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雑木の庭つくり日記

こども園野草舎の造園・環境再生工事 着工  平成28年2月14日


 ここは茨城県鹿島市。新設こども園、「野草舎森の家」の園舎が竣工し、4月の開園に向けて、造園および、傷んだ大地の環境再生工事に着手しました。

 このこども園は広大な北浦畔の丘の上に位置し、鹿島神宮から続く鹿島市三社詣りの古道沿いに位置し、豊かな自然の恵みを受けて古くから人の営みが連綿と続いてきた、そんな場所だったのです。

 この園舎がたてられる以前まで、この土地は自給的な菜園、果樹園として、伸び伸びと利用されてきたこの土地も、大規模園舎の建築工事に伴い、どうしても自然環境に対して悪影響を与えてしまいます。
 今回、造園工事と並行して、劣化した土地の再生に取り掛かります。



 建築工事によって傷んだ大地は、もはや雨水も円滑に土中に浸透することなく、表層を泥水が停滞し、大地をますます劣化させてしまいます。

その土地の生き物環境を支えうる大地の豊かさは、土地が有する大地の呼吸環境の健全性に由来します。
 大地の呼吸環境とはすなわち、土地本来が作り出す通気浸透環境であり、大地が自律的にうみだす健全な環境では、おおよそどんな雨でも表層の泥水流亡は起こらず浸透し、そして地中の水脈を通過して濾過浄化された清水が湧水となって放出されます。
 そして雨水の浸透と共に、空気も土中に引き込まれて、それによって土中のあらゆる生物活動が健全化し、さらに土壌環境は連動的自律的に豊かに育まれていきます。

 一方で、そんな大地の呼吸に全く配慮せず、効率優先で行われる今の建築土木工事において、大地の呼吸環境は確実に劣化してしまいます。
 これからの時代、美しい地球と私たちの子孫がこの大地に生き続けてゆくために、そのことを知り、こうした開発行為によって蹂躙された土地はきちんと、人の手によって再生しなければなりません。
 呼吸しない大地のもとでは本来の健全な心身はなかなか育まれることはなく、健全な大地こそが健全な心身を育みます。まして、幼い子供たちの大切な数年間を過ごす環境は、不健全なものであってはならず、本来の健康な自然が見せてくれる様々な表情の中で、人としての健康な心と体の基を育んでいきたい、野草舎森の家の理念はそこにあります。
 
 歴史ある鹿島の里山に新設される野草舎森の家、今回、この地の自然環境と共に生きてこられた理事長、園長の想いによって、この地のこれからの営みの中、百年、千年の森が健全に育まれる本来の豊かな環境を取り戻すべく、徹底した環境再生のための工事にかかりはじめました。



 園舎周辺の里山は乾いた様相を見せており、この表情から、すでにこの地は健全な呼吸環境を失っていることが分かります。



 旺盛に密集して伸長するシノダケの表情からも、地中に硬化した不透水層が新たに形成されていることが分かるのです。
 事実、おおよそ大地の健康度は、視覚、足触り、土の香り、空気感など、人の五感で充分に感じ取れるものであり、今、多くの現代人は、その土地に生きてゆくための大切な感覚を見失ってしまっているようです。
 こうした自然の表情が実際に何を現わしているか、そして息づく美しい環境を取り戻してゆくために何をすべきか、その確かなノウハウと感覚を今こそたくさんの人に知っていただきたく、このブログにて報告いたします。。



 園舎周辺の土中通気浸透改善のため、掘削から始まります。



 案の定、地下30㎝より下は固く締まった土層となり、そこにはシノダケの根すら進入できない、そんな土層が1m以上も続きます。

 表層わずか30㎝足らずの範囲で植物根が苦しげにせめぎ合い、その土中の詰まりの様相が周辺の密集したシノダケの様相に反映されていたのです。



 園舎周辺の要所で硬板層を掘り抜きます。



 周辺の荒廃放棄地から刈りだしたシノダケも、大地の環境再生のための貴重な材料として運び込みます。



 シノダケばかりでなく、周辺林から伐採木や枯れ枝等をかき集めます。これらの有機物が、大地の再生のために欠かせない役割を担うのですから、こうした有機物がごみ扱いされて処分される今の文明の在り方について、いつも考えさせられるのです。



 有機物ばかりでなく、今回解体した外周のブロック塀のコンクリートガラも、これも大切な環境改善資材として余すことなく利用するのですから、私たちの環境再生にはほとんどゴミなど発生することはありません。
 すべてが循環の中に還してゆくという発想は、人が今後も地球で生き続けてゆくために、とても大切なあり方となります。
 大手緑化資材メーカー等が製品として作り出す高価な資材など、本来全く必要はないのです。スクラップ&ビルド、大量生産大量消費、大量廃棄、開発競争の末の未来には負の遺産しか積みあがらないのです。



 園内は、植樹と共に土中環境改善作業を進めます。
植樹地の下層硬化土層を掘削し、そしてその脇に必ず、土中縦方向に水と空気が動いてゆく深い通気浸透孔を穿ちます。その深さ約2m。大きな建築負荷のかかって荒廃したこの土地では、そこまで掘らねば自律的な環境改善にはつながらないのです。



 建築前まで柔らかで水はけのよい自給的な畑地だったこの土地も、建築後には木々の根も生き物も生育できない硬化した土に変貌してしまうのです。
 この、通気浸透環境を根本的に改善することなく、単位植栽部分の土を入れ替えても数年でその土も硬化し、健全な環境へと再生されることはありません。



 植栽部分の周囲に通気浸透の縦穴を掘ります。



 縦穴に周辺から集めたシノダケや枯れ枝など、有機物を絡ませて、空気の通り道を確保します。
 これによって、硬板層の下にまで空気と水の動きを誘導します。絡ませて埋設した植物材にはたくさんの好気性微生物や菌類などが繁殖し、雨水を濾過していくのです。
 有機的なこうした暗渠に埋設する植物材は単なる泥漉し材ではなく、土中生物活動を再生して水を浄化するという本来の機能を活かすのです。



 雨どいからの雨水管に切れ目を入れて、その浸み出し水が縦穴横溝に埋設した植物材を通って浸み込むようにします。



現代の建築基準で設置された雨水浸透桝は、砂埃が濾過されずにパイプを通って、人工的な透水シートから周辺に浸透させようとしますが、人工的で無機的なこうした浸透層は数年で目詰まりするばかりでなく、浄化されない汚濁水を土中深部に誘導することで土中に不透水層を作っていきます。
 こうして、浸透しない不健全な大地が広がっていくのです。
この浸透ますを一つ一つ改善していきます。



 植樹地は、木炭、枯れ枝幹などの有機物と破砕ブロック片などで土中に空間を作りながら埋戻していきます。周辺の縦穴は、土中の植物材の気抜きにもなります。



そして、有機物やコンクリート片をサンドイッチしながら土が圧密されないように埋め戻していきます。



 埋め戻した植樹マウンドの表情。黒い粒は竹炭で、今回の工事でおそらく3000~5000㍑程度の竹炭を用いることになります。



 そして、埋め戻した植樹マウンドの上に、樹木の根鉢を配していき、土を戻していきます。



こうした植樹によって、土地にはかなりの地形起伏が生じ、植樹部分はかなり高くなります。この高低差が地表にも地中にも多彩な水と空気の動きを生み出し、自律的な環境再生に繋げてゆくのです。



 土中環境を改善しながらの植樹は遅々としたもので、6~7人による真剣勝負の作業でも1日に3マウンドの植樹がやっとです。
 それでも、ここまでやれば、いずれ健康に育ったこれらの木々が、この地の改善をさらに進めてくれると思うと、とてもやりがいのある尊く充実感溢れる作業に感じます。



 そして翌日の寒い朝、2mもの深さの竹筒から白い蒸気が立ち上っているのが見えるのです。
 これこそ深い位置から土中の空気が動いている証で、大地の呼吸が取り戻されつつあることを示唆していました。
 こうした地道な再生作業によってこの土地の環境は本来の豊かに息づく環境へと年々育ってゆくことでしょう。



 さて、この工事はまだ始まったばかりです。今後、この土地がどのように変わってゆくか、なるべく詳細に報告していきたいと思います。



 さて、余談になります。連日の季節外れの温かさで、庭のユキヤナギが開花の前に葉を開いてしまいました。
 冬は、植物の地上部はじっくりと休息し、そして一年の活動に備えて土中の根をゆっくりとのばして体制を整える、本来そんな時期なのです。
 それが、今のような荒々しい気候下で、植物は痛み、本来の眠りすら許されず、健康を害してゆく、それがここ数年、全国的な植物環境劣化に少なからず反映されているように感じます。
 どうすべきか、僕にはわかりません。でも、明日を信じて、自然の声を聴きながら、そこで学んだ大切なことを人に伝えたい、そして少しでも、大地の環境を息づかせていきたいと、そう思うのです。



 春の陽気に導かれて、我が家の自然菜園は一気に青々と、早春の花が開花をはじめました。時期外れの風景ですが、自然はおそらく、そんな私の憂いなどみじんもなく、自然界のリズムの中でいのちの営みを繰り広げるばかりです。

 ロシアのベストセラーで世界中で翻訳されている、ウラジミールメグレ著「アナスタシア」の文中にこんな言葉があります。

「あなたが住んでいる社会は、ダーチャで育てられている植物と交信することで、多くを学べる。それにまず気付いてほしい。
 ただ、あくまでもそれは、育てている人が植物を熟知しているダーチャだからできること。愚かなモンスターのような機械が這いまわっている人間味のない広大な畑ではむり。
 ダーチャの菜園で土いじりをするととても気分がよくなって、そのおかげで多くの人が健康になり、長生きしてきたし、心も穏やかになる。
 技術優先主義で突き進む道がいかに破滅的かを社会に納得させる、その手助けをするのがダーチュニク。」


 

 生き物豊かな土壌環境が育つ我が家のダーチャ菜園の向かいには、大型トラクターで耕耘される農地が広がります。
 トラクターによる締固めと表層の耕耘は土中生物環境をリセットしてしまう上、耕耘深さの下に、機械の重さによって耕盤という、不透水層を形成していき、徐々に大地はいのちを養う力を減じていきます。そうした畑ではもはや、農薬や化学肥料に頼った不健康な生産しかできなくなるのです。
 さかんに耕耘が行われたのはここ数年ですが、その間にその奥の山林のネザサは密集して苦しげに背丈を伸ばし、藪と化していきました。
 この光景こそ、この畑地の土中通気浸透環境が劣化してしまった証なのです。

 しかし、こんな場所でも、植物たちは健気にも環境を安定させて再生していこうとするのです。
トラクターの全面耕耘にとってできた筋状の、微細な盛り上がった線、そのわずかな筋に沿って、春の野草が広がります。
 耕耘して土壌の構造が破壊された土はすぐに風に舞い、雨に流されて安定せず、そんな場所では土地は安定せずになかなか良質な表層環境は生じないのですが、それでも、この筋状のわずかな起伏によって、その筋周辺だけ土中の空気が動き、土がわずかに安定してそこから野草が根を降ろし始め、さらに土地を安定させていきます。

 いずれまた耕耘されてしまうのですが、それでもまた、大地は常にこうして再生しようと働くのです。
こうしたこともすべて、植物たちが教えてくれます。日々、きちんと大地を向き合うこと、それを取り戻すことが今、何より大切なことと感じます。

 
 




投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
千葉市中央区の庭 主庭の竣工    平成28年2月9日



  久々の庭つくり紹介です。地元千葉市内での造園・環境改善工事が、本日完了いたしました。
 ここ数年、じっくりとブログを書く時間もなかなか取れず、更新間隔がかなり空いてしまうようになりました。
 なにぶんにも、心の底から人に伝えたいことが多すぎて、ついついいつも長大なブログになってしまうため、なかなかその時間を作るのに一苦労するようになってしまったのです。
 そこで今回は、解説を極力省略して、完成直後の庭を写真にて紹介するにとどめさせていただきたいと思います。

 お施主のIさんは数年前に住まい南側に面した空き地を購入したのです。
 そこに小鳥や様々な生き物が共に暮らせる四季折々に生き生きと変化する庭・自然環境を再生したいとの想いで、数年前に相談いただきました。
 そこに、単なる景観ばかりの庭ではなく、大地が呼吸し、そして様々な生き物がここで生々流転を繰り返しながら変化してゆく、そんな環境の再生を心がけました。
 完成写真で紹介できるのは本当に形ばかりとなりますが、この庭が3年後、そして10年後、さらには数十年後に、畏敬の念を感じさせてくれるまでの精気あふれる自然環境へと育ってゆくよう、様々な見えない配慮を尽くしております。
 が、今回はその、土中環境再生作業工程の紹介は省略させていただきます。。。



家屋から一段下がった主庭にいたる動線から。



 家屋と庭の伝い。



 家屋前から一段下がったデッキテラススペース。



 家屋側からデッキ越しの主庭スペースの景。



 奥に向かって傾斜のある敷地ですが、意識的に地形起伏を設けながら、空気の動きやすい空間配置に配慮します。その結果として、変化の感じられる庭空間が生まれるのです。



庭園内の回遊路。



 もう一つの庭のテラススペース。ベンチはちょうど大人が十分に足を延ばして昼寝できるサイズ設定です。
 庭の奥、土中の水と空気が最も動く場所に設けたこのテラスでは、夏にはたくさんの生き物たちの気配と共に、ひんやりとした土の香りを感じる、癒しのパワースポットとなります。



 もう一つのベンチスペース。この庭は2つのデッキを含めて4カ所のテラススペースがあり、庭を回遊しながらそれぞれの空気感の違いを感じていただけるよう配慮しています。



 庭の泉のような水栓スペース。コナラの幹を用いて周囲に溶け込ませています。



 道路からの進入路側、駐車スペース側の園路から主庭を垣間見る。

 葉を落とした冬の庭空間ですが、それでも枝影が空間を優しく揺らします。
久々の庭紹介でした。
 今、私にとって庭は見た目の景観ではなく、いのち息づく空間の空気感を第一に考えて造作します。風の通り、土中に浸み込む水の動き、、その土地がいのちの宿る環境として育ってゆくこと、それがすなわちそのまま、本当の意味で健康で力をもらえる暮らしの自然環境となるのです。






投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
南紀の旅その2 中世の庭園と吉野の桜に想う  平成28年1月26日
  つい先日に新年を迎えたかと思ったら、もうすでに大寒も過ぎ、早春の訪れも足早に、まるで後ろから追いかけてくるようです。
 今年もすでにひと月近く、仕事を進めながらも昨年に増して様々に、今この場で自分がすべきことを、こつこつと進めております。
 時間の使い方、優先順位はこれからますますタイトになってゆくことと思いますが、思うことを先延ばしにできるような時代でもなく、なんとか、少しでもよい未来、よい生き物環境を伝えていけるよう、できることは何でもしていかねばならない、そう心に決めて歩んでおります。

 さて、お待たせしました。懸案だった南紀紀行の報告、第2弾です。



 ここは伊勢の国 美杉町に残る中世の名園、北畠氏館跡庭園。伊勢国随一の名園として知られる山中のこの地は今もなお遠く、今回ようやく宿願だったこの庭園に立ち寄ることができました。

 北畠氏館跡庭園、それは建武の新政の夢かなわずに潰えた後醍醐天皇の重臣、北畠氏の館跡、室町時代末期に造営された、室町末期の代表的な名園です。



 庭園の背後の山腹斜面は、かつて北畠氏の山城があった霧山山頂へと続きます。そしてその尾根道の中腹に、かつての北畠氏の居城がありました。そんな居城、山城の麓にこの庭園は造営されております。

 一般的にこの庭園は、1530年頃、当時の伊勢国司 細川高国によって作庭されたというのが通例ですが、実際にこの地に池泉が造営されたのはおそらく、それよりもはるか以前、それこそ北畠氏がここに居城を構えたころからの生活排水濾過施設だったことが、遺構の配置から容易に理解できます。
 
 かつての暮らしにおいて、特に200年以上もの間、南伊勢一国を支配した大名の居城において、相当なる人数がこの険しい山中に滞在していたわけで、そこでは大量の下水や生活排水を円滑に処理する必要が生じます。
 今のように、浄化槽や下水処理施設を通して海や川に流すという、安易な方法ではなく、かつてはきちんと、大地に還元して生き物環境の中に還し循環させるため、居宅周辺に巡らせた素掘りの溝を通して浸透させ、そして山中の湧水と共に麓山際の池泉に集め、そして澄んだ水となって敷地外の河川へと流れていきます。
 土中に浸み込んだ生活排水は様々な生き物に栄養を与え、生き物環境を豊かに育み、そして様々な生物の作用によって浄化されて清流となります。
 特に、常に清冽な水と空気が地下水となって動き続ける山畔においては、大地の浄化力は高く、こうした場所に生活上必要な池泉を設けることが、通例だったと言えるでしょう。
  
 健全な山畔の谷部分を掘れば、その下の水脈に到達して水が湧きだします。清冽な地下水は、土中に空気をも流し込み、土中生物や草木の根もそこで活発に活動し、豊かな生き物環境を作っていきます。
 山畔を掘って地下水を湧き出させることで、土中に流れる空気の量も流動水量も増し、それがさらにその土地の生き物環境を活性化し、いのちを養う力を増していき、木々も生気に満ちて大木となり、その霊気で人の心身にも健康と活力を与えてくれる、そんな住環境を作り上げる役割に大きく貢献してきたのが、こうした池泉だったのです。



 池泉際の木々は大木となってなお、精気と霊気をもってこの地を訪れる者の心身を浄化し続けます。
 大木の根は、池の水位よりもはるかに低い位置にまで太い根を張っていることは巨木の太さ大きさから簡単に分かります。
 清冽かつ円滑に土中と地上を行き来しながら流れる水はたくさんの酸素を含み、そんな環境では木々の根を枯らすことはないのです。健全な水脈が健全ないのちの環境を生み出し、育み続けるのです。
 ところが、この水が何らかの理由で滞ってしまえば、たちどころに根を枯らし始め、そして枯死していきます。大地を流れる水は停滞することで、豊かな木々を育み続けることはできなくなってしまうのです。
 つまり、自然界の流動水と停滞水は、同じ水であっても全く別物と考えなければなりません。

 その自然環境を息づかせて保ち、そして人にとっても五感の全てで心地よく感じる健康的な環境を保つためには、大地の水と空気の動きがとても大切であって、かつての庭園が池泉を中心に作られたのは、そこが木々が最も健康に生き生きと霊性を放って、空気感がよく、人はそこから蘇生のエネルギーをもらえる、そんな霊気宿るいのちの環境が自然と成立しやすい場所だったからという点が、池泉庭園の起点として本質的に重要と考えます。

 ここは、北畠居城時代以降、いわば浄水池周辺がもっとも畏敬の念を感じさせられる安らぎの空間として育ってきたからこそ、ここに国司の居宅書院が構えられ、そして庭園として手を加えられた、というのが正確な流れだと、現地を訪れて確信します。



 複雑に刻まれた池泉脇の微高地(庭園的には築山というが、その表現はここでは避けてこう呼びます)の巨木群は樹齢500年とも言われます。

 微高地の巨木、その脇に、こうして山からの地下水が滾々と湧きあがる池泉を掘り込むことで、巨木の根周りに山からの水脈と連動して活発に空気が送り込まれます。
 そんな、木々が力強く息づくことのできる豊かな環境が絶妙に作られており、その結果、数百年の巨木がいのちを繋ぐ、そんな豊かな環境がここに保たれてきたのです。
 木々の様相は、その土地の健全性の指標となります。智慧深き先人にとって、こうした庭つくりは未来永劫数百年の計であり、それを造営するということは、その地の健全性の鍵を握る水脈環境の要となる地を見定め、そして精気の宿る健康な地を将来にわたって保つような配慮がなされてきた、その顕著な名残がこの北畠氏館跡庭園でよく分かるのです。

 庭園研究や鑑賞において、その造形や人文歴史的背景ばかりを論じるのではなく、自然環境の中での役割あるいはそこでの豊かな暮らしを営む上での機能的役割という、庭園の元の意味を知ることこそが、これからの時代、庭園の本質を知り、そして未来に役立つものへと昇華させてゆくうえで、とても重要な鍵となることでしょう。



 庭園遺構の上、居城跡の名残が残る山道を小一時間も上ると、かつての山城のあった霧山山頂部にたどり着きます。
 こうした場所は、江戸時代以降には特に桜の献木が多かったため、春には山に桜が点々と淡く開花する光景が、多くの人の心の中に刻まれています。
 この地も、山城跡周辺には今も桜の古木が見られます。

 この山城周辺を今、サクラの名所にすべく、近年とみに整備やメンテナンスが継続的になされている様子がうかがえます。
 これも近年、あちこちの観光地周辺を中心に非常に増えてきたことなのですが、こうした整備によって、その土地の自然環境が壊滅的にまでダメージを与えて破壊してしまう、そんな事例をよく見かけるようになりました。
 この、霧山城周辺も、誤った環境整備によって、取り返しのつかないほどに傷んでしまっていたのです。



 霧山城山頂付近、衰弱した桜の樹皮は新陳代謝できずに老化し、こうして苔がびっしりと付着してきます。



 枯死し、そして朽ちかけたサクラ。山頂付近の、重点的に整備された箇所はすべて、残存の木々は衰弱し、そして次々に枯れてしまっていたのです。

 ここは本来、マツ杉林のなかに松や桜の古木が点在していたのですが、これを桜の観光名所つくりのためと称して、サクラや松以外の木をすべて伐り払ってしまったのです。



 こんな傾斜地で特定の樹種だけ残して伐り払ってしまえば、地表は雨に打たれて泥水となって流亡します。そして泥水は、地表の微細な穴を塞いでしまい、水は大地に浸透しにくくなって硬化します。硬化して呼吸しなくなった土壌の地表は、落ち葉を捕捉する木々の細根が消えて、落ち葉が固定されずに風で舞い、さらに地表は露出しやすくなります。
 土が硬く締まって水が浸透しにくくなった土壌は、晴天が続けば乾燥し、雨が続けば常に過湿状態が解消されず、乾燥と過湿を交互に繰り返す中で根は徐々に後退していきます。特に、サクラのような表層に根を張る樹種は、土壌劣化の影響を即座に受けやすく、古木であればなおさら早期に衰弱枯死していきます。



 根元の表土は乾燥し、硬化し、まるで都会の踏みしめられた公園の土のようです。これが、一年中、人があまり訪れることのない、南紀の山の上でのことなのです。

 山中で一度こんな状態にしてしまうと、土砂崩壊などによってその地形が変わらない限り、ここはいつまでの健全に草木が育たない、劣悪で危険な状態が続いてしまうのです。



 桜ばかりでなく、意図的に残されたアカマツもすべて痛み、次々に枯死しています。

今後、草刈りや除伐など、この山に人が関与し続ける限り、今のままでは何をやろうと残存木の枯死と環境の劣化は止まることはないでしょう。
 さくらの名所にしようと、無意味でマイナスの影響をもたらしてしまうばかりの作業に費やした結果が、サクラどころかこの地の環境全てを破壊してしまったのです。
 環境全体を見ずに、不要に感じるものを排除する、間違った管理の在り方、間違った知識によって、自然環境はこうして数年で取り返しのつかないまでに劣化してしまうということを、きちんと知らしめていかねばならないと感じます。

 ここはもう、かつての桜と松の息づく歴史の深みを感じる山城遺構はありません。あるのは、荒廃しきって殺伐とした不快な環境でしかありません。

 人は本当に傲慢です。環境をよくしたいと、よかれと思ってやっても、大抵は強引で、人間勝手で、生き物たちへの配慮もなく、土地を都合よく変えようとします。その結果、大地は呼吸を削がれて苦しみ、著しく劣化し息絶えてしまう、それはそのまま、私たちの現在、そして未来永劫の大切な生存基盤を失っていることに気付く必要があります。
 苦しみ息絶えてゆく山奥の木々がそんなことを語りかけてきます。

 こんな例は、今はどこにでも見られます。業者や行政によるものばかりでなく、里山保全と称して市民によって行われる活動も、何をすべきかということの正しい視点を持って行われない限り、そのことが環境の劣化を助長してしていることが、実はよくあるのです。

 13世紀というはるか昔から近年まで、いのちの息づく豊かな環境を守り育ててきた 北畠氏館跡庭園というよい見本がそこにありながら、そこから本質的なことを何も学ぶことができない現代の営み、学会、社会、人。
 今こそ、私たち日本人が本来持ち合わせていた素晴らしい智慧、大地を息づかせながら共存してゆくという、大切な視点とノウハウを、きちんと掘り起こしていかねばならないと感じます。



 そしてここは有名な吉野千本桜です。吉野に通い始めて10年近くになります。以前からその傷み具合は気になっておりましたが、その後も年々木々の衰弱は増していき、特にここ数年、急速に拍車がかかっているようです。
 
 世界遺産となって注目が集まり、千本桜を守ろうとする、その作業事態が環境に負荷をかけて悪化させていることがここでもうかがえます。



 さくら以外の樹木ばかりでなく、下草にいたるまで刈り払われて地表は目詰まりをきたし、さらには農薬散布など、今おこなわれるあらゆる処置が的外れで、この山の環境にとってマイナスの要素しかもたらさない、その結果、やればやるほど環境は悪化してしまう、そんな悪循環が今も続けられているのです。



 世界遺産、大峰奥駆道へと続く道沿い。奥千本と呼ばれる参詣道沿いで今、奥千本桜再生運動と称して、杉林がいたるところで広範囲に、伐採除去され、そしてサクラが植えられています。



 観光のため、今ある木々が守りってきた環境をすべてをはぎ取って、そして桜のみの山にしようと、こんなことが今なされている。
 そして、山の際に残された既存の桜の木も、この環境の激変と土壌環境の劣化にさらされてあっという間に衰弱、枯死していきます。



伐採されずに残る杉林の縁の桜の古木はかろうじていのちを繋いでいます。これも、杉林が作り出す、温度湿度風の当たり具合などの地上部の条件や、森の下で守られる地中の条件とによって、舗装道路際の悪条件に在りながらもなんとかサクラがここでいのちを繋いでいるのであって、サクラだけにしてしまえば、これもおそらく1年以内に枝枯れをはじめ、数年後、あるいは長くとも十数年以内には枯死してしまうことでしょう。



 暗く閉ざされた下草も乏しい杉林の斜面を大規模に伐り払えば、当然表土は流亡し、土壌の構造は破壊されて浸透機能を失います。表面を土壌が流亡することで、その大地の生物環境は劇的に劣化することは、先に説明しました通りです。



 そして、サクラ植樹地の隣接する木々も痛み、急速に枯死していきます。



 数年前まで、参詣道へと続く道の両脇も、桜を残して伐り払われ、新たに桜の苗木ばかりが植えられます。蘇生の道、自然から学ぶ、山岳修験道の聖地において、人間によって暴力的に痛めつけられ、致命的なまでに弱体した大地はもはや、人の心身に蘇生の力を与えてくれることはありません。

かつてと違い、道路沿いはコンクリート擁壁と舗装道路によって土中の水と空気が停滞しやすい今の環境において、過去の環境の下で大木となった木を伐ってしまえば、今の環境の下では再びかつてのように健康な大木が育つことはないのです。



 残された桜も、共に生きてきた周囲の杉が一斉に切られてしまうと乾燥し、途端に衰弱していきます。地表の荒廃による土壌環境の悪化によって根も枯損が進み、太い枝が短期間に枯れていきます。それでもこの木は、新たな環境で一生懸命生きようと、苦しげにたくさんの小枝を出してもがきます。やがてこの木も、本来の寿命を待たずに枯死してゆくことでしょう。
 この様相を見て、誰がよいと思えるものでしょう。なぜ、こんなことが繰り返されるのか。理解に苦しみます。

 吉野の桜運動、もちろんみんな、良かれと思ってやっていることでしょうが、これが根本的に間違った方法であることは、こうした事例の様々な地域の結果を見ても明らかな上、環境の変化を丁寧に観察すれば、その間違いは誰にも一目でわかることなのです。

 伐採やサクラの植樹には、日ごろ木々を扱っているはずの造園業者や林業関係者、その他桜の専門家を称する人たちも多く参加していることと思いますが、それなのに、こんな間違ったことが改められず、結果として、それまで長い歴史とそれを守り育ててきた先人の営みが育んできた、大切な環境を根本から壊してしまっているのです。
 それほど、人は自然をきちんと見つめて教えを請うことができないまでになってしまったと、事態の深刻さに改めて身震いするのです。



 ただ伐って育てたい他の木を植えれば、思い通りの環境が育つというものでは決してないことを知っていただきたい。
 まして、自然を畏れ敬いながら、人間として活かされてゆくうえでの大切な智慧と命を授かってきた、そんな素晴らしいかつての日本人の人生観、そして山岳修験霊場の在り様を伝えるべく世界遺産となった吉野参詣道において、今ある森を一斉に排除して暴力的に一新し、なおかつここまで傷んでいるというのに、そんな自然の叫び声にも耳を傾けられない、本当に我々日本人は、自然から遠ざかってしまったことを、この光景に痛感させれられます。




 日本第一の山岳修験道場、吉野山金峯山寺。今年の正月三が日には数年ぶりに、朝の勤行に参加しました。
 この金峯山寺には、釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩と3体の化身である蔵王権現が本尊として祀られています。
 それぞれが、過去、現在、未来を現わしており、我々人類は現代だけでなく、過去、未来を繋げて考え、生きていかねばならないことを今に発信し続けているように感じます。

 世界遺産、あちこちを回って思うことは、世界遺産に指定されて、よくなった場所はなく、猛未来に伝えるべき大切なものを形骸化させつつある虚しさを感じます。
 これもまた、「過去に学び未来を想い、今を生きる」という、人類として大切な在り様を社会が見失ってしまった結果なのでしょう。

 さて、悲観してばかりもおれません。こんな日本、こんな時代において、すべきこと、与えられた使命を果たしていこうと、蔵王権現様に誓います。


 

 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
南紀の旅 今昔考その1 紀伊の参詣道と周辺  平成28年1月10日



 ここは熊野古道中辺道、野中の一方杉と呼ばれる巨杉群。

 元旦早々から断続的に紀伊の霊場とその周辺を踏査し続けて最終日の1月8日、南紀の気候風土が生みだした知の巨人、南方熊楠が全霊を投じて守った、この森にたどり着きました。

 南方熊楠は粘菌学、生物学、民俗学、博物学研究の日本の草分けとして知られますが、本来、彼の人物、思想、見識は、そういった分類された学問領域の範囲に収まるものではないのでしょう。


 
 南方熊楠の生きた時代には、44本あったというこの地の巨杉も、今はこの8本のみとなりながらも、今も深い霊性を持って語りかけてくるようです。
 元旦からの一週間余りの間、南紀を巡る中で、この地域一帯の大規模な環境劣化と壊滅的なまでの破壊を見て、悲嘆に暮れていた我が心に浸みわたるものあまりに多く、この神域に入り、木々を見上げて涙がこみ上げていつまでも止まらなくなるのです。

 今、この旅を振り返る時、あの時の涙は一体何の涙だろうかと思うにつけて、不思議に澄んだ感覚に包まれます。
 豊かな南紀の自然の著しい破壊を一週間も追い続けて荒みかけた心を、この木々は間違いなく癒してくれたのです。そしてその癒しは、とても静かで、悲しげで、そして大きく温かく、人間としての贖罪をも受け止めてくれる、そんな、いのちのぬくもりとも言うべきでしょうか。

 とにかく、そんな不思議な感覚を表現するには、僕の拙い言葉でははるかに足りないのです。

 そして、この森の霊気を愛し、自らの研究人生も私財も、そして家族の暮らしをも犠牲にし、御一時は投獄されてまで、熊野の森を守ろうとした南方熊楠への感謝の想いもまた、この木々たちから確かに伝わります。いえ、熊楠自身の魂がもうすでにこの木々と一体となったのかもしれません。
 この森の巨杉群も、神社合祀の荒波の中で伐採されるところを、合祀に強く反対する熊楠の並々ならぬ熱意によってかろうじて伐られずに守られたのでした。

 南方熊楠が多大なエネルギーを投じて反対した、神社合祀(明治末期から始まった、いわば神社の統廃合、貴重な森と史跡を数多く有していた和歌山三重では、実に8割以上の神社とその鎮守の森がこの時期に消滅した)、熊楠が危惧したのは、合祀によって多くの神社がなくなる結果、地域を黙々と守り続けてきた古来からの鎮守の森が伐採され尽くすことへの危機意識だったのです。
 伐採によって生態系のバランスが崩れ、それが植物の生育のみならず、地域環境の劣化を招き、人の暮らしや人心にも取り返すことのできない影響を及ぼし、様々な問題が派生してゆく、そのことに対して熊楠は座視することはできなかったのでした。



 粘菌研究を通して熊楠は、草木菌類等、生きとし生けるものたちの密接なつながりに気付き感動し、「エコロジー」という思想、あるいは学問分野を日本で初めて、実践を持って切り開いていったと言えるでしょう。

 南方熊楠はこの老樹保存を訴える書簡の中で、図を付けて下記のように記述しています。

 「図の如く、老樹生えたる上の小雑木(*下草灌木の類)など、少しにても伐り候はば、五年を経ずして老杉が葉の色変わり出るものに候。」  (明治44年 野中瀬弘男宛書簡)

 つまり、こういうことです。

 「単にこの老樹だけ残せばよいというものではない。この木々はこの森の一木一草含むすべての生き物と共に、相互密接に関係し合いながら息づいている。だから、例えばこの木の根元に生えたる小さな雑木下草をわずかでも切り払ってしまえば、あっという間に精気をなくし、5年もたたずに葉の色が黄ばんでゆくものが必ず出てくるであろう。」

 この時代において、自然界の営みを透徹した驚きの見識というべきでしょう。

 人は、木々や自然と日頃接しているから、あるいは長年木々や植物を相手に仕事してきたからと言って、それだけで自然や木々のことを知っているということでは決してないのです。
 日々の精進の中で本当の智慧を獲得していけるかいけないか、その境目とは、心の在り様に依るのでしょう。
 純粋に心開いて大地・自然環境と寄り添い、愛し、感じ、包まれ、感動し、畏敬し、そして自分の生き方や精神が変えられてしまうほどまで思い続けて初めて、大地の息吹との一体感が生じ、そこに様々な智慧が、心の奥から泉の如く滾々と湧きおこるものなのでしょう。

 南方熊楠という智慧の巨人は、私にとってどれほど尊敬してもしつくせない、そんな人物だったのです。



 今、樹齢400年以上のこの一方杉はわずかに8本を残すのみとなりました。
 それはまさに、南方熊楠が予言したとおり、この場所、そして貴重とされたこの木々だけを、周囲のいきもの環境と切り離して「丁重に」保存しようとする、環境全体の繋がりをおろそかにしてきた近年の保存の在り方に対して、それが永遠の過ちであるということが、ここから発信され続けているのです。

 過ちは、その理由とプロセスを明確にして、社会において正していかないといけません。
 1200年以上も続いてきた、自然環境と共に息づいてきたこの地の暮らし方や祈りの智慧を、その本質の部分から次世代に繋いでゆくことが、今を生きるものの大切な務めであり、責任であると感じます。そしてそれは、未来永劫、人が生きてゆくためのいのちの基盤であり魂の基盤であるのです。



 温暖で雨量も多く、地層断層にも恵まれた南紀は、山また山と続く古来からの霊場で、吉野から熊野にいたる大峰山中には今なお、樹齢数百年、数千年という巨木が辛うじて残るところがあります。
 しかしながら、私の感じるところ、この継桜王子の巨杉群ほど、衰えたとはいえ、かろうじて霊気を供えているところはほとんどありません。
 それはすなわち、この山域全体の自然環境の著しい衰退劣化を現わしていると言えるでしょう。
 かつてこの山域は蘇生の地として日本あけぼのの時代から、都からそして遠方から、心を洗い力をもらいに修行者が絶えない日本第一の山岳修験霊場だった、その地が今、かつての力を急速に失っていることを今回の旅で知りました。

 今回訪れた南紀のこと、感じたこと、あたらな発見、ブログをいつも読んでくださる皆様にお伝えしたいこと、お話ししたいことは山ほどあります。すべてをここで著わすことは叶いませんが、2回に分けて少し、旅の報告をさせていただきたいと思います。



 ここは熊野古道中辺路 途中。幾重にも重なる山間の道は、周囲の自然環境を大切に配慮しながら営まれてきた暮らしが今もなお垣間見られます。



 山間地に刻まれたかつての名残の地形は美しく、この地の永遠の風景の中に違和感なく溶け込みます。
 山間部での暮らしを成り立たせるため、先人によって傾斜地に無理なく土地が刻まれています。
 無理に土地を刻めば大地を円滑に潤す水と空気の流れを妨げてしまい、土地はまたたくまに生産力を減じ、そして崩壊する、かといって土地に対して何の造作もしなければ、ここでの豊かな自給的暮らしは細るばかりで成り立たない、その狭間で人は大地と対話し、自然環境と折り合いをつけ、数百年の時を超えて風雨に持ちこたえうる、そんな土地の造成を成り立たせてきたのでしょう。
 
 永遠の美しさは、智慧を持って土地を刻んできた、こうしたかつての営みの名残に見慣れます。これこそが無意識のうちにも、人の大切な愛郷心を育んできたことでしょう。
 こうした場所に静かにたたずみ、心癒されぬ人などいるものだろうか、いるとすればそれは、騒がしい雑念の中で、心の奥底からの声に耳を澄ませるという、人の安らぎの本質を忘れてしまっただけなのだろうと思うのです。



 土地を刻み、出てきた石を積んで田畑を広げる。山間地に平坦部分を作れば作るほど、土中の空気が抜けやすい段丘が生み出されます。直角に近く切り立った石積みの隙間から空気が抜けて土壌環境が育ってゆくにつれて、人にとっても、またその土地の生態系にとっても、生産性の高い土地が育ってゆくのです。

 ここは日本有数の降雨量を誇る、昔からの台風銀座というべき南紀の山間部。そこで土地を保ち豊かな暮らしを成立させるためには、それ相応の造作の工夫が必要になります。



 安定感のある石垣にはつるや下草の根がはびこり、とても安定した風景に安心感すら感じさせられます。
 石の隙間から土地は呼吸し、そしてその地のあらゆるいのちにとって無理のない光景を感じさせてくれることこそが、この安心感をもたらしてくれるように感じます。




 集落に大切に守られてきた防風の木々、それ程古い植樹ではありませんが、木々は先端まで精気にあふれて健全な状態が保たれている、今や、そんな健全に近い樹林を見ることの方が少なくなりましたが、こんな場所に立ち会うことで力を分け与えてもらえるせいか、体は見違えるほど軽くなります。



 参詣道の古い石畳は、ごつごつした見た目とは裏腹に、歩きやすく、先人による絶妙な配慮が感じられます。
 造園の仕事で日常的に石畳を配する者として、こうした古道の歩きやすさと安定感には脱帽し、心底から畏れ入ってしまいます。



 決して平たんに据えられた石畳ではなく、むしろ荒々しく、ごつごつとした見た目でありながら、そこを歩けば足の底から五感が刺激されて頭は透き通り、細胞が活気づく、それが蘇生の道と言われるゆえんでもあり、またかつての人の、今とは比ぶべくもない精神性の高さが生み出した、人間の道たる何かを感じさせてくれます。

 こうした道、こうした人間の魂を高めるほどにいのちの宿る、そんな石畳を作ることがいかに、現代離れした高尚至極の業であるということは、先人にはるか及ばぬ不肖の作庭者である私にはよく分かります。



 これは古道途中の、最近整備された石畳道です。古道の雰囲気を損なわないように作ろうとした形跡は感じますが、これが実に歩きにくく、疲れるのです。そして見た目の安定感も当然感じられません。
 セメントで固定された石はクッションも効かずに足になじまず、そしてこの道の造作によって土が締まり、周囲の地表も不安定化して、木々下草の根が後退していることも分かります。
 似て非なるものとはこうしたことを言うのでしょう。
 心清き先人の素晴らしい業がすぐそばで見られるというのに、そこから何も学ぶことができないのも人の真実の一つなのかもしれません。

 学ぶということにプライドは要りません。学ぶ喜び、知らないことに満ち溢れる世界へのワクワク感、そしてそれを学んだ時に迷わず、正しい方向へと軌道修正する魂の姿勢こそが、人間に必要なことだと感じます。
 そんなことを分かっているようでも、その場に直面してそうできないのが人間の弱さというものです。自分自身そうした、弱く不明な人間であるということを忘れず、自然の真実に向かい合い、そしてなお、負けないことが大切なのかもしれないと、そんなことを考えます。



  そして古い石畳には樹木の根が入り込み、これがまた蹴上げとなって石畳を補強し、道を安定させます。ここもまた歩きやすく、木々がこの道を守ろうとしているかのようです。
 今ここでは、木々は人の通行を許容し、共存できている様子が、見た目にも、そしてこの場所の空気感や草木の表情からも分かります。
 しかしながら、これが何らかの原因で無理が生じ、木々にとってこの道の存在が好ましいものでなくなった時、、根は持ち上がり、とげとげしく人の通行を邪魔し始めるのです。
 そんな事例は無理につくられた登山道などでよく見受けられます。そうした場所は、雨が降ると瞬く間に泥水が流れてさらに環境を痛めてしまう、そんな場所が多いようです。



 安定した山道、それは、道に降り注ぐ雨水がきちんと大地に潜り込んで、山域全体の水脈の動きと一体化させてゆくことが、数百年と崩れることのない道つくりの絶対条件ではないかと思います。
 かつての安定した山道を巡るにつけて、水と空気の流れに対する絶妙な配慮に、いつも心が高ぶります。
傾斜地の石畳は決して傾斜角に対して平行には据えられておらず、むしろ階段のように一つ一つの石が蹴上げのように、ごつごつ座っています。それも、常に平らな面を出しているわけでもなく、それていて歩きやすいのです。

 まるで、安定した上流部の川底のようです。降り注いだ雨は多くは浸み込み、大雨の際に浸み込みきれない分は表層を流れながらも、一つ一つの石にぶつかって勢いが弱められ、大地を削ることなく等速で流れます。
 そして、山側、谷川にまた、川底のような表情をした横溝に表層水が集まるとともに、路面にしみ込んだ水もこの溝に側面から浸みだし、そしてまた地中に潜り込みます。



 石畳み両脇の溝は、木々の根と大小の石が絡み合い、大雨でも泥水が流亡することなく、ここから様々な空隙を通して土中にしみ込んでいきます。だから、安定した場所では地表が水に削られた跡はほとんど見られないのです。
 この状態こそ、この道が自然との一体化の中での安定した姿であり、これを自然は長年の風雨から守るように働くのです。それはすなわち、この道の存在が自然界の営みにプラスの形で寄与するのですから、自然はそれを永続的に守り取り込もうとするのです。水路に絡み合った太根と細根の存在が、そのプロセスの一端を明かします。

 自然と人との共同作業によって作られた道は二つとして同じ表情はなく、実に豊かで見ていても飽きることがありません。

 こうした、自然の力を借りて参詣道を未来永劫に保とうとした先人の智慧に、我々は今こそ学ばねばなりません。



 石畳で有名な熊野古道は、連続した道ではなく、断続的に残った道を近年整備して繋いでいるのですが、ここも新たに最近整備された道です。
 石は用いず、さりげなく山道の雰囲気を壊さぬように配慮されているのですが、しかしこれも本質的な部分で間違った整備と言えるでしょう。

 セメントや石を用いず、歩く人の脚にやさしいようにと、真砂土を締め固め、そして有機的な丸太で横断面、側面に表層水の道を配しており、一見、古道の機能性に学んだ施工のように見えますが、中身はまるで違うのです。

 こんな傾斜の山道で路面に砂地を用いれば流亡します。



 実際、路面にはすでに地表流によって削られ、真砂土が流亡し続けている様子がうかがえます。
 川でも、上流や滝などの水のエネルギーが高い個所では砂も土も流されて岩と礫ばかりとなる、そんな場所の路面が粒子の細かい土や砂では、なかなか安定しないのです。

 表層を水が流れる度、地表の微細な通気孔は泥詰りして硬化し、さらに浸透性を落としてしまい、流出する泥水は増えるという、厄介な悪循環が始まります。



 そして、雨の度に流れるその表層の泥水を逃がすため、溝を横断させて斜面谷側に誘導しています。溝の底は、泥が流れて表面に膜のような硬化土層が生じています。この道から雨の度にに流出する泥水の量はは相当なものであることが推測できます。そして厄介なことは、この道が自然の作用によっていずれリセットされるように崩壊するまで、泥水流亡の悪循環は収まらないということです。

 これによって周辺の山は徐々に荒れて、そしてやがて大地を支える力を失い、崩壊の原因にすらなるのです。

 かつての人為的な排水溝は、植物の力を借りて地面に浸み込みやすい状態を作って表層に泥水を走らせるようなことはしなかった、それをしてしまえば長年の道として保たれないということが分かりきっていたのでしょう。
 そこが今の、「道の表面を流れる水だけ消してしまえば後はどうでもよい」という、本質を見失った浅はかで、環境を傷めるばかりの現代の土木技術とはまるで異なるのです。

 もちろん、この世界遺産ともなった参詣道において、誰もこの貴重な環境を壊そうとしてやっているのではないのです。しかし、良かれと思ってやっていることが実はすべて、この地の環境に対してマイナスをもたらしているのです。
 その悪循環の根底にあるのは、水と空気の流れこそが環境を息づかせて安定させているという、大切な視点の欠如なのです。
 これからの時代、現代の技術が置き去りにしてしまった、そんな大切な視点を再び取り戻すことに力を注がねばなりません。



 中腹の山道は、基本的に等高線に沿って、尾根や谷を巻くように道が続きます。必然、谷筋を道は渡ります。写真左から谷のラインは伸びています。
 谷筋の土中には周囲の斜面から水脈が集まり、水と空気が大量に動く場所、人間で言えば大動脈と言えるでしょう。
 地形造作の際、最も崩れやすいのも谷筋であり、これを停滞させてしまえば瞬く間に流域上部にいたるまで、森の精気が失われる上、崩壊の起こりやすい状態を招きます。



かつての山道で谷筋に道を廻す際によくおこなわれていた方法ですが、井桁状に丸太を組みあげてそこに路面の踏圧を受け、谷部の地面が圧密されない配慮が施されます。そして井桁の間に石や礫を絡ませて、谷底の水の動きを妨げることなく、土中深部へ誘導されるように配慮されているのです。
 そして、水や空気が抜ける丸太組みはやがて周辺から草木の根が絡み合い、そして同時に丸太は徐々に土へと帰していき、谷筋はあたらに作られた道の地形で安定してゆくのです。
 安定してしまえば、表層に水が流れた形跡は全くなくなります、どんな豪雨にでも円滑にこの谷筋の水脈へと水が浸みこんでいることが分かります。
 本来の健康な状態の山中では、自律的にそうした状態が作られるもので、それが何らかの原因で錯乱が生じた時、本来の円滑な浸透機能を消失して、そして木々は痛み、、表層は荒れて土壌が流亡し、それが土砂崩れや水害へと繋がることもあるのです。



 そして、谷部分の道の山側は、元の地表の下がえぐられて、表土がオーバーハングした状態で安定しています。苔や下草の表情から、ここも表面流の形跡はありません。
 観光客も増えて道が踏み固められるに従い、上部も若干それまでに比べて空気の停滞が起こります。すると、下層から樹木根が後退して、切土面の下方が少し崩れます。こうした光景は道沿いによく見られますが、山はこの小規模な崩れによって新たな空気の通り道が確保され、そして安定していきます。
 だから、こんなオーバーハング状態が山道沿いでよく見られますが、落ち葉や下草に守られた笠によって、崩壊面に雨が当たらず、これ以上の崩壊が進行することなくやがて苔むして、新たな表土が形成されて根が張り、この道を自然は受け入れて守ろうとするのです。

 ほんの少し前までは、こうした土中の水に対する配慮が当たり前のようになされていたのです。
 これからの土木技術は、こうした自然を味方につけるあり方、その重要性を再び認識し、取り入れることこそが、安全でいのち息づく豊かな国土を再生し、未来の子供たちに繋いでゆくために必要不可欠なことと確信します。



 一方で、急斜面に車道を通し、谷部の巻道部分にもコンクリート土留めによって土中の水と空気の動きを滞らせてしまった場所はいつまでも安定せず、人工による表面的な緑化もまったく意味を成しません。



これを大きな力で抑え込もうと、山を治める「治山」と称して、砂防ダムが配され、これによって土中の水と空気だけでなく、谷筋を流れる清浄な風も滞り、、その周辺の木々は劣化し、小さな地すべりを繰り返して倒木します。



 その結果、ますます谷は不安定化して地形を保つことができず、表層にとどまることなく深層からの大規模崩壊を招くのです。崩壊は大小の水脈沿いに起こります。
この大規模崩壊のあと、次々にコンクリート砂防ダムがつくられますが、一向に安定することはありません。あたらな治山工事よって山は広範囲に荒れて支えきれず、そしてまた新たな崩壊が周辺で多発してゆくのです。



 写真左箇所のコンクリートのり面工事は、平成23年の紀伊半島大水害の際に崩落し、そしてそこが固められたものです。
 これによって土は本来の透水貯水機能を失って乾き、木々の根は衰退し、そしてまた隣の箇所が崩落します。ここも実は、2度目の崩落で、一度は法面保護工がなされたのにまた、同じ個所が崩落したのです。(右側土砂崩壊部分)
 自然の摂理を顧みずに大きな力で抑え込もうとする、今の土木・建設造作の先には命を養う力を失った殺伐たる国土しかないのです。



紀伊半島の参詣道が世界遺産に登録されて以来、この険しく、起伏に富む豊かな土地に次々に新たな車道が整備されていきました。新たな道はますます強引に、大規模に自然環境を破壊しながら無機質に。地形を無視してつくられます。
 この新たに整備された国道、正面の尾根を大規模に削って、そしてコンクリートで留める。これがかつての日本人の魂の故郷へ続く祈りのための参詣道としてあるべき姿なのでしょうか。



そして、尾根を削った膨大な土で大規模に谷を埋めて大型重機で締固め、そしてその表面に、コンクリート水路を配す。世界遺産に通じる山間の一本の道の通行性のために、周辺環境の大規模な破壊が正当化される、こんなことが許される日本とは、一体どんな国なのでしょう。

 世界遺産という、ただ一点を、しかも現在たった今だけの経済的な観光資源として利用して、そして周辺環境に配慮せずに平気で悪化させる、いつの間にこの国はそんなことが平気で行われるようになってしまったのでしょうか。
 そんな人間、自分もそんな人間という生き物の一人であるということが恥ずかしく、そして許せない想いに憤りを抑えることができなくなります。



 100m近くも谷が埋められて、もうこの谷は空気も流れない死の世界となります。
そしてまた、いずれはここが崩れるばかりでなく、上流流域全体の森が衰弱し、弱体化し、新たな土砂崩壊を多発させることでしょう。



 新設道路沿い、残土は無造作に山に放られ、周辺木々は倒れ、枯れていく、そんな光景が新設の国道沿いに当たり前のように広がります。
 これを誰が許せるというのでしょう。

 今、日本はおそらく、最悪の時を迎えていること、こうした工事やその後の環境劣化を目の当たりにして、震え上がる憤りが収まりません。

 仕事もたくさん詰まっていますが、こんな現状を放置できないのです。

見たくない、この場から逃げ出したい、旅の途中、何度そう思ったことでしょう。しかし、逃げてはいけない。木々や自然環境が助けを求めているのだから。これに気付いた一人として、きちんと戦っていかねばならない、そんな役割が新たにのしかかってきたことを実感させられた旅となりました。

 大地の苦しみ、木々の苦しみ、そんなことに気付かなければ、楽しく旅もできて幸せだっだかもしれないと、何度となくそんなことを考えました。最近の日本、今はどこに行っても、木々やいのちの苦しみばかりがのしかかり、つぶされそうになります。でも、これが人としての贖罪です。温かないのちと共に歩んで、そして苦しみを分かち合えればそれがせめてもの罪滅ぼしで、そのために今、できることを速力を上げて臨んでいこうと、そんな力も湧きおこります。

きっと、南方熊楠も、同じ気持ちで戦ったことでしょう。

 こんな光景ばかりを1週間以上も追いかけてきた後、熊楠によって守られた野中の一方杉を見たもので、あの時、初めて慰めが与えられたような安らぎを感じ、涙が止まらなくなったのでした。

 第2部は、もう少し明るさの見える報告をしたいと思います。年始早々にこの長文にお付き合いくださった方、心からお礼申し上げます。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。





投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
仕事納めの竹炭つくり       平成27年12月30日
 本日にて高田造園設計事務所、年内の現場作業を終了とさせていただきました。
 師走の多忙な時期に私自身が風邪をこじらせたこともあり、暮れの手入れも廻りきれず、来年繰り越しにさせていただきましたお客様にはこの場を持ってお詫び申し上げます。

 ブログ更新の間隔も大変空いてしまいましたので、今年最後の記事として、高田造園設計事務所の竹炭作りをご紹介したいと思います。



 竹炭や木炭は、傷んだ土壌環境の改善において、かけがえのない有効な資材であります。
 私たちはいつも造園工事や環境改善作業において常に大量の炭を用います。
 多い時は一つの現場で数千リットルもの木炭を用いることもよくあります。しかしながら環境改善資材としての炭の重要性については、まだ十分に認知されているとは言い難く、生産量も生産業者も限られているのが実際です。
 炭の供給不足を補うべく、我々も今年後半から、本格的に竹炭の自社生産を始めました。
 この師走の時期にも、来年のために合間を見て交代で炭を焼いております。

 野焼きが原則禁止となって久しく、年々新たに入社してくる若い社員たちを見るにつけ、今や、日常的に火の性質を学ぶ機会も持てずに大人になるのが普通になってしまったことを感じます。
 僕が子供の頃はまだ、野山に行けば落ち葉焚きや土手焼きが普通に見られ、子供たちはいつも、マッチと鉛筆ナイフは野山遊びの必需品としてポケットに忍ばせていた、そんな時代だったのです。
 落ち葉焚きの煙をみれば、そこに子供たちが集まって凍えた手を温め、火を炊く大人もそんな子供たちのことなど気にすることもなく、せっせと落ち葉を集めて灰にする、そんな当たり前だった古き良き光景も、今や昔のことになってしまったことに気づかされます。

 本来、里山管理に欠かせないのが野焼きであり、炭焼きです。



 当社の有機物リサイクル場周辺の竹林を整備しながら、間引いた竹を降ろします。
 毎年旺盛に出てくる竹は、とても有効な資材であり、我々は周辺の竹林整備を兼ねながらこれを造園資材として活用し、そして炭焼きの材料としても用います。



 土壌改良用の竹炭は、野焼きで作る柔らかい消し炭が最適です。野焼きの生産効率を上げるため、我々もさまざま試行錯誤の末に、今の方法にたどり着きました。
 今回その方法を少し紹介したいと思います。



 まず、燃やす箇所に空気が入り込み過ぎないように三方に衝立を回し、そしてその中の半分のスペースで竹や枝をガンガン燃やし、次々にくべていきます。
 するとやがて、たき火の下の方からいい具合に炭化が完了してきます。

 それを見計らって、まだ炭化しきらずに勢いよく燃え盛るたき火上部の竹や枝を、隣半分のスペースに移していきます。



 囲いの中の二つのたき火。左が、まだ炭化してない部分を右から移して、さらに次々に竹をくべたもので、そして右が、炭化終了間近となって、炎が弱まっている部分です。
 炭化しきれていないものはまた、左のたき火に移動して燃やします。そして一方の炎が収まったところで、それをすくって水樽に放り込みます。
 これを交互に繰り返してゆくのです。



 水樽に浸けた竹炭はしばらくジュウジュウッと煮えたぎる音と共に、白い蒸気が心地よく湧きだします。多孔質の灼熱の炭の中に水が少しずつ入り込み、そして冷やしてゆくのにしばしの時間を要するのです。
 充分に静まったところでこれを網ですくって板の上で水きりします。



 試行錯誤の結果、今は1日3人の作業で1000~1500㍑の竹炭が焼けるようになりました。
これが大地の環境を息づかせて再生してゆくための触媒になると思うと、見ているだけで愛おしく、幸せな気持ちになります。



 そして、用途に応じて使いやすいように、粒度に応じて篩い分けていきます。



粒度の荒い炭と細かい炭。それぞれ目的に応じた用途があります。



 これを袋詰めにして保管し、環境改善作業の必需品として様々なところで用いるのです。



 こうして、竹を活用することで、荒れ果てていた竹林も美しく再生されていきます。
 こうしてきれいになった竹林を見てまた、竹林を荒廃するままに持て余している他の地主さんからも、「うちの竹林も使っていいよ」と声がかかります。
 こうした作業が、私たちが子供の頃の美しい里山の光景や営みの再生に繋がると思うと、とても幸せでやりがいのある作業です。

 土壌再生資材としての炭の活用は、これからますますその需要を増すことでしょう。里山の再生を望む方々は是非、竹炭焼きをお勧めしたいと思います。
 こうしてひとつずつ、周辺環境との絆を取り戻してゆく、そんな地道な作業が環境の再生のためにとても大切なことと思います。

 さて、今年もたくさんの方々のおかげで、とても楽しい一年を無事に過ごすことができました。
 お世話になった皆様、今年新たに知り合った方々も、以前からの知人友人お客様方々も、本当に感謝の想いで一杯です。

 皆様どうぞよいお年をお迎えくださいませ。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


 

 
 
 
 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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