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雑木の庭つくり日記

新潟市 海岸防災保安林の環境再生  平成27年11月26日



 3週間ほど前に実施いたしました新潟市北区海岸松林(飛砂防備保安林)の環境改善作業。その際に補植した、松苗の経過観察写真が現地から送られてきました。
 11月初めという時期外れの植樹にもかかわらず、芽の伸び方動き方から、苗木の根が順調に伸長している様子がうかがえます。



 植樹後約三週間経過した松苗マウンドの様子。(平成27年11月4日植樹、11月23日撮影)
 保安林内の松枯れの跡地に、こうした補植地を今回の作業で5か所ほど設け、経過を観察していきます。

 今回、松枯れ跡地の補植の手法として、従来とは全く違う、古くて新しい手法にて提案し、実践いたしました。 
 その補植方法の主な特徴は、端的に述べると、土壌の通気改善を施したうえで、土中通気孔の掘削残土を盛り上げてマウンド上の起伏地形をつくり、その上に、苗木を1平方メートル当たり5~6本程度という、超密植を施し、そして表土は落ち葉や枯れ枝・敷き藁などでマルチして表層の土壌構造を守る、といった手法です。



 マウンド植樹施工中。枯れ枝などの有機物に炭をまぶしながら、通気孔となる縦穴掘削の際に生じた残土を重ね合わせて盛り上げます。つまり、このマウンドつくりにおいて、基本的に他から土を運び入れることなく、現地の地形造作と主に林内でかき集めた枯れ枝や幹などの有機物によって、樹木成長に適したマウンドを積み上げてゆくのです。

 そして植樹後、表層にまた炭を敷きます。多孔質で保水性がよく、雨滴や踏圧を受けてもその構造は壊れることなく持続し、様々な微生物の住処となって土壌改善の起点となるのが、炭の力です。
 乾燥しやすく有機物も溶脱しやすい海岸の砂地にあって、炭の利用は、その土地の土壌化を促すためのカギの一つとなるのです。



  植樹後の仕上げに、新潟市内の農家さんから集めていただいた稲わらを敷き、表土を覆います。

 一つのマウンド面積は2~3㎡程度、そこに10~15本程度の松苗を植える、そんなマウンドを林内に点在させてゆくのです。 

 密植は個体間の伸長成長における競争効果を生む上に、お互いの根が伸長して絡み合い、あるいは根の伸長に伴って一部枯損し、それが地中に有機物を供給し、土中生物の餌となって分解されるに従い、さらなる空隙を土中に作られます。それが通気孔透水孔となって土中の生き物活動はより深くにまで活性化していきます。

 また、密植された苗木どうしがスクラムを組むようにまとまって伸長してゆくことで、猛烈な海風や砂塵吹き荒れる厳しい海岸沿いにおいて、お互いを守りあう密植植樹は非常に効果的です。
 この手法であれば、植えつけた直後から競争効果と共存効果を併せ持ちながらも、多様な環境維持と健全な空気通しに欠かせない林内の空間を保つことができます。なおかつ、掘削した土をマウンドを盛り上げることで土中の水と空気の動きやすい起伏地形が、植樹と同時に作られてゆくのです。

 植樹マウンドはその後、成長状態を見ながら間伐し、1マウンドにつき、最終的に2~3本程度の松の成木を育てていきます。間引かれていった松の根は、土中の生物によって分解されて養分を供給するばかりでなく、土中に新たな空洞を作り出し、さらに生き物活動のさかんな土壌構造を作り出していきます。
 つまり、枯れ木や間伐木の根も、それが土へと帰ってゆく過程で、健全な森林育成のための不可欠なものとして活かされるのです。

 従来、松枯れに対して、その衰弱や枯死を、単に直接の原因である松くい虫の被害として結論付けてしまい、農薬漬けにし、その環境そのものは全く改善されないままに、またマツを植えて育てるという、果てしない間違いを繰り返し続けてきたのです。

