雑木の庭,造園のことなら高田造園設計事務所へ
HOME>雑木の庭つくり日記

雑木の庭つくり日記

庭の病虫害対策について その1   平成23年7月8日
 梅雨から夏にかけて、庭においても様々な虫たちや微生物、それに様々な菌類が活発に活動する時期になります。
 庭の虫たちの中には、樹木を食害する虫もあれば、人に対して危害を加える虫もいます。また、こうした害虫を食べてくれる虫や鳥、カエルなどの爬虫類もいます。スス病やうどんこ病などの菌類をきれいに舐めて掃除してくれる虫や微生物もいます。

 生態系豊かな森林が成立する気候帯に位置する日本の自然環境においては、特定の生物が増えれば、それを餌とする生物が増えて、自然界の連鎖による拮抗作用が働きます。
 こうした生態系の、いわゆる「恒常性維持機能」によって、特定病害虫の過度な大量発生が概ね抑制されてきたと言えるでしょう。

 こうした自然界のバランスを簡単に壊してしまうのが、消毒という名の農薬散布です。
農薬散布の影響で耐性を獲得し、大量発生につながってしまった害虫には主なものとして、以下のものがあります。



アブラムシ。天敵となるテントウムシは農薬に弱い半面、繁殖サイクルの短いアブラムシは農薬に対する耐性を獲得し、大発生していきます。



 カイガラムシ。これも農薬散布によって薬剤耐性を獲得し、大発生中の厄介な害虫です。ウメやアンズ、カシなど、様々な樹木の吸汁し、樹木を弱らせていきます。



 ハダニ。葉を吸汁します。様々な農薬に対して耐性を獲得しています。ラン農家など、生花生産農家にとっては厄介な害虫のようで、花屋に並ぶまでの間には、大変な量の農薬漬けにされているのが実際です。

 地元のラン農家が言いました。
「今はダニが農薬の耐性がついちゃって困っている。ダニに吸われると花が溶けて萎れてしまう。胡蝶蘭のたった一つの花が欠けただけでも値段は半分以下になってしまう。それを考えると、どれだけ農薬の費用がかさんでも、いろいろな種類の農薬を高濃度で撒きつづけるしかないよ。」

 庭の木々の場合、本当は定期的に葉水をかけてやることで簡単にハダニの被害を防げるのですが・・・。

 また、スス病や縮葉病、根こぶ病なども、実際には農薬散布によって、拮抗する有用な生物が死滅することによって、より蔓延します。それを退治するために、毎年農薬を散布し続けるというのが、いまだ多くの造園業者がやり続けている管理のようです。

 住宅地における農薬散布は生態系を破壊するばかりでなく、人、特に被害を受けやすい子供や胎児に対する健康被害が指摘されてきました。
 そうした中、平成19年1月に、住宅地における農薬使用について、下記の通達が政府よりなされました。

「住宅地等における農薬使用について」 平成19年1月31日通達

都道府県知事・政令市長あて
農林水産省 消費・安全局長 環境省 水・大気環境局長

PDFファイル;http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=9076&hou_id=7969

 端的な内容は下記の通り集約できます。

・定期的な農薬散布を控え、病虫害の早期発見に努めること。

・病虫害被害に対し、できるだけ害虫の補殺や被害箇所の切除等、物理的な対処方法を優先すること。

・こうした物理的方法での対処が困難な場合、農薬の部分的塗布や樹幹注入など、散布以外の方法で対処すること

・やむを得ず、農薬散布する場合、被害箇所の最小限度の部分的散布に留めること。また、風向きやノズルの向きに最大限配慮し、農薬の飛散防止に努めること。

 つまり、住宅地内において、農薬の一斉散布はしないように通達されているのです。
 にもかかわらず、多くの造園業者はいまだ、住む人の健康や生態系に悪影響を及ぼす農薬散布を続けているのが現状のようです。
 そんな中、私の地元、ある自治会では、庭における農薬散布をやめて、より安全な方法で病虫害に対処するような働きかけが始まりました。
 

