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雑木の庭つくり日記

風と水のふるさと紀行 黒部川源流の旅(その1)  平成27年8月11日


 ここは富山湾、昭和初期に行われた、魚津港建造の際に発見された魚津埋没林です。
 2000年前の杉の原生林が富山湾岸の海底に眠り続けていたのが、今もなお水中にあって、当時の木質と精気を衰えさせることなく、その一部が2000年間の眠りと同様の条件で、北アルプスからの地下水脈の流水に守られながら保存されています。

 魚津埋没林は日本の屋根北アルプスの広大な地下水を集めて流れる黒部川の最下流部、片貝川の汽水域にて、2000年前の河川氾濫と海面上昇が複合して埋没した杉の原生林の名残です。
 たまたまここは戦前の港湾建設の際に発見されましたが、それ以外にも今もなお周辺一帯に埋蔵されており、その痕跡は、2000年前からの環境の変化を現在に伝え続けているようです。

 それにしても、2000年もの間、海底浅瀬に埋没しながらも、当時の杉の巨大な根が朽ちることもなく、新鮮な姿で残ってきたのか、その鍵となるのが、北アルプス連峰から豊富に送られ続ける清冽な地中水の動きにあるのです。

 埋没林の周辺では、3000m級の峰々から流れ落ちる膨大な水が海辺の扇状地で湧き出し、一部は地表を流れ、そして多くは地中の流れとなります。そしてその流れは大量の酸素を常に土中に送り込みつつ大地を浄化し、その清らかさと雪渓に端を発する低温を保ち、それが埋没林の海中に滾々と流れ続けてきたのです。
 これが単なる海底浅瀬の埋没林であれば、2000年どころか数百年程度でほとんどが朽ち果ててしまうことでしょうが、膨大な水量の湧水が常に供給されるこの海域特有の環境ゆえに、2000年前の巨木の森の名残をこうして今に伝えるに至ったのです。



 2000年前の大地の環境の下で巨木となった杉の根は、今にもむくむくと動き出しそうなくらい、力強い精気を感じさせます。
 その精気に打たれて心は震え、涙が目頭までこみあげてきます。
 この巨木の根は数千年の時を超えて今もなお、大地の循環に帰してゆくことなく、清らかな水脈に守られながら、木としての凛然たるいのちの力を今に伝え、そして見るものにかつての大地の力を浴びせかけ続けてくれているのです。
 太古の大地の力強さを想う時、今の時代を生きる私たちの生き方暮らし方、人間としての在り方を根本から問い直される思いに突き動かされます。

 数万年、数千年の時の流れというものは、人の一生から見ると長いようにも感じますが、地球の歴史から見るとほんの一瞬の出来事で、その中で地球は変遷し、プレートがぶつかり合って隆起沈降を繰り返し、陸が海になり、そしてまた陸地が生まれ、絶えず変化し続ける地球上のほんのわずかな表層で、いのちの営みが繰り広げられ続けてきたのでしょう。

 海底に埋没した2000年前の巨木林の名残は今もなお、あまりに多くの摂理を語り続けているようです。

今回、黒部川河口域からその源流を訪ねる6日間の旅の中で、全てのいのちの源となる水の動きを追いかけます。



 そしてここも黒部川河口域、入善町の杉沢と呼ばれる天然杉林で、沢スギと呼ばれます。
海岸沿いの低湿地でありながら、黒部川が作る扇状地末端の湧水に端を発する水脈沿いに、昔から沢杉と呼ばれる杉林が成立してきたのです。



 杉沢の森の中では、常に大量の地下水が湧き出して清らかに流れ続けています。
 杉は本来、湿地にも乾燥地にも生育しにくく、健全な山の斜面谷筋などの肥沃で湿り気がある土地によく生育しますが、沢スギがこのような海岸低地の沢地に生育してきた理由はこの、高山から供給されて大量に溢れ出す湧水にあるのです。
 常にこんこんと流れ続ける清冽な地下水が土中に大量の酸素を供給し、それが樹林の呼吸を支えてきたのです。

 大地を流れる水脈こそが、あらゆる命を育む大地の血管と言っても過言ではないでしょう。
 そしてその水の多くは地表ではなく大地の中を流れ、そしてときに表面に川となって現れます。
 自然界の事象を理解するためには、目に見える川や沢と表裏一体の、目に見えない地下の水の動きに注意を払う必要があります。

 健全で力強い水脈こそが豊かな自然の呼吸脈であってその土地の豊かな再生力を生み出すということは、この地で昔から経験的に知られてきたのか、あえて湧水の水路を掘って流水を良くし、杉が育つようにしている、人による水脈誘導の痕跡も見られ、かつての智慧の深さに感じ入ります。



 深山の趣を感じる清らかな森の様相はとても海岸沿いの低湿地とは思えません。
 この森の面白さは、奇妙な形状でたくましく生きる杉の木の佇まいにあります。林内にくねくねと曲がって伸びるほっそりした幹はなんと杉なのです。

 豪雪地帯のこの地では、杉のような重たい葉を蓄える樹木は、その生育段階で幾度も雪に埋もれて倒伏します。
 曲がった形状はこうした風土環境に適応した沢杉の姿と言えるでしょう。



 くねくねと曲がって伸びる沢杉の幹が雪につぶされて地に接すると、そこで根を出し、そして新たな幹を上へとのばしてゆくのです。
 こうした樹木再生の在り方を、伏状更新と言います。この厳しい風土の中で適応し、生きる術を身につけたがゆえに、この地で天然の杉林が生育し、そしてそれはこの地に生きる人の暮らしに活かされ、長い間この地に暮らす人たちによって大切に守られて続けてきたのでしょう。



 柔軟で不思議な形状のこの森の杉たちは、植物と動物の境目を感じさせないほどの躍動たる、いのちのたくましさを感じさせてくれます。



 海岸沿いにこんこんとわき出す清冽な水が、この豊かで地域特有の森を育み支えてきました。
 かつては入善町海岸付近の湧水沿いに沢杉の森は無数に点在しており、その面積は合計140ヘクタールに及んだと言われますが、今ではこの杉沢一カ所、約2.7ヘクタールのみとなってしまいました。
 多くは昭和37年ごろから始まった、圃場整備事業によって伐採され埋め立てられ、整然と区画された水田へと姿を変えられていったのです。



 日本の風土は、昭和30年代後半から50年代にかけて、農山村含めて大きく変り果てました。
 なだらかな起伏豊富な自然地形はこうして平坦に造成されて、整形的な農地として整備され、そして湧水のうち地表の水はコンクリート水路にて直線的に排水されています。
 その一方で膨大な量の地中の水は、一部は新たな水脈を自然に再生して海に流れ、反面に多くは土中に滞水して生き物環境の呼吸を妨げてしまい、本来豊かだったこの地をますます弱らせ続けてしまっている、それが現実の姿なのでしょう。
 
 長年の間、この地の自然環境と共存しながら豊かな命を育んできた本来の環境は、今はほとんど見られません。
 戦後に全国的に始まったその土地特有の風土やを無視した開発、土地利用の在り方は、今も大筋で何も変わりませんが、近い将来必ず方向転換していかねばなりません。

 圃場整備と機械化、農薬除草剤肥料の大量使用による戦後の農法は、一時的には確実に収量を高めましたが、その土地の自然環境を破壊し負荷をかけ続け、大地の絆と循環を妨げ、自然本来の生産力を悪化させ続けるこんなあり方の先に、子供たちに伝えるべきどんな未来があるというのでしょう。

 「コンクリートに覆われた田舎に誰が帰りたいっていうの?」見聞きしたそんな言葉が脳裏にかすめます。



 そんな中でも、杉沢付近の森の近くには、湧水を誘導する素掘りの溝が掘られ、空気と水の通る健全な環境がわずかに見られ、その空気感が心を慰めてくれます。
 心地よく、ひんやりした土の香りは、地中と地表の空気循環が生み出します。空気の流れも水と同様、地表ばかりではなく、見えない地中との行き来をも想定していく必要があります。
 そして、五感を研ぎ澄ませば、空気と水が健全に流れる本来の心地よさを私たちは思い出し、感じ取ることができるのです。

 素掘りの水路を伝う水は周辺土中の余分な水を集め、そして乾燥時には周辺土壌に水分を供給し、大地の環境を潤すのです。
 人が掘った手掘りの溝は有機的でほほえましく、そして自然の理に合致して共存しています。こうした名残を見るにつけて、傷んだ大地はまだ取り戻せる、そんな希望を感じさせられます。

 杉沢の杉とその周辺の環境は、わずか数十年前に奪われていったかつての美しい人と自然の営みを今あらためて偲ばせてくれます。



 そして今回、黒部川最源流の水源山域を踏査すべく、標高1300mの入山口に車を置いて歩き始めます。ここから丸4日間の山籠もりに入ります。



 黒部源流は、北アルプスの核心部最奥の高山に端を発します。その水源の山々に登るには、奥飛騨側、信州側、富山側とのかつての3国からのルートがありますが、今回は富山側、標高1300mの折立登山口から入山します。

 透き通る青空と冷涼な森の空気が体と心を吹き抜けていきます。



 登り始めてしばらくは深遠な森の中を行きます。
 日本の屋根、北アルプスにおいても最も深い山域を目指して登りつつ、力強いいのちの営みを感じます。
 心に留まったのがこの巨木。地上2m以上の位置から根を下ろしています。これは枯死した巨木の上に落ちた実生が根をおろし、周囲に生い茂る熊笹との競合から解放されてすくすくと伸びていったのです。
 深い山中ではごく一般的な光景ですが、多くの人に伝えたい、いのちの営みです。
 林内に降り注ぐ木々の実生、その多くはクマザサなどの深い林床植生に埋もれて消えてゆくのが宿命なのですが、そんな中、枯死した巨木や倒木で浮き上がった巨大な根などが腐植して、しっとりしたスポンジ状になった状態の場所に幸運にもこぼれ落ちた実生がすくすくと伸びて根をおろし、そして次代の巨木となって森の環境を守る担い手となってゆくのです。
 適度に腐植してスポンジ状になった植物遺体は、通気環境的にも透水環境的にも、あたらな命にとって非常に適した心地よい生育環境を提供します。そこに落ちた実生は様々な競争にさらされてなお強く勝ち抜くアドバンテージを得るのです。

 こうした森の営みと新たないのちの再生の在り方を、マウンド更新、あるいは倒木更新と言います。
 つまり、朽ちた木が土に還ってゆく過程で新たな命を育む、「いのちのゆりかご」となるのです。



これは倒木の巨大な幹の上に生育する木々。おそらくここにこぼれ落ちて根付いてから、50年以上の歳月を経ているのではないかと推測されます。
 それなのに、今もなお、この倒木遺体は朽ちきることなく苔に覆われながらも幹としての形状を保ち、そしてその上に新たな木々の命を育み続けているのです。



 そしてこれは根返りして倒木したシラビソの幹が、隣の立ち木にひっかかることによって完全な倒伏を免れ、そして生き続け、たくましく新たな幹枝を再生させています。
 深山で繰り広げられる木々のいのちの営みとたくましさは見るものに負けない力を与えてくれます。
 地球上のいのちが本来持つ、生きようとする力、それこそが未来への希望となり、人知れず空間に清浄な力を漂わせ続けているのです。
 久しぶりに帰ってきた、そんな心境に浸ります。



そして森林限界を超えると一気に視界が開けます。



 稜線に抜けるとそこは風と雲の世界です。夏山の午後、高山の稜線では、快晴の日であれどもこうして雲が上がってくることが通常です。
 芝生のようにも見える緑のじゅうたんは、高山の寒風が撫でて作った息づく大地の証です。
 高山の草原とハイマツ帯とが地形に応じて整然と見事に住み分けて、水と空気の微妙な動き方の差異にによって繊細に変化する限界域の植物の営みを注意深く観察し、様々なことに気づかされます。


 感動と会心の旅の報告は、まだまだ続きます。
いつもに増して長くなりますので、いったんここで区切らせていただきます。
 後ほどアップさせていただく予定の「旅報告その2」を、どうかご期待くださいませ。

 

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 (2015年8月11日 08:23) | PermaLink