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雑木の庭つくり日記

自然環境としての庭を育てる    平成27年5月30日


 新芽が固まって梅雨へと向かう時節は、庭の育成コントロールのためのメンテナンスの適期でもあります。
 本日おうかがいした、千葉県市原市Aさんの庭は、竣工後1年半が経過し、木々はますますこの土地の自然へと同化していきます。写真は手入れ後です。
 光通し、風通しをコントロールしつつ、健全に成長しつつ、人も木々も、そして生き物たちにとって心地よい環境が醸成されてくるよう、適度な管理は必要になります。

 「カーテンを開けて暮らしたい。」 それこそこの庭の改修植栽前までは常にカーテンを閉めっぱなしで暮らしていたことが考えられないくらい、今は常にカーテンも窓も開け放した、快適で健康的な生活をなされています。



 健康な自然環境としての庭がもたらすかけがえのない豊かさは、その場に暮らしてみて初めて気づくものかもしれません。
 揺れる光と呼吸する大地、木々の香り、土の香り、こうしたことに日々感じながら幸福を実感する、本当に庭とはなんとかけがえのないものなのでしょう。
 手入れにうかがい、お客さんの笑顔と再会するたびにいつもそう感じます。



 大屋根の軒まで枝葉が達することで、狭くとも深遠な森の中にいるような、そんな感すら漂います。

 よく、私たち高田造園設計事務所の作る庭は大きな庭ばかりのように思われる方が多いようですが、そんなことはありません。この庭も植栽幅2m弱のごく狭いスペースなのです。
 それでもこれだけの、スケールの空間を作り出せるのは、自然環境としての雑木の庭ならではのことなのでしょう。



 ここは千葉市内、Tさんの庭は植栽後3年です。コンクリートの駐車スペースを剥がして作ったわずかなスペースに植栽した木々は、こんな環境でも生き生きと、その場所に適応しながら生きようとします。
 住む方の愛情を浴びて木々はますます元気に生き生きと、美しい住環境の風景を作っていきます。



 家と駐車場の間、1mに満たない植栽スペースで、これほどの豊かな潤いが実現できるのです。そして、こんな場所で必死に生きる木々に愛情を注ぎ、いたわりながら、健康を気遣う、それが最も大切な庭環境育成の視点と言えるでしょう。

 メンテナンスの際は地上部だけでなく、木々が呼吸する土中に無数の通気孔をあけていき、細根の発達を促す作業も、こうしたコンクリートに囲まれた今の住宅地では欠かせない作業となります。



 東京都江戸川区Uさんの庭も竣工後5年目となりました。
駅前再開発地の劣悪な土壌環境のもと、ここだけは大地の呼吸を取戻しつつある様子が、風や匂いで感じられます。



 光通しと風通し、そして土壌の通気状態と、都会のコンクリート環境の中でなお、自然環境として健全な状態を保てるような配慮、それがそのまま人の空間としての本当の意味での豊かで温かく、そして心から癒される、自然に対する畏敬の念まで感じさせてくれる、そんな住環境の営みが生まれるのでしょう。



 さて、ここは私の実家の庭、庭の竣工は僕が24歳くらいのことですので、すでに20年以上の歳月が経過しています。
 隣地境界まで2mに満たないわずかなスペースに、ミズナラやモクレン、コウヤマキなど、40種類ほどの木々が共存しつつ、20年を超えました。



 見た目だけでない手入れ、木々と対話し、生き物として労わり気遣いながら、そっと手を差し伸べるような、そんな管理をし続けることで、それこそ人の一生涯、庭の木々は人の住環境を侵すことなく、快適で心地よく共存してくれるものです。
 
 とある造園家が以前にこう言っていたことを思い返します。

「庭の寿命は25年くらいだと、いつもクライアントに説明している。25年経ったら庭もリフォームしましょうと。」

 生き物のいのちの環境として見向きもしないような、庭に対するこうした考え方を聞くたび、「いまだ庭は命を育む環境としてではなく、建築の付属物のように捉えられることが多いのだな」と、少しさびしく感じます。

 庭はいのちの営みの場であり、その地に適応しながら年月をかければかけるほど、多様な生き物環境としても育まれてゆくもの、それをあたかもまるで人が作るモノや作品であるかのような捉え方は、今後は改めていかねばならないことでしょう。
 建築もそうですが、自然環境も生き物もすべて、人がコントロールできるという傲慢な考え方の先には、人の未来も地球の未来もありません。

 自然環境あっての人間社会であり、その縮図が人と庭であるように思えてなりません。

 庭の自然環境と共に生きようと、人の心が歩み寄る、そんな心構えで庭と向き合えば、幾世代にもわたって庭は良くなり続けるもの、命ある環境、生き物の命を人の都合で無造作にはぎ取って顧みない時代から、私たちは進歩しなければなりません。



 22年間、実家の父母と共にあったこの木々たち、この庭の手入れはおそらく、今回が私にとっての最後の手入れになるかもしれません。
 それというのも、母親がひと月後にはこの地を離れて、引っ越すことになるからです。
 22年間の感謝の想いを込めて、手入れしながら、色々な思い出が胸をよぎります。

 家と庭は僕がこの家を離れてからリフォームしていますが、僕が幼稚園の頃から大学入学まで暮らした懐かしの土地であることに何ら変わりはないのです。

 この家の新たな住み人がそのご家族の暮らしと共に、この木々を愛し、木々のいのちと共に生きてくださることを祈るばかりです。







投稿者 株式会社高田造園設計事務所 (2015年5月30日 18:20) | PermaLink