雑木の庭,造園のことなら高田造園設計事務所へ
HOME>雑木の庭つくり日記

雑木の庭つくり日記

高田です。無事退院いたしました。    平成25年2月5日
 高田造園設計事務所の高田です。半月の入院生活を経て、本日退院いたしました。

 入院中は、お客様方々はじめ、友人、知人、仕事仲間の皆様には、本当に温かなお見舞いのお言葉をいただきました。
 この場をお借りして、この上ない感謝の気持ちを申し上げます。

 先の見えない入院生活の中、皆様の温かな言葉が何よりの救いとなり、日々感動と感謝の思いに包まれながら、無事、五体満足で退院することができました。

 病気の経過、そして入院生活の中での想いを少々ご報告いたしたいと思います。

 1月22日の夜、右足の激痛と高熱、脱水症状の中、事務所から救急車で病院に運ばれました。
 救急外来に担ぎ込まれた時は、40度の高熱と右足の腫れと脱水で、全く動くこともできないまま、CTはじめ様々な検査機器に通されました。
 着替えもできず、そのまま点滴に繋がれ通しで、足の激痛と高熱で眠れない夜を過ごしました。

  病状は重度の蜂窩織炎との診断でした。足の傷口から細菌感染して、右足全体の皮下に広がり、足はパンパンに膨れ上がりました。
 40度の高熱は4日間下がらず、血圧もかなり低下していたために解熱剤も使えず、また、当初の3日間は抗生剤の点滴も全く効かず、右足は腫れ上がる一方でした。ご飯も食べる気力もありません。
 体力を消耗し、さすがに少し弱気になりました。

「もしここで死んだとしたら、自分の人生はなんだったのか。まだまだあと30年は仕事したい。世の中のために、自分をもっともっと活かしきりたい。まだまだできる。まだまだやることたくさんある。ここで死ねるか。」

 仕事仲間やお客様が心配してお見舞いに来てくれたり、電話してくれたり、そうしたことが涙が出るほどありがたく、胸にしみました。
 こうした苦しいときほど、人の優しさが心に深く浸みわたり、数年分の涙をこの2週間で消費したように思います。
 入院してから5日目あたりから、症状は改善の兆しを見せ始め、熱も38度台まで下がってきました。

 まだ激痛と闘っていた頃、小2の息子が、たくさんの折鶴を病室に持ってきました。
「パパが入院してるから・・。」と、学校で休み時間に一人で鶴を折っていたら、「私も手伝う。」 「僕もやる。」と、クラス中の子供たちが息子の折鶴を手伝ってくれて、ものの2日で何百羽もの折鶴となったのでした。
 息子からこんな話を聞いて、大泣きしない父親がいるでしょうか。

 折鶴には、小学生たちの元気がたくさん詰まっていました。そして、折り鶴が届けられた日、ちょうど入院して10日目、その日にやっとベットから立ち上がることができたのです。

 筋肉は衰え、硬直し、自分の体重の重さを実感します。
その後、まだ炎症も微熱も残るものの、痛み止めを飲みながら日々リハビリに励み、そしてなんとか無事、退院するに至りました。

 今はただ、五体満足でまた仕事ができる喜びに満たされております。壊れた足の筋肉が従前のしなやかさを取り戻すには、あと数か月はかかると言います。
 必ず治して、またバリバリ仕事し、そしてまた山にもバリバリ登りたい。
 そして、心配してくださった方々、仕事の無期限延期を快く了承してくださったやさしいお客様方々のためにも、しっかりと養生して鋭気を養い、いのちの限り、誓って四恩に報いていかねばなりません。
 その一心で無理せずにリハビリに励もうと思います。

 それにしても、働き盛りのこの年で、半月もの間リタイヤを余儀なくされることになるとは思ってもいませんでした。 
 これまで私は、健康には人一倍自信を持って、人に倍するペースで生きてきました。
 その人生が、病気という、自分の力ではどうにもならない自然のなりゆきによって、一つの転機を迎えるのでしょう。
 
 こうして病気を経験し、これまで見えなかったことがいろいろと見えてきたような気もしています。
 もちろん、病院にはたくさんのご年配の入院患者さんがいて、それぞれ病と闘っています。いえ、「闘う」というより、病や体の故障と一緒に生きてゆくための折り合いをつけようとしているといった方が正しいでしょう。

 病は決して戦うべき相手ではない、今回の経験で、そんなことを感じさせられました。
 実際に自分が故障をきたし、そして数か月の後遺症を持つこととなり、病も故障も、排除すべきものではなく、自分の人生にとって神様から与えられた一つのステップだと、そんな風に思います。

 病室からは斜面林の木々を望むことができ、そしてその木々の合間から朝日が昇ります。毎朝、合掌しながら朝日に感謝を捧げます。こんな気持ちで朝日を望むことなど、普段のせわしない日常生活の中ではなかなかできることではありません。
 神々しいまでの病室での日の出の瞬間、自然のリズムに身をゆだね、そして感謝を持って朝日を望むとき、自然のままに受け入れて生きてゆくことに対するためらいもこだわりも、まったくなくなってゆくのを感じます。

 体が元気になってくると、おなかが減ります。3食の病食が、とても楽しみになります。食べ盛り働き盛りの私にとって、病院の食事は本当に少なく、毎日精進料理を食している気になります。
 待ち遠しい食事、そしてまた、ごはんを食べられる喜びに感謝し、合掌し、いただくのです。

 そして、心配して連絡くれる方々への感謝、病院の方々への感謝、日々感謝の中で不思議と心は平穏に満たされていきます。
 日々、1日1日を大切に、そして人の心を大切に、そう生きていかねばならないこと、自分がどれだけ人に恵まれ人に支えられて生かされてきたことか、そんなことを強く感じさせられます。

 また、これから迎える超高齢化社会。私たち心身の健常者は今後、生涯の間に一人当たり何人かの介護をする必要が生じることでしょう。
 体が動かせず、自分のことが何もできないつらさやみじめさ、不自由さは、経験しないと分かりません。私の場合、足を常に上げておかねばならず、下におろすとたちまち耐えがたい激痛に襲われたため、まさに寝たきりでした。何もできないのです。
 今、自分がこうした立場を経験したことは、いずれやってくる身内の介護の時に必ず役に立つと思うと、この経験を与えてくれた神様にも感謝の念が起こります。
 
 そして退院して、また大好きな仕事をさせてもらえることに対する幸せ、まだ生かしてもらえるのです。 
 まだまだ私は、世の中のために、やらねばならないことがあるということなのでしょう。与えられた役割があるのでしょう。
 生かされている限り、喜びと感謝に満たされて、自分のすべきことに励みたいと思います。

 さて、こうしてみそぎを終えて、帰ってまいりました。
 実際には、主治医の先生にかなり無理を言って退院を早めてもらった経緯もあり、まだまだ以前のように率先して現場作業にあたることは当面はできませんが、毎日現場で采配を取って行きたいと思います。
 また、こんな状況だからこそ、若い従業員たちを育てる大きなチャンスかもしれません。

 さて、煮えたぎるエネルギーを胸に、報恩の気持ちを持って、次世代に本当の宝を伝えるために、仕事に励もうと思います。
 応援くださった皆様、本当に本当にありがとうございました。

高田宏臣 合掌


 
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 (2013年2月 5日 13:04) | PermaLink