HOME>雑木の庭つくり日記
風と水のふるさと紀行 黒部川源流の旅(その1) 平成27年8月11日
ここは富山湾、昭和初期に行われた、魚津港建造の際に発見された魚津埋没林です。
2000年前の杉の原生林が富山湾岸の海底に眠り続けていたのが、今もなお水中にあって、当時の木質と精気を衰えさせることなく、その一部が2000年間の眠りと同様の条件で、北アルプスからの地下水脈の流水に守られながら保存されています。
魚津埋没林は日本の屋根北アルプスの広大な地下水を集めて流れる黒部川の最下流部、片貝川の汽水域にて、2000年前の河川氾濫と海面上昇が複合して埋没した杉の原生林の名残です。
たまたまここは戦前の港湾建設の際に発見されましたが、それ以外にも今もなお周辺一帯に埋蔵されており、その痕跡は、2000年前からの環境の変化を現在に伝え続けているようです。
それにしても、2000年もの間、海底浅瀬に埋没しながらも、当時の杉の巨大な根が朽ちることもなく、新鮮な姿で残ってきたのか、その鍵となるのが、北アルプス連峰から豊富に送られ続ける清冽な地中水の動きにあるのです。
埋没林の周辺では、3000m級の峰々から流れ落ちる膨大な水が海辺の扇状地で湧き出し、一部は地表を流れ、そして多くは地中の流れとなります。そしてその流れは大量の酸素を常に土中に送り込みつつ大地を浄化し、その清らかさと雪渓に端を発する低温を保ち、それが埋没林の海中に滾々と流れ続けてきたのです。
これが単なる海底浅瀬の埋没林であれば、2000年どころか数百年程度でほとんどが朽ち果ててしまうことでしょうが、膨大な水量の湧水が常に供給されるこの海域特有の環境ゆえに、2000年前の巨木の森の名残をこうして今に伝えるに至ったのです。
2000年前の大地の環境の下で巨木となった杉の根は、今にもむくむくと動き出しそうなくらい、力強い精気を感じさせます。
その精気に打たれて心は震え、涙が目頭までこみあげてきます。
この巨木の根は数千年の時を超えて今もなお、大地の循環に帰してゆくことなく、清らかな水脈に守られながら、木としての凛然たるいのちの力を今に伝え、そして見るものにかつての大地の力を浴びせかけ続けてくれているのです。
太古の大地の力強さを想う時、今の時代を生きる私たちの生き方暮らし方、人間としての在り方を根本から問い直される思いに突き動かされます。
数万年、数千年の時の流れというものは、人の一生から見ると長いようにも感じますが、地球の歴史から見るとほんの一瞬の出来事で、その中で地球は変遷し、プレートがぶつかり合って隆起沈降を繰り返し、陸が海になり、そしてまた陸地が生まれ、絶えず変化し続ける地球上のほんのわずかな表層で、いのちの営みが繰り広げられ続けてきたのでしょう。
海底に埋没した2000年前の巨木林の名残は今もなお、あまりに多くの摂理を語り続けているようです。
今回、黒部川河口域からその源流を訪ねる6日間の旅の中で、全てのいのちの源となる水の動きを追いかけます。
そしてここも黒部川河口域、入善町の杉沢と呼ばれる天然杉林で、沢スギと呼ばれます。
海岸沿いの低湿地でありながら、黒部川が作る扇状地末端の湧水に端を発する水脈沿いに、昔から沢杉と呼ばれる杉林が成立してきたのです。
杉沢の森の中では、常に大量の地下水が湧き出して清らかに流れ続けています。
杉は本来、湿地にも乾燥地にも生育しにくく、健全な山の斜面谷筋などの肥沃で湿り気がある土地によく生育しますが、沢スギがこのような海岸低地の沢地に生育してきた理由はこの、高山から供給されて大量に溢れ出す湧水にあるのです。
常にこんこんと流れ続ける清冽な地下水が土中に大量の酸素を供給し、それが樹林の呼吸を支えてきたのです。
大地を流れる水脈こそが、あらゆる命を育む大地の血管と言っても過言ではないでしょう。
そしてその水の多くは地表ではなく大地の中を流れ、そしてときに表面に川となって現れます。
自然界の事象を理解するためには、目に見える川や沢と表裏一体の、目に見えない地下の水の動きに注意を払う必要があります。
健全で力強い水脈こそが豊かな自然の呼吸脈であってその土地の豊かな再生力を生み出すということは、この地で昔から経験的に知られてきたのか、あえて湧水の水路を掘って流水を良くし、杉が育つようにしている、人による水脈誘導の痕跡も見られ、かつての智慧の深さに感じ入ります。
深山の趣を感じる清らかな森の様相はとても海岸沿いの低湿地とは思えません。
この森の面白さは、奇妙な形状でたくましく生きる杉の木の佇まいにあります。林内にくねくねと曲がって伸びるほっそりした幹はなんと杉なのです。
豪雪地帯のこの地では、杉のような重たい葉を蓄える樹木は、その生育段階で幾度も雪に埋もれて倒伏します。
曲がった形状はこうした風土環境に適応した沢杉の姿と言えるでしょう。
くねくねと曲がって伸びる沢杉の幹が雪につぶされて地に接すると、そこで根を出し、そして新たな幹を上へとのばしてゆくのです。
こうした樹木再生の在り方を、伏状更新と言います。この厳しい風土の中で適応し、生きる術を身につけたがゆえに、この地で天然の杉林が生育し、そしてそれはこの地に生きる人の暮らしに活かされ、長い間この地に暮らす人たちによって大切に守られて続けてきたのでしょう。
柔軟で不思議な形状のこの森の杉たちは、植物と動物の境目を感じさせないほどの躍動たる、いのちのたくましさを感じさせてくれます。
海岸沿いにこんこんとわき出す清冽な水が、この豊かで地域特有の森を育み支えてきました。
かつては入善町海岸付近の湧水沿いに沢杉の森は無数に点在しており、その面積は合計140ヘクタールに及んだと言われますが、今ではこの杉沢一カ所、約2.7ヘクタールのみとなってしまいました。
多くは昭和37年ごろから始まった、圃場整備事業によって伐採され埋め立てられ、整然と区画された水田へと姿を変えられていったのです。
日本の風土は、昭和30年代後半から50年代にかけて、農山村含めて大きく変り果てました。
なだらかな起伏豊富な自然地形はこうして平坦に造成されて、整形的な農地として整備され、そして湧水のうち地表の水はコンクリート水路にて直線的に排水されています。
その一方で膨大な量の地中の水は、一部は新たな水脈を自然に再生して海に流れ、反面に多くは土中に滞水して生き物環境の呼吸を妨げてしまい、本来豊かだったこの地をますます弱らせ続けてしまっている、それが現実の姿なのでしょう。
長年の間、この地の自然環境と共存しながら豊かな命を育んできた本来の環境は、今はほとんど見られません。
戦後に全国的に始まったその土地特有の風土やを無視した開発、土地利用の在り方は、今も大筋で何も変わりませんが、近い将来必ず方向転換していかねばなりません。
圃場整備と機械化、農薬除草剤肥料の大量使用による戦後の農法は、一時的には確実に収量を高めましたが、その土地の自然環境を破壊し負荷をかけ続け、大地の絆と循環を妨げ、自然本来の生産力を悪化させ続けるこんなあり方の先に、子供たちに伝えるべきどんな未来があるというのでしょう。
「コンクリートに覆われた田舎に誰が帰りたいっていうの?」見聞きしたそんな言葉が脳裏にかすめます。
そんな中でも、杉沢付近の森の近くには、湧水を誘導する素掘りの溝が掘られ、空気と水の通る健全な環境がわずかに見られ、その空気感が心を慰めてくれます。
心地よく、ひんやりした土の香りは、地中と地表の空気循環が生み出します。空気の流れも水と同様、地表ばかりではなく、見えない地中との行き来をも想定していく必要があります。
そして、五感を研ぎ澄ませば、空気と水が健全に流れる本来の心地よさを私たちは思い出し、感じ取ることができるのです。
素掘りの水路を伝う水は周辺土中の余分な水を集め、そして乾燥時には周辺土壌に水分を供給し、大地の環境を潤すのです。
人が掘った手掘りの溝は有機的でほほえましく、そして自然の理に合致して共存しています。こうした名残を見るにつけて、傷んだ大地はまだ取り戻せる、そんな希望を感じさせられます。
杉沢の杉とその周辺の環境は、わずか数十年前に奪われていったかつての美しい人と自然の営みを今あらためて偲ばせてくれます。
そして今回、黒部川最源流の水源山域を踏査すべく、標高1300mの入山口に車を置いて歩き始めます。ここから丸4日間の山籠もりに入ります。
黒部源流は、北アルプスの核心部最奥の高山に端を発します。その水源の山々に登るには、奥飛騨側、信州側、富山側とのかつての3国からのルートがありますが、今回は富山側、標高1300mの折立登山口から入山します。
透き通る青空と冷涼な森の空気が体と心を吹き抜けていきます。
登り始めてしばらくは深遠な森の中を行きます。
日本の屋根、北アルプスにおいても最も深い山域を目指して登りつつ、力強いいのちの営みを感じます。
心に留まったのがこの巨木。地上2m以上の位置から根を下ろしています。これは枯死した巨木の上に落ちた実生が根をおろし、周囲に生い茂る熊笹との競合から解放されてすくすくと伸びていったのです。
深い山中ではごく一般的な光景ですが、多くの人に伝えたい、いのちの営みです。
林内に降り注ぐ木々の実生、その多くはクマザサなどの深い林床植生に埋もれて消えてゆくのが宿命なのですが、そんな中、枯死した巨木や倒木で浮き上がった巨大な根などが腐植して、しっとりしたスポンジ状になった状態の場所に幸運にもこぼれ落ちた実生がすくすくと伸びて根をおろし、そして次代の巨木となって森の環境を守る担い手となってゆくのです。
適度に腐植してスポンジ状になった植物遺体は、通気環境的にも透水環境的にも、あたらな命にとって非常に適した心地よい生育環境を提供します。そこに落ちた実生は様々な競争にさらされてなお強く勝ち抜くアドバンテージを得るのです。
こうした森の営みと新たないのちの再生の在り方を、マウンド更新、あるいは倒木更新と言います。
つまり、朽ちた木が土に還ってゆく過程で新たな命を育む、「いのちのゆりかご」となるのです。
これは倒木の巨大な幹の上に生育する木々。おそらくここにこぼれ落ちて根付いてから、50年以上の歳月を経ているのではないかと推測されます。
それなのに、今もなお、この倒木遺体は朽ちきることなく苔に覆われながらも幹としての形状を保ち、そしてその上に新たな木々の命を育み続けているのです。
そしてこれは根返りして倒木したシラビソの幹が、隣の立ち木にひっかかることによって完全な倒伏を免れ、そして生き続け、たくましく新たな幹枝を再生させています。
深山で繰り広げられる木々のいのちの営みとたくましさは見るものに負けない力を与えてくれます。
地球上のいのちが本来持つ、生きようとする力、それこそが未来への希望となり、人知れず空間に清浄な力を漂わせ続けているのです。
久しぶりに帰ってきた、そんな心境に浸ります。
そして森林限界を超えると一気に視界が開けます。
稜線に抜けるとそこは風と雲の世界です。夏山の午後、高山の稜線では、快晴の日であれどもこうして雲が上がってくることが通常です。
芝生のようにも見える緑のじゅうたんは、高山の寒風が撫でて作った息づく大地の証です。
高山の草原とハイマツ帯とが地形に応じて整然と見事に住み分けて、水と空気の微妙な動き方の差異にによって繊細に変化する限界域の植物の営みを注意深く観察し、様々なことに気づかされます。
感動と会心の旅の報告は、まだまだ続きます。
いつもに増して長くなりますので、いったんここで区切らせていただきます。
後ほどアップさせていただく予定の「旅報告その2」を、どうかご期待くださいませ。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
浜名湖畔の庭 環境改善工事終了 平成27年7月30日
ここは中部山岳地域の膨大な水脈を集めて流れる天竜川下流域、遠州灘に面した汽水湖 浜名湖です。
昨年の秋からこの湖畔丘陵地で始めた造園工事がようやく終了しました。
毎月工事のためにこの地を訪れる度、早朝に宿舎からほど近い浜名湖畔を散歩しながら、自然が息づいていた頃の古き良き浜名湖に思いを馳せます。
そんな日々もこの工事終了と共に思い出に変わってゆくと思うと、最終日の朝の散歩はひとしお感慨深いものがあります。
浜名湖畔でも、この辺りはまだ、近年の自然環境の急速の悪化からまるで取り残されたかのような、そんな清らかさをも感じさせられます。
湖畔にせり出す森の様相も、かつては湖畔全体で当たり前の光景だったことでしょう。周辺の森から供給される大量の有機物が汽水湖の生態系を豊かなものへと育んできたことでしょう。
そして生き物は陸地と海とで繋がって、豊かな風土環境を成立させていたことが想像されます。
周辺の森からの清らかな絞り水が浜名湖に注ぎます。こんな光景もこの湖畔では他にはほとんど見られなくなってしまいました。
湖畔への道すがら、足元の草むらはいつもカサコソと、小さなカニが音を立てます。人が通り過ぎるまでの間、穴に隠れたり草むらに逃げ込んだりと、つぶらな瞳で横歩きのかわいいしぐさで和ませてくれます。
これも陸と海とが繋がる本来の生き物環境ならではの光景だと思うと、生き物環境を顧みずに無機的で暴力的な殺風景な開発がとどまることのない今の日本に生きる辛さを感じます。
早朝の5時ごろ、周囲のミカン畑はミツバチのにぎやかな葉音が鳴り響きます。大地から鳴り響くようなミツバチの葉音と柔らかな朝の陽ざしは、私の五感の記憶の奥底から思い出されて、生き物にあふれていた子供の頃の野山の光景と重なっていきます。
私の地元では、おそらく6~7年くらい前から在来のミツバチが激減して、そして今年の夏以降はほぼ全滅してしまったかのような印象があります。
朝日に響き渡るミツバチの大合唱は大地の調和の音色のような印象を持って、懐かしく心に響き渡ります。
湖畔の谷地。粘土質で礫を多く含む土壌環境が、わずかな高低差の中にも急峻な地形を刻み、それが汽水湖畔に豊かな森を育んできたようです。
そして、谷地の農地と周辺傾斜地との、地形傾斜の変換線とも言うべき境界部分には素掘りのが掘られて、周辺の土中の水が絞り出されて清らかに流れています。
大地の中の水の動きを当たり前のように知る、先人の知恵の辺々がこの地で見られ、そうした人の営みによって、今もなお、この地にいのちの気配残る息づく自然環境が残されてきたように感じます。
山側の絞り水を際で絞り出すことによって、土中の水と空気の動きを活発化し、土壌中に空気が送り込まれ、木々の根も土中生物も深い位置まで活発に動き、そして豊かな土壌の生きもの環境が育ってゆくのです
そして湿地だった平坦部分も、水が滞りなく動くことによって、人が田畑として利用できる環境が生まれます。
水脈造作で人も自然環境も共に潤う環境が作られる、それこそが本来の持続的な人の在り様だったと、こうした光景を目の当たりにするたび、そう感じさせられます。
ほんの40~50年前くらいまでは、当たり前だったこうした光景も、昭和40年代以降に急速に進んだコンクリート化によって、全国的に大地の呼吸不全は進行し、それに伴って土が劣化し、乾燥し、そして無機的で潤いのない、健康とは程遠い環境ばかりが今もなお、増え続けています。
取り残されて生き残る、そんな美しい大地の欠片を浜名湖畔で拾ったようなうれしさとともに、この有機的な世界がいつまでも残されて、そしていつか人の心の芽を開いてゆく、そんなきっかけとなって、自然環境が、そして人の心が再生されてゆくことを祈らずにいられません。
さて、昨日、湖畔の丘陵地の造園工事がようやく終了しました。
昨年の9月からかかり始めた工事ですので、実に10カ月越しの完成です。
ほぼ毎月、月に3日間程度のペースでじっくりと、水脈改善の効果を確認しながら、工事を進めてきました。
家屋背面の山から湧きだす水脈が、コンクリート擁壁やU字溝などによって、土の中で行き場をなくして滞り、それがこの地の土壌環境を極度に悪化させていたのです。
そこで今回の造園工事の大半は、その水脈環境の改善に費やすこととなったのです。
大地の生き物環境は見えないところで急激に悪化しております。そんな中、私たち造園に関わってきたものにとって、今後は、これまでのように目につきやすい表面的な造形や、庭としての視覚的な完成にばかりとらわれるのではなく、目に見えない大地全体のいのちの環境、呼吸環境と言う部分から、大地の環境を再生してゆくという視点が求められることでしょう。
この地は30年前の開発以降、長年にわたって呼吸不全に陥って極度に傷んでいた大地の環境改善ですので、作業は幾多の困難を極めました。
数回にわたる工事のやり直しを経て、今はすべての問題を解消し、この地の自然環境は、たった数か月前まではここが、ヘドロに覆われて有機ガスで充満する、ぬかるんだ土地だったとは思えないほど、豊かな生物環境が醸成再生されつつあります。
改善工事完了後の家屋全景です。背面に巨木林立する丘を背負っており、ここはちょうど大きな谷の地形となります。
その谷地形を作ったのは水の流れでありますので、ここには小川が存在したことは疑いの土地がありません。
その小川をつぶしてコンクリートU字側溝を作った時点で、土中に水が停滞して腐り、それが木々や大地の呼吸不全を進行し、こんな環境であってなお、湿地のように腐り水の停滞する、そんな住環境を作ってしまったのです。
こんな大地の環境においては、いくら表面的に美しくつくろっても、決して健康な住環境など生まれるべくもありません。
臭くぬかるんだこの地の工事はまず、山際で土中の停滞水を吐き出すことから始めます。
本体の谷間、水脈の中心だった場所には30年前の宅地開発時にコンクリート擁壁が作られました。この擁壁によって空気と水の流れが滞って土壌生物環境を悪化させて木々の根を傷め、裏山の巨木たちの樹勢を落とし、そして行き場をなくした水が停滞してヘドロと化して、土壌はさらに不透水化するという、そんな悪循環が続いていたのです。
今年の冬の間に、擁壁沿いに溝を掘ってそこに炭と泥漉しの枝葉を敷き詰めて停滞した土中の水と空気を動かして水脈再生を試みたものの、数か月後にはそれも滞って有機ガスを発生させてしまいます。
そして数か月後、再び人工水脈を掘り返し、擁壁裏の停滞水を誘導します。
擁壁際を掘り進み、コンクリート基礎の下まで掘ったところでようやく、擁壁背面の水が勢いよく流れだす水脈に到達しました。毎分20リットルはあろうかと思えるほどの、かなりの水量でした。
これがはけず、長い間地面の中に滞留していたのです。
水は流れていてこそ、様々ないのちを養いますが、こうして停滞してしまえば、土も植物も健全に呼吸できない状態となって土壌は悪化し、悪臭漂うヘドロと化していきます。
ここもまた、広大な土地が土壌の通気不全によってヘドロ化していたのです。
生き物の通気環境を顧みない開発や造成がますます大型化する昨今、もはや自然の再生力ばかりではどうにもならないほどの環境悪化が見えないところで進んでいる、日々そうした環境悪化を目の当たりにする造園者として、そのことに立ち向かい、そしてそれを伝えていかねばなりません。
この停滞水を導く水脈再生のために、エアースコップを用いて土中に空気を送り込みます。ちょうど、血管が細って滞りが生じた患者さんに対してカテーテルで拡張するような、そんな外科的治療にも似ています。
大地も人も、そしてすべての生き物も、円滑な空気と水の流れがあって初めて命が繋がるもの、こうした作業を通して自然界の真理に触れる思いを感じます。
本当の意味での大地の水脈再生のためには、山からの絞り水を徐々に浸透させながら、そこにあったであろう地下水脈へと誘導してゆくべきなのです。
しかしながらここでは、上部の擁壁による湧き出し水の遮断に加えて、下流部もこうしてU字側溝と道路によって遮断されてしまっているのです。
実際、川などの地表に現れる水は陸地における水の流れの中ではほんのわずかであって、例えば地球全体において地表流は地中を流れる水の総量のわずか4800分の一という、信憑性の高い推計が報告されているのです。
土中の水の動きを考えることの重要性はそこにあります。U字側溝などで目に見える部分の水さえ処理すれば地面の中はどうでもよい、そんなやり方は必ず見直して、なるべく早いうちに方向転換しなければなりません。
大切ないのちの循環が完全に消滅してしまう前に。
人間が作ってしまったこうした環境では、地中に浸透しきれない土中水は、道路側溝のコンクリート枡を壊してそこに流すしか、方法はありません。
そして、コンクリート枡の側面の一部を壊すと、勢いよく泥水が吹き出し、そして徐々に安定した清流へと変わっていきます。今は飲めるほどにきれいで冷たい地下水が、枯れることなく流れ続けています。
試行錯誤の末に、この地の呼吸不全はこの水の動きを健全化することで解消されていったのです。
山側の水脈改善作業中。
造園工事終了後。山際の水路は通気性のよい石積みによって保護し、そして今は滞りのない風が山から抜ける、心地よい空気感に一変しました。
敷地下流部、改善工事中。
工事終了後、この駐車スペースの下をながれる水脈の水音が、まるで水琴窟のように心地よく、常に鳴り響きます。
この駐車スペースの下には大切な水脈があります。その水脈の詰まりを持続的に防ぐためには、この駐車スペースの緑化と根による泥漉し機能が求められます。
そこでここでは、多孔質で保水性の高い瓦再生チップに木炭を混入してノシバを播種し、緑化を試みています。
おそらく、この秋までにはうっすらと芝がはびこることでしょう。
植物の力、自然の力を借りてこそ、人は持続的で豊かな環境を作ることができる、人がなしえることの限界、分というものを再びわきまえることこそが、これからの社会の持続のために深勝となることでしょう。
水路を渡る足元の景。
水と空気の流れる庭、この庭における水脈再生によって、周囲を取り囲む木々の呼吸も改善されて、まるで完成を祝福してくれているような晴天です。
この仕事を通して、痛めつけられた自然環境を再生すること、健全な環境を取り戻すことこそが、そこに住む人の健康にもつながること、そんな大切なことに改めて気づかされました。
長い期間にわたってこの取り組みを見守ってくださったお施主のKさん、そして地元で全面的に施工協力くださった、浜松市、新進気鋭の雑木の庭師、ナインスケッチの田中俊光さん、この場をお借りして心からの御礼を申し上げます。
長きにわたって本当にありがとうございました。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
いのちの息づく庭環境つくり 平成27年7月2日
梅雨の長雨の合間を縫って進めております相模原市、丹沢山系の水を集める宮ケ瀬湖の畔、Iさんの週末暮らしの庭つくりが、あとわずかで完成となります。
雨続きでなかなか記録が撮れないため、まずは1週間前の晴れ間の際の庭の様子から紹介いたします。
相模原市内在住のIさんご夫妻は、震災以降、自給的で自律的な暮らしの必要性を感じられ、そして2年ほど前、ご自宅や職場から車で1時間程度の距離の山間地に土地を入手し、週末暮らしのための家を建てられました。
この住処は平常時は週末の癒しと半自給的な暮らしの場として、そして同時にそれは、災害や社会変動などの非常時の際には避難暮らしの住まいとなる、そんなスペースを求められました。
それはいわば、ロシアでは今も約8割ほどの国民が所有する「ダーチャ」の日本版とも言える一つの形であり、Iさん夫妻はダーチャの必要性を感じて、この地の暮らしの拠点作りを始められたのです。
自給的暮らしの根本は、その土地の自然環境の中の一員として、周辺自然環境を意識的に育成しながら利用してゆくこと、他にはあり得ません。
長い間、人の暮らしはその土地の自然環境を健全に保ちつつ、豊かで多様な大地からの収穫を得て、その土地の暮らしが成り立ってきました。
人は大地に向き合うことを忘れると、いつのまにか自分たちのいのちの源たる周辺環境を壊し、そしてそれがその土地の気候をも取り返しのつかないほどに変えてしまい、それまでの暮らしを支えてきた豊かな大地の環境基盤を失ってしまうことは、世界の文明の歴史の中でごく自明の理なのです。
そんな現代社会の暮らしの在り方に疑問を感じ、自然に回帰して矛盾の少ない暮らしをせめて週末だけでも志そうとされる方が、最近非常に増えているように感じます。
そうした中、私たちは、自然環境再生を主眼とした造園の仕事を通して、そして今後1~2年以内に本格的に活動してゆく予定のダーチャサポートプロジェクトにおいて、現代の暮らしの中で多くの人が忘れてしまった自然の理や共に生きる喜びを力いっぱいサポートしていきたいと思います。
造園工事に伴う植栽や空間造作を進めながらも、この土地の造成や建築工事などによって傷んだ大地の通気浸透環境の改善作業を並行して行います。
ここではエアスコップという道具を用いて空気圧で横溝を掘りながら、地面の中の細かな通気脈を通して、土中に空気を送り込むことによって、締め固められて呼吸できなくなった土中環境を改善していきます。
「いのちの基本は土壌環境にある」といっても過言ではありません。
土中生物環境が深い位置にまで豊かになれば、この土地が支えられるいのちの総量も種類も格段に増えていき、多様な生き物環境が、この土地の生産力や人の健康をも左右します。
呼吸する大地の環境再生、数十年前まではあまり考える必要のなかったことからきちんと対処していかねばならない、それ程今は、全国的に大地の環境全体が深刻なまでに病んでしまっていることを実感します。
敷地西側のコンクリート擁壁の際も念入りに空気を送り込み、溝掘りによる微細な地形落差を設けていきます。
コンクリートなどの均一素材による直線的な擁壁は、水抜きの処理を施してもすぐに土中は詰まって生き物環境を痛めてしまうことは、擁壁沿いの雑草植生の違いを見ていけば明らかです。
自然はきちんとそれを目に見える形で教えてくれます。それを注意深く読み取ることが、自然との共同作業でいのちの環境を再生してゆくうえでとても大切なことになります。
庭の中では、植栽のための盛土部分と庭スペースの平坦部分との際を中心に、エアスコップによって溝掘りします。このわずかな地形落差で、土中の水と空気が動き出し、その後自律的に生き物環境が改善されてゆくのですから、感動と喜びを伴う仕事です。
それも、重機やスコップで人工的に掘るのではなく、まるで風の通り道が風洞を穿ってゆくように、エアを送りながら植物根を傷めることなく、石や硬い土を避けて柔らかな土を削ってゆく、風が年月をかけて成し遂げる作業に習って自然に掘ってゆくところに、高い改善効果が生まれるのです。
掘り方一つでも、自然に習う姿勢を持つことでいろいろと教わることがたくさんあるのです。
そして、溝の途中に縦穴を掘り、竹筒を差し込んで通気を取りながら、縦方向の空気と水の流れを作っていきます。
こんな地形落差であっても、周囲の土中の絞り水が集まるため、溝底に木炭を敷いて泥水や滞水による土中の目詰まりを防ぎます。
縦穴の周囲は枝葉で泥の流れ込みを緩和し、縦方向の円滑な通気性を保ちます。
そしてそ横溝にも剪定枝葉を絡み合わせて、通気層の泥詰りを防ぎます。この有機物が様々な速度で土と同化してゆく過程で植物根を誘導し、枝葉が消える頃には、植物根がとって代わって通気脈の維持と保全を担うのです。
芝張り後、ウッドチップの溝が通気脈の仕上げです。地形の際を中心に表面水が浸透しやすい環境を整えてゆくことで、土中の水と空気が即座に動き始め、大地の健康を支える多様な生き物たちが活動しやすい環境が自律的に再生に向かうのです。
この造作によって、大雨の後でも水は円滑に大地にしみ込まれて滞水することがありません。
また、有機的で生き物にとっての健全な環境つくりに配慮して作られた空間は、清涼な空気が動き、人にとっても健康で心から休まる環境となるようです。
写真奥の雑草のマルチは、この庭のメインとなる自然菜園です。
庭空間の配植や形状に合わせて、曲線状の自給菜園スペースを二つ。畝も曲線状に作ります。
自然農園では、一度つくった畝をその後耕すことなく、土環境を自然に育てながら使い続けますので、最初の形状が大切です。
そして、菜園マウンドを刈り草や落ち葉を堆積した腐植によってマルチしていきます。
完成後の菜園マウンド。この庭の刈り草や落ち葉は当然、この菜園マウンドの表層環境保護や土づくりに活かしながら、この畑の土壌生物環境を豊かに育てることが、すなわちそのまま、健康な収穫に直結していきます。
自然環境に負荷を与え続ける一般的な慣行農業の在り方も、自然農の普及によって変わらざるを得なくなってゆくかもしれませんが、まずは一人一人が生き方を見直していくことが大切です。
安全な食こそ、健全な体と心、健全な考え方と人間性を育むもの、まずは大地を育み、そして生き物たちと共にいのちの糧を得るという、これまで何千年となく地球の先人たちが行ってきた尊い営みを、こんなところからも思い起こして感動を得て欲しいと願いを込めます。
古民家の解体で得た材料を組み合わせて作った庭の作業小屋。右奥には落ち葉や野菜屑をストックして腐葉土化する落ち葉ストックがあります。
薪棚の屋根には、ちょうど茅葺き屋根の解体時に発生した屋根防水用のヒノキの皮がたくさんあったので、それを重ね合わせて屋根葺きにします。
いずれはこの土地の土に還ってゆく素材ばかりで作る庭では、土、石、木といった自然界の三要素が材料の主役となります。
そこにある自然の恵みを活かして衣食住を構成する知恵、それこそが人が忘れてはいけない大切な知恵の源のように感じます。
落ち葉や枝葉屑は生き物環境つくりに欠かせない大切な資材です。堆積して発酵させた腐植の中には、活きのいいミミズやカブトムシの幼虫など、たくさんの生き物たちがあふれています。
この腐植によって木々の根元をカバーしていきます。
通気性のよい土壌環境下においては、根元の土を露出させておいてもすぐに山苔が地面をカバーしていきますが、最近の環境下では健全な苔が生えにくい場所が増えてきました。それだけ大地の環境が大きく劣化している証と言えるでしょう。
病んだ大地環境の再生は私たちの大切な役目になります。こうした場所では植栽後の土を露出させることなく、山の地肌のように腐植によってカバーすると、土壌生物にとっても木々の根にとっても無理なくその土地になじんでいきます。
腐植によるマルチ後の根元の表情。大きく呼吸したくなるような心地よい山の香りが漂います。
敷地際の法面は竹のしがら編み柵によって自然な形状に戻していきます。竹しがら柵は3年程度で腐朽して、その後は草木の根が代わって地形を支えて自然で安定した風景へとなじんでゆくように配慮しています。
裏側スペースの足元は炭とウッドチップ敷きによって、雑草の進入を誘います。うっすらと雑草が低い高さで覆うように管理していくのです。
庭の完成は、実はその後の環境再生のスタートなのです。
造園工事の完成まではあと少しですが、実際にこの地が風景として育ってくるのは実はそれからなのです。ここでの暮らし、自然環境と人の営みが、かつての日本のように美しい風景が育まれてゆくことを願います。
また、余談ですが、今の時期は手入れ仕事も集中します。天候も定まらず、お待たせしておりますお客様、長らくお待たせして申し訳ございません。順に廻っていきますので、お待ちくださいますようお願いいたします。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
学校の環境改善~シュタイナー学園にて 平成27年6月16日
ここは千葉県長生郡長南町。房総のなだらかな丘陵に囲まれたのどかな地に、とても小さな小さな学校「あしたの国シュタイナー学園」があります。シュタイナー学園では、ドイツの思想家シュタイナーの教育理念に則り、「芸術としての教育」「自由への教育」のもと、一人一人の子供の成長に注意深く寄り添いながら、個々に応じたきめ細かな教育が実践されています。
古き良き小さな木造校舎に14人の子供達と先生方、父兄とも、こののどかな自然環境の中で家族のように温かな学び舎の暮らしが営まれています。
今回、あしたの国シュタイナー学園の特命講師を拝受し、本日、第一回目の授業を行いました。
午前中の授業は、学校周辺林の環境改善です。もともと谷地形で小川流れる田んぼだったこの地が埋めたてられて、コンクリート側溝と道路が作られておそらく約30年が経過し、行き場を失った土中の水脈が停滞して地滑りを起こし、谷間の木々は次々と倒伏し、とても健康とは言えない森の様相を呈しています。
今回、この谷筋を中心に、木々や草花が呼吸しやすい健康な環境を再生するため、本来ここにあった谷筋の小川を再生することから始めることになりました。
自分の映る写真を掲載するのは気恥ずかしいのですが、、社員が撮った写真を紹介しながら一連の授業を振り返りたいと思います。
はじめに、同じ場所の中でもちょっとした地形の違いで、優先する植生がまったく異なることを子供たちに説明します。
自然界のすべての生き物に無駄なものは何一つなく、全ての生き物が自然界の調和の中で役割を持って、そこに生きているということ。植物は根付いたその場所で必死に周囲の環境を改善していきながら生き、そして大地の環境が改善されて役目を終えると自然と消えて、あたらな環境に適応する他の種へとバトンタッチしてゆく、だから、どんな植物も大切な地球の仲間なのだと。
ここの木々達の様子を子供たちと見ていきます。一見健康そうに見えても、この森の木々は呼吸できずに苦しんでいる。その理由はもともとあった小川がつぶされてコンクリート側溝になり、その結果、大地の中を流れる水が行き場をなくして土の中に溜まってしまい、土の中に空気が入っていかない状態になってしまっている。だからこうして高木は痛み、根元は藪のように風通しが悪く、植物にとって通気の悪い状態になってしまっているということをお話ししています。
百聞は一見にしかずです。こんなこと、本で読んだり話を聞いたりしても、本当の知恵には決してなるものではありません。
すべては体験、体感、そして感動から人は本当に大切なことを学んでいきます。
しゃべるより、まずはやってみせること、早速、滞水していると推測できるか所を機械で掘ってゆくと、案の定、土中のたまり水が押し出されて流れ出しました。
「こんなに水が流れていたんだな・・・息できなくて苦しかったんだね・・・。」土中から溢れて流れる水を見ながらそう言う子供のつぶやきが、耳に残ります。
そして、大きな谷筋に本来流れていたはずの小川の水脈を再生するため、子供たちと一緒に溝を掘っていきます。
そして溝の底に炭を敷き、
周りの山から拾ってきた枯れ枝を詰めていきます。
ただ置いてゆくのではなく、ビーバーの巣のように枝を絡ませていきながら、水が流れてもしっかりと動かずに泥を漉してゆくよう、一生懸命に小枝を刺していきます。
皆でやると早いもので、あっという間に数十年も埋もれていた水と空気の通り道が再生されてきます。
浅く小さな水脈ですが、人間がやることはまずはここまででよいのです。あとは自然に任せて、水脈が自律的に再生されてゆくのを待つのです。人による環境改善とは、自然界が自律的に改善されてゆくためのほんのきっかけづくりであって、全てを完璧に人間ができるなどと思うことは、大きな思い上がりなのだということを、これからの社会は知らねばなりません。
きっかけ作りは子供たちにもできること。それなのに、いのちの源なるかけがえのない自然界に対してマイナスになることばかりしてしまう今の日本、今の大人はやっぱりどこかで道を間違えてしまった・・一生懸命に作業する子供たちを見ていると、そんな想いに胸がいっぱいになります。
そして、午後からの授業は、家つくりです。この学園では小学4年生と5年生を中心に、家つくりを体験するカリキュラムがあります。
家つくりの材料を探しに、周囲を歩き、切通しの洞窟の中でまた一講釈。
廻り野山を歩けば、家つくりの材料はすべて手に入ると。家つくりの基本は、周りにある土と木と石、自然界のこの三原則で長い間人間はその土地の気候風土に合った快適な住処を作ってきた。
ここですべての材料を探して家を作ろうと。
シノダケがたくさんあったので、それをつたで編んで壁の下地を作る。そして、壁下地の竹やツルは100年経っても腐らずに残るというお話など、、真剣に聴いてくれる子供たちの表情を見ているとうれしく、脱線話ばかりで授業がなかなか進みません。
そして午後からは、いよいよ壁の材料となる、日干し煉瓦つくりから始めます。
煉瓦を型枠に、藁を混ぜて練り込んだ土を詰めて型を取っていきます。
地元の田んぼからもらった藁をしごき、
そしてそれを壁土のつなぎになるように細かく裁断していきます。
そして、掘ってきた土と水を加えて、粘りが出るまでよく混ぜて
型枠に入れて数日間天日干しにします。
自分が作った日干し煉瓦にイニシャルを刻む子供達。
今日作った日干し煉瓦は約20個。1か月後の次の訪問までに200個作ってくれるよう、子供たちにお願いします。
今回作る家は、砂岩の山肌を穿って作る、半穴居住宅。子供たちが交代で硬い山肌につるはしで穴を掘っていきます。
穴を掘り始めたところで、今日の講座はおしまいです。子供たちはいつまでも現場から離れようとせず、長く楽しい一日となりました。
あっという間の子供達との時間。
この子供たちが大人になる頃、少しでも希望の見える地球、日本であってほしいとの願いを込めます。
学園関係者の皆様、協力いただきました父兄方々、どうもありがとうございました。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
いのちの息づく国土再生への転換を目指して 平成27年6月9日
ここは東京都国立市。延々と続く緑のラインは地理的に青柳崖線と呼ばれる高低差6~8m程度の崖のラインになります。
この崖線は、まだ日本の河川が息づいていた頃の多摩川が、長い年月をかけて削ってつくった河岸段丘崖の一つで、崖線の下では、崖線上平野部から毛細血管のように張りめぐらされて導かれてきたきた自然水脈を通して、地中の水がところどころに湧出し、その湧水がこの地での自然と人間の豊かな暮らしを、悠久の年月を超えて脈々と支え続けてきたのです。
多摩川が作った河岸段丘には、立川市から大田区まで30数キロにわたって延々と続く国分寺崖線や、谷保天満宮が位置する立川崖線、そしてこの青柳崖線とあります。
円滑な水脈を守り大地の通気透水を促してきた崖線沿いの自然樹林もずいぶんと減ってゆき、今では東京多摩川沿いの崖線全体の3割程度しか樹林が残されていないのが事実です。
崖線下の湧水はハケと呼ばれてきましたが、その意味するところは崖線上部の大地の水と空気を、急峻な崖線の地形落差によって吐き出す、そしてそれが崖線上部の土中に水と空気の動きを促し、木々や様々な土中生物が呼吸できる豊かな大地の環境を作ってきたという点で、円滑で健全なハケの存在が、人間含めてこの地域における生きとし生けるもとたちにとっての生命線とも言える、その土地がいのち息づく環境を維持してゆくための生命線とも言える、死活的に重要な役割を担ってきたと言えます。
河岸段丘などの自然地形落差がつくる、いのちの息づく大地の再生作用については、学会や行政、建築土木設計施工の第一線においても、いまだまったくと言ってよいほど顧みられていないのが現実なのです。
その結果が、地形改変を伴う現代土木建築施工の全てが、自然環境に対して大なり小なりのマイナスの負荷をかけて修復されない開発の在り方が当たり前になってしまって歯止めのかかることのない現実につながっているのでしょう。
崖線の下に行ってみます。青柳崖線の下、ここではコンクリートと樹脂素材の土留めによって、崖線からの地中水脈の円滑な動きや妨げられていることが、周囲の樹林の様相から分かります。
枝葉が詰まって風通しが悪く、藪状態となった水路周辺の樹林。その様相から土中の通気透水不良による土中の滞水と樹木根の劣化が分かります。
通気透水のよい健全な土壌環境であれば、木々は空間を住み分けて共存し、風道や光通しを妨げることなく、様々な生き物にとっての快適環境を自律的に維持していきます。
ところが、それまで生育してきた環境が変化して大地の空気通しが悪化し、植物たちが呼吸できなくなると途端に縮こまって枝葉をぶつけ合うように喧嘩しあい、そして風通しの悪い藪状態へと森の様相が生き物にとってのマイナスの環境へと変わっていきます。
数十年前まで、ここは素掘りの水路によって、上部の水と空気が円滑に抜けて、それによって呼吸する大地の環境が保たれてきたはずなのに、大地の呼吸に配慮しない水路整備によって、結果的にこの土地の環境の致命的な劣化を招いてしまったのです。
そしてそれは、この崖線周辺に限らず、流域全体の大地の呼吸を妨げて劣化させ、国立市街地においても木々の衰退、土壌通気環境の劣化へと直結しているとも言えるでしょう。
そして、このハケ地の環境で今、国立市によって進められているのが、「城山公園水路等修景事業」です。
青柳崖線の中心的な自然環境を伝えてきた城山地区において、土地区画整理事業に伴う大型開発によって寸断された水路を公園に引き込み、そして里山環境を残すべく公園整備が計画、実施されたのです。
通称「城山の里山づくり」。事業の名称がそのように命名されて、里山環境保全のための予算と言うと、おそらく誰もが、「環境に対してよいことをするための予算なのだな」と思うことでしょう。
もちろん、事業を推進する行政の方々だって、良好な環境を保全して後世に伝えようと、この事業計画を進めているのでしょうが、実際にはこうした土木的な改変施工がこの貴重な自然環境をかえって痛めつけて悪化させていくことに繋がっているというのが、悲しい事実なのです。
そのことは、整備前の数年前の、生き生きとした栗林と田畑、鬱蒼とした雑木林に覆われていたこの地の環境を知る者にとっては見る影もないほど、無機的で暑苦しい不健全な環境に一変し、そして木々も水脈も、大地の環境も大きく傷んでしまったことによって、理解されます。
自然環境に対して良かれと思って進める事業が、木々や環境を豊かに息づかせるために最も大切な土中の空気と水の動き方に対する知恵と配慮の欠如によって、結果的になすことすべてがマイナスの環境をつくってしまう。そんなことを知っていただかないととの思いがあって、今回国立市での大地の再生講座において、この城山ハケ地観察会を実施いたしました。
城山地区の水路整備によって、周辺環境は急速に変化してしまっております。新たに設けられた水路の土留めには、樹脂製の擬木が用いられています。均質で隙間に乏しい擬木の土留めが土中の空気通しを妨げてしまい、水路の底がヘドロ化して腐り、そこから発生する有機ガスがさらに周辺の土壌環境、植物根を痛めてしまっていることが分かります。
健全な水路の底には本来、水辺の植物が繁茂するはずなのに、ここでは乾燥に耐える荒れ地の植生が繁茂するばかり。
これは施工者の問題では決してありません。土中の空気の動きに全く配慮できない現代土木工法の問題であり、人が自然とのかかわりの中で本来持ち合わせていた自然環境に対する配慮と想像力の欠如が、自然環境を保全する目的の作業が、逆に自然環境を致命的に痛めつけてしまう結果に繋がっているのです。
水路沿いの植栽はすでに大方枯れてしまっております。コンクリートの縁石に囲まれた直線的な水路も意味をなさず、逆に周辺の土中滞水を促し、結果的に土壌生物環境を衰退させてこの地の自然環境を不快で無機的なものへとしてしまっているのです。
整備の末に悪化させてしまった水路上部の森を歩きます。樹高30mにも達しようかと思われるほどの見事な高木が連なります。武蔵野の豊かな大地の力を感じさせるこの森も実は、不健全化が急速に進んでいるのが感じられます。
城山の地名の通り、この山には本来お城があってその造営の際に盛られた土塁と素掘りの排水溝、その地形落差とハケ地の円滑な水脈によって、これほどの高木にまで成長させてきたのでしょう。
その土地の樹木を診て大地の環境の健全性を判断する際、今ある木々は過去の環境によって育まれたものであって、現在の環境を反映するものではないという点にも注意して観察しなければなりません。
明らかにおかしくなり始めているこの森の変化は、木肌や枝葉の痛み方ばかりでなく、大木の揺れ具合、林内への光の入り具合などから分かります。
これほどの高木、下枝の少なさを見ると、この森はもっと鬱蒼としていなければなりえないのです。つまり、森の密度が低すぎる、このことは人の都合優先の管理によってなされたものか、あるいは水路整備による森の衰退によるものなのか、おそらく双方の相乗作用になるものなのでしょう。
今はすっきりと心地よい森に感じられますが、それは長年生きてきた風格のある大木たちが作りだす環境形成作用によるもので、肝心のこの木々達が健康に生育して長生きできる大地の環境は、近年の人の誤った作業によって、とうに衰退しきってしまっていることに早く気づかねばなりません。
あと十年後、これらの高木はますます痛み、森全体が矮小化、藪化をきたしてゆく可能性が高いように感じます。その時、「そういえば以前はこんな不快な森ではなかったのに・・・。」と振り返っても遅いのです。
自然環境、それを支える大地の環境、そのつながりに早く気づき、活かすことのできる社会が訪れなければ、私たちはその生存の基盤すら、いつの間にか失ってしまうことになるのです。
そしてここは、城山公園の中心部に整備されたばかりの水辺。数か月前に作られたというのにすでに川底はヘドロに埋まり、すくってみると有機ガスの悪臭がします。
当然生き物は住めず、こんな嫌気的な環境には一部のバクテリアや嫌気性細菌ばかりが繁殖し、ここで足を使って遊ぶことすらできない、そんな公園の水辺となってしまっているのです。
ここだけの問題ではありません。
誤った工法、誤った考えに基づく環境整備は結果として自然の自浄作用をも狂わせてしまい、環境を悪化させてゆく、そんなことに早く気づいて方向転換しなければなりません。
本体飲めるほどの清冽なハケの水が、誤った整備によってこれほどまでに悪化させてしまっているのです。
本来の自然の流れには浅瀬があって深みがあり、そして水が加速度を付けずによどまず、大地を傷つけることなく流れてゆき、そしてそれが大地の血管たる水脈となって土中環境の呼吸を促し、いのち溢れる健全な大地の環境を持続させてきました。
新たにつくられたこの流れは幅も深さも均一で、直線的な段差水落としが連続する、自然界では決してありえない不自然な形状。それが結果として周辺環境を痛め、泥詰りを招いてしまうのです。
大きくはダムやコンクリート河川整備も同じで、こうした線上の間違った行為によって広大な面がその影響を受けて痛んでゆくのです。
雑木林自然林に接した遊歩道際に、新たに植栽された緑地。トキワマンサクやソヨゴといった、本来のこの地にはなかった樹種が混植されています。
土壌環境も造成時に痛めつけられた上に、水脈の詰りによって雑草たちも苦しげに競争をはじめ、心休まる風景にほど遠い、そんなおかしな緑地作りがなされている。
この土地に溶け込んで同化してゆく、本来の自律的で健康な森を再生しようと考えれば、こんな樹種の選択や植え方など考えられないはずです。
それが当たり前のようになされている現状を目の当たりにして、人はもっと自然と向き合わねばならない、そんな想いを強くします。
谷保天満宮本殿脇のハケ地。立川崖線から浸みだす水が流れます。かつてのここでの暮らしがそうであったように、ハケ地の水を円滑に抜けるように配慮することが、大地の再生力を大きく高めて健全な生き物環境を維持することに繋がるという、自然環境保全の上で最も大切な視点がこの、大地の呼吸を止めないことだと言えるでしょう。
形ばかり、見えやすい部分ばかりを飾ることばかりに費やしてきたこれまでの在り方から、私たち人間にとっても最も大切な生命線であるいのち息づく大地の環境を育みながら人の暮らしを両立させてゆく、そんな方向へと転換していかねばならない、そんなことを今回、たくさんの人に知ってもらいたいとの思いから、今回、城山公園観察会を実施させていただきました。
定員をはるかに超えるたくさんの参加者方々、そしてこの講座を主催くださったワクワークス一級建築事務所の皆様、本当にありがとうございました。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink