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雑木の庭つくり日記

深まる秋と高田造園の1か月      平成26年10月21日


 ここは信州、小淵沢周辺。南アルプスと八ケ岳の合間の雄大な景と透き通るような秋の空気が心と体を吹き抜けていき、洗われます。
 滞ることのない素晴らしい気の流れを全身に感じつつ、太古の昔から変わらない空気感に五感が研ぎ澄まされ、遠い昔やここでの様々な営みの歴史に思いを馳せます。

 稲刈りを終えて収穫の時、それが日本の秋というもの。青い空と遠い山並み、その下の稲穂の掛け干しの風景がたまらなく郷愁を誘います。

 めまぐるしいほどの忙しさと怒涛の日々。少年の頃の国語の教科書、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。」そんな言葉が頭をよぎります。 
 月日は矢のように過ぎ去って、そしてあっという間にまた一年と、年を重ねていきます。時間の大切さ、使い方、日ごと年ごとその重みは増していきます。
 価値ある日々、価値ある人生を生き抜くために、その時、自分に与えられた役目を正面から見据え、そして、道の途中で与えられた学ぶべき大切なものをきちんと学び、積み重ねていきつつ、心に栄養を与え続けていきたいと思います。

 様々な感動、様々な出来事、様々な想い、ブログで紹介できることはいつもほんのひとかけらにも過ぎません。

 一仕事が一段落した雨の午後、少し、最近の出来事を足早に紹介してみたいと思います。



 信州、縄文時代の遺跡が数多く発掘される井戸尻遺跡の周辺風景。長野県のほぼ中央に位置する八ケ岳山麓は、起伏に富む豊かな自然と清らかな湧き水に恵まれて、縄文時代には日本の人口の1割がこの地域に集中していたと言います。
 自然と共に生きてきたはるかかなたの先人たち、豊かで美しい、こんな素晴らしい地を選んで暮らしたその知恵と想念に、心の底から敬意と感動が沸き起こります。



 復元された縄文小屋。ここではその紹介は省きますが、アイヌのチセにも通じるその地の住まい方の合理性、美しさ、敬虔さに打たれます。



周辺の蓮田の美しさ、青空と山並の美しさ。縄文以降、この地に鍬を刻み、連綿と続いてきた人の暮らしの風景が、まるで大地の神の大きな懐に抱かれるようです。
 はるか数千年以上もの間、この地で生きた人たちが呼吸し、そして日々共に生き、敬ってきた風景が今もここにある、、そんなことに感動します。



 見上げると、トンビが悠々と空から大地をうかがいます。このトンビ舞う光景も幾千年と、時を超えて存在し、時を超えて人の心に様々問いかけ続けてきたことでしょう。

 大地の「気」、大きな気の流れやその対流、最近そんなことを敏感に感じるようになりました。ここはまだ、人や生き物を善導する、美しい気の力が感じられます。



 目の前に南アルプス鳳凰三山の山稜を望む、山梨県北杜市、五風十雨農場。ここを訪れるのも今回で3回目となりました。
 相も変わらずこの地には常に清らかで滞ることのない気が流れ、そして南アルプスの山並みへと吸い込まれてゆくようです。

 10月初旬、第4回目となるNPOダーチャサポート準備会議のため、東は千葉から西は広島まで、遠方からはるばる毎回、夢と志を共有する仲間が集まります。



 会議はいつもエンドレスで、しかしながら毎回確実に前進していきます。五風十雨農場周辺の、この素晴らしい土地にいよいよ、日本初の本物のダーチャ村が生まれようとしています。

 それは、インフラやエネルギー含め、現代生活をそのまま田舎に持ち込んで、地域の自然環境に大きなインパクトを及ぼす従来の別荘地開発とは全く異なり、その土地のあるがままの地形、あるがままの恵みを活かし、風雨を凌ぐに足るばかりのほんの小さな小屋を建て、人が周辺の自然環境を守り育てながら、自給的な自然の恵みを活かし感じつつ暮らす場所、それが私たちの目指すダーチャ村構想です。



 周辺の耕作放棄地、放置林を歩きます。ここが我々のダーチャ候補の一丁目一番地です。
誰が植えたか、この地のクリやクルミが今、豊饒の時節を迎え、拾いながら歩けばすぐに、両手の袋が一杯になります。



 緩やかな傾斜地、清らかな小川、周辺の山林、かつての段々畑の名残の地形がそのまま残るこうした土地。今は日本中で打ち捨てられた、かつての暮らしの忘れ形見のような土地を再生し、再びその地で人と大地とのつながりを再生したい、そんな願いもまた、私たち共通の想いです。

