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雑木の庭つくり日記

連休の高尾山              平成25年5月6日


 今年の連休は、造園工事打ち合わせや山歩きに没頭しつつ、無事に過ぎ去り、そして明日からまた本格業務再開です。

 写真は一昨日の高尾山。まるで都内の繁華街のように、たくさんの人が涼しげな木々の下を歩きに来ています。



 高尾の森はなかなかの森です。コナラの大木など、なかなか見られるものではないのですが、ここには胸高直径1mにも届きそうなコナラの巨木が見られます。



 都内の貴重な森、高尾山の森。
 多摩に住んでいた学生時代に何度も訪ねた思い出の森です。
 
  

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
房総 大福山、梅ヶ瀬渓谷探訪     平成25年4月28日


 2月に退院後、初の山歩きです。
早朝、山歩きを思い立ち、房総のローカル線小湊鉄道 上総大久保駅を出立し、大福山に向かいます。



モミジ林の合間から、神々しい光が差し込んできて、何か明るい日差しに感じます。

 心身のリハビリのつもりで思い立った山行です。



 標高300mに満たない大福山の頂から、房総丘陵を見渡します。

たまには山に行って鋭気をいただかないといけません。

 8キロも体重を落とした体は予想外に軽やかで、ふと、これまでの間、知らず知らずのうちに自分の心身に余計な贅肉がつきすぎていたことに気づかされます。




緑鮮やかな梅ヶ瀬渓谷を下ります。



房総特有の砂岩を削って流れる渓流。



 何も考えずにひたすら山を歩く。
 忙しさの中、見失ったものをこれから取り戻していこうと思います。





投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | PermaLink
富山 植生調査と散居村見学の旅      平成24年9月25日



 ここは、富山県、庄川上流の集落。清浄な山並に包まれた美しい山村は昔も今も変わることがなく、人が健康で心豊かに生きてゆくための、あるべき姿を感じさせられます。
 立山連峰の豊かな自然と水の恵みを受けて、ここ富山には自然と人との素晴らしい共生の名残が今も見られます。

 先週、日本海側の植生踏査と屋敷林の見学のため、富山を訪ねました。



 ここは旧北陸道最大の難所、親不知の断崖絶壁付近の海岸です。海岸付近に岩壁が落ち込み、山から運ばれてきた岩が波に打たれて艶やかに丸みを帯び、波が引くたびに「カラカラカラ」と、石が転がる独特の音が響きます。

 フォッサマグナと呼ばれる世界最大級の地殻構造線がこの付近で始まり、それが日本列島を西日本と東日本とに分断しています。
 この海岸はヒスイ海岸と呼ばれ、縄文時代にはここで採取されたヒスイが日本海航路を流通し、北は青森南は九州まで、日本海側を中心に全国の縄文遺跡から発掘されています。

 約5億年前に地中深くで生まれたヒスイ、フォッサマグナの大規模な地殻変動によって押し上げられ、そして海岸に流れ着き、そしてこの地がはるか縄文時代の交易の拠点となったようです。



 海岸沿いには見事なクロマツの防潮林が延々と続きます。



 この見事な防潮林が風雪や潮風から海岸沿いの暮らしを守ってきたのです。江戸時代、加賀藩による防潮林の整備の名残の景色と言えるでしょう。
 数百年の時を見据えて健全に育ち、後世長きにわたってその土地の暮らしを守るべく、造営されたかつての防潮林、木々は時間をかけて育ち、何代にもわたって暮らしの環境を守ります。
 こうした先人の知恵と営みが、美しく住みよい日本を作ってきたのです。

 しかしそれはかつてのこと、目先のことしか考えずに造営される現在の浅はかな緑化の考え方とは、その思想の深さも尊さも、まったく正反対です。



 そしてここは 富山県朝日町、貴重な植生が今も残る樹叢を抱える、海岸に面した鹿島神社の森です。



 この森は、宮崎鹿島樹叢と呼ばれる、植生的に大変貴重な原生林です。今回の旅の目的の一つは、暖温帯気候域の北限植生とも言えるこの森を見ることにありました。
 スダジイ、アカガシ、ウラジロガシ、タブノキなど、暖温帯気候域の高木樹種が立派な森を構成していて、これより北にはこれほど立派な暖温帯林は見られません。



 高木層をスダジイが占有し、そしてその下には常緑落葉混交の、大変多様な植物が共存しています。
 スダジイの純林も、ここが北限の地となります。



 関東ではみられることの少ないアカガシの老木。幹が裂けて皮一枚となってもなお、大木の命を生き生きと繋いでいます。



 樹高20mにも達するカラズザンショウの大木。日向でしか生育できないこの樹種は、大木が朽ちてにわかに光が差し込むとき、いち早く成長して森を修復します。
 寿命の短く、森の成熟につれて次第に消えてゆく宿命の早生樹種と言われるこのような樹種も、森の健康を維持するために必要なのです。
 森が豊かであれば、たくさんの種類の小鳥や虫が訪れます。この森には200種類を超える小鳥が訪れると言います。こうした小鳥が運ぶ種子が、森の健全な生態系維持に欠かせないのでしょう。森が深く豊かであればこそ、こうした健全性が維持されます。



 冷温帯気候域で生育するコハウチワカエデも、この樹叢の中で元気に生育しています。
 シイノキ林の下にコハウチワカエデとは、この森ならではの光景です。



チドリノキに・・



クマノミズキ。樹種を挙げれば数知れず、



 成熟した常緑樹の森の林床も非常に豊かで、多様で貴重な植物に富んでいます。
やはり、フモトシダやトウゴクシダマメシダ、ツルシキミなど、暖温帯性の林床植物が多く、シロヤマシダなどはこの辺りが北限となっているようです。
 それにしても、豊かな森です。



 そして、樹叢に隣接する杉林も、多様で豊かな森となっています。人工林の杉林も、健全に育って大木になれば、多様な生き物の生育するとても豊かな森となるのです。

 私の師匠の一人、奥多摩在住の尊敬すべき林業家、田中惣次氏が、若き日の私に語ってくれた言葉を今、思い出します。あれは20年以上も前のこと。

「俺の理想の森は、巨木となった杉の森なんだ。太くなってまばらになった杉林の中は明るくて、いろんな生き物がいて、それこそ林床にはいろいろな植物が共存している。環境と生産の両立、そんな森つくりが俺の理想なんだ。」

この森にたたずみ、かつての師匠の心を身近に感じます。



 小高い丘に登り、砺波平野を見下ろします。田んぼの中に樹木の緑が点在して、独特の風景が見られます。
 点在する緑は、屋敷林です。庄川の扇状地 ここ砺波平野ではこうした屋敷林のことをカイニョと呼んでいます。



 カイニョに囲まれた田んぼの中の家屋の様子。こうして点在する村落の形態を、家屋が集まって佇む「集落」に対して、「散居村」と言います。
 砺波平野の散居村は、見事な屋敷林と一体になって佇む姿でとても有名です。

 庄川の氾濫原だったこの地が豊かな水田として開拓されたのは江戸時代、加賀藩制の下で進められました。
 雄大な飛騨山脈に端を発する豊かな水に恵まれ、水田の管理の都合がよいように、各農家は自前の田んぼのそばに家を建て、そして周囲に屋敷林をめぐらせたのです。



 この地に特徴的なアズマダテと呼ばれる民家。加賀の武家屋敷に端を発する家屋の作りで、この地の多くの民家は東の切妻側に玄関を設けています。
 そして、南側と西側に、杉を中心にカシ、ケヤキなどの高木が配されます。
 地下水位の高い扇状地の田んぼに囲まれた屋敷林の樹種として、水を好む杉の木はとても適していたのでしょう。

 この屋敷林が、風雪や夏の暑さから住まいの環境を守ってきたのです。
 この地域では常に西風が卓越し、また春には井波風と呼ばれる南からの強風が吹き荒れます。西と南に集中的に配した高木林が、こうした風から住まいを守るのです。



 この屋敷森を南西側から見ると、こんもりとした森の塊に見えます。樹木の防風効果は、風上側で樹高の5倍、風下側では樹高の20倍にも及ぶと言います。
 100m程度の間隔で点在する屋敷林の存在は、単にその家を風から守るだけでなく、平野全体の強風を緩和してきたのです。

 杉が多いのは扇状地の環境と気候に適応する樹種というだけでなく、落枝が貴重な薪となり、採暖と炊事の用に供され、さらには建て替えの際の家屋の建築材料としても有益に活かされてきました。
「家は打ってもカイニョは売るな。」という言葉がこの地にありますが、大きく豊かな屋敷林は先祖代々大切に守り育てられてきて、この地の人々の暮らしと共にあったのです。



そしてこれはまた別の屋敷、東側です。北側にはケヤキ、エノキなどの落葉高木、風下側の方位になる東側には、下記やクリ、そしてビワなど、果物花木が植えられているケースがよく見られます。
 豊かで楽しげな暮らしぶりを感じる木々の在り様です。



 カイニョに囲まれた民家には、今や空き家も多く見られます。空き家となったカイニョは、杉の木の下に様々な自然樹木が進入し、そのまま豊かな自然林へと推移しているようです。



 この空家の敷地内に入ると、それでも中は広く、明るく広々とした木陰の空間が広がっています。
 外から見ると圧倒的な森、そして中に入ると快適で広々とした空間、なんか、私が目指す現代の庭のようです。温故知新とはこのことです。

 砺波散村地域研究所が実施した、散居村住民アンケートの結果、散居村の生活がよいと答えた人は8割以上に及びました。そして、「家族で今後も屋敷林を育てていきたい」と答えた住人も8割近くに及んだのです。
 その長所として、最も多かった答えが夏の涼しさというものでした。「どんなに猛暑でも、夏涼しくてクーラーが要らない。」と言います。
 フェーン現象による熱風の流れる日本海側の扇状地においてでさえ、エアコンなしで涼しく過ごせるのですから、こうした圧倒的な木々の効果には改めて驚かされます。

 こうした木々の効果をこれからの街づくりに生かしていけば、街はどれほど快適で、人の心はどれほど豊かに潤うことでしょう。
  現代社会はどれほど無駄なエネルギーを消費し続けていることか、 多くの人にそのことに気づいてもらいたいと思ってやみません。



 起伏に乏しい単調な平野も、豊かな屋敷林が点々と連なると、心地よく美しい風景が生まれます。
 この地の在り様、散居村に住む人の在り様が、心豊かな暮らしの在り方、心の在り方を訴えかけているようです。
 しかしながら、美しいカイニョの風景も、実際には徐々に壊れてきています。



 砺波平野もいたるところで田んぼが埋められ、こんな殺風景な住宅があちこちで立ち並んできました。
 高気密のこうした家では風よけの木々も必要ないというのでしょうか。エアコンなくして住むことのできない劣悪な住環境が、素晴らしい散居村を蝕みつつあります。



 田んぼの中のアパートにも、木一本ありません。風雪や猛暑の熱射をまともに受けるこうした住環境は人の心も蝕んでしまうようです。



 ぶつ切りにされた砺波市内のケヤキの街路樹。
現代社会はなんと愚かなものでしょうか。この地にありながら、長い時間をかけて美しく豊かな住環境を作り上げてきた先人の知恵を、なぜ実際の街つくりに生かせないのでしょうか。



 緑のない、劣悪な街の風景。こんな環境を誰が愛せるというのでしょう。そして、そこに住む人やそこで育つ子供たちに愛されない街にどんな未来があるというのでしょう。 
 こうした景色に接するたびに、怒りと共に反骨のエネルギーが湧きあがります。



 この旅の締めくくりは、合掌つくり民家の里、五箇山相倉集落です。稲刈りを終えた秋の光景に、素晴らしい日本の風土を胸いっぱいに吸い込みます。



 しつこい暑さがようやくゆるんだかと思うと、ススキの穂が秋の訪れを伝えます。



山々に囲まれて、時間が止まったような相倉の集落。
日本という国はなんと恵まれた風土なのでしょう。なんと豊かな国なのでしょう。
後世のため、私たちの子孫のため、こんな素晴らしい環境と本当の豊かな心を伝えていかねばなりません。



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谷川岳縦走 植生の旅 その2     平成24年8月2日
 サイトの調子が悪く、しばらくブログ更新ができずにおりました・・。谷川岳山行報告の続きです。




 峠の夕暮れ時、とても静かな蓬峠(よもぎとうげ)の小屋にランプがともります。ランプの灯りはなんと落ち着くことでしょう。下界は灼熱の猛暑というのに、少し肌寒いくらいの山の夕暮れの時間はゆっくりと流れていきます。



少しさびしげに夕日に映えるミヤマシシウド。存在感のある花です。





翌朝の谷川岳稜線。上越国境の山々が雲海に浮かび、静かな夜明けを迎えます。



人っ子一人いない縦走路を、谷川連峰の主峰をを目指して歩きます。
 一面のチシマザサの藪の中、点々と美しい夏の高山植物が楽しめるのが7月山行の魅力です。足元の花を楽しみながら、炎天下の笹原をひたすら歩きます。



 ニッコウキスゲ。



シモツケソウ。



ジョウシュウキオン。



クルマユリ。



そしてエーデルワイスの親戚、ミネウスユキソウです。



 いよいよ谷川岳の主峰が近づきます。この切り立った岩壁が有名な一ノ倉の岩場です。
 この辺りからは、これまで歩いてきた広いチシマザサの尾根とは打って変わり、切り立つ岩場の稜線を伝います。



稜線上で見かけた巨石。石の上にいかにも不安定な雰囲気で巨石が乗っかっています。
 1石で数100トンはありそうです。これが山の最上部の尾根のてっぺんまで、地球の隆起によって、いとも簡単にむくむくと持ち上げられてきたのでしょう。
 生きている地球。人知の感覚的な尺度をはるかに超える大地の力。そして今も地球の隆起は続いています。
 こんな、むくむく動く活断層に乗っかっているのが日本であり、ヒマラヤ以西のモンスーンアジア一帯なのでしょう。
 高い山があり、自然豊かでそしておいしい水の恵みを得られる反面、地震や津波、土砂災害とも我々は付き合っていかねばなりません。
 きっと、克服するのではなく共存するという発想こそが大切なのでしょう。
 原発事故後もいまだ人知で自然災害を制御し安全確保できると詭弁を弄する愚かな人間。どんな理屈も無用です。



 名峰、谷川岳の山頂です。昨日からの縦走路では人っ子一人会わなかったというのに、山頂に着くとにわかにたくさんの観光客が行き交います。
 ロープウェイを使って最短距離を登ってくれば、山頂までわずか3時間の行程です。
私のように、下から山々を超えて2日かけてはるばる縦走してくる登山者は珍しいようです。
 しかし今回、昔からの峠道を登ってくることで、山々と一体感を得ることもできるし昔の人を偲ぶこともできるのです。だから山登りはやめられません。



 山頂から望む上信越国境の山々。この険しい稜線が日本海と太平洋の気候を分断し、そして季節風がこの山塊にもたらす大量の風雪を深い森が蓄えて生き物を育み、そしてその水は関東を潤します。田んぼの水も関東の水道も、元をたどればすべてこの深い山々の恵みなのです。
 
 関東に生まれ関東に育った私たちの命は、はるか上流のこの山々なくしてあり得ないのです。 




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谷川岳縦走 植生の旅 その1     平成24年7月28日



 どこまでも続く上信越国境の山々の一角に谷川連峰があります。この山々が表日本と裏日本を気候的に分断し、そしてその植生も独特の様相を見せてくれます。
 久々の山旅、猛暑の中、つかの間の夏休み、谷川連峰の縦走に出かけました。



 ここは有名な谷川連峰の難所、一ノ倉沢です。異様な霊気が漂っているようです。
 昭和初期以前からのロッククライミングの聖地、一ノ倉沢の岩場だけで、昭和6年以降だけで800人近くの遭難死者を記録し、その数は世界でも例がありません。
 圧倒的な迫力で切り立つ岩壁、生死をかけてここに挑んだたくさんの若きクライマーの心境を偲びます。



 上野国と越後国との国境となる谷川連峰。今回の山行は上野国すなわち群馬県側から入山し、上杉謙信の清水峠越えの道を途中まで辿って稜線を目指します。
 ブナ林の中のとても気持ちの良い道を登っていきます。



 湯檜曽川源流を登り始めてしばらくの間、美しく深いブナ林の中を歩きます。成熟したブナ林の深さの秘訣は、1本で大きな樹冠面積を占有する、樹高40mほどのブナやシナノキ、サワグルミなどの大高木の下に、広い林床空間が開けるという点にあるように感じます。
 大高木の下にはイタヤカエデヤハウチワカエデ、リョウブ、トネリコなどの中木、そしてその下にはクロモジなどの中低木やブナやリョウブの子供などが、高させいぜい10m程度以下までの間に密に競い合います。
 しかしその上には、ブナの樹冠の下まで広い空間が開けているケースが多く、まるで豊かな緑の中にブナの美しい幹が浮かび上がってどこまでもつながっているようです。



 このあたりの山々は東京の水瓶と呼ばれる通り、とてもおいしい水があちこちから湧き出しています。
 これは山の中腹、雪渓に端を発した雪解け水が流れ落ちています。とても冷たく、感動的なまでのおいしさです。
 豪雪地帯のに降る雪を山肌全体が受け止め、そしてその大量の雪解け水をブナの森が地中に蓄え、浄化し、夏も枯れることなくゆっくりと下界へ届けてくれるのです。

 

 ブナ林の中、沢筋の道沿いに咲くノリウツギ。7月の谷川連峰はたくさんの花が迎えてくれます。



 日本海側の沢筋に見られるエゾアジサイ。



 豪雪地域の谷川連峰周辺では、日本アルプスなどの中部山岳に比べて森林限界が極端に低く、標高1500mを超えるとほとんど一面チシマザサに覆われます。1年の半分以上の間、数mもの豪雪に覆われるこの地域ゆえ植生です。



 笹原に覆われた稜線上の小屋は蓬ヒュッテ。この日はここで一泊です。

 続きはまた。


 

 
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