継いだ、私たちの世代の仕事と受け止めております。
 30年後、私たちの次の世代に対して、自信を持ってバトンタッチできる日本を築いていけるよう、力を尽くしていきたいと思います。
 今後ともご指導やお力添えをいただくこともございますことと思いますが、その際はどうかよろしくお願い申し上げます。
 本当にありがとうございました。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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