 五風十雨農場のダーチャ村について、興味ある方はお気軽にお問い合わせください。



 ダーチャ会議の帰路、山梨県都留市、かつての水力発電跡地に立ち寄ります。東電がここでの発電事業をから撤退して放置されて数十年、今、地元NPO団体によってこの施設を再生し、再び発電に活かす計画が進行しています。
 豊富な水と落差を活かして、かつてはこうした地域的な発電施設が山間地域のあちこちにあったのでしょう。
 これひとつで、現在の一般的な電力使用量に換算しても数百世帯分の電力が賄えるといいます。山間部の集落には十分かつ、ちょうど良い規模と言えるかもしれません。
 かつては地域小規模発電が、この国の山間地域の暮らしを支えてきたことを知ります。



 豊富で絶え間のない清らかな水流は周辺の山が生み出します。
 こうした、自然環境を活かした地域自給的な電力施設も、高度経済成長と共に集約化されたメガ発電化の波にのまれて消えていきました。
 今再び、地域自給型の小規模発電を、しかも新たにつくるのではなく、捨てられた施設を再生して使おうという、そんなここでの強い動きに、一筋の希望の光を見たような想いです。




 ここは東京都国立市、見事な桜並木です。道路2車線化と自転車専用道の整備計画に伴い、大きな桜の木々が選択的に伐採されることとなり、それに対して多くの国立市民が何とかこの木々を守れないかと、勉強会を続けているのでした。
 すでに伐採や、不適切な枝払いがなされた箇所を見た市民から、市への苦情や問い合わせが殺到したと言います。その結果、国立市も伐採計画を見直し、全体の3割程度の本数の、衰弱木として判定を受けたサクラの老木のみを伐採することになったのです。
 この桜並木の風景が変わってしまう。これまで素晴らしい環境を守ってくれた木々が伐られる、本当に伐る以外に方法はないのか、市民たちが定期的に集まって勉強会を開き、街の緑をみんなで守り育てようとしている、そんな動きが沸き起こっているのでした。

 緑豊かな美しい街の木々が、こんな素晴らしい自律した市民を育て、そして市民によって木々が守り育まれる、そんな関係を作ってしまう木々の素晴らしい力を改めて感じます。



 47年前に植樹され、そして与えられた場所で必死に生きる木々の力が、ここで暮らす市民に様々なことを教え続けてきたのでしょう。



 市によってC判定とされ、伐採されることになった木々を見ると、まだまだ精力にあふれ、生きようとする力をたくさん持っている木々ばかり。問題があるとすれば、道路工事の際に大きな枝を無残に伐られて乾燥し、急速に衰弱してしまった木々たちくらいです。

 C判定で伐採・・だれがどんな基準で判定したのか。その基準を尋ねると、腐朽菌類が発生し内部の空洞が進んでいるというもの、ということでした。
 内部が空洞化しても、木健康な状態であれば長寿を全うできます。生きようとする木々は、腐朽菌によって木部の腐朽が進めば、その分急速に周囲の細胞を増殖して盛り上がり、腐朽部を包み込んで塞いでいきます。その盛り上がり方を見れば、木々がまだまだ充分に生きていける力を持っているか、危険はないか、十分に判別できます。木々の健全性は単に腐朽の有無や進行具合で判断できるものではありません。
 反面、その木に生きようとする力が低ければ、腐朽の進行に対して組織増殖が追い付かず、衰退していきます。それが自然の流れであって、その見極めは必要な場合もあります。
 今回の国立市民の会、桜ネットの集いには、NPO杜の会、大地の再生師ともいうべき、矢野智徳氏のお誘いで参加させていただきました。
 私も矢野さんも、C判定を受けたこの木々はまだまだ問題なく、生きようとする力にあふれている、という見解を共有します。
 病気になったから伐る、危ないから伐る、もちろんその判断が必要な時もありますが、誰が何を根拠にそれを判断するか、本当はそこに問題があるように思えてなりません。
 経験と愛情に基づく判断は、全てを説明し尽くせないものです。自然というもの、木々というものは様々な要素の微妙な絡み合いの中で、健康に生き、あるいは健康を損ないます。そして彼らが発する様々なシグナル、それは本当にとても微妙なもので、木々との対話の経験と深さが左右する部分が多いように感じるのです。

 本当にこの木々は伐られなければならないのか、真摯に学びつつ、緑豊かな環境を守り伝えようとする国立市民のような動きが全国に広がれば、日本の街、環境は素晴らしいものに育ってゆくことでしょう。木々が人を育て、そして人が木々を守り育む、そんな関係を感じたひと時でした。



さて、仕事の話もしないといけません・・。
 今月は茨城県から静岡県まで、4件の造園工事を並行して進めております。
 ここは静岡県、浜名湖のほとり、Kさんの造園工事が始まっています。先日、植栽を始めたところです。



 木々が植わると家の見え方は一変します。
 


 遠い地での作業ですが、この地に造園観を共有できる仲間と一緒の作業に力が入ります。
 この地の自然環境を尊重し、なおかつ暮らしの風景になる、そんな空間を目指します。



 場所は変わってここは地元千葉、2年前に作った庭に、新たに木製カーポートを造作しました。



 豪雪にも大風にも耐えて長持ちし、しかも庭の木々に調和する佇まいを期しました。
 梁には古材の松梁を用い、どっしりした重量感と軽やかを兼ねる、明るい雰囲気に仕上がりました。



 水はけの悪い締め固められた土地で、植えた木々にもずいぶん苦労を掛けましたが、2年経過してようやく気脈通じて木々が元気に、本来の美しい姿へと健全に育ち始めたことを感じます。



 サービスヤードの家屋東側の高木。ぴったり家際に植えられた高木も、この地で2年を経てようやく自分の位置を把握して、外側へと枝を素直に伸ばしていきます。木々が健康に根を伸ばしつつある様子は、こうした姿で分かります。



ここは東京都世田谷区、この春から時間をかけて、少しずつ造園工事を進めています。
 玄関ポーチ脇の風防室に窓ガラスとガラス扉が入り、玄関ポーチ周辺が完成しました。
ガラスは今はなかなか手に入らない、かつての手すきのガラスです。ゆらゆらと透けて見えるその奥に奥庭の緑の空間が取り込まれ、静寂でとても品のよい空間が生まれました。



 シンプルですが、飽きることのない品のよい空間、それこそが、我々つくり手が意識すべき、最も根本的でもっとも大切な感覚なのかもしれません。



 玄関ポーチ奥の北庭。周辺の豊かな緑を取り込み、プライベートな屋外リビング空間となります。さて、これから表側の駐車場と玄関の庭を仕上げていきます。

 さて、、今月の活動を一挙公開しようと思うと、、まだまだ果てしなく長くなってしまいます。進行中の現場の紹介はこの程度にいたします。



 10月10日に発売開始となった、冊子を紹介いたします。
「心と体を癒す雑木の庭」 主婦の友社です。2年前に発売された「これからの雑木の庭」に続く第2弾です。
 今回は私の著書ではありませんが、40ページほど寄稿し、雑木の庭について、心身の健康増進効果など、少し新たな角度から解説しております。



 特に今回、力を込めて書かせていただいたのは、、木々の持つ環境形成作用についてです。樹木は周辺の環境に働きかけて、水や空気、土を改善し、様々な生物たちが共存して健康に生きてゆくことのできる、豊かな環境を育みます。
 その木々の環境改善効果や、それを活かしてきた先人の知恵、現代の庭で木々のこうした環境形成作用をどう生かすか、そんなことをページの許す範囲で書かせていただきました。



 また、管理については、単に手入れの方法の解説ではなく、木々を健康に育ててよい住環境を作ってゆくために、何が必要で何が不要か、どんな視点で樹と付き合うことが大切か、そんな想いを込めて、まとめてみました。

 少し専門的にで分かりにくい点もあるかもしれませんが、興味のある方は是非見ていただき、少しでも参考にしていただければ幸いです。




 収穫の秋と言いますが、今年の様々なことが結果となって顕れ始めるのもこの時期なのかもしれません。
 今年始めた自然農園の野菜が見事な生育を見せています。



毎日のように、間引きした野菜を持ち帰ります。



  2年前に数十㎝のポット苗を密植混植した樹木マウンドも、今は競争して最大樹高3mにも達しました。もう2年もすれば6m程度の小樹林となるでしょう。
 時の流れと共に、木々は育ち、そして命を宿し、風景を育てます。命と共にある生き方、仕事、そんな幸せを少しでも伝えられたら、そんなことを感じさせられます。



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
「大地の再生講座」開催のお知らせ   平成26年10月14日


 この度、千葉市内の高田造園設計事務所の社有林(高津戸ダーチャの杜)にて、NPO杜の会副理事長、矢野智徳氏を講師に招き、大地の再生講座を開催することになりましたので、下記の通り、ご案内いたします。


日時;10月27日月曜日 9時から17時

場所;高津戸ダーチャの杜 千葉市緑区高津戸町405-1
    徒歩の場合、外房線土気駅から20分。駐車場あり(15台程度)

募集区分と講座参加費(昼食、飲み物含む);
     
      一緒に作業しながら学ぶ方(かなり本格的な作業です) ;2000円 
      見学して受講したい方(時間は自由です)          ;4000円
      ボランティアスタッフ(炊き出し、駐車場の案内など)   ;無料
 
*講習費用は、講師謝礼、講座開催経費、昼食代(ロケットストーブでの炊き出し)、保険代等に充当します。ご理解くださいますようお願い申し上げます。 

服装・持ち物;
 
 服装;汚れてもよい服、山を歩ける靴(地下足袋が最適)
 持ち物;作業される方は下記の通り。作業されない方は手ぶらで構いません。
      必携;軍手・地下足袋・ヘルメットまたは頭を覆う手ぬぐい
      いずれかでも、あればよいもの;草刈り鎌、なた、剪定ばさみ、のこぎり、スコップなど

事故・怪我等の責任所在について


 当方で保険に加入いたしますが、現地の応急処置以外は自己責任にて参加の程、お願い申し上げます。
      
募集人数;20名程度(先着順にて) 

申し込み方法;
 担当高田(高田造園設計事務所代表取締役 NPOダーチャサポート理事 ダーチャサポートちば代表)までご連絡ください。

 お申込みは下記いずれかにてお願いいたします。
 メール;高田造園設計事務所ウェブサイトお問い合わせホームからどうぞ。
 電話;高田造園設計事務所(043-228-5773)まで。
 ファックス;高田造園設計事務所(043-309-7203)まで。
 ファックスの場合、氏名、年齢、連絡先、募集区分のご希望を記入ください。

 他、フェイスブックや直接高田の携帯におかけいただいても構いません。        

講師;矢野智徳氏
    杜の園芸代表 NPO杜の会副理事長 杜の学校準備会主催

講師略歴;1956年福岡県生まれ。幼少のころから実家が所有する花木植物園で植物と共に育つ。
 東京都立大学理学部地理学科 自然地理学専攻。
 現代土木建築工法の裏に潜む環境問題にメスを入れ、その改善方法を提案。全国の荒れた大地、呼吸不全に陥った大地の水脈気脈を再生して回る。
 足元の住環境から奥山の自然環境の改善までを、実地作業を通して学ぶ「大地の再生講座」を全国で開催。




講師が主催する杜の学校準備会趣旨;
 命の自然や宇宙のリズムを無視した人間だけの都合、金儲け、効率性、頭ではじき出した計算や数値、人間にとってだけの安心安全などを追求してきた現代物質文明は、山を崩し、木々をなぎ倒し、川や地面ををコンクリートで固め、海を埋め立て、空気や水を汚し、地球生命圏は瀕死の状態に陥っています。  生きとし生きるものすべてが、呼吸困難の状態にある今、 野に立ち、山に入り、木々や草々に触れ、風を感じて、きれいな文句やいいとこ取りではなく、汗や泥にまみれて、母なる地球を体感する時です。  この地球生命圏の命の基本を、長年の造園業、環境改善を通して、”陽通し、風通し、水通し”にあることを見い出した”杜の園芸”率いる矢野智徳氏が、その集大成として、山梨県上野原で、今春から”杜の学校”設立の準備を始めています。  上野原という日本のどこにでもあるような中山間地で、奥山から里山、そして都市部までの流域の風土の再生、すなわち、森や川やそこに生きる野の命、そこに暮らす人々の命の再生を目指しています。

高津戸ダーチャの杜について;



 近年増え続ける放置されて荒れた山林です。全体的に傾斜地で、最下部に落ち葉に埋もれた小川があります。




 現在一部を高田造園設計事務所の自然農園、樹木畑に利用しつつ、整備を始めています。
 整備にあたって、大地の水脈気脈という、最も根門的で大切な視点を矢野さんから実地にて学びます。
 この自然環境を美しく健全な形へと再生し、山小屋を建てて、近隣の方々や子供たちの自然体験の場、昔の生活体験の場として利用してゆくべく、モデルダーチャ用地として準備を始めております。



 高津戸ダーチャの杜、計画案です。10坪程度の山小屋は、造成したり地形を壊したりすることなく、そのまま傾斜地を活かして建てる予定です。



 ここを体験宿泊施設として貸出し、自然農や山の恵みを享受し、そして採暖、炊事、風呂は薪、トイレは山林内自家処理と、自然と共にあるかつての暮らしを体験していただきます。
 子供達には山のこと、生き物のこと、五感を通して自然とふれあい、ワクワクするような生活体験の場となることでしょう。



放置され、荒れて、不健全な状態にある山林が全国に増え続けている中、自然環境としての山の再生、大地の健康回復を学び、今後の日本の自然環境再生につなげることができればと思います。

 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
雑木の庭1年目の手入れ講座 記録    平成26年10月6日

 10月4日に開催しました、雑木の庭1年目の手入れ実地講座の実況ユーチューブを昨日ブログで紹介いたしましたが、その続きがユーチューブ公開されました。
 
 自然環境を育成するということは、技術よりも、木々に対する姿勢、考え方、木々との対話の経験の積み重ねが不可欠です。
 単に剪定技術ばかりでなく、木々や庭と向き合う上で本当に大切なことを知っていただきたい、そんな想いでレクチャーさせていただきました。
 
 雑木の庭の手入れや育成に関心のある方は是非ご覧くださいませ。

再生は下記をクリックください。

雑木の庭 1年目の手入れ講座 その3 
  3分50秒

雑木の庭 1年目の手入れ講座 その4
    7分7秒

雑木の庭 1年目の手入れ講座 その5
    

雑木の庭 1年目の手入れ講座 その6   5分17秒

雑木の庭 1年目の手入れ講座 その7
   土壌改良編 4分44秒


 今回の動画を作成くださった藤井京子さんに感謝申し上げます。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
自然環境としての庭の育成      平成26年10月5日

