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雑木の庭つくり日記

東京都杉並区の小さな庭 施工中       平成26年1月18日


 今年の庭づくりは、東京都杉並区、Nさんの庭つくりからスタートです。小さな庭ですが、東西南北4面に植栽し、生活環境を潤します。
 写真は樹木植栽後の西庭です。木柵までがNさんの敷地で、その奥には隣地の大木が借景となって繋がっていきます。



 狭いスペースこそ、植栽スペースを絞り、植えすぎずに空間を残し、それぞれの木立を景色として繋げてゆくことによって、すっきりとした心地よい庭が生まれます。



今日の作業は、軒内の犬走りの仕上げです。真砂土に溶岩砂を混ぜて塗り込み、それから洗い出します。



 軒内の塗り込み終了。半ば硬化するのを待ってから、表面を洗い出していきます。



 洗い出し終了後の軒内の表情。黒い粒が溶岩砂です。優しい質感と品のある風合いに仕上がりました。

 Nさんの庭は来週火曜日完成予定です。




投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
謹賀新年 筑波山より         平成26年1月6日


 ブログを訪ねてくださる皆様、あけましておめでとうございます。

 今年1年が平和で穏やかな年でありますように。そして将来の日本や地球の未来への希望が見える年となるよう、惜しまず努めていけますように。

 写真は昨日の筑波女体山山頂です。
 関東平野を一望する常陸の国の独立峰、筑波山は900mに満たない低山でありながら、その尊崇の深さと歴史、広大な関東平野の人々の営みとのかかわりの深さゆえ、標高1000m未満の山の中で唯一、日本百名山に名を連ねています。

 関東平野に人が住み始めたころから祀られているとも言われる筑波神社のご神体であるがゆえに、今に至るまで守り繋がれてきた貴重な自然は、人の暮らしとかかわりの深い低山としては類例を見ないほど、多様で豊かな植生が今も残され、数万年単位の関東平野の木々の変遷を知る上での大変貴重な森が、先史時代から現代にいたるまで連綿と続くつくば信仰によって守られてきました。

 筑波山系の植物種について、茨城県自然博物館の調査によれば1000種類以上の植物が記録されていると言いますが、一つの低山でこれほど多様な植生を有する山は、関東のみならず全国でもほとんど残っていないのではないでしょうか。



 ご神体の山頂に至る山道には点々と祠が祀られます。かつての山岳信仰のそれと同様、祠はエネルギーを放つ奇岩巨石の傍らに祀られます。

 はるか3億年前の地殻の大しゅう曲運動によって生まれた筑波山塊にはむき出しの花崗岩巨岩奇岩がまるで地球の化身のように力強い姿を見せます。
 地球の奥底から湧き出すような岩の力に尊崇の念を持ち、そして敬い祀り、自然の一部である人間の分をわきまえて暮らしてきたかつての日本。



 山頂付近のブナの大木。
 筑波山では標高600mあたりを過ぎるとちらほらとブナが混ざりはじめ、標高700m付近を過ぎると、ブナが大木となって林冠を優先する落葉広葉樹林となります。
 関東南部ではもっとも標高の低い山域に優先するブナ林だと思いますが、きっと1万年以上前の氷河期には関東平野一面にブナの森が広がっていたかもしれません。
 当時のブナの森は、その後の気温上昇によって北方、あるいは高山に追いやられ、ここ筑波山では山頂部に避難したブナたちの子孫がこうして生き残り、隔離された形で連綿とその森を繋いできたのでしょう。



 筑波山のブナは、日本海側や冷温帯気候域のブナ林とは明らかに雰囲気が違います。実際に葉は小さく、遺伝的にはやはり暖温帯気候域の紀伊半島大台ケ原のブナに近いことが分かってきました。
 1万年の昔からゆっくりと進んだ温暖化の中で、つくばのブナは孤立したこの地域の気候変動に対し、ゆっくりと遺伝的に適応させてゆくことで生き延びてきたのでしょう。
 壮大な時間を生き続ける木々の命を目の前にして、心打たれる思いです。

 急速に進む現代の温暖化の中、ここ30年間の記録だけでもブナの衰退、生育範囲の縮小が分かってきました。
 下の方から急速に常緑広葉樹林へと置き換わっているのです。今の温暖化のスピードは、木々の適応できるスピードをはるかに超えていることは間違いないようです。

 平均気温が4度上昇すると、日本の9割のブナ林が消失するという予測もありますが、私たちも木々も、これまでの数万年単位のレベルでの気候変動を、今後数十年で経験することになるかもしれません。それが何をもたらすかは実例など全くなく、誰にも予測はできないことでしょう。

 私たち人間の暮らしの不始末だから仕方ないとは言えども、木々と寄り添いながらこれからの時代を生きていこうと思います。
 
 とにかく、今、冬枯れの低山の美しさ、葉を落とした枝葉が陽光を反射して輝く木々の美しさを心一杯吸い込みながら、歩きます。



 ブナ林の下、標高400~600m辺りに広がるのはアカガシの巨木が優先する太古の香り漂う常緑広葉樹林です。
 アカガシも関東平野の平地にも、ある程度まとまった社寺林などの深い森に点在するように残っていますが、これほど優先するアカガシの森はなかなか見られません。
 


 手前がモミ、奥がアカガシです。林冠の多くをアカガシとモミが優先する針広混交林がブナ林のすぐ下まで迫り、標高700m付近できっぱりと、下が常緑樹林、上が落葉樹林と別れてせめぎ合っています。
 関東南部の低山域の極相林として、常緑広葉樹林にモミやツガなどの針葉樹が混交するようですが、大気汚染や温暖化の影響を受けやすいこれらの針葉樹は至る地域で衰退を見かけます。
 モミなどの針葉樹が常緑広葉樹林の中に混交することで、森の階層が上部に一段階増える分、はるかに森の生態的な豊かさが増すのですが、この光景も今後ますます貴重なものとなってゆくことでしょう。
 そう思いながら、この深く豊かな森を歩くにつれて、今の景色を余すことなく心に焼き付けようという想いに駆られます。



 それにしても立派なアカガシの巨木がここにはふつうにみられます。
 カシの仲間では関東の平野部ではシラカシが一般的に見られますが、そのなかでアカガシの混在はその森の歴史と植生的な豊かさの指標にもなります。
 そのアカガシがこれほどまでに優先する貴重な森がここに広がっています。



 筑波山は関東平野の名峰です。今年の山歩きはここから始まりました。
 そして、霊山を歩き、大地の感触を確かめるように呼吸を合わせて大地を踏みしめます。

 明日から仕事始めです。
 これから始まる一つ一つの仕事に一期一会の気持ちで誠心誠意取り組み、与えられたご縁を大切にしながら生きていこうと、山に誓います。

 今年もよろしくお願いいたします。
 



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
暮の手入れ行脚に想うこと       平成25年12月17日

 今年も残すところあと2週間、11月半ば以降、一か月以上にわたり、毎日毎日庭の手入れのために西へ東へと駆け回ってきましたが、いまだ終わらず、年内だけでまだあと20件ほど廻らねばなりません。
 そして、この怒涛のような暮の手入れ行脚の果てに、爽やかな新年が待っているのです。

 手入れの季節というものは、私たちにとってわが息子のように愛おしい庭の木々たちや、お施主ご家族との再会の喜びのひと時でもあります。
 1年ぶり、あるいは半年ぶりのお客様方々との再会の度、まるで懐かしい友人に会うような、お互いそんな笑顔の中、どちらからともなく「お元気そうでなによりです。」との言葉が自然と発せられます。
 こうしてお互い時を重ね、そしてそれぞれの人生を見守るように庭の木々が寄り添います。

「木々は偉いなあと、つくづく思います。黙って成長して、夏は木陰を作ってくれて、秋はこんな素晴らしい紅葉を見せてくれて・・、家族を見守ってくれて・・、本当にすごいなあと感じます。」
 10年以上も前に庭を作らせていただいたお客さんが先日そんなことを言ってくださいました。
 その庭の作庭当時は入園したての幼稚園児だった男の子が早くももうすぐ高校生、彼は数年前から自分で庭に果樹を植え、花を植え、そして自分で面倒を見る、木を愛する優しい子に育ちました。
 
 木々を愛してくれるお客様はみんな、本当に心豊かで優しい方ばかり。そんな方々と、心から敬い合い、心を通わせつつ、生涯のお付き合いをさせていただけるというのが私たちの仕事なのです。

 私が独立して早くも15年ですから、その頃からお付き合いくださっているお施主さまの場合、当時小学生だった子供がすでに大学を卒業し、独り立ちする期間のお付き合いとなります。
 また、何人かのお施主さんはすでに亡くなり、さびしいお別れも幾度もありました。

 お客様と私たちとは、大方、どちらかが亡くなるまでの一生涯のお付き合いとなることが多くあります。
 そして、お施主が亡くなる前に、愛していた庭の木々のその後の面倒を見てくれるよう、遺言のように託されることもあります。
 木々を介したお付き合いは、心の奥深い部分での共感と敬意を伴うお付き合いとなります。
 木々を愛する温かで清らかなお施主の心に触れることで、私たち自身も、緩やかで確かな人としての成長を実感するのです。

 数日間に訪ねたお施主さんが、お茶をふるまってくださる一時、初顔合わせの若い社員にこう言われました。
「厳しい世界だろうけど頑張ってくださいね。素晴らしい仕事だから。木を好きになってくださいね。木は本当にいいですよ。とにかく木を愛してくださいね。」

 手入れに同行する若い社員たちの心にもお施主の爽やかな心遣いが浸みわたり、そんなかけがえのない感動の体験が、心豊かなお施主方々との触れ合いの中で繰り返されます。

 お施主さん家族との思い出は、私の心の中に庭の風景と共に刻み込まれます。
 そしてこうして手入れに訪れる度、その庭を作ったころの自分、当時の想い、お施主さんの温かい心遣い、ご家族の息吹と時間の経過、そんなものが胸をよぎり、しみじみと時の流れを感じます。

 手入れを通して、私たちは木々や庭のことを学びます。20年も造園の世界にいながらも、毎年手入れの際に庭を訪ねる度に、木々の生長や変化に新鮮に驚き、そして「どうして?」という思考の材料が与えられます。
 私たち人間のスパンをはるかに超える長い時間を生きて成熟してゆくのが自然の木々、それを理解し尽くすことなど、露のように短い命の我々にできるはずがありません。

 庭の手入れに廻る日々、私たちは毎日子供のような感動を味わい、そしていつも新たな発見がそこにあります。
 どんぐりが芽吹き、私たちが植えてもいない木々の種を小鳥や風が運び、そして芽吹き、その一部は庭の一員となっていきます。庭が自然となってゆく喜びと感動も、お施主と共に分け合います。

 手入れに廻り、庭やお施主さん方々と再会し、そしてかつての自分と再開する、そんな時間が暮の手入れの時間。
 1年間を無事に過ごさせていただいたことに心から感謝し、そしてこんな素晴らしい仕事ができることに感謝し、人や社会に恩返ししていきたい、これまでの庭を反省し、もっともっと良い庭を目指したいとの思いを煮詰めてゆくための貴重な時間、それが暮の手入れの時間です。

 素晴らしいお施主様方々に感謝と共に、これからも木々を介したたくさんの出会いへの希望を持って、良い年を迎えるべく、明日も手入れに廻ります。





投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
広葉樹混植密植による森つくりに想う。その2  平成25年12月11日
さて、神奈川県の環境保全林巡り随想記の続きです。



 ここは横須賀明光高等学校背面の環境保全林。30数年前に植樹されました。
 もともとここは粘板岩砕石を切りだしていた採石場跡の斜面で、植樹前の当時は粘板岩むき出しの岩盤だったといいます。



 植林前の斜面造営の際の写真です。
 粘板岩の岩盤を横に列状に溝を掘削し、そこに客土した様子が縞状に見られます。
 今の森からは想像もつかない、本来植樹不可能な場所に森を作ろうという、当時の森つくりへのすさまじい執念が写真から伝わり、頭が下がる思いです。



 そして地盤造成の後、約50センチメートル間隔にスダジイ、タブノキ、アラカシの3種類が植えられました。
 点々と赤く紅葉している樹種が見られますが、これは植樹後に進入してきたハゼの木です。

 今は鬱蒼とした常緑樹林の外観を呈しております。が、本来の自然林とは明らかに違う違和感が、やはり感じられます。



 森の中に分け入ると、細々と生き延びる常緑広葉樹の林床は光が届かずに暗く、林床植物もほとんど生育しておらず、生き物の気配も感じられないサイレントワールドを呈しています。
 小鳥の声も虫の音もまったく聞こえてきません。
 30数年の時間を経てなお、植栽樹木は平均5m程度にしか伸長せず、林床の植生も育たず、不健全な森であることは間違いないでしょう。
 それでも、林床にはトベラやシャリンバイ、ヒサカキ、ムクノキ、マメツゲなど、外部からの種の飛来による実生苗の芽吹きが見られます。しかし、同じ時期に植栽された木々が林冠を塞いで、林床植生が生育するのに必要な光が届かないため、これらの進入樹種が豊かな森の構成員として育ってゆくことは、少なくとも当面はないように感じます。

 この林床の様子から思い浮かぶのは、間伐放棄された不健全なスギやヒノキの人工林です。



 これは日本中によくある、管理放棄された杉の人工林の林床の様子です。木々は細々と不健康に伸長し、その林床は暗く、生き物の気配もありません。
 戦後に植林された人工林は日本全国で現在約1000万ヘクタール。実に国土の4分の1を占めます。その多くが不健全で生態系に乏しく、貧弱な森となっています。

 同じ時期に一斉に植栽された木々は競争しつつ一様に成長し、林床植生の健全な生育に必要な光を完全にさえぎってしまいます。そしてその森は災害にも弱く、生態系としても貧弱で、森としての多様で豊かな機能も発揮されにくい状態が長く続きます。



 放置されて貧弱化した不健全人工林に対し、この写真は、間伐作業を繰り返して比較的良好な状態に維持されてきた杉林です。
 間伐されて光差し込む明るい森には虫や小鳥をはじめ、様々な生き物が飛来し、そして小鳥や小動物を介した自然樹種の進入によって林床に豊かな植生が育ち、森が階層的に豊かになっていきます。進入した広葉樹の落ち葉は土壌環境をゆっくりと改善し、さらに豊かな命も森となっていくのです。



 健全な人工林の林床に対して、この環境保全林の林床は、明らかに生態系に乏しく、健全な森の姿とは程遠い様相が見られます。



 頭上の林冠は、高密度に植栽された常緑広葉樹が完全に光を遮っています。これでは、様々な生き物の種の進入による森の生態系の健全化には程遠いことでしょう。

 広葉樹混植密植による植樹は、自然林育成と位置付けられているようですが、人が一斉に植えた以上、人工林であることには変わりがありません。
 
 ここで大切なことは、人工林においてその森が健全で豊かなものに育ってゆくためには、植樹による樹種だけで完結するのではなく、植樹は自然再生のための一つのきっかけでしかなく、種の飛来、生き物の飛来定着によってはじめて
、その森が豊かな生態系として健全に育ち自立してゆくものであるという事実を忘れてはいけないと思います。

 自然に飛来する樹種の生育を促すためには、やはり林床の光環境が大切で、そのためには間伐、あるいは植え方の工夫によって改善してゆくことが必要でしょう。
 なるべく人手をかけずに森の自立を促すということであれば、これまでのように一面に密植するのではなく、例えば1坪あるいは2坪程度のブロット単位で密植し、、こうした密植植樹群を10m間隔程度に設定することで、他の樹種が入り込む余地が確保されるでしょう。
 これまでのような全面植栽によって種の進入を排除する方法ばかりでなく、種の進入、光環境を考慮したプロット単位のきっかけづくりの植樹方法。試してみる価値があるでしょう。

 また、岩盤を穿って植樹するという悪条件下で植樹されて30数年。これらの木々は密植による競争効果によって伸長成長が促されたにもかかわらず、樹高は5m程度。
 この森の姿からは、潮風にさらされる海岸斜面の荒れた森を彷彿とさせられます。
 シイ、タブ、カシ、といった深根性の常緑広葉樹では、土壌改善スピードも遅く、悪条件下ではなかなか樹高が伸びていきません。
 高木層の樹高が高くなり、林内の空間が広がれば、林内には階層的に植物の生育の余地が広がり、さらには多様な生き物の定着、生存が許容されるようになります。
 そのことによって森はさらに豊かで健全な姿へと移行してゆくことでしょう。

 例えばもし、こうした悪条件下でも進入しやすいセンダンやアカメガシワ、カラスザンショウ、ムクノキ、エノキなどが進入、伸長できるだけの光量が確保されていれば、これらの樹種は少ない土壌でも浅く根を広げて短期間に樹高を伸ばしてゆくことでしょう。そしてこうした落葉広葉樹の落ち葉は分解も早く、腐葉土となり、岩盤を覆い、徐々に土地を改善していき、こうして初めてシイカシなどの極相的な樹種が健全に生育できる環境が整います。

 木々の力、自然に飛来して生態系を豊かにする生き物たちが定着できる森、一朝一夕に作ることはできません。
 数百年の歳月を経て成熟するのが森の生態系というもので、わずか30年程度で結果を判断することは誰にもできません。
 しかし、より良い自然林再生、生態系保全という視点で、植樹方法をさらに改善、発展させ続ける必要があるということは、植樹後の森が語ってくれます。



 再びこの森の外から、森の外観を見ます。もともと緑など一切存在しない採掘跡の岩盤だったことを想うと、修景(景観を修復すること)緑化としては、一定の成功と言えることは間違いないでしょう。
 植樹、その尊い行為を将来の環境つくりに繋げてゆくために、その方法や目的、本質的な意義を検証しながら、進化させていかねばならないと、この森の外観を見るにつけて、改めて感じます。



 そして最後に訪れたのは横浜国大キャンバス。豊かに育った圧倒的なボリュームの緑が校内を包み込みます。
 ここもまた、30年前から継続的に行われてきたポット苗による植樹です。もともとゴルフ場跡地だったこのキャンバスは土壌条件がよく、木々は非常に良好に育っています。やはり、シイタブカシを中心とした常緑広葉樹林です。



 ポット苗からの植樹によって育成されたキャンバス内の木々は、軒並み強剪定がなされていました。木々の側面を切り詰めなければ、あっというまにキャンバス内の通り全体が冬でも暗い日陰となってしまうからでしょう。
 人間環境の快適性と植樹された木々との共存のため、こうした強度な剪定がここでは行われいているようです。



 強剪定がなされた、写真手前右側の木々は葉色が黄ばみ、明らかに不適切な剪定による乾燥被害の様相を呈しています。
 カシやタブは幹からの乾燥に弱く、強剪定によって幹に日差しが差し込むことで乾燥し、健康を害してしまうことがよくあります。
 ケヤキなどの落葉樹が林冠を占める森であれば、夏は木陰をつくり冬は葉をおとして日差しが差し込みます。明るい森には様々な小鳥が立ち寄り、その糞を介した種の飛来も促されます。

 剪定は木のためにも生態系育成のためにも極力避けるべきで、強度な剪定を繰り返さねば快適な人間環境が維持されないのであれば、こうした場所での樹種構成の在り方も柔軟に考えていく必要があることでしょう。
 剪定によって傷んだ木々をみて、そう感じさせられます。



 写真奥の木々は、このキャンバスにあってなお剪定を入れることなく、比較的自然のままに維持されたスペースです。木々は伸び伸びと道路を覆い、健康な森へと確実に進んでいる様子がうかがえます。



 内部に入ると、光が差し込みやすい林縁の道路際を中心に、小鳥の糞などを介して進入してきた下層植生が生育し、立体的な階層構造を有する本来の自然林になりつつある様子がうかがえます。道路によって枝葉を広げる空間の余地が生まれたこと、光差し込む林縁の環境が生じたことが、種の飛来定着による森の健全化につながったようです。
 また、ケヤキなどの落葉広葉樹林がこの森に隣接していることも、豊かで自立した森への育成が促される要因となっていることは間違いないでしょう。
 
こうした林縁環境のちょっとした違いで森は全く違う生育の過程をたどります。

 

  常緑樹ばかりで光の届かない植樹地の中は、なかなか健全で豊かな生態系へと育っては活きません。



 数百年の年月が育む健康な森。
 森は長い年月をかけて土を育み、そしてさまざなま種を許容しながら移り変わり、いのちを生み出す豊かな環境を育てます。
 こうした植樹が最終的に到達を目指すべきは、様々な樹種、様々な生き物が育まれて共存する命の森です。
 
 そのためには、自然の力をもっともっと活用した森つくりの在り方、いのちを呼び込む森の育成方法が求められます。

 私たちの思考のスパンをはるかに超えた年月を生きる森の木々、たかが30年でその結果など分からないのは当然です。
 しかし、かつての人々が森を育て、共存できる形で生かした経験にもどづく知恵の積み重ねが無理のない命溢れる環境を育てます。
 植樹は自然再生のためのたった一つのきっかけにすぎない、ということもよく認識する必要があるように感じます。

 未来の命のための森つくり、より価値のあるものへと進化させていかねばなりません。



 
 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
広葉樹混植密植による森つくりに想う。その1   平成25年12月10日

 先の日曜日、地球環境戦略研究機関国際生態学センター(センター長;宮脇昭氏)主催の連続講座研修会で、神奈川県内の環境保全林を巡りました。
 
 「環境保全林」とは一般的に、防災、防潮、防煙、防風、防音などの目的で、生活環境を守るために作られ、あるいは整備保全される森を言います。
 高度経済成長期の日本で深刻な公害が大きな社会問題となった1970年代あたりから、発電所や製鉄所など、主に大規模工場の外周などに「環境保全林」なるものが次々に設けられました。
 当時の環境保全林造営の一つの手法を主導された一人が、生態学者の宮脇昭先生であったことは言うまでもありません。

 宮脇氏は、その土地本来の気候風土において最終的に形成されるであろう潜在的な自然植生樹種に基づいて、植栽樹種を定め、それらの樹種のポット苗を1ヘクタール当たり30,000本~45,000本という超密植を行い、2年程度の除草管理の後、その後は間伐等も一切行わずに自然淘汰に任せて放置するという植樹方法を提案し、次々に実践されました。
 これまで日本が伝統的経験的に培ってきた山林植樹の場合、植樹密度は1ヘクタール当たり3000本から6000本程度な上、その後、育成の目的に応じた頻度や強度の間伐を繰り返しながら育成してゆくという手法が通例であることを考えると、宮脇氏の植樹方法は革新的な方法だったことは間違いありません。
 この方法は通称「宮脇方式」と呼ばれ、今の日本国内での「ふるさとの森つくり」運動ばかりでなく、世界各地で実践されてきました。
 
 この植樹方法が、賛否両論ありながらも一定の広がりを見せてきた理由の一つには、宮脇昭先生の森つくりへの信念と目的意識が未来に持続する命を守るという、普遍的なところにあるという点と、宮脇先生個人の人柄とカリスマ性に起因する部分が多くあるように感じます。
 人類生存に不可欠な命の森を未来へと繋げるという、普遍的な目的のため、森の再生への手法をさらに発展させて、その場所に適した有効な森つくりの在り方をさらに深めてゆく必要があるでしょう。
 今後の森つくりの在り方を発展させてゆくため、今回の研修ツアーで感じたこの植樹方式の課題を整理していきたいと思います。

 長いブログになりそうです・・。
今回は問題点の列挙に終始しそうですが、宮脇方式の批判ではなく、宮脇方式の今後の発展のための一つの意見としたいと思います。



 今回の研修会で初めに訪れたのは、東京電力東扇島火力発電所に隣接する緑道です。写真後ろが発電所の煙突です。
 工場敷地内には1970年代に宮脇昭氏によって造営された約6ヘクタールの環境保全林(グリーンベルト)があります。
 1970年代、工業地帯周辺の深刻な大気汚染に対して社会の厳しい批判が高まり、企業側の改善措置の一つとして工場周囲に環境保全林が設けられました。

 この当時、この保全林に託された第一の役割は、枝葉による大気汚染物質の吸着効果ではなかったかと思います。
 実際に、樹木を手入れしていると、都会の木々の枝葉には相当な煤塵が付着しています。しかし、汚染物質を含んだ煤塵は人にも有害であると同時に木々や他の生き物にとっても有害であることに変わりはありません。
 樹木の枝葉に汚染物質を吸着させて、大気汚染を緩和しようとすることは、本来の木々の活かし方とは言えず、本末転倒です。
 1970年代、工場や高速道路沿いなどの公害発生源の周辺に次々と環境保全林が造営された際、こうした木々の扱い方に対して当時、林学者の上原敬二氏が早々に問題視しています。
「公害についてはそれが発生しないように努力すべきことがまず第一に必要なことであり、植樹を公害発生の免罪符として使う環境保全林のあり方は少し違う。」と。

 ここでまず、考えねばならないことがあります。環境保全林とは、環境の何を守るものなのか、そしてこれからの時代、どのような場所にどのような目的で環境保全林が造営されるべきなのか、ということでしょう。

 私が小学生の頃、地元京葉工業地域の某製鉄所見学に訪れました。周囲にグリーンベルトがあり、これが工場の煙突から発生する大気汚染を遮っていると説明を受けたことを、今もはっきり覚えております。
 しかし、実際に、グリーンベルトよりもはるかに高い位置に、もうもうと煙を上げる煙突があり、グリーンベルトの緑が粉じんの遮断に役立っていないということを、子供心に感じたものです。
 30数年前、高度成長期の工場見学で感じたことを、この日の光景に思い起こされました。

 ただし、このグリーンベルトが無意味というのでは決してなく、こうした殺伐とした生産活動の場に緑があり、それによって小鳥が立ち寄り、そこに生き物が定着することに大きな価値があり、さらには緑の存在がどれほど人々を視覚的あるいは心情的に和らげていることか、その効果は計り知れないものがあります。
 木々や植物によって癒されるという感覚は、人に残されたとても大事な感性であり、本能でもあります。
 木々に触れ合い、その時に感じる好印象が人々の心に刻まれることも、人が自然との関係で大切なことを忘れないために必要なことで、だからこそ人の暮らしの身近なところに緑が必要で、同時にそれが防風防潮、ヒートアイランドの緩和など、知らず知らずも生活環境改善に資するのですから、どんな場所にも森という形で命の拠点を保全することは必要なことと言えるでしょう。
 
 結論から先に言いますと、工場や都市など活動圏に森を作るということの意義は、未来のための生き物、土壌の生育環境の保全という目的が、今は大切なのではないかと思います。
 森は時間をかけて豊かな土壌を育みます。そして飛来して定着する生き物がさらに豊かな森の構成員となります。
 今後の人間活動や開発において、未来のための命の源である大地を少しでも多く残し、未来へ繋ぐことが、今を生きる私たちの最も大切な使命なのではないかと、今の時代だからこそそう思うのです。




 さてここは発電所周辺の緑道で、ここは地元ロータリークラブによる6年前のポット苗植樹です。
土壌が悪く、地下水位が高い埋立地の悪条件下での植樹ですが、6年経って樹高3m程度の小樹林となっていました。



 当時、シイ、タブ、カシなどの常緑広葉樹を主体に、20種類以上混植して植えられましたが、6年経ってすでに環境不適合による樹種の淘汰が進んでいました。
 もっとも堅実な成長を見せて目立っていたのはヤマモモ、トベラ、シャリンバイ、そしてそれらの生長に圧迫されるように枯死が目立ったのはタブノキでした。
 
 植樹当時の目的は、川崎の海岸沿いの気候下本来の潜在的な主木であるタブノキを中心とした森を再生しようというもので、タブノキの比率が多く植樹されたと言います。しかし、肥沃な大地で徐々に成長して長生きするタブノキのような樹種は、埋立地のような土壌環境のもとで植樹後自然淘汰に任せれば、悪質な環境にも適応できる他の樹種に圧迫されて負けてしまうのは明白です。
 そして、ヤマモモもトベラもシャリンバイも高木樹種にはなりえないので、いつまでも豊かな立体構成の森には育ちにくい状態が続いてしまうことでしょう。

 その土地の気候下における潜在自然植生樹種ばかりで樹種を構成し、見た目だけの「極相樹種林」を作ろうとするのではなく、、埋立地や都会の開発跡地など、現代の荒廃した土地条件を踏まえて、荒れ地に先駆的に生育する浅根性の落葉樹種も含めて、最終的な森の成熟を長いプロセスで考える必要を感じます。

 この植樹方法のこれまでの問題点の一つに、日本の大半を占める暖温帯気候下でおおよそ同じような樹種構成で植樹されることが多い点、荒れ地の改良に有効な浅根性樹種、先駆樹種を積極的に用いようとしてこなかった点が挙げられるのではないかと思います。
 植樹場所の条件によって、もうすこし細かく、樹種、植栽密度、植樹の方法を考えてゆく必要があると言えるでしょう。

 ちょっと、この話題はまだまだ長くなりますので、また別の日に続きを書かせていただきたいと思います。

 
 

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