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雑木の庭つくり日記

南紀の旅その2 中世の庭園と吉野の桜に想う  平成28年1月26日
  つい先日に新年を迎えたかと思ったら、もうすでに大寒も過ぎ、早春の訪れも足早に、まるで後ろから追いかけてくるようです。
 今年もすでにひと月近く、仕事を進めながらも昨年に増して様々に、今この場で自分がすべきことを、こつこつと進めております。
 時間の使い方、優先順位はこれからますますタイトになってゆくことと思いますが、思うことを先延ばしにできるような時代でもなく、なんとか、少しでもよい未来、よい生き物環境を伝えていけるよう、できることは何でもしていかねばならない、そう心に決めて歩んでおります。

 さて、お待たせしました。懸案だった南紀紀行の報告、第2弾です。



 ここは伊勢の国 美杉町に残る中世の名園、北畠氏館跡庭園。伊勢国随一の名園として知られる山中のこの地は今もなお遠く、今回ようやく宿願だったこの庭園に立ち寄ることができました。

 北畠氏館跡庭園、それは建武の新政の夢かなわずに潰えた後醍醐天皇の重臣、北畠氏の館跡、室町時代末期に造営された、室町末期の代表的な名園です。



 庭園の背後の山腹斜面は、かつて北畠氏の山城があった霧山山頂へと続きます。そしてその尾根道の中腹に、かつての北畠氏の居城がありました。そんな居城、山城の麓にこの庭園は造営されております。

 一般的にこの庭園は、1530年頃、当時の伊勢国司 細川高国によって作庭されたというのが通例ですが、実際にこの地に池泉が造営されたのはおそらく、それよりもはるか以前、それこそ北畠氏がここに居城を構えたころからの生活排水濾過施設だったことが、遺構の配置から容易に理解できます。
 
 かつての暮らしにおいて、特に200年以上もの間、南伊勢一国を支配した大名の居城において、相当なる人数がこの険しい山中に滞在していたわけで、そこでは大量の下水や生活排水を円滑に処理する必要が生じます。
 今のように、浄化槽や下水処理施設を通して海や川に流すという、安易な方法ではなく、かつてはきちんと、大地に還元して生き物環境の中に還し循環させるため、居宅周辺に巡らせた素掘りの溝を通して浸透させ、そして山中の湧水と共に麓山際の池泉に集め、そして澄んだ水となって敷地外の河川へと流れていきます。
 土中に浸み込んだ生活排水は様々な生き物に栄養を与え、生き物環境を豊かに育み、そして様々な生物の作用によって浄化されて清流となります。
 特に、常に清冽な水と空気が地下水となって動き続ける山畔においては、大地の浄化力は高く、こうした場所に生活上必要な池泉を設けることが、通例だったと言えるでしょう。
  
 健全な山畔の谷部分を掘れば、その下の水脈に到達して水が湧きだします。清冽な地下水は、土中に空気をも流し込み、土中生物や草木の根もそこで活発に活動し、豊かな生き物環境を作っていきます。
 山畔を掘って地下水を湧き出させることで、土中に流れる空気の量も流動水量も増し、それがさらにその土地の生き物環境を活性化し、いのちを養う力を増していき、木々も生気に満ちて大木となり、その霊気で人の心身にも健康と活力を与えてくれる、そんな住環境を作り上げる役割に大きく貢献してきたのが、こうした池泉だったのです。



 池泉際の木々は大木となってなお、精気と霊気をもってこの地を訪れる者の心身を浄化し続けます。
 大木の根は、池の水位よりもはるかに低い位置にまで太い根を張っていることは巨木の太さ大きさから簡単に分かります。
 清冽かつ円滑に土中と地上を行き来しながら流れる水はたくさんの酸素を含み、そんな環境では木々の根を枯らすことはないのです。健全な水脈が健全ないのちの環境を生み出し、育み続けるのです。
 ところが、この水が何らかの理由で滞ってしまえば、たちどころに根を枯らし始め、そして枯死していきます。大地を流れる水は停滞することで、豊かな木々を育み続けることはできなくなってしまうのです。
 つまり、自然界の流動水と停滞水は、同じ水であっても全く別物と考えなければなりません。