 昨日(10月4日)、地元の市民団体(NPOちば山)主催、「雑木の庭手入れ講習会」を開催しました。
 庭環境を、土、植物、空気、空間を含めて自然環境としてよい状態へと育ててゆくためには、正しいコンセプトに基づく適切な管理が必要です。
 そして、そのノウハウについて、これまで様々、書籍等のメディアを通して解説してまいりましたが、実際に字数制限のある書籍等で伝えきれる部分はほんのわずかです。

 今回、講座の様子を、聴講くださった方(藤井京子さん 千葉県いすみ市在住)が、その一部をユーチューブに投稿してくださいましたので、雑木の庭の手入れについて、興味のある方は下記よりご覧くださいませ。

雑木の庭の手入れ講座(その1)  平成26年10月4日 房総ドミノ千葉ハウス

http://www.youtube.com/watch?v=AD46jGBHsyk&feature=youtu.be


 なお、すでに続きもアップされております。私の解説が早口で分かりにくいかと思いますが、ご了承くださいませ。

 手入れにおいて大切なことは、それぞれの樹木をどう剪定するかという剪定技術ではなく、その庭が健康に生育し、自然環境として良好な状態へと再生されてゆくにはどうしたらよいか、そんな視点こそが必要です。
 
 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
自然環境と共に生きる アイヌ文化を訪ねて    平成26年9月30日



 ここは北海道苫小牧市、樽前山麓に位置する錦大沼。支笏湖を見下ろす名峰樽前山の南側流域には、今もこうした自然の湖沼や天然のままの河川が散在し、豊かな森に守られながら、太古から続く生き生きとした大地の息吹を感じさせてくれます。

 写真右奥に見える湖畔の浅瀬には、豊かな葦(アシ)が広がります。
 かつての日本、川も山も本来の命であふれていた時代、こうした葦原は日本中いたるところの湿地や川沿いに広大に広がっていたことでしょう。
 日本書紀の記述によると、日本国のことをかつて、葦原国(あしはらのくに)、または豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と称されていたことが分かります。
 その意味するところはすなわち、
湖畔や川岸に豊かな葦が生い茂り、その中に五穀豊穰の沃土が広がる自然の恵み豊かで美しい国土を表しています。
 はるか昔、倭人(大和民族)の祖先が海を渡ってこの国にたどり着き、その大地の豊かさ、美しさにどれほど感銘を受けたことか、葦原国という名前の響きと共に想像させられます。

 水辺の葦は、水を浄化し、下流域の住民に至るまで清浄な生活用水を提供し、さらには魚や水鳥をはじめ豊かな生き物の住処となり、そしてそれはかつての屋根葺きなどの材料として、日本全国でごく普通に用いられてきました。
 そうした、かつての日本の代名詞に等しい、豊かな自然とそれを表す豊かな葦原も、今ではごくわずかとなりましたが、この北海道の大地で命溢れる太古の日本を見つけたような、そんな雄大な想いに駆られます。



 湖畔にどこまでも広がる自然林。
 ミズナラ、ホオノキ、カツラ、シラカバ、ウダイカンバ、オヒョウニレ、ドロノキ、ハンノキ、ヤマグリ、カエデ、ナナカマド・・・。太平洋に近い低地ゆえに、北の大地にしてはやや温暖なこの周辺では、冷温帯性の落葉広葉樹林が生き生きと、美しく恵み豊かな様相を見せています。




 そしてここは苫小牧の隣町、白老町のポロト湖。カツラの木をくり抜いて作られた丸木船が、この地で長い間営まれてきたかつてのアイヌの人たちの暮らしぶりがはるかに偲ばれます。
 このポロト湖周辺には昔からアイヌの人たちの集落があり、今はアイヌ文化を伝える博物館として、当時の暮らしを伝えます。
 アイヌの丸木舟は、水辺の山中によく生育し、材が軽くて柔らかく加工しやすいカツラの木が、主な材料として用いられてきました。

 

 丸い穴は道東南部の森に見られるクマゲラの食痕です。東北以北の森の中に住む大型のキツツキ、クマゲラは、アイヌ語で「チップタッチカップカムイ」と言います。その意味は、「舟を掘る神」というもので、クマゲラは丸木舟のように楕円形に穴をあけることから、こうした名前が付けられたのでしょう。
 アイヌの世界では、身近な自然界の様々な生き物を神(カムイ)の化身した姿と見て、それぞれの役割を持ってこの地上世界、人間社会に存在すると考えてきました。
 こうした名前からも、とてもユーモラスな神との関係が感じられ、人も動物も植物も同じ地上の生き物として一つの大地に共に暮らす、そんなアイヌの自然観が感じられます。

 今回、私が所属する日本茅葺き文化協会(代表理事 安藤邦廣筑波大学名誉教授)主催の研修会で、アイヌの里を訪ねるべく、北の大地を訪れました。



 チセと呼ばれるかつてのアイヌ民族の住居は、屋根も壁も葦や茅などの、当時身近にあった葦原や萱原の植物を用い、全てが身近な自然の中から材料を得て作られてきました。
 水辺の豊富な白老のチセでは、主に葦が用いられてきたようです。

 むろん、そうした生活資材は地域の自然環境によって異なります。
 壁や屋根の材料としては、アシやススキ、ササと言った草類や、カバ、ドドマツ、キハダといった木の樹皮など、その土地の自然環境の下、採取が容易な素材が用いられてきました。



 旭川市にある私設のアイヌ記念館に復原された、クマザサの葉で作られたチセ。その美しさと空気感に息をのみます。



 壁も屋根もすべてクマザサで丁寧につくられて、まるで生き物のようです。



 可愛らしい外観のチセの窓。チセには決まって、南側に2つ、東側に1つと、窓が3つあります。
 主に東側の窓はカムイ(アイヌ語で神)の出入りする窓で、この窓の外から家の中を覗き込んではいけないという決まりごとがあります。
 そして南側の2つの窓は、一つは編み物などの作業のための明り採りのための窓、もう一つは台所の水を外に捨てるための窓と言います。
 窓の外にはよしずがかけられただけの、簡素で美しく、とても可愛らしく感じます。

 極寒の北国において、特にこうした植物の素材を用いることで壁の内部に空気の層ができることによる断熱効果によって、家の中は暖かく保たれてきたのです。



 チセの入り口は、アイヌ語でセムと呼ばれる風防室の玄関兼物置から入ります。



 チセの骨組みは至って簡素で、近世以前にはこうした細い材で組まれてきました。柱の上に梁・桁を回し、その上に三脚構造の丸太組みを家の長辺方向に2か所組み、その上部に棟木をかけて、そこから扇状に垂木を降ろします。垂木は安定するよう、三脚構造の中段に母屋を廻します。この垂木に「サキリ」と呼ばれる細い桟木を横に通して、その上に笹などの屋根材を結わえつけてゆくのです。



 壁も同様、細かなサキリ(横に通した桟木)に笹を5本ずつ束ねて、綿密に結わえつけているのは、極寒の気候に耐えうるよう、万全の断熱を期したものなのでしょう。
 そして柱は、北の山中の主要樹種、ミズナラを用いて土中埋め込みの掘っ立て構造となっています。この構造で、30年程度は十分に耐えうると言います。

 かつてのアイヌの住居は形として残っておらず、現在あるものはすべて復原されたものなのですが、住居が跡形もなく残らない理由はこの、掘っ立て構造ゆえなのでしょう。

 この掘っ立て構造について、今回の旅に同行してくださった日本民家研究の第一人者、安藤邦廣名誉教授は以下の通り着眼され、話されました。

 掘っ立て構造と言えば、倭国(アイヌ文化に対して、ここではあえて日本と言わず、倭国と言います)においても、日本の代表的な神宮、伊勢神宮も掘っ立て構造なのです。
 建築の常識では、掘っ立て構造は未開時代のレベルの低い建築構造と思われがちですが、日本の木造建築技術の粋、伊勢神宮が掘っ立て構造というのはどういうことでしょう。
 
 その答えをこの、アイヌの住まいが明かしてくれました。



 このアイヌ記念館のオーナーである生粋のアイヌ人、川村兼一さんがこう話されました。

「アイヌでは、家は女性のものと決まっている。その家の旦那が亡くなったら、壁をくり抜いて外に出して弔い、そして天国から戻ってこれないように壁の穴を塞いでしまう。死んだ後は神の世界で生前とと同じように家を建て、狩りをして暮らす。家を建てるのは男の仕事だから、死んだ後は男はまた天国で家を建てる。
 しかし、その家の奥さんが死んだら、家財道具ごと家を燃やして神の世界に送る。女が死んだあと、神の世界に行き、そこに家がないと困るから送る。もともと家は女のものだから、跡形なくすべて送ってしまい、天国で困らないようにしてあげる。」

 アイヌの家送りは、近代には支配者である明治国家によって禁止されましたが、それまでのはるか長い間、その家の主の女性が亡くなると、家も家財道具もすべて燃やして神の国に送り届けてきたのです。
 掘っ立て構造だからこそ、すべてを送ることができるわけで、基礎があればそれは残ってしまいます。人間の体が死んだら灰になってすべて土に還るように、家も跡形もなく自然に返すために、掘っ立て構造が持続され、そしてまた、人の半生程度の期限で自然に期してゆくにはこの構造で充分だったとも言えるでしょう。

 こうした風習が、所有に対する度を越えた人間の欲望が化け物のように際限なく拡大して、自然との関係、神との関係を壊してしまうことがないよう、暗黙の自制に繋がってきたことは言うまでもありません。

 その土地で自給的かつ持続的に暮らしてきて、そして消えてしまった先住民族の暮らし方に現代のわれわれが学まねばならない点は、こうした精神性や考え方にあります。

 身近な自然や神々と共に生きてきた先住民族の無欲で美しい精神性に心打たれます。

 伊勢神宮の掘っ立て構造も、20年ごとの式年遷宮の際に古いすべてを自然に返して新しくするという意味ではこの構造しかなく、見方を変えれば自然と人とが輪廻しながらいのちのやり取りをするなかで近代にいたるまで守られてきた掘っ立て構造のチセの文化のとてつもない気高さに胸が震えます。



