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雑木の庭つくり日記

鎌倉市梶原山の庭 竣工   平成27年2月12日


 先週かかり始めた鎌倉市Hさんの新築家屋の造園工事が本日、駐車場の仕上げを残してほぼ完成しました。
 建築設計施工は、おなじみの北村建築工房です。
 2台分の駐車スペースを除くと外空間面積はわずかですが、それでも植栽配置を工夫することで、狭いながらも圧倒的な緑に包まれた
住まいとなるのです。



 駐車場際に薪小屋を設け、木々の合間の景色のポイントとします。使い勝手の良さと景観の両立こそ、造園配置の醍醐味といえるかもしれません。



 薪小屋の背面の細い路地空間。わずかな面積の庭の中に、様々な表情を作り出します。



 東側の狭い空間は、窓配置に応じた植栽を常に心がけます。1階窓、2階窓、木々越しの景色を美しく潤い豊かに構成してゆくことで、住まいに居ながら自然を感じ、落ち着きのあるゆったりとした日常を作り出す、心地よい住まいの庭はその家屋に沿って作っていきます。決して庭だけでは完成せず、同時に家だけでは決して心地よい住まいは生まれません。
 植栽は建築作品を引き立てるための単なるデコレーションではありません。住まいの環境、快適な住まい、そのための植栽、住む人の長年の心地よさを作り出すのが造園や建築であるという責任を、我々住まいの作り手は常に真剣に意識しなければなりません。そのことが建築や造園世界の常識となれば、日本の住まいはもっとよくなってゆくように思います。



 同じく、狭い西側空間も、一階、2階双方の窓配置を中心に植栽します。西側の窓際植栽は、住まいの微気候環境に大きな効果をもたらします。



 玄関アプローチは、型枠を用いずにハンドメイドに柔らかく仕上げます。地表の水の動きを極力妨げないように、園路を接続せずにところどころ目地幅を空けることによって地表環境の健全化に配慮します。



 デッキに落ちる隣家生垣の木漏れ日。隣家の高生垣がここでは西日を緩和するとても大きな役割を果たしてくれます。造園はその場所の環境条件を取り込みながら、その場所に応じて最善の住まいを作り上げていきます。



 新築の家と庭、これからこの地でHさん家族の暮らしが始まります。
 私にとって庭の完成は、その地の環境つくりのほんのスタートでしかありません。これから木々が育ち、そこに住む家族や街の中でそれぞれの心を育みながら、景観が風景となり、そして風土へと育ってゆくことを願いつつ、日々庭を作り続けております。
 ここで始まるHさん家族の新たな暮らしと共に、庭の木々が寄り添い共に年月を重ねてゆきます。
 関係者の皆様、そして好きにつくらせていただきましたお施主のHさま、どうもありがとうございました。




投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
国立市主催 サクラ通り改修事業に伴う街路樹についての意見交換会 御礼 平成27年2月9日

 2月7日、国立市主催にて、「さくら通り改修事業に伴う街路樹についての意見交換会」が行われました。

 大きな会議室が満員立ち見となり、おそらく150人程度はいらしたのではないかと思います。

 お集まりくださいました国立市民の皆様、そして今回の意見交換会を開催くださいました国立市の皆様、お忙しい中ご参加くださり、意見を聞いていただいた佐藤市長、
そしてこの問題を自分たちのふるさとの街路樹の問題として関心を持って、全国からいらしていただいた造園関係の友人方々、この場をお借りして心からお礼申し上げます。

 今回の意見交換会において、街路としての歩行性、安全性、そして樹木の作る環境、その3つを満たす新たな道路計画案を提案させていただきました。
 それはこれまでの議論のように、「人のためか、それとも木のためか」という2者択一ではなく、人と木々の命が共存してともに健康に生きる道です。

 緑豊かな国立市の街、そしてその緑に育てられた心豊かな素晴らしい市民たち、こんな街だからこそ、これからの日本の街、いえ、世界に先駆けて見本となるような、街路樹の命と共生する新たな街の姿を生み出せると確信しています。





 市役所での意見交換会の後、「街路樹と人との共生を考える」市民集会後の、仲間内の記念写真が送られてきました。
 みんな、真剣に街の緑を想う仲間、この日の感動、このエネルギーから素晴らしい未来が生まれる予感がいたします。
 偉大な植物学者 牧野富太郎氏の有名な言葉に、「植物には、人を善導する不思議な力がある」とあります。木々に向き合い、与えられる道、不思議な力に、その言葉を改めてかみしめます。

 今回のこと、私にとってもかけがえのないほどの、とても良い勉強となり、今もまだ感動の余韻に浸っております。たくさんの素晴らしい方々と知り合い、あるいは再会し、共に一つの問題に真剣に向かい合えたことを、心の底から感謝申し上げます。

 さて、国立さくら通りのこれからの計画がよい形で国立市の明るい未来へと繋がり、そしてそれが日本の街の環境つくりをよい方向へ導くきっかけとなることを心から祈り、そしてまた、そのために、私なりに微力を注いでいけたらと思います。

 関係者の皆様、そして参加者の方々、応援くださった仲間方々、そして工事見直しを求める署名に協力くださいましたたくさんの方々、本当にありがとうございました。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
街の大木との共生を~東京都国立市さくら並木より 平成27年1月27日 


 ここは東京都国立市の桜通り、開花の時期の写真です。
 この桜並木は、中央線国立駅前の大学通りと共に
緑豊かな学園都市に住まれる国立市民の誇りであり、大切なふるさとの原風景となって、市民の心を豊かに育んできたように感じます。
 
 私もまた、学生時代、そして社会人になってからもしばらく、縁があって国立市へと通う機会が続きました。三角屋根のかわいい駅舎と、街路の上空に枝葉を広げる圧倒的な木々に包まれたこの街の素晴らしさに心癒されてきた、若かりし頃の思い出の街でもあります。

 その頃のことを振り返るにつれて、街の緑は、そこに住む人だけでなく、その街に縁があって訪ねる人の心をも癒して思い出とともに残り、心を豊かに育ててくれるものなのだと、そんな当たり前のことに改めて気づきます。
 そしてそれは現在の私たちだけのものではなく、木々が植えられたその時から連綿と、その街の人の心と共にあって、そして世代をまたいで未来へと、この街の美しく落ち着きのある街を時間を超えて繋いでゆく。
 そう思えば思うほど、街の環境を作ってくれる大きな木々は、なるべく長く大切に育み、そして次世代へと繋いでいきたいと、改めてそう感じます。



  47年前に植えられたその桜並木の景観が今、道路改修工事計画によって大きく変わろうとしており、国立市民と行政が大きく揺れております。

 桜通りの道路改修整備計画に伴い、一部伐採の計画が進んでおります。この計画がはたして適切なものか、あるいは大きな街路の木々と人や道との共生できるもっと良い方法はないものか、そんなことを想いつつ、昨秋に続いて先日、再びこの桜並木を訪れました。

 写真手前の桜、伐採される予定の数十本の中の1本です。
 枝先までしっかりと花芽を付けており、こんな環境でも木々は力強く、印象的なまでに旺盛な樹勢を感じさせてくれます。
 これらの大木にはまだまだ十分に生きる力があり、土壌環境を改善し、周辺環境を含めて木々が健康に生きていける条件を整えてあげれば、まだ何十年と問題なく生きていけることが、幹や樹皮、枝先の状態などから分かります。
 
 ではなぜこうした木々が伐採対象なのでしょうか。



 樹木医診断によってC判定(不健全木)とされた木々に取り付けられた診断書を一つ一つ見ていきます。
 全てのC判定木で、
樹勢(木の元気さ)については、そのほぼすべてが良好との診断にも関わらず、その判定を主に決定つけていたのは樹幹内の腐朽(空洞)割合であることが分かります。
 樹幹内の腐朽は大木老木となれば必ず進行するもので、枝折れや不適切な剪定などがきっかけとなって腐朽が起こり始まります。大抵の大木にはこうした腐朽を内部に抱えつつも、その後数十年、数百年と長く健康に生きてゆくのです。

 腐朽の進行はその木の寿命を左右しますが、その進行速度は土壌を含む環境条件とその木の持つ樹勢によって大きく異なります。
 その点、木の寿命というものは、あってないようなものであり、比較的短命なソメイヨシノといえども、根などの環境条件さえよければ、100年以上充分に健康に生きていけるもので、全国にはそんなソメイヨシノの見事な大木がまだまだたくさん見られます。

 植えられて50年弱という樹齢はソメイヨシノにとってもまだまだ若く、事実、車道沿いの決して良い条件とは言えないスペースに植えられたこの桜たちでさえも、まだまだ樹勢旺盛で、枝の先端、幹肌の更新具合を見ても、根の致命的なダメージは受けていないことが分かります。

 つまり、伐採対象のこれらの木々は、まだまだ生きようとする力にあふれていて、根を中心にその環境条件を改善することで、まだ数十年と、十分に健康に生きてゆく可能性を持っていることが明らかに感じ取れます。




 それにしても、この狭い空間で桜は必死に生きてきた様子が根元の盛り上がり方を見れば分かります。
 本来太い根を浅く広く張ってゆく桜の性質上、狭く囲まれた場所では特に、根は上へ上へと、「ヨッコラショ ヨッコラショ」といった具合にこうして上げてゆくのです。そして、地上部の太い枝に対応する根を太らせて張り出し、地上部と地下部のバランスを自ら取ろうとするのです。

 例えて言えばそれは、私たち人間が背を伸ばして、高いところにある重たいものを取ろうとする時、足を開いて踏ん張って、バランスを取りながら手を伸ばすのと同じことであって、木々は枝の張り出しと共にバランスを取るように根を張り出してゆくのです。

 そしてその根の成長のための栄養分は主に、その根に対応する太い枝から送られます。そのため太い枝を伐ることで、重たい樹体に対応してバランスを取っている太い根まで衰退し、それが倒木の大きな一因にもなるのです。また、剪定した枝の切り口からだけでなく、太い枝を伐ることによって痛んだ根からも、内部の腐朽が進むことが往々にして見られます。

 もちろん、樹勢旺盛な状態であれば、こうした変化にも十分に対応して修復する力をも木々は持ち合わせていて、台風などによる幹折れや枝折れ、あるいは様々な病虫害に対しても自ら力強く打ち勝って生きていこうとします。
 しかし一方で、樹勢が衰えてくればそれが致命的ダメージとなって衰退し、枯死してゆくことにもつながります。

 つまり、不適切な剪定が木々を痛め、その本来の寿命を大きく損なってしまう大きな要因になるのです。
 街の樹木の健康を保ち、なるべく長く安全に人の暮らしと共存させていこうと思えば、植えられた環境の良好な保全や、樹勢の回復速度を考慮して木々と対話するように行う適切な剪定とが、とても大切になるのです。




 昨年、桜通りの一部区間で、この改修工事が行われ、完了しました。これまで、この道路改修計画においても、桜の環境が健全な形で守られると信じて改修工事計画を受け入れた市民たちが、この工事後の変貌した風景を目の当たりにして驚き悲しみ、残った桜のトンネルを守るべく、立ち上がったのでした。

  昨年のうちに工事完了した区間では、十数本の桜大木が伐採され、残った樹木も枝を大きく切り詰められて無残な棒状となり、景観は一変しました。伐採された後には、新たな桜の苗木が植えられましたが、そこにはもう、長い間市民を守り育ててきた桜のトンネルの風景はなくなりました。

 街路樹を考える際、もちろん倒木や枝の落下、車両の接触を防ぐための安全上の配慮は必要不可欠なことです。しかしそれが木々の性質を把握したうえで的確に対処していかなければ、かえってその危険性を増すことにもつながるのです。
 この工事における桜の古木(実際のところ、50年弱では桜にとってもまだ若く、古木とは言えないのですが。)の扱い方は、その最たる、問題の多い事例と言えましょう。

 大木が自らの意思と力でバランスを取ってきた太い枝が、車の通行に支障のない高い位置にまでぶつ切りされ、強い日差しから自分たちの幹や根元を守ることもできなくなってしまっています。
 木々の衰弱は、幹や根の乾燥による要因がとても大きく、特に根が浅く太く盛り上がるこの街路の桜たちにとっては、そのことが致命的に根を傷める原因となりえるのです。そのため、現段階では健全と診断されて残された大木たちも、この環境の変化に対応できずに急速に樹勢を落とし、腐朽を食い止める力を失い衰退してゆく木々は増えることは確実と感じます。。
 また、伐採や強剪定によって、それまでお互いの枝葉によって弱められてきた風の勢いを遮るものがなくなり、それによる倒木の危険までもが相乗的に高まります。

 つまり、今回の伐採と不適切な剪定によって、かえって倒木の危険は増大し、そして残った桜も不健全化してますます寿命を縮めてゆくことに繋がるのが、この計画の問題の核心と考えます。

 この計画を進める行政や伐採推進業者は、「倒れたらだれが責任を持つのか。」と言います。
 しかし、今回の工事を推進することで、倒木の危険はさらに増すということが明らかで、道の安全確保の視点からも今回の計画自体を見直すほかになく、このまま計画を進めれば必ず、人にとっても樹にとっても悪い結果に繋がってしまうことでしょう。
 大きな環境変化は残存木に多大なストレスを与えてしまい、老化を進めてしまう。豊かな環境を作ってくれる大きな木々との共生のためには、危険の可能性を回避することが不可欠です。しかし、樹木の性質に対する本物の知識や想像力の不足が、まだまだ健康に生きる力のある大きな木々の伐採ありきの改修によって、かえって不健全で潤いのない街を増やしてしまっているのが今、日本全国の街の問題であるように思います。

 木々が健康に育つ環境を作ってゆくことが、潤いのある安全なで美しい街づくりのために大切なことであり、これからは新たな共存の在り方を作り出してゆく必要があります。

 国立さくら並木の問題は、それは私たちの住む街でも必ず起こる、あるいはすでに経験してきた問題でもあります。

街と木々とがどう共存して、素晴らしい環境を未来につないでゆくか、ここできちんと向き合うことがとても大切なことと思います。
 



 
 住民による工事見直し要求を顧みずに伐採が強行されようとした朝、住民たちの抗議によって工事はいったん中断となりました。
 共に生きてきた木々を守りたいと、これほど多くの市民が集まり、そして故郷の行政を動かそうとしていることに大きな感動を覚えます。
 緑豊かな国立市の環境がこうした素晴らしい市民の心を育み、そしてこの木々がここで暮らす市民によって守り育まれてきたことに、心の底から突き動かされます。

 そんな街だからこそ、日本に先駆けて木々と共存する街路の在り方を、市民と行政とが協力し、知恵を出し合うことで実現できることでしょう。そのために、私たちも微力を注いでいきたいと思います。

 なお、2月7日、午前10時、国立市役所3階会議室にて、
「サクラ通り 街路樹に関する意見交換会」が開催されます。

 ご関心のある方、ご意見のございます方は是非、ご参加くださいますようお願いいたします。また、当日午後、国立市民による、街路樹の未来を考える集いが開催されます。興味にある方はお気軽にご参加くださいませ。

なお、国立さくら並木の問題は、TBSテレビ 2月8日午後1時「噂の東京マガジン」にて、放送予定です。

多くの方がこの問題に関心を持っていただくことで、次世代の街の風景が変わることと思います。ご協力いただければ幸いです。







投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
長崎にて        平成27年1月15日


 新年早々の初仕事は、長崎での造園工事打ち合わせと現地視察となりました。
 
私たちの庭つくりは、その土地の風土と切り離しては考えることはできません。遠方の地で庭を計画するに当たって、まずはその土地の気候風土を肌身で感じ取ってゆく作業がどうしても必要になります。
 全国様々な地域からの設計依頼がある度に、こうしてその土地との縁が一つずつ生まれ、そしてそのことが自分自身の糧になってゆく、そんなありがたさを受け止めながら、日々学び続けつつ、未来の環境を少しでもよくしてゆくために力を尽くしていきたい。そんな想いも、こうした旅先でこそ、強く沸き起こるものです。

 長崎の地、私にとってこれが3度目の訪問となります。
数十万年という悠久の歴史の中で活発な火山活動や地殻変動を繰り返しつつ、今の変化に富む地形と独特の環境が育まれてきました。
 静かで清らかな空気感と共に、海岸線の深い入り組みや山々の起伏の激しさ、そんな印象をいつも受けます。




 対馬暖流はもたらす温暖な海水美しく、海岸付近にまで迫る急峻な岩場や山々から流れ込む豊富なプランクトンや有機物を餌に、近海には昔から豊かな漁場が形成されてきたようです。



 海岸沿いのアコウの巨木を見つけます。この地に根を下ろして100数十年、あるいはもっとかもしれません。亜熱帯気候下の海辺に育つアコウの木が、どんな縁でこの地に来たのか、知る由もありませんが、この土地がアコウの木を許容して大木へと育てていったという事実に、温暖で豊かな気候風土が偲ばれます。



 海と向かい合って暮らしてきた、海辺の集落を守る海岸防風林。
 ウバメガシにトベラ、シャリンバイといった潮風に強い木々が混植密植されて、この土地の暮らしを潮風から守っています。



 防風林の枝葉は、台風や大しけの度に強烈な潮風や波しぶきをまともに受けて、海に面した側の葉は黄ばんで傷んで見えます。しかし、この最前線の枝葉が潮風を和らげて、密集してお互いを守りあいつつ、この地に必死に生育し続けてきたのでしょう。
 防風林の幅も、機能的に木々の生育を許容しており、この地に暮らす見事な知恵が感じられる光景です。
きっと、海岸線のコンクリート防波堤などの整備がなされるよりもずっと以前、つまりこの地に人の営みが始まると同時に、この防風林が形成され守られてきたことでしょう。
 その点、現代の公共緑化は、その知恵の深さにおいて及ぶべくもありません。、公共緑化的に造成される海岸防風林の多くが健全に生育していない昨今の現状を考えると、自然の営みと共存し、数百年という長きにわたって暮らしを守る木々が健全な状態で当たり前のように維持されてきた、かつての知恵の奥深さにただただ敬服いたします。



 豊かな気候風土に恵まれた急峻な土地に生きるということ、その中で人は土地を刻み、子孫永代の暮らしを想い、傾斜地に石を積み、豊饒の土地を整備してきた先人の営みがあり、そしてそれが今のその地の基盤となる。
 千々石町の棚田の風景は、はるか昔から連綿と続くこの地の営みの糸を感じさせてくれます。




 石を積み、傾斜地に人の豊かな営みを共存させてゆく。土中の水や空気の流れを妨げることのないかつての石積みは、自然の推移の中でも自律的に守られて、いつまでもこの光景が続きます。
 そしてそれが心地よく人の心の奥底に響いてやまない真実の人の在り方を感じさせてくれます。



 違和感のない人の営みの風景は何とも言えず美しく、心に残っていきます。風景を育てる、あるいは景観を作るということ、それは現代の造園や土木建築的に一朝一夕に作ってしまうものではなく、時間をかけてその土地に向き合い、そして未来を想い育て上げてゆくものだということに気づきます。
 そんな風に仕事していきたい、新年初めの旅先でそんな想いに駆られます。



 ここは雲仙岳の上部、いたるところに高熱の温泉の湧出する、雲仙地獄と呼ばれる地。湧出する湯温は最高105度という、日本で最も高熱の温泉の噴出で知られます。

 土地の空気感というものは、歴史の因縁や宿命を背負っていることも、この長崎の地で、ことさら強く感じます。
 江戸時代を中心に数百年にも及ぶ激しいキリシタン弾圧、そして原爆投下。こんなに素晴らしい土地なのに、なにかもの悲しい空気の重さを感じるのは、そんな歴史を見つめてきた土地だからなのでしょう。

 この雲仙地獄ではかつての敬虔なキリシタンに対する、残虐な拷問の場となり、罪なき老若男女が多数、この地で殉教していったのです。
 キリシタンに対するおぞましい拷問がこの地で行われたのは、主に江戸時代初期のことです。3代将軍徳川家光の命を受けて、島原藩主松倉重政が、島原や浦上などに住んでいたキリシタン住民をこの地に連行し、男女の別なく手の指を切り落とし、背中を断ち割り、この地に吹き出す熱湯を体に注ぎ、あるいは熱湯の池に全身をつけては引きずり出すという、想像に耐えない拷問がこの地で繰り広げられたのです。
 
 血も涙もない拷問を指示した島原藩主はそれまで、領地内のキリシタンをひそかに黙認してきたのです。しかし、「キリシタンに対する取り締まりを強化せよ」という将軍の命を受けて、自国の領民に対し、人のなしえることとは思えない、もっとも残忍な拷問を実行するに至ったのです。
 当時は粛清的に、外様大名に口実を見つけては次々とお家取りつぶしと領地没収が繰り返されていた中、幕府に対する従順な姿勢を見せるために、日本史上空前の残虐な行為に至ったのでしょう。

 なにか、今の狂った政権とその取り巻きや、生存の根本たる命のことや、子孫に受け繋ぐべき豊かな未来のことよりも、自己や目先のことにしか想像力を馳せることのできない今の政財界、今の日本が行きつくところを思い浮かべてしまいます。
 ともかくも、江戸時代260年の泰平の陰に、こうした決して許されない、悲しい出来事がたくさんあることを改めて感じます

 あのおぞましい悲劇から数百年経った今も、この地には地獄の底から響いてくるような叫び声が聞こえてくるようです。



 ここは開国直後の江戸末期、1862年に建立した大浦天主堂です。日仏修好通商条約に基づき、在日フランス人のための礼拝堂として建設され、フランス人神父がここに赴任しました。そしてある日、、この教会を訪れた住民の一人が、自分たちは迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきた、いわば隠れキリシタンであることを神父に告げたのです。
 250年もの間神父不在の地で、禁止され迫害された信仰をひそかに守り伝えてきた人々がいたという事実は世界に伝わり、「東洋の奇跡」とも言われました。

 敬虔で正しく美しく、不屈な人たち、善と崇高な意思に基づく美しい心は、お金や力と引き換えられるものではありません。
 辺野古で基地新設反対のための抗議を続ける沖縄の方々を想う時、今の時代、これからますます厳しい日本の中において、しっかりと流されず、いのちのため、未来のため、子供たちのため、強く生きていかねばならない覚悟を新たにします。




 長崎原爆の爆心地に立つ、被爆した浦上天主堂の壁の一部。
 70年前、この地は木々も草もすべて燃え尽き、一瞬のうちにすべての命が炭のように燃え尽きてしまったのです。

 今回、10数年ぶりにこの地を訪れました。
 以前訪れた当時も、あまりよい時勢ではなかったのですが、今の日本の情勢はまた、さらに恐ろしく、暗いものが迫りつつあります。

 今回長崎の地を歩いて感じた、空気の重さは間違いなく、恐ろしい間違いの歴史の重さであり、それがこの地の現代に及んで宿命のように、その土地の空気を形成しているように思えるのです。
 また取り返すことのできない過ちを繰り返さぬよう、一地球人として心に強く言い聞かせます。

 平和で、いのちの営み豊かな美しい日本、美しい世界を。
 年の初めにこの地で思うことは、今の日本への憂いが大きくのしかかります。おそらく、多くの人が思うことなのでしょうが、繰り返してはいけない、そんな想いばかりが心に響きます。

 明るい未来のために、明るくまっすぐ生きていこう、そんな決意を定めた旅となりました。

 




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謹賀新年 元旦      平成27年1月1日
 
  ブログを呼んでくださる皆様、あけましておめでとうございます。どんより曇った空模様の元旦ですが、今年は一人一人の力で世界を明るくしていければと願いを込めて、決意新たにいたします。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。



 私事になりますが、今年、実家の母親が引越しするため、生まれ育った実家への正月の里帰りも今回で最後となります。
 千葉市内の実家は、今の住まいから車でわずか20分足らずの場所なのですが、自分が生まれ育った実家がそこからなくなるということ、何とも言えない寂寥の想いがあります。
 元旦の今日、子供の頃の遊び場だった実家周辺の林に分け入り、40年近く前の名残を探します。
 この栗の木、多分この木、、昔この木にツリーハウスをつくり、そして根元に洞穴を掘った思い出の木、多分この木か、、あるいは違うか、当時とはずいぶん違う、笹薮をこぎ、少年時代の記憶を頼りにこの木の畔にたどり着き、そして木肌をなでます。



 写真左側の住宅地が、実家のある40年前の分譲地。その当時、道路右の斜面は造成したばかりで土がむき出しの切土の崖面だったのです。
 この崖に、地下水がところどころ浸みだして、そして崖を駆け上がっては近所のおじさんに「くずれるからそこであそぶな!」と怒られたものです。それでも子供たちは負けず、大人の目を盗んではこの崖をよじ登っては滑り、崖を崩して遊んでいた悪ガキ時代の記憶がよみがえります。
 その斜面も40年の時を経て、雑木林となりました。



 そして、今は枯れあがったかつての沼の跡地です。山の畔に、かつては生活排水を集めてここで自然浄化されていたのです。40年近く前の当時はここに様々な大きな魚にウシガエル、それにシラサギが住み着き、独特の雰囲気の沼がありました。
 この枯れ沼を見ると、ウシガエルの声が子守唄のように思い出されます。
 周辺分譲地の住宅圧に沼の自然浄化能力が次第に押され、そして最近では下水道が整備され、この沼地の役目は終わったのです。
 思えば、僕が子供だった時分のこの地域はまだ、人と周辺環境とが共存して持続的に暮らしてきた名残があった、ちょうどその過渡期だったことに気づきます。



 人の暮らしが山から離れるに従い、里山は荒れて笹に覆われていきます。しかし、実家周辺では今もこの森の一部が周辺の昔からの住民たちに利用されている様子が、こうした山道の整備からうかがえます。



 山の中に、小さな自給的菜園が点在する光景は今もかろうじて残ります。少年時代の暮らしん名残が今も残っている様子に心癒されます。
 それにしても、時間が止まったようなこの地域には、今も里山の名残がよくも残っている、そのことに、自分の故郷の欠片を見たようです。



 子供の頃に遊んだ里山も今はずいぶんと減りながらもこうして残っている、そう思いながら歩きつつ目に留まったのがこの看板。
 ここは15年前から千葉市の緑地保全地区に指定されていたのです。昔はこの山で大人が作業し、そして子供が遊び、そして小鳥に虫たち、様々な生き物たちの活動が生き生きと繰り広げられていたあの頃。
 今はこうした形でしかなかなか街中の緑は残されないものですが、それでも次世代に繋ぐことが何より大切なことかもしれません。



自分は確かに、この里山で育った。そんな想いをかみしめながら、これからの自分の歩むべき道を確認します。

 よい未来、自然豊かで平和で心豊かな未来のため、今年はさらに、身を粉にして歩んでいきたいと思います。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 




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