 その自然環境を息づかせて保ち、そして人にとっても五感の全てで心地よく感じる健康的な環境を保つためには、大地の水と空気の動きがとても大切であって、かつての庭園が池泉を中心に作られたのは、そこが木々が最も健康に生き生きと霊性を放って、空気感がよく、人はそこから蘇生のエネルギーをもらえる、そんな霊気宿るいのちの環境が自然と成立しやすい場所だったからという点が、池泉庭園の起点として本質的に重要と考えます。

 ここは、北畠居城時代以降、いわば浄水池周辺がもっとも畏敬の念を感じさせられる安らぎの空間として育ってきたからこそ、ここに国司の居宅書院が構えられ、そして庭園として手を加えられた、というのが正確な流れだと、現地を訪れて確信します。



 複雑に刻まれた池泉脇の微高地(庭園的には築山というが、その表現はここでは避けてこう呼びます)の巨木群は樹齢500年とも言われます。

 微高地の巨木、その脇に、こうして山からの地下水が滾々と湧きあがる池泉を掘り込むことで、巨木の根周りに山からの水脈と連動して活発に空気が送り込まれます。
 そんな、木々が力強く息づくことのできる豊かな環境が絶妙に作られており、その結果、数百年の巨木がいのちを繋ぐ、そんな豊かな環境がここに保たれてきたのです。
 木々の様相は、その土地の健全性の指標となります。智慧深き先人にとって、こうした庭つくりは未来永劫数百年の計であり、それを造営するということは、その地の健全性の鍵を握る水脈環境の要となる地を見定め、そして精気の宿る健康な地を将来にわたって保つような配慮がなされてきた、その顕著な名残がこの北畠氏館跡庭園でよく分かるのです。

 庭園研究や鑑賞において、その造形や人文歴史的背景ばかりを論じるのではなく、自然環境の中での役割あるいはそこでの豊かな暮らしを営む上での機能的役割という、庭園の元の意味を知ることこそが、これからの時代、庭園の本質を知り、そして未来に役立つものへと昇華させてゆくうえで、とても重要な鍵となることでしょう。



 庭園遺構の上、居城跡の名残が残る山道を小一時間も上ると、かつての山城のあった霧山山頂部にたどり着きます。
 こうした場所は、江戸時代以降には特に桜の献木が多かったため、春には山に桜が点々と淡く開花する光景が、多くの人の心の中に刻まれています。
 この地も、山城跡周辺には今も桜の古木が見られます。

 この山城周辺を今、サクラの名所にすべく、近年とみに整備やメンテナンスが継続的になされている様子がうかがえます。
 これも近年、あちこちの観光地周辺を中心に非常に増えてきたことなのですが、こうした整備によって、その土地の自然環境が壊滅的にまでダメージを与えて破壊してしまう、そんな事例をよく見かけるようになりました。
 この、霧山城周辺も、誤った環境整備によって、取り返しのつかないほどに傷んでしまっていたのです。



 霧山城山頂付近、衰弱した桜の樹皮は新陳代謝できずに老化し、こうして苔がびっしりと付着してきます。



 枯死し、そして朽ちかけたサクラ。山頂付近の、重点的に整備された箇所はすべて、残存の木々は衰弱し、そして次々に枯れてしまっていたのです。

 ここは本来、マツ杉林のなかに松や桜の古木が点在していたのですが、これを桜の観光名所つくりのためと称して、サクラや松以外の木をすべて伐り払ってしまったのです。



 こんな傾斜地で特定の樹種だけ残して伐り払ってしまえば、地表は雨に打たれて泥水となって流亡します。そして泥水は、地表の微細な穴を塞いでしまい、水は大地に浸透しにくくなって硬化します。硬化して呼吸しなくなった土壌の地表は、落ち葉を捕捉する木々の細根が消えて、落ち葉が固定されずに風で舞い、さらに地表は露出しやすくなります。
 土が硬く締まって水が浸透しにくくなった土壌は、晴天が続けば乾燥し、雨が続けば常に過湿状態が解消されず、乾燥と過湿を交互に繰り返す中で根は徐々に後退していきます。特に、サクラのような表層に根を張る樹種は、土壌劣化の影響を即座に受けやすく、古木であればなおさら早期に衰弱枯死していきます。



 根元の表土は乾燥し、硬化し、まるで都会の踏みしめられた公園の土のようです。これが、一年中、人があまり訪れることのない、南紀の山の上でのことなのです。

 山中で一度こんな状態にしてしまうと、土砂崩壊などによってその地形が変わらない限り、ここはいつまでの健全に草木が育たない、劣悪で危険な状態が続いてしまうのです。



 桜ばかりでなく、意図的に残されたアカマツもすべて痛み、次々に枯死しています。

今後、草刈りや除伐など、この山に人が関与し続ける限り、今のままでは何をやろうと残存木の枯死と環境の劣化は止まることはないでしょう。
 さくらの名所にしようと、無意味でマイナスの影響をもたらしてしまうばかりの作業に費やした結果が、サクラどころかこの地の環境全てを破壊してしまったのです。
 環境全体を見ずに、不要に感じるものを排除する、間違った管理の在り方、間違った知識によって、自然環境はこうして数年で取り返しのつかないまでに劣化してしまうということを、きちんと知らしめていかねばならないと感じます。

 ここはもう、かつての桜と松の息づく歴史の深みを感じる山城遺構はありません。あるのは、荒廃しきって殺伐とした不快な環境でしかありません。

 人は本当に傲慢です。環境をよくしたいと、よかれと思ってやっても、大抵は強引で、人間勝手で、生き物たちへの配慮もなく、土地を都合よく変えようとします。その結果、大地は呼吸を削がれて苦しみ、著しく劣化し息絶えてしまう、それはそのまま、私たちの現在、そして未来永劫の大切な生存基盤を失っていることに気付く必要があります。
 苦しみ息絶えてゆく山奥の木々がそんなことを語りかけてきます。

 こんな例は、今はどこにでも見られます。業者や行政によるものばかりでなく、里山保全と称して市民によって行われる活動も、何をすべきかということの正しい視点を持って行われない限り、そのことが環境の劣化を助長してしていることが、実はよくあるのです。

 13世紀というはるか昔から近年まで、いのちの息づく豊かな環境を守り育ててきた 北畠氏館跡庭園というよい見本がそこにありながら、そこから本質的なことを何も学ぶことができない現代の営み、学会、社会、人。
 今こそ、私たち日本人が本来持ち合わせていた素晴らしい智慧、大地を息づかせながら共存してゆくという、大切な視点とノウハウを、きちんと掘り起こしていかねばならないと感じます。



 そしてここは有名な吉野千本桜です。吉野に通い始めて10年近くになります。以前からその傷み具合は気になっておりましたが、その後も年々木々の衰弱は増していき、特にここ数年、急速に拍車がかかっているようです。
 
 世界遺産となって注目が集まり、千本桜を守ろうとする、その作業事態が環境に負荷をかけて悪化させていることがここでもうかがえます。



 さくら以外の樹木ばかりでなく、下草にいたるまで刈り払われて地表は目詰まりをきたし、さらには農薬散布など、今おこなわれるあらゆる処置が的外れで、この山の環境にとってマイナスの要素しかもたらさない、その結果、やればやるほど環境は悪化してしまう、そんな悪循環が今も続けられているのです。



 世界遺産、大峰奥駆道へと続く道沿い。奥千本と呼ばれる参詣道沿いで今、奥千本桜再生運動と称して、杉林がいたるところで広範囲に、伐採除去され、そしてサクラが植えられています。



 観光のため、今ある木々が守りってきた環境をすべてをはぎ取って、そして桜のみの山にしようと、こんなことが今なされている。
 そして、山の際に残された既存の桜の木も、この環境の激変と土壌環境の劣化にさらされてあっという間に衰弱、枯死していきます。



伐採されずに残る杉林の縁の桜の古木はかろうじていのちを繋いでいます。これも、杉林が作り出す、温度湿度風の当たり具合などの地上部の条件や、森の下で守られる地中の条件とによって、舗装道路際の悪条件に在りながらもなんとかサクラがここでいのちを繋いでいるのであって、サクラだけにしてしまえば、これもおそらく1年以内に枝枯れをはじめ、数年後、あるいは長くとも十数年以内には枯死してしまうことでしょう。



 暗く閉ざされた下草も乏しい杉林の斜面を大規模に伐り払えば、当然表土は流亡し、土壌の構造は破壊されて浸透機能を失います。表面を土壌が流亡することで、その大地の生物環境は劇的に劣化することは、先に説明しました通りです。



 そして、サクラ植樹地の隣接する木々も痛み、急速に枯死していきます。



 数年前まで、参詣道へと続く道の両脇も、桜を残して伐り払われ、新たに桜の苗木ばかりが植えられます。蘇生の道、自然から学ぶ、山岳修験道の聖地において、人間によって暴力的に痛めつけられ、致命的なまでに弱体した大地はもはや、人の心身に蘇生の力を与えてくれることはありません。

かつてと違い、道路沿いはコンクリート擁壁と舗装道路によって土中の水と空気が停滞しやすい今の環境において、過去の環境の下で大木となった木を伐ってしまえば、今の環境の下では再びかつてのように健康な大木が育つことはないのです。



 残された桜も、共に生きてきた周囲の杉が一斉に切られてしまうと乾燥し、途端に衰弱していきます。地表の荒廃による土壌環境の悪化によって根も枯損が進み、太い枝が短期間に枯れていきます。それでもこの木は、新たな環境で一生懸命生きようと、苦しげにたくさんの小枝を出してもがきます。やがてこの木も、本来の寿命を待たずに枯死してゆくことでしょう。
 この様相を見て、誰がよいと思えるものでしょう。なぜ、こんなことが繰り返されるのか。理解に苦しみます。

 吉野の桜運動、もちろんみんな、良かれと思ってやっていることでしょうが、これが根本的に間違った方法であることは、こうした事例の様々な地域の結果を見ても明らかな上、環境の変化を丁寧に観察すれば、その間違いは誰にも一目でわかることなのです。

 伐採やサクラの植樹には、日ごろ木々を扱っているはずの造園業者や林業関係者、その他桜の専門家を称する人たちも多く参加していることと思いますが、それなのに、こんな間違ったことが改められず、結果として、それまで長い歴史とそれを守り育ててきた先人の営みが育んできた、大切な環境を根本から壊してしまっているのです。
 それほど、人は自然をきちんと見つめて教えを請うことができないまでになってしまったと、事態の深刻さに改めて身震いするのです。



 ただ伐って育てたい他の木を植えれば、思い通りの環境が育つというものでは決してないことを知っていただきたい。
 まして、自然を畏れ敬いながら、人間として活かされてゆくうえでの大切な智慧と命を授かってきた、そんな素晴らしいかつての日本人の人生観、そして山岳修験霊場の在り様を伝えるべく世界遺産となった吉野参詣道において、今ある森を一斉に排除して暴力的に一新し、なおかつここまで傷んでいるというのに、そんな自然の叫び声にも耳を傾けられない、本当に我々日本人は、自然から遠ざかってしまったことを、この光景に痛感させれられます。




 日本第一の山岳修験道場、吉野山金峯山寺。今年の正月三が日には数年ぶりに、朝の勤行に参加しました。
 この金峯山寺には、釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩と3体の化身である蔵王権現が本尊として祀られています。
 それぞれが、過去、現在、未来を現わしており、我々人類は現代だけでなく、過去、未来を繋げて考え、生きていかねばならないことを今に発信し続けているように感じます。

 世界遺産、あちこちを回って思うことは、世界遺産に指定されて、よくなった場所はなく、猛未来に伝えるべき大切なものを形骸化させつつある虚しさを感じます。
 これもまた、「過去に学び未来を想い、今を生きる」という、人類として大切な在り様を社会が見失ってしまった結果なのでしょう。

 さて、悲観してばかりもおれません。こんな日本、こんな時代において、すべきこと、与えられた使命を果たしていこうと、蔵王権現様に誓います。


 

 


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 (2016年1月26日 13:59) | PermaLink