この自治会で廻された、庭における農薬散布についての重要回覧がこれです。
監査のIさんは、4年前に庭を造らせていただいた顧客です。

 住民によって、人や自然環境の健康を害する恐れのある農薬に頼らない庭の管理を模索する動きが広がりつつあります。
 庭を提供する我々造園業者は、こうした住民方々の声にもっと耳を傾け、きちんと勉強しなければなりません。
 原発然り、国政然り、専門家を自負する当事者ほど、時代の当たり前な要請に適応できないのは、造園界も同じなようです。
 (かなり厳しいことを言いますが、そういう私も3年前まで農薬に頼った庭の管理を続けておりました。自戒の意味を込めて、あえて申し上げます。)

 ちなみに、私は3年前から農薬散布をやめて、他の方法での病虫害対処をしてきました。
 農薬散布をし続けていた頃は、「農薬なしでの病虫害管理は不可能」と信じていたのですが、実際に農薬の使用をやめて初めて、農薬こそが病虫害の大量発生を引き起こしてきたということに気づきました。

 今、私は化学農薬を使用しようとは思いません。煙草を完全にやめた人が、「もう吸う気にならない」というのに似ているかもしれません。(これも私は経験済み・・・)

 病虫害対策について、そして農薬の危険性について、生態系について、このブログを通して庭の専門家の立場で、確かなことをお伝えしなければならないと思います。
 長くなりますので、連載とします。 今日はこの辺で。


 

 
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
被災地を訪ねて      平成23年5月20日
 震災被災地での災害復旧活動を昨日終えて、帰宅したのは本日の午前2時になりました。
 今回私たちは、激しい津波の被害を受けた宮城県石巻市で、継続的な復旧作業に当たっている団体「庭ジャパン」の被災地活動のお手伝いのため、高田造園設計事務所、松浦造園、文造園事務所の有志7人での参加となりました。

 

 現地到着した日の夕方、津波で壊滅した住宅地を訪れました。



 この一帯は地震による地盤沈下のため、満潮時には道路が冠水し、衝撃的な光景が、いまだ手つかずのままに広がっていました。
 津波の直前まで、ここは家々が立ち並ぶ海辺の住宅街だったのです。
大津波は一瞬にして、この街の暮らしの全てを破壊し尽くしていきました。



 壊滅した住宅地のそばの、廃墟となった小学校では、いまも自衛隊による捜索活動が続いていました。
 変わり果てた小学校の様子、子供たちの声が聞こえるようで、じっと見ていることすらできません。涙が溢れてきます。

 この学校のすぐ背面、丘の上の家屋は全くの無傷で、何事もない光景。まるで天国と地獄を隣り合わせに見ているようで、不思議な現実を実感します。
 これが津波の被害というものです。津波の恐るべき破壊力は、その爪の届く範囲を容赦なく破壊し、その反面、津波の及ばぬ場所は全く何事もなかったように静かな光景なのです。



 被災したアパートの室内。ここも今だ手つかずのままです。堆積したヘドロが悪臭を放ち、風が吹くと微細な粉じんが衣服を通して肌に突き刺さってくるようです。
 
 とにかく、この汚泥にまみれたがれきやヘドロを撤去しなければ、街の再生は始まりようがありません。



 壊滅的な被害を受けた街や地域が東日本沿岸の広範囲に点在する中、がれき片づけなどの復旧作業の主力となっているのが、全国から駆けつけた大勢のボランティアの方々です。
 ここは、石巻災害ボランティアセンター本部が置かれている石巻専修大学、ボランティアキャンプです。
 本部では、1日平均1000人程度のボランティア方々の作業を統括し、被災地活動を円滑にするための、様々な業務を統括しています。



 本部には、全国様々の地域、団体からの、被災者への応援メッセージ寄せ書きが所狭しと貼られていました。
 一つの日本、一つの世界を実感します。こうした応援が被災者方々を勇気づけることにつながります。それがこの街に住む方々の希望につながります。



 そして、私たちに与えられた作業は、海岸近くで激しい被害に見舞われた家屋敷地に散乱する、がれきやヘドロの撤去です。
 海岸沿いの製紙工場に近いこの敷地には、流されてきたパルプロールや原木丸太、そして車などが折り重ねり、まさに戦場跡の様相です。



 まずは折り重なるがれきを次々に積み込み、搬出します。



 ヘドロや細かながれきは1t袋に詰めてクレーンでコツコツと積みだします。



 倉庫の床にたまった真っ黒なヘドロは手作業で掻き出すしかありません。
 猛烈な悪臭を放つ黒い物体、これが黒い津波の正体です。
 様々な汚染物質を含んで海底に堆積したヘドロが、自然を汚しつ尽くす文明へのしっぺ返しのように、津波となって押し寄せたのかもしれません。



 町から搬出したがれきや土砂は、海岸沿いに集められました。集積地は粉塵が舞い、匂いが漂います。
  石巻市だけで100年分のごみが、今回の震災で発生すると言います。埋め立てるしかないのでしょう。この状況では分別収集どころではありません。 
 こうして、美しかった国土も汚れていきます。津波のせいではありません。自然は自然そのものであり、母なる自然であることに何の変わりもありません。
 やはりどこか、私たちの文明生活そのものを見直さねばならないのではないか、そんな気がします。

 

 がれきを片付けた後は、表土を覆うヘドロを重機で掻き出し、整地していきます。



 作業の末、こうして敷地の一角はがれきもヘドロも取り除かれて、更地の状態へとほぼ復旧されました。



 私たち庭師の仲間と、そして被災家族の皆さんとで、お別れの記念撮影です。皆とてもいい顔をしています。被災者家族の皆様も、いい笑顔を見せてくれました。
 嬉しい笑顔です。

被災者のご主人が言いました。

「津波の後は『もうどうにもならない。』と諦めかけてきたけど、皆ボランティアのおかげでここまで元通りにしていただきました。
 本当に何とお礼を言ったらいいのか分からないけど、あなた方ボランティアのみなさんのおかげで、『またこの土地でやっていけるかもしれない。』という希望を与えてもらいました。
 またいつでも来て下さい。今後は作業に来るのではなくて、お茶飲みにでもコーヒーを飲みにでも、ご飯食べにでもいいから、いつでも来てください。」

 そんなことを言ってもらえて本当に来てよかったです。被災者方々に、逆に私たちが元気をいただき、感謝の気持ちが湧きあがります。

 今は亡き私の父の言葉を思い出します。あれは、私の姉が学生時代、福祉ボランティアに参加することを父に話した時です。

「人を助けようなんて思いあがった気持でボランティアに行くのならやめたほうがいい。人が困っていたら手を貸すのは当たり前のこと、それも実際には、ほんのちょっとばかり力になれるくらいなものなんだ。」

 被災者方々と心と体を一つにして作業する。このことが私たち一人一人にとってのかけがえのない経験になり、大切な心の肥やしになります。それがこの活動に参加した各々にとっての、何よりの成果と言えるかもしれません。

 今回、人の力というもののすごさに、今更ながら驚嘆した思いです。破壊しつくされた街が、多くの人たちの無償の行為が結集し、それが大きな力となって、徐々に被災した街が片付いていくのです。
 そして、そのことがこの地に住む被災者方々の希望の光にもなるのです。

 「自分一人が行っても何にもならない。」と思って、被災地活動を躊躇されている方がいらっしゃいましたら、とにかく現地に行かれることをお勧めしたいと思います。
 行かねば分からないし、行けばやるべきことが必ず見つかります。
 確かに一人ひとりの力は微力でも、駆けつける多くの人の力が集めれば、それがとても大きな力になります。諦めることが最大の敵なのかもしれません。

 私たちを被災地に導き、とてもよい経験をさせていただきました関係者皆様に心より御礼申し上げます。
 庭ジャパンでの被災地活動は6月5日まで続きます。今後も多くの方々のご支援ご協力をお待ち申し上げます。

 
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
震災復興支援ボランティアのお知らせ    平成23年5月14日
 様々な形で、被災者支援の動きが広まる中、当社も5月16日月曜日から19日木曜日まで、宮城県石巻市にて、ヘドロに埋もれた街の片づけに会社総出でうかがいます。
 被災者の方々に対して、私たちがどれだけお役にたてるかどうか分かりませんが、今後も継続的に被災地に社員を派遣して、当社としても微力を投じていきたいと思います。

 お待たせしておりますお客様、工事や手入れの訪問が少々遅れますことを、どうかご理解くださいますようお願いしたいと思います。

 今こそ、私たち造園・土木関係者が動かねばならない時だと思います。
 多くの一般の方々が被災地へとボランティア作業のために駆けつける中、がれき片づけのノウハウも機械力も技術も持つ、造園や土木を専門とするプロ集団の私たちがじっとしているわけにはいきません。

 そうは思いつつ、「被災者方々のために何かしなければ・・」と思っても、いざとなると皆、それぞれの生活があり、仕事があり、実際に現地に足を運んで、被災した街や人たちのために継続的に活動することは、なかなか難しいことだと思います。実際に、私たちもそうでした。

 そんな中、愛知県の庭師、m28e代表のの古川乾提さんや、東京都の庭師、N-tree代表の長崎剛志さんたちが全国の庭師に声をかけつつ、自ら何度も被災地に足を運び、身を呈してヘドロまみれの街の片づけに励んでいることを知りました。
 彼らの献身的な活動に心打たれ、そして被災地の方々のためだけでなく、彼らの活動の一助にもなればという思いもあって、当社もこのプロジェクトにボランティア参加することを決めました。

 現状は、長期にわたる被災地への支援活動が必要な状況のようです。実際に自分たちの目で被災地を見て、その上で私たちに何ができるか、何をすべきか、考えていきたいと思います。

 今回は、一現場を除いて社員総出での被災地活動となりますので、20日までメールの返信ができなくなります。お急ぎの方は、電話にてご連絡いただければ幸いです。当社に電話いただければ、代表の高田の携帯電話に転送されます。
 ご不便おかけいたしますが、どうかご理解いただきますようお願い申し上げます。
 また、活動の趣旨に賛同し、協力いただける方のご連絡もお待ちしております。





 


 
投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
大発生中のアブラムシの対処について    平成23年5月2日

 昨年の暮れから、植えたばかりの雑木を中心に、黒く大型のアブラムシが大発生しています。



 これは、コナラやクリ、クヌギなどに発生しているクリオオアブラムシです。一見したところ、クロオオアリの集団のように見えます。
 昨年から目立ってこの大型アブラムシが集団で大発生するようになりました。

 昨年末と今年にかけて、この大型アブラムシの大発生に驚いたお客様方々からの問い合わせが相次ぎましたので、このブログでもアブラムシに対する正しい対処法などをお伝えしなければならないと感じました。

 アブラムシは樹肌などから木の汁を吸いますので、あまり大量に発生するとその木の衰弱に拍車をかけることになります。また、その死骸や糞や分泌液などにカビなどが寄生し、それがすす病の原因にもなるという、庭にとっては厄介な存在です。
 雑木の庭の中では、移植直後でまだ完全には根付いていない雑木や、何らかの理由で傷んだ雑木に集中して発生します。
 元気な雑木や、生態系的に安定した庭の中では、その発生はほとんど確認されません。



 よく観察すると、アブラムシが発生している樹木には、この写真のような、小さなイモムシみたいな生き物や、テントウムシが多数見られます。
 この写真は、右はクリオオアブラムシ、左のイモムシみたいな生き物はテントウムシの幼虫です。
 テントウムシはアブラムシが大好物で、その幼虫もアブラムシを好んで捕食します。



 テントウムシの幼虫がアブラムシを捕食しているところです。
 「がんばれテントウムシの幼虫」と、エールを送りたい気分です。

 テントウムシはアブラムシだけでなく、カイガラムシやうどんこ病など、庭における厄介な病害虫を掃除してくれるのです。
 農薬散布によってこの益虫を殺してしまうことにより、返ってアブラムシなどの害虫の大量発生を招いてしまうのです。
 テントウムシもその幼虫も農薬に非常に弱く、散布によって簡単に死んでしまいます。
 ところが、今のアブラムシは農薬に対する耐性を獲得してしまっていて、農薬散布による対処が困難というか、不可能になってきました。特に、クリオオアブラムシは普通の農薬でそのコロニーを絶滅させることはまず不可能と言ってよい程の耐性を獲得してしまいました。

 アブラムシは孵化後一週間程度で成虫となり、その後は毎日のように数匹の幼虫を生みます。それがまた1週間で成虫となるわけですから、その繁殖サイクルは驚くほど速いのです。
 そして、農薬散布によって天敵が絶滅した環境の下、生き残った大型アブラムシは大発生してしまうのです。
 最近のアブラムシの大発生は、農薬の乱用による生態系の破壊が招いた結果といえます。

 アブラムシの大発生を抑制するためにはまず、絶対に農薬を使用しない決意が大切です。どんなに強い農薬を散布しても、たった1匹でも生き残ってしまえば、その一匹が農薬耐性を獲得した子孫をあっという間に増やしてしまいます。
 生態系の調和が整っていれば、アブラムシが増えるとそれを捕食するテントウムシなども増えて、大量発生が自然と抑制させるのですが、農薬の使用によってテントウムシのほうが先に死に絶えてしまうのです。

 私は、アブラムシに対しては、まずは晴天の日の午前中に牛乳を散布して、アブラムシの気孔をふさいで窒息させるようにします。
 牛乳散布によってアブラムシが死に絶えたのを確認したら、葉や幹についた牛乳を洗い流すために灌水します。
 牛乳散布ができないときは、軍手をして、手で押しつぶします。
 アブラムシの集団を押しつぶす際、気をつけねばならないのは、一緒にテントウムシの幼虫まで潰してしまうことのないように配慮します。

 人にも土にも生態系にも有害な農薬に頼った管理からの脱却のためには、生態系の相互抑制作用を庭につくりあげてゆくことが大切です。




 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
ギャラリーうつわノート開設   平成23年4月23日

 歴史文化的に貴重な町並みや建築物が残る川越の街に、「ギャラリーうつわノート」が本日オープンいたしました。
 場所は喜多院のある小仙波町の一角、築80年の洋館 曙館がギャラリーに改装されました。
 曙館は平成22年に川越市の都市景観重要建築物に指定され、その造園改修工事は高田造園設計事務所にて承り、つい先月に完成しました。
 
 ギャラリーのオーナーは、ブログ うつわノートでおなじみの松本武明さんです。オープン企画展は5月10日まで、その間にはこれまでにブログうつわノートにて紹介されてきた数々の器が展示されます。

 昨年の秋、初めて曙館を訪れた時、並べられていた数々の器の中でも、黄瀬戸の片口に目がいきまして、それを手にしてみました。
 その片口はとても柔らかな表情で、長く使い込まれていて、いい具合に変化した貫入が素朴でなじみ深い味わいを見せていました。
 私がその器を手にして眺めていると、「器は好きですか。」と、松本さん。そして、その黄瀬戸の片口を私に下さったのです。
 後日、お礼のご連絡をいたした際、その返信のメールに下記の言葉が綴られていました。

「私の器を気に入ってくださりましたことも、とても嬉しく思いました。
 あの片口は、由緒ある骨董品という訳ではありませんが、昔の人が日常の生活で使ってきた古器です。私は、むしろそういう名もなきものや、生活に根差した器にこそ、美が宿ると思っております。」
 
 日常の器、それを大切に使い、味わう中で美しいものへと昇華してゆくもののようです。そして、何気ないものの中に美を見出す心こそが、日々の暮らしを心豊かにしていくように思います。
 
 うつわを愛する松本さんがこれまでに収集された器が、5月10日までの企画展の間、歴史あるこの洋館に展示されています。

うつわノートのサイトアドレスは下記の通りです。
http://utsuwanote.exblog.jp/


 
 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
                 
10