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雑木の庭つくり日記

ダーチャサポートプロジェクト 後篇     平成26年5月25日


 大変お待たせしました。連休明けの五風十雨農場(山梨県北杜市)で開催されたNPOダーチャサポート設立準備会議の報告ブログ後篇です。
 
準備会議の模様報告を兼ねて、これから私たちがこの日本で始めるダーチャサポートプロジェクトの目指すものを少々ここで紹介させていただきます。

 ここ、五風十雨農場では、農場主の向山氏はじめ、賛同する多くの方々と共に、放置された山林、耕作放棄された農地を再生すべく、様々な面白い取り組みやイベントが開催されています。



 水を張って田植えを待つ、五風十雨農場の3枚の水田。ここでは毎年田植えイベントが開かれ、今年もたくさんの方々と泥んこになって田植えされます。
 この田圃はもちろん無農薬無化学肥料で自然栽培され、生き物豊かなかつての水田の環境を再生しながら、安全でおいしく、いのちの力溢れる本物のお米が収穫されます。



 農場の周囲に広がる耕作放棄地。緩やかな傾斜地に、棚田を営んだかつての暮らしの名残が残ります。この田んぼがこれまで幾世代の暮らしを支えてきたことでしょう。
 農地山林はいのちの源です。豊かな大地は数千年という悠久の時間を超えて、永続的にいのちの糧を生み出し、そして同時にたくさんの生き物の循環を育み続けてきたのです。

 緩やかな傾斜地ですが、この棚田を開墾し、永続的な命の財産を後世に残した先人の営みに思いを馳せるにつけて、先人の汗を大地に刻み込んだ素晴らしい農地をこれ以上減らしてはならないと、強く感じます。
 そして、豊かな大地を守り伝え、いのちの循環を再生するべく、いまこそ動き出さねばならない、そんな志を一つに、この農場に人が集まり、そしてダーチャサポートプロジェクトがここでスタートをきりました。

 この地が日本のダーチャ村、スタートの地となるのです。前途多難な道のりかもしれません。しかし、今のような時代だからこそ、本当に変えていかねばならないというエネルギーも情熱も高まるものです。

 震災後の日本、この国の、今という時代に生きることへの不安、将来の子供たちの未来への不安を感じる人が非常に増え、そしてそれはかつてないほどに切実さを増しているように実感します。
 そんな中、いざという時、お金に頼らず、既製のライフラインに縛られることなく、自活して生きてゆくことのできる土地、大災害や戦争等、様々な社会不安の際の避難地を得ることを考えられる方が、私の顧客の間でもますます増えてきました。

 決して持続できない今の社会。本当の意味で永続的に自活して生きてゆく術は、身近な自然との絆を取り戻す中にしかありえません。
 自然の循環の中でしか決して持続的に生きていけない私たちは今、あまりに自然からかけ離れてしまいました。
 すでに多くの日本人が、生活の糧を身近な大地から得る術すら忘れつつあり、お金を得ることですべての日用の糧を賄っているのが現状です。
 そこまではまだ仕方ないかもしれません。しかし、既製のライフラインを人質に取られ、お金の奴隷となってしまっては、善悪の判断までもがたった一時のお金の流れにすり替えられ、流され、そして、持続可能な豊かな未来のために本当に大切なこと、その正しい判断をも見失ってしまいます。

 自然を再生しつつ持続的な循環を暮らしに取り戻し、自活する術と避難地を求める方々を、私たちNPOダーチャサポートが支えていきます。
 普段は都会に暮らしながらも、週末を自然の中で自給的に暮らす、そんな場を、30代40代の普通の子育て世帯が手の届く金額で提供し、そしてその暮らしを必要に応じ、NPOとしてさまざまサポートし、あるいは学びの場を提供していきます。

 自給的な暮らしにあこがれ、必要を感じながらも、それぞれ仕事や生活に追われてなかなか実現できずにいる方はたくさんいることでしょう。また、どうすればよいか、分からぬままに、「老後の夢」へと封印している人もたくさんいます。
 しかし、私は今こそ、しかも自然を知らない今の子供たちが活気を持って遊び、健全な自然観を育ててゆくことができる、そんな場が必要に思います。
 子供ばかりでなく、いのちの循環に気づかせてくれる大地とのかかわりが大切なことは大人も同じです。 
 



 五風十雨農場周辺の放置林や耕作放棄地をくまなく歩き、ダーチャ村用地、構想への夢を膨らませていきます。
 可能性あふれる土地にみんなの表情は自然と明るく輝きます。



 棚田放棄地、ここで暮らしてきた先人によって土地は美しく造成され、ちょっと整備すればすぐに菜園として再生できる可能性を秘めた野を目の当たりにし、、この地でダーチャをはじめようと、みんなの想いが一つになりました。

 この地の地形を壊すことなく農地として再生整備し、100~200坪程度を一区画に、おそらく10数区画程度のダーチャ村として希望者に分け、そしてその暮らしを各々の必要に応じてサポートしていきます。
 各々週末をここで過ごしつつ、自給的な楽園を作ってゆく、そんな暮らしの場を、ごく一般の都市生活者に提供することで、本当の意味で平和で美しい、未来永劫の日本の再生に繋げていきたい、それが私たちメンバー共通のゆるぎなき想いなのです。



 このプロジェクトによって再生を目指すのは農地ばかりでは完結しません。周辺を取り囲む山林の豊かさを取り戻し、育成しつつ、そこから堆肥材料としての落ち葉や木の実、燃料としての薪やホダ木、自給的建築資材など、様々な生活資材を得られるように再生していきます。
 周辺の山林は、かつての里山が村落共同体によって管理され、利用されてきたように、ダーチャ村共有の入会利用地とします。
 ここで薪などの生活資材を得る権利と同時に、みんなで労力を出し合って育成整備してゆくのです。



 農場主の向山さんの案内で、五風十雨農場にて育成、利用している山林を歩きます。
数十年前までは建築資材として欠かすことのできなかったアカマツは、ここ10年程度で急速に衰退し、次々と枯れていると言います。
 さまざまな原因があるのですが、急速な衰退の原因は大気汚染の影響ではないかと考えられます。
 大気汚染に弱いマツなどの針葉樹は森の中でも突出して高く、枝先に汚染物質を吸着します。以前であれば、空気のよい郊外の山間であった北杜市にも、地球規模の広域汚染の影が忍び寄ります。



 ここでは松枯れの跡地に様々な自然植生樹種の苗木を植えて、森の再生に取り組んでいます。



 再生しつつある森の稚樹。一定の高さになるまでは、増え続けるシカなどの食害から苗木を守る作業が必要になります。
 豊かな農地は地域の生き物の循環が作り出すもの、周囲の山林の再生は、生活資材を得るためだけでなく、清涼な水を貯え、強風や土砂災害から暮らしの環境を守り、そして何よりも生き物溢れる豊かな生態環境を作るのです。



 農場のかまど。煮炊き採暖の燃料は周囲の山から得るのです。薪採取などの森林利用によって、山に適度に光が差し込み、豊かで変化に富む里山の命が営まれるのです。
 かつては生活に欠かせないエネルギーはすべて身近な里山の循環の中で賄われてきました。日本のエネルギーの主役がこうした薪炭から化石燃料に取った変わられたのは1960年代のことですから、わずか半世紀前のことです。

 ちなみに、このかまどは数年前に作られながらも今はほとんど使っていないと言います。



 今農場の煮炊きに活躍しているのが、この自作のロケットストーブです。かまどの場合、大量の薪を使ってかまど全体を暖めねばならないのに対し、このロケットストーブは少量の小枝などで効率よく炊事の用が足せる上、簡単に火入れができるのです。

 ちなみに、この五風十雨農場では水、電気、燃料の全てのライフラインがほぼ自給されています。



小さな焚口に小枝をくべると、たちまち炎は煙突に勢いよく吸い込まれていきます。



 その手軽さと効率のよさ、廃品利用で手軽に自作できる点など、週末ダーチャの煮炊きの用にはロケットストーブは必需品になることでしょう。



 この日の昼食は、周囲で取れた山菜です。



 周囲の野山から採取して、自家製の油で山菜てんぷらのできあがりです。
 今回料理してくれたのは、ダーチャサポートと提携的に協力くださるNPOメダカの学校の方々です。
 山菜野草の知識があれば、春の野山はおいしい食べ物であふれているのです。




 お米は五風十雨農場の自然栽培米。



 お味噌も完全無農薬の自家製大豆から作った、とてもおいしいお味噌汁。
 いのちの味というべきか、いのち溢れるほんものの食材のおいしさ、昔は当たり前だったのでしょうが、今の時代、健康な水と太陽と大地が育む素材本来のおいしさに出会うことで大きな感動に包まれます。



 調理して食べる楽しみ、本当の満足感、ここでの食事は大切なことに気づかされます。



 五風十雨農場マザーハウスでのダーチャ談義は夜も続き、薪ストーブと少しの照明の下、緩やかな時間が流れます。





 隣の方から庭の水路に生えるクレソンをいただき、



特産の行者ニンニクを、摘み取る。今日の夕飯も楽しみ。
 
そんな暮らしを望む人に、できるだけ提供していきたい。同時に、耕作放棄地や里山の再生に繋げていきたい。そんな思いで、ダーチャサポート活動を始めます。

 そして、それが決して、時間やお金にゆとりのある一部の人にしか手に届かない別荘のようなものではなく、例えば、庭のある暮らしか、週末の自然の中での暮らしの場か、そんな選択ができる程度の金額で、できるだけ今の都会の子育て世代の人たちに提供し、サポートしていきたいと思っています。
 
 自然の中で生きる力を身に着け、大地の恵みに感謝し、感動しつつ暮らすこと、そんな人たちが増えることでこの国はどれほどよくなることでしょう。
 造園の仕事、そしてダーチャサポート、いずれも日本、地球の美しい未来のために力を尽くしてまいります。

 NPOダーチャサポートプロジェクト、多くの方々のご賛同、ご協力を心よりお待ちしております。






投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
春の施工庭巡り 市原市Aさんの庭    平成26年5月18日


昨年10月に竣工した千葉県市原市Aさんの庭です。春を迎えて新芽が出そろい、庭の表情は一変しました。



 植栽して初めての春には枯れ枝も多く発生します。それもこの地になじんでゆく過程というもので、木々の命の証です。
 植栽幅2mに満たない細長い庭ですが、それでもこれだけのボリュームある植栽が、家屋の環境形成に必要です。
 暮らしの環境は木々によって激変するのです。



 植栽後半年を経て木々はずいぶんとなじんできました。景色が馴染んでゆくことは木々の健康の証でもあります。

 昨秋に植栽したAさんの庭も、新築されてから5年間の間、この木々はなく、丸裸の状態で5年間を過ごされました。カーテンは空けられず、また大きな開口を通して差し込む夏の日差しは、今思えば地獄だったと言います。
 そんな暮らしを一変させたのが植栽です。今はカーテンを常に開けっ放し、1日に幾度となく、ワクワクしながら庭に出て、心地よい空気を呼吸する、そして木の下の椅子でまどろむ時間、この木々のおかげでAさんの週末は大きく変わったのです。

 木々を活かすことで住環境は別物になります。かくも素晴らしきは木々の力、このかけがえのない緑の力をもっともっとたくさんの人に知っていただきたい、暮らしの環境つくりに活かしていただきたい、植栽によってお施主の暮らしが大きく変わるのを目の当たりにするたび、私たちもこの仕事に対する情熱とエネルギーをいただきます。

 春は木々が心地よく、いい季節です。




投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
千葉県茂原市の庭 完成    平成26年5月17日


 新築して7か月、何もなかったUさんの敷地でしたが、昨日からの2日間で庭が完成し、家の景色が一変しました。



道路に面したわずかな庭ですが、とても大切な庭です。
木々が大方植わった昨日、お施主のUさんは新築後初めてカーテンを開けて過ごしたと言いました。今日の朝、現地にうかがうと、早朝からリビングのカーテンを全開にして緑の日差しを楽しまれている様子に、木々があることの素晴らしさにいつもながら驚くばかりです。



 完成後の主庭の全景。



 植栽直後でも、これだけのボリュームで植栽すれば、庭の中は驚くほど涼しく感じます。



 主庭正面から。とてもオープンな庭にしています。狭い庭こそ、オープンにして様々な動線を作ってゆくことで伸び伸びした雰囲気の明るい空間が生まれます。



 木々の合間の玄関アプローチ。歩く楽しみ、柔らかな足触りを感じる小道。木々があれば他に何もいりません。



 お風呂窓に面した北側の坪庭。木々が植わった昨日、ご主人は窓を全開にして1時間余りも湯船につかり、ライトに照らされたこの木々を眺めていたと言います。
 わずかなスペースでも、暮らしを潤す木々の力は計り知れません。



 庭が完成して大喜びのUさん家族、木々が植わる昨日は奥さんはうれしくて興奮して眠れなかったと言います。
 庭を作る度、お客様の感動と喜びに接することができるというのが、この仕事のとても大きな幸せです。
 が、今も私たちの造園着工を今か今かとお待ちくださっているお客様が幾人もいらっしゃいます。
 お待たせすることはとても心苦しく、そうしたお客様を思うにつけて、「早くしなければ」といつも気が急いでばかり、焦ってばかりの人生です。
 長いことお待ちくださるお客様に、早くこの幸せと感動を届けたい、と思いつつ、身は一つで焦るばかりです。
 いまも気長にお待ちくださっているお客様、必ず木々と共にある素晴らしい暮らしの環境を順番に全力でお作りしますので、、、どうか気長にお待ちくださいますよう、、、。

 さて、来週からはまた、連休を挟んで中断していた茨城県常総市の庭つくり再開です。





 


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先月完成の庭 鹿島市Y邸、竣工1か月後   平成26年5月14日


 ここは茨城県鹿島市、Yさんの庭です。先月竣工し、今日はメンテナンスのために訪ねました。
そういえば、この庭の完成の模様をこのブログで紹介していなかったので、今回ご紹介いたします。

 週末家庭菜園を楽しまれるYさんの庭には、10坪程度の家庭菜園に作業小屋、休憩ベンチなど、暮らしを楽しむ様々な仕掛けを施しました。



 隣接する通りからの外観。正面は玄関アプローチ。左側(南)に菜園があります。



 木々の合間の玄関アプローチに踏み込むと、芝生広場の向こうに作業小屋が垣間見えます。



 古材を用い、昔ながらの工法で作った作業小屋は1か月を経てすでに生活感にあふれています。



 菜園の前にはベンチを設け、庭側からも菜園側からも腰かけたり、物を置いたりできるように配しています。



 菜園スペースは、土留めして庭の地盤高に合わせて作りました。



 菜園の脇には、2台分の駐車場。コンクリートの使用は最小限度に、庭に繋がる駐車場の風景を心がけました。



 駐車場から見た主庭。ここにもベンチを配しています。



 駐車場から玄関に至るアプローチ。



 1歳の小さな子供を若い夫婦。休日はいつも庭に出っぱなしで過ごすと言ってくれます。
 施工後1か月でも、庭はお施主の愛情を受けてすくすくと育ちます。
 



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
ダーチャサポートプロジェクト始動 前編  平成26年5月10日


 ここは山梨県北杜市。西に南アルプス、東に八ケ岳連峰と、日本を代表する中部山岳の山々に囲まれた冷涼な高地、その山間に風景に溶け込むのどかで美しい暮らしの風景が今も変わらずに見られます。
 登山に明け暮れた若い頃、山に向かう中央本線の車窓から見たこんな風景は今も変わらず、ここではまるで何十年も時が止まっているような、そんな懐かしさを感じます。

 連休明けの7日から、NPO立ち上げ準備会合のために、この地を訪れました。
 今私たちが立ち上げの準備を進めているのは、「NPOダーチャサポート」と言います。
 今後その活動を通して、里山や耕作放棄地の再生、食糧・エネルギーを含む自給的暮らしの場を多くの人に提供していきたいと考えております。
 また同時に、自然とかけ離れてしまった街の人たちに週末田舎暮らしの場を提供し、様々な形で自律した自然共生型の暮らしのサポーをトしていきます。

 ここで少しばかり、ダーチャというものについて紹介したいと思います。

 ダーチャとは、ロシアにおける、簡易ハウスのある菜園用地を言います。都市郊外の自然豊かな田舎にダーチャ村は点在し、今も8割以上のロシア人世帯が、ダーチャを所有しています。
 彼らは普段は都会のアパートなどに居住し、週末には家族と共に郊外のダーチャで過ごすことが多いようです。

 7年前、ロシアサンクトペテルブルグ市で催された日本庭園講座開催のためにロシアを訪れた時、初めて私はダーチャの存在を知りました。
 週末を彼らのダーチャで過ごさせていただき、都会を離れ、大地と共に生きる時間をとても大切にする、陽気なロシアの方々と共に暮らす中で、日本人もこんなライフスタイルが実現できれば、人も社会もどれほど心豊かなものになるだろうと、強く感じたのです。



 これはハバロフスクの夏のダーチャです。(写真提供;神奈川県日本ユーラシア協会理事長 柴田順吉氏)
 ダーチャの一区画は平均200坪から250坪程度で、彼らはそこに自分で家を建て、果樹を植え、畑を耕しながらゆっくりとした田舎の時間を楽しんでいるのです。



 ダーチャの畑です。夏のダーチャは一年を通して最も美しい時で、野菜に穀物、果物と、様々な作物が次々に実ります。ロシアの多くの人は今も、ダーチャで自給的な作物栽培を続けているのです。
 実際に、ダーチャでの食糧生産は大変なもので、例えばロシア全体のジャガイモの8割はダーチャで自給的に生産されていると言います。
 かつてのソ連崩壊における経済危機の際にも、彼らにはダーチャがあったおかげで、一人の餓死者も出さなかったのです。



 これはペチカという、ロシア特有の薪ストーブです。数本の薪で一晩中家を温め続けるほどの、驚くほど効率のよい構造になっているのです。薪をくべて扉を閉め、煉瓦の壁の中にくねくねと張りめぐらされた煙突から煙の熱が壁面に蓄熱し、壁全体を暖めるのです。




 薪は暖房だけでなく、炊事やバーニャと呼ばれるロシア家庭の伝統的なサウナなど、暮らしの中の主要なエネルギー源として、ダーチャ村では多用されます。
 
自給的な暮らしのダーチャ村では当然、周囲の森から薪を伐りだします。一つのダーチャ村は数百世帯程度で形成されているので、周辺の山から相当な薪の伐りだしが必要になります。



 サンクトペテルブルグ郊外のダーチャ周辺の森です。
 近隣の森は、間引くように伐採されつつも、集落を取り囲む森としてしっかりと木々が残されて、、そして後継となる若木もそこで育っているのです。
 彼らが無秩序に自分の土地に近い場所から薪を採取していけば、森は周囲から遠ざかっていくことでしょう。
 しかし、そこにどんなルールがあるのかわかりませんが、彼らは環境としての木々の大切さ、かけがえのなさを知っており、森が森として持続できるように利用しているのです。




 サンクトペテルブルグ郊外、ダーチャ村の夕景です。木々の中にとても美しく神々しく、大地を賛美しているようです。
 平日は多くの日本人同様に都会で暮らす彼らが、ダーチャ村での自然と共にある暮らしの中で周囲の木々を守り、木々に守られ、その共生の暮らしこそがこの美しい光景を作り出してきたのです。

 今の日本が忘れてしまった大切なものがここにある、彼らは持っている、そんな感動に包まれたダーチャでの光景でした。



 大地の恵みを収穫し、そして家族や友人たちと料理を分け合い、心躍る楽しい時間を過ごします。



 ダーチャでの朝食のひと時。小さな子供も、家族と一緒にダーチャに行く週末をいつも楽しみにしています。



 ランプの灯りを見つめる時間。だたそれだけでも子供にとってはぞくぞくするほどの楽しい時間。
大人も子供も金曜日の夜にダーチャに着くなり、うれしさのあまりに大はしゃぎです。

「ロシアの若者もダーチャに行くのか。」と、彼らに尋ねたところ、やはりロシアでも年頃になると都会の方が楽しくて一時期ダーチャ離れする若者も多いと言います。しかし、彼らも結婚して子供を持つと、再びダーチャでの週末ライフに還ってくると言います。
 きっと、子供の頃のダーチャでの楽しい思い出が忘れられずに、彼らの心の原風景となっているのでしょう。そして、そんな豊かな心と楽しい思い出を自分の子供達にも伝えたいとの思いから、彼らの多くは今も週末の自給的暮らしを捨てることなく保ち続けているのでしょう。



 サンクトペテルブルグの街の風景。彼らは一見、多くの日本人と何ら変わらぬ都会の生活者に見えますが、彼らの大半は自給する能力も持つ市民なのです。
 彼らはたとえ社会が崩壊しようと戦争が起ころうと、お金が紙切れになろうと、いざとなればダーチャで大地と共に自給的に暮らす術を持っているのです。

 一方日本の多くの都市生活者はお金が途絶えれば生きていけないと感じていることでしょう。
 私たち日本人は戦後の経済的な豊かさの追求の中で大切なことを見失い、生存の源たるべき身近な自然環境を破壊し続け、そして我々の暮らしは本当の意味で、貧困で脆弱なものになりはててしまったのではないでしょうか。
 



 豊かになったロシアでは今でも、都会の暮らしと田舎の暮らしを多くの人が両立させているのです。彼らにとってダーチャ生活を失うことは、大地との絆を失うに等しく、本当の意味でのセーフティネットを失うことだと、多くの人が知っているのでしょう。
 自分で家を修繕し、大地を耕して作物を育て、生活に必要なものを森や畑から得て、そして感謝を持って大地を次世代に受け継いでゆくという、私たち日本人が忘れてしまった、大切なものを彼らはその暮らしの中で今も持ち続けているのでした。



 さて、日本に戻ります。ここは北杜市の山間、五風十雨農場です。
 農場主の向山さんは十年近く前、この休耕地を借り入れて周囲の森の木だけでこの集会棟を建て、電気、燃料エネルギー、水といったライフラインも自給できる体制を整えたのです。
 ここで付近の農地山林の再生に取り組み、都会の人たちを集めて田植えしたり様々なイベントを通して学びと遊びの場を提供し、自然と共にある健康で豊かな本当の暮らし方をここで実践し、体験してもらっていたのでした。

 今回、日本でもダーチャのある自然共生型の暮らしを広め、人と自然とのつながりや自然と共にある暮らし方を支援し、広めてゆくべく、ここに有志が集まり、2泊に渡ってNPOダーチャサポート設立準備会議(エンドレス談義)が開かれました。

 さて、大変長いブログになりますので、後篇はまた次回にご期待くださいませ。

 

 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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