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幼稚園の環境改善工事を終えて 平成27年9月6日
お盆明けの工事を一つ、ようやく終えて、久々に心静かな日曜日を迎えました。仕事を通して感動を得て、そしていつも新たなことを学んでいきます。今回もそうでした。
めまぐるしい日々の中、想いをブログでご紹介できることはいつもほんのわずかなのですが、久々のこんな静かな日曜日には、少し想いを伝えることができたらと思い、ちょっとご報告したいと思いました。
ここは東京都小平市 なおび幼稚園。2年半前に植栽した木々はこの夏、涼やかな木陰を広げてくれています。
園庭の外周には、子供達200名と一緒に植えた木々の苗は大きく成長し、2年半を経て、いまや高いところで4mを超える樹林帯となりました。
わずか30㎝の苗木、小さな子供たちと一緒に植えたポットの苗木が、わずかな月日でこんなに立派に育ってゆく、こうした光景を目の当たりにすると、造園という仕事の常識まで問い直される思いがいたします。
造園的にはおおよそ順調に景観が育っているように見えますが、実際にはこの庭も10年前の園舎改修以降、根本的な大地の環境劣化が進行していたのです。
自然環境に対してよほどの愛情を持ちえない限り、あまり気付くことはないかもしれませんが、根本的な生き物環境の劣化は日本中で今や加速度的に進んでおり、そうした園庭の変化に気づいたこの幼稚園の園長先生は、健全な環境再生を私に依頼くださったのです。
園長先生は言います。
「確かに木陰は増えて心地よくなったけど、この木陰は昔の木陰とは違う。なんていうのかなあ、昔の木陰は、そこに行くとひんやりと土の匂いがして、ふかふかの土の中に虫たちがたくさんいて、見上げると木の上に虫や小鳥の声が聞こえる、子供たちにそんな木陰で遊ばせたい。木陰があればいいってものじゃなくて、昔のような本当の木陰のよさを取り戻したい。」
園長先生はさらに言います。
「10年前に園舎を建て替えて以来、土が硬くなって芝生もなくなってきた。何より今年は特に生き物が少ない、トンボも蝶々もバッタもコオロギもほとんど見かけないし小鳥も少なくなった。木があるだけじゃなくて、ここが昔のように生き物でにぎわう、そんな環境にしたい。」
そんな園長先生の素晴らしい想いに感動し、さっそく園庭の改善工事に取り掛かることになったのです。
2年半前の植栽の際、柔らかで肥沃な土に入れ替えたのですが、それでも地中の空気と水が土中で滞ってしまえば、土壌は呼吸できずに急速に劣化し、そして生き物が生育できない硬い土壌へと、短期間で変わり果ててしまいます。
実際に、この幼稚園で今年の大雨の際、雨水がはけきらずに建物に浸水するという出来事があったようです。これまでそんなことはなかったと思うと、それだけ土壌が機能低下が進行してししまっていることが理解されます。
大地が息づいていたかつての環境であれば、傷んだ部分だけ土を改善すれば、あとは自律的に健康に息づく土壌が育っていったのですが、現代のように劣化して呼吸不全に陥った大地の環境においては、土の入れ替えだけでは、本来の健康な環境を取り戻すことができにくくなっているのです。
反面、土壌の通気透水環境さえ改善すれば、大地はおのずと健全な方向へと再生されていきます。その、自然界の自律的な再生を手助けすることが、今は必要なのかもしれません。
これからはそんな視点を大切に、人の営みが自然環境を苦しめることなく、全ての環境がより良くなるような、本来当たり前の配慮が普通になされる、そんな世界が実現すれば、人は持続的に幸せに穏やかに生きていける、日々、環境改善の現場で仕事し続ける中、そんな想いが確信となり、何かに背中を押されるままにこうして仕事を続けております。
なおび幼稚園の土壌劣化は、10年前の建築時の機械踏圧や地形攪乱の影響、コンクリート水路などによる、土中の水と空気の動きの遮断などが大きな原因であることは、状態をきめ細かに観察する中で見えてきます。
原因が分かれば改善の道筋はおのずと見えてきます。
硬化した土壌は乾燥と過失を繰り返し、大地は呼吸しなくなります。そうした土には一部のバクテリアや嫌気性の細菌しか住むことはできず、生態系はますます脆弱にバランスを壊してしまいます。
本来土壌は、湿度や気温、大気圧の変化に応じて地上と地中で自由に空気が行き来し、そして土中の様々な生き物や鉱物などによって吸収、分解、浄化され、そしてまた、心地よい土の香りと共に地上に湧きだしてくるというのが健全な空気の循環なのですが、呼吸できなくなって硬化した土は、もはや環境浄化という不可欠な役割を果たすことができなくなっていきます。
今、都会を中心に勢力を急速に拡大している致死性の人食いバクテリアも、大地の生き物環境の劣化が招いた結果であって、人間の生存をも脅かすこうした環境変化は、土壌環境の急速な劣化を想う限り、残念ながら今後も急速に進んでゆくことでしょう。
大地の呼吸環境の改善は可能で、それがいのち息づく環境の再生や人間にとって健康な環境つくりに繋がります。
わたしたちにできること、たとえわずかな点のような土地であっても、呼吸する大地を取り戻していきたい、そんな思いで改善工事に臨みます。
水と空気が浸みこみやすい緩やかな起伏の自然地形に戻しつつ、土中の空気を動かすために園庭全体に横溝、縦穴を穿っていきます。
このわずかな地形落差によって、周囲に停滞した土中の水と空気が動いて抜けていきます。
園庭に設けた約100カ所の縦穴通気孔に、コルゲート管を差し込んでいきます。
園内の要所に3か所ほど、深さ1mほどの大きな穴をあけてそこに剪定枝葉を詰め、その上に園児用の小さなベンチをかぶせます。
この下の穴は、土中の通気浸透を促すとともに、枝葉などの有機物分解がさまざまな生き物を呼び込み、ここは豊富な生き物活動が展開されます。
子供たちが下を覗き込んで生き物の気配を感じる光景を想像しながら作ります。
溝掘りによって土中の通気浸透改善の後、表層には木炭とウッドチップを敷き、その上に野生の芝の種を播種、目土をまぶします。
通気性の改善された環境で、グランドの植物は改善されてくることでしょう。
通気改善によるグランドカバー改善の効果は絶大なものがあります。以下に改善例を紹介します。
ここでは当社所有地の車道にウッドチップを敷いていたのですが、数か月前にそのわきに溝を掘って有機物を漉き込み、土中の通気性改善作業を行いました。
写真は5月の様子です。冬の改善作業後、野生の芝生がすぐに進入をはじめ、ウッドチップを覆い始めました。
そしてこれは今年7月の様子です。2か月ですっかりと、ウッドチップの車道は芝生で覆われ尽くしました。
実はここは、2年前からウッドチップを敷いていたのですが、今年の冬に溝を掘って通気改善するまではすぐに土が露出して、チップの補充を繰り返していたのでした。
土中の空気と水が動いてくれば、こうしてすぐに植物が力強い活動を始め、大地がみるみる息づいてくるのです。
大切なのは、大地の呼吸環境への配慮なのです。
改善後のなおび幼稚園、10日程度の間に、木々の表情も穏やかに変化してきたことを感じます。また、足元のウッドチップも、来春にはきっとうっすらとした緑に覆われることでしょう。
木の根元は土になりかけた枝葉の腐植をまぶして、森の林床の再生の引き金とします。
この腐植には炭化した枝葉、様々な生き物が住み付き、そこで子供は五感を研ぎ澄ませて見入ります。
なんでも、危ない、汚いと、子供たちから排除していては、子供の五感も健全には育っていかないことでしょう。
ここの園児は裸足で園庭を駆け回ります。素足で大地のぬくもりを感じるのですから、その大地は健康なものでなければなりません。
この幼稚園の子供たちと触れ合う中で、人間によってよい環境とは何か、根本的な部分から学ばせてもらえます。
それにしても元気な子供達。この幼稚園ではいつも、平日の就園時間に私たちは工事に入ります。
それは、子供達にも庭が変わってゆく様子や、自然や子供たちのために大人が一生懸命働いている姿を見せたいとの、園長先生の想いから、いつも子供たちの見守る中で、楽しく作業させていただいております。
この子供たちが大人になる頃までに、悪化した環境をどれだけ再生していけるか分かりませんが、彼らのために頑張ろうと思います。
最近、子供たちと一緒に作業することが多くなりました。それは本当に幸せで楽しい、かけがえのない時間になります。
これは毎月行っている、千の葉学園(旧 あしたの国シュタイナー学園)の環境改善作業です。
子供たちは素直に作業の意味を理解し、純粋な愛情を持って、いのちの環境に接します。こんな美しさを持ち合わせている大人は一体どれほどいることかと思うと、彼らの美しさを守りたい、そんな想いが熱くこみ上げます。
土に触れ、そこに形ができてくる、子供たちは一心不乱に土壁塗りに熱中します。
大人でも大変な土の家つくり、子供たちはわずかな時間で集中して難なく作り上げていきます。こんな素晴らしい子供たちのために私たちができること、それは、環境をこれ以上壊さないこと、大人の都合やこじつけの理論ではなく、いのち輝く優しい世界を取り戻すことではないでしょうか。
素晴らしい子供とのかかわりの中で、心の中の余計な部分が次々とそぎ落とされてゆくことを感じます。
夏休み、田んぼの畔に暮らすわが子たちは、近くの川に泳ぎに行きます。
ザリガニ釣りに熱中する我が息子の夏。こんな時間を、たくさんの子供たちが普通に得られる日本に戻したい、そんな想いを強くします。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
小屋つくりワークショップinちば お知らせ 平成27年9月5日
こんにちは。9月に当社の杜にて行われる、小屋作りワークショップのご案内です。
地元の山を育てながら、地元の木を用いた家つくりに取り組んできた「NPOちば山」主催のもと、木と土をベースに地元で手に入る材料で3坪の小さな小屋を作る、そんな体験ワークショップです。
豊富な森の恵みを活かした日本古来からの「板倉造り」という工法で、地元の木材と土による小屋を、大人も子供も参加して、みんなで楽しく作っていきたいと思います。
ワークショップの詳細は以下のとおりです。
日時; 9月13日(日曜日)、9月22日(祭日)
それぞれ9時から夕方までやっておりますので、ご都合の時間に自由に来訪、参加してくださって構いません。
場所; 土気山 体験ダーチャフィールド(千葉市緑区高津戸町)
外房線土気駅より徒歩15分 東金有料道路中野インターより車で5分
駐車スペースあり。
*参加希望者には後ほど案内図をお送りいたします。
持ち物;作業に参加される方は軍手、作業できる服装にでお願いいたします。
昼食は各自、ご用意ください。
*休憩や着替えができる小屋や、五右衛門風呂もございます。(当日入浴可)
作業内容;
9月13日;木組み 建前まで
9月22日;土壁塗り
参加費;無料ですが、作業中のけが等につきましては各自の責任にてお願いいたします。
申し込み;高田造園設計事務所まで、電話またはメールにてご連絡ください。
大人も子供も楽しめます。家族一緒にお気軽にご参加くださいませ。
小さな小屋ですが、2日間のワークショップで、家つくり過程のほとんどが体験できます。心地よい森の中で、小さな家が建ちあがってゆく様子をどうぞ親子で体験していただければ嬉しいです。
様々な方のお申し込みをお待ちしております。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
千葉 体験ダーチャフィールドのご紹介 平成27年8月26日
ここは千葉県千葉市、当社の里山実験研修施設、通称「土気山ダーチャ」です。
3年ほど前、千葉市内の荒れ果てた山林を取得し、少しずつ整備を進めておりました。山の中腹に山小屋が建ったのは約3か月前のこと、それ以降、ここは様々な学びや出会いの場としての活動を始めております。
今後、この山の自然環境を育みつつ、そして体験フィールドとして多くの人に、街のすぐそばでありながら、この心地よい里山の風や小鳥のさえずり、虫の音に浸っていただき、そしてここでの暮らしの体験から何かを感じていただたいと思います。
今回、土気山ダーチャの様子を少し紹介させていただきます。
建ったばかりの山小屋のデッキ。山の斜面を造成することなく、傾斜地に佇むデッキは、地面から約3m程度の高低差があります。この位置から見る木々はまた、下から見上げるのとは違って、小鳥や虫たち、木々達と同じ目線にいるがごとく、包まれた一体感があります。
梁や柱、桁などの構造材には解体民家の古材を再利用しています。建具もすべて、古民家の古材です。
採暖、煮炊きはすべて薪、だるまストーブと3台のロケットストーブがここでの暮らしの中心となります。
小屋建築にあたり、この大地を極力傷めることなく、すぐにこの土地の自然環境に溶け込ませるためにできる限りの配慮をしました。
整地せずに傾斜地をその傾斜のままで建てるため、「石場建て」という、伝統的な工法で建てます。傾斜のままに石を据えて、そしてその上に柱を建てていきます。
こうした配慮で建築工事に伴う自然環境へのインパクトを最小限にとどめ、息づく自然環境の命の源である大地の通気水脈を極力乱さないようにしております。
また、この工法のメリットは自然環境に対する優しさばかりでなく、床下土壌通気性と風通しの良さが木部の耐久性、乾湿調整の面など、人の生活環境としても、今のコンクリート基礎では決して得られない優れた機能があります。
この山小屋の材料は、木と石と土、自然界の三元素でつくられる本来の家は、全てを大地の循環の中に還してゆくことができるのです。
山小屋の脇には、大地分解還元式のバイオトイレがあります。
そしてこちらが昨年作ったバイオトイレ第一号です。
バイオトイレといっても、見た目は単に素掘りの穴があるばかりなのですが、穴底の土の通気浸透性と、地際の風通しに一工夫しております。
使い方は簡単で、使用後は左右のバケツから木炭ともみ殻をぱらぱらとまぶします。ペーパーは左わきのボックスに入れて、溜まったらこれは燃やします。
悪臭はまったくなく、イベントでの大勢での使用にも十分に対応できます。その上、糞尿は通気性のよい地面ですぐに分解されるため、くみ出す必要もほとんどありません。そして土壌通気性に配慮した環境の下で微生物はじめ土壌生物の餌となって、この山の生物環境を豊かにするための一助となるのです。
ここでの暮らしでは、有機物はすべて大地の循環の中に還してゆくことで、この土地をより豊かな環境へと育むのです。
大事なことは土壌の通気浸透性であって、これが呼吸しない土壌であれば糞尿は腐敗して悪臭を発してしまいます。
呼吸する健康な大地を育てることこそが、健全で究極のバイオトイレの浄化能力に繋がるのです。
そしてこれは、先週完成したばかりの五右衛門風呂です。
ドラム缶にお湯を沸かす、簡単なお風呂です。
五右衛門風呂の焚口も、ドラム缶で作ります。薪で炊くお湯は柔らかく、まるで温泉に浸かるような心地よさがあります。
風呂の水はすべてこの土地の土中に還すため、石鹸やシャンプーは基本的に使えませんが、薪で炊いた柔らかなお湯は、それだけで十分にすっきりと洗い落とせるように実感できます。
土壌の通気浸透性と生き物環境としての豊かさに配慮した自然栽培畑。
この山の環境改善が進むにつれて、生き物の気配がずいぶんと増してきたことを実感します。
わずかなスペースですが、このサンクチュアリに生きる生き物たちがいつの日か、周辺へと広がって地域の生き物環境の再生へと繋がってゆくことを願いつつ、いのちの営みを増やすべく、土地を育てようとしています。
知人の依頼を受けてこの週末に開催した、自然環境講座&環境改善ワークショップ。
山小屋での座学の後、山を歩きながら環境改善のための大切な視点を説明し、
そしてみんなで改善作業を体験してもらいます。
自然環境のことは、実際に触れて体感し、そしてその後の経過を観察し、発見と感動を味わうことで真の理解が深まるものだと感じています。
この日もみんな、日が暮れるのも忘れて作業をやめようとしません。そしてその表情から真剣さと充実感を感じ、ますます力がみなぎります。
自然環境の再生は、それを体感する人に大きな力と喜びを与えてもらえる営みなのだと、改めて確信します。
こうしたことを、大人にも子供にも体感してもらいたい、そうでなければ、人間も自然もますます壊れてしまうことでしょう。
毎日のように繰り返される最近のおぞましい事件や、争いごと、なりふり構わぬ競争の他に、別の生き方を想像することすらできない今の政治経済社会を目の当たりにするにつけて、生の自然、生の命というものを実感してもらいたい、そんな想いがますます強まります。
そして翌朝は、朝食前から自然栽培講座です。
自然栽培畑は昨年の畝立て以降、約1年経過してようやく、よい感じで雑草に覆われた菜園となりました。
この雑草と共に、この畑の生態系と地力を守り育ててゆくのです。
講師は自然栽培指導者の熊田浩生さん。その土地の多種の雑草や多様な土壌生物の楽園として畑の環境を育てつつ、その地力に見合った分け前を収穫する、土気山ダーチャの菜園の健康状態や改善方法など、熊田さんから丁寧かつ的確なアドバイスをいただきます。
お盆休みのお客さんたちと。スライドを用いた勉強会には子供たちもその場に参加しています。
この小屋ができてから、様々な方がここを訪れ、そしてそのつながりから様々なことが始まってきました。
ここでの出会いにいつも感謝しつつ、「場」というものの不思議な力を感じ、そして今後もいろいろとこの地を活用して、訪れる人の心の中に大切な何かを感じていただくことができればと思います。
昨年開催した、第一回土気山環境再生講座の様子。
その後、講座やワークショップを重ねるにつれて、この山はますますにぎやかに可能性を感じる場として育ってきていることを実感しております。
不特定の一般の来訪を受け入れられる公開施設ではございませんが、今後様々なイベント、体験学習、ワークショップ、研修施設として、様々活用していきたいと思います。
興味のある方、何かの機会にこの場を活用したいと思われる方はどうぞお問い合わせください。
また、団体等による、自然環境再生講座やワークショップ合宿等のご要望やご依頼も、相談受付しております。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
黒部川源流紀行 完結編 平成27年8月13日
入山して2日目、澄んだ青空のもと、黒部川源頭部の名峰、黒部五郎岳に登頂します。
遠くに見えるのは槍・穂高連峰です。
北アルプス連峰主脈の中心に位置するこの山頂からは、360度の大パノラマが広がります。
南方に、噴煙を上げる御嶽山が望めます。火山爆発は終息しても、こうしていまもなお、数百メートルに及ぶ噴煙が立ち上っている姿を遠望します。
黒部五郎岳の北側斜面には、夏でも溶け尽くすことない広大な雪渓が点在します。これこそが、富山平野の豊かな生産力と土地再生力を数千年の時を超えて支え続けてきた、黒部川を中心とする水脈の源です。
黒部五郎岳に限らず、黒部源流となる稜線下では、広いU字型の谷地形が刻まれています。
ここは1万年くらい前までは分厚い氷河におおわれていて、その氷河の移動によって岩が削られ、こうした圏谷(またはカール地形)と呼ばれる、ヨーロッパアルプスを彷彿とさせる、高山特有の地形が生じます。
この上部に今も、万年雪となる雪渓が残り、その雪解け水がカール中心の谷筋を流れ落ちていきます。これが夏でも冷たく清らかな水脈の発端となるのです。
雪渓から浸みだす冷たく清らかな水は、多くは大地にしみ込み、地下の水脈を通りつつ、そして一部は地表を流れて谷筋の空気を冷やしていきます。
そして谷間の水が作る地表の温度差が空気の動きを作り、地形に応じて複雑に入り組む植生を育むのです。
白い雪は夏の強い日差しを吸収せずに反射して、いつまでも溶けずに地を覆います。、こうした白い雪渓の笠の下で、地温によって溶けた膨大な水が徐々に地にしみ込み、下へ下へと移動していきます。
雪解けの岩場に点在して覆うチングルマや、
ミヤマキンバイなどの高山植物のほとんどは氷河時代の生き残りで、当時陸続きだったロシア極東部や樺太、カムチャッカの野草に共通します。
小さな植物たちはこんな厳しい高山の岩山にも土壌を生成させていき、清らかな水を蓄えて、雪渓の水と共に絶えずその水を、人の暮らす平野部にまで送り続けているのです。
そしてその清冽な水のとめどない動きが、流域の水と空気を引き込みつつ、土中に空気を送り込み、それぞれの環境に適応したにぎやかで変化溢れる健全ないのちの営みを育み続けてゆくのでしょう。
雪に閉ざされる期間が長い、こうしたカールの底面には、高山性の草本群落が広がります。冷涼な気候の高山の草原はところどころ湿原の性質を帯びて、その表層土層に膨大な水を貯えます。
中部山岳の稜線付近では、周囲からの流入水の得にくい高い位置にも、こうして池塘が点在します。
雨が降らずともなかなか枯れることのない池塘の水は、高層湿原の特徴です。
夏でも冷涼な気候に支配される高地では、低温のために植物の遺体は十分に分解されずに半分解の状態のまま、泥炭と呼ばれる黒いスポンジ状の土層が堆積していきます。
泥炭層が厚くなれば水を蓄えてその株に不透水層を形成し、こんな高地の草原にあって枯れることのない自然の調整池となるのです。
高山の地表断面は、こうした泥炭層と風化土壌とが層状に堆積している箇所が多く、このことが、高山の厳しい環境で繰り広げられる、風と水と雪とが作るダイナミックな変化を感じさせます。
高山草原と高層湿原を繰り返しながら、大地に土層を刻んで、その性質の違いから複雑な水の動きを生み出して、そしてこの地で様々ないのちの営みを許容する可能性を育んでゆくのでしょう。
そして、ちょっとした地形の変化によって水の動きは大きく変化し、それによって植生も大きく変わります。
そのわずかな地形変換線となる境界部分は、高山の厳しい環境で深くえぐられて縁が切られ、そこに水と空気の通り道が作られて、それがお互いの領域へのインパクトを緩和して、それぞれの領域における環境を区切り、植生を見事なまでに分かつのです。
そして、若干の傾斜を持って高位を得た面は、ここではチシマザサを中心とした群落が広がります。
そのチシマザサを含め、草原はまるで刈り払われたように整然と、低い均等な高さで密生し、まるで動物の毛皮のように土壌を覆って地表を露出から守っています。
このきれいな刈り払いこそが、高山を抜ける風の仕事なのです。
競争して上へと伸びようとする植物たちも、その土地の土壌の質や量によって、上部へとあげられる養分も水も制約されます。こうした栄養の乏しく有機物土壌層の薄い高山では特に、ある一定の高さよりも上には、勢いの弱く細い新芽しか立ち上げることができなくなります。
これを、高山の強風が撫でるように刈り取っていくことで、こうした刈り込みのような整然とした地表のマントが形成されるのです。
そして、風が上部を刈り取るという作用が恒常的に行われることで、植物はその環境を把握し、受け入れて、その環境条件の下で生きようとすべく、根の徒長成長を諦め、地上部の高さに応じた根の位置で細根を盛んに出していきます。
そして地表に密生した細根は土壌を浸食から守るだけでなく、しっとりした細かな隙間から水を浸透させて土中に蓄えられやすい状態を作ってゆくのです。
風が行う植生の制御、水や土の管理、そしてそれが土壌生成に大きく寄与して、この土地の恒常的な生態系を作り上げてゆく、そんな自然の摂理に改めて驚嘆します。
こうした自然の摂理を人間社会に応用し、本当の意味で人と植物との共存関係をつくってゆくことで、どれほど人の環境は豊かで快適なものになってゆくことでしょう。
今後は再び自然に学び、人の都合で自然を強引に制御しようとするのではなく、人も木々も草葉も生き物たちも健康に共存していける、そんな地球を目指すべく、生き続けたいと誓います。
大地の水が植物の作る細胞のような土壌の中をゆっくりと移動して凹地に集まり、そして沢筋が生まれます。ここでは風と水の微妙な動きの違いによって、沢筋にダケカンバ林を形成しています。
植物たちが必死に生きる森林限界付近では、ちょっとした環境の違いで地表の様相が大きく変わる、そんなダイナミックないのちの営みを肌身で実感します。
そして入山3日目、高山に囲まれた天上の楽園、日本最後の秘境とも言われる雲ノ平を望みます。
雲ノ平は黒部源流の高山の山稜に囲まれて、池塘と岩と高山植物であふれる、北アルプス核心部の山上の草原です。
そしてこの山域こそが黒部川源頭部となります。黒部川は広大で肥沃な扇状地を潤して息づかせて、そこに豊かな土地を作り、大地を浄化しながら富山湾へと注ぎます。
11年ぶりに、水の楽園 雲ノ平を訪ねます。
懐かしの地、雲ノ平を歩くにつれて、11年前とは確かに違う異変に気づきます。
大地が乾いているのです。
雲ノ平の木道沿いのかつての池塘はほとんどが枯れ果てて、そしてその底は乾燥してひび割れまで起こしているのでした。
清らかな水をたたえて輝いていたかつての雲ノ平の記憶をたどるものにとって、この光景はすぐには理解できないほどの衝撃を与えます。
山小屋の若い従業員に、「いつから水が消えたのか」と尋ねると、「しばらく雨が降らないから。雨が降ればまた水が溜まる」との答えでした。
それは違います。高山や高緯度地域などの冷涼な湿地の池塘は、単なる水たまりでは決してありません。
水を通しにくい厚い泥炭層に守られて周囲の草原のわずかな絞り水を集めてめったに枯れることのない、それが高層湿地の池塘です。
そして呼吸する大地の高山では、晴天が続くと言えども、夜の間に雲が再び地表に降りて大地に吸い込まれ、あるいは草葉に付着して水滴となり、それがまたゆっくりと地上と地中を動きながら池塘に水分を供給するため、清浄な水がなかなか枯れずに存在するものなのです。
そしてこの高層湿原の池塘こそがその地の水分バランスをコントロールして高山の命の絆を豊かにしてきたのです。
それが実際に、この10年の間に池塘の水が簡単に枯れてしまう環境へと変わってしまったのです。
おそらく、温暖化に起因する生物環境の変化の結果なのでしょう。
乾燥してひび割れた池塘の底を見ると、すでに泥炭は分解されて通常の細粒土壌と成り果てていたのでした。
氷河期以降の数千年のこの地のバランスまで、わずか10年の間に急速に壊れた様子を目の当たりにし、愕然と力は萎えて言葉を失います。
山に力をもらいに来たのに。
気を取り直して歩き出すと、水を蓄えた池塘に出会います。しかしそれはもはや、かつての清冽ないのちの水ではなく、淀んで腐った停滞水となっていました。
この池塘脇のハイマツ(写真左側)は、滞水によるヘドロ化と有機ガスの影響で枯れ始め、周囲には滞水の地に優先するイワイチョウが覆い尽くしていました。
まぶたに残るかつての楽園、日本最後の秘境と呼ばれたこの地も今や、あっという間に壊れてしまったことを知りました。
もちろん、新たな気候環境が継続すれば、自然界はそれに見合った生態系を再構築してゆくことでしょう。
しかし、今後もさらに、急激な気候変動は加速度を増してゆくことを想えば、その急激な変化に対して、どれだけ自然は対応してゆけるものなのでしょうか。
人間の想定域を超える、そんな生き物の存立危機事態がすぐ目の前に来ていることを、雲ノ平の環境激変が教えてくれます。
そして吉良アルプス核心域の雲ノ平を後にしてひたすら谷間へと下ること3時間、断層の合間を抜けるような黒部川本流に抜けます。
山中に会って圧倒的な水量を誇る黒部源流は今もなお、力強く命を育むその役割を果たしているようにも感じます。
下山後の帰路、安曇野の大王わさび農場に寄ります。安曇野の原風景のような風景が残されるこの地は北アルプスからの膨大な湧き水を導いて戦前に作られた日本最大規模のわさび田が広がります。
ここはまた、黒沢明監督の映画「夢」の第8話、「水車のある村」の撮影がこの地で行われたことでも知られます。ここには今、年間120万人もの観光客が訪れる、安曇野随一の観光地となりました。
一日に12万トンと言う膨大な湧水は年間を通して水温摂氏12度程度と一定で、ワサビの生育に非常に適した環境を作っています。
今から100年近く前の機械のない時代、この広大なわさび農場開拓と共に地形造作による治水工事が人の手によって行われ、その結果、100年近くたった今に続く、美しい安曇野の原風景が作られたのです。
美しい地域独自の原風景はこうして作られてきたのです。
まだまだ書き足りない、感動多い実りある旅となりました。旅先で、頭の中はフル回転し、そして自分の生き方、仕事に対する熱い情熱が再び沸き起こります。
あと数日で今年の後半戦が始まりますが、またいろいろあることでしょう。出会い、学び、そして良き社会を再構築するため、力と智慧を尽くしていきたいと願います。
最後に、この大王わさび農場百年記念館で見かけた言葉をここに記して、旅報告を締めくくりたいと思います。
「自然の力こそ
誰もが、ひそかに流れる地下水が、いったいどこから来て、どこへ去るのかを知らない。
とにかく誰も、地下水のルーツをつまびらかには知らない。
人は自然の恵みをあまりに当然のこととして享受してきたようです。
ところが最近になって、産業間や自治体間に水利用の競合が激しくなり、その結果、ようやく地下水のルーツに関心が高まってきて科学のメスが入れられるようになりました。
しかし、十分な科学的調査、研究が行われる前に、安曇野は激変の時を迎えることになります。
今やだれもが地下水や河川の汚濁、枯渇に気付くようになったのです。
これは終わりではなく、むしろ大変革の始まりでさえあります。(このことは20数年も前から同じように言われ続けてきました。)
ともすれば歴史的所在である風土が、つかの間のうちに滅んでしまう可能性さえもっているのです。
つまり、人知の結集であるはずの近代化は、時として、優れた風土を踏み台にして、のし上がることがあります。
自然と、先人たちの合作である秩序を簡単に破壊してはならない。
安曇野の大きな包容力や優れた風土は人知によって、さらに育成、強化されねばなりません。
そんな願いを込めて、ささやかながら、「大王わさび農場百年記念館」からのメッセージとして、ここに結びたいと思います。」
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
水と風のふるさと紀行 黒部源流の旅(その2) 平成27年8月12日
満天の星が降り注ぐ夜明け前に太郎平の山小屋を出立し、稜線上を歩きながら、おごそかな夜明けを迎えます。
日々平等に繰り返される新しい一日の始まりというものが、これほどまでに静かで荘厳なものだということも、忙しない日常の暮らしの中ではついぞ忘れてしまっているということに気づきます。
真夏といえども3000m近い稜線上は肌寒く、静かで、雲も小鳥たちもそして風にわずかに揺れてざわめく草も木も、世界の全てが夜明け前のこの、神秘的な時間をかたずをのんで見守っているようです。
夜の間に谷間に帰って静かな雲海の眠りについていた雲たちも、夜明けの足音を敏感にかぎつけて、ざわざわと動き始めるのです。
遠くの空では、日の出の瞬間を今か今かと待ちきれないかのように背を伸ばした雲の先端が、生まれたばかりの今日の朝日をいち早く浴びて、ピンク色に染まります。
そして太陽が奏でるリズムのもと、それまで眠っていたように静かだった雲はむくむくと起き上って、人間や多くの生き物たちと同じように、一日の活動を始めるのです。
これが3000mの高山、天上の世界の日常です。
地球上のいのちをつかさどって指揮するのは太陽の仕事、その熱が空気を引き揚げて動かし、そしてすべてを流れるが如く調和のリズムで回転させていき、まるでオーケストラのようにいのちの謳歌を奏でるのです。
稜線の向こうから今日の太陽が顔を出しました。日に向けて、合掌します。
ありがとう、これからも、、ずっと。
山上の夜明けを目の当たりにする人たちはここで、一人の人間という、この地に生かされる存在に戻るのです。
今日の朝日に手を合わせて向かい合う中、7年くらい前に通っていた吉野山金峯山寺の山岳修行を思い起こします。
朝3時に麓のお寺を出立して山岳を回峰し、そして日の出を迎えて手を合わせ、お経を行じ、今日の恵みに感謝し、力を頂く。人はその心持ちを忘れてはならない、人が人であるために。
そんなことに改めて気づかされます。
朝の光が草原を静かにきらめかせて、限りないいのちの美しさに見とれます。夜露に濡れた草花たちの輝き。なんという美しさ。
夜の間、冷えた上空の空気の重さに押されるように、空気中の水たちは、その多くは大地に帰っていき、空気と共に土のしとねに潜り込んで眠りにつきます。
そしてその一部は大地に潜り込むことなく、昼夜の温度変化の少ない草や枝、谷間に潜んでそこで気体が液体となり、そして眠りにつくのです。
山上の雲は夜の間谷間で眠り、そして草葉の上で水滴となってまた一夜、安らかな夜の眠りにつくのでしょう。
朝の日差しが地表を温めはじめると、谷間で眠っていたような雲たちも、にわかに一日の活動を始めるかのように動き始めます。
それと同時に、地中に潜って眠りについていた空気もまた、地上に湧き出して、しっとりした心地よい土の香り漂うそよ風となって移動していきます。
地中と地上の空気と水は、こうして行き来しつつ、いのちの世界の営みを育み続けてきたのでしょう。
そして、夜の間静かに眠っていた谷間の雲は、日差しを浴びてまるで渡り鳥のように足早に移動を始めるのです。
これが自然の姿です。
すべての生きとし生けるものたちを息づかせて動かす水と空気は、太陽の指揮の下で空と大地、地上と地中を日常的に行き来して浄化され、一日一日が新たな営みとして再生されてきたのです。それこそが、地球の営みであり、いのちの営みと言えるのでしょう。
こんな世界を久しぶりに目の当たりにすると、子供のころの夏の記憶が思い出されます。
もう、40年近く前のことですが、今もその頃の身近な自然の営みがありありと鮮やかに浮かびます。
キジバトの声の下、澄んだ朝日を浴びて動き出す爽快な空気、草場の夜露に濡れながら夜明け前から友達と待ち合わせて虫捕りに熱中した夏休みの日々、夕方の虫の音、そして静かで涼しい夜の褥に、昼間のにぎやかな虫たちも鳥たちも共に眠りにつく実感、そんなものが身体の記憶として自分の細胞に刻まれていることに気づきます。
コンクリートに覆われて、そしてエアコンの廃熱が地表を覆う人工環境の中、空気と水はどこで安らかな眠りにつけるのだろうか、そんなことを考えて重く沈みそうな心を、山の爽やかな空気がやさしく慰めてくれます。
固く傷んで命を失った大地はもはや、空気と水が日々帰るべき安らぎの家とはなりえないのです。
都会の夜の空気と水は、帰るべき家を失ってさまよう人のように地表に停滞し、そして疲れて淀んだ朝を迎えてなお動かぬ、湿度の高い不快なモヤがコンクリート世界を漂います。
大人が作ってしまったそんな環境の中に生きることを強いられる多くの子供たちを救いたい、そんな想いに体が熱くみなぎります。
都会の空気と水が人の心の原風景の中で当たり前になってしまえば、何を基準に正しい判断がなせるというのでしょう。
山で迎える夜明けは今も新鮮で美しく、人として、自然として、あるべき摂理を語りかけてくれます。そしてそれは、自分が人間である以前の記憶をも思い起こさせてくれるように感じます。
人間である以前の記憶が活きている限り、こんな時代でも人は道を修正できる、いのちが共に輝く世界を再生できる、そんなことをこの日、山が教えてくれたのです。
さて、爽やかな山の空気を感じながら、黒部川のふるさとを目指して歩き続けます。
今日はここまでにして、そしてまた、旅紀行その3に続きますので、次回も是非、根気よくお読みいただければうれしいです。
日々の忙しさを離れて束の間の長期休暇です。こんな時間が誰にでも必要なのでしょう。心と体を解放させてあげて欲しいと願います。そしてそこから聞こえてくる、自分の真実の声に耳を傾けること、それが人が良く生きるための大切なことだと感じます。
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink