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消えてゆく山林 千葉市にて 平成25年12月2日
ここは千葉市若葉区小倉町を一直線に横切る御成街道の交差点。江戸時代初期、九十九里方面へでの鷹狩のために徳川家康が作らせた道の名残です。
かつては船橋から東金まで、約37キロメートルをほぼ一直線で結んでいたと言いますが、千葉市内では今でも街の街道沿いに点々と森が残り、それがこの街に歴史の名残とのどかで落ち着いた雰囲気を感じさせてくれます。
今日の手入れは、この御成街道付近、十数年来管理させていただいているTさんの庭です。
御成街道の歴史を感じる大木点在する森に隣接する、古くからの落ち着いた住宅地にあります。
この辺りの森は市街地にありながらも、千葉市の都市計画の中で、残存緑地としてこれまでの間比較的良く保存されてきたようで、そのおかげで緑豊かで落ち着いた住環境が、かろうじてこれまで守られてきました。
ところが今日訪ねると、Tさんの住宅地に隣接する森が切り開かれて造成されていました。あっという間の伐採だったと言います。サクラやエノキの大木群はすべてきれいになくなり、そしてここは住宅分譲地になると言います。
金融緩和と消費税増税前の建築ラッシュの圧力は、都市近郊にあってなお、比較的豊かな緑を残してきた私の地元千葉に猛烈に襲い掛かり、その勢いに愕然とし、怒りと無力感を隠すことができません。
Tさんも、この住環境の激変に愕然とし、「これまで残されてきた市街化調整区域の山林がなぜ消えてしまうのか。」と、関係者に聞いたところ、モノレール沿線から1キロ圏内では開発許可されることになったとのことでした。
都市部だからこそ、貴重な緑であり、その価値はこれからさらに高まるはず。それが今年、次々とあっという間に消え去っていきます。
今、私の生まれ育った千葉市では、今年後半になってあちこちで山林農地がはぎ取られ、造成されています。
山林農地は、農産物はじめ様々な命の根源を生み出す土壌を永代に伝えます。都市部であればなおさら、残存する命の基盤たるべき山林農地は永代の貴重な財産であって、一時の紙切れと天秤にかけられるものでは決してありません。
これまで過去延々と育んてきた山林農地をつぶすたびに、その地域は本当の、いのちの財産を貧困化させていくのです。
こうして、はぎ取られた山林農地は重機で蹂躙され、区画されて住宅地となります。
今年ほど、その開発圧を実感した年はバブル以来、私の記憶にありません。
ここ数か月であっという間に立ち並んだ新興分譲住宅地。狭い区画に同じような家が立ち並び、豊かな緑を育む余地もありません。
駐車場に面した掃き出し窓、そして2mも隔てずに隣家と向かい合う窓配置、、、。これでどうして落ち着く生活が営めるというのでしょう。どうしてこんな心無い住まいが量産されるのでしょう。
しかし、貴重な山林農地が次々とつぶされて、こんな分譲地ばかりが増え続け、そしてそんな住宅地がすぐに売れてゆくのも日本の現状なのでしょう。
そこまでして一戸建てが欲しいのでしょうか。住まいは家族の大切なよりどころなのですから、生涯の大半の時間を暮らす住環境というものをきちんと考えて住む場所を選んでほしい、言い過ぎを承知ですが、今日見た光景にはついに突き動かされるものを感じます。
Tさんは言います。
「この家は敷地80坪で、庭に木があって落ち着いて暮らせる。それでもこの家を建てた40年前は、80坪でも狭い方だった。それが今は40坪以下の敷地いっぱいに家が建っている。窓の外に木もない。これでどうして落ち着いて住めるんだろうか。」
心無い開発者、建築業者によって造成された見せかけばかりの心無い家は、住む人の心をどれほど蝕んでゆくことか、そんな環境ではたして本当に豊かな心が育めるのでしょうか。
何百年もの間、この地域の暮らしを支え続けてきた森が、現代の暮らしの中で不要のものとされて、そして一つ、また一つと次々にはぎとられていきます。
山林農地は豊かな土壌という、かけがえのない命の財産を後世に残します。だから、今だけの価値判断で消してはいけない。紙切れと引き換えにできるものではないと思うのです。
いつまでも未来の財産収奪に基づく経済ではなく、これからは、いのちと生存基盤を守る経済の在り方を考えていかねばなりません。
私自身、山林農地に囲まれた田舎に移住して6年となります。おそらく、大災害にあっても、この環境であれば、周囲で食料を得て、庭を耕し、何とか生きていける気がします。
しかし、土を殺してしまった都会ではそうはいかないでしょう。
何が大切か、そして未来のために、子供たちのために、希望の持てる地球を繋げるために、今を責任もって生きていかねばと思います。
見せかけの景気つくりの効果で、今年の年末はいつになくひどい渋滞発生が多く、まるでバブルの頃を思い出します。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
雑木の庭の管理に想う 2 平成25年11月23日
雑木の庭 暮の手入れは私たちにとって毎日紅葉狩りに出かけるような心境です。
昨日手入れに訪れたのは千葉県柏市の庭、施工後2年が経過し、木々はいよいよ生き生きとした生命の躍動を感じさせてくれるまでになりました。
ここ1週間で急に秋色に染まったという木々は、手入れに訪れる私たちにもこの仕事の喜びとエネルギーと確信を与えてくれます。
1年間の実りの秋、思索の秋と言いますが、いろいろあった1年間の終盤を木々がこうして静かに祝福してくれるようです。
これでいいのかと、迷い続け、走り続けた1年を、「よくがんばったね。」と、木々は優しく包み込み、そして庭を作る私たちに、この仕事を続けてゆく力を与え、道筋を示してくれます。
玄関側から主庭への伝いは錦秋の道となりました。
秋の柔らかな日差しが家屋に揺れて、木々と共に生きる幸せを感じさせてくれます。
雑木の庭は入り込む日差しを楽しむ庭とも言えそうです。刻々と移り変わる日差しを受けて、庭の表情は一時も立ち止まることなく、我々を楽しませてくれます。
そして、手入れによって、入り込む日差しや光の見せ方を調整するのです。夏は木陰の庭として過ごしやすい住まいの環境を作り、そして秋の手入れでは枝葉を落として日差しを取り込む温かな庭とするのです。
雑木の庭を活かすためには手入れの仕方が大切です。大地の恵みを受けてすくすくと育つ森の高木たちを家のごく近い位置に植栽し、木々の命を最大限に暮らしに取り込むのですから、暮らしと共に木々と長く共存するためには、どうしても手入れが必要になります。
高木樹種にコナラやシイノキ、カシノキなどを主木に用いた雑木の庭が順調に生育して施工後3年目となると、厄介な雑草が姿を消して、日ごろの除草管理が非常に楽になります。日向でしか生育できない雑草がほぼ消滅し、柔らかな日陰の雑草が木々の足元でおとなしく共存するばかりになってくるのです。
コナラを主木に用いるもう一つの管理上のメリットは、成長旺盛なコナラが上部の日差しを占有するため、その下となるモミジやカエデ、その他中低木など、多くの樹木に差し込む日差しが緩和されて、枝ぶりが森の中の木々のように自然と柔らかく維持されるため、高木以外はあまり手をかける必要がなくなるのです。
つまり、手入れによって無理やり柔らかい枝ぶりに見せるのではなく、植栽の組み合わせによって木々が無理なく自然に美しい姿を維持できるようにするのが、我々が目指してきた雑木の庭の佇まいなのです。
こうした管理への配慮によって、100坪以上もの広い庭も、軽く1日で手入れできます。もっとも、コナラなどが本格的な成長を見せるのは3年経過した後で、実際にはこれからなのですが、しっかりとコントロールしていけば、年月とともにより深みのある美しさを見せてくれるようになるのです。
リビングからの庭。室内にいながら季節の変化を肌身で感じる間取りです。
和室から。床の間に飾られた枝は、手入れで落とした枝をお施主のMさんが拾い、吟味にして活けられました。
窓越しの秋の気配が窓からだけでなく、床の間を通して室内に取り込まれます。
住まい手の、庭を愛で、楽しむ心が、圧倒的に自然豊かな住環境を許容し、育ててくれる、床の間に活けられた剪定枝を見てそう感じます。
心豊かな暮らしの環境つくり、それは自然を感じとり共に生き共に楽しもうとされるお施主の豊かな心に支えられてはじめてなしえること、これからも、心豊かなお客様と二人三脚でよい庭を作り育んでいきたいと思います。
作らせていただいた庭や心豊かなお施主様が私たちの仕事への想いを支えてくれる、そんなありがたさを実感させられるのもこの時期です。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
雑木の庭の管理に想う 平成25年11月20日
暮れの手入れの時期となりました。今日は千葉市花見川区の庭、施工後8年目の手入れです。
木々は年月のと共に、庭の重厚感が増してきました。
写真は手入れ後の庭です。夏の間、ありがたい木陰を作ってくれた大きな枝を落としていき、温かな日差し差し込む明るい庭へと、手入れによって庭の模様替えをするのです。
木々の合間の玄関アプローチに秋の柔らかな日差しが差し込み、何とも言えぬ、のどかな表情を演出してくれています。
赤や黄色、色とりどりの秋の葉を通過した日差しの美しさは、雑木に包まれた住環境ならではの楽しみなのでしょう。
庭の木々はとても健康です。コナラの木陰のモミジは、コナラに守られて痛むことなく、モミジ本来の柔らかな枝ぶりを見せてくれます。
生育旺盛なコナラは手入れの際に、毎年太い枝をばさばさと取り払わねばなりませんが、その木陰となるモミジなどは、ほとんど手入れせずとも、健康で美しい姿が維持されるのです。
手入れの時間は木々との大切な対話の時間です。木々と語り合い、心地よい集中力に包まれる手入れのひと時は造園者としてかけがえのない時間となり、いろいろな思考がこの時間に次々と生まれます。
成長の旺盛なコナラやクヌギを扱う以上、維持管理のために年に2回の手入れが必要になります。1回の手入れでは、木々に負担をかけすぎてしまいます。
コナラなどの手入れは大枝を付け根から取り払う作業が中心となるため、コナラの性質を熟知した者にとっては作業に時間は要しませんが、落とす枝葉の量は毎年相当な量となります。
木に登り、その木の生長具合に見合った量の大枝を外すという作業を、毎年2回行わねばならないのがコナラを主木とした庭なのです。
雑木の庭がずいぶんと普及してきましたが、雑木林の高木を構成するコナラなどを主体に扱う人と、モミジやアオダモなど、コナラ以外の、本来森の中の中高木層に収まる樹種を主木に扱う人と、2者に分かれてきたように感じます。
管理の面、成長の早さなど、コナラを取り入れて長く管理するためには、それ相応の知識の体得と技術と経験が必要です。
夏の住環境の微気候改善のためにはコナラを使いこなすことが最も有効な住環境の植栽な上、コナラを主木とすることで、その下の木々の枝ぶりがおのずと柔らかく、健全で美しい姿を維持されるという、メリットもあります。
作ったその時点での見た目が完成というのであれば、雑木の庭にコナラを用いる必要などないのですが、竣工後の住環境を心地よく緩和して住みよい環境を作るという役割を庭に求めるのであれば、やはりコナラに勝る庭の主木はない、手入れをしながらつくづくそう感じます。
もちろん、樹高8m程度を想定しなければならないコナラを扱うには、それ相応のスペースの配慮が必要になります。
環境つくりか、鑑賞目的か、目的に応じた庭つくりを追求していきたいものです。
施工後8年目の庭、成長する木々の命と共に、住環境の景色は深みを増してきます。
色鮮やかな秋の木々を楽しみながらもの思いにふけり、旅に出たような爽快感を味わえるのも私たちの仕事の大きな幸せなのだと、感じます。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
葉山 住まいの庭つくり竣工 平成25年11月13日
工事期間中に2つの台風に見舞われて長らくかかっていた葉山の庭が、ようやく仕上げです。
外空間を意識した家屋の外観に木々を溶け込ませて、家と庭が一体となった住まいつくりを目指します。
建築は北村建築工房の設計施工、植栽が必要な場所にゆとりある外のスペースを設けながら建築された家屋は実に植栽しやすく、家屋の形状も植栽による補完を意識して建てられています。
「モリのイエ」というテーマのもと、木立とノシバ、地形の起伏だけで庭を造作します。
木立の下にノシバを植えると、木漏れ日が庭をやさしく揺らします。
手前の男の子は施主の息子、小3です。今回の庭つくり、私たち造園だけでなく、お施主も建築者も一緒に作業に参加してくれました。
住まいの環境を、造園、建築、お施主の3者が一体になって作り上げる。理想的な住まいの環境つくりではないかと感じます。
完成後の住環境。木々だけで作られた住まいの外空間はこれからこの土地と共に、そしてここに住む家族と共に時を重ねて共に育ってゆくのです。
「生命ある庭」「木と共生するイエ/庭」という、お施主に突き付けられたテーマを胸に、試行錯誤の末に生まれた空間は、ごくあっさりとした風景でした。
家際の落葉樹の葉はほとんど落としてしまったにもかかわらず、枝葉の影が心地よく家屋の表情を和らげます。
家屋のボリュームに合わせて、今回は樹高7mクラスの太い雑木を数多く配しています。
何気ない風景、しかし、心地よい景色、心地よい住まい、そんなものを生み出してくれるのが家際の木立です。
完成後、北村建築工房、高田造園設計事務所、そしてお施主と共にじっくりと住まいや庭の佇まいを見渡しながら、延々と庭環境談義です。
建築者の視点、造園の視点、そして住む人の視点、住まいへのアプローチは様々ですが、3者それぞれに共通するのはよい住まいを作りたいという想いなのでしょう。
それらが一体となって協力し合い尊重し合うことではじめて、本当の意味でよい住まいが生み出されるものと、今回の仕事で改めて感じます。
終始快くご協力くださいました北村建築工房の皆様、素晴らしい仕事の機会を下さいましたお施主ご家族の皆様、どうもありがとうございました。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
住まいの環境をつくる、葉山にて。 平成25年11月3日
神奈川県、葉山で進めているMさんの庭つくり、家周りの高木植栽後の様子です。
樹高7mに達する雑木を家際に植えていきます。家屋のボリューム感に負けない植栽を期すことで、植栽直後でありながらもすでに住まいと木々とが一体感を持って、調和のとれた清らかな空気感を感じさせてくれます。
庭つくりにあたり、お施主のMさんの要望は、
「とにかく人の手によって傷ついた土地を森に戻してゆくような、将来家が朽ちてもその後ここに森が残ってゆくような、そんな植栽してほしい。
余計な構造物はできるだけ作らず、植栽だけで住環境を整えてほしい。」
というものでした。
そんなMさんの思想に共感を持って、そして私たちなりにお施主の想いを消化しようとしつつ、試行錯誤しながら木々を植え、空間を作ってゆくのです。
そこに、お施主の心、住まれるご家族の心との真剣勝負があります。
私たちの作る空間が、お施主家族の生涯の暮らしの舞台となるのですから、我々の仕事はいつも迷いの中で、真剣勝負で取り組むしかないのです。
そして、そんな仕事の仕方の中に、我々の楽しみと喜びと生きがいを見出します。
広い庭ですので、くる日もくる日もクレーン車で木を運び、植えてゆく作業を繰り返します。
この地で木々が元気に育ってくれるよう、徹底的に土壌を改良しながらの、妥協なき仕事の場となり、その魂を庭の木々に注入してゆくのです。
1日の仕事が終わると、木々が増え、家の見え方が変わります。1本ずつ、木を植える度に景色が変わる満足感。
そして、この木々に守られて、ここに住まう家族の暮らしが心地よく営まれることを夢想します。
いよいよ今週から庭としての仕上げの造作にかかります。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink