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雑木の庭つくり日記

黒部川源流紀行 完結編          平成27年8月13日


 入山して2日目、澄んだ青空のもと、黒部川源頭部の名峰、黒部五郎岳に登頂します。
遠くに見えるのは槍・穂高連峰です。
 北アルプス連峰主脈の中心に位置するこの山頂からは、360度の大パノラマが広がります。




 南方に、噴煙を上げる御嶽山が望めます。火山爆発は終息しても、こうしていまもなお、数百メートルに及ぶ噴煙が立ち上っている姿を遠望します。



 黒部五郎岳の北側斜面には、夏でも溶け尽くすことない広大な雪渓が点在します。これこそが、富山平野の豊かな生産力と土地再生力を数千年の時を超えて支え続けてきた、黒部川を中心とする水脈の源です。



 黒部五郎岳に限らず、黒部源流となる稜線下では、広いU字型の谷地形が刻まれています。
 ここは1万年くらい前までは分厚い氷河におおわれていて、その氷河の移動によって岩が削られ、こうした圏谷(またはカール地形)と呼ばれる、ヨーロッパアルプスを彷彿とさせる、高山特有の地形が生じます。
 
 この上部に今も、万年雪となる雪渓が残り、その雪解け水がカール中心の谷筋を流れ落ちていきます。これが夏でも冷たく清らかな水脈の発端となるのです。



 雪渓から浸みだす冷たく清らかな水は、多くは大地にしみ込み、地下の水脈を通りつつ、そして一部は地表を流れて谷筋の空気を冷やしていきます。
 そして谷間の水が作る地表の温度差が空気の動きを作り、地形に応じて複雑に入り組む植生を育むのです。



 白い雪は夏の強い日差しを吸収せずに反射して、いつまでも溶けずに地を覆います。、こうした白い雪渓の笠の下で、地温によって溶けた膨大な水が徐々に地にしみ込み、下へ下へと移動していきます。



 雪解けの岩場に点在して覆うチングルマや、



ミヤマキンバイなどの高山植物のほとんどは氷河時代の生き残りで、当時陸続きだったロシア極東部や樺太、カムチャッカの野草に共通します。



 小さな植物たちはこんな厳しい高山の岩山にも土壌を生成させていき、清らかな水を蓄えて、雪渓の水と共に絶えずその水を、人の暮らす平野部にまで送り続けているのです。
 そしてその清冽な水のとめどない動きが、流域の水と空気を引き込みつつ、土中に空気を送り込み、それぞれの環境に適応したにぎやかで変化溢れる健全ないのちの営みを育み続けてゆくのでしょう。



 雪に閉ざされる期間が長い、こうしたカールの底面には、高山性の草本群落が広がります。冷涼な気候の高山の草原はところどころ湿原の性質を帯びて、その表層土層に膨大な水を貯えます。



 中部山岳の稜線付近では、周囲からの流入水の得にくい高い位置にも、こうして池塘が点在します。
 雨が降らずともなかなか枯れることのない池塘の水は、高層湿原の特徴です。

 夏でも冷涼な気候に支配される高地では、低温のために植物の遺体は十分に分解されずに半分解の状態のまま、泥炭と呼ばれる黒いスポンジ状の土層が堆積していきます。
 泥炭層が厚くなれば水を蓄えてその株に不透水層を形成し、こんな高地の草原にあって枯れることのない自然の調整池となるのです。



 高山の地表断面は、こうした泥炭層と風化土壌とが層状に堆積している箇所が多く、このことが、高山の厳しい環境で繰り広げられる、風と水と雪とが作るダイナミックな変化を感じさせます。
 高山草原と高層湿原を繰り返しながら、大地に土層を刻んで、その性質の違いから複雑な水の動きを生み出して、そしてこの地で様々ないのちの営みを許容する可能性を育んでゆくのでしょう。



 そして、ちょっとした地形の変化によって水の動きは大きく変化し、それによって植生も大きく変わります。
 そのわずかな地形変換線となる境界部分は、高山の厳しい環境で深くえぐられて縁が切られ、そこに水と空気の通り道が作られて、それがお互いの領域へのインパクトを緩和して、それぞれの領域における環境を区切り、植生を見事なまでに分かつのです。

 そして、若干の傾斜を持って高位を得た面は、ここではチシマザサを中心とした群落が広がります。
 そのチシマザサを含め、草原はまるで刈り払われたように整然と、低い均等な高さで密生し、まるで動物の毛皮のように土壌を覆って地表を露出から守っています。

 このきれいな刈り払いこそが、高山を抜ける風の仕事なのです。

 競争して上へと伸びようとする植物たちも、その土地の土壌の質や量によって、上部へとあげられる養分も水も制約されます。こうした栄養の乏しく有機物土壌層の薄い高山では特に、ある一定の高さよりも上には、勢いの弱く細い新芽しか立ち上げることができなくなります。
 これを、高山の強風が撫でるように刈り取っていくことで、こうした刈り込みのような整然とした地表のマントが形成されるのです。
 そして、風が上部を刈り取るという作用が恒常的に行われることで、植物はその環境を把握し、受け入れて、その環境条件の下で生きようとすべく、根の徒長成長を諦め、地上部の高さに応じた根の位置で細根を盛んに出していきます。
 そして地表に密生した細根は土壌を浸食から守るだけでなく、しっとりした細かな隙間から水を浸透させて土中に蓄えられやすい状態を作ってゆくのです。

 風が行う植生の制御、水や土の管理、そしてそれが土壌生成に大きく寄与して、この土地の恒常的な生態系を作り上げてゆく、そんな自然の摂理に改めて驚嘆します。

 こうした自然の摂理を人間社会に応用し、本当の意味で人と植物との共存関係をつくってゆくことで、どれほど人の環境は豊かで快適なものになってゆくことでしょう。

 今後は再び自然に学び、人の都合で自然を強引に制御しようとするのではなく、人も木々も草葉も生き物たちも健康に共存していける、そんな地球を目指すべく、生き続けたいと誓います。



大地の水が植物の作る細胞のような土壌の中をゆっくりと移動して凹地に集まり、そして沢筋が生まれます。ここでは風と水の微妙な動きの違いによって、沢筋にダケカンバ林を形成しています。
 植物たちが必死に生きる森林限界付近では、ちょっとした環境の違いで地表の様相が大きく変わる、そんなダイナミックないのちの営みを肌身で実感します。



 そして入山3日目、高山に囲まれた天上の楽園、日本最後の秘境とも言われる雲ノ平を望みます。
 雲ノ平は黒部源流の高山の山稜に囲まれて、池塘と岩と高山植物であふれる、北アルプス核心部の山上の草原です。
 そしてこの山域こそが黒部川源頭部となります。黒部川は広大で肥沃な扇状地を潤して息づかせて、そこに豊かな土地を作り、大地を浄化しながら富山湾へと注ぎます。
 
 11年ぶりに、水の楽園 雲ノ平を訪ねます。



 懐かしの地、雲ノ平を歩くにつれて、11年前とは確かに違う異変に気づきます。
 大地が乾いているのです。



 雲ノ平の木道沿いのかつての池塘はほとんどが枯れ果てて、そしてその底は乾燥してひび割れまで起こしているのでした。

 清らかな水をたたえて輝いていたかつての雲ノ平の記憶をたどるものにとって、この光景はすぐには理解できないほどの衝撃を与えます。



 山小屋の若い従業員に、「いつから水が消えたのか」と尋ねると、「しばらく雨が降らないから。雨が降ればまた水が溜まる」との答えでした。
 
 それは違います。高山や高緯度地域などの冷涼な湿地の池塘は、単なる水たまりでは決してありません。

 水を通しにくい厚い泥炭層に守られて周囲の草原のわずかな絞り水を集めてめったに枯れることのない、それが高層湿地の池塘です。
 そして呼吸する大地の高山では、晴天が続くと言えども、夜の間に雲が再び地表に降りて大地に吸い込まれ、あるいは草葉に付着して水滴となり、それがまたゆっくりと地上と地中を動きながら池塘に水分を供給するため、清浄な水がなかなか枯れずに存在するものなのです。

 そしてこの高層湿原の池塘こそがその地の水分バランスをコントロールして高山の命の絆を豊かにしてきたのです。

 それが実際に、この10年の間に池塘の水が簡単に枯れてしまう環境へと変わってしまったのです。
 おそらく、温暖化に起因する生物環境の変化の結果なのでしょう。

 乾燥してひび割れた池塘の底を見ると、すでに泥炭は分解されて通常の細粒土壌と成り果てていたのでした。
 氷河期以降の数千年のこの地のバランスまで、わずか10年の間に急速に壊れた様子を目の当たりにし、愕然と力は萎えて言葉を失います。
 山に力をもらいに来たのに。



 
 気を取り直して歩き出すと、水を蓄えた池塘に出会います。しかしそれはもはや、かつての清冽ないのちの水ではなく、淀んで腐った停滞水となっていました。

 この池塘脇のハイマツ(写真左側)は、滞水によるヘドロ化と有機ガスの影響で枯れ始め、周囲には滞水の地に優先するイワイチョウが覆い尽くしていました。

 まぶたに残るかつての楽園、日本最後の秘境と呼ばれたこの地も今や、あっという間に壊れてしまったことを知りました。

 もちろん、新たな気候環境が継続すれば、自然界はそれに見合った生態系を再構築してゆくことでしょう。
 しかし、今後もさらに、急激な気候変動は加速度を増してゆくことを想えば、その急激な変化に対して、どれだけ自然は対応してゆけるものなのでしょうか。

 人間の想定域を超える、そんな生き物の存立危機事態がすぐ目の前に来ていることを、雲ノ平の環境激変が教えてくれます。



 そして吉良アルプス核心域の雲ノ平を後にしてひたすら谷間へと下ること3時間、断層の合間を抜けるような黒部川本流に抜けます。
 山中に会って圧倒的な水量を誇る黒部源流は今もなお、力強く命を育むその役割を果たしているようにも感じます。



 下山後の帰路、安曇野の大王わさび農場に寄ります。安曇野の原風景のような風景が残されるこの地は北アルプスからの膨大な湧き水を導いて戦前に作られた日本最大規模のわさび田が広がります。
 ここはまた、黒沢明監督の映画「夢」の第8話、「水車のある村」の撮影がこの地で行われたことでも知られます。ここには今、年間120万人もの観光客が訪れる、安曇野随一の観光地となりました。


 
 
 一日に12万トンと言う膨大な湧水は年間を通して水温摂氏12度程度と一定で、ワサビの生育に非常に適した環境を作っています。
 今から100年近く前の機械のない時代、この広大なわさび農場開拓と共に地形造作による治水工事が人の手によって行われ、その結果、100年近くたった今に続く、美しい安曇野の原風景が作られたのです。

 美しい地域独自の原風景はこうして作られてきたのです。

 まだまだ書き足りない、感動多い実りある旅となりました。旅先で、頭の中はフル回転し、そして自分の生き方、仕事に対する熱い情熱が再び沸き起こります。
 あと数日で今年の後半戦が始まりますが、またいろいろあることでしょう。出会い、学び、そして良き社会を再構築するため、力と智慧を尽くしていきたいと願います。

 最後に、この大王わさび農場百年記念館で見かけた言葉をここに記して、旅報告を締めくくりたいと思います。

「自然の力こそ

誰もが、ひそかに流れる地下水が、いったいどこから来て、どこへ去るのかを知らない。
とにかく誰も、地下水のルーツをつまびらかには知らない。

 人は自然の恵みをあまりに当然のこととして享受してきたようです。
ところが最近になって、産業間や自治体間に水利用の競合が激しくなり、その結果、ようやく地下水のルーツに関心が高まってきて科学のメスが入れられるようになりました。
 しかし、十分な科学的調査、研究が行われる前に、安曇野は激変の時を迎えることになります。
 今やだれもが地下水や河川の汚濁、枯渇に気付くようになったのです。

 これは終わりではなく、むしろ大変革の始まりでさえあります。(このことは20数年も前から同じように言われ続けてきました。)
 ともすれば歴史的所在である風土が、つかの間のうちに滅んでしまう可能性さえもっているのです。

 つまり、人知の結集であるはずの近代化は、時として、優れた風土を踏み台にして、のし上がることがあります。

 自然と、先人たちの合作である秩序を簡単に破壊してはならない。

 安曇野の大きな包容力や優れた風土は人知によって、さらに育成、強化されねばなりません。

 そんな願いを込めて、ささやかながら、「大王わさび農場百年記念館」からのメッセージとして、ここに結びたいと思います。」


 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
水と風のふるさと紀行 黒部源流の旅(その2)  平成27年8月12日


 満天の星が降り注ぐ夜明け前に太郎平の山小屋を出立し、稜線上を歩きながら、おごそかな夜明けを迎えます。
 日々平等に繰り返される新しい一日の始まりというものが、これほどまでに静かで荘厳なものだということも、忙しない日常の暮らしの中ではついぞ忘れてしまっているということに気づきます。

 真夏といえども3000m近い稜線上は肌寒く、静かで、雲も小鳥たちもそして風にわずかに揺れてざわめく草も木も、世界の全てが夜明け前のこの、神秘的な時間をかたずをのんで見守っているようです。



 夜の間に谷間に帰って静かな雲海の眠りについていた雲たちも、夜明けの足音を敏感にかぎつけて、ざわざわと動き始めるのです。
 


 遠くの空では、日の出の瞬間を今か今かと待ちきれないかのように背を伸ばした雲の先端が、生まれたばかりの今日の朝日をいち早く浴びて、ピンク色に染まります。
 そして太陽が奏でるリズムのもと、それまで眠っていたように静かだった雲はむくむくと起き上って、人間や多くの生き物たちと同じように、一日の活動を始めるのです。

 これが3000mの高山、天上の世界の日常です。

 地球上のいのちをつかさどって指揮するのは太陽の仕事、その熱が空気を引き揚げて動かし、そしてすべてを流れるが如く調和のリズムで回転させていき、まるでオーケストラのようにいのちの謳歌を奏でるのです。



 稜線の向こうから今日の太陽が顔を出しました。日に向けて、合掌します。
 ありがとう、これからも、、ずっと。
 山上の夜明けを目の当たりにする人たちはここで、一人の人間という、この地に生かされる存在に戻るのです。

 今日の朝日に手を合わせて向かい合う中、7年くらい前に通っていた吉野山金峯山寺の山岳修行を思い起こします。
 朝3時に麓のお寺を出立して山岳を回峰し、そして日の出を迎えて手を合わせ、お経を行じ、今日の恵みに感謝し、力を頂く。人はその心持ちを忘れてはならない、人が人であるために。
 そんなことに改めて気づかされます。




 朝の光が草原を静かにきらめかせて、限りないいのちの美しさに見とれます。夜露に濡れた草花たちの輝き。なんという美しさ。

 夜の間、冷えた上空の空気の重さに押されるように、空気中の水たちは、その多くは大地に帰っていき、空気と共に土のしとねに潜り込んで眠りにつきます。
 そしてその一部は大地に潜り込むことなく、昼夜の温度変化の少ない草や枝、谷間に潜んでそこで気体が液体となり、そして眠りにつくのです。
 山上の雲は夜の間谷間で眠り、そして草葉の上で水滴となってまた一夜、安らかな夜の眠りにつくのでしょう。



 朝の日差しが地表を温めはじめると、谷間で眠っていたような雲たちも、にわかに一日の活動を始めるかのように動き始めます。
 それと同時に、地中に潜って眠りについていた空気もまた、地上に湧き出して、しっとりした心地よい土の香り漂うそよ風となって移動していきます。

 地中と地上の空気と水は、こうして行き来しつつ、いのちの世界の営みを育み続けてきたのでしょう。



 そして、夜の間静かに眠っていた谷間の雲は、日差しを浴びてまるで渡り鳥のように足早に移動を始めるのです。

 これが自然の姿です。
 すべての生きとし生けるものたちを息づかせて動かす水と空気は、太陽の指揮の下で空と大地、地上と地中を日常的に行き来して浄化され、一日一日が新たな営みとして再生されてきたのです。それこそが、地球の営みであり、いのちの営みと言えるのでしょう。

 こんな世界を久しぶりに目の当たりにすると、子供のころの夏の記憶が思い出されます。
 もう、40年近く前のことですが、今もその頃の身近な自然の営みがありありと鮮やかに浮かびます。

 キジバトの声の下、澄んだ朝日を浴びて動き出す爽快な空気、草場の夜露に濡れながら夜明け前から友達と待ち合わせて虫捕りに熱中した夏休みの日々、夕方の虫の音、そして静かで涼しい夜の褥に、昼間のにぎやかな虫たちも鳥たちも共に眠りにつく実感、そんなものが身体の記憶として自分の細胞に刻まれていることに気づきます。

 コンクリートに覆われて、そしてエアコンの廃熱が地表を覆う人工環境の中、空気と水はどこで安らかな眠りにつけるのだろうか、そんなことを考えて重く沈みそうな心を、山の爽やかな空気がやさしく慰めてくれます。

 固く傷んで命を失った大地はもはや、空気と水が日々帰るべき安らぎの家とはなりえないのです。
 都会の夜の空気と水は、帰るべき家を失ってさまよう人のように地表に停滞し、そして疲れて淀んだ朝を迎えてなお動かぬ、湿度の高い不快なモヤがコンクリート世界を漂います。

 大人が作ってしまったそんな環境の中に生きることを強いられる多くの子供たちを救いたい、そんな想いに体が熱くみなぎります。
 都会の空気と水が人の心の原風景の中で当たり前になってしまえば、何を基準に正しい判断がなせるというのでしょう。

 山で迎える夜明けは今も新鮮で美しく、人として、自然として、あるべき摂理を語りかけてくれます。そしてそれは、自分が人間である以前の記憶をも思い起こさせてくれるように感じます。
 人間である以前の記憶が活きている限り、こんな時代でも人は道を修正できる、いのちが共に輝く世界を再生できる、そんなことをこの日、山が教えてくれたのです。



 さて、爽やかな山の空気を感じながら、黒部川のふるさとを目指して歩き続けます。
今日はここまでにして、そしてまた、旅紀行その3に続きますので、次回も是非、根気よくお読みいただければうれしいです。

 日々の忙しさを離れて束の間の長期休暇です。こんな時間が誰にでも必要なのでしょう。心と体を解放させてあげて欲しいと願います。そしてそこから聞こえてくる、自分の真実の声に耳を傾けること、それが人が良く生きるための大切なことだと感じます。




投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
風と水のふるさと紀行 黒部川源流の旅(その1)  平成27年8月11日


 ここは富山湾、昭和初期に行われた、魚津港建造の際に発見された魚津埋没林です。
 2000年前の杉の原生林が富山湾岸の海底に眠り続けていたのが、今もなお水中にあって、当時の木質と精気を衰えさせることなく、その一部が2000年間の眠りと同様の条件で、北アルプスからの地下水脈の流水に守られながら保存されています。

 魚津埋没林は日本の屋根北アルプスの広大な地下水を集めて流れる黒部川の最下流部、片貝川の汽水域にて、2000年前の河川氾濫と海面上昇が複合して埋没した杉の原生林の名残です。
 たまたまここは戦前の港湾建設の際に発見されましたが、それ以外にも今もなお周辺一帯に埋蔵されており、その痕跡は、2000年前からの環境の変化を現在に伝え続けているようです。

 それにしても、2000年もの間、海底浅瀬に埋没しながらも、当時の杉の巨大な根が朽ちることもなく、新鮮な姿で残ってきたのか、その鍵となるのが、北アルプス連峰から豊富に送られ続ける清冽な地中水の動きにあるのです。

 埋没林の周辺では、3000m級の峰々から流れ落ちる膨大な水が海辺の扇状地で湧き出し、一部は地表を流れ、そして多くは地中の流れとなります。そしてその流れは大量の酸素を常に土中に送り込みつつ大地を浄化し、その清らかさと雪渓に端を発する低温を保ち、それが埋没林の海中に滾々と流れ続けてきたのです。
 これが単なる海底浅瀬の埋没林であれば、2000年どころか数百年程度でほとんどが朽ち果ててしまうことでしょうが、膨大な水量の湧水が常に供給されるこの海域特有の環境ゆえに、2000年前の巨木の森の名残をこうして今に伝えるに至ったのです。



 2000年前の大地の環境の下で巨木となった杉の根は、今にもむくむくと動き出しそうなくらい、力強い精気を感じさせます。
 その精気に打たれて心は震え、涙が目頭までこみあげてきます。
 この巨木の根は数千年の時を超えて今もなお、大地の循環に帰してゆくことなく、清らかな水脈に守られながら、木としての凛然たるいのちの力を今に伝え、そして見るものにかつての大地の力を浴びせかけ続けてくれているのです。
 太古の大地の力強さを想う時、今の時代を生きる私たちの生き方暮らし方、人間としての在り方を根本から問い直される思いに突き動かされます。

 数万年、数千年の時の流れというものは、人の一生から見ると長いようにも感じますが、地球の歴史から見るとほんの一瞬の出来事で、その中で地球は変遷し、プレートがぶつかり合って隆起沈降を繰り返し、陸が海になり、そしてまた陸地が生まれ、絶えず変化し続ける地球上のほんのわずかな表層で、いのちの営みが繰り広げられ続けてきたのでしょう。

 海底に埋没した2000年前の巨木林の名残は今もなお、あまりに多くの摂理を語り続けているようです。

今回、黒部川河口域からその源流を訪ねる6日間の旅の中で、全てのいのちの源となる水の動きを追いかけます。



 そしてここも黒部川河口域、入善町の杉沢と呼ばれる天然杉林で、沢スギと呼ばれます。
海岸沿いの低湿地でありながら、黒部川が作る扇状地末端の湧水に端を発する水脈沿いに、昔から沢杉と呼ばれる杉林が成立してきたのです。



 杉沢の森の中では、常に大量の地下水が湧き出して清らかに流れ続けています。
 杉は本来、湿地にも乾燥地にも生育しにくく、健全な山の斜面谷筋などの肥沃で湿り気がある土地によく生育しますが、沢スギがこのような海岸低地の沢地に生育してきた理由はこの、高山から供給されて大量に溢れ出す湧水にあるのです。
 常にこんこんと流れ続ける清冽な地下水が土中に大量の酸素を供給し、それが樹林の呼吸を支えてきたのです。

 大地を流れる水脈こそが、あらゆる命を育む大地の血管と言っても過言ではないでしょう。
 そしてその水の多くは地表ではなく大地の中を流れ、そしてときに表面に川となって現れます。
 自然界の事象を理解するためには、目に見える川や沢と表裏一体の、目に見えない地下の水の動きに注意を払う必要があります。

 健全で力強い水脈こそが豊かな自然の呼吸脈であってその土地の豊かな再生力を生み出すということは、この地で昔から経験的に知られてきたのか、あえて湧水の水路を掘って流水を良くし、杉が育つようにしている、人による水脈誘導の痕跡も見られ、かつての智慧の深さに感じ入ります。



 深山の趣を感じる清らかな森の様相はとても海岸沿いの低湿地とは思えません。
 この森の面白さは、奇妙な形状でたくましく生きる杉の木の佇まいにあります。林内にくねくねと曲がって伸びるほっそりした幹はなんと杉なのです。

 豪雪地帯のこの地では、杉のような重たい葉を蓄える樹木は、その生育段階で幾度も雪に埋もれて倒伏します。
 曲がった形状はこうした風土環境に適応した沢杉の姿と言えるでしょう。



 くねくねと曲がって伸びる沢杉の幹が雪につぶされて地に接すると、そこで根を出し、そして新たな幹を上へとのばしてゆくのです。
 こうした樹木再生の在り方を、伏状更新と言います。この厳しい風土の中で適応し、生きる術を身につけたがゆえに、この地で天然の杉林が生育し、そしてそれはこの地に生きる人の暮らしに活かされ、長い間この地に暮らす人たちによって大切に守られて続けてきたのでしょう。



 柔軟で不思議な形状のこの森の杉たちは、植物と動物の境目を感じさせないほどの躍動たる、いのちのたくましさを感じさせてくれます。



 海岸沿いにこんこんとわき出す清冽な水が、この豊かで地域特有の森を育み支えてきました。
 かつては入善町海岸付近の湧水沿いに沢杉の森は無数に点在しており、その面積は合計140ヘクタールに及んだと言われますが、今ではこの杉沢一カ所、約2.7ヘクタールのみとなってしまいました。
 多くは昭和37年ごろから始まった、圃場整備事業によって伐採され埋め立てられ、整然と区画された水田へと姿を変えられていったのです。



 日本の風土は、昭和30年代後半から50年代にかけて、農山村含めて大きく変り果てました。
 なだらかな起伏豊富な自然地形はこうして平坦に造成されて、整形的な農地として整備され、そして湧水のうち地表の水はコンクリート水路にて直線的に排水されています。
 その一方で膨大な量の地中の水は、一部は新たな水脈を自然に再生して海に流れ、反面に多くは土中に滞水して生き物環境の呼吸を妨げてしまい、本来豊かだったこの地をますます弱らせ続けてしまっている、それが現実の姿なのでしょう。
 
 長年の間、この地の自然環境と共存しながら豊かな命を育んできた本来の環境は、今はほとんど見られません。
 戦後に全国的に始まったその土地特有の風土やを無視した開発、土地利用の在り方は、今も大筋で何も変わりませんが、近い将来必ず方向転換していかねばなりません。

 圃場整備と機械化、農薬除草剤肥料の大量使用による戦後の農法は、一時的には確実に収量を高めましたが、その土地の自然環境を破壊し負荷をかけ続け、大地の絆と循環を妨げ、自然本来の生産力を悪化させ続けるこんなあり方の先に、子供たちに伝えるべきどんな未来があるというのでしょう。

 「コンクリートに覆われた田舎に誰が帰りたいっていうの?」見聞きしたそんな言葉が脳裏にかすめます。



 そんな中でも、杉沢付近の森の近くには、湧水を誘導する素掘りの溝が掘られ、空気と水の通る健全な環境がわずかに見られ、その空気感が心を慰めてくれます。
 心地よく、ひんやりした土の香りは、地中と地表の空気循環が生み出します。空気の流れも水と同様、地表ばかりではなく、見えない地中との行き来をも想定していく必要があります。
 そして、五感を研ぎ澄ませば、空気と水が健全に流れる本来の心地よさを私たちは思い出し、感じ取ることができるのです。

 素掘りの水路を伝う水は周辺土中の余分な水を集め、そして乾燥時には周辺土壌に水分を供給し、大地の環境を潤すのです。
 人が掘った手掘りの溝は有機的でほほえましく、そして自然の理に合致して共存しています。こうした名残を見るにつけて、傷んだ大地はまだ取り戻せる、そんな希望を感じさせられます。

 杉沢の杉とその周辺の環境は、わずか数十年前に奪われていったかつての美しい人と自然の営みを今あらためて偲ばせてくれます。



 そして今回、黒部川最源流の水源山域を踏査すべく、標高1300mの入山口に車を置いて歩き始めます。ここから丸4日間の山籠もりに入ります。



 黒部源流は、北アルプスの核心部最奥の高山に端を発します。その水源の山々に登るには、奥飛騨側、信州側、富山側とのかつての3国からのルートがありますが、今回は富山側、標高1300mの折立登山口から入山します。

 透き通る青空と冷涼な森の空気が体と心を吹き抜けていきます。



 登り始めてしばらくは深遠な森の中を行きます。
 日本の屋根、北アルプスにおいても最も深い山域を目指して登りつつ、力強いいのちの営みを感じます。
 心に留まったのがこの巨木。地上2m以上の位置から根を下ろしています。これは枯死した巨木の上に落ちた実生が根をおろし、周囲に生い茂る熊笹との競合から解放されてすくすくと伸びていったのです。
 深い山中ではごく一般的な光景ですが、多くの人に伝えたい、いのちの営みです。
 林内に降り注ぐ木々の実生、その多くはクマザサなどの深い林床植生に埋もれて消えてゆくのが宿命なのですが、そんな中、枯死した巨木や倒木で浮き上がった巨大な根などが腐植して、しっとりしたスポンジ状になった状態の場所に幸運にもこぼれ落ちた実生がすくすくと伸びて根をおろし、そして次代の巨木となって森の環境を守る担い手となってゆくのです。
 適度に腐植してスポンジ状になった植物遺体は、通気環境的にも透水環境的にも、あたらな命にとって非常に適した心地よい生育環境を提供します。そこに落ちた実生は様々な競争にさらされてなお強く勝ち抜くアドバンテージを得るのです。

 こうした森の営みと新たないのちの再生の在り方を、マウンド更新、あるいは倒木更新と言います。
 つまり、朽ちた木が土に還ってゆく過程で新たな命を育む、「いのちのゆりかご」となるのです。



これは倒木の巨大な幹の上に生育する木々。おそらくここにこぼれ落ちて根付いてから、50年以上の歳月を経ているのではないかと推測されます。
 それなのに、今もなお、この倒木遺体は朽ちきることなく苔に覆われながらも幹としての形状を保ち、そしてその上に新たな木々の命を育み続けているのです。



 そしてこれは根返りして倒木したシラビソの幹が、隣の立ち木にひっかかることによって完全な倒伏を免れ、そして生き続け、たくましく新たな幹枝を再生させています。
 深山で繰り広げられる木々のいのちの営みとたくましさは見るものに負けない力を与えてくれます。
 地球上のいのちが本来持つ、生きようとする力、それこそが未来への希望となり、人知れず空間に清浄な力を漂わせ続けているのです。
 久しぶりに帰ってきた、そんな心境に浸ります。



そして森林限界を超えると一気に視界が開けます。



 稜線に抜けるとそこは風と雲の世界です。夏山の午後、高山の稜線では、快晴の日であれどもこうして雲が上がってくることが通常です。
 芝生のようにも見える緑のじゅうたんは、高山の寒風が撫でて作った息づく大地の証です。
 高山の草原とハイマツ帯とが地形に応じて整然と見事に住み分けて、水と空気の微妙な動き方の差異にによって繊細に変化する限界域の植物の営みを注意深く観察し、様々なことに気づかされます。


 感動と会心の旅の報告は、まだまだ続きます。
いつもに増して長くなりますので、いったんここで区切らせていただきます。
 後ほどアップさせていただく予定の「旅報告その2」を、どうかご期待くださいませ。

 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
浜名湖畔の庭 環境改善工事終了   平成27年7月30日


 ここは中部山岳地域の膨大な水脈を集めて流れる天竜川下流域、遠州灘に面した汽水湖 浜名湖です。
 昨年の秋からこの湖畔丘陵地で始めた造園工事がようやく終了しました。
 毎月工事のためにこの地を訪れる度、早朝に宿舎からほど近い浜名湖畔を散歩しながら、自然が息づいていた頃の古き良き浜名湖に思いを馳せます。
 そんな日々もこの工事終了と共に思い出に変わってゆくと思うと、最終日の朝の散歩はひとしお感慨深いものがあります。



  浜名湖畔でも、この辺りはまだ、近年の自然環境の急速の悪化からまるで取り残されたかのような、そんな清らかさをも感じさせられます。
 湖畔にせり出す森の様相も、かつては湖畔全体で当たり前の光景だったことでしょう。周辺の森から供給される大量の有機物が汽水湖の生態系を豊かなものへと育んできたことでしょう。
 そして生き物は陸地と海とで繋がって、豊かな風土環境を成立させていたことが想像されます。



 周辺の森からの清らかな絞り水が浜名湖に注ぎます。こんな光景もこの湖畔では他にはほとんど見られなくなってしまいました。



 湖畔への道すがら、足元の草むらはいつもカサコソと、小さなカニが音を立てます。人が通り過ぎるまでの間、穴に隠れたり草むらに逃げ込んだりと、つぶらな瞳で横歩きのかわいいしぐさで和ませてくれます。
 これも陸と海とが繋がる本来の生き物環境ならではの光景だと思うと、生き物環境を顧みずに無機的で暴力的な殺風景な開発がとどまることのない今の日本に生きる辛さを感じます。



 早朝の5時ごろ、周囲のミカン畑はミツバチのにぎやかな葉音が鳴り響きます。大地から鳴り響くようなミツバチの葉音と柔らかな朝の陽ざしは、私の五感の記憶の奥底から思い出されて、生き物にあふれていた子供の頃の野山の光景と重なっていきます。
 私の地元では、おそらく6~7年くらい前から在来のミツバチが激減して、そして今年の夏以降はほぼ全滅してしまったかのような印象があります。
 朝日に響き渡るミツバチの大合唱は大地の調和の音色のような印象を持って、懐かしく心に響き渡ります。



 湖畔の谷地。粘土質で礫を多く含む土壌環境が、わずかな高低差の中にも急峻な地形を刻み、それが汽水湖畔に豊かな森を育んできたようです。



 そして、谷地の農地と周辺傾斜地との、地形傾斜の変換線とも言うべき境界部分には素掘りのが掘られて、周辺の土中の水が絞り出されて清らかに流れています。
 大地の中の水の動きを当たり前のように知る、先人の知恵の辺々がこの地で見られ、そうした人の営みによって、今もなお、この地にいのちの気配残る息づく自然環境が残されてきたように感じます。

 山側の絞り水を際で絞り出すことによって、土中の水と空気の動きを活発化し、土壌中に空気が送り込まれ、木々の根も土中生物も深い位置まで活発に動き、そして豊かな土壌の生きもの環境が育ってゆくのです
 そして湿地だった平坦部分も、水が滞りなく動くことによって、人が田畑として利用できる環境が生まれます。
水脈造作で人も自然環境も共に潤う環境が作られる、それこそが本来の持続的な人の在り様だったと、こうした光景を目の当たりにするたび、そう感じさせられます。




 ほんの40~50年前くらいまでは、当たり前だったこうした光景も、昭和40年代以降に急速に進んだコンクリート化によって、全国的に大地の呼吸不全は進行し、それに伴って土が劣化し、乾燥し、そして無機的で潤いのない、健康とは程遠い環境ばかりが今もなお、増え続けています。

 取り残されて生き残る、そんな美しい大地の欠片を浜名湖畔で拾ったようなうれしさとともに、この有機的な世界がいつまでも残されて、そしていつか人の心の芽を開いてゆく、そんなきっかけとなって、自然環境が、そして人の心が再生されてゆくことを祈らずにいられません。



 さて、昨日、湖畔の丘陵地の造園工事がようやく終了しました。
 昨年の9月からかかり始めた工事ですので、実に10カ月越しの完成です。
 ほぼ毎月、月に3日間程度のペースでじっくりと、水脈改善の効果を確認しながら、工事を進めてきました。

 家屋背面の山から湧きだす水脈が、コンクリート擁壁やU字溝などによって、土の中で行き場をなくして滞り、それがこの地の土壌環境を極度に悪化させていたのです。
 そこで今回の造園工事の大半は、その水脈環境の改善に費やすこととなったのです。
 
 大地の生き物環境は見えないところで急激に悪化しております。そんな中、私たち造園に関わってきたものにとって、今後は、これまでのように目につきやすい表面的な造形や、庭としての視覚的な完成にばかりとらわれるのではなく、目に見えない大地全体のいのちの環境、呼吸環境と言う部分から、大地の環境を再生してゆくという視点が求められることでしょう。

 この地は30年前の開発以降、長年にわたって呼吸不全に陥って極度に傷んでいた大地の環境改善ですので、作業は幾多の困難を極めました。
 数回にわたる工事のやり直しを経て、今はすべての問題を解消し、この地の自然環境は、たった数か月前まではここが、ヘドロに覆われて有機ガスで充満する、ぬかるんだ土地だったとは思えないほど、豊かな生物環境が醸成再生されつつあります。



 改善工事完了後の家屋全景です。背面に巨木林立する丘を背負っており、ここはちょうど大きな谷の地形となります。
 その谷地形を作ったのは水の流れでありますので、ここには小川が存在したことは疑いの土地がありません。
 その小川をつぶしてコンクリートU字側溝を作った時点で、土中に水が停滞して腐り、それが木々や大地の呼吸不全を進行し、こんな環境であってなお、湿地のように腐り水の停滞する、そんな住環境を作ってしまったのです。
 こんな大地の環境においては、いくら表面的に美しくつくろっても、決して健康な住環境など生まれるべくもありません。



臭くぬかるんだこの地の工事はまず、山際で土中の停滞水を吐き出すことから始めます。



 本体の谷間、水脈の中心だった場所には30年前の宅地開発時にコンクリート擁壁が作られました。この擁壁によって空気と水の流れが滞って土壌生物環境を悪化させて木々の根を傷め、裏山の巨木たちの樹勢を落とし、そして行き場をなくした水が停滞してヘドロと化して、土壌はさらに不透水化するという、そんな悪循環が続いていたのです。



今年の冬の間に、擁壁沿いに溝を掘ってそこに炭と泥漉しの枝葉を敷き詰めて停滞した土中の水と空気を動かして水脈再生を試みたものの、数か月後にはそれも滞って有機ガスを発生させてしまいます。



そして数か月後、再び人工水脈を掘り返し、擁壁裏の停滞水を誘導します。



 擁壁際を掘り進み、コンクリート基礎の下まで掘ったところでようやく、擁壁背面の水が勢いよく流れだす水脈に到達しました。毎分20リットルはあろうかと思えるほどの、かなりの水量でした。
 これがはけず、長い間地面の中に滞留していたのです。



 水は流れていてこそ、様々ないのちを養いますが、こうして停滞してしまえば、土も植物も健全に呼吸できない状態となって土壌は悪化し、悪臭漂うヘドロと化していきます。
 ここもまた、広大な土地が土壌の通気不全によってヘドロ化していたのです。
 生き物の通気環境を顧みない開発や造成がますます大型化する昨今、もはや自然の再生力ばかりではどうにもならないほどの環境悪化が見えないところで進んでいる、日々そうした環境悪化を目の当たりにする造園者として、そのことに立ち向かい、そしてそれを伝えていかねばなりません。



この停滞水を導く水脈再生のために、エアースコップを用いて土中に空気を送り込みます。ちょうど、血管が細って滞りが生じた患者さんに対してカテーテルで拡張するような、そんな外科的治療にも似ています。
 大地も人も、そしてすべての生き物も、円滑な空気と水の流れがあって初めて命が繋がるもの、こうした作業を通して自然界の真理に触れる思いを感じます。



 本当の意味での大地の水脈再生のためには、山からの絞り水を徐々に浸透させながら、そこにあったであろう地下水脈へと誘導してゆくべきなのです。
 しかしながらここでは、上部の擁壁による湧き出し水の遮断に加えて、下流部もこうしてU字側溝と道路によって遮断されてしまっているのです。

 実際、川などの地表に現れる水は陸地における水の流れの中ではほんのわずかであって、例えば地球全体において地表流は地中を流れる水の総量のわずか4800分の一という、信憑性の高い推計が報告されているのです。

 土中の水の動きを考えることの重要性はそこにあります。U字側溝などで目に見える部分の水さえ処理すれば地面の中はどうでもよい、そんなやり方は必ず見直して、なるべく早いうちに方向転換しなければなりません。
 大切ないのちの循環が完全に消滅してしまう前に。

人間が作ってしまったこうした環境では、地中に浸透しきれない土中水は、道路側溝のコンクリート枡を壊してそこに流すしか、方法はありません。



 そして、コンクリート枡の側面の一部を壊すと、勢いよく泥水が吹き出し、そして徐々に安定した清流へと変わっていきます。今は飲めるほどにきれいで冷たい地下水が、枯れることなく流れ続けています。
 
 試行錯誤の末に、この地の呼吸不全はこの水の動きを健全化することで解消されていったのです。



山側の水脈改善作業中。



 造園工事終了後。山際の水路は通気性のよい石積みによって保護し、そして今は滞りのない風が山から抜ける、心地よい空気感に一変しました。



敷地下流部、改善工事中。



 工事終了後、この駐車スペースの下をながれる水脈の水音が、まるで水琴窟のように心地よく、常に鳴り響きます。



 この駐車スペースの下には大切な水脈があります。その水脈の詰まりを持続的に防ぐためには、この駐車スペースの緑化と根による泥漉し機能が求められます。
 そこでここでは、多孔質で保水性の高い瓦再生チップに木炭を混入してノシバを播種し、緑化を試みています。
 おそらく、この秋までにはうっすらと芝がはびこることでしょう。
 植物の力、自然の力を借りてこそ、人は持続的で豊かな環境を作ることができる、人がなしえることの限界、分というものを再びわきまえることこそが、これからの社会の持続のために深勝となることでしょう。



 水路を渡る足元の景。



 水と空気の流れる庭、この庭における水脈再生によって、周囲を取り囲む木々の呼吸も改善されて、まるで完成を祝福してくれているような晴天です。



 この仕事を通して、痛めつけられた自然環境を再生すること、健全な環境を取り戻すことこそが、そこに住む人の健康にもつながること、そんな大切なことに改めて気づかされました。

 長い期間にわたってこの取り組みを見守ってくださったお施主のKさん、そして地元で全面的に施工協力くださった、浜松市、新進気鋭の雑木の庭師、ナインスケッチの田中俊光さん、この場をお借りして心からの御礼を申し上げます。
 
 長きにわたって本当にありがとうございました。







投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
いのちの息づく庭環境つくり   平成27年7月2日


 梅雨の長雨の合間を縫って進めております相模原市、丹沢山系の水を集める宮ケ瀬湖の畔、Iさんの週末暮らしの庭つくりが、あとわずかで完成となります。
 雨続きでなかなか記録が撮れないため、まずは1週間前の晴れ間の際の庭の様子から紹介いたします。



 相模原市内在住のIさんご夫妻は、震災以降、自給的で自律的な暮らしの必要性を感じられ、そして2年ほど前、ご自宅や職場から車で1時間程度の距離の山間地に土地を入手し、週末暮らしのための家を建てられました。
 この住処は平常時は週末の癒しと半自給的な暮らしの場として、そして同時にそれは、災害や社会変動などの非常時の際には避難暮らしの住まいとなる、そんなスペースを求められました。
 
それはいわば、ロシアでは今も約8割ほどの国民が所有する「ダーチャ」の日本版とも言える一つの形であり、Iさん夫妻はダーチャの必要性を感じて、この地の暮らしの拠点作りを始められたのです。




 自給的暮らしの根本は、その土地の自然環境の中の一員として、周辺自然環境を意識的に育成しながら利用してゆくこと、他にはあり得ません。
 長い間、人の暮らしはその土地の自然環境を健全に保ちつつ、豊かで多様な大地からの収穫を得て、その土地の暮らしが成り立ってきました。

 人は大地に向き合うことを忘れると、いつのまにか自分たちのいのちの源たる周辺環境を壊し、そしてそれがその土地の気候をも取り返しのつかないほどに変えてしまい、それまでの暮らしを支えてきた豊かな大地の環境基盤を失ってしまうことは、世界の文明の歴史の中でごく自明の理なのです。

 そんな現代社会の暮らしの在り方に疑問を感じ、自然に回帰して矛盾の少ない暮らしをせめて週末だけでも志そうとされる方が、最近非常に増えているように感じます。

 そうした中、私たちは、自然環境再生を主眼とした造園の仕事を通して、そして今後1~2年以内に本格的に活動してゆく予定のダーチャサポートプロジェクトにおいて、現代の暮らしの中で多くの人が忘れてしまった自然の理や共に生きる喜びを力いっぱいサポートしていきたいと思います。



 造園工事に伴う植栽や空間造作を進めながらも、この土地の造成や建築工事などによって傷んだ大地の通気浸透環境の改善作業を並行して行います。
 ここではエアスコップという道具を用いて空気圧で横溝を掘りながら、地面の中の細かな通気脈を通して、土中に空気を送り込むことによって、締め固められて呼吸できなくなった土中環境を改善していきます。

 「いのちの基本は土壌環境にある」といっても過言ではありません。
 土中生物環境が深い位置にまで豊かになれば、この土地が支えられるいのちの総量も種類も格段に増えていき、多様な生き物環境が、この土地の生産力や人の健康をも左右します。
 呼吸する大地の環境再生、数十年前まではあまり考える必要のなかったことからきちんと対処していかねばならない、それ程今は、全国的に大地の環境全体が深刻なまでに病んでしまっていることを実感します。



 敷地西側のコンクリート擁壁の際も念入りに空気を送り込み、溝掘りによる微細な地形落差を設けていきます。
 コンクリートなどの均一素材による直線的な擁壁は、水抜きの処理を施してもすぐに土中は詰まって生き物環境を痛めてしまうことは、擁壁沿いの雑草植生の違いを見ていけば明らかです。 
 自然はきちんとそれを目に見える形で教えてくれます。それを注意深く読み取ることが、自然との共同作業でいのちの環境を再生してゆくうえでとても大切なことになります。



 庭の中では、植栽のための盛土部分と庭スペースの平坦部分との際を中心に、エアスコップによって溝掘りします。このわずかな地形落差で、土中の水と空気が動き出し、その後自律的に生き物環境が改善されてゆくのですから、感動と喜びを伴う仕事です。
 それも、重機やスコップで人工的に掘るのではなく、まるで風の通り道が風洞を穿ってゆくように、エアを送りながら植物根を傷めることなく、石や硬い土を避けて柔らかな土を削ってゆく、風が年月をかけて成し遂げる作業に習って自然に掘ってゆくところに、高い改善効果が生まれるのです。
 掘り方一つでも、自然に習う姿勢を持つことでいろいろと教わることがたくさんあるのです。



そして、溝の途中に縦穴を掘り、竹筒を差し込んで通気を取りながら、縦方向の空気と水の流れを作っていきます。



 こんな地形落差であっても、周囲の土中の絞り水が集まるため、溝底に木炭を敷いて泥水や滞水による土中の目詰まりを防ぎます。



 縦穴の周囲は枝葉で泥の流れ込みを緩和し、縦方向の円滑な通気性を保ちます。



 そしてそ横溝にも剪定枝葉を絡み合わせて、通気層の泥詰りを防ぎます。この有機物が様々な速度で土と同化してゆく過程で植物根を誘導し、枝葉が消える頃には、植物根がとって代わって通気脈の維持と保全を担うのです。
 



芝張り後、ウッドチップの溝が通気脈の仕上げです。地形の際を中心に表面水が浸透しやすい環境を整えてゆくことで、土中の水と空気が即座に動き始め、大地の健康を支える多様な生き物たちが活動しやすい環境が自律的に再生に向かうのです。
 この造作によって、大雨の後でも水は円滑に大地にしみ込まれて滞水することがありません。

 また、有機的で生き物にとっての健全な環境つくりに配慮して作られた空間は、清涼な空気が動き、人にとっても健康で心から休まる環境となるようです。

 写真奥の雑草のマルチは、この庭のメインとなる自然菜園です。



 庭空間の配植や形状に合わせて、曲線状の自給菜園スペースを二つ。畝も曲線状に作ります。
 自然農園では、一度つくった畝をその後耕すことなく、土環境を自然に育てながら使い続けますので、最初の形状が大切です。



そして、菜園マウンドを刈り草や落ち葉を堆積した腐植によってマルチしていきます。



 完成後の菜園マウンド。この庭の刈り草や落ち葉は当然、この菜園マウンドの表層環境保護や土づくりに活かしながら、この畑の土壌生物環境を豊かに育てることが、すなわちそのまま、健康な収穫に直結していきます。
  自然環境に負荷を与え続ける一般的な慣行農業の在り方も、自然農の普及によって変わらざるを得なくなってゆくかもしれませんが、まずは一人一人が生き方を見直していくことが大切です。

 安全な食こそ、健全な体と心、健全な考え方と人間性を育むもの、まずは大地を育み、そして生き物たちと共にいのちの糧を得るという、これまで何千年となく地球の先人たちが行ってきた尊い営みを、こんなところからも思い起こして感動を得て欲しいと願いを込めます。



 古民家の解体で得た材料を組み合わせて作った庭の作業小屋。右奥には落ち葉や野菜屑をストックして腐葉土化する落ち葉ストックがあります。



 薪棚の屋根には、ちょうど茅葺き屋根の解体時に発生した屋根防水用のヒノキの皮がたくさんあったので、それを重ね合わせて屋根葺きにします。
 いずれはこの土地の土に還ってゆく素材ばかりで作る庭では、土、石、木といった自然界の三要素が材料の主役となります。

 そこにある自然の恵みを活かして衣食住を構成する知恵、それこそが人が忘れてはいけない大切な知恵の源のように感じます。



 落ち葉や枝葉屑は生き物環境つくりに欠かせない大切な資材です。堆積して発酵させた腐植の中には、活きのいいミミズやカブトムシの幼虫など、たくさんの生き物たちがあふれています。



 この腐植によって木々の根元をカバーしていきます。
 通気性のよい土壌環境下においては、根元の土を露出させておいてもすぐに山苔が地面をカバーしていきますが、最近の環境下では健全な苔が生えにくい場所が増えてきました。それだけ大地の環境が大きく劣化している証と言えるでしょう。
 病んだ大地環境の再生は私たちの大切な役目になります。こうした場所では植栽後の土を露出させることなく、山の地肌のように腐植によってカバーすると、土壌生物にとっても木々の根にとっても無理なくその土地になじんでいきます。



腐植によるマルチ後の根元の表情。大きく呼吸したくなるような心地よい山の香りが漂います。



 敷地際の法面は竹のしがら編み柵によって自然な形状に戻していきます。竹しがら柵は3年程度で腐朽して、その後は草木の根が代わって地形を支えて自然で安定した風景へとなじんでゆくように配慮しています。



 裏側スペースの足元は炭とウッドチップ敷きによって、雑草の進入を誘います。うっすらと雑草が低い高さで覆うように管理していくのです。
 庭の完成は、実はその後の環境再生のスタートなのです。



 造園工事の完成まではあと少しですが、実際にこの地が風景として育ってくるのは実はそれからなのです。ここでの暮らし、自然環境と人の営みが、かつての日本のように美しい風景が育まれてゆくことを願います。

 また、余談ですが、今の時期は手入れ仕事も集中します。天候も定まらず、お待たせしておりますお客様、長らくお待たせして申し訳ございません。順に廻っていきますので、お待ちくださいますようお願いいたします。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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