 その土地の環境でどうして健全に育っていかないのか、なぜ次々に枯死してゆくのか、その根本の原因を環境全体の視点から見直さなければ何の解決にもならないのです。



 改善作業から約20日経過した松林の表情。(平成27年11月23日)
 改善の結果を判断するための経過観察は、まだまだ時間が必要ですが、枝先、葉色、ともに、順調に根が動いているように感じる気がします。



 改善作業前の保安林内。(平成27年11月3日)
 林内は藪状態となって不快な空気がねっとりと淀み、倒木、傾木も目立つ、そんな不健全な空気感に覆われていたのです。

 今回の作業は、砂地における深部の土壌化促進と根系の誘導・活性化のための土中環境つくりといった、いわば目に見えにくい土中の環境改善を中心に行ったのですが、地上部の光通し、風通しは土中の水と空気の動きと表裏一体に現れるため、おおよそ地上部の様子や空気感から、土中の様子は感じ取れます。



 改善作業終了時の保安林内。(平成27年11月6日)
 今回、松枯れが進む新潟市北区の海岸保安林において、これまでは行政としても打つ手もなく、ただただ農薬散布と枯死木の伐採燻蒸を繰り返しつつ、さらに環境を悪化させ続けてきたのでした。
 そんな劣化した海岸保安林において、単に松を枯らさないという視点ではなく、ここを健康な自然環境として再生してゆく、その実験実証区を設定し、改善作業の実施にいたりました。
 

 新潟市の篠田市長からの依頼を受けて改善手法を提唱し、そして実証作業を終えてから、はや3週間となります。この体験をブログに記そうと思いつつも、年末の怒涛の忙しさの中、時間ばかりが過ぎてしまいました。

 保安林として、これまでに前例のない素晴らしい取り組みを新潟市が決断し、そして実行されたことは、本当の意味での日本再生、国土再生のスタートにもなる、重要な節目となるかもしれません。

 新潟市海岸松林再生と、そこにいたる経緯をすべてここで記載したら、それこそ一冊の本になってしまうほどの膨大な報告となってしまうため、きちんとした報告はここでは割愛いたします。

 今回はつれづれなるままに、海岸松林に対して私が集中的に向き合ったこの数か月を思い起こしつつ、少しだけ、(とても長くなりますが・・)、溢れる想いをつづりたいと思います。




 ここ数十年、急速に枯死が進む新潟市の海岸松林。これも30~40年前までは立派な松林の中を裸足で歩いたほどにきれいな、精気にあふれた心地よい環境だったと、地元の方は言います。



 改善作業現場付近、この荒れた列状の林も、つい30年くらい前までは生き生きとした松林だったのです。
 写真右奥に見える列状の緑地帯も、新潟平野独特の砂丘列の一つですが、これも今はほとんど壊滅し、その後に侵入したニセアカシアでさえ、ここ10年程度の間に次々に枯れ、森全体が矮小化し、見た目にも殺伐とした環境へと急速に変貌してしまったことが、現場の様子からうかがえます。

 なぜこうなってしまったのか、その原因は複合的ではありますが、直接的で本質的な主因は、土中の水の停滞にあることが分かります。

 この地域で昔から浜サンベと呼ばれるこの水田は、海岸沿いの砂丘列の間の低地に開拓され、砂丘からの湧水のみで、この広大な田圃の営みが成立してきました。
 つまり、砂丘列の下にはそれだけの水量が常時、動いているのです。

 砂丘下の水の動きは、単なる砂丘林の土中の貯水と湧出だけでは説明できない水の動きであって、それは近隣の大河川、阿賀野川水系と連動していることが予測できます。

 約20年ほど前、ここに砂丘上を縦断する、舗装道路が整備され、そしてその頃に砂丘の田んぼ側にも、盛土、写真の車道が作られました。これによって、土中に盛んに供給される水の動きが遮断され、砂丘下に停滞したことが予測できます。
 松林の衰退と枯死、森の不健全化はちょうどその時から加速したことが、現状から推測できます。




 以前は立派な松林であった、この砂丘列の谷部は今、水がはけずに沼地の状態となっています。



 土中に滞水した水が全く動かない、砂丘底部。
 豊かで健康な自然環境が息づくためには、地下水脈の円滑な流れが不可欠です。これが滞るということは、人間で言えば血管が詰まった状態を意味します。
 こんな環境にしてしまった大きな原因は、土中の水と空気に配慮することを忘れてしまった強引な人間の所作にあります。
 開発や土地造作の際、大地の呼吸をつかさどる水脈の維持に対する適切な配慮さえなされていれば、少なくともこれほどの壊滅的な環境劣化はあり得なかったことでしょう。



 砂丘林上部を掘ると、落ち葉落枝の分解が進んで土壌が形成されているのは、表層10センチ程度にとどまり、その下には土中生物も活動できない乾いた砂地が続きます。

 松の根は、その生育段階でこの砂地にも深部に向かって伸びていきますが、伸ばした根の先端が細根化して水や養分などの物質摂取するためには、通気してなおかつ乾燥しない、健全な土壌環境に到達しなければなりません。そうした場所を求めて伸ばした根が、そんな環境に到達しなければ、その根は太ることができずにやがて枯れていき、その現象は、枝枯れ、先端枯れ等の地上部の様相にも現れ、大きくなれずに枯死していきます。



 深部に根を伸ばすことができず、植物の根は表層で競合して絡み合い、まるで絨毯のように剥がせます。この地下で詰まってしまった根の様相が、地上部のヤブ状態の林相に顕れるのです。



 表層10センチより下はすべて、ぱさぱさの砂。砂丘の土壌化は全く進んでいないことが分かります。
 
 健康な海岸林を育てるためには、こうした砂地において、深部にまで有機物が供給され、土壌生物活動に適する土壌化が進む必要があります。
 
 かつて、健康なマツ林だったというこの砂丘では、土中の水脈を通して土中深部に空気が送られ、それによって植物根や土中生物も活性化され、そして土壌が生成されていたのでしょう。
 
 こうした環境をどのような視点と手法で改善してゆくべきか、そのためには、こうした砂丘地における自然の土壌化作用の仕組みを知る必要があります。
 
 現在進行形で砂丘の土壌化が進む姿は、この海岸林にほど近い阿賀野川河口で見ることができます。



 阿賀野川河口付近の潟湖(ラグーン)です。その形状は常に移り変わり、数年、あるいは数十年単位で移り変わります。
 本来の越後平野にはこうした潟湖が点在し、水鳥飛び交う独特の豊かな光景が広がっていたことでしょう。

 新潟平野、それは信濃川と阿賀野川という、日本有数の大河川が流れ込み、そして佐渡島へと浅瀬が続く海では暖流と寒流がぶつかって押し寄せる、そんな、陸地と海の双方の巨大なエネルギーがぶつかり合う、日本でも独特の風土環境と言えるかもしれません。
 そしてそのエネルギーバランスの中で、海岸線に平行して十数㎞に及ぶ内陸にいたるまでの10数列もの砂丘列が形成され、そしてその砂丘列の上に、古くから人の暮らしが営まれてきたのです。



 こうした砂丘の発達する地域での暮らしは常に、吹き付ける砂と潮風との折り合いが避けられません。
 日本海岸の季節風がもたらす砂嵐は、おおよそその経験のないものにとっては想像できないほどのもので、一日で家屋が砂で埋まってしまうこともあるという、そんな猛威の最前線の環境なのです。
 そんな環境だからこそ、数年で地形が変わってしまうほどの生々流転を繰り返す、生きた大地の動きを目の当たりにします。



 今、阿賀野川河口を塞ぐように砂丘が伸び続けています。この大河川の河口幅の半分以上はすでにこの砂丘堆積によって埋まってきており、そして新たな潟湖が形成されつつあります。
 後に述べますが、この、水流のぶつかり合いによって弧を描くように伸びてゆく砂丘の在り様が、ここが豊かな土壌へと育ってゆくための鍵となるのです。