 チセの内部、真ん中には大きな囲炉裏に常時薪がくべられて、独特の火棚にサケやマスなどを吊るして燻製にします。
 内部に床はなく、土間の上に茅や、ガマの葉を編み込んだゴザを幾枚にも敷いて過ごしたと言います。

 「寒いのではないか」と思われる方が多いと思いますが、かつてのチセでは土間の表面温度は外が氷点下30度の極寒の時期でもなんと摂氏2度を下回らなかったとの研究報告があります。(宇佐美智和子 研究報告)
 アイヌのチセでは現代住宅においても最先端のパッシブ技術である、地熱の有効利用がなされていたのです。
 土間の表面を蓆で覆って風にさらされて熱が奪われにくくしておき、そして年中、ちょろちょろと囲炉裏をともし続けるのです。それによって地盤に蓄熱される上、地下からの温熱も土間に伝えて冬でも温かな住まいの環境を維持していたというから驚きです。
 実際に冬のチセで暮らしが営まれていた際の体感温度は20度程度だったと、宇佐美女史が観測によって明らかにしています。
 
 外部からのエネルギーを用いずとも快適で、そしてその土地の自然環境の中ですべての素材を容易に集めて住まいをつくり、家としての役目を終えたら大地に還す。今の建築技術が及びもつかない、驚くほどの最先端をゆく暮らしがはるか昔から、アイヌのチセにあったのです。

 今の世界、先進国とか、発展途上とか、後進国とか、そんな一元的で、未来の生存基盤たる自然環境の搾取と破壊の上でしか決して成り立たない、ナンセンスな価値基準が意味をなさなくなる時代が近い将来、必ず訪れることでしょう。その時を迎えることなく、今後も人類が持続してゆくためには、自然と折り合いをつけて生きてきた先住民族の暮らし方に学ぶ必要があることでしょう。

 「原始的」などと、悲惨な差別を受けてその誇り高い文化を破壊されてしまったアイヌ民族の暮らし方や世界観は途方もなく素晴らしく、持続的で、人間本来のあるべき姿を示しているように感じます。



 囲炉裏の脇には、火の神様を祭る、イナウと呼ばれる木を削って作られた木幣があります。狩りに出る際、このイナウに祈りをささげて、豊漁を祈ります。そして、例えばサケが採れた際には、一番おいしい部分であるハラミを火にくべて、火の神様に捧げるのです。
 反面、祈りをささげたにもかかわらず、不漁であった日には、「なぜ祈りを聞いてくれないのだ。その怠慢を改めねばお供えしないぞ。」と、厳しい口調で神様を脅すこともあると言います。あまりにも人間的でユーモラスな宗教観ではないでしょうか。

 ともかくも、サケが採れたときは、ハラミの部分を神様に捧げる他、内臓は外の木の枝に引っ掛けてカラスや獣たちに分け与え、その残りが人間の取り分となると言います。
(写真;白老ポロトコタンのチセ)



 囲炉裏でいぶして保存食とし、冬の食料となります。鮭はアイヌの暮らしに欠かすことのできない命の糧で、アイヌ語で「神の魚」を意味するカムイチェプと呼ばれ、その収穫の際にもサケの魂を神の国に送る儀式を行い、そして感謝をこめて命の肉体をいただくのです。(写真;白老ポロトコタンのチセ)



 神の国から役目を与えられて毎年たくさんのサケが川を遡上します。「来年もまた帰ってきてくれ」との祈りをささげて、収奪し過ぎず、生きる上で必要な分を収穫します。
 ちなみに、アイヌ社会では川は山から流れるものではなく、神の恵みを受けて海から人の世界へと登ってくるものと考えます。それはまるでサケがその身をさげて遡上してくるようです。
 アイヌにとって川も神聖な神の化身であり、そこで洗濯したり小便をすることは厳しく戒められてきたのです。



 話はチセの土間に戻ります。これは川岸や湿地に生育するガマを編み込んで作ったゴザで、これがチセの土間に敷かれます。
 断熱に優れて温かく、時にその中にガマの穂をほぐした綿を入れることもあったようです。

 

 これが収穫して乾燥させたガマの葉です。



 これを、オヒョウニレという、北海道に自生するニレ科の高木の、内皮の繊維を編み込んた糸で紡ぎ、優れた断熱性のある美しいござとなり、暮らしを快適にしてきたのです。



 オヒョウニレの繊維から糸をつむぐアイヌの女性。1枚のガマのゴザを作るのに用いる糸を紡ぐのに3週間以上かかると言います。



 仕上がったオヒョウニレの糸。ゴザの他、衣服や家屋における茅の結束など、アイヌの暮らしの中で欠かせないものとして様々用いられてきました。



 紡ぐ前のオヒョウニレの繊維。



 オヒョウニレの樹皮。皮をむきやすい5月から6月ごろに収穫し、そして繊維として使える内側の皮を用います。
 すべてはこうしたその場の森の恵みから、生活の糧を得てきたのです。



アイヌの食糧庫。ここに常時、平均して2年分の食糧が各自備蓄されていたと言います。



 そしてこれは、小熊の飼育用の柵です。
 有名な、「イオマンテ」と呼ばれるアイヌのクマの霊送りについては、耳にしたことがおありの方も多いことと思います。
 アイヌの人々にとって、全ての生き物は神の化身と考えますが、とりわけクマとシマフクロウは最も位の高い重要な神として丁重に扱われました。
 狩猟の際に母熊が小熊を連れていた際、その小熊を殺すことなく、この飼育用の檻で1年~2年間程度大切に飼育し、そしてクマの霊送りの際に、その魂を神の世界に送りかえすのです。
 その際、クマに様々なお供えと祈りをささげ、また地上に戻ってきてくれるよう、たくさんの土産を供えて神の国に還すのです。
 
 神の国に還ったクマは、土産を仲間に分けて、「人間にこんなにふるまってもらった」と、さかんに土産話を披露するのです。それを聞いた仲間のクマ神たちは、自分もその恩恵にあずかろうと翌年、たくさんのクマ神が人間世界を訪れて、賓客として迎え入れられることになるのです。
 それは現実的には、アイヌの人たちにとってたくさんの獲物が獲得できるということになるのです。
 このクマの霊送りは、人知を超える自然界を象徴する神と人との相互扶助的な関係が背景に感じられ、これが生きとし生けるものに感謝して分をわきまえて度を越さず、自然界において未来永劫にわたって共存して生きる、アイヌ文化の象徴として、語り伝えられてきました。



 2008年、先住民族サミットが開催された二風谷アイヌ集落を最後に、3日間の旅を終えて帰途に就きます。
 
 ここは今、日本初のアイヌ初の国会議員となった故萱野茂氏によって開設されたアイヌ文化資料館です。
萱野茂氏は、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知ってほしい」と、国会の委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも知られます。

 萱野氏は、裁判の末に、アイヌ民族をこの二風谷の地から強制的に追放した国によるダム建設を違法とし、アイヌ民族を先住民族として認める判決を勝ち取ったのです。
 
 このことは、少数民族に対する差別や民族の文化、生きる権利まで奪われてきた世界各地の先住民族にとって、大きな希望の光となりました。

 世界中の地域に、その土地の自然環境の中で自然を畏れ敬い、大地を崇め、感謝と節度を決して失うことなく、その土地の自然環境が支えられる範囲で分を超えずに暮らしてきた、先住民族がいます。
 収奪し過ぎれば、そこでの未来の暮らしはたちいかなくなります。そこに自然を神として人の分をわきまえる戒律や風習が生まれ、守られてきました。
 彼らの暮らしは敬虔で、豊かで、そして知恵にあふれたものでした。

 アイヌの暮らしと精神性、そしてその暮らしも人権も踏みにじられ続けた近世以降の彼らの境遇を想う時、国家とはなんだろう、経済とはなんだろう、強く考えさせられます。
 自給的な暮らしの豊かさは国家や権力者の豊かさに結びつかず、それゆえに世界中で自然と共に生きてきた先住民族の権利も暮らし方も迫害されて奪われ、同化を強いられ、貨幣経済に巻き込まれ、そして崩れていきました。

 アイヌ民族が近代以降、その命の糧というべき自給的な大切なサケ漁をも禁じられたのと同じく、熱帯アフリカや東南アジアの先住民たちも、自給的な暮らしを奪われて、プランテーションによる、商品価値のある単一作物の効率的な生産を強いられ、その文化も神も、自給的で持続的な生き方を失いました。

 人は大地から離れることで命の本質を見失い、そして独善的に歯止めを失っていきます。生きるということ、人間であることの本質たる知恵も失います。
 すべての欲望は歯止めを持たねばなりません。それを失ったとき、気付いた時にはすでに人類は未来永劫の生きる基盤を失ってしまっていることでしょう。
 その土地の自然と共に分を超えず、動植物の命に感謝して暮らしてきた、先住民族の生き方や精神性に、私たちは再び学び、そして原点に立ち返らねばなりません。

 先住民族に対する長年の激しい差別を想う時、最近のヘイトスピーチに見られる下劣な精神性、国連の勧告を受けてもいまだ本気で差別に対処しようとしないばかりか、それを利用する下劣な政権、下劣な政界財界指導者たち、そしてそれを生み出す日本社会に、どうにもならない情けなさ悲しさを感じます。

 これからの社会、未来のため、未来の子供たちのため、そして生きとし生けるものたちのため、課せられた役割をしっかりと果していきたいと思います。

 素晴らしい研修会を企画くださった日本茅葺き文化協会役員の皆様、そして親切にいろいろと教えてくださったアイヌの皆様、本当にありがとうございました。
 
 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
         
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