 今年の8月、現地調査の際、自然の作用によって堆積した砂地が、わずか数年単位の短期間で豊かに土壌化し、そして緑に覆われてゆく様子を目の当たりにし、それが今回の松林環境改善の手法につながりました。



 新たな砂丘の先端付近に、植生、生物環境共に発達している一帯がありました。
 この地の砂丘生成は数年程度のことですので、その短期間でなぜこの一帯が、環境として育ったのか、その理由には、ダイナミックな水と風の営みがあったのです。



 台風や雪解けなど、阿賀野川の増水の度に上流から運ばれてきた流木や草枝は、河口に円弧上に伸び続ける新砂丘にぶつかって、そこで絡み合い、堆積します。



そしてさらに、風によって運ばれた砂が流木の上にかぶさって、ちょうど有機物と無機物がサンドイッチ状に重なり合って盛り上がっていきます。流木と砂との絡み合いが砂地の表層を安定させて、そしてそこにはまず、飛砂堆積に負けずに伸びるイネ科植物等が進入していきます。



 堆積したばかりの砂地を掘っると、枝葉は腐植分解が適度に進んで、健康な腐葉土の香りが感じられます。そしてこのあたらな陸地にすでに様々な土中生物が見られ、活発に生態系が織りなされつつあることが分かります。

 円弧上に伸びた砂丘に干満繰りかえす阿賀野川の流れがぶつかり、そしてその水位変動によってポンプのように土中に空気が送り込まれ、土壌環境が育っていたのでした。



 こうした場所に最初に進出してくるチガヤなどのイネ科植物たちは、砂を捕捉して地表を安定させつつ、土中環境をさらなるステージへと導いていきます。



 砂丘生成後わずか数年でも、流木が運ばれて堆積したこの環境で、有機物に富む、砂となります。この有機物が分解土壌化の過程で、保水性を持ち、無機的な砂地を、様々な生き物や草木が生きていける健全な大地へと変えていくのです。



 そして、すでに多種の植物に覆われた箇所は、ここが堆積してからまだ10年にも満たない、海岸最前線の砂丘上であることが信じられないほどに、土壌化が進んでいたのです。
 このままここが放置されれば、いずれ海岸自然林へと移り変わってゆくことでしょう。

 ここでは、先に述べたように、不健全な海岸林の土中が全くの砂のままに変化しない状況とは、まるで正反対の作用が働いていたのです。

 海辺の砂丘地のような厳しい環境において、どこでもこの土壌化作用が自然に行われるわけではなく、土壌化されない箇所は地表が安定せず、植生も育ってはいきません。
 
 逆に、こうした健全な土壌化作用が自律的に進行するためのきっかけを人為的につくることで、私たちは自然とうまく折り合いをつけて利用しつつ、共存することも十分に可能なのです。

 このことについて、かつての土木技術の一例から、少し紹介したいと思います。

 

 これは山梨県、釜無川・御勅使川沿い、かつて洪水の力を弱めるために考えられたという、「聖牛」と呼ばれる河川工法です。
 丸太を組み、その重しに蛇籠で包んだ河原の石を乗せただけの、ごく単純な工法です。

これを、氾濫しやすい河川堤防沿いの水面に並べて、あとは自然の作用に任せるのです。

 戦国時代の甲州で、川の氾濫を収めるために考え出されたというこの構造の単純な「聖牛」は、昭和30年代まで、河川工法として用いられていたのですから、驚きです。



この工法の特徴は、単に構造物によって川の力を弱めるというものではなく、洪水時に上流から流れてくる流木や草を絡ませ、それによってさらに補強され、洪水の勢いを和らげ、そしてなんと、川の地形までをも、人にとって都合のよい姿へと変えてゆくきっかけを作るというものなのです。

 絡みついた草や流木は、お互い絡み合うことでその重量と水圧を支えるだけの支持力を発揮し、適度に水を受け流すことで、こんな程度の構造物が洪水にも氾濫にも流されることなく機能するのですから驚きです。
 つまり、これは洪水時に運ばれてくる流木を絡ませることを念頭に置いた、自然の力を活かして設備を補強し、自然の猛威をコントロールする、そんな装置なのです。




 水位上昇の際に丸太に絡んだ草はがっちりと絡み合い、容易に外せません。



そして、絡んだ枝葉は分解されて土壌と化し、そこに草が繁茂して、その人工島である聖牛はさらに安定していきます。水の勢いが常に弱められる聖牛の背面に州浜が生じ、それが繋がって、そこに中洲を生じせしめ、それが自然堤防としての機能をそこに実現させたのでしょう。



 川岸に平行して点々と置かれた聖牛沿いに州浜が発達している様子がうかがえます。



 こうして生じた聖牛沿いの州浜には、やがて草だけでなく、樹木も進入して、増水した水のエネルギーがぶつかる場所を陸地化し、川の流れをも変えてゆくのです。



 聖牛背面にできた州浜も、樹木が定着する箇所ではすでに土壌化が進んでいます。絡んだ流木や草が分解して砂と混ざり合って良質な土壌となり、そこにさらに根が活発に張りめぐらされて新たな陸地が生まれます。

 洪水時の川の中で、本来であれば土壌のような細かな粒子は押し流されて、川底は石と礫のみとなるものです。そこに、川の流れを変えるほどの地形が生じてそれが自律的に維持されるためには、自然の力、植物の力を借りる以外にありません。
 そして、この陸地化と水辺に生まれた植生によって水流が弱められ、そうした箇所に形成された土壌が堆積して樹木が根付き、そして洪水にも流されずにその勢いを和らげる陸地が、必要な場所に形成されてゆくのです。

 

 自然の陸地へと生まれ変わった聖牛の跡。
 人がきっかけをつくり、そして自然の作用によって地形を変えてゆく、そのために、流れてくる枝葉草を捕捉して遷移させてゆく、そこには何の無理もありません。
 土壌化、そして土地を保つためにも大地を健全に息づかせることの大切さは、かつては誰もが体感として理解していたことでしょう。
 息づく大地、それを再生してゆくための大切な視点は、こうしたかつての人の営みの中にたくさん見られるのです。



 松林の環境改善のポイントは、土壌化の進まない砂地深部に、線上、点状に空気の通りを作り、そして有機物漉き込みによって土壌化促進のきっかけを作っていきます。



 漉き込む有機物は、保安林内の落枝や枯れ木の他、市内でゴミとして回収された、庭の剪定枝葉を大量に用います。ここでは大型回収車満載、12㎥ほどの枝葉を運び込みました。
 これらが大地を再生する欠かせない資材になることを想うと、落ち葉や剪定枝葉までもが大地に還元されることなくゴミとして焼却されてしまう、そんな戦後の日本の在り方は一刻も早く転換されなければならないと感じます。



 土中への有機物漉き込み作業中。
掘削した残土も、林内に起伏を付けて表層の水が動いて浸み込みやすい微細な地形つくりに活かします。



 保安林を縦断する車道沿いを掘ると、縁石際で行き場を失った松の根が横に走っています。そしてここでも砂地の土壌化は見られません。
 この根の動き方からも、土中の水脈もここで分断されていることが分かります。



道路際の高低差を活かして土壌中の水と空気の動きを促すべく、道路際を掘削します。



そしてそこに、枝葉を絡ませながら柵を立ち上げていきます。



 道路際の枝絡みによる縁切り柵。この側面から通気することで、土中の水と空気を動かし、土壌化促進を促します。
 この枝絡みは1~2年程度で土に還りますが、その頃までにはこの表層は細根で覆われて土壌となり、そしてそこに新たな地表が生じて地形を支えることでしょう。

 こうした一連の作業によって、これまでごく浅い表層でしか土壌化されなかったこの場所が、土中深い位置にいたるまで木々が細根を伸ばして呼吸でき、そこで土壌生成が進行し、松を中心とした海岸林が、厳しい環境にも病虫害にも負けずに健全に育ってゆく、そんな環境つくりを目指します。




 これは隣県である富山県の海岸松林です。特に冬の季節風の影響を受ける日本海岸では江戸時代以降、各藩によって、暮らしを守るための海岸松林が盛んに造営されました。

 江戸時代の優れた松林の風景は、白砂青松という言葉で表現されるように、日本の原風景の一つにもなりましたが、今残る海岸松林の多くは近年に造営されたものであって、その質も風景も、かつてのものとはかけ離れたものであることを認識する必要があります。

 そもそも、なぜ松が、海岸林の主木として適するものとして用いられ続けてきたか、その原点を考える必要があります。
 クロマツは、地下水の滞りのない環境であれば砂地にも根を土中深くに降ろしていき、その長さは最大で10mにも達します。そんな樹種は日本には他にありません。
 その上、潮風に強く、そして気候や土地への適応範囲がとても広いがゆえに、人間にとっても非常に扱いやすい樹種でもあるのです。
 また、健康な松は、他の樹種とは比較にならないほどのたくさんの樹脂が樹幹内を流れ、穿孔虫にも強く、さらには樹幹の粘りが強いため、健康な松であれば津波の勢いをも和らげてしまうほどの力を持つのです。
 近世以降、大型化した家屋を支える重要な横架材である梁材には決まって松が用いられたことからも分かるように、松は他の樹種には到底及ばない、そんな強さを持つがゆえに、海岸最前線の防風防砂林の主木として扱われてきたと言えるでしょう。

 今の日本でも、海岸松林は風致上、あるいは防災上、手厚く保護育成されているところがたくさんありますが、木々が健康に生きていける元環境から育成、あるいは再生するという視点を持たずに打たれる様々な方策はすべて意味が薄く効果もなく、形ばかりの松林はかろうじて残っても、それは今や、かつて日本人が愛した健全で空気感のよい、我々の暮らしの環境を力強く守ってくれたかつての本当の松林とは全く異なることを知る必要があります。

 松林についてはまた、別の機会にどこかでお話ししたいと思いますが、本来の健全な松林とは、決してマツだけの林ではなく、高木である松の下に様々な広葉樹、下草の共存する、「松を中心とした林」だったことは間違いありません。
 今、そうした環境全体を考えず、ただ単に松だけを人工的な対処をしてでも活かそうとするその考え方が、自然環境の衰退・脆弱化につながっているという、ごく単純なことに早く気づいて方向転換していかねばなりません。

 今回、新潟市において、海岸松林の再生を、その元環境から健全化するための試験的な取り組みが、日本で先駆けて実行されるに至りました。 

 こんな取り組みが結果を出し、、そして全国に広まっていけば、かつてのように人と自然と共生できる、新たな未来へと道が開ける、そんな可能性が見えてくるかもしれません。

 ほんの小さな取り組みですが、未来へ繋ぐ新たな一歩になることを信じて、今後この海岸松林の再生の道筋をつけることができるよう、注力したいと思います。



 改善作業直後の松林試験区。次々に枯れ続けて荒れてゆくこの森が、今後どのように変化してゆくか、時間の経過が楽しみです。

 同時に、人間のやることなど、完全なことは何一つなく、今後も経過を見ながら、どう手をかける必要があるか、あるいはそのまま自然に任せていけばよいものか、その都度現場で感じ取り、対処してゆくことがなにより大切だと感じます。

 今回の仕事に関わる中、とてもたくさんのことを学ぶ貴重な機会となりました。


 今回また、新潟市以外の様々な松林を調査する中で気づいたことはまた、別の機会に紹介したいと思います。

 この素晴らしい取り組みの実現に関わられたすべての方に、心から感謝申し上げます。どうもありがとうございました。




  
 






投稿者 株式会社高田造園設計事務所 (2015年11月22日 15:33) | PermaLink